赤部屋

九鳥あかり



 豚のように太った成金男はこう言った。
キミモオトコナライチドクライ、シコウノカイラクトイウモノヲアジワッタホウガヨイ--
 趣味の悪い調度品が並べられた応接室。ねばついた唇の隙間から見える金歯を上目で見遣り、私は苦笑いを返す。
チョウドコンバン、トクベツナショーヲミルヨテイデネ、トクベツニキミモショウタイシテヤロウ--
 特別なショー。私は興味深げな声色を作り、言葉を繰り返す。
ドウダネ、キミ。モシキガススマナイヨウダッタラネ、ハハ、カマワナインダガネ--
 男は、一木造の低いテーブルに広げていたカタログを眼球で舐め回した。つやつやとしたコート紙の表面を緩慢になぞる肉厚の指先--私は、己に拒否権が無いことを悟った。
エエ、シャチョウ......ゼヒゴイッショサセテクダサイ--
 貼り付けた接待用の笑みはおそらく不自然なものであったが、糖尿予備軍の豚男がそれに気づいた様子はない。
ハハハ、ソウカネ。ナニ、キミナラソウイッテクレルトオモッテイタヨ。キミノコトハムスコノヨウニオモッテイルカラネエ--
 豚男は女の尻を撫でるような手つきでカタログの表紙を擦った。
コレニツイテハ、ヨイヨウニトリハカラッテオクヨ--_

 会社の玄関前には、秘書が手配したらしいタクシーが待っていた。慣れた様子で乗り込む豚男が、運転手に行先を告げる。車が向かうのは、いわゆるピンク街。キャバクラにソープ、ラブホテルにサウナ等、風紀の乱れた店の並ぶ風俗街だった。私は己の股間、あるいは尻に思いを馳せて、目を閉じる。

 車は風俗街の中でも特にディープな、奥まった場所に停車した。煙草の吸殻が雪のように積もり、糞尿吐瀉物がホームレスと共に転がり。街の至る所から漂う異臭は、まさに海外のスラムのそれであった。

 車を降りて見上げる。看板のない雑居ビル--ひびの入ったコンクリート壁は今にも崩れそうで、私はごくりと唾を飲んだ。戦々恐々とする私の様子を気にも留めず、豚男は玄関付近の階段を下り始める。......大丈夫だろうか。
 カビと煙草の臭いが充満した階段には申し訳程度の蝋燭が灯されてはいるものの、自分が向かう数歩先さえ殆ど見えなかった。おお哀れ蝋燭よ、その炎は豚男の丸々とした気配に震えている。
 一歩一歩と足音を響かせるたびに、うっかり踏み外してしまわないよう--踏み外したとて、目の前の豊満な体がクッションとなりそうなものだが、それはそれで恐ろしい--私は慎重に段を下りる。

 階段を下りた先には、真っ赤な扉が暗闇にほうと浮かんでいた。舞踏会に出るような仮面を付けたタキシードの男--おそらく案内役だろう--が、豚男に恭しく頭を下げる。
オマチシテオリマシタ、ショーハモウスグハジマリマス--ソチラノカタハ--
 その言葉に、豚男は懐からピンの万札を数枚取り出した。そして、巻物のように巻いたそれらを--案内役の服の隙間に。案内役は素晴らしい笑みを口元に浮かべ、九十度の最敬礼を。豚男は目元を歪に歪め、案内役の頭を見下ろす。鮮やかな贈賄仕草であった。
 案内役が把手を引くと、コンサートホールの入口にあるような重い扉が音もなく開いた。その隙間から不健全な赤い光が漏れ、ムーディーな音楽と、甘ったるい花の匂いが流れ込む--おおよそ健全な見世物ではないことを私は確信した。いや、この街に降ろされた時点で予感はしていたのだけれども。

