ネオン 小波悠 銀色のプラグをうなじに埋め込まれたソケットに差し込む。しっかり奥まで差し込む。軽い金属音が頭に響く。接続が完了したらメモリカセットテープをセットし、手元のスイッチを押す。スイッチ横のランプが緑に点灯する。接続は正常だ。俺は改めて椅子に深く腰掛ける。乾いた空気を鼻から深く吸い込み、口から吐き出す。これを数回繰り返したのち、左手側にあるスイッチを押す。カチリと音がするとテープが回り出し、ランプは赤色に点灯した。俺は目を閉じる。後方に設置された抽出機の小さなうなり声を聞きながら、俺は頭の中を行き交うものたちを眺めていた。 そこは集合住宅地の真ん中にある小さな公園で、暖かな日差しが心地良かった。俺はベンチに座っていて、向こうではガキどもが遊んでいた。やがてそいつらは公園の外へ行っちまって俺は一人になった。 そのとき俺はここが昔家族三人で暮らしていたエヌエス五七地区であることを思い出した。急に俺は懐かしくなっちまってブラブラと散歩していると、このエヌエス五七で一番大きな通りに出た。道の反対側には分厚いコートを着た一人の男が見えた。ここの風景は全部がセピア色で風は乾いていて、不思議と一つも音が聞こえなかった。男はこっちに向かって何か話しているようだったが、やっぱり何も聞こえなかった。 やがて治安維持局の連中がやって来ると男を地面に押し倒し、そのまま二人掛かりでボコボコに殴りやがった。ヤツらは気が済んだのか、そのまま男を置いて帰って行った。そこで俺、思わず笑っちまったよ。何せその男の顔が五年前に見た親父の死に顔そっくりだったんだから。 ふと振り返るとお袋がいた。そして赤い包のチョコレートと茶色の包のチョコレートを差し出してどっちか選ぶように言うんだ。本物のチョコを見るのなんて久しぶりで俺興奮しちゃって赤い方を選んだんだ。 するとお袋の顔がだんだん変わっていって悪魔に変身しやがった。気が付くと俺は椅子に縛り付けられてて、指一本も動かせなかった。悪魔の野郎はその長い長い人差し指の爪で俺の眉間を指し、次は俺の腹を指差し、刺した。その爪は俺の腹をブスリと貫き、新しくできた穴からは真っ赤な血がドクリドクリと流れ出していた。そしてヤツは何度も何度も俺の腹を刺しやがるんだ。畜生俺はクラクラの頭で大悪魔様にひたすら許しを請うていたが、それでもブスリブスリとされていた。抵抗しようともがいても重い木製の椅子の足がガタガタ揺れるだけで、かすれた声で叫びを続けるしかなかった。ヤツは気色の悪い笑みで俺を見下ろしていた。最後の方になると俺は訳分かんなくなっちゃって、殺してくれ残酷すぎるよ殺してくれなんて呟いていた。やがて俺の腹がヒドく無残な状態になって、もう貫ける場所もなくなって一面が赤く染まった頃、頭上に大きな力を感じた。その後、一瞬の間もなくこのあたりの建物や人々、例のクソ悪魔は大小長短を繰り返して空に落ちていった。俺一人だけがここに残され、柔らかな風が吹いていた。 やがてエントロピは減少し、眠る前に選んだ記憶は抽出機に吸い込まれていった。 スイッチを押した五分三十秒後、俺はゆっくりと目を開け、再び無機質な部屋を眺めた。メモリカセットテープの止まる音。ランプの色は緑に変わった。俺はこの瞬間が好きだ。頭がボーっとして感覚が研ぎ澄まされるような、頭が軽くなって全てを肯定できるような感じ。しばらく余韻に浸ったあと、うなじのプラグを引き抜いた。 さっきよりも明るく見える部屋を横切り、冷蔵庫から複製ビールを取り出す。瓶のまま一気に飲み干すと、それは空洞ができた脳に染み渡った。頭の奥がパチパチと弾ける。最高だ。こんなに素敵な夜はホバリング・カーを乗り回すに限る。 