書くということ
のびみつ
同じコップの中で
空気を共有する
素晴らしさ
あのひとと同じ空気に生きる
照れくささ
だが
本当におなじ空気? と
疑問に思うくらい
あのひととはすれ違っている
まるで水と油のように
だが
たとえ水と油でも
私はガンバってかき混ぜる
すぐに元に戻ったっていい
私にとっては
元に戻るまでの時間で十分だ
なぜなら
あのひとと
同じコップに入っていることだけで
しあわせなのだから
この詩は私が高校生のときに文芸部で作り、市が実施した文芸コンテストに応募して幸いにも次席の賞をいただいた作品である。当時は表彰式に呼ばれ、巨大な賞状と輝かしい楯を受けた。文芸関係でこれほどまでの栄誉を受けるのは初めてのことであったし、おそらくそれ以降もないことである。
今思えば、自分でも恥ずかしいくらいの甘酸っぱい作品である。作品集に収められた審査員の講評には、「高校生の作品。恋愛感情の光と影を自分なりの素直な表現で書いています」と評されている。よくもまあこんな作品を選んでくださったという気持ちだ。高校生という若さの特権だったのだろう。
この詩は、締切前夜に不真面目に詠んだものだった。全部で三編ほど作ることになっていたが、この作品は手抜きをして詠んだものだった。それがもっとも花開いた作品になったというから不思議なものだ。
審査員には好かれたが、よくよく見ると矛盾点がある。「同じ」が漢字使用とひらがなの使用が統一されていないこともそうなのだが、何よりも「私」と「あのひと」が同じコップに入っている「水」と「油」なら、それを「ガンバってかき混ぜる」「私」は誰なのかという指摘ができる。コップのなかに液体として入っていながらかき混ぜることはできないだろうということである。その矛盾はやっつけ仕事で作品を詠んだことに要因がある。本来なら受賞に値しない駄作だろうが、いただいてしまったものは仕方ない。べつに盗作でもないから、返上せずにありがたく自室に飾らせていただく(ホコリが被っているけれど)。
私は高校のときも文芸部、大学に入っても文芸ペンクラブというから、さぞ文学青年かと思う読者の方もおられようが、実は真逆である。読書をまったくしない人だ。マンガさえも読まない。それは私の文章のぎこちなさを見れば、分かる方には分かると思われる。
ではなぜ高校も大学も文芸なのかというと、消極的な理由だ。高校は「ラクそうだから」、大学は「高校の延長で」という気分で入部した。マスコミ・メディア系に興味があったので、大学では新聞部に入ろうと思っていたのだが、本学には入学当時、そして現在も新聞部はなく、新聞部が形を変えた季刊学生雑誌のクラブがあった。私は雑誌を手にとって読んだが、とても私にはその雑誌の内容にふさわしいユーモアのセンスを持ち合わせていないため、入部を諦めた。こう書いては身も蓋もないが、文芸系のクラブには漫然とした気持ちで入部し所属していたのである。
おまけに私の所属する学部は文学部であるが、専門は文学ではない。文学部の一般的なイメージとは遠くかけ離れた学問である。だから、「文学部所属・高校から一貫して文芸系のクラブ」という一見文学・文芸に打ち込む青年の典型的なルートをたどっているように見えるが、私自身についてはかなり異色だ。
だからといって、ものを書くということに対する思いが小さいわけではない。私は幼少期、話す能力の発達が著しく遅かった(保健所に心配されたくらいである)。その代わり、書く能力の発達は人並みであり、私としては話す能力よりも書く能力が卓越しており、書くことは重要なコミュニケーションツールであった。「書いて伝える」ということは、成長してもなお私の中で底流し続ける本能的な欲求であったといえる。話すことが苦手だった私は、「何に困ったの?」と尋ねられてもうまく答えることができない。しかし、書くことで私は落ち着くことができる。大げさだが、書くことは生きることでもあった。
それは思春期になっても変わらなかった。高校時代、私は人間関係で苦悩し続けた。同級生に対して、説明できないモヤモヤした気持ちが渦巻いていたのである。決定的なライバルであり、でも尊敬できる憧れの同級生。その同級生は私にない特技をも持っていたため、目標でもあった。文芸部員になって半月後のある日、日に日に自分の中で大きくなっていくその同級生のことを思って、私は不真面目に、手抜きをして冒頭に挙げた詩を詠んだ。不真面目ながらも詩を詠む過程は、同級生に対する自分の気持ちを整理する手段でもあった。恋でも単なる憧れでもない神格視のような複雑な感情を落ち着かせるために、その詩は産声を上げた。
それなのに、である。審査員が「恋愛感情」と一語で表現したことに私は不満だった。これは決して恋ではない。恋というひと言で片付けられるような単純なものではないのだという反発心が燃えた。審査員は自分のことなど何も分かっていないのだと怒りが湧いてきた。授賞式でも、私は内心複雑な気持ちだった。おまけに、参列した家族は私の受賞作品を見て「これ、誰」と尋ねてきたのは恐怖であった。「友達のAくんが他の学校の女の子と恋をしているらしくて、困っているのを聞いたからそれを詠んだ」と苦し紛れに答えた。例の同級生のことには一切言及しなかった。
時は経て大学入学を迎えた。私は惰性で文芸ペンクラブに入部した。先輩たちが優しく迎えてくれ、楽しい大学生活が幕を開けた。例の同級生と別れて時間が経ち、落ち着いてきたことは事実だが、そのモヤモヤの謎はなおも解決しなかった。それで私は趣味に関する投稿の合間に本誌で「神と友のはざま」を発表し、事実と空想のはざまを浮遊した。「書くこと」で同級生の謎と向き合おうとしたのである。
最終的に同級生の謎が解明し、その後の一変した生活や、不安・恐怖をつづったのが、同じく本誌で発表して一部で物議を醸したと言われる「僕がモンスターになった日」である。私が受賞に対して感謝しながらも怒りと不満の対象を向けた審査員の「恋愛感情」という表現は、結局のところ紛れもなく事実であった。まぁ、客観的に見てそれ以外考えられないだろう。
今、改めて当該の詩を詠むと、訳が分からず複雑な気持ちを抱いていた当時のことが痛いほど鮮明に浮かんでくる。そして、自分自身の指向性にまだ気づいていなかった「神と友のはざま」では、気づいてしまった今では到底紡ぐことのできない、ある意味稀少で新鮮な言葉たちが、当時の私自身の苦悩を如実に伝えながらまぶしいくらいに踊っている。
文芸は、文芸それを楽しむ目的でもあるが、自分自身を見つめ直す手段でもあるのではないか。私が高校から一貫して文芸系のクラブに所属していたのも、後者の手段を重視する気持ちが自分自身を内面から突き動かしたからなのではないだろうか。そのように回顧される。
私自身にとって、文芸系のクラブの一員としてものを書く作業は、この記事をもって終わる。他人に読まれるために書くのではなく、単なる自分の気持ちの整理のために書いて発表してきたことについて、読者の方々に申し訳なく思う。しかし、一方でそれでもよい、文芸はあらゆる人々に開かれていると私は信じている。私は文芸系のクラブを卒業しても、これからも「書くということ」と向かい続けるだろう。表現することは、生きることでもある。
文芸系のクラブに所属した初期に発表した冒頭の詩から現在この文章を書いている今までの過程を振り返るとき、自分自身が苦悩し続けながらも少しずつ成長してきた青春の時間の尊さと、自分の生の表現でもある「書くということ」の尊さが深く心に響きわたるのである。
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