渦の中の馬鹿たち

ビガレ



一.

 部屋は暗く、男の前髪は目元を覆い隠すように伸び切っていた。男は窓の木枠にスマートフォンを立てかけ、数秒操作したのち、そこから離れて立ち、なにかを語り始めた。
「この動画を見ているお前ら......」

......視聴回数 0回





......視聴回数 37回

「もう課題やった?」
「数学の?」
「そう」
「あれって今日だっけ」
「いや明日だけど、なんかダルそうだったから」
「そうでもなかったよ」
「終わらせてんじゃん」
「まあね」
「あー、数学と言えばさ、昨日セブンで新井に会ってさ」
「セブンってどこの?」
「あの、西高の坂降りたところの」
「ああ」
「なんか、酒買ってた」
「へえ、おもろ」
「新井って誰?」
「え、お前担任の名前忘れてんの」
「ああ、あの新井か」
「蓮野は、数学の担当新井じゃないからじゃない?」
「それでも担任忘れるのはやばいって」
「はは」
「いやー、寒いなー、流石に」
「まあもうほぼ冬だし」
「十一月って秋じゃないの」
「いやだから、ほぼ」
「はは、あー、そりゃ外で食うのも、俺らだけになるか」
「まあもうすぐ冬だし」
「わざわざ言い直すなよ」
「はは」
「蓮野は? 課題やった?」
「ああ、うん、やった」
「やってないの俺だけかよ、難しかった?」
「いや、山下に、教えてもらったから」
「何それ、ズルい。俺にも教えてよ」
「えー、どうしようかな」
「枝豆あげる」
「えー」
「グラタン」
「うーん」
「梅干し」
「下がってんじゃん。じゃあ、俺らの知らないこと、教えてよ」
「フリーメイソンとか?」
「そういうんじゃなくて、なんか、誰と誰がヤったとか」
「えー、無いんじゃない」
「それこそさ、吹奏楽部とか」
「いや、うちの吹部はそんな陽キャいないから、マジで」
「前に上村さん可愛いって言ってたじゃん、何だっけ、トランペットの?」
「トロンボーンな。いや、何で俺の話になってんだよ。あと、上村さん彼氏いるから」
「ほら、陽キャいるじゃん」
「可愛くて彼氏いたら陽キャなのかよ。てか、今の知らないんじゃないの」
「ああ、俺は知らなかったけど、蓮野、知ってた?」
「うん」
「じゃあだめだ」
「えー、マジかよー、んー、あ、じゃあ」
「なに」
「うちのクラスに、ユーチューバーいるの、知ってる?」
「は?」
「マジ」
「誰」
「あの、くふ、和田君」
「え、和田君? あの?」
「そう、あの」
「今野、お前、笑うなよ」
「山下も笑ってんじゃん」
「だって、蓮野が笑うから」
「ぐふ」
「俺、和田君が話してるの、見たことないんだけど」
「俺だってそうだよ、だけど、動画では、くふ、顔出して喋ってるらしい」
「マジかよ、そっちかよ、てか、誰から聞いたの」
「二組の武田、合奏の準備のとき教えてくれた。たまたま見つけたらしいんだけど、内容までは教えてくれなかった」
「それ嘘じゃないの」
「いや分かんないけど、でも、お前ら絶対誰にも言うなよ、マジで」
「分かってるよ」
「じゃあ、数学の課題ね」
「ああそうだった、あとで教えるよ」
「サンキュー、くふ」
「まだ笑ってんのかよ」
「そりゃ笑うだろ。だけど、絶対言っちゃだめだから」
「しつこいな、じゃあもし誰かにバレてたら俺らのせいにしていいよ」
「言ったからな」
「うん」



......視聴回数 255回

「ねえ、知ってる? うちの学年にユーチューバーいる話」
「え、ごめん聞こえない」
「うちのー、学年にー、ユーチューバーがいるんだってー」
「ごめんあとで聞く、げつかーすいもくきーん、はたらいたー」
「......」
「ふぅ、なんだっけ、さっきの話」
「あー、えっとねー、あ、九十点」
「ああ、で?」
「えっと、うちの学年、ていうか、一組に、ユーチューブに動画上げてる人がいるんだって」
「へえ、まあそれくらいいるんじゃない」
「いやそれが、あの和田君なんだって」
「和田君? 誰だっけそれ、あ、梓始まるよ」
「あ......ふーたーりーでー、しゃしんをとろー」
「......すいません、ジンジャーエールを、いる? あ、2つで、はーい......」
「ふぅ、あ、七十九点」
「一組の和田君? ってどんな人だっけ」
「なんか、背が高くて、いつも下向いてる人」
「ああ......あのすれ違うと」
「変な匂いする人」
「え、良い匂いじゃない?」
「え、そうかな」
「まあ、その人ね、へえ、意外。誰から聞いたの」
「山下、一組の。親同士が仲良くて」
「ふうん」
「うん」
「......あ、ありがとうございます。ごめん、そこの携帯どけてもらえる」
「あ、ごめん」
「ここの、炭酸弱いんだよね」
「てか炭酸飲んでいいの、部活で怒られないの」
「本当はだめだけど、まあ、次の試合私レギュラーじゃないし」
「あー、そうなんだ」
「うん」
「なんかごめん」
「いや、別に梓が謝ることじゃないよ」
「まあ、うちのバスケ部ってだけですごいしね」
「それももういいよ」
「みんな可愛いし、この前のインターハイも......」
「もういいって!」
「あ......ごめ、あ......」
「今日だってサボってるんだし、あんま部活の話しないでよ」
「はは、だよねー......」
「......」
「......」
「......さっきのさ」
「え?」
「さっきの動画の話、あれどんな内容なの」
「あー、動画ね、えっと、なんだっけ、佐紀が見たって言ってたんだけど」
「佐紀? 吹部の? 仲良いの?」
「そう、茶道部も兼部してるから、それで」
「へえ」
「あ、それで、何だっけ、動画か。うーん、なんか、俺はいじめられてる! みたいなことを言ってたらしい」
「は? いじめ?」
「いや、ちょっと違うな、なんて言うんだろう」
「いじめの告発みたなこと?」
「違くて、あ、思い出した。えっと......カメラに向かって、俺は陽キャが嫌いだ! って、叫んでたんだって」
「ええ、なにそれ」
「なにそれ、だよね」
「ふうん......まあ、分からなくもないけど」
「え、麻衣は違うでしょ」
「違うって、何が」
「麻衣はその、陰キャじゃないじゃん」
「いや陰キャでしょ、どう考えても。部活サボってんだよ、みんな頑張ってるのに。陽キャは毎日汗水垂らして練習して、私たち頑張ってるねって肩組んで、帰りにコンビニでアイス買って、青春してるよ、今頃」
「カラオケでポテト食べるのも青春じゃん」
「まあそうだけど、でも、陰キャは陰キャだよ、私たちなんて」
「そっか」
「そうだよ」
「......」
「......はあ」
「......」
「......彼氏、欲しいなあ」
「どうしたの急に」
「......学校行くの、だるいなあ」
「......まあ、もうすぐ終業式だし」
「ああ、そっか」
「......」
「......あの動画、帰ったら見てみようかな」
「和田君の?」
「そう」
「んー」
「......よし、次、何歌う?」
「一緒に?」
「嫌だった?」
「ううん、歌おう」
「じゃあ『クリスマス・イブ』とか」
「誰それ」
「ええ」



