牛喰の呪い

灰汁太川 猫也


 年号が大正に代わるより一年程前の、ある田舎でのこと。東京などの都や横浜、神戸などの港町では、文明開化の流れで夜でも明るいところがこの頃よりあったが、田舎では今も昔も夜は暗いままである。そんな田舎の山のふもとに、老夫婦が暮らしていた。だが婆様は寝たきりで、終いには飯すら食わぬ程になってしまった。爺様は不安で仕方がなかった。二人が住むのは明かりも灯らぬ片田舎。婆様が夜に容体を崩せば、いくら長年そこに住んで得た土地勘のある爺様でも医者のいる二町も隣の町まで婆様を運ぶ自信はなかった。もっとも、いつ婆様を医者に運ぼうが婆様は治らなかったが。
 そして爺様にできることは、神に祈ることのみになった。爺様は畑仕事の合間の度に、山頂の祠に祈りに行った。しかしこの爺様には学がなく己が祈った神の名も知らぬような者だった。それでも爺様は祈った。そんな日々に疲れ、ある日爺様は祈る最中に祠の前で眠ってしまった。
 そして、爺様は夢を見た。何もない、白く、果てしなく広がる空間に、対照的な色をした黒い牛がいる夢だった。牛は、急に喋り始めた。
『我はお主が祈っている土地の神だ。お主は妻を救わんとしているな。我も力を貸そう。お主が目を覚ました時、お主の横に我が化身を置こう。それを捌いて得た牛肉を妻に一匙だけ食わせろ。残った牛肉は無償で人に施せ。』全て言い終えるなり、牛は消えていった。
 爺様が目を覚ますと、その背に獣特有の臭いと生暖かさ、そして肺腑の収縮するような動きが感じられた。振り返るとその横には眠る1頭の黒い牛の姿があった。夢の中に浮かんでいた黒い牛と全く同じ牛が、己を囲うようにしてただ静かに眠っている。そして自分が先程まで祈っていた祠には、己が目を覚ます前まではなかった刃渡りの長めな包丁が置いてあった。馬鹿に厚い信仰心から、爺様はこの異質な状況に一切の疑問を抱かなかった。が、爺様は少し躊躇った。この牛の命無くして婆様は助からぬ、それは明らかにわかっていたが、これから死ぬとも知らず安らかに眠る牛の首を落とす程の度胸が、この爺には無かったのである。すると程無くして、しびれを切らしたように爺の目前にあった包丁が震え始めた。信仰心の裏返しからくる恐怖を人一倍持つこの爺は、神の祟りを恐れ包丁を握った。すると包丁は妖刀村正が如く急に舞い上がり、爺は挙手するような格好になった。そしてその後すぐ、包丁は鉛のごとく重くなり爺の腕諸共真下に振り落ちた。爺は腕の千切れる程の勢いに肩を押さえて耐えるのがやっとで、爺は牛の首を刃が削ぎ落とすことまでは防げなかった。「あぁ...やってしもうた...。」情けない声が爺の口から洩れる。しかし、不可思議なことはこれらに留まらなかった。切り落とした牛の首からは、血の一滴も、唾の一滴も流れなかった。牛の眼は、まるで一度たりとも開いたことがなかったかのように固く閉ざされ、涙の一滴すらこぼれなかった。
 その後の牛の解体に大した時間はかからなかった。牛の肉は血抜きを一切していないというのにどこを切っても血は出ず、爺は彼の村に住む村人全員に配れる程の牛1頭分の肉塊を抱えて下山した。牛の骨は、祠の真下に埋められ墓が作られた。
 下山するなり爺は牛鍋を作り始めた。文明開化により牛鍋は日本全土に広まっていたが、何分爺の住む村は田舎だったため定着した料理ではなかったため爺はうろ覚えの知識から牛鍋を作る羽目になった。乱切りした葱と肉、芋と玉葱を入れ、味醂に砂糖、醤油を入れ煮詰める。程なくして鍋は完成した。爺はまず婆に肉を一匙だけ与えた。するとどうだろう、口もきけぬまま蹲っていた婆は、瞬く間に起き上がり元の気力を取り戻したのである。「...私...何で...?」あまりの容体の急変さに、婆も理解が追い付かない。爺はただ狂喜乱舞して、何ぞの神に感謝した。