スーツを床に脱ぎ捨てたまま俺は部屋を飛び出した。階段を下る足が軽い。仕事終わりの階段を上る足とは大違いだ。パーキングへ向かい、握りしめていたキーを愛車に差し込む。車は電子音を発しながら、地上から浮かび上がった。俺は車を発進させた。 空中車線を走行しながら夜風を浴びる。夜風は俺をハイにさせる。俺はさらに加速する。心配することはない。いくらアクセルを踏み込むもうとも法定速度を超えることはないし、ハンドル操作を誤ることもない。ホバリング・カーは最高に素敵だ。過激だ。なんてスリリングなんだ。心臓がドクドクと脈打つ。俺は空を飛んでいるんだ。高層ビルの間を走り抜けるあいだ、俺はただひたすらに高揚していた。 やがて遠くのほうにネオン街が見え始めた。さらなる刺激を求めていた俺は迷わず色鮮やかな光へと向かった。 車の高度を落として車線を地上に変更する。ギラギラに煌めくネオンは左右を流れていき、俺をガンガンに刺激する。巨大なカラカラに乾いたスポンジの俺は潤いを求めているんだ。夜の街を行き交うアホ面たちは、だらしなく口元を緩め、ゴキゲンな俺はそれをニヤニヤと眺めてやるんだ。アホどもを見飽きた俺は目当ての店へ向かうため、車を降りた。 ショッキングピンクに輝く店の扉を開け、俺は今夜も未知のエクスタシーを味わう。ここは様々なものが混じり合った匂いがする。気持ちよくなるコツは方法ではなく結果だけを忘れること。頭の中を文字通り空っぽにすること。そうすりゃアンタらも俺たちみたいにアガっていけるさ。全てが新鮮だ。俺は断言できる。この熱だけは偽物じゃないってね。 店を出ると俺はすぐ近くのスタンドに寄った。店主のオヤジにドーナツとホットコーヒーを砂糖とミルク多めで注文する。乾いたドーナツを口に含み、それを甘ったるいコーヒーで流し込む。しかし、久々の贅沢もほんの数口で終わっちまった。仕方なく俺は人混みをかき分け、ネオンの奥へと歩いた。 しばらく歩いていると薄汚い連中が目に入った。この通りじゃお馴染みさ。家を持たないヤツらは大声で言うんだ。政府が市民を管理しているだの、抽出機はオンラインだの、我々は意思を?奪されているだの。そんなバカげたことを叫びやがる。貧乏人め。俺は一番手前のガリガリに肩をぶつけてやる。よろけた老人は俺を睨み付けた。 「おい、お前。何をする」 俺は少し口角を上げてみせる。 「お前、抽出機を使っているな」 ああ、もちろん。 「あれは危険だ。ヤツらはお前の足元を蝕むぞ。そして過去を切り取り、流出させ、書き換える。やがてお前の土台は変容し──」 そこで俺は唾を吐きかけてやった。適当なことを言いやがって。抽出機も買えない貧乏人め。頭の固い老人たちめ。このとおり俺は自由だ。後ろで何か怒鳴っている気がしたが、俺はパーキングへ戻った。今日はすこぶる気分が良いんだ。 再びホバリング・カーを飛ばし、アパートへ戻る。遠ざかるネオンを眺めながら、俺は思わず首筋を押さえた。ときどきうなじの冷たさに驚く。それはさっきまでの俺の熱を一瞬にして奪い去っていった。この夜は星の見えない空にエンジン音だけがやけに大きく響いていた。 電気が点いたままの部屋に戻ると俺はそのまま抽出機に向かった。椅子に座り、接続し、スタートさせる。テープが回り出す。しばらくすると以前より軽くなったものが抽出機から頭に流れ込んで来て、程よく膨らんだところでストップする。砂糖とミルクはたっぷり入れた方がうまい。目を開いているが何も見えない。まとまらない思考の中で俺は少しだけ幸せになる。俺はしばらくの間、ぼやけた緑色のランプを見つめていた。
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