ゆらいでいるのか?

白内十色



【一 死んでしまったのか?】
 俺は広い田畑の真ん中でいわゆる白くて細い体をした「くねくね」って奴が人の身長よりもずっと高くまで、天から降りてきた一本の雲の糸、あるいは細すぎる軌道エレベーターのように、青空の果てまでずっとくねくねしているのを見る。ほつれた糸や宇宙紐を想起するその超くねくねは意味のない、しかし意味のあるのだろう動きを繰り返していて、それがちょっと予想より大きかったので俺はさすがにやばいか、と思う。「やばい」と実際に声が出る。年貢の納め時かもしれないと思う。そして俺はナイフで刺される。くねくねからではない。随行している女の子が俺を刺したのだ。鋭利なナイフが俺の肝臓に到達して、赤い血がとろとろ流れ出ていくのを他人事みたいに眺めながら俺はゆっくりゆっくりと意識を失っていく。
 俺は怪異ハンターという妖怪やら伝説の生き物やらを退治する胡乱な職業によっておまんまにありついている妙な人間で、背中のバックパックに背負った十字架やらお札やらは職質で見つかると一旦面倒なことになる一般的な辞書には載っていない存在だ。けれど隠して持っている拳銃は国家がこの職業をひっそりと公認して俺たちに科学では解明しきれていない異常の超常的解決を任せている証だし、水戸黄門の印籠的に怪異ハンター手帳というものも持っていたりする。
 くねくねというものは原理は解明されていないが一般的には人間大の怪異で、白い服を着た人の形をして名前通りくねくねと妙な動きをする。その不可思議なくねくねムービングには何か意味があるらしく、その意味を理解したものは発狂すると言い伝えられている。別に踊っている白い本体が何かしているというわけではないのだろうが、世の中には知ってはいけないこと、知るとたちどころに正気を失う禁忌の知識というものが有るのだろう。俺も何回か潰したことのあるちゃちな怪異で、聖水が有効だし破魔矢が有効だし、霊的に意味があるとされるものは大体効果がある。最悪どこのご家庭にもある釘バット(金属バットでも可)でぶん殴っても自分の才能次第で退治できることがある。悪い奴はとにかく悪いので、下手に共感したり意味を理解したりせずにひたすら攻撃することだ、というこれは悲しい法則だ。この法則が一見正しいせいで、人と人とは永久に分かり合えない。もちろん、どのような法則にも例外がある。
 肝臓を刺されて瀕死の俺がゲームをクリアした後のエンドロールみたいにこれまで倒してきた怪異の姿が入れ代わり立ち代わりやってくる走馬灯を見ていると、唐突に俺は夢から覚める。失恋した後の心みたいに静かに、しかし確実に腹が痛い。しかし血が出ている痛さではなく、肝臓を刺されて治療された跡として妥当なくらいの疼痛で、痛み止めが切れてきたのだろうと俺は理解した。つまり、誰かが俺を治療したってわけだ。目を開くと薄汚れたベッドと仕切りカーテンがある部屋に俺は居る。枕もとの椅子には俺を刺した女の子、四季埼(しきざき)色紙(しきし)が座っている。なんてことだ、手でもてあそんでいるナイフには俺の血がまだついているじゃないか。俺が見繕った萩色のワンピースには返り血が点々とついていて、赤と赤のそういう水玉模様みたいになっている。長い髪にも。色紙は彼女がいつもそうであるように無表情で、目を開いた俺を確認すると「アフロさん!」と部屋の奥へ呼びやった。アフロさん?
 奥の方、カーテンで仕切られて見えないところから「はーい」と男の返事は返ってきたが、しばらく待っても人は来ない。色紙は血の付いたナイフをお人形でも触っているみたいに大切な手つきで転がしている。すでにほとんど乾いていてかぴかぴだ。大切な物なら血を洗えばいいじゃないか、と思ったが、きっと血がついていることによってより大切な物に進化しているのだろうと思う。俺の血だから大切だと彼女が思っているのではないかと推測してみる。根拠はない。強いて言うなら彼女といる時間は今生きている人間の中で一番長いつもりだ。
 色紙はこちらをちらちらと見る。彼女は殺人淫楽症だ。人を殺すのが好き、傷つけるのが好き、血を見るのが好き、死に繋がるもの一切が彼女の好みの対象なのだ。それは強迫的とすら言える嗜好の偏りで、いつもは俺の管理下でその衝動を抑えていたが、今日は隙を見せてしまったというわけだ。
「おい色紙、何か言うことは?」
 と声をかけるが、根暗で聞こえないフリをして手元に目をやるばかりだ。本来彼女は会話が好きで活発な性格だが、時々自分はとても暗い人間でございと言いたげに、黙ったまま部屋の隅で座り込んだり、一切の会話を拒絶したりする時がある。
「ギギアル、ギギギアルの状態でいる時がメジャーになった時、一匹だけのギアルに特別な名前が付けられた。それが、モノギアル」
「それは、よく分からない」
 アイフォーン搭載の人工知能Siriの名言、「すみません、よく分かりません」を彷彿とさせる返事が返ってきたので俺は満足する。コミュニケーションが成立したからだ。きっと俺を刺したことを何かしら彼女なりに反省しているのだろう。でもその反省は言葉にできない。子供というものは感情を言葉にすることが苦手なのだ。だから彼女は黙っている。俺はその沈黙から勝手に会話を抽出して、想いのエッセンスだけを受け取ることにする。彼女の目をじっと見つめ続けると気まずそうに眼をそらすしぐさからもそれは明らかだ。彼女は人殺しだが、それはコミュニケーションができないということではない。血の付いたナイフを持ちながら、普通の女の子のようにふるまうときもある。