......視聴回数 1,071回

 十二月二十四日。千葉県立上井(あげい)高校の体育館の空気は、浮足立っていた。冬休みへの期待感からか、終業式を迎えた生徒の整列が普段以上に収まりを見せない。
「ねえ佐紀、お前が言ってたユーチューバーの人って、あの人じゃない?」
「ちょっと、あんまり大きな声で言わないでよ。ていうか、その話誰にも言ってないよね?」
「言ってない、サッカー部以外には」
「最悪」
「大丈夫、中身は見せてないから」
「中身って?」
「動画で何言ってたか、とか」
「本当に? あ、伊原君」
「お、陸。一組が三組のところ来るなよ」
「どうせバレないって」
「伊原君、髪染めた?」
「佐紀ちゃん声大きい、地毛ってことになってるんだから」
「えー、やば。あ、てかさ、一輝になんか聞いた? あの、動画のこと」
「あ、和田君の? あー、部室で一緒に見た」
「やっぱ見てんじゃん」
「いやあんな面白いもの見ない方が損だって。な、めっちゃ面白かったよな」
「んー、まあ」
「面白かったっていうか、なんかさ、ちょっと、痛くね?」
「痛い?」
「そう......あっ」
 ぱん。ぱん。
 生徒指導の新井が手を叩いた。新井のそれが「静かにしろ」という意味を持つ、というのはこの学校では共通認識だった。少しの沈黙の後、新井の説教が始まる。
「......話長え」
「戻るタイミング無くなっちゃった。あ、てか、さっきなんて言おうとしたの」
「え?」
「和田君の動画のこと」
「あー、痛いやつ?」
「なにその、痛いって」
「んー」
「何を見てそう思ったの」
「だってさ、『この動画を見ているお前らが嫌いだ』とか、『お前らを中心に世界が回っていると思うな』とか、カメラの方じとーっと見つめながら言っちゃってさ。なんだよお前、テロリストの犯行予告かよ、みたいな。そもそも『お前ら』って誰だよ、って」
「ああ」
「あと『俺はお前らの目に気付いているからお前らも気付け』みたいなことも言ってたっけ。意味わかんないけど。な、痛くない? 痛いって言うか、見てるこっちが恥ずかしくなる、ならない?」
「俺は、あんまりそういう感じには思わなかったかな」
「えー、まじ」
「言ってる内容は何となく分かったし、『お前ら』っていうのも、多分動画で言ってた『陽キャ』のことだし。正直、痛々しいとか、恥ずかしいとかは思わなかったかな......あと俺、和田君とクラス一緒だけど、和田君ってわりと良い奴だと思うんだよね」
「なんで」
「二人とももう少し静かにしゃべってよ、私まで怒られるんだから」
「あ、ごめん」
「......和田君、ばあちゃん助けてたんだよ」
「は?」
「三か月前、くらいだったかな。俺がバイトで部活早退したの、覚えてる?」
「どうだったっけ」
「そのときは、店長から急に入ってくれって言われて、普段なら断るんだけど、時給上げるって言うから、嘘ついて部活サボって」
「あー、思い出した」
「急いでバイト先行ってたら、途中で歩道橋渡るんだけど、そこで知らないばあちゃんが荷物落としちゃってさ。でも俺急いでたから、今はごめんって思いながら、そのまま行っちゃって。でもやっぱり気になって振り返ったら、助けてる人いて、それが、和田君だったんだよ」
「へー、すごい」
「だから、和田君は良い奴なんだなあって、勝手に思ってる」
「でもそれ本当に和田君だったの?」
「黄色のノースフェイスのリュックだったから、絶対そう」
「あのリュックなら、和田君か」
 気付けば、新井の説教も、終業式さえも終わっていた。生徒たちがぞろぞろと立ち上がり始める。
「先生は、動画のこと知ってんのかな」
「知らないだろ、インターネットのことなんか」
「まあ知られたらなんとなく」
「そう、なんとなくな」
「......冬休み、どうする?」
「あー、どこか行きたいな」
「それなら先月兄貴が免許取ったから、あ」
「え? あ」
 振り返ると、新井が立っていた。



......視聴回数 1,086回

「以上で職員会議を終わろうと思いますが、なにか他に伝達事項ございますでしょうか......あ、はい、新井先生」
「えー、二年一組の和田、についてなんですが」
「二年一組は......山田先生ですか」
「はい、あ、私です。和田君が、なにか......」
「先ほど、一組の伊原と三組の東を式中の態度で少し叱ることがあったんですが」
「はあ、はい」
「そこで、和田について妙な話を聞きまして」
「......」
「和田が、ユーチューブに動画を投稿してるそうなんです」
「ユーチューブって、あの」
「インターネットの動画投稿サイトです。和田は、そこに自分の顔と名前を晒した状態で、動画をアップロードしているんです」
「アップロード」
「えっと、投稿している、という意味です」
「ああ、失礼、機械系の話には疎いもので......あ、はい、中川先生」
「ユーチューブに顔と名前付きで動画を投稿するのは、確かにネットリテラシー上の問題はあるかもしれませんが、ご時世柄そこまで問題視することでも......」
「確かにそうです。しかし、問題は動画を投稿していること自体ではなくて、その内容なんです」
「......」
「どんな内容なんですか」
「そうですね、僕もさっき確認したばかりなので......一度見てもらった方が早いかもしれません」
 新井がそう言って起動させたデスクトップの周りに、教師たちがわらわらと集まった。
「陰キャの俺から陽キャのお前らへ......」
 誰かが動画のタイトルを呟いた。
 新井がわざとらしく間を置いて、勿体ぶるように再生ボタンをクリックした。画面の中の和田が、こちらを睨んで話し始める。
「この動画を見ているお前ら。俺は、お前らのことが嫌いだ。お前らはどうせ、この動画を見つけて、仲間内で拡散して、笑いながらこれを見てるんだろう。俺は、そういうお前らの目が、視線が、声が、存在が嫌いだ。俺はお前らのことを陽キャ、と呼ぶ。そしてお前らは俺らのことを陰キャ、と呼ぶ。お前らは、自分のことしか見えてないんだ。自分たちさえよければそれでいいと思ってるんだ。だからお前らは教室で騒いでいいし、他人を馬鹿にしてもいいし......軽々しく異性と、軽々しく恋愛をしてもいいんだ。そんなわけないだろう。自分を中心に世界が回っていると思うな。お前らを睨む嫌悪の目に早く気付け。お前らが声を発するたびに、動くたびに、世界に現れるたびに、お前らには幾つもの嫌悪の目が向けられているんだ。俺は気付いている。お前らが俺を見る、その目に。奇人変人を見るような、馬鹿にしても反発しないかどうかを見定める、その目に。だから、早く気付いてくれ。俺は別にお前らに消えてほしいとか、そういうことは思わない。思いたくもない。ただ、気付いてほしい。そして、俺に干渉しないでほしい。俺を虐げないでほしい。俺から何も奪わないでほしい。もう見るな」
 ぎこちなく録画を停止する指の影に覆われて、動画は終了した。大人たちの間を、沈黙が行き渡る。
「どうしたものですかね......」
 誰かが口火を切った。
「いや、これは問題でしょう」
「でもなにか和田君に被害が及んでいるというわけではなさそうですし」
「精神的に、という意味では及んでるんじゃないですか」
「でも彼らにとっては、本当にただ生活しているだけとしか言い様が......」
 途端、口々に意見を言い始めた。しかし、彼らの意見がいち教育者としてではなく個人的な生来や過去に起因するからなのか、それは一向に収まらず氾濫した。
「先生方、落ち着きましょう。ここは一度、担任の山田先生にお話を聞いてみないと」
 山田は、さきほど名前を呼ばれたときからずっと黙ったままだった。
「山田先生、二年一組で何か変わったことはありませんか」
「......ええと」
「最悪の場合、いじめであるとか」
「......ああ」
「その他の些細なことでも、なんでもいいんですが」
「......いえ、ないと思います」
「......そうですか」
 この時、山田は、本当に二年一組は特に問題のないクラスだと思っていた。
 例えば、昼休みになると和田が教室からいなくなりどこかへ行ってしまうのも、体育祭の応援で赤いハチマキを使うことが和田にだけ伝わっていなかったのも、今野たちが和田の動画について話していたのを聞いてしまったことも全て、自分の知らないうちに、良い方向に転がっていて、良い影響をクラスに及ぼしていると思っていた。だからそう答えた。
「この動画については公開を止めさせますか、教頭」
「誰に」
「和田にです」
「そうは言っても、和田君は法や校則を破っているわけじゃないからな」
「いやまあ、そうですけども、その、ひとりの子どもがこのような声明じみた内容を発信するという決断をしてしまう状況自体は、健全であるとは言えません」
「うん」
「だから一度動画の公開を停止させて、和田を中心にヒアリングを行うなど、するべきです」
「確かに新井先生の言う通りです。ですので......とりあえず、一旦様子見ということにしましょう。うん。当然、万が一のときのために万全の態勢を整えながら、で」
「......はあ」
「新井先生のお気持ちもよく分かりますが、この動画の影響力なんて、インターネットといえどたかが知れてますでしょう。だから、ひとまずは、見守るということで、どうでしょう」
「......分かりました」
「よし、じゃあ和田君の動画については、そういうことで。もしものときは先生方ご協力よろしくお願いします、と。その他になにかご連絡ありますでしょうか、ありませんね。はい、それでは職員会議を終了します。ありがとうございました」
 教頭の合図で職員会議が終了し、新井のもとに集まっていた教師がそれぞれのデスクへ戻って行く。新井は、教頭が山田に近付いているのを目にした。
「なにか困ることがあったら相談してくださいね、女性ひとりじゃあ大変なこともあるでしょう」
 教頭の手は山田の腰に当てられていた。山田は返事とも言えないか細い声をあげていた。
 新井は全身の力が抜けて、そのままになっていたデスクトップの画面を、適当にスクロールした。



