あることないこと

つげろう



 その時、つまりはスロープを数歩のうちにのぼりきって冬のやわらかな木漏れ日に領されている文学部棟の入り口に着いたとき。ぼくは、実のところ、これからのことを勘案してそのステージで立ち往生しているのではなかった。もっとはっきりと、スロープを有した構造と、その建物のある街の地形、南に広がる干拓地と北の丘陵を拓いた街のつくりを、結局は不安に裏打ちされる徒労に似た熱心さに、視線の焦点を利用した錯覚のように重ねることを試みていた。
 いきさつを語るまでもなく、入り口に抵抗感のある膜を認めることはぼくのなかでは拒否感の方が強く、かえしのついた、かしこいつくりの筌にやすやすとはひっかからない警戒心を、川魚の捌かれた白線のような身に挟まれて露わの心臓を思いだして建前としてでももつことに努めていた。故郷の川に一部が膨らむ形で造成された北方のダム湖の、漁業組合が春ごとに放流するヤマメの群れの浮き上がる漣が新たにぼくの頭に満ちはじめる。これによって研究室でつるつるした地図を滑稽なさまに苦労して大きく広げ、この街の地理的な構造について検討する気持ちは全く霧散する気配だ。川魚について、強力に粘着性のある思い出ではないけれど、ぼくがまだ故郷の集落に高原一円の同世代たちとは一足遅れて出てゆくまで居残っていた頃、それはすべて光の帯のように連続して記憶される妹との思い出の一部として象徴的であり、そこにぼくはいつも新たな、しかし永遠のような愛着を覚えるのだった。
 ぼくは、コンクリートに鉄骨が突き出た武骨な橋の欄干から妹にのぞかれている、反射した妹の顔の水面を乱すようなヤマメの群れが全く認められない暇に、まだ自分の一部を残している感覚をはっきりともっている。通りがかった親戚の婆さんの、「なんど、わんにや釣れんのう」と頭にかぶった手ぬぐいから一瞥した一言に、ぼくら兄妹がすっかり興ざめしてしまうまでの時間。特別なことはないけれど、これまでぼくが愛着をもってその空間と時間の淡い記憶をいく度となく慎重に補修しようとしたことに、ぼくは隠れたなにかを見つけまいと、漠然にではあるが、考えなかったことはなかったのだ。
 手がかり、限りなく広がる荒唐無稽な妄想を輪郭づける、一端を探すために、それ自体が川への嗜好にひかれてかもしれないけれど、故郷までの道のりを一本道に落とし込んで検討してみたい。
 そうはいっても、ぼくはいまだにスロープの斜面から平面にわかたれる角を跨ぐかたちで壁にもたれかかったまま、人の往来を眺めているだけで、なんらその道のりを目指してはいない。しかし、道のりとはいっても、それが西から東へ向かう特有なものとして互換性のない空間であるとは限らない。故郷、それはほとんどが妹に象徴されるものへの嗜好であるとして、ぼくの記憶に点在するランドマークを繋ぎ合わせることで道のりはぼくの直立する一点のみでその数百キロを再現されるとすれば......。
 スロープの登り部分を離れて、もしいるならばではあるけれど、ぼくにすこしでも気を向けるひとのなかには、背後の大きなポスターが隠れているということだけで、ポスターの内容がとても鮮やかに記憶にのこると覚えるひとがいるかもしれない。ぼくは、「一本道」へのなかば瞑想の働きかけのうちに、ふとそのようなことを思いついてその思いつきに淡い愛着のようなものを感じた。
 自室の低く大きい机、南向きの部屋なので大皿にひらぺったい料理、大きなフライパンでつくった円い玉子焼きなんかをこしらえてそれが入り日に照らされるときはいつも涙ぐましくなるぼくの部屋の机の一角。そこには読むたびに尿意をもたらされて机の一角からとりだされてはまた置かれる本がある。窓の形を切り取って映す日焼け跡が、今思えばあるかもしれないその本自体が尿意をもたらすのではなくて、尿意がもたらされるまでになんやかんやで手に取っているだけであるけれど。その本からひとつ、歌をひいてみてぼくは、いつもそうであるように、つかみかけているなにかをつかみきることを励ましてくれるのを期待する。
 
