熊猫怪奇録~地下水道の人魚姫~ 灰汁太川猫也 「この広い~♪」 陽も落ちつつある冬の夕方。一人の少女が、鼻歌交じりに学童から帰っていた。少女には、下校の際にとある楽しみがあった。 「......着いた!この家、やっぱりいつ見てもキレイだなぁ......!」 それは彼女の通学路にある、とある一つの家の鑑賞だった。その家は小さな二階建ての一軒家だった。しかしその外装には中世欧州のアンティークな調度品らしき飾りがあしらわれており、さながら芸術品のような造りであった。少女は毎回その家を外から眺めては、物語のお姫様気分を妄想して楽しんでいた。 「......飛び立とう~未来信じて~♪」 気分が良くなった少女は、また鼻歌を歌い始めた。最近、小学校の卒業式に在校生として出席させられた彼女は、そこで聴いた"旅立ちの日に"をよく口ずさんでいた。すると。 『大~空に~♪』 家の周りで、少女のものではない歌声が響いた。その声は少女の声より低く、それでいて優しく、どこか侘しさが滲んだ声だった。 「誰?......誰があたしに合わせて歌ったの?」 少女は辺りを見回すが、その周囲には誰もいない。誰かが隠れていると推測した少女は、さらに奥の物陰を探す。しかしその間にあった下水道の金網に躓き、少女は転んでしまう。すり傷に膝を押さえながら立ち上がった少女の、その視界の先には、やはり誰もいない奥の物陰があるばかりだった。 「誰もいない......なんで......?」 少女が呆然と立っている間、例の綺麗な家の玄関から、一人の女性が家の外の様子を覗いていた。一連の様子を見ていた女性は、震える声でつぶやいた。 「やはりこれは......"人魚の呪い"......?」 「誰もいない道で歌声が聞こえたぁ?」 小生は小さな依頼人の話を聞いて、K君と目を見合わせた。 「本当なの!いくら辺りを探しても、その時近くに人はいなかったんだから?」 遡ること数分前。いつぞやの事件にて、河童を見たと証言した少年が、その事件を解決した小生の話を彼の通う小学校にて話したらしく、それを聞いた少女が小生らの探偵社(と自称しているだけのただの部室)にやって来たのだった。 「周りの喧騒が歌であるように聞こえただけじゃないかい?」 K君は少女を傷つけないように苦笑いで返した。すると少女は渋い顔で駄々をこねた。 「そんなことない!あたし帰り道近道しかしないから、歌が聞こえたとこはめちゃ人通り少ないもん?」 寝転がってもがく少女にK君も困り顔である。K君の本来持つ底無しの優しさが仇になっている。 「......どうする?猫也君」 小生に密かに耳打ちするK君の声には困惑が染みついている。小生はいつもの癖で顎に手を当てて少し考えた後、頬を膨らしたままの少女にこう答えた。 「......君が何を聞いていようと、まずは現地での検証が必要だね。君に起きたその興味深い現象、調査してみようじゃないか」 「猫也君!」 肩を引っ張られて倒れかけた小生は、K君と目が合って首をかしげた。 「何か問題でも......」 「大アリだよ!中途半端に期待させて、やっぱり気のせいだった......なんてのは、あの子にとって可哀想だろ!」 小生は眉間にしわを寄せてぼやいた。 「別にいいじゃないか。......小生も疲れてるんだよ、人がもつ性根の汚さに。前回も前々回の事件でも、屑みたいな思想が招いた救いようのない行動が引き金になってたんだ。小生はここらでそろそろ、誠実な依頼人に起きたささやかな事件を、真っ当な結末とともに解決したいんだよ......。」 「猫也君......。」 小生らが内々で話していると、少女は訝しげにこちらを見ていた。小生は少女の方を見て、微笑とともに頼んだ。 「早速、歌声が聞こえた現場へと案内してくれるかい?」 少女に連れられて来た問題の家は意外にもO大の近くにあり、その外見はさながら小規模な洋館だった。家の前には小道が交叉しており、それらの向こうにも民家が並んでいる。 「家の前からは死角になる部分もあるけど、それも少ししかない。万一隠れられたとしてもその先がどれも一本道だから、探されたらすぐに見つかっちゃうね」 K君の見解に小生が補足する。 