......視聴回数 504,869回

うさぎ大好き・1時間前
『適当にスクロールしてたら、急におすすめに現れた』

永ちゃん・2時間前
『なにこれ笑 意味わかんないんだけど笑』

すwl・4時間前
『見てるこっちが恥ずかしくなるやつ』

トーマス・4時間前
『分かる めっちゃ痛々しい』

らんおう・3時間前
『なんでこれこんな急に再生回数伸びてんの?』

ドードー・2時間前
『正月から見るような内容じゃないなw』

サワタ・30分前
『俺はこの人の言ってること分からなくもないけど』

さらさらsyk・2時間前
『中二病の弟も同じようなこと言ってた』

奴さん・3時間前
『本物の"陰キャ"で草』

風・1時間前
『てか後ろに映ってるの、制服のズボンじゃね?』

ロン・1時間前
『本当だ 高校?』

具シ堅・54分前
『学校特定した』

コールド101・50分前
『仕事早すぎ笑』

とんぼ・46分前
『住所も特定できるかな?ww』

サワタ・44分前
『なに言ってんだ気持ち悪いな お前らみたいな中途半端な奴らが見てていちばん嫌になるんだよ』

大吉・42分前
『は?w』

ディlcd・41分前
『こういう奴がいると冷める』

暖db・39分前
『要は「陽キャがムカつく」ってことだろ、気持ちは分かるけど素直にそう言えよ』

せり・36分前
『マジでそれ』

いでぃち・35分前
『でも何回見ても痛々しいのは変わらない』

ブルー・30分前
『こいつ学校でも友達いないんだろうな笑』

蘭&・27分前
『この人いなくなっちゃったらしいよ』



......視聴回数 76,1451回

「びっくりした、おらんくなったかと思った」
「うわ、急に話しかけんなよ、こっちがびっくりするよ」
「この授業捨てたんちゃうかって」
「これ必修だろ」
「せやから驚いてん、葉山おらんかったら俺この授業ひとりやから」
「なんで、写真サークルは」
「みんな韓国語かフランス語で、ロシア語は俺だけ。やから知り合い一人でもおってほんまに助かった」
「ふうん」
「民楽研は?」
「同期で同じ学科のやついないから、というか、いても多分そんなに話さない」
「えー、なんで」
「理由は分かんないけど」
「へー、てか、新歓どう?」
「いや、まあ、ぼちぼちかな。男子が三人くらい」
「やっぱり」
「やっぱりってなんだよ。良いよな、写真サークルは。放っておいても勝手に集まって来るだろうから」
「んー、でも今年はちょっと女子が少ないかな」
「気持ち悪。なんだよその考え」
「いやいや、俺らは飲みサーとかヤリサーちゃうから。まあ多少、可愛い女の子おったらええかなってだけで」
「へえ」
「あ、そうや、思い出した。今度女の子と飲むんやけど、来る?」
「は? なんで」
「バイト先の女の子とお酒の話で盛り上がった勢いで」
「いやそうじゃなくて、なんで俺なの。そういう話なら、写真サークルとか体育会系とかにお願いすればいいじゃん」
「なんかその子が陽キャっぽいノリ苦手らしくて」
「それで、民楽研」
「まあ写真サークルも別に陽キャちゃうねんけど。かと言って......ロボ研とかに頼むのも、なあ」
「いやまあ、分かんないけど」
「......どう、行く?」
「んー、どうしようかな」
「考えといてや」
「うん」
「この後どうすんの?」
「学食」
「じゃあ俺も。あ、学食の八宝菜食べたことある?」
「ない」
「めっちゃまずいらしいで。食べようや」
「ええ、まずいらしいものあんまり食べる気にならないよ、てか、誰が言ってたの」
「え、ツイッター」
「バズるくらいまずいんだ」
「そうみたい。あ、せや、それで思い出したけど」
「またなにか思い出したんだ」
「そんな嫌そうな顔せんとってや、これはマジでおもろいから。えっと......ツイッターで回ってきたんやけど......あった、これ、この動画、見たことある? めっちゃおもろいで」
「......うわ、なんだこれ」
「な、おもろいやろ」
「おもろい、って言うか、なんか、かわいそう」
「えー、そうかな、俺これみんなに見せてまわってんねんけど」
「おもろいから?」
「うん、おもろいから」
「......」
「なに、その顔」
「いや別に」
「あ、さっき言った飲み、今度の月曜やって、相手の女の子からライン来た」
「いやまだ行くかどうかは」
「はいはい」



「俺が峰将太、で、こっちが高校からの付き合いの、葉山宗平」
「えっと、大学の同ゼミの町田和葉ちゃんと、高橋美里」
「俺らが改めて自己紹介するの、なんか気持ち悪いな」
「分かる、昨日もシフト一緒だったもんね」
「じゃあとりあえず、乾杯しますか」
「はーい、グラス持ってー」
「はーい」
「峰くんなんか言ってよ」
「は、俺? えー......それでは、皆さんの、幸せと、実りある、未来と......ごめんやっぱ無理や、はい、かんぱぁい」
「なにそれー、かんぱぁい」
 葉山と町田は、黙ってグラスを掲げた。
「あ、ごめん俺らだけ盛り上がって。全然話してもらってええよ」
「そうだよ、ほら、趣味とかサークルとか」
「サークルで言ったら、葉山、変なとこ入ってんねん」
「なに、聞きたい」
「......えっと、民族楽器研究会」
「えー、なにするの」
「民族楽器を、研究します」
 葉山が言うと、何が面白かったのか高橋は手を叩いて笑った。一拍遅れて、町田と葉山も笑った。峰は2杯目の生ビールと、冷奴とポテトサラダを注文していた。
 先程から降り続けていた雨が止み、しばらくしてぬるい風に変わっていた。
「え! 美里ちゃん写真好きなん!」
「たまにカメラ持って散歩とか旅行するだけだけどね」
「めっちゃ趣味合うやん! 今度良かったら一緒に写真撮りに行こうや」
「えーやだー、だって将太絶対陽キャじゃん、話合わないでしょ」
「俺が陽キャなわけないやん! 写真好きとか、陰キャに決まってるやろ」
「でもお酒好きでしょ」
「そんなん美里ちゃんもやんか」
「えー、町田ちゃんもそう思うよね」
「うーん......ちょっとだけ」
「町田ちゃんまでそんなん言わんといてや、葉山助けてくれー」
「峰は、少なくとも陰キャではないって」
「俺が陰キャじゃなかったら、ここにおるみんな陰キャちゃうってことになるで」
「いや、それはない」
「はい、じゃあ、峰だけ陽キャってことで」
「ちょっと待って、じゃあみんな陽キャってことにしよ、な」
「『じゃあ』って、意味わかんない」
「ロボット研究サークルも?」
 ふざけた口調の葉山のその一言に、峰は身体をくの字に曲げて、噴き出した。
「いや......ロボ研......陽キャ......」
 目尻に涙を湛え、笑いで息が詰まりそうになりながら、途切れ途切れに単語を発した。
 それから四人はさらに盛り上がり、話題は転々とした。好きなアーティストの話。普段服を購入している店。高橋の結婚相手に求める条件。峰が幼い頃に両親の性行為を目撃したエピソード。町田の高校時代の元カレ。葉山の童貞。
「あ、そう言えば今日これ見せようと思っててんけど」
 飲み放題の時間を、とうに過ぎていた頃だった。
「んー、なにこれぇ」
「これネットで見つけた動画やねんけど、めっちゃおもろいから」
 峰が見せたスマホの液晶には、こちらを睨みつける和田の姿があった。
「八十万回も再生されてる」
「せやねん」
 峰が画面をタップすると、和田が小さく低い声で語り始める。
「全然知らへん奴なんやけど、なんか変なスピーチみたいなこと言ってて、コメントでめっちゃ叩かれててん」
 居酒屋の喧騒に散ってしまわないようにと、峰以外が耳をスマホに近付ける。動画の内容の全貌を捉え始めたのか、高橋がじわじわと口角を上げる。
 峰たちの傍を通りがかった店員が、一つのスマホに群がる大学生の集団を訝しげに見ていた。外では再び雨が降り始めたのか、びしょ濡れになったサラリーマンが数人、入店して来た。店内の湿度が少し上がる気がする。
「な、おもろくない?」
 動画が終了したのを確認した峰の声は、笑いがこぼれないようにするためか、くぐもっていた。それに反応して、高橋が顔を上げる。
「うん、おもしろ......あれ?」
 いつの間にか、町田の姿が見えなくなっていた。



