真心の発生
右高西流

 ああ、これほどの快楽が俺の人生にあったろうか。
 もう終わる。それだけで耐えることのできた苦痛ではあったが、ご褒美が一つくらいあったのだろうか。

「おい、おい、おい! 起きろ」
「はい!」
 俺らしくもなく、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「成績が良いからって、舐めると後から痛い目に遭うぞ」
「成績悪くなってから言って下さいよ」
 この先生は殴らない。なぜなら、前回殴ってきた時に脅したからだ。「現代にやっていいと思ってるんですか?」ってね。
 今は、数学の授業中らしい。くだらない。
 俺は始業、間もなく、数学の教科書の問題を全て解き、提出したではないか。
 俺は先生に嫌われているらしい。いや、まだ憎しみでも向けてくれるだけありがたい。
 憎しみとか蔑みを受けるのは慣れている、母は売春婦だし。俺の昔のあだ名は『売女のとこのガキ』
 母は俺を愛してくれていなかった。彼女は自分の稼ぎは全て自分のものにしている。彼女は貴金属を身に着けていたが、俺はいつも伸びきったTシャツを着ていた。金で愛を計りたい訳ではないが、愛されていないことは、明らかだった。
 小学校の頃の僕は、蔑まれ、最初から変と蔑まれ呼ばれる人生しかなかったから、俺は変であることを貴いことと勘違いすることにした。
 俺は変だ。俺の変という価値の延長にはキチガイになるということがある。
 母を殺したかった。出来る事ならば完全犯罪で。でもヒントは一つも転がってはいなかった。小説やテレビの完全犯罪は、嘘ばかり奇跡ばかり……。くだらない。結局完全犯罪のドラマは感動、衝撃、とかの用のないモノでしかない。一回くらいは、本当に活用の出来る完全犯罪の手本みたいなものは無いのかなと思った。自分では思い浮かばない完璧なモノ。ああ、俺には警察の捜査も分からない。まあ、どうせやるなら今だ。少年だと甘く見てる今。ばれても、罪の低い少年法。
 今に固執するのはそれだけじゃない。ただ単に、殺人衝動が大きくなった。貧乏でいじめ抜かれた小三。今では真逆だ。俺に強く出る奴なんていない。あらゆる手を使って憎い奴は叩き潰す。酷い事もしたいけれど、されたことのある俺は出来ないと最初は思っていた。だが俺は、まず引っ込み思案の人間でグループを作った。少しずつ俺の集団は強化していって、俺は肉体が成長し、いじめられる事が無くなった。そして、次にいじめた事のある奴は一人ずつ俺側に引き込んだ。最後はリンチにして、俺をいじめたグループのリーダーは転校させた。ああ、面白かった。最高だね、最後が最高なら良いね。
 そんな自慢話はさておき、殺したい。

 目が覚めると、真っ白で、区切りの無い空間に俺は居た。こんな光景は見たことが無い……。夢だ。
 お腹空いたな。そんな感情が夢でもあるのだと、初めて気づいた。すると、眼前に机が出て、ステーキが出てきた。夢というのは便利なものだ。ステーキは、金持ちの友達に食わせてもらう時か、盗んだ金でしか食った事が無い訳で。盗みも、頭の良い奴が勝つモノです。作戦も立てないから負ける。馬鹿が居てうれしい。俺が捕まる可能性が減るからね。コンビニ狙う馬鹿は捕まれ。アメリカの方法を使うならいいけど、そんなことも出来ない馬鹿なら捕まれ。警察に頭数を差し出しといてくれよ。個人商店をグループで狙わないとか、ゴミだね。
 肉を食べると、破壊衝動が掻き立てられるものだ。俺のいじめられていた時のストレス解消法は何か? それは、灰皿でティッシュを燃やす事。
 されど、燃やす必要もなくなった。気に入らないヤツをぶん殴れるほどの肉体と知能と仲間を獲得できたからだ。しかし、今はモノを燃やしたくて仕方ない……。大きなものを。
 すると、旧家が眼前に見え、机にはライターが出ていた。都合のいい世界だ。旧家は木造であろう。

 面白い。赤とも朱ともつかぬ火が全体に回っていく。空には黒い煙が立ち上って白に映えて行くのだ。俺は高揚感に弄ばれた。熱が皮膚に触れると、目を閉じた。暖かい。この暖かさは夏と学校と人の家だけのものだ。
 すべてが燃え尽きるのに、幾ら時間が掛かっただろう。三時間? 四時間? 時計が無いから分からない。時間と燃焼の感傷は長続きした。
 次に思い浮かんだのは一つ。殺す事。

