ゴリラ忍者ザ・ラブアタック

白内十色


 
 左手の親指に巻かれた絆創膏をいつまでも触っている。眠りという必要なシャットダウンを拒んだ体が、意識を沼に沈めるのを嫌がって必死に立ち泳ぎをしているのだ。
 痛みは生きている証だが、同時に死にゆく運命をまざまざと私に見せつける。
 佐代子はすでに眠っており、私はこの、ぬいぐるみとパチンコと、土産物屋で買ったお面で囲まれた空間で、疑似的な独りを味わっている。黄昏を彷徨う意識は、言葉の上では誰かが隣にいる今の瞬間が、抽象的にはとてつもない孤独なのだとおぼろげに私に伝えていた。
 今までも私は孤独だったような気がする。今もまた、別の孤独へとシフトしただけなのだろう。
 ベッドサイドのテーブルに置いてあるタバコに手を伸ばそうとして、すぐに戻す。タバコは、もう吸わないことにしたはずだ。森の中で朽ちてゆく森林鉄道の跡地のような決意。考古学的な価値はあるかもしれない。私はこのような人間だった、というような。過去を見つめることは未来を予測することだとも言われている。過去に禁煙したのなら、未来でも禁煙することになるだろう。
 しかし、タバコを吸わないことにしたというならば、佐代子に会うことも、もう辞めるはずだったのではないか。隣で寝息を立てている女は誰だと言うのか。まさか、タバコの亡霊や動き出したぬいぐるみというわけもあるまい。
 彼女の家は片付いている。
 私が急に連絡を取ってやってきたにもかかわらずだ。
 彼女の家は、いつだって片付いている。物は多く、ポップな物、楽しい物、女の子向けのものがところ狭しと溢れかえっているが、それらはきちんと整理されており、散らかっているという印象を与えない。物のジャンルやサイズごとに置く場所を決めておくことがコツだと彼女は言っていた。
 彼女の家には人の気を引いてやまない魅力の詰まった品々が集まっている。気にはなるが、あえて買うことはしないようなアイテムたちだ。その品々は、彼女自身の魅力を確かに引き上げている。
 壁に貼り付けられている『ゴリラ忍者』と書かれた半紙に目が留まった。窓からの月あかりでおぼろげに見えるものだ。夜に彼女の家を訪れた時からその半紙はそこにあったが、私はその時泣いていたので、言及することはできなかった。達筆とはとても言えない、丁寧に書こうとする意志は見られるが、稚拙な文字だ。十中八九、彼女が書いたものだろう。筆を扱うことに慣れていない現代人にしては頑張った方だと考えられる。そもそも、どうして筆と半紙なんか持っているのか......。
 ゴリラ忍者。
 ゴリラ忍者かぁ、と私はため息をつく。空から急降下する鷹のように突飛でデンジャラスな佐代子という女。今はゴリラ忍者にハマっていて、半紙に文字を書くほどになったらしい。
 黒い忍者装束を筋肉ではちきれんばかりに膨らませて、袖からはもさもさの毛がはみ出している、そんな存在をイメージした。ゴリラの体毛は黒いから、闇夜に紛れるためには有利そうだし、体だって存外に柔らかそうだ。
 こそこそとして悪い奴、と言う忍者のイメージとは離れて、ゴリラ忍者は堂々としているだろう。
 こそこそとしているのは、むしろ私の方だ。佐代子の家に男の気配はない。私と別れて以降に男はできていないらしい。私だって、彼女に私の痕跡を残せていたかは定かでないが。
 テーブルに置かれたタバコは彼女のものだ。彼女はとても美味しそうにタバコを吸う。私が、不味いと思いながら吸っていたのとはとても対照的だ。だから、これも彼女にとっては生活を彩るパーツの一つになる。ちょうど、教会のステンドグラスから差し込む日の光のように。
