13体目の愛

灰汁太川猫也



 ボストン郊外にある古びた洋館に、二人の刑事が訪れていた。その洋館の外装はとてもみすぼらしく、廃墟のそれと変わらぬ程のものだった。しかし、この館には戸籍上は住人がいるはずだった。にもかかわらず税金の支払いが滞っている家主をせっつこうと館に押し入った役人が、館の中で二体の白骨化死体を発見した。そして今、その知らせを受けた警部は、二人の捜査官をかの館へと向かわせたのだった。
「ちょっと先輩、現場でタバコ吸わないで下さいよ。いくら他殺のセンが薄くても証拠品は重要なんですから。」
咥えていたタバコに火を点けようとしていた中年の刑事は、舌打ちをしながらライターをポケットに突っ込んだ。
「別にいいだろ、ったく......こんな死体ばっか見る仕事、ヤニでも吸わねえとやってらんねえよ。......」
刑事の呟きが、不気味なまでに広い館の広間に響いた。その音で刑事が来たことに気付いた鑑識員の一人が、二人のもとに来た。
「刑事の方ですね、お待ちしてました。証拠品は大体採取終わりましたので、ご自由に捜査して下さい。」
「で、どうですか?やっぱり他殺はない感じですか?」
先輩の後ろから首をのり出して聞く若手刑事に、鑑識員の一人が答えた。
「そうですね。争った形跡もないので、他殺とは考えにくいです。でも、この館自体が住宅街からだいぶ離れたところにあるので、被害者の目撃証言が少なく、まだ調べる必要はありそうです。」
中年の刑事は会話する二人を尻目に、事件現場の書斎へと向かった。書斎の中では、鑑識員の一人が現場写真を撮っていた。中央には古びた机があり、その上には白骨遺体の頭蓋骨が横たわっていた。見かけによらず敬虔な信徒であった中年刑事は、鑑識員に軽く会釈した後に目の前で十字を切って遺体のそばに立った。机には遺体から出たのであろう茶色い染みと、参考資料らしき論文の束がごちゃ混ぜになってそこらじゅうに広がっていた。現場を見ていた中年刑事は、その幾重にも重なった紙束の中に色褪せた紺色のノートを見つけた。彼は手袋をした手でノートをつまみ、鑑識員に問いた。
「おい、このノートもう調べたか?」
鑑識員はため息交じりに答えた。
「見ての通り資料がたくさんあるんで、そっちはまだっすね。すいません。」
「資料?これ全部被害者のものなのか?」
「ええ。なんか被害者の方はここの家主で、少し昔まですげー賢い研究者だったらしいですよ。」
「そうか」と淡泊に答えた中年刑事が見るそのノートの表紙には、『Research Note(研究日誌)・2013/4/3~2023/4/3 Fold Ruck(フォルド・ラック)』と油性ペンで荒っぽく書かれている。フォルドとは被害者の一人のものだろうか。中年刑事はそれをめくり、ノートを読み始めた。以下は、そのノートの全貌である。


