放課後アンビシャスボーイズ

八ッ橋



 少年よ大志を抱け。そんな言葉がある。そう、俺たちはデッカい夢をガソリンにして走る暴走機関車トーマスなんだ。クラーク博士の言葉はいつだって進むべき道を示してくれる。少年よ大志を抱け、英語で言ったらボーイズビーアン...、あれ何だったっけ。アビン、いやなんか違うな。アンべ...的な感じの。アンドレ...遠くなった気がする。何だっけな。
 「アンチョビだよ」
 あ、そうそうアンチョビだわ。そんな気がする。
 「いや何一つ合ってねえよ」
 ゴスッ。静かな教室に鈍い音が響いた。
 「痛ってぇ!!何すんだよヨーイチ!」
 ヨーイチと呼ばれた少年は拳を軽くグーパーしながら答えた。
 「タイシ。ナレーション長いしグダグダすぎる!てか今までずっと口に出してたのかよ!誰に聞かせてんだ、お前がバカなことしか伝わってないぞ!」
 「誰がバカだって?冗談はその髪型だけにしとけよ。なんで野球部なのにゆるふわパーマなんだ、どこの某高見沢俊彦だよ、あぁん?」
 「某つけた意味無いだろ!あとどうせなら某キタニタツヤと呼べ。オレはそこまでロングじゃない」
 「え、そういう問題?」
 「それはそうとお前のチャラついた前髪むしり取ってこちら側に引きずり込んでやろうか、あぁん?」
 剣?な空気が二人の間に広がる。そこへもう一つ声が加わった。
 「ねえ、ヨーイチ」
 「なんだガブちゃん、今それどころじゃ...」
 「君はキタニタツヤなんていいもんじゃない。某バッハだよ」
 「その話もう終わってんだよ!」
 ゴスッ。再び鈍い音が響く。
 「なんで僕まで殴られるわけ...?」
 机に突っ伏していたもう一人の少年が顔を上げた。金髪、青い瞳、透明な肌。「薄幸の美少年」という言葉がよく似合う。
 「僕はヨーイチの髪型を訂正してあげて、タイシのナレーションを助けてあげただけなのに。なんで殴られなきゃいけないのさ」
 「ガブちゃん...。よく聞いてくれ。アンチョビは、イワシの塩漬けなんだ...」
「え、マジ?」
 戸山タイシ。日詰ヨーイチ。金剛寺ガブリエル。高校二年生。彼らは今、昼休みに仲良くエア野球をやって五限の日本史を仲良く居眠りしたため仲良く居残りさせられている。生粋のバカ三人組だ。
 
 日本史の小テストを解くまで帰らせない。そう告げられた三人は放課後の教室でペンを走らせていた。
「なんで俺らがこんなことしなきゃいけねーんだよ~。全然わかんね~」
「しょうがないだろ。オレたちが爆睡かました授業が日本史だったんだから。しかも担任だし」
「タイシの場合、起きていても授業内容分かってないだろうけど」
「おいちょっと聞き捨てならねえぞガブちゃん」
「いや、ガブちゃんの言う通りだろ。お前起きて授業受けてようが何も覚えてないじゃん。逆に何なら覚えてるんだ?」
二人に若干の嘲笑を向けられた。カチンときたタイシは必死で日本史の授業内容を思い出そうとした。
「...ほら、あれ覚えてるぞ。あのー...、そうだ!
『墾田永年私財法』アレかっこよくね?」
渾身のドヤ顔で二人の方を見る。彼らは何とも言えない表情をしていた。チベットスナギツネ的な。
「え、俺なんか間違えた?」
「タイシ...。甘いね、墾田永年私財法がカッコいいことなんか常識中の常識だよ」
「そんなんだからお前はいつまでもタイシなんだよ」
「どういうディスり方だよ。なに、進化とかすんの?メガタイシとかになんの?」
彼の怒りをガン無視してガブリエルが立ち上がった。
「タイシ、よく聞いて」
真っ直ぐタイシの方を見つめる。
「本当にカッコいいのはね『不空羂索観音像』だよ」
一瞬の静寂。ポカンとするタイシ。
「か、かっけえ...!」
どうやら彼の感性に合っていたらしい。
「でしょ?」
「ヨーイチ。君もそう思うよね?」
ガブリエルが自信満々に振り向くと、ヨーイチは未だ何ともいえない表情をしていた。
「な、なんだよ。ヨーイチ、僕に賛成してくれないのか?」
「ふん、甘いなガブちゃん。そんなんだからいつまでもガブさんにはなれないんだよ」
「え、ガブちゃんって親しみをこめて呼んでいたわけじゃないの?蔑称だったの?僕ずっと蔑称で呼ばれていたの?」
ガブリエルのぼやきをよそにヨーイチが机を叩く。
「真にカッコいいのは『六波羅探題』だろ!」
再び一瞬の静寂。
「「はあ??」」
「ふざけんな!絶対墾田永年私財法の方がカッコいいだろ!」
「いーや、不空羂索観音像だね」
「何だと、やるってのか!」
三人が一触即発の雰囲気になる。殴り合いになる寸前、ガラガラと教室の扉が開く音がした。
「お前ら何やってんの。外まで聞こえてるぞ」
「あ、あなたは...」
「「「担任!」」」
「名前呼べよ」
「ちょうどいいところに来てくれましたね!担任!」
「今から俺たちで一番カッコいい日本史用語を決めるんで、ジャッジしてもらっていいっすか!担任!」
「僕らじゃ公正に決めることができない、日本史担当のあなたの力が必要なんです!担任!」
「お前ら...」
担任が三人の顔をしっかりと見て、少し微笑んだ。
「本当にバカだな...」