......視聴回数 817,092回

しょうた『昨日はありがとー! 楽しかった!』10:23

美里『こちらこそ! ねえ私ちゃんとお金払ったっけ?』10:38

しょうた『どんだけ酔ってんの笑 もらったよー』10:39

美里『え居酒屋のあとの方も?』11:00

しょうた『うん笑』11:02

美里『ならよかった笑』11:09

しょうた『いえいえー またどこか遊びに行こー』11:11
『みさとちゃんさえよければ笑』11:30

美里『ごめんご飯食べてた いいよー』12:32

しょうた『ご飯かい笑 どっか行きたいところある?』12:34

美里『温泉行きたい』12:34

しょうた『ええやん温泉!』12:34
『旅館とかあれば泊まれるし笑』12:34

美里『変なこと考えてるでしょ笑』12:36
『ふつうに写真撮りたいだけ』12:36

しょうた『いや分かってるわ笑笑』12:36
『疲れたら休めるかなみたいな意味で言った』12:37

美里『休憩ってこと?』12:40

しょうた『みさとちゃんがそっちの話に持っていってるやん笑』12:41
『みさとちゃんほんまおもろい』12:41
『可愛いし』12:43

美里『ぜったいお世辞笑』12:49
『私なんかより町田ちゃんの方が可愛いよ』12:50

しょうた『いや可愛いよ笑』12:50
『昨日町田ちゃん大丈夫やったかな』12:50

美里『ラインしたら体調悪かったって言ってた』12:56

しょうた『そんなにあの動画嫌やったんかな』13:00

美里『ほんとのこと言うと私もあんま仲良くないからわかんないんだけどねー』13:00

しょうた『そうなんや笑 ならなんで連れてきたん笑』13:01

美里『ゼミのあと暇そうだったの町田ちゃんしかいなかったから』13:03

しょうた『かわいそう笑』13:04

美里『私は動画めっちゃ面白かったけどね笑』13:05

しょうた『そうよな!』13:05
『「俺は気付いている」笑笑』13:05

美里『さいあく笑』13:06

しょうた『そう言えばさっき見たら2本目あがってた笑』13:07

美里『うそ笑 あとで見てみようかな笑』13:09

しょうた『それなら一緒に見ようや笑』13:12
『俺もまだ見てへんし』13:13

美里『どうやって??』13:13

しょうた『え、じゃあ家行っていい?』13:13

美里『なにその「じゃあ」笑』13:14

しょうた『ええやん笑 みさとちゃんちで一緒に見た方が楽しいやろ笑』13:14

美里『えー』13:14
『お菓子買ってきてくれるなら』13:15

しょうた『マジ? いくらでも買っていく』13:15

美里『じゃあファンタも追加で笑』13:15

しょうた『だる笑笑 りょうかーい』13:16

美里『はーい』13:18
『グレープの方ねー』13:18


二.

 朝六時三十分、目を覚ます。布団をベランダに干し、冷水で顔を洗う。それから白湯を一杯飲み、目玉焼き二つとトースト一枚を食べる。歯を磨き、服を着替える。ユーチューブで動画を二本視聴する。マスクを着けて、八時に家を出る。家を出てからは、最寄りのバス停までは極力走らないようにし、一度乗り換えを挟んだあと、大学の最寄りより一つ手前のバス停で降りる。そこから中島みゆきの『ファイト!』を聴きながら歩いて大学へ向かうと、丁度曲が終わる頃に到着するので、スマートフォンからイヤホンを引っこ抜き、授業の準備を行う。
 佐和田涼は、この綿密に整えられた一連の行動を、大学入学以来二度目の春である現在に至るまで、欠かさず行っている。
 佐和田は自身の人生について、二度の大きな転機があったと考えている。
 一度目は、幼稚園でおやつに出された牛乳をこぼしたとき。青いプラスチックカップを握ろうとして、手を滑らせ、カップごと胸元に落っことした。園指定のスモックに白い染みがじわじわと広がり汚れていくのを見ながら、それまではなんとも思っていなかったのに、途端に自分の身体が「ついさっきまでは完璧だったもの」のように意識され、とても悲しくなったのだ。それ以来、佐和田は完璧に生きることに強く執着するようになった。
「完璧に生きる」とは、つまり、まず理想の生活を思い描き、次にそれに沿って実際の生活をこなしていくようなことを言った。佐和田にとってそれは、ミニゲームをクリアするような感覚だった。幼稚園での汚れを取り返すかのように、日々完璧を追い求めた。しかしそれは日常的に起こり得る偶然を排除するようなものではなかった。むしろ佐和田の思い描く理想には、そういった不測の事態は織り込み済みだった。内的外的要因にかかわらず予測外の出来事があった場合は、その場における最適解を瞬時に叩き出し遂行しようとするのだった。それらがのちに実は最適解ではなかったと分かったときには少し落ち込んだりもしたが、あまりに引きずるのはまた別の間違いに繋がりかねないので、気にしないようにしていた。
 二度目の転機は、和田了の動画を初めて見たときだった。
 始めは友達に勧められ、その半笑いだった友達同様、冷やかし気味に動画を再生したのだが、動画が進むにつれ、佐和田は額に脂汗をかき、指先が震え、気付いたら口元を抑えていた。そうでもしないと狂ったように笑うか感嘆のえずきを漏らしてしまいそうになったからだ。正直侮っていた。それはただの小市民の戯言などではなかった。同じクラスの、たまに教室ですれ違う、一言も話しているのを見たことがない和田君の、その誰も知らない人生で、積もりに積もった思想や価値観が爆発的に表されている代物だと思った。佐和田はすぐさまその動画の虜になった。しかしそれを誰かに話したことはなかった。当の本人に接触を試みようとも思わなかった。彼を見る目に、崇拝の念が滲み始めていた自覚はあったものの、自分を認識してほしいとか関係を持ちたいとか、そういう類の感情は浮かばなかった。
 一本目の動画が公開されてから三カ月。二〇一九年一月。和田は突然いなくなった。冬休み明けに一日だけ学校に来て、その翌日から姿を消した。
 和田の失踪は、学校が特定されていたからか見知らぬ人間にも伝わり、動画のコメント欄にそれについて言及する者が現れたりもした。視聴回数にも多少影響した。その一方で教室では、和田の不在は異常な早さで馴染んだ。
 和田は、もう一度だけ世界に姿を現した。二〇一九年の春に、二本目の動画を投稿したのだ。画面に映る和田は、少し太ったように見えた。
 和田は、「俺は陰キャじゃなかった」と語った。その語り口は、一本目の威勢が嘘のように、非常にたどたどしかった。「俺はもうひとつの人間だった」とも語った。全てを語り終わった表情は、今にも泣きそうだった。

 二本目の動画の投稿から一カ月後、和田は死んだ。自宅近くの横断歩道でタクシーに轢かれた。その事故は地元の新聞や夕方のニュースで報道され、タクシーの運転手には過失が認められた。
 犠牲者が和田であると分かった途端、元々それなりに視聴されていたからか、すぐに和田の動画は掘り起こされ、さらに拡散された。「精神を病んだ末の自殺だ」という考察もネット上で見られたが、事故の客観性によってそれらはすぐに否定され、むしろ「他人の死をストーリーに仕立て上げるな」と言われ、炎上した。
 それから時を経るにつれ、和田について語る者はいなくなった。



『ファイト!』を聴き終えた佐和田は、フランス語の授業までの時間をつぶすために大学の喫煙所にいた。一昔前までは大学構内に数か所ほどあったらしい喫煙所も、今では敷地の端の方に追いやられている。佐和田は、自身が吐いた煙を見つめ、良く晴れた五月の空を見上げる。二年前の和田も、こんな空を見たのだろうか。
 佐和田は、ふと気付くと、和田は今どこで何をしているのだろう、と考えてしまうことがある。
 和田が事故で死んでしまったことは何度も自分に言い聞かせた。新聞の記事も読んだし、事故直後の現場を映したインターネットの動画も見た。実際に事故が起こった横断歩道に行ったこともある。それなのに、なぜか和田が死んだという事実を受け入れられない。世界のどこかで生きていて、日に日に体重を増やしたり髭を伸ばしたりしているのではないかと思ってしまう。
 自分の中にある自分にとっても不可解な感情に、腹が立つ。
 煙草の火を潰したところで次の授業開始まで間もないことに気が付き、顎のマスクを上げ、急いで教室へ向かう。和田のことはきっと死ぬまで頭から離れない。身体に合わせて跳ねるショルダーバッグが、苛立ちを加速させた。



 二〇一九年五月。和田の葬式が行われた。白黒の鯨幕が張られた自宅の玄関の上に、動画が撮影されていた部屋の窓が見える。カーテンが閉め切られていて中の様子は窺えないが、かえって不気味で気持ちが悪い。
 佐和田は葬式が行われる和田の自宅を、遠くから眺めながら、その場から動けなかった。喪服代わりの学生服にこそ着替えていたが、近付く気が起きなかった。一瞬だけ見えた和田の両親は泣き腫らした顔をしていて、和田も一人の子どもだったのだ、と思った。
「了の同級生?」
 佐和田は始め、自分が声を掛けられていることに気付かなかった。
「あ、違ったらごめんなさい」
 そう言いながら黒のスーツを身に纏ったお下げ髪の女性が視界に入って、ようやく話しかけられているのは自分で、「了」とは和田の下の名前なのだと分かった。
「あ、いや、そうです、和田君のお葬式に」
「やっぱり」
 彼女は優しく微笑んだ。
「私は、了とは古い付き合いというか、いわゆる幼馴染で」
 彼女は容姿端麗だった。佐和田は、和田にこれほど容姿の整った幼馴染がいたことに驚いてしまい、正直に言えば、嫉妬に似た感情を抱いた。
「もうお線香あげちゃった?」
「いや、まだです」
「じゃあ行こうよ、私も今からだから」
 彼女の声は朗らかで、その人柄は、和田の両親にも快く迎えられていた。
「こんなに、大きくなって」
 和田の母親の声を背に、佐和田は白い棺桶の前に正座した。
 既に人はまばらで、和室には棺桶と、佐和田しかいなかった。
 佐和田はまたその場から動けなくなった。
 ほんの少し膝を立てて、棺桶の中身を見るという勇気が出なかった。
 頭の中の概念と目の前の現実が対応していない気がして、気持ち悪くて、拳を握る力が一層強くなった。食い込む爪が痛かった。
「ありがとうございました」
 ひどく吐き気を催したので、立ち上がって帰ろうとした。香典を忘れていたのが見つかる前に、というのも実はあった。
「あ、待って!」
 香典のことかと思って、心が跳ねた。振り返ると、幼馴染の彼女だった。
「あの、連絡先交換させてもらってもいい?」
「......え?」
「了の同級生とお話ししたいことがあったんだけど、その、誰も来なくて」
「は?」
 高校の同級生は、誰も和田の葬式に来ていなかった。
「......はい、分かりました」
 高校の同級生は、誰も和田の葬式に来ていなかった。