 Ⅰ:完璧な一体目     perfect
 かつて飛び級を繰り返しハーバード大学医学部を18歳で卒業し、ケンブリッジの奇才と謳われた私にも、愛情という馬鹿げた人間の性はあった。私は、知能レベルの低い他人と話すことを嫌い、大学での休み時間は生物学書を片手に一人広場の木にもたれて過ごしていたが、無謀にもそんな私に声をかける女性がいた。
「何を読んでいるの?」
それまでにも私の聡明さに好奇の目を向けてきた者は男女共にいたが、そんな連中の相手を厭った私は彼女らを適当にいなした。そうすれば皆消えていったため、そのときも私は同様に彼女をいなそうとした。
「私が君にそれを伝える義務はないはずだ。だから答えない。」
すると彼女はほほえんだまま、私の横におもむろに座り込んだ。可及的速やかに彼女を追い払いたかった私は、
「横に座り込んだって君とともにこの本を読んだりはしないし、読んだところで君が思うような面白い本は読んでないぞ。」と断った。すると彼女は、
「私がここを立ち去る義務はないはずだ。私は好きでここにいるだけなのだから。」と私の真似をしておどけて答えた。私は追い払うのもおっくうになり、彼女を放置して本を読み進めた。するとそれ以来、休み時間の度に彼女は私の腰掛けた木の下にやって来ては、私の肩にもたれて眠るようになった。私は不覚にも、孤独を嫌ってしまっていたのか、それとも人間の動物的本能か、彼女を愛しく思うようになってしまった。アンナという名のこの少女は、私より3歳年上の同窓生であり、私は卒業後彼女と結婚した。彼女はいつでも私のそばに寄ってやさしく微笑んでいるような人だった。私は彼女が近くにいるその環境を、堪らなく心地よいものと思うようになってしまった。しかし、私が幸せを感じていられる期間は、2年目の結婚記念日の夜に終止符を打たれた。
アンナがトラックに轢かれた。
そしてアンナは、亡くなった。
 ボストン州警から連絡を受けて遺体安置所に向かうと、そこには生前の美しさを保ったまま横たわるアンナの姿があった。トラックに轢かれたにもかかわらず遺体が綺麗だったのは、加害トラックの運転手の急ブレーキによるものだった。しかしそれでも衝撃を殺せなかったトラックは、アンナを3m先まで吹き飛ばした。その際に飛び散ったトラックのパーツはアンナの肺腑を裂き、そこに流入した血液による溺水が死因だったそうだ。私は目を瞑り、再び目を開け、骸となっているアンナを見た。様々なことが私の脳によぎった。『トラック運転手への復讐?......否、無意味だ。......しかしそれにしてもアンナは美しい姿だ。まるで本当に生きているようで......いや、アンナはまだ死んでいないのではないか?心臓に致命傷を受けているとは言え、脳細胞は今正しく処理すればほとんど無事だ。アンナは持病などもなく、酒も煙草もしないため臓器も健常だ。生物学・再生医療を学んでいた私の天才的な頭脳を以てすれば、アンナは息を吹き返す。体細胞のDNAをもとに作った多能性幹細胞の分化によるクローンと脳移植により、完璧なアンナを再構築できる。』結論を出した私はボストン州警が目を離した隙を見てアンナを持ち出し、郊外にある我が家に連れ帰った。今までの研究により手に入れた大金で建てた我が家は、多過ぎるほどの部屋の中に、実験に使えそうないくつかの隠し部屋と、数多の研究器具・試薬を抱えていた。私はアンナをホルマリン主成分の生体保存液に沈め、アンナの脳を取り出して別の特殊保存液に浸した。私は、各溶液の具体的な原料・配合及び反応などを記した研究ノートに加え、アンナの容態など文章的な情報を日誌としてこのノートに記載し、最愛の人の復活法を研究することに決めた。
 