「ここに来るまでもこの家の周辺にも、町内連絡用のスピーカーなどは無かった。町内放送の空耳だったという仮説は消えたね」 少女の言う通りそこは人通りも少なく、道中でもほとんど人には会わなかった。 「ここまで多くの仮説が消えたとなると......もう声の主は、ここぐらいしかいないんじゃないか?」 小生は冗談交じりに、家の前に置かれた金網を指した。この下には下水が流れており、ここは恐らく雨水の流れ路となっているのだろう。 「まさか?地下の下水道に住んでいる奴でもいるというのかい?」 K君がおどけ返す。小生は苦し紛れに屁理屈を付けてみる。 「工事中やメンテナンス作業中なんて可能性もあるだろう」 スマホで調べたK君がさらに詰める。 「それもないみたいだ。行政のサイトを見てみれば、ここら辺の下水道は、作られたウン十年前からずっと放置されてるらしい。」 「グゥ......」 小生は言い淀んだ。一方、小生らがやいのやいのと雑談している間、小さな依頼人の少女は、いつも通り家の前で目を輝かせていた。すると少女が、急に声を上げた。 「お姉さん、ここの家の人?」 「?」 小生らが振り返ると、そこには家の前の扉を開けて顔だけでこちらを見ている女性がいた。女性は少し乱れた前髪を押さえながら、小生らにささやいた。 「すみません、その......皆さんが探しているその謎の歌声、人魚の歌声だと思います。」 「どうぞ」 ご丁寧にも小生ら三人を問題の家の中に招いてくれたその女性は、Oと名乗った。彼女は白いロングのワンピースを着て、目の下には少し隈ができていた。家の中は年季の入った多くの西洋の調度品で溢れ、そのどれもが高級そうだった。 彼女は小生らに、高級そうなアンティークカップに入れた紅茶を配ると、不器用な笑みで少女に話しかけた。 「いつも家の周りに来てくれてるよね。窓からずっと見えてたから、いつか話しかけてあげたいなぁ......とは思ってたんだけどね。......もしあなたが、"人魚の呪い"に巻き込まれたらいけないと思って。」 「あの......その"人魚の呪い"というのは、何ですか?」 K君の質問に、O女史は憂慮の滲んだ声で語り始めた。 「そうですね......皆さん、昔はここが海だったことを、知っていますか?」 「ああ、今この家が建っている土地が、ってことですか」 小生が返答すると、O女史は近くにあった戸棚から古びた書類を取り出し、それらを開いて地図を指し示した。 「えぇ。干拓やら埋め立てやらを繰り返して、ここら辺一帯を土地にしたのが、私の曾祖父なのです。そんな折、曾祖父は開拓の最中にこんなものを発見したそうです。」 O女史が喋りながら机に置いたのは、一つの大きな黒い箱だった。箱は木製で古びており、机一面を覆うまでに大きかった。そしてしめ縄で飾られており、これはまるで...... O女史が箱の上蓋を開けると、その中には。 朽ち果てた生物の、ミイラが入っていた。 ミイラは上半身が人間で、下半身は大きな魚の姿を成しているようだった。茶褐色に染まった骸骨が、こちらを覗いているようで気味が悪い。箱の中には他に生気を感じられない無機質な白いクッションが周りに置かれており、亡骸のグロテスクさを際立たせている。 O女史が出したこの箱は、この生物の亡骸を納める棺そのものであった。 「きゃあああ!」 箱の中身を見た少女が泣き叫ぶ。小生は片手で少女の目を覆った。O女史は申し訳なさそうに謝る。 「ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだけど、この話をする時はどうしてもこれを見せなきゃ説明できなくて......」 「......それで、そのミイラがどうかしたのですか」 小生は一先ず目の前の異質な物体を受け入れ、話の続きを聞く覚悟を決めた。O女史が続ける。 「これは人魚のミイラです。......これを発掘した曾祖父はその後、町の開発に携わるようになったのですが......そんなある日、曾祖父は不自然な溺死体となって発見されました。」 「不自然、というのは、どんな風に?」 含みのあるO女史の表現に、K君が問う。 「......