 そんなこんなで「一番カッコいい日本史用語決定戦」が開かれることになった。
「で、俺は何をすればいいんだ?こっちも忙しいんだよ」
「お戯れを」
「おい今なんつった金剛寺」
「こんな時間まで学校残るって、暇なんすか?」
「暇じゃねえよ主にお前らのせいで」
「先生。オレから説明します」
ヨーイチが適当な席に担任を座らせた。他二人も近くの椅子に腰掛ける。
「今からオレたちが一人ずつカッコいいと思う日本史用語を挙げていきます。なぜカッコいいのかという理由も続けて話すので、三人全員の主張を聞いた後に誰に座布団を渡すのか決めてください」
「おい最後」
「なお、殴り合いを防ぐために先ほど挙げていた『墾田永年私財法』『不空羂索観音像』『六波羅探題』は使えないものとします」
「...あー、もう。分かった。じゃあさっさと初めてさっさと終わらせてくれ」
担任は大人なので「諦め」という言葉を知っていた。

トップバッター 戸山タイシ
 「では、えんせつながら俺から始めさせていただきます」
「僭越だよ」
「無理して難しい言葉使うな、タイシ。バカがバレるぞ」
「心配しなくてもお前らもれなく全員バカだ」
外野のヤジを諫めるように、タイシは一つ咳払いをした。
「俺が一番カッコいいと思う日本史用語、それはずばり『平等院鳳凰堂』だ」
「ほう...?」
「理由を聞こう、タイシ」
ヨーイチとガブリエルが不敵な笑みを浮かべる。唯一このノリについていけてない担任だけが何故か気まずそうにしていた。
「まず一番に『鳳凰』というワードが強い。鳳凰だぜ?伝説の生き物が名前に入っているのが強い!」
席を立ち、高らかに声を上げる。二人は痛いところを突かれたと言わんばかりの苦しい表情を見せた。
「なるほど...。タイシにしては鋭い視点だね」
「なかなかの戦闘力だ...!」
「「こいつ、強い...!」」
「ごめん、俺が知らないだけかもしれないんだけどバカにしか見えないスカウターとか付けてる?」
担任のツッコミはフルシカトされた。
「他の生き物じゃダメなんだ...。平等院ユニコーンガンダム堂とか、なんか違うだろ!」
「ユニコーンガンダムはそもそも生き物じゃないだろ」
「「確かに...!」」
「『確かに...!』じゃねえよお前ら!明らかにモビルスーツだろうが!」
「あと平等と鳳凰で韻が踏めるのがカッコいいと思う!」
タイシは机の上に立ち上がって拳を突き上げた。根はいい子なのでちゃんと上履きは脱いでいる。
「よって俺は『平等院鳳凰堂』が一番カッコいいと思う!」
そう言うと彼は満面の笑みを浮かべた。ヨーイチとガブリエルはそっと拍手を始めた。

 「先生どうしたんですか、息切れしてますよ」
「いや...。深刻なツッコミ不足で...」
「先生はどう思いますか。タイシの主張」
「とりあえずユニコーンガンダムは違うと思う」
水を飲んで一息つく。ペットボトルのキャップを回しながら尋ねた。
「日詰、金剛寺。お前たちは戸山の話をどう思ったんだ?」
二人は顔を合わせて頷いた。ヨーイチが口を開く。
「素晴らしいと思います。ただ...」
「ただ?」
「平等院鳳凰堂はかなり有名な建造物です。教科書を見ずとも一般常識として知っている者も多いでしょう。そんなメジャーすぎる用語をチョイスしてくるところに奴の日本史用語ボキャブラリーの少なさを感じますね」
「お、おう...。日詰、結構言うな...」
「あと、伝説の生き物をカッコいいと思う感性が中二病くさいんでちょっと痛々しいです」
「こ、金剛寺...。その辺にしといてやれ...」
担任が予想していたよりも彼らは辛辣だった。ふとタイシの方を見る。さっきまでの威勢は消え失せ、静かに机から降りようとしていた。顔は見えないが哀愁が背中に漂っている。
「戸山、気にするな!先生もカッコいいと思うから!」
「先生...!」
「ちなみに平等院鳳凰堂を建立したのは誰か答えられるか?」
「...」
「おい戸山。なんか言え」