 豚男に続いて、薄暗いホールの中を進む。ホール内照明は、中央ステージをぼんやりと照らす趣味の悪い赤ライトだけだ。円形ステージを中心とした人混みを構成するのは、豚男に似た様相の中年男性、明らかに良い仕立てのスーツを着た老人男性、胡散臭い笑みを浮かべた成金風の若年男性。どこを見ても、男しかいない。こういう場所であれば、煽情的な衣装の女性が沢山いるものだと思っていたのだけれど......
 私と豚男は、ステージの良く見える場所で足を止めた。今にも回転を始めそうな円形ステージには、ラブホテルにあるような巨大ベッドと、天井を貫くポールが数本、十字に組み合わせられた謎の板--明らかに卑猥な用途で作られたであろう設備たちが並んでいる。豚男もとい社長は、どういう意図で私をこんなところへ連れてきたのか。尋ねようと横を見て--私は、いつの間にか彼とはぐれてしまっていることに気が付いた。これではまずい。接待相手が隣に居ない接待など、全くの意味が無いじゃないか!
 豚男はどこに行った? 私は人波をかき分けて彼を探しに行こうとした--が。何という事だ、ホール内を辛うじて人の歩ける場所としていた唯一の光源が、風船の萎むように消えてしまった! 私は移動を断念し、たまたま得てしまった特等席、円形ステージのすぐ傍の位置に甘んじることにした。豚男は、ショーを見ながら探せば良いだろう。
 ショーの幕開けを告げるブザーが響く。腹の奥まで響くブザーの重低音。ホール内の全員がステージに目を向けた瞬間、四方から赤い光が中央に向けられる。血飛沫のような鮮烈な赤に照らされた銀色のポール--そのすぐ傍に、一人の人間が立っていた。
 つやつやとした黒髪は、レイヤーを入れられた所謂ウルフカット。重い前髪の下に見える釣り目は客席を品定めするように細められている。十五、六歳くらいだろうか--殆ど完成していながら、未だ不安定な部分を残した顔のつくり。少し力を加えれば容易く崩壊してしまいそうな、硝子の繊細美がそこには存在していた。身につけている衣装は、ボンテージファッション、とでも言うのか。鈍く光を反射する黒革の衣装は細いボディラインにぴっちりと沿い、腕、腰、脚--あらゆるところに巻かれたベルトが着用者の体を締めつけていた。猛犬に着けるような大ぶりな首輪の巻きつく首は華奢ではある。しかし、わずかに見える鎖骨と同じように骨ばっていた。胸部に期待される膨らみが全く見られない事を鑑みると、どうやらこの子は男であるらしい。
 天井のスピーカーから音楽が流れ出す。スローテンポなサックス、気だるいピアノと甘い女性ボーカルが合わさって、海外ドラマのセックスシーンのような空気感をホールに作り出している。
 赤く照らされた青年はふらりと一歩前に出て、ポールにしなだれかかる。右手の親指と人差し指をポールに纏わりつかせ、搾り取るようにゆっくりと上下させた。数回繰り返したのち、両の腿でポールを挟むと、今度は両手でポールに縋り、体を擦り付ける。体が揺れるたびに股間部が圧迫されるのだろう、青年は薄い唇を微かに開き、甘い吐息を漏らしていた。彼はホールに見せつけるように、ゆっくりと回転しながら腰を揺らす。快楽故か、その体が段々崩れていくさまに、ホール内の温度が上がっていくような気がした。私の後ろに立つ男の荒い吐息がうなじにかかって気持ち悪い。
 青年のダンスは続く。服の締め付けが苦しいのだろう、その頬には朝露のような汗が浮いていた。淫らな動きは繰り返すたびに激しくなり、青年の体はもうポールに縋りつかねば立てない程に脱力していた。
 その時、一人の男がステージに上がった。入口に居た案内役と同じ仮面、同じ服装--同一人物だろうか? 男は腰を揺らす青年の体を後ろから抱きとめ、その左腕をポールから離させる。白手袋を着けた男は、片手で青年の腰を支えたまま、もう片方の手で、青年の上半身を覆う衣装の中央チャックを下ろし始めた。焦らすような手つきでチャックが下ろされていき、その下の滑らかな白肌があらわになる。ジャケット状になっていたらしい青年のトップスは、腕の付け根のベルトまで、いとも容易くはだけてしまった。周りの男たちは、オオ、だとか、ワアだとか、そういう感嘆の声を上げるとともに、各々の股間部に手を伸ばしだす。......どうなっているんだ。