 フランス語の授業が終わり、荷物をバッグに詰める。視界の隅にこちらに近付いてくる影が見えた気がしたが、気付かないふりをした。
「あれ? 佐和田?」
 ゆっくりと目の前に現れて話しかけてきたのは、見覚えのない色白の男性だった。
「......あー、えーと」
「あ、ごめんこれじゃ分かんないよな」
 そう言って男性は、マスクを一瞬外した。
「あー......」
 それでも佐和田は誰か分からず、一か八かに賭けた。
「......高校の?」
「そう! 二年のとき一緒だった山下! 良かったー、覚えられてないかと思ったー」
 佐和田は名前を言われてようやく思い出したが、特に罪悪感は覚えなかった。
「え、久しぶりに話したいし、学食行かない?」
 月曜日の昼は本来インドカレーだと決まっていたので曖昧に返事をしたつもりだったが、いつの間にか二人は食堂へ行くことになっていた。
 平日の昼休みと言うこともあり、食堂はかなり混んでいて、二人は行列の一部になった。
「同じ大学なの知らなかったー」
「そうだね、俺も」
「え、学部どこ?」
 高校でもそんなに話さなかったクラスメイトと大学で再開した場合①、のテンプレート通りの会話が繰り返される。
「学食の八宝菜ってめっちゃまずいらしいよ」
 山下が食堂の前に貼ってあるポスターを指さして言う。
 会話は基本的に、「目の前にあるもの」「話している人」「共通の話題」のうちのどれかから生まれた話題によって成り立つ。よほどのことがない限り、「自分にしか分からない話」や「さっきまでの会話と全く関係のない話」を突拍子なくしてはならない。佐和田と山下の場合、お互いのことをあまりよく知らず、共通の話題も特にないので、目に見えたものや聞こえたものについて話すしかない。
「あ、そう言えば和田君死んじゃったね」
 あった。共通の話題が。「そう言えば」で片付けられるはずのない、鮮烈な話題が。
「......うん」
「結構さ、驚いたよね」
「......うん」
「あれ、いつだっけ?」
「二〇一九年の五月」
「あー、俺らが高三のときか」
「......」
「普通に悲しかったなー」
「......本当に死んだのかな」
「え?」
「......ごめん、何でもない」
 それからしばらく気まずい沈黙が続き、お互いがその気まずさを感じていないようなふりをした。山下は必要に迫られるかのようにスマートフォンをいじり、佐和田は下唇を噛んだ。次第に話題はまた大学のことや学食のことに移り、凪いだまま、食堂を出てすぐに別れた。
「じゃあまた」
 去り際に山下は片手を上げながらそう言ったが、佐和田はまた、とはいつだろうかと思った。
 佐和田はその日の日記に、やはりカレー屋に行くべきだった、と書いた。