 Ⅱ:盲目の二体目     sight
 私はまず、彼女の亡骸から採取した、まだ生きている視神経細胞から多能性幹細胞を作成し、アンナのクローン体の生成を試みた。アンナの身長より大きなカプセル培地にて、クローン体はみるみるうちに成長し、半年ほどで生前のアンナそのものの姿になった。合成したホルモン剤がうまく作用したらしい。次に、生成されたクローン体の脳と本来のアンナの脳とを入れ替えた。クローン体への倫理的問題などが問われるべきなのかもしれないが、今の私にとってアンナを超える問題などなかったし、それ以前にアンナを警察から持ち出したことで司法的問題が生じているため、私はこの際忘れることにした。だが、この実験でそれ以上に苦心したのは、クローン体の脊髄とその他諸々の毛細神経を脳につなぐ過程だった。繊細なこれらの器官はつなぎ方ひとつ違えば確実にアンナは復活しない。私は日夜血眼になって、保存液と染み出た血液にまみれた神経を、ピンセットと特殊機器でひとつずつ紡いでいった。そして1年後、アンナは『完成』した。私は恐る恐る保存液からアンナを取り出し、実験台に横たえた。
「アンナ、聞こえるか?......私だ。」
私がそうつぶやくと、しばらくの後、か細く高い声がアンナの口から漏れた。
「あなた......?フォルド、あなたなの?」
復活した。アンナはついに復活したのだ。彼女は、生前の美しさと意識を保ったまま、再び私のもとへ舞い戻ってきてくれたのだ。私は感涙で醜くなった顔を彼女に向け、何度も頷いた。
「そうだ。私はフォルド、あなたに心酔した一人の男だ。」
彼女は眼を開かないまま、我を忘れて嬉し泣く私にささやかに微笑んだ。
「ありがとう、私をもう一度あなたのそばに戻してくれて。......でもごめんなさい、私、今何も見えてないの。あなたの声も息づかいも、全て感じているのに、肝心のあなたの愛しい姿が、見えない、見えないの......。」
その事実を聞いて、私は愕然とした。これは私の人生で初めての失敗だった。視細胞からクローン体を分裂させたのが原因なのか、復活した彼女は盲目になっていた。
「そんな、この私が......?すまない、結果的に君を苦しめてしまった......。」
驚きを無理に鎮めるようにノートを睨んで間違いを探す私の頬を、アンナの繊細で優しい手が撫でた。
「......あなたは昔から、意外と勘が鈍いわね。私は、あなたに再び会えた、それだけで幸せなのよ。」
彼女のこの言葉に、私は救われた。
 その後しばらく、私たちは昔と同じ幸せな生活を享受した。その間私は彼女の視力復活のための研究を進め、彼女の視細胞の失活を確認し、体細胞から視細胞の合成を始めた。しかし実験室に向かおうとする私の裾を、彼女は引っ張った。
「私、せっかくあなたのおかげで蘇れたのよ。目なんか見えなくたって私は私、あなたのそばにいたい女なの。」
今思えば、その言葉にかまけて自分のミスに向き合わなかったのが、私の真の敗因だったと考えられる。彼女は復活したその1年後、再び命を落とした。
 ある晴れた日だった。培養器に細胞を入れ、視細胞の最後の実験を終えて私が居間に戻ると、いつもそこにあるはずの彼女の姿がない。開けたまま放置された玄関から飛び出して彼女の行方を探した。彼女の使う白杖の跡に気付いて追いかけた先には、工事中で蓋の空いたマンホールから転落して頭を血に染める彼女の姿があった。私は涙をこらえて、警官が来る前に彼女を持ち去った。彼女の持ち物を探ると、彼女の小遣いと私が興味のある医学書の名を書いた紙があった。カレンダーを見ると、一週間後は私の誕生日だった。私は培養器の中で帰宅後に完成した移植用クローン視細胞を見て、私は悔恨の涙に溺れた。

 Ⅲ:難聴の三体目     hear
 絶望に打ちひしがれながらでも、実験を行う手を止めなかったのは、私の唯一評価できる点だろう。私は前回同様彼女の亡骸を保存し、脳に損傷がないか分析した。幸い脳の電気信号に異常はみられなかった。恐らく彼女の二度目の死因は流血かショックだったのだろう。何はともあれ、その事実は私に一縷の希望を与えた。私は再度、同じ方法で彼女の復活を試みた。今回は聴覚細胞からクローン体を作った。実験条件は前回と全く同じであることもあり、クローン体は同様に完成した。我ながら再現性の高さに優越感を覚えた。その後の脳の接合の後、アンナは二度目の復活を遂げた。しかし今回の実験も成功と言えるものではなかった。今回のアンナは、耳が一切聞こえなかった。今回もアンナは私が気にしないように接してきてくれたが、私は前回のような苦しみをもう二度と味わいたくなかった。私は日夜実験室にこもり、移植用クローン聴覚細胞の生成実験を行った。彼女の抑止も構わず実験を続けた。そして私は彼女が復活した半年後、移植用聴覚細胞をつくり上げた。その日は激しい雨の降る日だった。まれにみる異常気象で、隣町では珍しく洪水が起きた。私は悪天候の気圧による頭痛を抱えながら、彼女のいる部屋へと向かった。するとどうだろう、彼女はまたもや外出していた。机の上には、「隣町までお出かけしてきます。実験に夢中だからどうでもいいのでしょうが」と書かれた置手紙があった。嫌な予感がした。その予感は的中した。洪水の音に気付かなかった彼女は濁流に飲まれて溺死した。雨止みの後に隣町に向かった私は、流されたがれきの中に泥にまみれた彼女の遺体を見つけた。