二番目 金剛寺ガブリエル
 「では次は僕がいきます」
「早速だけど、僕の思う一番カッコいい日本史用語は『観応の擾乱』だよ」
「なにそれ」
「黙れ中二病」
「んぐっ」
「やめろ金剛寺!戸山の傷はまだ癒えていないんだ!」
「こいつはいいから、続けてくれガブちゃん」
ガブリエルが軽く頷く。
「まず『観応の擾乱』という言葉を聞いてどう思った?
はいヨーイチ!」
「え、オレ!?」
突然指名されてひどく驚いていた。ガブリエルはさっさと答えろという視線を送る。
「んー、そうだな...。何ていうか、哀愁?悲しい雰囲気を感じたな」
「そう!その通りだよヨーイチ。この言葉には『哀しみ』がある!」
満足そうに三人に呼びかけた。良いスタートを切ったようだ。
「なあ、金剛寺」
担任が手を挙げた。
「なんですか?」
「それって『擾』にだいぶ引っ張られてないか?憂鬱の『憂』に似てるし」
「...」
静まり返った。完全に。まるでこの教室には誰もいないようだった。
「それはそれとして」
ガブリエルが何事もなかったかのように話を再開した。
「いや、金剛寺」
「それはそれとして!!」
「あの」
担任が何か言おうとした。すると彼の肩をタイシが掴んだ。
「先生...。今は続けさせてやってくれ...」
タイシの目は、まるで同胞に向けるそれだった。担任は一瞬で悟った。自分の何気ない素朴な疑問がガブリエルのメンタルHPに大ダメージを負わせてしまったことを。もはや意地だけであの場に立っていることを。彼はそっと心の中でガブリエルに土下座した。めんご...!
「『擾』だけではありません!『乱』この字があることで、浮世の儚さ、あっけなさが助長され『哀しみ』を引き出していると思います!」
ガブリエルが捲し立てる。彼のメンタルHPが限りなくゼロに近いことを微塵も感じさせない饒舌さだ。
「ガブちゃん...」
「金剛寺...」
タイシと担任は何故か分からないが涙が零れそうだった。
だがここに空気の読めない奴がいた。
「なあガブちゃん」
「な、なに?」
ガブリエルの声は若干震えている。
「確かに『擾乱』が哀しみを引き出しているのは分かった」
「そ、そうでしょ!やっぱりヨーイチなら分かってくれると思って...」
「だったら『観応』の部分はどう哀しいんだ?」
「......」
ガブリエルの動きが完全に止まった。沈黙が永遠に続きそうだった。
頑張れ!何か言い返してやれ!とタイシたちは言いたかった。だが、それを言うのはガブリエルの敗北を認めたようなもの。二人は応援するしかなかった。
「...別に」
ガブリエルは力なく膝から崩れ落ち、体操座りのまま動かなくなった。
「ガブちゃーーーーーーん!!」
「金剛寺―――――――!!」
タイシと担任がガブリエルの元に駆け寄る。
「ちょっとヨーイチ!お前なんてことしてくれんの!」
「日詰!お前には人の心とか無いのか!」
二人はひたすらガブリエルの背中をさする。熱が生まれそうな勢いだ。もはや痛そうである。
「え、なんかしたオレ?なんかやった?」
ヨーイチは状況を全く把握できていなかった。
「男子っていつもそう!うちの子はね、名前の厳つさと反比例して心は繊細なのよ!ギザギザハートなんかじゃないわ!よわよわハートなのよ!」
「お前はキャラを固めてこい。戸山」
二人があまりにも怒るので、ヨーイチは何やら謝った方がいいらしいことを悟った。
「ガブちゃん...。なんか、その...ごめんな...」
「...」
「金剛寺、あいつのしたことは許せないだろう。けどな、こうして過ちを認めたんだ。受け入れてやってくれ」
「いや八割がた先生のせいで...がふっ」
担任はタイシの口をがっちり塞ぎながら尋ねた。
「ちなみに観応の擾乱がどんな動乱か説明できるか?」
「...」
「おい金剛寺。なんか言え」

