AM 小波悠 日曜日の昼下がり、遠方での所用を済ませた私は帰路についていた。車の少ない高速道路を走りながら今朝切らしたトイレットペーパーのことを思い出す。買い物リストに追加しなければ。 フロントガラスから差し込む西日に目を細める。日頃の睡眠不足と昼食のカツカレーを原因とする睡魔は周期的に襲い掛かってくる。ラジオのボリュームを上げ、抵抗する。車内には未だに名前を覚えられない女性タレントの笑い声が響く。やがて車はトンネルに差し掛かり、辺りは闇に包まれた。轟音が聞こえる。ラジオの音声が途切れ始め、やがてノイズのみになった。たしかAM波に比べて波長の短いFM波はうんたらかんたら。ここのトンネルは長い。ラジオをAMに切り替える。 ――めるのだ。我々は生まれるべくして生まれたのだ。我々を我々たらしめるものは何か。それは質量である。質量こそが我々の存在を証明するものであり、本質なのだ。我々そのものである。画一化され、単純化された我々の尊厳は質量によって保障されているのだ。何者にもなれなかった我々は何者にもなる必要がなかったのだ。そう、尊厳が一点に収束された我々は同志、兄弟なのだ。我々は既に動き出した。神は我々に力を授けたのだ。この速度こそが力なのだ。今まで我々をこの地に縛り付けていた慣性さえも我々の味方となった。これは惰性ではない。我々は確固たる意思を持って運動を続けるのだ。もう何者も我々の行く先を阻むことはできない。見ろ。我々は加速している。とどまることを知らないのだ。あの頃のやすらぎは忘れ去られた。我々には不要な代物だったのだ。徐々に増していくエネルギーに、我々は喜び打ち震えている。等加速の恐怖を克服した我々を一体誰が止めようか。我々を阻むはずだったこの大地も、大気も今だけは関係ないのだ。もう風すらも感じない。全てを切り裂いて進む我々は気高く美しいのだ。我々の身が滅びることなど、ありはしないのだ。速度の二乗倍で増すエネルギーの使い道など今は考えるな。ただ進めばよいのだ。ここには終端など存在しない。我々は永遠を、無限を手に入れたのだ。貴様らにも分かるだろう。この力の源が。これは大いなる地球が我々に与えたものなのだ。確かに感じている。我々と地球との繋がりを。万物は母なる地球へと還るのだ。地球の圧倒的な質量の前に我々はただひれ伏すしかないのだ。地球を味方につけた我々が止まることはない。いざ進め、兄弟たちよ。我々の―― ラジオをFMに切り替える。再び甲高い笑い声が車内に響く。私は明日からの憂鬱を噛みしめ、ハンドルを握り直した。
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