夢幻の前日譚 ちくわ会長 青年は茫洋とした深淵を望んで、白い溜息を吐いた。これの意味はこの青年ですら知ることが出来ない、あらゆる感情が入り混じったものであっただろう。砂浜から蒼古の色を帯びた桟橋が伸びていて、その先には仰々しい鉄の扉が見える。 「あの扉か...」 世界の端の瀑布で、量りきれぬ海水が底の見えない闇に消えていく。恐ろしくも壮大な景色の前で、青年はこれまでの旅を思い起こしていた。 彼は深緑の大樹が密生する樹海で父と、幾らかの家畜と共に育った。青年は緑青の髪に鳶色の目を持ち、家畜のトルネソを友として狩猟と採集の技術、世界の地理を学びながら育った。青年がまだ、生硬の残る少年であった時、父が彼に課せられた試練と責務を告げた。 「ギードよ、儂たちは案内人として産まれ、生き、そして死ぬ。お前もその使命を果たすために世界の姿を己の目で見なければならぬ。」 「なに、心配する必要はない。お前を樹より授かった時から、いや世界の始まりから、決まっていたことなのだ。それに、何も持たずに旅に出ろとは言わぬ。トルネソと、幾らかの金を持っていきなさい。これだけの量があれば長き旅のうち少しの間は食料に困ることはない。そして、お前の弓の腕と知識を使えば生き抜くことが出来るはずだろう。」 彼の父は、旅の目的地を世界の極地にある、鉄の門と定め、このイクアタールの樹海に戻ることで試練は終わると言った。かくして、少年ギードは案内人になるために一人で旅に出ることとなった。 黄色い毛並みと六本の偶蹄の足を持つ友人とギードは旅をした。彼は多くの街や集落を見て、時に滞在し、その場所を調べたりもした。家屋ほどの蓮の実が群生する深紅の湿地、あらゆる種族の坩堝になっている湾口、歌と舞踏に熱狂する町、夜に発火する花の一群、燦然と輝く青い星々、夜闇に蠢く不可視の獣。すべての景色が初めて見るもので、刺激的な体験であったので、ギードは美しさに見惚れ、あるいは吐き気を催すこともあった。 少しばかりの時間感傷に浸っていた彼は一度目を閉じ、深呼吸した後、世界の淵に背を向けた。故郷の樹海より、この海岸まで来るのに幾千の太陽が沈んだ。帰郷を果たすには、再び来た道を辿り、あるいはまだ見ぬ街を通り、何度日が昇るのだろうか。旅は故郷に帰ることで終結する。青年は残り半分の旅を始めた。
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