 ここでは、ようやく息ができる。
 私は少し大げさに物を考えてしまう癖があるので、私の生活に漂っている絶望を、死の匂い、退廃の匂い、血の匂いだと錯覚している。本当はそれほど大げさなものではないはずなのだ。しかし、直観と理性は基本的に対比関係にある。この部屋では、そういったネガティブな香りの代わりに、何かのフレグランスの匂いが漂っている。
 大きく息を吸うことができることは、筋肉の緊張で酸欠になりかかっていた私に安らぎをもたらしている。理性で問題を解きほぐすのではなく、感覚の道筋でもって解決を得るやり方を、佐代子は無意識に熟知しているようだ。
 血の匂い、と言ったが私は別に戦場にいるわけではない。就職戦場、という言い方ができるかもしれないが。人と人が何かを競う以上、それは戦場の延長線上に他ならないのかもしれない。言葉の定義なんて、国境線のように明確に定まっているわけではないのだから。
 とにかくここで言いたいのは私が就職活動に失敗して今に至ると言うこと。世間的には、もちろん鼻で笑われるだろう。多少の同情は得られるかもしれないが、「よくあることだ」といったような慰めを受け取ることが多い。しかし、よくあることだと自分に言い聞かせようとしても、普遍的な一般人類を想定した言説に自分を当てはめることはできそうにない。私以外が私でないことと同様に、私は「私以外」ではない。
 最近はほとんど私の一部となりつつあるポスト・アポカリプス的な諦めを、それこそ佐代子は笑うだろう。
 言葉の意味を分かったうえで、なお笑う。彼女は笑う人だ。苦労したときの話を聞いたことがあるが、彼女はその全ての大変さを、笑いながら乗り越えてきた。私が苦しみに直面したときにすぐに諦めてしまうのとは、これも対照的となる。雪の重さでしなりながらも折れることはない枝のような人物だ。
 そう、佐代子といた頃のこと。私の人生の黄金期だったと言ってもいいだろう。
 口元に不思議な笑み、開かれた目、手を大きく振る癖のある彼女は私を瞬く間に魅了し、私たちは隕石的な確率で恋人になった。その頃は、彼女の方も私から得るものがあったのかもしれない。しかし、話はそれまで。どちらかが冷めたのだろうか。いや、恋愛というものは基本的にうまくいかないものなのかもしれない。年齢や外部の要請などの要件に影響されない限りは。いつの間にか私と彼女はそういう関係ではなくなってしまい、生きる場所を別にすることになる。二歳年上の彼女は無事に企業に就職し、私は失敗し続けている。
 現在のことも言わなければアンフェアだろう。今、私には付き合っている女がいる。
 浮ついた奴だと思われるかもしれない。実際、私が佐代子の家にいる現状を考えるとそういわれても仕方のないことではあるが、彼女とのことはそう恋愛小説的な物語ではない。むしろ、新書的、エッセィ的な淡々としたニュアンスなのだ。恋人というような湿っぽい関係性ではなく、仕事か何かのパートナのようなドライさだ。名称に意味はない、というのが向こうの主張で、つまりその女がいる現状だけをありがたがって認識しなさい、ということらしい。
 そう、そして指を切ったのだった。
 切りたくて切ったのではない。
 昨日は不採用通知がまた一つ増えた日だった。料理をしていたところ、不要なものをそぎ落とすオッカムの剃刀よりも鋭利な包丁が、私の親指の付け根の端を切り裂いたのだった。綺麗な傷跡がぱっくりと開き、私はそれがたまらなく恐ろしかった。血を見ることは怖くないはずなのだ。献血だって何回か行ったことがある。私が恐怖を覚えたのはその傷跡が、何か大事なものが欠けてしまった後に残る穴のように見えたからだ。
