あんぱん

山崎高木



 架空の物語っていうのは、本当のことを伝えるために嘘をつくことなのだ。  舞城王太郎『ビッチ・マグネット』
 
私は不幸にも知っている。時には嘘に依るほかは語られぬ真実もあることを。  芥川龍之介「侏儒の言葉」
 
 虚構は現実と同じくらい現実だ  ファニー・ゲーム


S1Ep1
プロローグ。
彼との出会いを語ろう。
オープニング。
そのとき僕は餓死しかけていた。
原色緑の山、原色水色の空を背景に、僕は道をゆっくりと匍匐前進していた。空腹で立てなかったからだ。それでも、この場所から逃れるという目的にとりつかれ、僕はじりじりと前進していった。
道の向こうに、ベンチが見えた。そこに座った人影も。空腹による幻覚だろうと僕だって思った。でも、希望というのは厄介だ。死ぬにしろ、ベンチまで行ってから死のうと僕は決めた。腕と内股で地面を擦って進む。僕の視界は霞んでくる。人影は煙の中にいるかのように朧に見えた。
ずるずる進むうち、顔も上げられなくなった。頭が重い。気づくと目の前に、ウエスタンブーツのつま先があった。革の醗酵したような匂いがする。どうした兄弟、というハスキーな男の声が、遥か上の方から聴こえた。見上げる前に、僕の意識の限界が来た。暗転。
アイキャッチ。
タカラトミーのCM。
CM明けアイキャッチ。
そしてなんとか意識を取り戻した僕は、ベンチに座らされている。
口の中できつい洋酒の味がする。顎に冷たい筋が垂れている。気付けだ、と酔いつぶれた格好で隣に座った男が言い、スキットルを振ってみせる。僕はその顔から目が離せなくなる。
男の顔は、丸いパンだった。
僕の視界に、丸パンを中心として七〇年代ドラッグヒッピー風のカラフルなハートマークやハイビスカスや丸三角四角が踊りはじめる。僕はふらふらと首を振り、それから丸パンに掴みかかる。自分でもそんな力が残っていたことに驚く。僕の渾身の力を、丸パンは薄笑いで躱す。僕は怒り狂ったうなり声をあげる。がるるるる。口の端から粘る唾液が糸を引いた。丸パンは煙草をくわえたまま苦笑する。
「腹減ってんのか。近くにダイナーがある、そこまで我慢しろ」
ほんとに?僕は人の心を取り戻す。

ダイナーは薄暗く、澱が溜まったように空気が重い。窓に打ち付けられた板の隙間から、斜陽が一筋だけ差こんで埃を光らせている。僕は肉、肉、肉を注文し、再び獣化してがっついた。向かいの席で丸パンは金色の酒を飲んでいる。皿が空になり、獣化が解けて僕は我に返る。
助けてもらった礼を言った。丸パンはどうでも良さそうに頷いた。その顔は見れば見るほど丸パンだった。鼻の辺りにそばかすみたいに罌粟の実が散っている。
僕は黙りこむ。さっきまでは気にならなかった、じっとりと身体に纏わり付くような感覚に気づいた。薄闇に沈んだ店内のテーブルから、淡く燐光を発する視線が僕らに集まっている。身体が強張る。
「気にするな。俺はここら一帯で評判が良くない」
丸パンは言って酒を呷る。客たちの目が一斉に細められる。カバや兎の目。丸パンじゃなくて僕を睨んでいるとしか思えない。僕は強いて気にしないよう努め、丸パンにまだ名乗ってもいなかったことを思い出す。
「あの、僕、ユウタといいます」
丸パンは興味なさそうに鼻を鳴らした。僕は、突っ込んで訊かれなくて内心ほっとする。
「俺は試作番号二〇六七一だ。」
丸パンは僕の困惑顔を見て薄く笑う。「周りはパン男と呼ぶ。」
これが、僕とパン男との出会いだった。
エンディング。