豚の交尾終わるまで見て戻り来し我に成人通知来ている 浜田康敬/『望郷篇』
 
 明らかな視線がぼくを通り越してポスターを探るのでいそいそ後退するふうに移動するぼくは、はたからみれば気が利かないことをおおっぴらに表明する小動物じみた愚か者かもしれない。しかし、もうすでにポスターを離れたぼくは、豚の囲いのまえから離れるのとおなじく、一連の行動を箱庭として俯瞰する空間の、むかしのなつかしい自分に仮託している。ここは歌の世界ではないので、「我」のような、客観風景と、成人通知をもたらすときの流れと、なおも主観の「我」を結び付ける強力な接着剤は存在しないけれど、「一本道」を経て妹にいたるヒントが隠されていることがあるように思う。過去を、あったこととして愛着をもつための......。それは、この歌の実は裏打ちされているすべてかもしれない愛唱性によっても示されている。見かけの上では一切の主観を放棄したようでありながら、伏流している生への憧憬は、歌の容れものにその形をとるときに強い共感を生む。そしてさらに、豚の交尾していない空間を離れても「我」は確固としてあり、何人にもなりかわりノスタルジーを幻視させるとき、愛唱するものは歌を介するそれぞれの過去を追憶してやまない。
 「一本道」について思いを巡らせるとき、それはほとんど夜行バスの車窓から見た単純な感慨にうずもれていて、真価のあるものをさがしだすことは難しい。例えば、じめじめとして故郷に似た谷間の集落を見て振り返ると、朝焼けに輪郭を輝かせて背の高いヤシの木がバイパスの防音壁を飛び越えて生えているだとか。選り分けて辿るべき道を探そうとすると、帰郷するときはいつも妹と落ち合うコイズミ駅にまで純化される。
 語るべきことは何か、ぼくは妹が妹であるがゆえにいつも遅れて電車でやってくる迎えを待ちながら考える。見渡せば駅前のロータリー周辺にはなにやら説法しているひとや、その直立のまわりにラジコンをはしらせるひと、などなどが懐かしい語りで蘇ってくる。そのなかでぼくが選ぶべきこと、妹自身もその瞳の黒を鮮やかにひらくようななつかしいことはなんだろうか?
 ...... 妹がコイズミ駅の外輪をまわっている用水路のそばをなでるようにして歩いている日暮れごろ、ぼくはその一部を漆に似たきらめきの水面に伸びている影を見ながらその後ろをついてゆく。藪に狭められた道を行けばコイズミ駅を中心とした街の、街自身の重力の最も強い影響を受けてその街を象徴しているような、古びたカラオケボックスの裏口へとでる。そのカラオケボックスには一枚のアルミドアを隔てて部屋というよりは廊下の方が似つかわしい空間のゲームゴーナーが、ぼんやりとした照明の光をたてつけのわるいドアの隙間から漏らしている。
 コイズミ駅に来たときはそこまであしを延ばすものとぼくらのなかで決まっていた。それぞれがお気に入りの筐体のまえについて十分な時間、つまりは妹が上から降ってくる色とりどりの蛇を数千点分撃ち落としてしまうまでの時間を過ごす。妹は、ぼくもいまだに妹の日々の様子を考えると意外であるが、蛇のゲームに一直線に向かって猫背を気だるげに伸ばして座るのに、それほどそのゲームに執着するというわけではない。いつもきまって数千点までスコアがつみあがると、きっぱりとゲームをやめてしまい、それからはぼくの肩越しにわかりもしないだろうMJを眺めて時間を過ごす。ゲームゴーナーにいる時間、ぼくがいつゲームを切り上げるかによって決まるそれは、別になにか遠慮してやめるわけでもなく、ほとんど生理現象のようなその日のきまぐれで決まっているように思う。いつも帰るときに斜め下から見下ろす横顔から、満足感をくみ取ることも特には出来ず、ゲームゴーナーの時間は自然発生した習慣としてぼくらの間で、あいまいな、しかし強固なシンパシーによってなされていたということだ。
 その時も、妹の影に引きずられるようにして茂みのせり出した細い裏道を通ってカラオケボックスに向かっている途中だった。街の西側のほとんどである田園の青い臭いが用水路の槽のしぶきに拡散されて満ちている。ぼくと妹は、それは道中の常であったけれど、なにも喋らないでいて夕焼けの黄色い光のかげとなって青黒いアスファルトの先をそれぞれが見つめていた。目的地までは、一回だけさらに細い道に入って左折する必要があるが、その横道の選択を誤ればほとんど崩れかかっている工場跡に出ることがある。何度かその工場跡に出てくるたび、(妹はさきを歩くけれどそれはぼくがあとをついて本当は道をえらびとっていることを信頼するためだ)、妹はぼくが変化を認めるまえに工場跡が前回訪れたときよりも朽ちていることを具体的に報告してくれる。たとえば、屋根が抜けていたり、廃材の鉄の部分が赤茶けてすっかり錆びていたりだとか。囲いも、その場しのぎのテープすらない場所に、立ち入ることはせずに、道の間違いをぼくが自覚してたじろぐ数十秒の間をながめるだけであるけれど、その妹の横顔は冷めているようで純朴な、その時々の空気に洗われて清々しいものがあった。ぼくは、その横顔がとたんにやや赤らんで微動するのを確かに認めた。妹はやにわに駆けだして工場跡へ近づくと、身構えるように立ち止まってこちらをかえりみた。
 「ウナギ! 」
 妹が叫んで指さしたところは、ぼくからはシダ類が生い茂るじめじめした翳りしか見えなかった。妹が、後日から「陸ウナギ」と呼ぶ、確かにいたらしいたくましい腕ほどの太さの生物が長い胴体をくねらせて地面を這っていたことを、ついにぼくは認められなかった。その場で妹から肩を揺さぶられて呆然とするほかない。ぼくはにわかに不吉な気配を感じて工場跡から小走りでもといた道へと戻った。ふりかえると、妹は微笑でもって僕に追いついていた。猫を思わせる身軽さで背中に飛びつくように、また再びぼくの肩を大きく揺らした。
 ......ぼくは、研究室へ向かうことを完全に諦め、スロープの下りの部分のはじまりにあしの平をかけている。弁明する文句を考えながらスロープを下りきった時、知り合いの別学部の先輩に出会った。先輩は、ぼくの直近の動態について何も知らないが、それでも会話のなりゆきで研究室のことに話が及んだ。
 「行きたくないから、行きませんよ」
 「そうなんだ、ぼくはいま行ってきたところだよ! 」
 ぼくは、先輩と別れ、そのあとはこんこんと寝たいがために下宿へと帰るしかない。帰るまでの道のりでぼくは、どれほどの茂みを覗いてみれば、「陸ウナギ」を見つけることができるだろうか?


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