 部屋の奥から黒いスーツを着た男が料理をトレーに乗せて歩いてくる。細長い手足に、ああ、感嘆符の尽きないそれはアフロヘアだ。色紙が「アフロさん」ともう一度呼ぶ。「目が覚めたよ」。マッチ棒みたいな真っ赤なアフロヘアのその男は近くのテーブルに料理を置く。彼は丸眼鏡をかけていて、そのレンズ越しにこちらを見る。こちらに近づいてくるので、色紙が座っている椅子をちょっと動かしてスペースを作る。
 彼はおそらく男だろう。しかし特徴のない顔立ちを赤い髪型で無理やりキャラ立てしているような印象を受けた。のっぺりとした顔、そしてやけに細長い手足の持ち主だ。抑揚のない声で話し始めた。
「ああ、こんにちは堂島直樹さん。お目覚めのようで何より。失礼だけど荷物を調べたよ。怪異ハンターとは、まあ、そういう職業もあるのかもしれない。この髪の長い子は四季埼色紙ちゃんで良い? あなたの名前素性ともども、一旦その認識で話を勧めるけどね。この村はあなたを歓迎するってほどじゃあないけれど追い出しはしないので私が治療を受け持った。痛いところはある? 痛くても痛くなくてもこの鎮痛剤と抗生物質は飲んだほうが良い。料理も食べること。刺したのはこの子? こっちに危害を加える気はないようだけど刃物を取り上げようとすると抵抗する。ちゃんとしつけしといたほうが良いよ? 無責任な台詞だけど。しばらくこの部屋に住んでいいから。困ったことがあれば居る時に呼んでくれれば。私はこの村で何でも屋という立ち位置でね」
 長い会話を淡々と言い切ったアフロは返事を聞かずにじゃあね、と言って去っていく。料理は肉団子のようなものが入った汁が二皿、俺と色紙の分だ。体がダルくて動かし辛いが何とか起き上がり、色紙にテーブルをベッドの横に寄せるように頼む。ナイフを血の付いたまま机に置いた色紙が木の匙を掴む。彼女が持っているのは小ぶりのキッチンナイフで、でもよく切れる上等な奴だ。普段は皮を巻いて鞄に入れているが、今はそれを眺めていたい時期らしい。
「なんだ、俺を刺したのはもういいよ。刺したかったんだろ? 他の人じゃないだけいいじゃないか。生きていることだし」
 と俺が言うと、色紙が鉄仮面みたいな無表情から生気のある無表情に姿を変えて、「うん」と言う。一つの収まり方の形、というわけだ。痛みを許すこと。料理が美味いことは生きていることの証だ。手を伸ばして頭を撫でてやると少し目をつむって気持ちよさそうにする。さらさらの髪だ。血のついていない部分は。きちんと洗ってトリートメントをするように教育しているからだ。彼女に通用した唯一の指導かもしれない。ひとしきり撫でた後彼女に聞いてみた。
「ここに運んだのはお前か?」
「違う。死ぬまで、じっと見ていようと思った。でも、村のおじさんに見つかって、運ばれちゃった。生きてて、良かったと思う」
 生きてて良かった、の部分で恥ずかし気に目をそらした。何でもないような口ぶりを彼女としては装っているのだろう。きっと、隙を見つけて言いたかったのだ。俺は続けて聞く。
「あのくねくね、なんだと思う?」
 色紙はうつむいてしまう。髪が顔を隠して、その間からぽつりぽつりと声が聞こえてくる。
「わかんない。でも、怖かった。死ぬかも、と思った。死ぬ前に人を殺したくなっちゃった」
「刺すの、やっぱり気持ちよかった?」
「えへへ、うん」
「そっか、でも次は、猫とかにしような」
「えー、猫、楽しくない。直樹刺すのが一番楽しい」
 死のことを話すとやっぱり色紙は楽しそうにする。声が弾んで、口元もちょっぴり笑っているみたいになる。俺は彼女の頭をもう一度わしゃわしゃして、全部をうやむやにしようと思う。彼女の人を殺したくなっちゃうところはもう一種の個性になってしまっていて、それは急にはどうしようもないことなのだ。今は腹の中も壊れているし、目の前には飯がある。
「食べようか」
「うん」
 食べ終わったころにアフロがやってきて俺たちの前に林檎を置く。血を出した後は林檎だよね、林檎は赤いから、と妙なことを言う。色紙が血の付いたままのナイフで林檎を剥くから俺はゲーとなるが、こういうことに関しての彼女の手際は右に出るものがない。

   ///

【二 愛しているのか?】
「愛って何でしょうね」
 俺が色紙と村に唯一ある喫茶店でコーヒーを飲んでいると近くのテーブルの高校生から話しかけられる。俺は昨日腹を刺されたばかりでまだ糸も抜けていなくて、妖怪と戦うなんてとてもじゃないとアフロに言われているので、アフロの家でうだうだ時間をつぶしているというわけだ。幸い金ならある。怪異ハンターは儲かるのだ。国からの補助金も出るし、妖怪の出やすい歴史ある家は、えてして金も持っている。
「愛って何でしょうね、旅の人」
 高校生がすすすと椅子を近づけてきてもう一度言う。そんなこっぱずかしい言葉何度も言うなよ、と俺は思う。子供舌で猫舌な色紙が砂糖たっぷりのコーヒーを吹くのをやめてその男の子の方を見る。服は血の付いたワンピースから着替えてシャツとジーンズだ。今日の色紙は元気な日だ。その証拠に彼女から話し始めた。