 Ⅳ:鼻が利かない四体目     smell
 遺体に付いた泥を洗い流すと、存外損傷は少なかった。当然私は3度目のアンナの復活処置をした。嗅覚細胞から複製され、全ての処置を終え復活したアンナに私は忠告した。
「君は3度死んでいて、それらの記憶全てをもって復活しているからわかると思うが、君は外出中に何度も死んでいる。君は物わかりがいいからわかると思うが、外に出るのは危険だ。くれぐれも外には出ないでくれ。」
そう言って私は、再び実験室に向かった。予想通り今回の彼女は鼻が一切利かなかった。復活に使った器官の機能欠損を防ぐそれ以外の復活方法を考えるべきだったのかもしれないが、彼女の脳細胞の損傷は保存液に漬けていても進行する。そのリスクを考えると、他の方法を考える余裕などなかった。
「待って!」
後ろから彼女の叫び声が聞こえた。
「この前私が死ぬ直前街に出たのは、ただ寂しかったからなの!もっとあなたと過ごす時間が欲しいの!」
アンナの声が、初めて煩わしいと感じた。私はため息交じりに答えた。
「......奇遇だな、私も君と過ごす時間を求めている。そのために私は、君の延命のための研究をしているんだ。それがわかったら、軽率で短絡的な行動は控えてくれないか。」
この発言が応えたのか、彼女が家から出ることはなくなった。彼女は家事などをして毎日を過ごした。しかしそれも長くは続かなかった。
 ある風の強い日だった。私の家で火事が起きた。火元はアンナが電源を切り忘れたアイロンだった。私が煙に気付いて彼女を探したときには、煙の臭いに気付けなかった彼女は既に一酸化炭素中毒で死んでいた。

 Ⅴ:馬鹿舌な五体目     taste
 居住スペースは一部かなり燃えてしまったが、すぐに消火したおかげで実験室に火が回ることや家に雨露を防げぬ程の損害を与えることはなかった。そのため彼女の復活処置も迅速に行えた。一酸化炭素中毒による脳への損傷も不安視していたが、それも幸い正常な働きが確認された。今回は1体目のアンナの味蕾から採取した味細胞からクローンをつくった。案の定味覚の死んだアンナができた。今回の彼女は前回の個体より致命的な欠陥はなかったが、念のため同様に外出を禁じた。しかし、私は味覚の持つ生存のためのポテンシャルを侮っていた。今回の彼女は有毒のズッキーニを食べて死んだ。何かの折に研究で役立たせるために私は様々な植物を育てており、有毒ズッキーニはその一つだった。彼女はそれを誤って料理に使用して死んでいた。この有毒ズッキーニはとても苦く、本来常人なら食べられたものじゃなかったのだが、味覚のない彼女にとっては例外だったようだ。