 母は基本インスタントしか飯を食べない。だから、異物混入による殺人はほぼ不可能。理由は犯行時間の短さ、食品会社との訴訟、もし負ければ俺しか可能性が無い。論外。違う……これではない。
 では、どうする。強盗殺人を偽る? 自殺を偽る? 二つにおいても問題が有る。俺は成人男性の身長には達していない。強盗においてはナイフの刺す時の角度。打撲による殺人は可能性が低い。必ず殺す事が絶対だ。自殺は、母が自殺する人間じゃないと周りの人が証言する可能性もある……。知っている人間ならそういう風に言うに決まっている。いや、自殺の場合は捜査もないか……。
 自殺偽装が最良に違いない。残った俺は悲劇の子供。ここで真面目に戻れば、美談だ。
 だが、恨み故に、ただ殺したかった。残虐に。惨たらしく、血みどろに。
 
 扼殺。薬殺。爆殺。絞殺。刺殺。毒殺。圧殺。轢殺。撲殺。射殺。焼殺。
 特に刺殺は何度も繰り返した。二十四回したでしょうか。
「そろそろ、止めないか……。俺……」
 俺では無い所から、俺の声が聞こえた。下に伏している死体に夢中な俺は気付かなかった。もう一人の俺が居る事に。
「誰だ、お前は……」
「分からない。だけど、君だよ。僕だよ、僕は」
 見かけも俺だった。鏡の反転した俺……。
「何で居るんだ……」
「俺なら分かっているはずだよ。俺は望んでいた。そのような生き方はしたくないって……。止めて欲しい」
「そんなわけあるか……お前だって分かるだろ、俺だったら。母に何をされて生きてきた? 何もされて無いじゃないか……いや、有る。虐待だけはね」
「ああ、給食費も払ってもらえず、いじめられたのに何の対処もされず、家で飯も食えず、病院にも行けず、勉強が出来ても褒めても貰えず……制服もボロボロで……みんなに嘘を吐かなきゃ駄目だった……そして、機嫌の悪い時は、殴られ続けたね」
 愛されていない。ならば、殺しても良いよって誰かに言われたかった。でも、みんな愛された人ばかりで、俺の感情なんて理解できる訳が無かった。先生に給食費の話をされる僕の気持ちが分かりますか? だから「許してあげなよ」とか言ってくる。されてみればいいじゃないかな……。怖い、怖い。怖い。幸せはなくて、俺の中に愛は一グラムも無かった。与えられなかったのだから、ある訳が無いよ、認めてください。人は都合が良くて、自分の生きてる世界を全部だと思い込んで、それを指標にしてしまう。ああ、俺もみんなみたいな生き方がしたかった……。
「だったら、何で止めて欲しいのか……俺は」
「僕は君の真心だよ。殺したくないから、止めたいって普通だよ……。それは真心だよ。君は結局、殺せていないじゃないか」
「殺せたよ、見てなかったのか」
「見てたよ、ずっと。初めから見ていた。だけど現実では殺せない。君は夢だと分かったから殺せただけだ」
 確かに、そうかもしれない。俺は小五の力が付き始めた頃から、母を殺そうと思っていた。当初、完全犯罪は思付かず……。ならば、刺せばすぐに殺せた。でも、頭の中の構想に留まり忘却した。そのまま、いじめた人に対する復讐に。
「そうかも知れない。変える事は出来るのかな……」
「出来るって、信じよう。それに変える事じゃ無くて、戻ることだよ。うん、愛は与えられなくても持てるモノだってさ……信じきれなくなったら、僕を殺してよ。だったら、間違いなく殺せるよ」
 二人は笑った。世界が少しずつ揺らぎ、白から青に変わって行って。
「ありがとう、信じてみるよ。俺の事、僕の事を」
 僕は目が覚めた。中学校の屋上だった。僕は止めようと決心した。リンチもしたかった訳では無くて、周囲がするべきと言ったから、しただけで……。僕は周りに好かれる事に必死だった。いじめられたくなかったから。悪をやろうと、何をしようと。
 元に戻ろう、いじめられる前に。強さだけ持って。守ってあげよう、困った人が居たら。それが僕の望んだ事。
 ああ、母さん。好きにはなれない、今にも慣れない。だけど、殺すなんて思う事は止めるよ。
 僕は嘘が嫌いです。吐くなら全て嘘に染めた人生にしたいと思っていました。だけどそれも嘘だった。僕は蒸留水のような人生を望んでいた。だけど、無理やり周囲に、泥水にされたんだ……。僕は弱かった。だから、時間を掛けて澱みが底に沈むように願って生きていくよ。頑張るよ、一生懸命に。誰に頼ることも無く生きていくなんて素晴らしい事では有りませんか。僕は強いと信じて、生きていきます。


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