「その制服、見たことあるー。来る途中にいたよね、車から見た。こーこーせーさん?」
 短髪で運動はしていなさそうな肌の白さのその子供は唇の端を僅かに動かして色紙を見た。
「そうだよ。この辺の高校は一つしかないけどね。君は何年生?」
 色紙は俺の方を見て首をかしげた。
「私、なんだっけ?」
「年齢だけなら、中学二年。学校には通ってないけど」
 高校生が「ええ......義務教育......」と言うが世の中には色々あるんだよ。変なことが。俺は年上のあたかも色々知ってる人間みたいな顔をしてこのガキに接することにする。きっとそういった意味ありげな助言みたいなのを求めて変な会話を仕掛けているのだ。ちょっと背筋を正してかしこまった顔をしてみた。
「君って、この村の子?」
「はい」
「高校はどうしたの? 今日は平日だぜ」
 高校生はあからさまに困ったような顔をする。いや、返事を何といえばいいか、頭の中でまとめているような顔だろうか。でもそんな彼の逡巡はしばらくすると収まる。意を決したようなしゃきっとした佇まいになる。
「学校は、早退してきました」
 へー。それだけワケありってわけだ。でもそのワケは俺が一瞬身構えたよりは大したことがないことがすぐに判明する。
「僕、失恋したんです」
 高校生が俯き気味に言う。ガキか。いや、ガキだった。色紙が「でた! 殺す?」と物騒なことを横で言うので頭を撫でる。本を読むしドラマも見る色紙だが恋愛の果てに人が死んだりする話を結局好みがちだ。病死する君の膵臓パターンもイケるらしい。君の膵臓は病死じゃないか。なんか、あるじゃんそういう話の群れ。
 高校生が何かデカい虫でも飛んだかのように一瞬色紙の方を見るが年長の俺に向き直る。「聞いてくれますか?」だと。何の因果で高校生のうじうじ恋愛話を聞かなければならないんだと思ったが面白そうなので聞いてやることにする。
「好きな子がいたんです。吹奏楽部で、眼が綺麗な子。クラスだと僕の右斜め前にいるんです。僕は一番後ろの席なんですけど」
「それで、どう振られたのさ。慰めてやるから」
「違うんです。振られたとかじゃなくて。あの、もっと単純なんです。僕が授業中その子の方見てるじゃないですか。そしたらその子も別の男の方ちらちら見てるんですよ。それでなんかいたたまれなくなっちゃって」
 なるほど。よくある悲劇中のよくある悲劇だ。雷落ちた後のキノコみたいにポコポコ出てくる悲劇の一個だ。要は目の前の高校生→女の子→別の男っていう一方通行の矢印リレーだろう。
「なんというか、僕その子のこと好きだったと思うんですよ。よく話もするし、可愛いし。でも、なんかその子が僕のこと見てないって思ったとたんに冷めちゃって。急に、すってなって」
「ほん」
「それで、なんか学校早退してきちゃって、家に帰るわけにもいかないのでここにコーヒー飲みに来たんです。知ってる店ここしかなくて」
「え、それだけ?」
「それだけです、ごめんなさい」
「いや、ごめんじゃないけど」
 なんか薄っすい恋愛話だな、と思う。最近の高校生ってこうなのか? いや、最近とかじゃなくてずっとこうなんだろう。これがリアルってやつだ。ちょっと行動力はあるっぽいがその行動力も学校を飛び出したところで使い切ったらしい。新しい店を開拓しようってところには頭が働かなかったようだ。
 色紙がようやくコーヒーを一口飲んで、うーんと伸びをする。ネコかウサギの小動物を連想させる仕草だ。
「つまんなーい」
「ごめんなさい」
 高校生が無駄に謝っているのでデコピンでもしてやろうかと本気で悩む。とりあえず会話を広げるべきだろう。ウエストミンスター寺院の隣にあるバストミンスター寺院、ヒップミンスター寺院の話はこの場に適切だろうか? と考えているとまたうじうじ男が話し始める。
「それで僕、愛って何なのか、好きって何なのか、分かんなくなっちゃって」
「あー、あるある」
 あるあると言ったのは色紙の方だ。頭の中にこれまで読んだ物語が教科書として詰まっていて、きっとその中に該当する記述を見つけたのだと思う。頻出問題というわけだ。何か琴線に触れるところがあったのかもしれない。急に饒舌になった色紙と高校生が言い争い始める。
「あるあるじゃないですよ、人間がきちんと悩んでるんですよ。僕それまで好きってやつをしっかり手に持ってるつもりだったんですよ。それが無くなっちゃうなんて、変でしょう?」
「でも人間の考えることってすぐ変わるみたいだよ? 変わったんじゃない?」
「変わっちゃダメなんですよ好きとか愛って。それってすごく大事な感情なんですよ。そんなのがすぐ変わるわけないんですよ」
「じゃあさ、変えないための努力が足りてないんだよ。コーヒー飲んでる場合じゃないの。もっとしつこくその子と話して、告白でもして、それで振られておいおい泣けばいいの。一生気持ち変えたくなければ行動しなくちゃいけないの。それで夜中にその子呼び出してナイフ刺せばいいの。そしたらその恋って永遠になるから」
「殺しちゃダメなんですよ人間って。そんなストーカーみたいなことできないですって。そんなことしてまで守らないといけない愛なんて人類に必要なんですか? 愛が無かったら人類どうなるんですか?」
「愛を守りたいんだったら自分から行動して強い意志で成し遂げるしかないの。神様が決めてくれた絶対の愛みたいな外付けの概念に頼ってちゃいけないの。自分の概念くらい自分で決めなよ」