三番目 日詰ヨーイチ
 「では、オレの番ということで」
「おい、金剛寺。黙って中指を上げるな」
「そうだぞガブちゃん。戦いに私情は持ち込んじゃいけねーよ」
「おい、戸山。なんだその藁人形」
どう見ても二人の機嫌が悪いのだが、ヨーイチは気にすることなく語り続ける。
「オレが思う一番カッコいい日本史用語は『西園寺公望』だ!」
「ふぅん...」
「ほぉん...」
「おいお前ら、露骨にテンション下げるな」
「違いますよ、『下級のランクにいる主人公を見て何か光るものを感じた強キャラ』ですよ。これは」
そうは言いながらも二人は中指やら藁人形をそのままにしている。
「大丈夫か、日詰。この短時間でかなり二人のヘイトを買っているようだが...」
「問題ないですよ、先生。オレが何年こいつらと一緒にいると思っているんですか」
「...そんなに長いのか?お前たちの付き合いは?」
ヨーイチがニヤリと笑う。
「二か月です」
「思っていたより短ぇな!」
「まあ見ててくださいよ」
ヨーイチがタイシとガブリエルの方に向く。
「いいか二人とも?」
「『西園寺』という名字、なんか御曹司っぽくないか?」
二人の姿勢は変わらない。
「おい日詰。こんな理由で二人が興味を示すとでも...」
「「ちょっと分かる...」」
「ちょろいなお前ら!」
「それに『公望』という名前、読めんこともないが被らない、それでいてカッコいいあの特別観...!」
「「「学園モノにいるイケメン御曹司キャラ(ツンデレ)!」」」
担任は黙って彼らを見ていた。別に仲直りできて良かったね的な気持ちではない。どいつもこいつもバカばっかりだなと感じていた。
「そう、『西園寺公望』は花より男子だしF4だし道明寺なんだよ!松潤なんだよ!Love so sweetなんだよ!」
「「うおおおお!!」」
「いや松潤ではねえよ」
担任のツッコミも届かないほど、三人は盛り上がっていた。いやツッコミが届かないのはいつものことだ。
「「「うおっうおぅおおーういぇーいいぇいおーぅ」」」
「おいそこ!Love so sweetするな!」
ヨーイチはしてやったりという表情で担任の方を見た。
満足そうな彼らを見て、担任は少し表情が緩んだ。
「ちなみに西園寺公望が何をした人物か答えられるか?」
「...」
「おい日詰。なんか言え」

 「それで先生。誰にするんですか?」
「え、道明寺...?」
「あ、そっちじゃないです。カッコいい日本史用語の方です」
「ああ...。すっかり忘れてた」
担任は、バカ三人組の勢いに押されて自分の役割を見失っていたことに気づいた。
「しっかりしてくださいよホント。大丈夫っすか?」
「僕ら先生が日本史担当だから頼んでいるんですよ」
「なんだろう。凄くイラッとする」
「それで、どの日本史用語がカッコいいですか?」
「いや用語以前にお前ら日本史の授業ちゃんと聞けとしか思わなかったんだけど」
「チッ、しけてんな」
「おい誰だ今の」
担任は三人を一瞥し、腕を組んだ。
「とにかく、優勝者は無し。お前らが全然授業聞いていないことは分かったから、カッコいいと思う用語の意味を調べてまとめろ。追加課題だ」
「えー!」
「そりゃねえよ、先生!」
「僕たちいつになったら帰れるんですか!」
三人が口々に文句を言う。
「あーうるせえ!三バカトリオ!そもそも俺だって仕事があんだよ!くだらねぇことで拘束しやがって!」
「くだらねぇって何ですか!オレたちちゃんと用語は覚えているでしょう!用語は!」
「あとトリオって三って意味だから三バカトリオだと被っていますよ。サハラ砂漠じゃないんだから」
「え、サハラって『砂漠』って意味なの?」
ガブリエルが強く頷いた。
「いや、それは置いといて」
担任は話を強引に戻した。
「いいから課題やれ、サボるなよ」
「ひどいなあ、僕らがサボるとでも?」
「現行犯だろ」
「先生。信じることがすべてっすよ」
タイシが担任の肩をポンポン叩く。
「...戸山。お前もう三ページ追加」
「はあ!?」
タイシは助けを求めるように二人の方を見た。
「今のは僕もなんかイラっとした」
「オレも。無理やりLove so sweetに繋げたかった感がイラついた」
タイシはそっと涙を拭いた。世界は残酷である。
「まあそういうことだ。課題終わったら教室の鍵持って来いよ、俺は職員室にいるから」
扉に手を伸ばす。そこへヨーイチが声をかけた。
「あ、そうだ先生」
「なんだよ」
ヨーイチはタイシとガブリエルに目配せし、三人で担任に向き直る。その瞳はいたって真剣だ。
「先生が思う一番カッコいい日本史用語ってなんですか?」
担任はしばらく考えた。そしてゆっくりと口にした。
「そりゃお前...。アレだろ」
「『螺鈿紫檀五絃琵琶』」


「じゃーな、ちゃんと課題やれよ」
教室の扉が閉まる。三人はその場に立ったままでいた。


「「「...かっけえ...」」」


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