S1Ep3
前回までのあらすじ
ひょんなことから丸パンのパン男と旅する羽目になってしまった僕。道で全身疥癬まみれの謎の男に追われ、ピンチに陥ったところを何者かに救われる。果たしてその正体は。
オープニング。
タイトル。
腰が引け地面にへたり込んだ僕に、疥癬男が笑いで口元を歪めながらにじり寄る。もう駄目だと思い僕は目をつむる。男の腐敗したなま温かい息が顔にかかった。
「そこまでよ」
女の声がした。僕は身体を縮めたまま薄目を開ける。すらりとした女の脚が目の前にあった。爽やかな甘いきゅうりの香りの風が吹いた。疥癬男は突然の介入者に身を引いている。
ぱん、と破裂音を口で鳴らして、女は引き金を引いた。霧吹きから霧が噴射され、疥癬男の顔にかかる。疥癬男は顔を拭い、その手を見て「うわあ」ともの凄く嫌そうに眉間をしかめ、きびすを返して帰っていった。僕は茫然として、女の脚の間越しに後ろ姿を見送った。
さて、と言って女が僕に振り向く。成人向け漫画みたいなスタイルをしていたが、僕の目が釘付けになったのはその顔だ。
女の頭部は美しい、メロンパンだった。菱形の網目はイスラムのアラベスクのように精緻で、焦げ一つ無いクリーム色をしている。憂いを帯びた目で僕を見つめ、霧吹きを構えた。照準はブレ無く僕の眉間に当てられている。僕は硬直する。眉間がレーザーポインターで焼かれているみたいに痺れた。
「あなたも馬鹿ね、相変わらず」
何を指して言っているのか分からず僕は困惑する。お前少しは成長したな、と僕の背後でパン男が答えた。僕が襲われている間トイレに行っていて、今戻ったらしい。メロンパンは銃口を僕に突きつけたまま、パン男と会話する。
「もうあなたの知ってる小娘はいないわ。私もあれから、成長せざるを得なかったの」
「強情なところは一つも変わらない」
「馬鹿にしないで。」かちりと軽く銃を握る手に力を籠める。「パンが人間らしきものを連れていたと通報があった。組織に知れればあなたもただでは済まない」
「どうする。俺を殺すか」
メロンパンは静かに溜息を吐く。「挑発には乗らない。あなたを殺したい訳でもないわ。」
取引しましょう、と彼女は言う。「こいつを引き渡して、あなたは手を引いて。そうすれば全て上手くいく」メロンパンはようやく僕に目を向けて、微笑んだ。
「人間以外は」
アイキャッチ。
知育菓子のCM。
CM明けアイキャッチ。
「断る」
パン男は煙草の煙を吐いた。メロンパンの微笑みに陰りが差す。
「何となく分かってた、あなたならそう言うって。馬鹿としか言いようがないわね。相手は人間なのよ。動物を資源とみなし、知力を得て反乱を起こそうとした彼らを処刑しきれず国外へ追放し、代わりの食糧源として私たちネオパンを創り出した。助ける理由は何?」
「さあな」
「本当あなたって」
馬鹿、と言いながらメロンパンは引き金を引いた。
ぱん。僕の顔面に飛沫が降りかかる。アルコールの刺激臭が鼻をつく。目の表面に針が刺さるような痛みが走った。パン男の哄笑が聴こえる。
「人間にアルコール消毒液は効かない。お前もまだ青いな」
「そんな」
メロンパンの焦りを滲ませた声の後、冷たい液体が僕の顔にぶちまけられた。目が染みて見えないので、消毒液のノズルを外して中身を直接かけたのだろうと推測するしかない。僕は悶絶する。
「...そんな」
メロンパンの茫然とした囁き声が、ぽつりと落ちた。
エンディング。

S1Ep5
前回までのあらすじ
僕は謎のメロンパンに命を狙われつつもなぜか生き残る。「組織」の伝達ミスで僕とパン男に加え、メロンパンも賞金首として追われる身となってしまう。果たして「組織」とは。そして、メロンパンが人間を憎む理由とは。
オープニング。
小川の水を掬って顔を洗う。目から流れ落ちていた涙も大分落ち着いた。服の袖を引っ張って顔を拭う。
「失明は、してないようね」
振り返れば、少し離れたところにメロンパンが立っている。僕が失明していないことを喜んでいるのか、落胆しているのか。声色からは判断できない。脚が長いな、と僕は思いながら頷く。
「パン男は」
僕は訊く。メロンパンは水面を見下ろしながらゆっくりこっちへ歩いて来る。
「煙草を買いに行ったわ。」
僕はさすがに警戒体勢に入る。メロンパンは感情を見せず微笑む。
「怯えなくても殺しはしない。当分のところはね」
当分に僕はとてつもなく引っ掛かる。メロンパンの口元から笑みが剥落する。
「この川、懐かしい。昔姉とよく遊んだの」
「お姉さんがいるんですね」
「いるんじゃなくて、いたの」
そう言うメロンパンの目は小川のさざ波を映して静かだった。僕は言葉を失う。
「人間が、あr