 佐和田の完璧な生活が夏まで続いた頃、高校の同窓会の招待状が届いた。佐和田は、不必要なはずのそれを捨てられずにいた。



 スマートフォンを片手に、降りたことのない駅に降り立つ。東口と西口と南口がどこにあるか構内図で確認して、南口から出る。駅の真裏へぐるりと回った辺りは、灰色で背の高い建物が並び、昼間だというのに仄暗い。その中で、外壁を朱色に塗装された喫茶店が異物のように佇んでいる。
 佐和田は、スマートフォンの文字と店の看板を確認し、扉を開く。店内は、窓を閉め切っているせいか、扉の外以上に暗く、ステンドグラス模様のランプが微かな明るさを保っていた。
 佐和田を呼び出した張本人は、いつものお下げ髪を揺らし、隅のテーブルで二人掛けのソファを独占していた。佐和田はその向かいの木製のスツールに座る。
「なんでこんなところに」
「ここね、たまごサンドが美味しいんだよ」
「たまごサンド食べてないじゃないですか」
「これは、あんバターサンド」
「勧めるんだったらせめて食べててくださいよ、俺はアイスコーヒーにします」
 冷水の入ったグラスを持ってきたウェイターに、そう伝える。
「こんな寒いのによくアイス飲めるね」
「そんな寒いですか」
「だってもうほぼ冬だよ」
「十一月って秋なんじゃないですか」
「じゃあもうすぐ冬」
「わざわざ言い直さなくても」
「あ、除菌、いる?」
「いや入口でしてきたんで大丈夫です」
「ん、そう」
「......ありがとうございます」
 ウェイターがアイスコーヒーをテーブルに置く。
「全然敬語取れないじゃん」
「三つも年上なんで」
「言わないでよ」
「和田君は敬語じゃなかったんですか」
「そりゃまあ、小さい頃から一緒だったし」
「ですよね」
 佐和田とお下げ髪の彼女は、葬式の日以来定期的に会うようになっており、もう約2年半の付き合いになる。
「......そっか、佐和田君と同い年だから、もうハタチになるのか、生きてたら」
「死んでないですよ」
「またそんなこと言って」
「思わないんですか」
「思うよ」
 彼女は間髪容れず言った。
「死んでないって、今でも思う。なんでだろうね。いつかどこかの角を曲がったときに、ばったり会ったりしないかな、なんてずっと考えてる」
「......ですよね」
 気付くと話題は和田のことに移ってしまっていた。これはもう不可抗力みたいなもので、和田について話さずにいられないというのは、お互いに暗黙の了解のようになっていた。
「一本目の動画を見て気付いたんですけど」
「お得意の」
「やめてくださいよ、別に考察したくて毎日見てるわけじゃないですから」
 実際、窓から微かに入る光の角度から撮影時間を計算したり、着ていたシャツを特定したりしていた。
「一緒に見てもらってもいいですか」
「あーごめん、私のスマホ、今月もう通信制限来ちゃって見れないかも」
「分かりました、じゃあ俺ので......」
「どうしたの?」
「ちょっとスマホ鳴らしてもらっていいですか」
「えー、無くさないでよー、はい」
 スマートフォンが、鞄の奥底で振動した。耳を澄ましていた佐和田が、取り出してテーブルの上に置く。画面には『町田和葉』と表示されている。
「ありました」
「本名で登録されてるの、寂しいなー」
「他に候補がないじゃないですか」
「町田ちゃん、とか」
「なんか嫌なんで却下です。いや、そうじゃなくて」
 佐和田は和田の1本目の動画を再生した。
「これ、どうぞ」
 袖のところで少し拭いて、佐和田は町田に右耳のイヤホンを渡した。
「よく聞いててくださいね」
「音に関係があるの?」
「そうです」
「うわっうるさっ」
「最大音量じゃないと聞こえないんで」
 町田はイヤホンに耳を澄ます。爆音でうるさい和田の声に混じって、別の音が聞こえてくる。最初単音だと思われたそれは、いくつか聞こえるうちに、じわじわと繋がっていく。
「......音楽?」
「そうです、BGMです。なんの歌か分かりますか?」
「えっと......あ、中島みゆき?」
「そうなんです、『ファイト!』が流れてるんです、普通じゃ気付かないくらい微かな音で」
 二人が同時にイヤホンを外す。
「......で、どういうこと?」
「分かんないです」
「え、そうなの」
「でも俺、大学入ってからずっと毎朝『ファイト!』聴いてるんです」
「なんで」
「普通に好きで」
「動画のことは最近気付いたんじゃないの」
「そのはずなんですけど」
「じゃあ無意識で?」
「そうかも」
「あれだ、サブ、なんとか」
「サブリミナル効果?」
「それだ......あ」
 流れっぱなしになっていた動画に目を留めた町田が、なにかに気付いたように声を上げた。
「......えっと、これ、私の見間違いかもしれないけど」
「え?」
「うん、いや、やっぱりそうだ......了、手が震えてる」
「......ほんとだ」
 町田が顔を上げると、佐和田と目が合った。
「怖かったんだ」
 消え入りそうな声で、町田が言う。
「ふふ」
 佐和田が笑う。
「どうしたの」
「『ファイト!』聴いてたのも、怖かったからですかね」
「......ふふ」
「なんか、ちょっと」
「可愛いね」
「俺、初めて和田君に親近感、感じてるかもです」
「もともと優しい子だからね」
 二人の間で緊張していた空気が緩む。
「お待たせしました、ナポリタンです」
 初老のウェイターは気配を全く感じさせず、突然ぬっと現れたようだった。手には銀皿に乗った真っ赤なナポリタンを持っている。
「いや、頼んでな......」
「あ、ありがとうございます。ごめん、携帯どけてもらえる」
「え、これ町田さんの注文ですか」
「甘いもの食べたらしょっぱいものも食べたくなっちゃって」
 その言葉の通り、町田はナポリタンもぺろりと平らげた。佐和田もそれなりに手持ち無沙汰だったので、2杯目のアイスコーヒーを注文した。
「ムカつくなあ」
「え?」
「了が優しかったこと思い出したら、ネットのやつらにムカついてきた」
「......」
「今でもたまに思い返して腹が立つんだ。まだたった十七歳の少年に向けられた画面いっぱいの悪意と、画面の向こう側にいる人間の数に」
 腹が立つ、と言っていた町田の目は、怒りというよりも悲しみを訴えていた。
「でも」
 佐和田が口を開く。
「でも、いましたよ」
「......なにが?」
「ユーチューブのコメント欄とかネットの掲示板とかの、人間とは思えないようなクズたちに交じって、和田君の思いを理解しようとしてる人もいました」
「......」
「そういう人たちは確かにいて、それで、俺が見る限りでは少しずつ、本当に少しずつだけど増えてたと思います」
 町田は何も言わなかった。佐和田は話し続けた。
「俺も何度かクズに反論したりしてたけど、それで袋叩きにされて返り討ちに遭うことも徐々に少なくなりました」
「......了がやったことも、無駄じゃなかったってことなのかな」
「......どうなんですかね」
 二人はお互いの顔を見合うことはしなかった。しかしその声から、悲しみや寂しさは感じられなかった。
「まあ、彼の言ってることは、未だによく分からないですけど」
「え、そうなの」
「あの動画は、なにを言ってるか、じゃなくて、どうして言ってるのか、ってところが好きなんで」
「なにそれー」
「だから和田君が本当は優しいっていうの、あんまりピンと来てないです」
「がっかりだよー」
 今度は、目を見合わせて、軽快に笑った。町田は、事故以来和田のことでこんな風に笑えたのは初めてかもしれない、と思ってこっそり目尻に溜まった涙を拭った。色んな感情が人差し指を濡らした。
「まもなく閉店のお時間となります」
 ウェイターはまたも突然現れた。
 佐和田が町田を見ると、町田は顔の前で小さく手を叩いて合掌した。こういう時のそれが「お金ないからおごって」あるいは「話し足りないから家泊めて」のどちらかの意味を持つ、というのは二人の間では共通認識だった。
「ごめん今日はどっちも」
 結局、佐和田が町田の分までお代を支払い、家に泊まることにもなった。
 佐和田は例に漏れず夕食から風呂、風呂から床に就くまでの間を、定められたルーティンのとおりに行動した。まるで町田など部屋にいないかのようだったが、町田もそれに慣れた様子で、透明人間らしく自分の世話は自分でした。
 定刻零時ぴったりに就寝する直前、薄暗いオレンジの照明のなかで、町田は突然自身と和田のことについて語り始めた。
 彼と初めて出会ったのは、彼が小学一年生のときだったこと。そのとき自分は小学四年生だったこと。家が近かったのと彼の両親が共働きで夜まで帰って来なかったので、毎日のように遊んでいたこと。彼を弟のように思っていたこと。彼が中学二年生、自分が高校二年生のときに彼から告白されたこと。初めは驚いたが、よく知っていた優しさに惹かれ、告白を承諾したこと。それからは恋人らしいこともしたこと。手を繋いだり、キスをしたり、彼が高校生になったら、という約束をしたり。中学最後の誕生日のプレゼントに黄色のノースフェイスのリュックサックをあげて、高校合格のお祝いに金木犀の香りの香水をあげて。
「金木犀って、あの、変な匂いの」
「え、良い匂いじゃない?」
 町田はさらに語った。
 自分が大学に進学してから、二人の関係性が変わってしまったこと。彼からの返信が次第に遅くなっていったこと。半月に一度のデートは、月に一度になり、半年に一度になったこと。デートはおろか、会うことすら拒まれるようになったこと。そしてついに、音信不通になったこと。
「原因はさ、多分私にあるんだよね」
 町田の声は決して憂いを帯びてはいなかった。むしろ明るかった。佐和田が町田に背を向けるように寝返りを打った。
「大学ってさ、中学とか高校と違って、世界が広すぎて、誰とつるんでいいか始めのうちはよく分からなくなるんだよね」
「私が一年生の、雨が降ってたから梅雨の頃かな、に、大学の男子たちが、講義終わりに私のところまで来て、町田ちゃんの家に行きたいとかって言いだして」
「私、それまで大して仲良くもない男子にそんなの言われたことなかったし、そもそも実家だから、無理って断ったんだけど、あまりにもしつこくて」
「だから、じゃあ少しだけって、大学から家まで一緒に歩くことになったの」
「そしたら、家の近所で了とすれ違って」
「私が了に気付いたのはすれ違う直前だったんだけど、傘の奥に見えた了の目、めっちゃ怖かったな」
「男に囲まれちゃってるの、見られたからなー」
「それまで私や了が関わったことのなかった感じの人たちだったから」
「余計に嫌だったのかな」
「その翌日から、了の部屋のカーテンは閉めっぱなしになった」
 矢継ぎ早に語る町田の声は、パッチワークのように継ぎ接ぎになって聞こえる。頭の中で情報が一つになってまとまっていかない。
「......その、男たちとは、家で何を......」
 へとへとで小さくなった脳みそから、かろうじて絞り出した言葉。
 町田は何も答えなかった。代わりに、鼻をすするような音が聞こえた。佐和田は自分の発言をひどく後悔し、吐き気を催した。
「......だから驚いた」
 しばらくして、町田が声を発した。
「大学三年のときの、恐る恐る行った、もうそうなりかけてる男女をホテルに送り込むためだけの集まりで、初めて了の動画を見たときは」
 ここから先は、佐和田も少し知っている話だった。
「私の知ってる了が、私の知らない顔で、すごいことをやってるって。なにを言ってるか分からないと思うけど、とにかくもうそういう、自分でもよく分からない感情が、動画見てたらばーって溢れてきちゃって、それでその場になんかいられなくなって、逃げ出した」
 町田の声が蛇口を締めるときのような、甲高い声になっていた。
「私のせいだよね」
「......」
「......」
「......違います」
「......」
「俺は違うと思います」
「......ありがとう」
 どこかから鳴っていたンーという機械的な音が止み、静寂が深まる。
「......同窓会、行きなね」
 潔癖とも呼べる清潔な部屋のなかで、唯一の汚れを、町田はいつの間にか見つけていたらしい。
 カーテンの隙間から入り込んだ月明かりの筋が、二人の間に伸びている。



「......この世には、陰キャと陽キャの二種類が存在しているものだと思っていた。この世の構造は、陽キャがいつも陰キャを虐げていて、陰キャがいつも陽キャを憎んでいる、そうやって成り立っていると思っていたんだ。でも、違った。三種類だったんだ、この世にいたのは。陰キャと陽キャと、もうひとつ、三種類の人間がいたんだ。そして俺は、そのもうひとつの人間だった。陰キャじゃなかった。今の俺は、誰からもおはよう、と声を掛けられない。誰からも数学の課題があることを教えてもらえない。授業中に回される手紙は俺の席を避けて通るし、掃除が終わっても椅子が乗せられたままなのは俺の机だけだ。その取り残された机を見ながら、明日の数学の課題の話をしているやつが、自分たちのことを陰キャだと言っていた。じゃあ、俺は何者なんだ。俺は陰キャじゃなかった。それ以下の、誰が嘲笑っても構わない、最底辺の精神安定剤だ。だからもう、なにも憎んでいないし、なにも望まない。なにも思わない。そういうことにしたんだ」


三.