 Ⅵ:痛覚皆無の六体目     tactile
 当然私はアンナの5度目の復活処置をした。今回の個体は最悪の機能欠損があった。今回のアンナは、触覚がなかったのだ。見えるし聞こえる、においや味も感じられる、肢体も自由に動かせるが、ものに触れる感覚がなかった。頬の真皮細胞からクローンをつくったが、どうやらサンプルの細胞が瀕死の細胞だったらしい。言い訳になるが、恐らく私は愛する人の5度に及ぶ死からくる精神的損傷で気が滅入っており、我を忘れて初歩的なミスをしてしまったのだと思われる。当然今回の個体も死んだ。彼女は自分が使っていたハサミが誤って自分の腹部に刺さっていることに気付かないまま、血を流して倒れて死んでいた。

 Ⅶ:怠惰な七体目     laziness
 私はまた保存液に漬けることになってしまったアンナの脳の前で、深い絶望に頭を抱えていた。『このまま彼女を復活させ続けても、私とアンナの昔の幸せな生活は、もう戻らないのではないか。』そんな考えすら脳裏によぎった。しかし、私はどうしても、悲愴と苦痛に悶えて死んでいったアンナの死に顔を、忘れることはできなかった。私は彼女の腹筋の筋細胞から、再び彼女の復活処置を始めた。そして誕生した今回のアンナは、一切の機能欠損がなかった。今回のアンナは視力検査・聴力検査ともにフルスコアをとり、夕飯の匂いも感じとれた。基本的な五味も、拍手をしたときの手の痛みも感じることができた。私はついにやり遂げたのだ。私は歓喜に悶えた。
「良かった......本当に良かった......!アンナ、君はついに完全な体を取り戻したのだよ!」
そう叫び散らす私に、彼女は寝起き直後のようなうつろな微笑みを向けて言った。
「ありがとう、あなた......。でも私、また何か死ぬようなことがあってはいけないから、しばらく家にいるわね。」
「あ、あぁ、そうだな。」
ぞんざいな返答をしながら、不思議なことに私は、完全な状態を取り戻した彼女の纏う雰囲気に、違和感を覚えていた。
 違和感は的中した。彼女は復活したその日から、一切の労働・運動を拒絶するようになった。買出しや掃除、料理などの家事を全くしないのはもちろんのこと、気晴らしの散歩にも行かない。復活した際にやたらと外出しようとしていた面影はそこにはなく、彼女は惰睡と食事のみを繰り返す人形と化した。見るに耐えかねた私は、ある日彼女に声を掛けた。
「アンナ......昔はもっと活動的に働いたり出かけたりしていたろ?......なんでこんなに家にこもりがちになったんだ?」
そう聞く私に、彼女は目も合わせず寝ながら答えた。
「何よ、あなたに見せてなかった性格を出しただけじゃない。......私がまた何かの間違いで死んだら、嫌でしょ?だから働かないようにしてるってのも、あるのよ。」
これを聞いて、私は憤っていた。私が理想的に感じていた彼女の姿が崩れ落ちていくことが、堪らなく許せなかった。その憤りを抑え、少しでも彼女が元の性格を取り戻せるように極力優しく声をかけた。
「......料理でもしないか?一緒に作れば、それもまた一つ思い出が増えるというものだ。」
彼女は首だけをこちらに向け、冷めた目で睨み、首をもとに戻して言った。
「残念だったね。私を雑用ロボットにしようとしてたのなら、無駄な努力だ。ご苦労さん。」
それを聞いた瞬間、私は反射的に包丁を握り、彼女を刺していた。
「ふざけるな。アンナはそんなこと言わない......お前は誰だ。」

 Ⅷ:強欲な八体目     greed
 ?だと思った。幾重もの挫折を乗り越え復活させた最愛の人が、自分が思い描いていた人とは全く違う人間だったなんて。実験室の床下に失敗作の個体を埋めながら、私は絶望と困惑で混沌した自分の頭を冷やしていた。私に刺されて絶命したアンナの偽物からアンナ本人の脳を抜き取り、私は再度脳の機能テストを全て行った。全ての検査結果に異常はなかった。脊髄・神経系統のつなげ方も再度確認した。異常はなかった。私は衝撃を受けた。何が起きているのか理解できなかった。そんな中で、自分が今できることを考えた。そのとき、今度こそ新たなアンナを正しく作るより他私にできることはないと気付いた。今回はアンナの手の筋細胞をもとにアンナを復活させた。すると再び機能欠損のないクローンが完成した。だがまだ安心はできない。今回完成した個体が「真のアンナ」であるかどうか分からないことが、前回の治験で証されているからだ。案の定、悪い予感は的中した。今回の個体は散財家だった。衣装や化粧、装飾品などから日用品に至るまで、全ての物を必要以上に買いすぎるのだ。挙句の果てには近隣の住居で盗みまで始めた。こんなものはアンナじゃない。個体の帰宅を見計らって処分した。

