昨日への選択
千集 一

 昨日は最高な日だった。
 今まで生きてきた中でも、これから生きていく中でも、こんなに幸福な日は無いだろう。
 今日の夜、夢を見た。
 道の先に扉が二つ、左右対称に並んでいた。
 二つの扉の手前に、老人が一人立っていた。
 老人は僕を見つけるとこう言った。「おまえはここで選択しなくてはいけない」と。
「右の扉は『明日』、左の扉は『昨日』に繋がっている。お前はどちらかしか通れない」と。
 何だかありきたりな話だと思った。
 すると老人は笑った。「お前のイメージが基になっているのだから当然だ」と。
 僕は尋ねた。
「どちらも選ばなかったらどうなるのか」
「ここで私の様に留まり続けるだけだ」
 しばらく何も言わずにいると、老人は諭す様に言った。
「悩んでいるのなら『昨日』に行くといい。『昨日』に行けばまた『今日』が来て選び直せるのだから」
「『明日』に行くと戻れないのか」
「私は『明日』を選ばなかったから分からない」
 僕は『昨日』を選ぶことにした。もう一度あの最高な日に戻りたかったから。
 左の扉へ向かおうとすると、老人は僕に声を掛けた。「左の扉を通るためには鍵がいる」と。
 そんな物は持っていないと思ったが、老人は「持っているはずだ」と言った。
 ポケットを探すと、鍵が三つ入っていた。それらはどれも同じに見えた。
 僕は老人に尋ねた。「『昨日』は昨日と同じなのか」と。
 老人は答えた。「おまえ次第で同じものにもなるし違うものにもなる」と。
 僕は同じ昨日にしようと決意した。
 その内の一つを老人に渡すと、老人はそれを鍵穴に差し込み扉を開けた。
 最後に僕は老人に尋ねた。
「あなたは何故ここに留まっているのか」
「『昨日』に行きたいが鍵が無い」
「一緒に来ればいい」
「一緒に行くことは出来ない。それにこの『昨日』は私の行きたい『昨日』ではない」
「そうか」
 僕は扉を抜けた。

◆◆◆

 昨日は最低な日だった。
 今まで生きてきた中でも、これから生きていく中でも、こんなに不幸な日は無いだろう。
 今日の夜、夢を見た。
 道の先に扉が二つ、左右対称に並んでいた。
 二つの扉の手前に、中年の男が一人立っていた。
 中年の男は僕を見つけるとこう言った。「おまえはここで選択しなくてはいけない」と。
「右の扉は『明日』、左の扉は『昨日』に繋がっている。お前はどちらかしか通れない」と。
 どこかで聞いたことがある話だと思った。
 すると中年の男は笑った。「おまえはここに来たことがあるのだから当然だ」と。
 僕は尋ねた。
「ここに留まり続けたらどうなるのか」
「何も起こらない。退屈なだけだ」
 しばらく何も言わずにいると、中年の男は面倒そうに言った。
「悩んでいるのなら『昨日』に行くといい。『昨日』に行けばまた『今日』が来て選び直せるのだから」
「『明日』では何が起こるのか」
「それは誰にも分からない」
 僕はあの昨日には戻りたくなかった。あの最悪な日は二度と体験したくなかった
 僕は男に尋ねた。「『昨日』は昨日とは違うのか」と。
 老人は答えた。「おまえ次第で同じものにもなるし違うものにもなる」と。
 僕はしばらく悩んで『昨日』を選ぶことにした。あの昨日を変えたかったから。
 僕はポケットの中を探す。同じ鍵が二つ入っていた。
 僕はその内の一つを男に手渡し、男は扉を開けた。
 最後に僕は男に尋ねた。
「あなたは何故ここに留まっているのか」
「『昨日』に行きたいが鍵が無い」
「一緒に来ればいい」
「一緒に行くことはできない。それにこの『昨日』は私の行きたい『昨日』ではない」
「それもそうか」
 僕は扉を抜けた。

◆◆◆

 昨日は普通の日だった。
 今まで生きてきた中でも、これから生きていく中でも何度でも繰り返す、そんな日だろう。
 今日の夜、夢を見た。
 道の先に扉が二つ、左右対称に並んでいた。
 二つの扉の手前に、青年が一人立っていた。
 青年は僕を見つけるとこう言った。「おまえはここで選択しなくてはいけない」と。
 僕は青年の言葉を続ける。
「『右の扉は『明日』、左の扉は『昨日』に繋がっている。お前はどちらかしか通れない』」と。
 すると青年は笑った。「もう三度目なのだから当然か」と。
 僕は尋ねた。
「ここに留まりたくなければどうすればいいのか」
「『明日』を選ぶか、鍵を譲ってもらえばいい」
 しばらく何も言わずにいると、青年はにこやかに言った。
「悩んでいるのなら『昨日』に行くといい。『昨日』に行けばまた『今日』が来て選び直せるのだから」
「『明日』は昨日より悪いのだろうか」
「それは行ってみないと分からない」
 僕はどっちでもいいと思った。あの昨日なら、どうせまた何度でも味わうことになるのだから。
 しばらく悩んでいると青年は言った。
「どちらでもいいなら鍵を譲ってくれないかい」
「こんなに平凡な『昨日』でいいのですか」
「この『昨日』が僕の行きたい『昨日』だから」
 僕は青年に尋ねた。「『昨日』が昨日と同じとは限らないのだろう」と。
 青年は答えた。「だから楽しいのではないか」と。
 僕は『明日』を選ぶことにした。この『昨日』に未練はなかったから。
 僕はポケットの中から鍵を取り出す。鍵は鈍く光っていた。
 僕は鍵を青年に手渡し、青年は『昨日』の扉を開けた。
 最後に青年は僕に言った。
「どんなに平凡でも、全く同じ日など無いよ」
「そうか」
 青年は扉を抜けた。
 その青年は、僕にとてもよく似ていた。

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