それが、一緒に働いていたはずの人達が全員、曾祖父の溺れる姿など見ていない、どころか、その頃の曾祖父自体をほとんど見かけなかったと言うんです。その上、曾祖父が開発していたここの土地には、その頃ほとんど水辺が無かったんです。水辺もないのに、どこで溺れたというのか......」 「あなたの祖先が不審な死に方をしたのはわかりました。ですがそれと現在に、どんな関係があるのですか?」 小生の問いに、O女史はうつむいて答えた。 「......それが、曾祖父がミイラを見つけて以来、私たちの家族が次々と亡くなっていったのです。今ではほとんどの親戚が癌などの病気で亡くなり、今はこの家を継ぐ人も私だけになりました。私自身も毎晩悪夢に襲われて、夜も眠れません。」 O女史が語っている間、心なしか辺りはおぞましい感覚に包まれていた。怪奇に触れる不気味な感覚。その中で、O女史は断言した。 「海を住処にしていた人魚から、きっと私たちの家族が海を奪ったせいです。人魚のミイラに関わってしまった私たちは、きっと人魚に呪われた......これが、人魚の呪いです。今回その子が聞いたのは、私たち家族への恨み声......巻き込まれない間にここから逃げて、もう私たちに関わらない方がいいと思います。」 「色々なことを聞き過ぎてしまったかもね......まずは何から検証しようか」 小さな洋館を後にした小生は、今回のことを少し荷重に感じていた。心のどこかに感覚的な不快感があったのであろうか。 「うーん......そもそもこんな、多くの人が亡くなった大規模な怪奇現象、僕らにできることなんかあるかな?」 共に帰路につくK君も煮え切らない様子である。そのとき、背後から付いて来ていた少女が叫んだ。 「あのお姉さん!苦しそうだった!......何とかならないの?」 その言葉が、煩わしさすら覚えた小生らを導く、一筋の陽光となった。 「......いや。やれるだけのことは、やってみようじゃないか。」 小生は、いつもの悪童らしい笑みを、取り戻していた。 「ねぇ、本当に行くのかい?」 長靴にツナギを履いたK君がうそぶく。同じ格好の小生は小声で返した。 「あの少女がこの辺りで声を聞いたのは間違いないんだ。ここは原点回帰して、声の主だけでも探してみようじゃないか。もっとも、このやり方は色々な意味で少しグレーだから、内密にさっと終わらせるべきなのだがね。」 小生は地下水道へと続く金網を外した。下には苔の生した梯子が付けられている。 「さ、行こうか」 小生らは、湿気が支配する暗闇へと入っていった。 「本当にいるのかい?こんな汚くて暗い場所に、少女に声を返した人が」 小生らはカビと汚水の匂いが滲む水道横の小道を、鼻を覆って進んでいた。 「ここで何かあったら儲けものなんだがね......」 小生は懐中電灯を片手に足元を照らしながら先を進む。 その時、懐中電灯は目を疑うものを照らし出した。 「......K君。今すぐに息を止めて来た道を戻ろう。」 辺りを見回していたK君も、前にあるものを目にした瞬間に足を止めた。緊迫感が伝播する。 「えぇ?まだそんなに歩いていないけど......あぁ、そうだね。すぐに戻ったほうが良さそうだ。」 「はぁ......」 O女史はその日もいつものように、ため息とともに窓を眺めていた。すると窓の外に、数日前に見た人物が見えた。O女史は驚いて家の階段を駆け下り、玄関を開けた。 「何でまた来たんですか!危ないから来ないでって言ったでしょ!」 O女史は来訪者......小生らに、険しい声で叫んだ。対する小生らも真剣な表情である。 「......Oさん、ちょっと良いですか。人魚の呪いの正体が、分かったかもしれません。」 「地下の下水道が長いこと放置され過ぎて、茸が生えていたんですよ。そのせいで水道管が一部塞がって声が反響し、少女に声が聞こえたって訳です」 家の中に入れられた小生の話に、O女史は必死に反論した。 「声のことについてはそうかもしれませんけど......私の親戚が死んだのは本当なんです!呪いが無いとは言い切れません?」 「それについても思うところがありまして」 言いながら小生は、自分の足元を見て、この家の床板を外した。