夜のあわい 瀬戸人 ニラ饅頭を買いに玄関を出ると、真夜中の冷え切った空気が肌を刺した。寒さに身震いする。ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで歩き始める。 住宅街は、夜の無機質な墨染めに包まれて寝静まっていた。規則的に並んだ街灯の明かりが暗闇に白く滲んでいる。道路脇の用水路はてらてらと街灯の光を反射して揺らめいている。 日中も人通りが少ない道だけれど、夜はすっかり人の気配が消えて、私の姿だけがくっきりと夜闇に象られているような気がした。息を吐くと白く濁った。静けさに、靴音とかジャケットの擦れる音とか普段なら気にも留めない些細な音がいやましに近づいて聞こえる。 住宅地を抜けると大通りに出た。 車道を挟んだ向かい側には誘蛾灯のようなコンビニが白々しく佇んでいる。駐車場には一台のセダンが停まっていた。コンビニ横のコインランドリーはがらんとしていて乾燥機が一台だけ回っている。小走りに車道を渡ってコンビニ側の歩道に移る。 いつもなら忙しなく車や人が交差する通りも、時折ハイビームの眩しい車が走り過ぎていくばかりで、静かな夜の気配に満ちていた。私一人が取り残されてしまったような感覚に浸って、少し寂しいようで、それでも気が楽な方がずっと大きくて、雰囲気に酔ってしまいそうになる。 けれどもそれを受け容れてしまえば、何処からか惨めさのような薄暗い影が浮かび上がってくるような気がした。それは夜の酔いも冷めた後、不意にその余韻を背後から吹き抜けていくようだった。勉強ができないこと、意志が弱いこと、友達がいないこと、いつもぼうっと生きていること...、その正体を掴もうと思い当たる節を色々と並べてみたけど、どれも何かがずれているような気がした。 しばらく歩くと交差点に差し掛かった。横断歩道を越えた向こう側には目的のスーパーが見える。赤信号に足を止めて手持無沙汰に辺りを見回す。十字路は四方に広く開けていて、そして私以外の何ものもない、先ほどよりも強い、空虚のニュアンスを含んだ場所だった。余白だらけのこの場所はそれでも何か在ることよりも雄弁に何かを物語っているように思える。あくせくと交差する人人の波、忙しなく行き交う自動車の群れ、それらの喧騒、実生活らしいことに繋がりを持ったものがとんと消え去って、後には空白と沈黙だけがこの場所には残っている。それはまるで解体された現実の残骸のようだった。最も現実らしいことは全て昼の間に営まれて、日が沈み夜が更けると共に密かに、しかしダイナミックに破壊され尽くした現実にぽっかりと空いた大穴であり盛大なフィクション、それが私の夜だった。 私はフィクションが好きだ。空想的で理論的で非実利的なことが好きだ。逆に現実的で実利的で実生活的なことに心が動かされることはあまりなかった。お得なクーポン券だとか将来の為の勉強だとか積み立て型投資の勧めだとかはどれも億劫であまり頭に入ってこない。それどころか何処に行ってもそんな「お得」で俗な宣伝ばかりで現代社会に生きているだけでも滅入る思いだった。 結局私は現実に退屈しているだけだった。私にとって実生活らしいことは軒並み私をアンニュイに誘うようなもので、それでも私は実際に生きているわけだから人生を通してそれについて考え続けて営んでいかなければならないし、いずれ無感動へと腐敗していくのは半ば定めだった。そんな腐敗をぽかんと呆気なく、されど熾烈に、そして偉大に破壊するダイナミズム、私にはそれが必要なのだ。夜は私にとってのエスケープであり抵抗であり秘密めいた現実の破壊者である、つまり何よりも魅力的なのだった。それでもやはり、夜の底からこちらを覗く惨めさに似た薄ら寒い影を私は気がかりに思っていた。 気付けば信号の色が変わっていた。横断歩道を渡って目的のスーパーに入店する。店内には私以外にも数人が買い物かごを片手に歩き回っていた。店内アナウンスは明るい声でスーパーのテーマソングを歌っている。 つかつかと歩いて冷凍食品のコーナーへ向かう。ショーケースを開けてニラ饅頭とついでに視界に入った隣の小籠包と下列のあんまんの袋を一挙に掴んで無造作にカゴに入れる。そのまま総菜とベーカリーのコーナーへ向かう。 総菜もパンも当然だけれどほとんど何も残っていなかった。総菜コーナーにはごぼうの天ぷらが、パンの方はピザパンと豆パンだけが売れ残っていた。何もないパンの棚と棚に張り付いた値札に書かれたパンの名前を見比べて、そこに在ったはずのパンの想像を膨らませる。あんぱん、メロンパン、チョココロネ。そんな風に取り取りのパンが整然と陳列されたパン棚の想像を完成させた私は、下段左端に不自然な空間ができている事に気付いた。そこに値札はない。けれども小さめのパンなら数個ほど配置できそうな空間がある。値札がないだけでここには何かあったのだろうか。それともただただ歪なだけの空白か。他愛のないその空間に、それでも私は一つの意味深い比喩の面影を感じ取っていた。 それ自体が姿を現すことは決してない、その周囲のものを敷き詰めて出来た余白の内にのみその気配を感じ取ることができるもの、決して埋まり切ることのないパズルの最後の一ピースのようなもの。もしかすると私の惨めさの正体はそんなものなのかもしれない。すると私はいくら考えても本当のことに辿り着くことはないのだろう。それが何か、在るのか、それとも何かしらの仮象なのか。 豆パンとピザパンを続けてカゴに放り込む。これで棚は完全に空になった。こっちの方が見栄えが良く思える。その後レジに向かい手早く会計を済まして店を後にした。 帰りしな私の頭の中にあったのは共犯という二文字の言葉だった。そもそも「本当のこと」なんて言うと、どんな言葉も途端にきな臭くなって意味を失うようだった。ちょうどヒットチャートのラブソングが嘘くさく思えてしまう時みたいに。本当のことなんてきっと誰も分からない。私は私の手で私の惨めさの正体を隠している。私の惨めさと私は元々共犯関係にあって、それを暴こうとしたのも私だ。 歩き続けると小さな公園が見えてきた。大通りから枝分かれした路地の又にある、子供が遊べるものは錆びたブランコと窮屈な砂場しかない、古い三角の公園だ。 園内の心許ない街灯の薄明かりに照らされて動く一つの人影が目に入る。近づくにつれて、それが高校生ぐらいの女の子だと分かる。廻ってステップを刻んで、その子は夜に踊っていた。夜目にも光る白い有線のイヤホンとその長い黒髪がステップに合わせて鮮やかな流線を描いている。 じろじろと眺めていたせいで不意にその子と目が合った。蛇に睨まれた蛙のように彼女はじっと動かなくなり、ようやく動いたかと思うと慌てた様子でそそくさと公園を抜け出して路地の闇へと消えてしまった。 自然と口角が上がる。あれくらいでいい、夜は。元から私は私の惨めさと共犯なのだから、現実に生きながら空想で人生を埋めようとする人間の代償とでも思えばいい。きっと何も分からないし私の力ではどうしようもない。自分の力ではどうにもできないことをどうにかしようとするのは性に合わない。だからせめて夜が浮世離れしたものであるように私は努めればいい。 まだ宵の口で夜は長い。さっきの子のステップをどうにか思い出してみる。こうだったか、ああだったか、不器用に足を縺れさせながら、私は冴えないステップを刻みながら帰路に就いた。
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