 あらわになった青年の胸。男であるからして、そこに欲情を誘うような丸い脂肪のふくらみは存在しない。しかし、その落胆を上回る衝撃が存在していた。ぷっくりと腫れた両の乳頭を、細いチェーンが繋いでいたのだ。どういうことかというと、即ち。女のように育った桃色の乳頭にはピアスが貫通しており。そのピアスに、細いチェーンが繋がれているのだ。
 白手袋がチェーンを摘まむ。弄ぶように引っ張れば、青年はびくりと大袈裟なまでに体を跳ねさせた。ポールを掴む右手の必死さは、ホールに立つ男たちの哀れと欲情、それから好奇心を誘う。一体何をすればあれ程開発されてしまうのだろう。あれを自分が触ったら、彼はどのように悦ぶのだろう。ホールに燻る劣情--毒ガスのようなそれに、私も思わず息を零した。
 青年の手がいよいよポールから離れかけたところで、白手袋の男は乳頭への責めを中断した。名残惜し気な視線を気にも留めず、その下半身に手を伸ばす。下半身の服は、上半身と比べて複雑なつくりになっていた。まず、一番上には前の開いたスカート状の生地が、数本のベルトによって股間部で繋がれている。白手袋の男は手慣れた様子で、しかし見栄えよく、ゆったりとベルトを解き、生地を取り払った。太腿には、特に役割のないベルトが何本も纏わりつき、白い肉を締め付けている。男の指はベルトと肉の間に入ったり、抜いたり--無意味であるからこそいやらしい動きを数回。そののち、核の部分--性器の位置する部分へ移動した。この流れで下着を脱がせるのか、と思いきや、男は青年の身体から手を放す。支えとしていた腕を除けられ、青年の身体はぺたりと床に崩れ落ちた。よく見ると、その輪郭は断続的に細かな痙攣を繰り返している。
 男が青年の肩を軽く叩く。青年は蕩けた顔を上げて、生まれたての小鹿のような脚でゆるゆると体を起こし、再びポールに寄りかかった。しかし、やはり力が入らないのだろう。ポールを掴んだ両手はだんだんと下りていく。しまいには、青年の姿勢は尻だけをこちらに突き出す、なんとも卑猥なものになってしまった。
 青年の下着は、所謂ジョックストラップと言われる形状をもとにしたものだった。即ち、後ろ側が丸見えなのだ。できものの一つもない滑らかな尻たぶに、ひくつく秘穴。前方から垂れてきたであろう粘液が、会陰を伝って黒革の隙間から垂れていた。あまりに淫猥な光景に、ホール中の男たちが鼻息荒く身を乗り出し始める。白手袋の男は期待に応えるように、黒革の下着をそっとずらした。尻を突き出したままの青年の陰茎は、力なく地面のほうを向いている。どうやら、既に精を吐き出してしまっていたらしい。白濁の蜜に濡れる花芯の揺らぎに、ホール全体が釘付けとなった。
 先端から溢れる淫液を纏った白手袋の人差し指は、そのまま会陰を下って青年の尻穴に辿り着く。何の抵抗もなしにするりと指を受け入れる、青年の窄まり。指が折り曲げられるたびに、青年は発情しきった甘い声を上げた。二本三本と増やされていく指に、ホールの男たちの間でざわめきが広がった。既に自慰を始めてしまっている男が、ホールのあちらこちらで観測される。ああ、最悪だ......豚男を探さねばならないのに、探そうとすると自慰をする醜い男が視界に入る......かく言う私も、股間に不穏な熱を抱えてしまっていた。己の性的志向は異性であるが、こうも淫猥な光景を見せつけられると、こう......やはり、誤作動してしまう。いけない......頭がぼんやりとしてきた......