するとその下には、濃い緑色の塊が生えている。 「聞くところによると親戚の皆さんは、長い間この一帯に住んでいらっしゃったようだ。しかもこの辺りは元は海、湿気が溜まりやすくてもおかしくありません。現に、地下水道にもカビがびっしり生えていました。そうしてできたカビが出すアフラトキシンは、遅効性でもしっかり発癌性があります。恐らく皆さんの病気はそのためのものが多いのかと。水道管のことも含め、然るべき行政機関に連絡しておりますので、健康的な環境が整うまでは、あなたはしばらく別な所に泊まった方がいいかと思います。」 O女史は未だ消えぬ不安に困惑していた。そして棚に置かれた棺を見て問うた。 「......じゃあ、私が感じていた呪いは、まやかしだったのでしょうか。」 小生は少し黙って、答えた。 「......そもそも、人魚のミイラに対しても二つの仮説が立てられるんですよ。一つはそのミイラが本物であるという仮説。そしてもう一つは......」 「まさか、作り物だっていうんですか?」 小生は詰め寄るO女史をなだめた。 「いえいえ、そういう訳では。......ただ、人魚とは言い切れない、という仮説です。......Oさん、化石ができていく時の地層のしくみをご存知ですか?」 「え、えぇ、まぁ、何となくなら......」 小生は両手を重ねてみせて例え、説明した。 「生物の死骸が押し固められる時、二つの生物が同じ位置に重なっていれば、まるでその二つの生物のキメラが死骸になったように繋がって見える可能性もあります。......そして、江戸時代のような昔であれば、口減らしといって、子供を捨てる悪習もありました。それこそ、少し大きめの海水魚と同じくらいの大きさの赤子も捨てられていたとか。つまり......」 「その二つの死骸が重なったら、人魚の死骸ができます。」 小生とK君の話を聞いても、O女史の表情の曇りは晴れない。小生は付け加えた。 「......もちろん人魚がいた可能性も十分にあります。ただ、彼女らが必ずしも貴女方を呪っているとは、限らないんじゃあないでしょうか。むしろ守り神として祀ってしまえば、存外、呪うどころか加護してくれるようになるかもしれませんよ。」 O女史はそれを聞いてやっと微笑を浮かべ、家を出る支度をした。 O女史とともに家を出た小生らは、地下水道を調査する警察の鑑識と鉢合わせた。O女史はまだ不安な様子で小生に問う。 「あの、なんで警察の方まで地下水道を見てるんですか......?」 小生は咄嗟に言い訳した。 「きっと同じ行政機関だから人員がシェアされてるんでしょう、それより先に行っていて下さい」 不思議がりながらその場を後にするO女史を尻目に、小生とK君は鑑識の元へとやって来た刑事と対面していた。 「お前ら......部室棟での殺人事件の時にも思ったけど、危ない真似すんなよ!地下水道なんか入ったら、本当は駄目なんだからな!」 小生らを怒鳴るのはBという名の刑事である。書き記してはいなかったが、前々回の最後の逮捕劇も彼によるものであった。 「でも、今のうちに発見できたんだから、よかったじゃないですか。まさか地下水道で、マジックマッシュルームが見つかるなんて、小生らも夢にも思いませんでしたよ。」 地下室で小生らが発見した毒々しい色の茸は、近付くだけで眩暈がした。辛うじて茸の写真だけを撮り、そのあまりの強烈さに、すぐに地上に引き返した小生らが写真から茸を調べると、それが違法薬物の原料の毒茸であることはすぐに分かった。恐らくO女史の悪夢は、この茸に見せられていたのだろう。小生らが呼んだB刑事は、渋い顔で告げた。 「こんな茸、どう考えても人為的に生やされてる。お前らが言う、地下で聞こえた声の主は実在していて、そいつが何かしでかしてんのかも知れねぇぞ」 「良いんですよ、?でも。今のO女史にとって必要なのは、己の身の安全を信じる心なんですから」 「猫也君......。」 小生は小さな洋館を見上げ、自分に言い聞かせた。 「どうやら謎は未だ、地下水道の闇に潜んでいるね......」 <完(一応)>
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