 高校生は隣に一番年上の俺が居るからか敬語が外れなくて、色紙は敬語って文化を理解していないから会話がなんか変なことになる。色紙は好きな殺す殺されるの極論恋愛の話をしているし高校生は考えすぎている。色紙は話しながらコーヒーをぐいぐい飲んでいる。彼女にとって飲めるギリギリの熱さのコーヒーが一番美味しくて、それをすぐに飲まないのは損なのだ。
 俺は少し考えたが結局好き勝手を言うことにする。なぜなら本音で喋ってくれる大人に会うことはある種大切な経験になると思うからだ。建前の恋愛観なんかよりよっぽど良いんじゃないか? 俺は喋る。怪異と戦ってばかりの俺の中に恋愛観なんてものが根付いていたことに話しながら少し驚く。
「あのさ、愛とか恋とかその意味とか、お前ら考えすぎなんだよ。そういうのってそんな特別なもんでもないし、一生に何度でもあるやつだぞ? 好きじゃなくなったぐらいで愛の真理とか深い深い哲学の沼に行かなくてもいいんだよ。あー、好きじゃなくなった、悲しいなって言ってしばらく悲しい思いしたら切り替えて勉強でも好きなアニメのことでも考えたらいいの。何回も恋してればそれがどういうものかって感覚的に分かってくるって。言葉にならないけど理解できる時っていうのがきっと来るからそれまで好きに生きてればいいんだよ。俺だって恋愛くらいしたことあるからなんとなくわかるけど、もっとこう恋人ってふわっとした関係だよ。きりきり殺すとか殺されるとか、正しいとか間違ってるとか考えなくてもいいの。適当にみんな恋人やってるんだって」
 俺の頑張って話した合理的無知の理論に子供たちはそろってそんなぁと言う。高校生が何か言おうとして喉に空気の塊を飲み込んだみたいにしてすぐに黙る。いいのだ、これで。何も哲学者になる必要はない。考えて考え抜いた末に答えが見つからなくてそれでもまだ考える生き方っていうのはきっと苦しいのだ。
「あとさ、恋愛って相思相愛じゃないと楽しくないから、その可能性が無くなったとたんに諦めちゃうのって割とよくあることだと思うよ? 年上からの助言だけど」
 高校生がテーブルに突っ伏す。色紙が「なんだ直樹も考えてるんじゃん」と言うので、「これは長く生きてたら分かること」と返す。
 静かに立ち上がった高校生がお会計を済ませてこちらに来る。いい子だ。少なくともコーヒーをおごらせようとする妖怪だった線はこれで消えた。
「ありがとうございました。まだ気分は変わんないんですけど、これから楽になるような気がします。楽になると良いですね」
「気を取り直して好きな人探したらー? 私でもいいよ」
「それはダメ」
 色紙が一瞬高校生を誘惑しようとする。高校生が苦笑いして去っていく。俺は少し考えた後サンドイッチを頼む。髭を生やしたマスターが笑顔を見せる。店内ではずっとジャズが流れている。田舎の村にあるにしてはやけに小綺麗な店だ。
「色紙、なんで最後恋人になろうとしたの」
「えっ、なんとなく。刺せる人が増えそうだから?」
「あー、好きなら何でも許すって思うのは良くないよ」
「そうじゃなくて、そうかもしれないけど、好きな人刺した方が楽しいから。かな」
「俺のことも好きだから刺してたの?」
「多分、分かんないけど。ほんとはみんな殺したくて、でもそれは嫌いだからとかじゃなくてその逆の好きだからなんだと思う。みんな好きで、その中でもその好きにムラがあって、好きな人ほど殺したいなって思う。でも殺してない時間も結構好きだからやめにしてるの」
 ふーん、と俺は言う。殺したいほど好き、という言葉は時々聞く話だなと思う。色紙は愛情を体の外に出すやり方が人とは違っているだけなのかもしれない。そもそも、愛情を正しく表現できる人間なんているのだろうか?
 色紙は俺が今いるところとはまた遠く離れたところにある田舎の山奥の村で生まれ育った。俺がその村に行ったのは、村へ行ったものが帰ってこず、村からの連絡もないという知らせを受けたからだ。そこには村人全員を殺した色紙の姿があった。ほとんど服を着ておらず、血まみれでナイフを持っていた。彼女は刃物を扱うことに関しては卓越した才能を持っていた。あるいはそれは、彼女の愛情の発露だったのかもしれない。
「俺は、色紙を愛してるからな」
 いつ刺されても大丈夫なように、少し構えて俺は言う。色紙は鞄からナイフを取り出さずに、俺に体をもたれさせた。そして、腰に手を回してくる。
「じゃあ、えへへ、いつか殺してくれると嬉しいな」
「ああ、いつかな」
 頭を撫でる。サンドイッチを半分に割って色紙と食べる。それでいいのだ。きっと。時間が解決するかもしれないし、解決しないかもしれない。

   ///

【三 生きているのか?】
 この村に来て三日目のこと、最近はアフロのやっている雑貨屋でこまごまとした手伝いをしていたのだが、今日はアフロが手書きの地図を渡してくる。
「ここでお葬式があるからね、行くと良いよ。村の外の斎場ね。これ、香典の袋。お金は自分で用意して」
「え、葬式って何で。俺この村に知り合いいないけど」
「え、言ってなかったっけ」
「全然」