 三本の指が滑らかに抜き差しできるようになったことを確認し、白手袋の男は指を引き抜いた。そして--己の前を寛げる。私の隣に立つ成金風の中年男性が、目を血走らせて青年の穴に擦りつけられる男のものを見つめている。白手袋の男は、アダルトビデオのように先走りを穴に擦りつけ--腰を進めた。......何という事だ! 
 私は血の足りない頭で、必死に警鐘を鳴らした。異常だ、ここは異常だ! だって、おかしいだろう、こんな大勢の前で、こんな......
 白手袋の男は客に満遍なく見せつけるためにゆっくり移動しつつ青年の腰を掴み、激しく前後に揺さぶっている。肉壁を突き上げられる衝撃で、青年の口からはあられもない声が零れる。異常だ、異常だ......こんな趣味の悪いセックス・ショーがあってたまるか! おかしいだろう、実際に彼が子供であるかは知らないが、あんな子供みたいな子を犯して、その姿を大勢に晒して--これ以上ここに居てはいけない--豚男のことはもういい、これ以上ここに居ては、私まで気を狂わせてしまう!
 白手袋の男の動きが激しく、ねちっこいものに変わる。絶頂が近いのだろう。青年の声もまた、大きく、いやらしいものになる--私は歯を食いしばり、ステージから顔を背けようとした--が。
 その瞬間。目が合ってしまった。ポールに縋る青年の、......淫らに蕩けた、悪魔の目。ああ--駄目だ、と思った。もう駄目だ、耐えられない--
 私はざわつく周りの男を押しのけ、ステージに上がった。吐精して気の抜けている白手袋の男をステージから突き落とし、床に崩れ落ちた青年を見下ろす。張り詰めすぎて爆発しそうなズボンを、下着を一気に脱いで、あらわになった自身を青年に見せつける。ホールから、オオ......、コレハ......、等と、珍獣を見たかのような感嘆が聞こえたが、そんなものはどうでもいい。青年は形の良い目を欲情にやつして、己が正体--淫魔としての姿を私に見せつけている。私は華奢な体を持ち上げて、ポールに押し付けた。汗でじっとりと湿った両腿を開いた形で持ち上げ、尻の間にある蜜穴に私自身を擦りつける。別の男の穢れを注がれたそこは沼地のようにねっとりと受け入れるもののかたちに合わせて変形した。ああ、いけない。ここで進んでしまってはいけない。分かっているのに、否、分かっているからこそ、私の陰茎は激しく燃えていた。風船は空気を入れれば入れるほど、その破裂音が大きくなる。ゴムは伸ばせば伸ばすほど、その跳ね返りが強くなる。性欲も同じだ。抑えれば抑えるほど、それが吹き出た時の勢いは凄まじい。私は勢いに任せ、青年を貫いた。
 ああ......蕩けそうだ。男の身体は、こんなにも良いものなのか。細い体の中はやはりきつく締まるが、同時に私の形を懸命に受け入れようともしている。しっかり慣らしてから動かねばならないのに、ああ、駄目だ! 私は獣の交尾のように、激しく腰を動かした。背に当たるポールのほかに縋るもののない青年は、その腕を必死に私の首に回してしがみついてくる。少々動きづらいが、締まりの良さがそのような障害を打ち消してしまう。
 気持ちいい、気持ちいい! こんなに悦いのは初めてだ! 
 スポットライトが熱い--真っ赤な光を四方から受ける私の姿は、きっと返り血を全身に浴びた怪物のそれに見えることだろう。ああ、そうだ、私は怪物だ............



 気が付けば、私は硬い床に転がっていた。いや、違う。床ではない--アスファルトだ。頭上には、くすんだ青い空。横には、煙草の吸殻の山--
オオ、メガサメタカネ--
 --そして、豚男。
キノウノキミハスバラシカッタヨ--アジワエタカネ、シコウノカイラクトイウモノハ--
 脂ぎった肌。どうにもならなそうな加齢臭。豚男は私に、脂肪だらけの手のひらを差し出した。
 浅ましい私の頬を、冷ややかな朝の風が通り抜けていく。ああ、朝だ--
 私は曖昧に笑って、豚男の--否、社長の手を取った。












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