 婆はすぐに口が利けるようになり、田植え作業すらできる程に回復した。余った牛鍋は、(爺の馬鹿に厚い信仰心を鑑みれば読者一同には明白だと思うが)当然村の住人に配られた。牛一頭分の肉量は多く、村人全員が食べ終える迄鍋は空にならなかった。
 振舞われた牛鍋に対する人々の反応は三者三様であった。「旨い牛鍋を配って回るなど、爺は良い人なのだなぁ」と単純に感謝する者もいれば、「なんだあの傲慢な爺は、婆の病気が治ったから自分が幸せになったことを誇示したいのか、それとも己の経済力の自慢でもしたいのか、いずれにせよ偉そうな奴だ」と僻む者もいた。「仏の教えを破り殺生するなどなんと愚かな」と古風なことを嘯く爺もいた。そしてこのような童話の場合、爺が幸せに暮らすだけでは話が終わらぬのが常である。そしてこの話も無論例外ではない。
 村人の中に、食に人生を捧げた村一番の美食家がいた。彼は爺から牛鍋を受け取ると、まず初めには訝しんだ。「ムムゥ、あの貧乏人の寄越した鍋ぢゃ。しかし食べぬまま捨てるも口惜しきこと、不味い物食らうも又食極むる為ぢゃ。」と思い変な矜持が邪魔をして結局食った。するとどうだろう、甘美な動物性蛋白質の旨みが口に広がり、美食家は慄いた。「これは何たること。この儂、この村で美味を求め続け幾十年、これ程の甘美は未だ知らず。儂はこの味を満足する迄味わわねば、もはや何も出来ぬ程に毒されてしもうた。」などと嘯くなり、美食家は貰った牛鍋をかきこみ、爺から牛の在処を問い質した。
 牛が手に入った子細を爺から聞いた美食家は、すぐさま山に向かい爺のように祠の前で祈りながら居眠りを始めた。すると、美食家も爺から聞いた通りの夢を見始めた。しかし、牛の発言は聞いた話と異なっていた。
『お主は既に我が化身を食しているはずだ。我が化身の肉は俗人が食すには余りに高貴過ぎる。もし万一再び之を食せばお主はこの上なく苦しみながら死ぬことになるだろう。それでもよいのか』と、牛が質問してきたのである。しかし、美食家の回答も明快だった。
「そんなことなら私はやはり喜び勇んで食そう。時に人は、己の生まれた意味を問くうちに命を投げ打ってもその身を「何か」に投じたいと思うことがある。儂にとってその「何か」が偶然食だっただけだ。儂は食で死ぬるなら本望である。」狂信的だ。神も見放すとはこのことだろうか、夢の中にいる牛は『...ならばよいだろう。』と、ため息をついてその場を去った。
 その後間もなく美食家が目を覚ますと、爺の時同様牛と包丁があった。美食家は自分から包丁を掴み、その刃を牛の首目掛けて振り下ろした。牛は鳴かなかったが、爺の時と違い鮮血が大量に飛散した。美食家はそんなこと構いもせずに解体を続ける。朝方に山に向かった彼は、夕方には血塗れになって肉塊になって帰ってきた。
 その後一週間、美食家の腐った遺体が彼の自宅で見つかるまで彼の姿を見たものはいなかった。彼は帰宅後すぐに肉料理を作り始めたらしく、彼の遺体の傍には彼の唾が混ざって彼とともに腐った料理だったものがあった。彼は恍惚とした笑みを浮かべたまま、喉に箸を刺して死んでいた。
 異国から狂牛病なる病が伝来したのは、彼らのいた村が過疎化で滅んだ後のことだったそうだ。


                   〈終〉


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