 アフロが紙の束を引き出しから出して俺に見せてくる。腹を刺されて手術をされた時のカルテだ。アフロは医師免許を持っていないヤブ医者だが、カルテを書く習慣はあるらしい。いや、それだけじゃなく、医学の知識も技術もあるし、薬を入手するつてもある。謎な男だ。
「これね、ここ。君って、肝臓の移植手術受けてるの。寝てたから気付かなかったのは無理ないけどね。それで、移植のドナーになったのが、君の怪我と同時期に亡くなった大山さん。私とも親交あってさ、商品も時々買ってくれるしいい人だったわけ。せっかくだから葬式行ってきなよ。私の代わりでもいいから」
 そんな重要なことを今更軽い感じで知らされる。色紙が刺したナイフは俺の体を致命的な感じでしっかりと傷つけていて、それは移植手術を要するほどだったというわけだ。腹の縫われたあたりをさすると僅かに痒い。
「行きます。命の恩人じゃないか」
「やっぱりそう思う? 外の人ってそうだよねー。あんまり、大山さん宅も感謝されても困ると思うけど、その辺は行ったらわかるかもね。はいこれ、林檎。生前好きだったから、一応ね」
 林檎を一袋受け取った俺は色紙を助手席に乗せて車に乗る。なんだかアフロの話しぶりから命を軽んじているような気配を感じてむっとするが、色紙を連れ歩いている俺が言うことではないかもしれない。でも俺は、人を殺してしまった色紙に、まっとうな女の子として生きる道を与えてやりたいのだ。それは学校に進ませることではない。色紙が学校に行ったら人をまた傷つけてしまうだろう。俺のような色紙を止められる人間と暮らすのが、彼女のためだと俺は確信している。
「色紙、お前が殺したんじゃないだろうな。大山さん。今から葬式行く人だけど」
「ちがうよ。アフロさん言ってたけど、心臓麻痺だって」
「本当か? ほんとは俺を助けたくて、それで移植のために人殺したんじゃないのか?」
「殺したい以外の理由で人殺すのは良くないと思う。楽しくなさそう」
「そうか」
 ハンドルを握っているので色紙の頭を撫でられない。「人を殺さなくても良くなるといいな」っていう言葉を俺はずっと言わないように堪えている。だってそれは全部俺たちの都合であって、色紙のなりたい自分ではないのだ。人の在り方を矯正しようなんて傲慢なのだ。虫を殺して雑草を引っこ抜くのと同じおこがましさを持っているのだ。自分が正しいと思い続けているうちは他人のことを理解できない。まあ、自分が正しいと思い込まなくてはやっていけないときもあるだろう。
 代わりに俺は冗談を言う。一人で笑う。
「頭が三つあるユニコーン、ケルベロユニコーンは角も三つある。でも、そいつはユニコーンなんだぜ」
「よく分からない」
 難易度の高すぎるジョークを乗せて車は斎場に着く。そこは田舎らしくちょっと大きな公民館程度の規模で、喪服を着た老人が外にもちらほらと見える。止まっている車を見ても、来ている人は多くなさそうだ。受付みたいにして立っているお婆ちゃんに、肝移植を受けた者ですと言って入れてもらう。香典も渡す。「大山茂雄 儀 葬儀式場」の看板を横目に、死んだ大山氏の奥さんらしい女性に持ってきた林檎の袋を見せると、マアご丁寧にと喜ばれる。
 人も少ないので葬儀の手伝いをしている人たちも暇そうだ。林檎を部屋の端に置いた後、所在なさげにうろうろし始めた奥さんを捕まえて話を聞くことにする。五十代くらいだろうか? ぬるま湯に常時浸かっているようなゆったりとした雰囲気のある女性で、声は聞き取りやすく、あまり悲しそうには見えない。
「亡くなった大山さんというのはどのような方だったんですか?」
「マア主人に興味がおありで。そうですねぇ、あまり偉そうなところもなく、家族思いの良い方でしたわ。ひどい病気もなかったんですけど、白影様に取られたんでしょうねぇ。天命ですね」
 白影様?
「あの、ご主人が亡くなったばかりで心も騒がしいと思いますが、失礼ながら白影様とはどのようなものでしょうか?」
 奥さんはゆっくり頬に手を当てる。何か得体のしれない信仰、あるいは理屈がそのしぐさの奥に流れているのを感じて背筋を誰かに触られたような気持になる。
「村の外から来られた方ですかぁ。白影様は、白影様ですねぇ。畑とか、広いところに時々見えられますね。年に一回くらいですか、誰か人を連れていきなさるんですわ。白影様ですから、仕方ないですねぇ」
 人が死んでいるじゃないか。それは、異常だ。異常だとこの村の人は気づいていないのか? 白影。白い、影。天まで伸びる細い超くねくね。
 ふと心細くなって周囲を見渡す。敷かれた座布団に固まって座っている老人たち。俺が村でうろついていた時に見た顔もある。囁き声。囁き声。誰かが言う。「うちの孫がお人形を気に入って離さなくて。可愛らしいわぁ」。誰も悲しみを表に現さない。
 葬儀と告別式の手順をこなしながら、参列した人にそれとなく聞いてみるが、誰もがその白影様とやらを受け入れていて、大山氏が死んだのを仕方がないことだと思っている。それどころか、よくあることだと考えている。人の命が消えるってことは普通のことじゃないんだよと叫びたくなる俺に、高校生に言った言葉がよみがえってくる。お前ら考えすぎなんだよ。恋愛を繰り返すうちに恋愛の何たるかが分かってくるように、人の死も繰り返せば理解に行きつくのだろうか? 恋が消えちゃうのが変だと言った高校生がそれを特別視しすぎていたように、俺も人の生き死にを特別視しすぎているのだろうか?