 私の実家の壁には一つの穴が開いている。
 空虚な穴が。
 子供のころの私が何かで癇癪を起して、壁を殴りつけたら穴が開いた。穴の前にはカレンダーを配置し、普段は目に留まらないようにしているが、その穴は常に、ひっそりとその場所に存在し続けている。一度開いてしまった穴は残り続ける。塞いでも隠しても意味がない。欠落は常に付きまとう。
 私は包丁で切った傷跡から壁の穴を思い出し、そして連鎖的に今まで私が失ってきた全てのものが、走馬灯のように私の周りを回り始めるのを見た。
 二度と手に入らない幸せたち。私がいくら望んでも、もう目の前に現れることはなく、私はそれと似た何かを探し回り、ついに代替品を手のひらに収めたと見えたその瞬間、雪の結晶のように溶け消える、そんな美化された幻想の宝物。
 失った手足が痛い痛いと泣き叫ぶそれはファントム・ペイン。
 私は過去から逃げ出すように家を飛び出した。
 財布の入った鞄をひっつかんで。歩きながら佐代子に電話をした。過去に、戻りたかった。失ったものへのみじめな未練が私を突き動かしていた。鞄の中の絆創膏の存在を思い出したのは電車の中だ。服の裾に血の跡がついていた。
 呆れたような声で私を出迎える佐代子の胸に縋りついて涙を流した。彼女は指を切っただけでやってきた私のことを笑ってくれた。
 今の女はそう、指を切った私にすかさず絆創膏を差し出すだろう。私が泣くと、目を細めるだろう。この、目を細める彼女のしぐさは、可愛らしい印象を私に与えることはない。むしろ、遠くのものを注意深く見るときにするようなものだ。
 私はその目で見られるたびに惨めな気持ちになる。失った胸の空欄が、その目線で埋められることはないからだ。
 佐代子の明るさ、溢れる生の香りよりも素敵なものを私は知らない。今だって、腕を動かすと佐代子の体に触れる。手のひらにダイレクトに伝わる温もり。血液の脈動を感じることだって可能だろう。血液は、体内にあるうちは良い印象をもたらすものとして捉えられる。体外に出た瞬間から、恐怖の対象だ。
 私は悪い男だ。今の女に対して申し訳が立たない。本当は、過去を見てばかりではなく、現在を、未来を見据えるべきなのだろう。私は過去という檻に囚われたままだ。私を見つめる冷徹な瞳を思い出す。ただ、私は誰かに慰めてほしかった。子供なのだ。
 しかし、そういえばキスをしなかった。暗黙の了解だったらしい。
 また、少し涙を流している。私と彼女の世界は隔絶されてしまった。死の匂いのする現実、壁に空いた穴を、ひと時忘れることができただけなのだ。そう、それにはもちろん価値がある。何と引き換えにしてもいいほどの。
 隣で佐代子が身じろぎをする。
 うーん、と一声発すると目を開いた。
 そのまま伸びをすると、こちらの方を向く。彼女の伸びはそばに他人がいるときのパフォーマンスだと聞いたことがある。誰しも、演じながら生きている。より、自分に好まれる自分になることが目的だろう。
「うーん、こんなことをしてるとゴリラ忍者が来るよ。良くないなぁ。特別だからね」
 彼女が言う。またも、ゴリラ忍者だ。壁にテープで貼られているのと同じ単語。
「ゴリラ忍者?」
「そう、ゴリラ忍者。知らない?」
「もちろん、知らない」
「そう。人生損してるよ。ひひ。この言葉一つで私以外の全人類に損をさせることができたというわけなのでした。独り勝ちだね。生存競争、こうやって勝っていかなくちゃ」
「君が作った言葉ってこと?」
「うん。でも、ゴリラ忍者は昔からいるよ。感じない?ゴリラ忍者の波動を。茂みの中にはいつだってゴリラ忍者がいるんだよ」