「誰か可愛くなってた子、いた?」
「んー、あ、谷口さん、綺麗になってたかも」
「あー、まあ」
「反応悪。他に誰かいた?」
「いや別に、かな」
「なんだよ......てか、いつまでネクタイいじってんの」
「久しぶりすぎて鏡見ないと無理」
「高校のときは毎日やってたじゃん」
「二年間もやってなかったら忘れるって、あ、今野は一年か」
「いや浪人したけど卒業したタイミングは一緒だろ」
「くふ、大学でもやってんだってね、吹奏楽」
「オーケストラな」
「どっちでもいいよ」
「山下はサークルとか入らないの」
「入んないよ、新歓とか合宿とか、陽キャのやることじゃん」
「んー、まあ」
「サークルで彼女とかできないの」
「全く」
「......よし、できた」
「山下は? 彼女できたの?」
「あー、いないかな、彼女は」
「彼女、は?」
「うん」
「え、どういうこと?」
「まあそれは」
「いやいや」
「しつこいな」
「ちょっと」
「だからまあ、先週と今週で違う人と、みたいな」
「ヤってるってこと?」
「声大きい」
「うわー、俺より全然大学楽しんでるじゃん」
「そんなことないよ......あれ、会場ってどっちだっけ」
「左。来た通りに戻るだけじゃん」
「行きは『トイレはこっち』って矢印しか見てないから......うわもう結構受付してる」
「ほんとだ」
「山下」
「あ、谷口さん」
「これ、この前忘れてたよ」
「ん、ああ、ありがと」
「じゃね」
「ん」
「......山下と谷口さんって仲良かったよな?」
「親がね」
「なんか二人ともそっけなくない? てか、なにそれ」
「スマホの充電器」
「なんで」
「ヤったから」
「マジ?」
「マジ」

「マジでなんなのあいつ」
「誰?」
「山下」
「ああ」
「変に気遣うようになっちゃって、一回しただけで」
「でも好きだったんでしょ」
「うん」
「今は?」
「尚更」
「じゃあ良いじゃん」
「でも別に付き合ってるわけじゃないんだよ」
「そんなもんでしょ」
「そんなもんじゃないでしょ......あ、三年四組の谷口梓です」
「同じく、瀬戸麻衣です」
「......え、ちょっと待って、佐紀?」
「えー! そう! 梓、気付いてくれないかと思ったー!」
「髪色変わってるから全然分かんなかったー!」
「そー! 茶色にしたの!」
「えめっちゃ可愛い! え、待ってこれインナー?」
「そうなの! ここだけピンクだったんだけどもう結構落ちちゃって」
「落ちても全然可愛いよ!」
「えー! ありがとー! 一輝とか全然気づかないから言ってもらえるの嬉しい!」
「えー、まだ安住君と付き合ってるんだー」
「そう、今日は来れないみたいなんだけど」
「そうなんだー、え受付頑張ってねー」
「ありがとー! またあとで話そー!」
「うん、じゃねー......」
「......よく気付いたね」
「なんかね、気付けた」
「てか、まだ、とか言っちゃダメでしょ」
「だって、まだ、って思わない?」
「思うけど」
「ね、てか休み明けの課題もうやった?」
「やった」
「えー、見せてー」

「佐紀ちゃん、ちょっと名簿見せて」
「あ、伊原君どこ行ってたの、私ずっと一人で受付してたんだけど」
「ごめん、ちょっと」
「......煙草?」
「え、うそ、臭う?」
「うん、少し。まあ一輝も吸うから敏感になってるのかも」
「てか今日一輝は?」
「なんか来れないっぽい」
「えーそうなんだ」
「名簿、思い出せる?」
「全然」
「私も。受付で名前言われてもほとんど顔が一致しない」
「分かる、マスクしてるから余計に......あ、そう言えば」
「ん?」
「さっき喫煙所で、佐和田に会った」

「あ、そう言えば」
「ん?」
「俺、大学一緒だったんだよね」
「誰と?」
「佐和田君」
「あー......二年のとき一緒だった?」
「そう、去年の春に初めて知って」
「へー、話した?」
「一回だけ。全然盛り上がらなかったけど」
「何話したの」
「何だっけ、大した話してないと思うんだけど......あ、少しだけ、和田君の話した」
「あー、ふーん」
「大した話じゃないっしょ......えっと、三年二組の、山下昇です」
「三年三組の今野樹です」
「あれ? 山下と今野?」
「......あ、伊原君」
「めっちゃ久しぶりだねー、てか山下雰囲気変わった?」
「え、そうかな」
「なんか、モテそう」
「いや伊原君の方こそ」
「ちょっと、話すなら邪魔だから会場入っちゃってよ」
「え、また一人にしていいの?」
「あと少しで終わりそうだから」
「そう、じゃあ、よろしく。じゃあ行こうか」
「うん」
「あれ、二人だけ? 確か高校のときはいつも三人でいなかったっけ?」
「ああ、蓮野のこと?」
「そうだ、蓮野だ。来てないの?」
「来てるよ、あそこに」
「司会じゃん」
「はーい、もう皆さんお集まりですかねー、とりあえずグラス持ってくださいねー、なんでもいいんでー」
「ちょっと雰囲気変わったね、いや、かなり」
「大学でテニサー入ったらしいよ」
「それでか」
「ふう、やっと終わった」
「あ、佐紀ちゃんお疲れ、全員来た?」
「とりあえず同窓会用のグループに既読つけた人数は。あとはもう、いいでしょ」
「そっか」
「佐紀、お疲れー!」
「あ、梓―!」
「はいこれ、カシオレ、佐紀の分も」
「えーありがとー、二人はなに飲んでんの?」
「私たちはビールにしたー」
「あ、そうなんだー」
「てか、もうすぐ始まるの?」
「うん、もうほぼ来たから」
「えー楽しみだねー」
「ねー」
「あ、暗くなった、なにこれ、演出?」
「うん、乾杯の挨拶、蓮野君が」
「へー、なんか、感じ変わったね」
「ねー」
「はーい、あ、俺のところの照明は付けたままにしといて、よし。えー、それでは、皆さんお集まりということで、早速同窓会の方を始めさせて......」
「なんか面白いこと言えー」
「おい、誰だ今の、無茶ぶりやめてくれよー、えー、仕方ないな......えー、私たち、千葉県立上井高校第百二十九期生は、数々の困難を経験してきました。一年生のときに文化祭と体育祭がどちらも中止になったり、誰かが図書室でヤったせいで学年集会が開かれたり」
「はは」
「あったっけそんなこと」
「あとは......和田君が死んだり」
「......うわ、言うんだそれ」
「しかし私たちは、どんなときでも一致団結して、みんなで乗り越えてきました! それもこれも、この第百二十九期生全員、一人ひとりのおかげです! それは、和田君も同じです!」
「......もういいって」
「そんな私たちの輝かしい日々を、今日は存分に思い出して、語り合いましょう!」
「あいつマジで陽キャじゃん」
「それでは、みなさん! グラスを掲げてください!」
「あーあ、俺たちと同じ陰キャだから仲良くしてたのに、ああなったらもう前みたいに絡めねーわ、なんか、感じ悪」
「いきますよ! せーの、かんぱ......え」
 ばすっ。
 会場後方で、鈍く何かがぶつかる音がした。
 全員がそちらを振り返る。
 そこでは山下が自分の右頬を抑え、倒れ込んでいた。
 佐和田が、山下を殴った。
「何すんだよ!」
 佐和田は山下の胸倉を掴んだまま離さない。
「......えてくれよ」
「は?」
「だったら、教えてくれよ」
 佐和田の潤んだ目は、山下だけに向けられたものではなかった。