♪ニュース速報 ニュース速報
 午前8時38分頃 北西4‐17よりRa6が発射された模様  以下の地域にお住まいの人民は避難して下さい
 1・1 2・37 2・38 2・39 4・11 4・13 5・7 7・25
♪繰り返します
 午前8時38分頃 北西4‐17よりRa6が発射された模様  以下の地域にお住まいの人民は避難して下さい
 1・1 2・37 2・38 2・39 4・11 4・13 5・7 7・25
ノイズ。
場面転換。ニューススタジオ。
原稿を凄まじいスピードでめくる男性アナウンサー。
「あ、はい、番組の途中ですがここからは先ほどの警報についてお伝えしていきます。まず当該地域の方、一刻も早くお近くのシェルターに避難して下さい。畑の様子が気になる方も、まずは、自分の命を守ることを考えて...

S1Ep6
「パン男」第六話は放送倫理規定に反する内容を含むと判断されたため、放送を見送らせていただきます。JNHはこの事態を深く受け止め、今後の放送内容の見直しを徹底してまいります。信頼を裏切る結果となってしまったことを、視聴者の皆様に深くお詫び申し上げます。

S1Ep7
前回までのあらすじ
パンヲくんが おかしを買いに行っている間に メロンパンちゃんは ぼくに メロンパンちゃんの お姉ちゃんの お話を してくれた。
メロンパンちゃんの お姉ちゃんは 今も元気で 故郷で お花屋さんを しているんだって!
笑顔と花とシャボン玉に溢れたオープニング。
「楽しかったね」
ぼくは健全に水遊びをしたあとでメロンパンちゃんに話しかけた。メロンパンちゃんはパンだから、川に入れなくて見てただけだけど。そうだね、とメロンパンちゃんもにっこりした。
「お姉ちゃんがここにいれば、もっと楽しかったんだけどなあ」
メロンパンちゃんはそう言って川を見つめた。
「メロンパンちゃんのお姉ちゃん、遠くにいるの?」
「うん。遠くにいる」
メロンパンちゃんの目が何だか空っぽに見えて、ぼくはちょっと寒くなった。
「遠く。すごく遠く。もう帰って来れないくらい遠く」
メロンパンちゃんは体育座りのまま、身体をゆっくり前後にゆらしはじめた。口はぶつぶつ動きつづけて、遠く遠くと唱えている。ぼくは怖くなって立ち上がり、後ずさりしはじめる。後ろで、がさっと茂みが鳴った。ぼくは飛び上がる。木の陰から姿をあらわしたのは、
アイキャッチ。
文化清浄化学会のCM。
CM明けアイキャッチ。
パンヲくんだった。
「ぱ、パンヲくんかあ。びっくりさせないでよ」
ぼくは、怖がっていたのが恥ずかしくなって大声で言った。パンヲくんは口からもくもく煙をはいた。
「あ、パンヲくん、メロンパンちゃんの様子が変なんだ」
「お前もだろう」
え、と僕は言う。急に夢から醒めたみたいに目眩がした。
「僕、何か変でしたか」
茫然と言った僕には構わず、パン男は小川のほとりで揺れているメロンパンの肩を掴み乱暴にゆすった。メロンパンはパン男を見上げる。見開いたままの目に、水滴が盛り上がった。
「私の姉は死んだの。人間が姉の頭部にバターを注入する実験をしてね。...失敗して、頭部が破裂して、全身包帯で巻いて一命を取り留めたけど、その後自殺したわ。川で、ふやけて溶けた姉を見つけたのは私だった。」
「もういい、分かってる。」
パン男が言うと、メロンパンはうなだれた。
「人間は食料として私たちを作った。それ以外の存在意義なんてきっとない。食べられることの他に私たちの一生の意味はない」
「意味なんてそもそも無えんだよ。くよくよ悩むほどの大した一生じゃない」パン男は言う。僕の脳裏に第一話冒頭のシーンがカットインする。パン男は僕に培養肉ステーキをおごってくれたけど、自分の身を裂いてまで飢えを癒してくれようとはしなかった。
「パン一個五百円とかいうアホみたいなパン屋のショーケースに並ぼうが、スーパーの割引ワゴンに取り残されようが、どっちにしろ大した違いはない。ただ小麦と添加物を練って焼いただけの物体だ。お前に至っては」僕の方へ眼を向ける。「ただのたんぱく質だ」