 Ⅸ:傲慢な九体目     arrogance
 今度は足の筋細胞から復活処置をしたが、この個体もアンナではなかった。元のアンナの恭しい様子とは全く異なって、とても高圧的な態度をしている。私を足蹴に扱い、一切働かない。その上近隣住民にも驕りきった態度をとる。前回の個体が集めた品々は、今回の個体が自己顕示のために全て近隣住民に配って回った。こんなものはアンナじゃない。実験器具まで配ろうとしたところで処分した。

 Ⅹ:色狂いの十体目     lust
 私はあくまでも科学者なので考えないようにしていたが、6体目以降の復活体は一種の憑依現象が起こっているのではないだろうか。少なくともそれらの個体は、私「真のアンナ」などではなかったのだから。しかしそれらスピリチュアル的仮説を帰無するためには、「真のアンナ」完成は不可欠である。今回の個体の復活処置には子宮筋細胞を用いた。最悪の個体ができた。個体が日夜家を出ていくので様子を窺うと、他の男と情事を重ねていた。あまつさえ我が家に男を連れ込み始めた。今回の個体を処分するついでに、失敗作にのこのこついてきた若いオス猿共も処分した。いくらアンナでない人間だったと仮定しても、最愛の人を穢した連中は気持ちの良いものではなかった。個体の処分を始めた6体目以降、遺体安置所にしていた床下もそろそろ容量が限界に近い。屋根裏部屋にも1~5体目の復活体の遺体があり、それ以外の場所も本体のアンナの研究用器官サンプルで埋まっており我が家の収納事情が危うい。さっさと求める個体ができてほしい。

 ?:嫉妬深い十一体目     jealousy
 視点を変えて筋細胞ではなく毛根細胞を使うことにした。毛根細胞の周りにあった、アンナの女性的で美しい頭髪は、保存液のおかげか美しさを保っていた。サンプル採取のために元の彼女の遺体を見るたびに、その美しさを希求する私の感情が高まる。そうしてできた今回の個体は一見成功に見えた。しかししばらくの後、その判断の過ちに気付かされた。今回の個体は異様なほどに嫉妬深かったのだ。時折私が街に出る際は私の腕にぴったりとくっついて歩き、少しでも他の女性を見かけると数時間の説教が始まる。私の会計の際にレジを行ったバイトの女性の家が翌日火事になった。問い詰めたら浮気したあなたが悪いとわめき始めた。このとき一度ちゃんと叱ったので流石にもう殺しはしないだろうと私が高を括っていると、ピザ屋の出前に来た女性をまた今回の個体が殺害した。私が気付いた頃には、出前に来た女性はキッチンナイフでミンチにされていた。これ以上人を殺されると私の研究はおろか、私生活すら差し障る。処分した。

 ?:大食いの十二体目     appetite
 胃の筋細胞から復活処理をされた今回の個体は私が処理することなく最速で死んだ。復活するなり冷蔵庫にある食料を全て平らげ、その直後にバンッというタイヤのパンク音のような音とともに絶命した。解剖してみると胃が爆発していた。恐らく食欲が暴発していた今回の個体は、自分の小さな胃の容量を考えずむやみに食い尽くしたのだろう。

