南風 小波悠 「内地には海に行ったことない人がいるらしいぜ」 ガタガタの舗装がされた道を歩きながら彼は言った。へえ、とだけ返し私は彼の背中を見ながら歩き続けた。彼は細い腕で砲弾跡のあるブロック塀をなぞりながら歩いていた。 やがて十字路が見え始め、私たちは信号を待ちながら朝日に照らされた校舎を眺めていた。腕輪には午前七時三十分と表示されている。遠くの方では薄くサイレンが鳴っているようだった。 ある日、彼が山に登ろうと言うので近くの山へ行った。草木を?き分けながら十五分程で頂上に辿り着き、山頂から見える海を眺めた。そこは開けた場所で、中央には何かシンボルのような巨大な石像があった。しばらくの間、彼は夢中で石像を調べていたが、やがて冷たい風が吹き始め、雨が降り出した。私たちは急いで石像の陰に隠れ、スコールが去るのを待っていた。 彼は自身の識別番号が素数であることをよく自慢した。何回も聞いたよと返すと彼はニヤリと笑い小さくウンと呟くのだった。 雨が止み、私たちは山を下りることにした。所々にできた黒い水溜りや彼の銀色の腕輪は日光を鋭く反射していた。 腕輪のチェックは一日一回。各家庭に設置されたマシンに腕ごと差し込み、一分程度待つ。その間にマシンは腕輪の修理や不足した薬剤の補充を行う。今日は彼と牛舎で牛を観察した。機械の停止を待つ間、私の頭の中には新しい腕輪のコマーシャル・ソングが流れていた。 彼とはよく海へ行った。島の東側に位置するこの海岸は内地に一番近い場所だった。薄いサンダルで浅瀬の岩の上を走り回り、内地から漂着するゴミを拾い集めて砂浜に並べた。 「船のないオレたちにとって海なんて壁と同じだ」 潰れた缶を手に取り、彼は呟く。 「それにオレたちは頭が悪いから内地になんて行けない」 風が強く吹いた。今日は十五度まで下がるらしい。もう一度風が吹き、集めたゴミは散らばって行った。 私たちはいかだを作った。廃墟に置かれた木材をロープで括り、沈まないようにできるだけ大きなものを作った。完成したいかだを満足気に眺め、彼は海に出ると言い出した。必死に止めたが、彼は頑なに海に出ると言い張った。静かだった海岸に腕輪のアラーム音が響き渡る。どうやら私は彼を殴ったようだった。気が付くと殴り返されていて、もう一度拳を振り上げたところで意識が途切れた。腕輪から鎮静剤を注射されたらしい。目を開けると病室にいて、視界の端にいた両親が私を睨んでいた。翌日会った彼は鎮静剤で倒れたときに頭を打ち、包帯を巻いていた。 ベッドの中で天井を見つめた。結局、第三次世界大戦が終わっても人類は滅びなかったし、月へバカンスなんて行けないし、車は空を飛ばなかった。でも私は彼女に海を見せてあげたいと思う。彼と雨宿りしたあの石像には薄くクタバレ、と刻まれていた。
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