 大人しく葬式の場で座っていてくれた色紙が言う。
「でも、人死ぬのって普通だよ」
「じゃあお前、今死にたいか?」
「別に、どっちでも。たくさん殺しちゃったし、今死んでも不思議じゃないなって思う」
 色紙の言うことにも一理あるなんて考えてしまう俺は怪異ハンター失格だ。人の命をどうにかする能力を持っている者は、傲慢でも何でもいいから人の命を一番神聖なものだと考えていなくてはいけないのだ。何が何でも命を守るっていう強い意志がなければ人を救うことは出来ないのだ。色紙を生かすことだけ考えていればいいはずなのに。
 出棺が終わって夜中になったので俺たちは帰る。大山氏の奥さんに内蔵移植の礼を言ったが、主人は死んでしまいましたから、と曖昧な返答をされる。死んだ人に言葉を伝える方法を人類はまだ持たず、彼女らは死を特別視しないので大山氏が死んで後に残った物は何もない。俺の体内の肝臓以外には。人が生きていたころと死んだあとがシームレスに連続している。文化の違いと割り切るにはあまりにそれは酷薄に見えた。
 鹿だって死ぬし小動物や虫になるともっともっと死ぬ。死んだ後まで影響を残すような生き物はそうそういない。白影様とやらが他の場所にはいないせいで俺はそれを解決すべき問題点だと思っているが、それもある種の自然現象、寿命で死ぬようなものだと考えたら抵抗するべきものではないかもしれない。人が死ぬことで消えていく大量の情報、人が生きてきて得た経験全てのことも考える。けれど、それすらも当たり前のことなのだろうか? 人が死ぬことを繰り返したらあの人達みたいに慣れてしまうのだろうか?
 アフロ頭の家に帰りつくとデスクライトの下で赤い髪が本を読んでいる。待っていたのか?
「白影様ってのは何だ? 情報があると助かるんだが」
 俺が背中越しに聞くと、本に押し花の栞をして振り返る。丸い髪型が逆光で変なシルエットだ。
「ああ、やっぱりその話になったんだね。そう、そういうこと。君たちが畑で見た白くて細いのがそれ、白影様だよ。この村に昔からいるみたいだね。どこまで聞いた? 一年に一人ずつ人を連れていくことまでは知ってるかな?」
「ああ。それ以上何か情報があるか?」
「知ってるよ。僕は白影様については何とも思ってなくて、君が退治するならそれでもいいかなってくらい。この村の人は大体そうなんじゃないかな? 変化についていけない人とかは反対するかもね。白影様は一人ずつ人を殺すけど、同じく一人、人を返してくるってことは知ってるかな? つまり、プラスマイナスゼロなんだ」
 人を返す? 生き返るのか?
「ゾンビとか悪霊の類じゃないよ。最初はまあ幽霊なんだけど、人形に閉じ込めてやればきちんと人としてふるまえる。魂っていうのかな? 人を人たらしめている何かがあるんだろうね。大山さんはそれを奪われて亡くなられたし、そうだね、それが白影様から帰ってきて今生きてる例が、例えば私だよ」
 私だよ、と言ったアフロ頭はその象徴たるアフロをゆっくりと外す。そう、彼の髪はカツラだったのだ! 見ればわかることだが......。カツラの下から現れたのは木製の頭部で、削りだした後丁寧に磨いたような光沢をしている。後ろからのデスクライトの光で今度は後光みたいだ。
「あー、やっぱりそういう感じなんだ」
 後ろから色紙。
「知っていたのかい?」
「刺しても楽しくなさそうな気がした。血とか出ない?」
「出ないよー。からくりとかで動いてるからね。ちょっとオイルは出るかな」
 アフロを頭に戻して立ち上がり、ぐいぐい近づいてくる。のっぺりとした顔が俺よりも背の高いところにあるせいで中々怖い。
「で、どうするの? 生きるとか死ぬとか、哲学的なこと考えるなら今のうちだよ。一人死ぬ代わりに一人生きる仕組みなんだ、この村は。私みたいな人が何人もいる。これからも何人も死んでいく。でも皆慣れちゃってるから特に何とも思ってないよ。君はそれを異常だと思って駆逐するのかい? 私は一度死んだ身だしあんまり干渉するのはどうかなって思うけど、君が納得するように考えたら良いよ」
 そしてひとしきり喋ったアフロは俺の隣を通り過ぎて、「じゃあ、寝るから」と言い残して去っていった。色紙が腕にしがみついてくる。奴は結局何が言いたかったんだ?
「考える? 哲学のこと」
「さあな、でも白影様とやら退治して国に報告を書いたら金がもらえるから。俺は別に深く考えなくていいかもな」
 考えるべきはどうやったら白影様が消えるのかってことだけだ。はじめに見た時に感じた恐怖は、今まさに人を連れていこうとするその瞬間だったからだろうか? 一年に一人のペースというなら今は活動が穏やかで、危険はないかもしれない。聖水で何とかなるだろうか? いろいろ試してみるしかあるまい、と俺は思う。いつだって手探りで生きているのだ。
「寝ような、色紙。夜も遅いぜ」
「うん、そうだね」
 俺たちは布団を並べて電気を消す。

   ///

【四 泣いているのか?】
 俺は運転疲れで今にも眠りそうだが、色紙がなかなか寝付かない。隣でもぞもぞと繰り返し寝返りを打ち、俺の腕をセミの抜け殻のポーズで抱え込み、しまいにはしっかりと俺の上に乗って体重をかけてくる。
「どうした? 眠れないか?」
「あのさ」
「うん」
「変だけどさ、考えたんだ。生とか死のこと」
 心臓の上から囁く声。今日は葬式に行ったから、人が死んだ後のことについて考えてしまったのだろうか? 色紙が殺したことがあるのは結局最初にいた村の人だけだ。それ以外にも沢山傷つけたけれど、幸い俺が止めるのが間に合って死人は出ていない。村人たちの葬儀に色紙は行っていない。だから、葬式を体験するのは今日が初めてのはずだ。
「あのさ、子供っていつかは生きることに向き合わないといけないけど、それがこんな真夜中である必要はないんじゃないか? 眠いと考えまとまらないぜ」
「でも、今なの。そういう気分だから」
「そう。じゃあ話聞いてやるよ」
「じゃあ、ちょっと待ってね」
 色紙は土から出てくる幼虫みたいに布団を抜け出してどこかへ行く。部屋の隅まで行くと、すぐに俺の上に戻ってくる。「えへへ」という囁き声と共に俺の首に当てられたのは冷たくて繊細な、シンデレラのガラスのヒールの底じゃなければ俺の命を奪いうるそれはナイフの刃だった。「静かにね」。俺の唇に柔らかい感触。これは、もう一つの唇? 色紙の?