 本気で言っているのか、適当なことを言っているのか、判別がつかない。本気で、適当なことを言っているのだろう。黒ずくめ、筋肉、ゴリラ忍者。アポロ計画のようにチャレンジングな単語だ。
「ウホ!」
 彼女が叫ぶ。「ウホ! ウホ!」
 ゴリラ忍者の真似だ。私は直感的にそう察した。地面からミミズが這い出てきて、私にこっそりと教えたのかもしれない。もちろん、今いる部屋はマンションの一室だが。この場においてウホと叫ぶ者はゴリラ忍者に他ならない。
「ウホ! ドンドン!」
 彼女が胸をグーの手で叩いて笑う。
「これはね、ドラミング。きっと忍術を使う前の儀式なんだよ。モールス信号かも」
 歯をむき出してみせる。
 私はあっけにとられている。一体、ゴリラ忍者とは何なのか。まるっきり空想の存在、ゴリラの忍者なのか? それだけのものを、半紙に書いたりするだろうか。いや、彼女ならそれくらいのことはやりかねない。
 彼女が面白いでしょう? と言いたげな顔でこちらを見ている。寝起きだというのにエネルギッシュだ。まだ、太陽も昇っていない。ほとんど、寝ていないはずだ。
「手裏剣は使うの? その、ゴリラ忍者」
「使う! 作ろう!」
 話に乗ってやろうとしたところ、佐代子が思いのほか元気に手のひらを打ち合わせる。彼女の家には折り紙がある。なくたって、チラシを正方形に整えることができる。彼女はやると言ったらやるだろう。だんだんと面白くなってきた私は佐代子と一緒に服を着る。
「手裏剣の作り方覚えてる? 鶴とかやっこさんなら折れるんだけど......」
「多分、わかる。君がそういうこと覚えてないの、珍しいね」
「恥ずかしいな。大人になったってことだよ。私だって」
 私が一個作ってみせると佐代子はすぐに作り方を理解した。折り紙の端と端を合わせて折る正確さは私よりも優れている。手裏剣は手際よく作られていく。
「ウホ!」
 佐代子がカーテンの方に手裏剣を投げる。しゅるしゅると飛翔して、ぽすんと音を立てる。子供のころによくやった遊びだ、と懐かしい気持ちがよみがえる。私は作り上げられた十枚ほどの手裏剣を見下ろした。
「ゴリラ忍者は全部投げる! ウホ!」
 私は手裏剣を全て鷲掴んで、一気に放り投げた。手裏剣は散弾銃のように拡散し、てんでばらばらの軌道を描く。
「そう! それでこそゴリラ忍者だ!」
 佐代子が笑っている。私は嬉しくなってウホと叫んだ。彼女はカーテンの側に陣取ってこちらに手裏剣を投げ返してくる。
「ウホ! わはは!」
「ウホ!」
「ウホ!」
 雪合戦のように、私と彼女は手裏剣を集めては投げてを繰り返した。子供のようだ。本当に、子供っぽい。大事な大事な子供性だ。誰だって、子供を介して大人になる。
「ゴリラ忍者・ビーム手裏剣! わは!」
「溶岩ゴリラ手裏剣! ウホ!」
 次第に私たちは必殺技を放つようになる。
 言うまでもなく、ビーム手裏剣は手裏剣にビームを纏わせた技で、溶岩ゴリラ手裏剣は火山の火口から掴み取ってきた溶岩を手裏剣状に加工した技だ。
 私は子供のころ、世界がどのように見えていたかを思い出した。世界はそのころ不思議に満ちていて、自分の想像力と小説や漫画の手助けがあれば、なんだって起こりうるような気さえした。
 何か、大切なものを、取り戻せそうな気がする。
 私は虚空に手を伸ばした。
「そうか!」私は叫ぶ。
「何?」
「メカ・ゴリラ忍者がいるんだ!」
 それは、ちょっとした思い付きだった。与えられたものを少しずつ拡張する人間の特性が私にもたらした、ささやかなプレゼントだ。