           ※

「ここまで書いてたんですよね」
 スーツを着、眼鏡を掛けた男は書斎の椅子に身体を深く沈め、マホガニー材の机上の紙束をぺらぺらめくりながら言う。
「いつ」
 金髪ダイナマイトボディの東欧風美女がキャビネットに並んだあらゆる形状のグラスを物色しつつ抑揚に欠けた声で訊く。
「さあ。一、二年前でしょう、文頭一字下げもしていないから」
「でも止めた」
「止めたんでしょうね、途中で切れてるんだから」
 しばらく男は目を通すでもなく紙をめくり続け、女は野薔薇の実と山鳩が彫られ脚に硝子の蔦が絡んだグラスを選んで手に取った。
「結末は決まってるの」
「一応」
「どうなるの」
「それ言ったら本末転倒ですよ」
「どうせこれ以上書かないんでしょ」
 床に置いた氷入りのバケツからドデカミンを取り出すと、流氷が触れ合う涼やかな音がカコンと鳴った。水が滴るそれのキャップをひねって開け、グラスに注ぐ。薄黄色の泡が縁を伝って鳥の羽をなぞって落ちた。男はそれをぼんやり目で追いながら口を開く。
「『この』世界は大戦の最中にあって情報統制が厳しく、それはあらゆるテレビ番組にも及んでいる。パン男は子供向けアニメの皮を被ってなんとか社会風刺やら政治批判やらをしようとする。それが牧歌的アニメの皮を突き破ってだんだん露呈し始める。綱渡りだ。制作陣は一歩踏み外せば連行される。
 エピソード六から番組がブラックリストに乗り、監督が差し替えられ、露骨に検閲が入る。しかしエピソード七の後半で制作陣はクーデターを起こし、コマーシャルを挟んで内容を差し替える。最終的には全員パンのお面を被ってテレビ局を占拠して、電波をジャックし生でメッセージを垂れ流す」
 女は一口金色の液体を啜る。無表情。「へえ」
「つまらないでしょう。自分でも思う」
「続けて」
 男は眼鏡を外して眉間を揉んだ。
「...それで、青いアフロのかつらと髭を付けコック帽を被った男――監督がカメラに向かって滔々と喋る。表現の自由的なことを。で、その途中で男は額を撃ち抜かれて後ろに倒れて映像が差し替えられ明るいエンディングテーマが流れて、終わり」
「終わり」
「終わり」男は薄く笑った。
「そこまで決まってるんなら書いちゃえばいいのに」
「期間を空けすぎるとやる気が消滅してしまうんですよ。もう消滅しました」
「じゃ諦めて別のもの書けば」
「前回そもそも何も思いつかないところを無理やりひねり出して書いたので、もう何も出ません。だからこれまで書いたものの中から何とか提出できそうなのを探していたんですが」
「なら書き直せば」
 男は想定外のことを言われたように少し黙った。
「...書き直したらなんとかなると思いますか」
「スクラップ・アンド・ビルドでしょ。何かを作るには、その為の空間や材料を手に入れるには、今あるなにかを破壊しなければならない」
 低い地響きがした。男は窓の外に目を上げる。薄っぺらい舞台装置のようなビルが爆発してゆっくりと倒壊しつつあり、背景の垂れ幕のような青空が引き攣れて裂けていく。男は苦笑すると骨張った指で原稿を一枚ずつ破き始める。
「書き直したとして、今の「これ」はどこにも提出できないような気がしますが」
「何で」女はグラスにもう一杯ドデカミンを注いで飲み干す。
「理由はいくつかありますが、第一にこれは物語とは呼べない。ノンフィクションではましてない。中途半端すぎる。どうせじきにスクラップに帰しますが」
 窓の外では大地が焼けたパンのようにゆっくり割れて膨らんでいく。半壊のテレビ塔から割れた放送音声が流れ続け、表現の自由的なことをがなり続けている。「これは一体何と呼べばいい」
「これは」
 女は唇の周りに付いたドデカミンの泡を、猫のような舌で舐めた。
「ただの長いあとがき」




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