「おいおい」
「黙ってって。今、殺しちゃう気分だから」
 首が万力のような力で押さえつけられる。色紙は子供の見た目に反して力が強い。俺と腕相撲をして拮抗するくらいだ。腕相撲はスタミナの関係で俺が勝つ。彼女との力関係がどちらかというとこちら優位で保たれているのは、一に俺が年長で彼女がそれを尊重していたこと、二に俺が拳銃を持っていて彼女がその使い方を知らないこと。そんな、微笑ましいと言っていいほどの些細な違いなのだ。
 少し抵抗してみるが、しっかりとポジションを固められていて身動きが取れない。両腕を足で絡めとられていて、臍の上に体重がかかっている。何より暴れると左腕で首をぎゅっと絞められて酸欠になる。拳銃は頭の上三十センチほどの場所にあるがそこまでが無限に等しく感じる......。
 首に当てられていたナイフが離れて、今度は胸に冷たい感触。俺が寝るときに着ているシャツが、絶妙なコントロールで切り裂かれていく。肌には傷一つない。ファスナーを開くかのような手軽さだ。ネットで頼んで作ってもらった「CEREAL KILLER」と書かれた悪趣味Tシャツ(グラノーラの皿にナイフが突き立っている)が切開される。報いだ。
 色紙は臍の下までシャツを割いて、俺の腹(腹筋バキバキ)を露出させた後、思い直したかのように鎖骨のあたりをナイフで傷つけて染み出てくる血液を舐める。え、こいつ何してんの?
「ちょっと待って、色紙ちゃん。あんたが今何を目的にしてんのか分かんないんだけど」
「何って、生きて死ぬやつ」
「何考えたか知らないけど死ぬやつ実際にやったら俺死んじゃうから」
「考えても行動しない人は馬鹿だよ」
「眠らせといてやれよそんな考え。世の中日の目をみなかった思考がたくさんあるんだから」
「あー、もう。めんどくさいなあ。ほら、早く脱いで。ナイフ向けとくから」
「なんで脱ぐんだよ怖いな。血ならもう吸ったろ? 何したいの?」
「何って、その、言わせる気? 察してよ」
「無理だよ。言葉にしないと伝わらないことって、絶対あるって」
「じゃあさ、ほら、性行為。わかる?」
 はー? うわぁ。昔からませてるガキだとは思っていたがついにこんな言葉を言い放つようになったか。俺は抗議の意味を込めて暴れてみせるが、首をきゅっとされて沈黙する。大人だから恋愛したことがないとは言えないけど子供は対象外なんだよ。対象に入っちゃったらやばいんだよ。
「じゃあさ、私から脱ぐから。殺されないようにふるまってね」
 色紙は俺の上でするすると服を脱ぎ始める。どんどんと取り返しのつかないことになっていく状況に戦慄する俺。重心の取り方が巧みすぎてちっとも抜け出せない。彼女の柔らかな尻の感触が腹で感じられるようになるまでそう時間はかからなかった。げー。嫌そうな顔を悟られたのか首元にナイフが来る。
「私じゃ嫌?」
「お前のことは嫌いじゃないけど、別にそういう気分じゃないよ。何? 色紙って俺のこと好きなの?」
「え、好きだけど」
「恋愛的にってこと?」
「うん」
 こんな状況なのに好かれているってことが再確認できた俺は少し嬉しかったりする。
「じゃあさ、好きだからそういうことしたくなったってこと? 一般論だけどそういうの早いと思うぜ」
「好きな人殺したくなっちゃう私にそんなの今更だよ。もう私って十分変だから、それが生きるとか死ぬとかの話になるのって飛躍を必要としないの。それでね、私の考えだけど生きることって死ぬことなの。死へと向かい続けてるってことは一番身近に死があるってことだよ。それに、死にそうなときは逆に一番生きてるって思うの。血を流してる人は生きてるなって思う。死んだらそれまで生きてたことがもっと輝くんだよ。愛するのって生きたいと思う気持ちでしょ? それってつまり殺したいってことなの。極端と極端は何かの梯子で繋がってるんだよ」
 生と死。多くの芸術家が何時までも考え続けているテーマの一つだ。それを同一視すること、あるいはその境目にたたずむことは、何かの答えではあるのかもしれない。逆説がともに成り立つことについて。色紙に首を絞められてナイフも向けられている俺は確かに生きていたい。
「でも俺は色紙殺したくなんかないけど」
「私は殺したいよ? えへ。殺して欲しいし。殺人願望は自殺願望でもあるんだ。それにね、性行為ってナイフのメタファーでしょ。ナイフの方がメタファーなのかもしれないし。貫いてよ、私のこと。できるよね」
 色紙は俺の体に全身で抱きついて絞めあげながら耳元で囁いてくる。今はナイフが怖くて元気がないが、色紙が望むことをやろうとするなら出来る気がする。くそ。俺は保護者だ。色紙を導く使命がある。
「でもやめとけって。色紙。第一にあんまり楽しくないときがある。生きるとか死ぬとか愛するとか重い意味付与してたらがっかりするぜ。それに年齢的に未成熟だ。そういうのはもっと大人になってからやればいい。同い年の彼氏でも作ってさ」
「私、初めてじゃないよ」
「は?」
 色紙が吐息を漏らす。笑っているのだ。悲しげに。生きたいと死にたいが同居するように、笑いながら泣くことだってある。ナイフの冷たさ。
「あのね、私が殺した村の人たち。お父さんとか、近所のおじさんとか。私ね、愛されてるんだと思った。でも、殺しちゃった。一番生きてる行為だから、死神も近づいたんだと思う。私ね、あそこの人みんな好きだったから」