 佐代子が大笑いしてベッドに飛び込み、枕をこちらに投げてくる。
「メカ・ゴリラ忍者! 最高!」
「ゴリラ忍者をやっつけるために作り出されたメカ・ゴリラ忍者だ! 目からビームが出るし、ゴリラ忍者よりも力持ち!」
「肩から蒸気を吹き出すんだ! それでそれで、最初は感情がないのにゴリラ忍者と戦っているうちに嬉しくなったり悲しくなったりして、最後はオイルの涙を流す」
 私たちはげらげら笑う。笑いすぎて涙が出る。とても良い涙だ。すがすがしいと泣きながら思う。
 ちょっとしたきっかけ、少しのひらめきで、言葉はどこまでも豊かになれることを私は知る。
 私たちは、市民ホールで行われる本の交換会で、人が持ち寄ったとっておきの本を交わしあうように、ゴリラ忍者の話をする。次第にゴリラ忍者のストーリーは私たちの中で息づいて、血の通った物語になる。
 私たちの話は膨らんでいく。感情を持たないメカ・ゴリラ忍者に憤ったゴリラ忍者は、何とかして彼に感情を思い出させようと奮闘する。戦っている最中に忍術を使って笑わせようとしたり、氷河のただ中や火山の頂上に行って、自然の雄大さを見せてみたり。最後には二人は友達になる。固い固い友情で結ばれるのだ。エンディングでは、軽快なリズムに合わせて、ゴリラ忍者がブレイクダンスを、メカ・ゴリラ忍者がロボットダンスを踊っている。
「ギガ・ゴリラ忍者! 巨大化するの!」
「ゴリラ・シャーク忍者! サメ映画との合体だ!」
 続編の計画も立ち始める。十年後にはシン・ゴリラ忍者が作られるだろう。窓の外は次第に明るくなってくる。ゴリラ忍者の夜明けだ。きっと太陽を脇に抱えて走っているのだろう。
 佐代子と一緒にあんパンを食べる。昨日の夜に買っておいたものだ。二人とも、笑いすぎて少し疲れている。けれど、ぽつりぽつりとゴリラ忍者の話をする。水の冷たさが心地よい。親指の痛みはもう忘れている。
「帰るよ」と私は言う。
「そう」と彼女が言う。「もう大丈夫?」
「大丈夫」
 私は鞄を手に外に出る。佐代子は私を引き留めないし、迷惑そうなそぶりも見せなかった。ただ、私を受け入れてゴリラ忍者の話をした。私にはそれが一番ありがたかった。
 どちらかがまたねと言う。「また」があるかどうかは分からない。もし、あるとするならば、次は最初から楽しい日になると良いな、と思う。佐代子は大きく手を振っている。
 ゴリラ忍者がGメン75のように十匹ほど横に並んで歩いているところを想像する。ゴリラ忍者にもきっと仲間がいる。頼もしい友情に包まれた相棒たちが。メカ・ゴリラ忍者もその一員だ。私も胸を張って歩こう。ゴリラ忍者は私の心の中にも住み着いている。
 何も解決していないじゃないか、とも思う。私の就職活動の調子は散々だし、恋愛状況が良くなるわけでもない。私の思考回路が急に切り替わるわけでもない。人が急に救われることはなく、大抵は少しずつ変化していくだけだろう。
 今日の出来事はより悪い状況につながる道かもしれない。今の女にこのことが知られたらどうなるか、想像もつかない。しかし、ゴリラ忍者で彩られた今日があったという事実は、私の心に一筋の光をもたらしてくれるだろう。未来を想定して苦しみ、過去を想起して嘆くとしても、私に操作できるのは今だけなのだ。今を積み重ねた結果として未来があり、少し前まで今だったものが過去となって残っている。
 今を楽しむことが未来への希望を生んでくれる。ゴリラ忍者だって、そう言っている。
 ウホ、とどこからか声が聞こえたような気がした。


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