 ⅩⅢ:憤怒する十三体目     rage
 今回は心臓の筋細胞から復活処置をした。それを行いながら私は、今までのアンナ復活の研究を振り返り一人熟考していた。ここ10年ほど長い間尽力してきたが、私がここまで努力するほど彼女に価値があるのか、と。これは否定したくて仕方なかった最悪の仮説だが、今まで復活させてきた個体は全て本当の彼女で、彼女は私が思うより、俗物で、愚かで、醜悪で、無価値な存在なのではないだろうか。そう考えた私は、今回の実験を1つの区切りにしようと考えた。今回復活させる12体目の復活体が望ましい個体でなければ、私はこのアンナ復活の研究を辞める、そう決心した。そして復活した今回の個体は、案の定ろくでもない個体だった。復活するなり私を睨み付け、いきなり私に殴りかかってきた。私は急ぎ個体に麻酔薬を打ち、個体を金具で固定した。私はため息を吐いて個体の目覚めを待った。ややあって目を覚ました個体に、私は問いかけた。
「......これが君との最後の会話になるだろうと思って処分を待った。処分は質問の後でもいいからな。......で、質問なんだが、何故あのような狂行に走った?これまでもそうだ、特に6体目以降の復活で、何故私を悲しませることばかりしたんだ?」
彼女は非論理的言動を叫んだ。
「返せ!......12体の、クローンの命を?私の、耳元に、聞こえる!......彼女らの、呪いが?......そもそも私は、復活なんてしたくなかった!......最初の死だってそうだ、あなたの望む妻を演じるのに嫌気がさして、自殺しようとしたんだ?......それでも、復活させてまで私を求めてくれるあなたに、少しは出会った頃の愛情が戻りかける時もあった......なのに?あなたはただ、自分の理想像を押し付けてくることしかしなかった!......何度死んでも復活させられるから、開き直って素の自分をさらけ出したら、今度は逆に殺された?......私は、あなたの、玩具じゃない......?」
私は深いため息をついた。個体の言う事が?でも本当でも、私にとっては不利益でしかない。血の涙を流しながらわめき続けるこの個体を早急に処分し、新たな研究テーマを設定せねば。そう思って処分用の道具を探していると、突如、爆音とともに個体を固定していた金具がはじけ飛んだ。有り得ない。金具は人間の膂力では壊れないはずだ。原因を考える暇なく、個体が外れた金具の一部をこちらに投げてきた。私は持てる限りの研究資料を持って自室に逃げた。自室の扉に鍵をかけた後に記録を確認すると、ホルモン剤の濃度を5倍に設定したことを思い出した。条件設定を変えれば改善すると考えていたが、どうやら仇となったようだ......。私は、今書いているこの記録が遺書になることを理解した。今回の個体の腕力なら、私の首をちぎるなど容易いだろう。結局、私はこの10年間何をしたかったのか、自分でも訳が分からなかった。そうこう書いているうちに、背後で扉を蹴破る音が聞こえた。ガスマスクなどは持っていないが、勿怪の幸い、手持ちの材料で致死性の毒ガスが作れる。どうせ死ぬのならば、個体の処理も終えて死のう。......不本意ながらも、この研究が再生医療における最悪の末路となるだろう。


日誌は、ここで途切れていた。全て読み終えた中年の刑事は、鑑識にこの日誌を渡してこう伝えた。
「おい、この家の床下と屋根裏、調べとけ。あと、この家自体をもーちょいよく調べろ。多分隠し扉的な入り口の、実験室が見つかると思う。」
鑑識員は信じていなさそうな馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべ、「善処します」と答えた。中年の刑事は全て伝え終わると、事件現場を後にした。
「あっ、どこ行くんすか先輩!」
若手の部下の刑事は、立ち去っていく先輩に声をかけた。中年の刑事は疲れを感じる笑みで振り返って、また前に向き直って歩き始めた。上着のポケットに入った、退職願を握りしめながら。


                 <終>


さわらび135へ戻る
さわらびへ戻る
戻る