さき『今日なんで来れなかったのー?』23:19

安住一輝『ごめん、先輩と飯』23:55

さき『前もそんなこと言ってなかった?』23:57

安住一輝『うそじゃないから』00:01
『仕方ないじゃん』00:01

さき『いや別に疑ってるわけじゃないよ』00:04
『ごめん、もうやめようこの話』00:04
『同窓会めっちゃ楽しかったよ』00:05

安住一輝『そっちが先にしてきたんじゃん』00:11

さき『ねえごめんて』00:11
『てかこの動画見て!』00:12
『同窓会のときのやつなんだけど』00:12

安住一輝『なにこれ』00:20
『ちょっと待って笑 これ佐和田?笑』00:24

さき『そう笑 やばいよね笑』00:24

安住一輝『これはおもろすぎる笑』00:25

さき『だよね!』00:25
『一輝ならそう言ってくれると思った』00:25

安住一輝『おん笑』00:26

さき『ねえ』00:26

安住一輝『ん?』00:28

さき『明日の成人式は来るよね?』00:28



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「ねえ、どっちがいい?」
 町田はフライパンから目を離さずに言った。
「ちょっと聞いてる? オムライスの卵、半熟と固いのどっちがいい?」
 今度は佐和田の方に視線を合わせた。佐和田は、ワンルームの部屋とベランダをつなぐサッシの上に、腰掛けている。
「あ、ごめんなさい。どっちでもいいです」
 佐和田が振り向いて言った。
「じゃあ半熟にするねー」
 町田は手際よくチキンライスの上に卵をかぶせ、こたつに運んだ。
「寒いから閉めて」
「すみません」
 佐和田は言われた通りに窓を閉め、こたつに入る。その様子は、物憂げな表情を浮かべていたり、ふてくされていたりするものではなく、いたって素直でさっぱりとしていた。
「また見てんの、その動画」
 さきほどから佐和田の手には、スマホが握りしめられていた。画面には、怒声を上げる一人の男が映し出されている。それは、同窓会での佐和田の姿だった。
「どうしてか分からないけど、ずっと見ちゃうんです」
「それでこんな汚くなって」
 以前は、汚れどころか一切の乱れすらなく整えられていた佐和田の部屋が、いつの間にか物や服で散乱していた。気付けば、食事も三日ほどとっていなかった。それを見かねた町田が、夕食を作りに来てくれた。
 かつての佐和田では、考えられなかった生活だ。
「自分が盗撮されてる映像、よくそんなに見てられるよねー。しかも一瞬でバズっちゃって」
 その映像は、上村佐紀が、自分に愛想をつかしかけている安住一輝に送ろうと思って撮影されたものだった。それを面白がった安住は、その動画をインターネットの動画投稿サイトにアップロードした。動画は、瞬く間に再生され、佐和田の顔や声は晒され続けた。
「ねえ、私にも見せてよ」
「まだ見てなかったんですね」
「見れないよ、特に一人では」
 佐和田は町田の震えた声になにかを察して、それ以上はなにも言わなかった。なにも言わず、画面を町田の前に置き、佐和田も覗き込むようにして、動画をはじめから再生した。
 画面のなかの佐和田が、叫び始める。
「......なあ、だったら教えてくれよ。この世はたった二つの人種で成り立ってんのかよ。人間は必ず陽か陰かに振り分けられるのかよ。酒が好きで、同窓会の司会をやれて、インスタをやってて、メールより電話の方が楽だと思ってたら陽キャで、写真を撮るのが好きで、人前に出る勇気が無くて、サークルに入ってなくて、スタバの注文に狼狽えるんだったら陰キャなのか。は? 違うだろ。そんな簡単に括れないだろ。誰しも、他の誰かより少しずつ優れてて、他の誰かより少しずつ劣ってる。そういうもんだろ。それなのに、俺の周りには誰かのことを陽キャと決めつけて、自分を陰キャだって言ってるやつばっかりだ。結局お前らがやってることは、自己保身なんだよ。自分を劣等感から守るために誰かに陽キャというレッテルを与えて一方的に忌避して、さらに保険をかけるために自分を陰キャというレッテルで包み込む。くだらない。それでいて、最低限の優越感は確保するために、陽キャでも陰キャでもない別の誰かを見下す。マジでくだらない。無視すんなよ。しっかり見ろよ。捻じ曲がった性根も、社交性や協調性やコミュニケーション能力の無さも、お前が陰キャだからじゃないよ。お前が、お前だからだよ。気持ち悪い。本当に気持ち悪い。お前らのそういう思想や行動の最悪の結末が......和田君だ」
 佐和田は、山下の胸倉から手を離し上体を起こした。
「だから俺は震えたんだ、初めて和田君の動画を見たときに。動画を見る前から気持ち悪いとは思ってた、陰か陽かのどちらかにいなくちゃならないことに。だけどあんな風に抵抗しようとは考えたこともなかった。そのもがく姿に、感動して震えたんだ。お前らには分かんないだろうな、この気持ちは。確かに、はじめは和田君も自分のことを陰キャ、って言ってたけど、それはお前らがへらへらしながら言う陰キャとは違う。全然違う。生きていて一瞬でも、この世界から早く消えてしまいたいって思ってしまった、そういう記憶が生んだ言葉だ。少なくとも俺はそう思った。どうせ、二度目の動画だって見てないんだろ。見ろ。全員見ろ。葬式に来なかったやつは全員見ろよ。自分たちがなにをしたかがよく分かるよ。お前らが和田君を殺したんだよ。そう思って、生きてみろ」
 佐和田は息を切らし、同窓会の会場を後にした。動画はそこで終了している。
「......警察沙汰にならなくてよかったね」
 町田が小さな声で言った。
「まさか、自分もこっち側になるとは思いませんでした」
 佐和田も、同じくらい小さな声で言った。
 こたつの熱が焼けるように熱く、町田は足を折り曲げた。佐和田はなにも言わず宙を見つめていた。自動で次の動画が再生されていたが、二人ともなにが聞こえているのか全く分からなかった。
「こっち側ね」
 町田が口を開いた。
「え?」
「こっち側って、どっちかな」
「え、動画に、出る方、みたいな」
「ほら、君だって、世界を二つに分類してるんじゃない?」
「あ、いや、これは」
「大丈夫、それを咎めてるわけじゃないよ」
 町田が一瞬、息を吸った。
「でも、君も心のどこかでは、了のこと下に見てたんじゃないかな」
「は、そんなことは」
「そんなことあるよ」
「どうしてそんなに言い切れるんですか」
「私だって、そうだもん」
 佐和田の喉がひゅっと鳴った。
「劣等感を感じたことがなくて、誰のことも見下したことない人なんて、この世に一人もいないよ」
 町田は目を伏せていて、佐和田からは表情が窺えなかった。
「みんな、自分より優れてる人を見て悲しくなったり焦ったりして、自分より劣ってる人を見て安心してる。そんなもんでしょ。私だってそう。了のこと、本当に好きだったけど、画面の向こうで叫んでる了は、なんて言うか、可哀想だった」
「可哀想って」
「そう。可哀想って、相手を見下してるときに使う言葉でしょ。自分より低いところにいる誰かを、高いところから見下ろして、自分勝手に使える言葉。だから了のこと可哀想って思っちゃったとき、あ、私、了を見下してるんだ、って」
 町田の手は震えていた。
「それに気づいたとき、不思議と、悲しくはなかった」
 口から紡ぎ出される言葉は、質量を持って目の前にぼとぼとと落ちていくみたいだ。
「ね、君も同じ。了のこと、可哀想って思ったでしょ。結局、私たちだって気付かないうちに了を見下してたんだよ」
 佐和田は下を向いたままなにも言えなかった。ただこの場においては、黙ることはささやかな肯定を意味していた。
「綺麗事には賞味期限があるから、そのままでは終わらない。いつか、隠してた汚さが顔を出す」
「......」
「例えば、君が了のことを死んでないと信じてることだって、もう、期限切れなんじゃないかな」
「......和田君は死んでないです」
「死んでるよ」
「死んでません」
「ううん、死んでる。君がそれを信じられないのは、ずっと『いなくなったまま』だと思ってるから」
「......」
「了は、一本目の動画を出してから数カ月して、どこかに消えた。そして次の動画のあとすぐに、事故で死んだ。だから君が最後に直接見た了は、死ぬ前の了じゃなくていなくなる前の了で。それで未だに、了はまだこの世界から消えていないって、思ってしまってるんじゃないかな。ただの勘違い、ドラマチックなんてない。どう? あっけなかったでしょ?」
「......」
「また黙ってる」
「......じゃあ」
「ん?」
「じゃあ、なんで町田さんは和田君のこと死んでないなんて言ったんですか」
「好きだったから」
 町田は即答した。
「違うな、好きだから、今も」
「それは綺麗事じゃないんですか」
「綺麗なわけないじゃん、死んでるんだよ、相手。愛がいつでも綺麗だと思ったら、大間違いだよ。実れば綺麗だろうし、実らなければただの執着。私はずっと、彼に執着してる」
 町田が顔を上げて微笑んだ。その表情は、佐和田が今まで見たことのない、果てしない憂いを含んだものだった。
 一周したのか、スマホからは再び佐和田の動画が流れ始めた。
「陽キャだ陰キャだってのもさ、もちろん私も心底くだらないと思う。でも、誰かを見下したり綺麗事で取り繕ったりっていうのは、もう逃れられないことなんだ、きっと。こうして世界の隅っこに追いやられてるように見える私たちでも、結局は同じ渦の中で生きてる。だからもう、自分たちの馬鹿さに抗うことを諦めて、醜さ振りかざしながら、生きていくしかないんだよ、ね」
 町田が両手で佐和田の頬に触れ、そっと顔を上げさせる。佐和田は今にも泣き出しそうだった。
「は? なんで泣きそうなの、意味わかんない」
 町田ははははっと笑った。それは嘲りも綻びも悲しみも、ぐちゃぐちゃに詰まった笑いだった。
「本当は、怖かったです。自分の動画が拡散されるのも、和田君が悪く言われるのも、和田君が本当は死んでることも。でも、それを受け止めたら、自分が駄目になりそうで」
「ちょっと、よだれ、汚い、流すならせめて涙にしてよ。駄目でもいいよ。生きよう、とにかく」
 町田のその言葉には、安易だが芯の通った強さがあった。
 佐和田は顔を赤くして、ほとんど泣いていた。町田が気付かれないように自分の目頭を擦った。
「ほら、食べな、オムライス。もう冷めてるよ」
 町田がそう言い終わるが早いか、佐和田は一心不乱にオムライスをかきこんだ。
「どう? 美味しい?」
 その言葉に呼応するように、佐和田はスプーンを止めることなく頷いた。
「良かった、泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます、バイ、巻真紀」
「誰ですか、それ」
「成人式の後、了のお墓に何人か来てくれたみたい」
「何を今更、たった数人で。ていうかお墓、あったんですね」
「そりゃあるよ」
「じゃあ死んでるじゃないですか」
「お墓があるだけではなんとも」
「いや、死んでます、確実に」
「極端なやつめ、ご飯粒ついてるよ」
「え、どっちですか」
「右、あいや、私から見て左、いやだから」


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