 性的虐待だ。馬鹿な。俺が見つけた色紙はろくに服を着ていなかった。自分で引き裂いたのかと思っていたが、そういうことだったのか。俺は気づけなかった。
「私、好きな人殺しちゃった。好きだから殺したんだと思う」
「色紙、お前辛かったんだよ」
「なんで」
「好きだと思ってた人に嫌なことされたからだよ。裏切られたからだよ。色紙はそんなことしたくなかったんだよ」
「違う! 私をそんな普通の枠組みに入れないで!」
「普通でいいんだよ。好きだった人が急に嫌いになることだってあるって。自分を許してやれって」
 色紙が沈黙する。頬に当たる濡れた感触は、涙か? 彼女はきっと、好きだった人を殺してしまったことを自分で思っている以上に気に病んでいて、自分を保護するための理屈を作り出したんだ。自分が変なのだと言い聞かせて、罪を見ないようにした。でも彼女に起こったことは、結果人が大量に死んだだけで、普通の反応なのだ。
「でも思い続けたことは真実になるよ。私はまだ人を殺したい。血を見ると綺麗だと思う」
「殺すの嫌なら殺さなくてもいいんだぜ。血液くらいなら見せてやるし。好きだけど嫌いってこともある。折り合いつけて、社会と馴染んでいく方向に育つこともできる」
 しばらく彼女が泣くのを黙って抱きしめる。途中からなぜか俺の首に?みつき始めて歯形が残る。人間というものは不器用だ。泣くために映画を見る必要がある。それは、普段悲しくても、泣くことができないからだ。強い衝撃が加わって、ようやく泣ける。揺さぶられなければ、過去が整理できないこともある。これは彼女の成長だろうか? 彼女の過去は呪いだったのか? 生きるか死ぬか、殺すか殺さないか、迷い続けた思考の迷路に現れた道標なのだろうか?
「でもさ、せっかくだから抱いてよ」
 泣き終わった色紙が言う。まだ声は震えているが幾分明るくなった。
「しないって。子供と保護者の関係だって。明日からお前のことどんな顔で見ればいいのさ」
「可愛い可愛い色紙ちゃん。それにね、私いま、裸なんだよ。えへ。このままにしておくつもり?」
 くそ。一生のうちで言いたい台詞ランキング女バージョンみたいなこと言いやがって。
 逡巡。ため息。
 俺たちがこの晩どうなったのかは、あえて語らないでおくことにしよう。

   ///

【エピローグ】
 腹の糸が抜けて数週間、白影様とやら、つまり超くねくねを探し回った俺たちは山中さん家の裏山でついにそれを発見する。木の間に混じってのろしのように空まで続いてゆらゆらうごめく白い影だ。白影様は人を殺すときや逆に返すときだけにしか現れないわけじゃない。ただ、そこにいるということも多いのだという。
「改めて見たらあんまり怖くないな」
「でも、気持ち悪いかも」
 色紙は山の子だ。体が小さくて身のこなしも軽いからろくに手入れされてない森林でも難なく歩くことができる。アフロ頭の店で買った鉈を持って先導役だ。キッチンナイフは腰に差している。その後ろで俺の大荷物。役に立つかもしれない霊道具一式のバックパックを担いでいる。しばらく上ると赤の干からびたびっくりマークの看板がぽつんと立っている。
 白影様は俺たちの見上げる視線を知ってか知らずか、不思議な振動を続けている。見ていると狂いそう、と言うほどではないのは俺がそういう怪異と出合いすぎて耐性ができているからかもしれないし、特にそういう性質はないのかもしれない。車酔いみたいに三半規管が揺らされているような感覚はある。
「アフロが言ってたぜ。白影様は死の世界とシームレスにつながった『門』だって。ようは水に塩入れた時と同じらしい。解けなかった塩ってコップの底に溜まるだろ? でもその表面では塩が溶けるって現象と塩が固まるって現象が同じ速度で起こってるんだ。白影様も同じ。人が死ぬってことと、生き返るってことが同じペースで起こってる場所なんだろうな」
「よく分からない」
「おっと、これは冗談じゃないんだけどな」
 冗談っていうのは、「『言葉のナイフが鋭すぎる』の同義語、『言葉の棍棒が太すぎる』」みたいなののことを言うんだ。色紙には真面目な話は早かっただろうか。
「でもさ」
「うん?」
「これ、私が殺してもいい?」
 色紙が右手にキッチンナイフを持って言う。鉈は地面に置いている。揺れる白影様。
「世界もきっと迷ってるんだよ。生きるか、死ぬか。それで中途半端なことになってるの。命の星って言われる地球だけど、それはつまり死の星ってことでしょ? 一日に何人死んで何人産まれてるんだろうね。その星の中でさ、みんなそれぞれに生きるか死ぬか悩んでるの。この白影様だってそんな悩みの一つなんじゃないかな」
「悩みだから殺すのか?」
「分かんない。でも、そんなに悩むことって必要じゃないのかも」
 そして、色紙はナイフを白影様に突き刺した。抵抗なくそれは刃を受け止め、色紙の動きに合わせて切り裂かれていく。最後にはディスプレイが消えるときの「プツン」みたいにして白影様はあっけなく消滅した。
 色紙はナイフを見つめて満足げにしている。色紙の持っているキッチンナイフはこれまで俺の血を大量に吸っている。俺って自分で言うのもなんだが結構な霊能力者だからその血が何か霊的に意味があったのかもしれない。
 頭を撫でてやると満足げに目を細める。と思ったらばねのように飛び上がって俺の頬にキスをした。耳元で囁く声が聞こえる。
「結構、楽しかった」


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