真夏なコーンパン!わくわくキャンペーン

スニラ


 
 僕は女がまあまあ嫌いやった。小さくて、いつも群れてて、都合が悪くなるとすぐに泣く。あと、大体賢くない。姉ちゃんは怒るとお喋りじゃなくて暴力で解決しようとしてくるし、いつもテストで一番をとる堺さんも、アイドルの話ばかりするツレの辻本さんと昼飯を食っている時に隣でぼっち飯かましてる僕に聞こえるぐらいの声で、車持ってる年上の彼氏がかっこいい話とエロいという話をしていた。それを聞きながら窓際で立ってツナマヨコーンパンを食べている、日頃やたらとスカート丈にこだわる、いわゆる陽キャ(というポジションであると声高に自称し、嫌ないじりを正当化する陽キャのパチモンだと僕は思っている)が彼女らがセックスの話題をしているらしくなると露骨にニタニタと笑う。女の目はよく喋って怖い。身に纏って飾れるかどうかを品定めして、屑みたいなもんだと決めたら心底どうでも良さそうによそを見る。パチモン陽キャの目はただ堺・辻本コンビを見てるのではなくて、「自分がとっくに品定めを終えて見切ったモノを得て嬉しそうにする人間よりはステージが上の私たち」を見て笑っているのである。
 キッショいなあと僕は思う、何がとも誰がとも言わないが。僕は月野源(堺さんの彼氏が似ているらしい。月野源が俳優なのか歌手なのか、僕はよく分かっていない)の顔とか、着痩せするタイプとか、この大体六十四平方メートルの教室の中で流行り続けて味のしなくなったガムみたいなのじゃなくて、火星の夕日の色の話とか、空飛ぶ鳥が何を考えているのかとか、最悪ツナマヨコーンパンのコーンの数の黄金数は何なのかでもいいから、こんな大阪の街の活気の残り汁を啜っている町から離れられる逃げ場が欲しかった。
「先生方、至急職員室にお集まりください。」
 校内放送のチャイムの後に、そう二度繰り返した声がブツリと切れた後、教室は浮き立つ空気に包まれた。快晴の今日、夏休み前の今の時期に台風のニュースはしていなかったし、電車の遅延も関係しそうにない。爆破予告かな、なんて僕も空気に飲まれて現実味のないことを考えた。
「おい! これやばいやん! これやん、ゼッタイ!」
 教壇の段差に腰掛けて昼飯を取っていた、こんがり肌のスポーツ刈りが同じく刈りたての頭の友人にスマホを見せながら騒ぐ。スマホ使用禁止の校則は、教室中の非日常の予感がなくても、彼らにとってはいつでも無いも等しいのが普段は癪に触るが、今に限ればその要領のいい賑やかさもありがたい。彼らは小さな画面に釘付けになって叫んだ。
「クソでっかい! カニ!」
 え、蟹?
 おおーっ、と彼らは阪神がホームランを打った時くらいの盛り上がり方をし、パチモン陽キャが高い声を出しながらスマホ画面という餌に飛びついて、意図的ではないですよという目をして彼らの肩や脇腹に触れていた。僕は蟹と騒ぐその状況をもっと詳しく知りたくて、弁当を食べる手を不自然に止めないようにしながら耳にだけ意識を集中させる。けれど校則違反によって進学に悪影響を与えるという危険を冒してまで調べようをする生徒は他におらず、それぞれのグループ内でなんの呼び出しか、休みになるかどうかの予想をしてざわめくばかりだった。生徒達が静かになったのは、開いたドアがうるさく軋みながら閉められた時で、ドアの前の人物は生徒に席に座ることを指示しながらスリッポンの擦り音を鳴らして教卓の前に立つ。スポーツ刈りたちはドアが開く前に、彼らの座る位置からは見えるのか危険察知能力が高いのか、早々にヤベッと言いながら立ち上がり、校章の剥げたセカンドバッグに乱雑にスマホを隠して自分達の椅子の先に散った。

「淀川に巨大蟹、巨物処理員が対応」
 僕の予想に反して休校になったその日の午後、校門を出た瞬間僕が急いで電源をオンにして開いたニュースサイトの記事は、嘘を書いてるように思えた。まさか、こんな身近でニュースで見ていたことがそのまま、あの場所で、あの時間起こっていたなんて。淀川といえば僕が中二まで一緒に暮らしていた犬のコン太の散歩によく連れて行く場所だった。当時もその目的以外で行くことなんて特に行くことの無かったような場所だったため、高二の今行くわけがなかったけれど、少しばかりは思い出と親しみのある場所だった。僕はJ-popのプレイリストの再生リストの右矢印をタップして、チャリにまたがり一漕ぎ目を踏み込んですぐに足を地面につけた。喉にすりガラスのフィルターをつけたような声が両耳を覆ったからだ。堺さんの話がなんとなく頭に残っていて、嫌な想像を掻き立てられた僕は、愛や希望や何気ない日常の大切さを囁かれる前に洋楽のプレイリストに変更してもう一度ペダルを踏み込んだ。
 玄関に履いた靴を投げ飛ばして、ソファに座ってテレビに食いつく。関西ローカルのテレビだけじゃなく、全国区のでも取り上げられる話題の事件になっていて、少し嬉しくなる。視聴者投稿映像にはでかい蟹と女の子が日曜朝の美少女戦士モノのように戦っている姿が映されていた。蟹がでかいのはよく分かるとして、女の子も数人の野次馬と比べたら、倍、いや三倍はあるから六メートルくらいの身長だ。小さいやつが頑張って大きいやつに対抗している可愛らしさは特にない。ウルトラマンの戦闘シーンのような、膝下から川に浸かっている女の子と足に細かな毛を生やして、てかてかした蟹が対峙する画角で、女の子は大体目線が同じ高さの黒緑の体をした蟹の両はさみを掴んで蟹の腹に蹴りを入れる。思っていたよりも大きく凹み、小さい(と言っても多分僕の腕ぐらのでかさはある)殻の破片が飛ぶ。蹴り出した足の水を含んだ白い靴下からは水が滴り落ちて、ゴングを鳴らしたかのように川面がさらに揺れてうるさくなる。蟹は他の足をジタバタ動かしながら泡を噴き出して彼女のセーラー服のような白い衣服の胸元や顔を濡らした。僕は誤解されたくないと思って前のめりになった体を元に戻してから改めて画面に集中する。女の子は泡攻撃に動揺したのか、両手を蟹のはさみから離した、その瞬間威嚇のポーズを取った蟹に左手首の下の方を挟まれる。あっと思わず僕はまた前のめりになって声が出た。柔らかな肉に歪な凹凸が沈む。女の子は顔をしかめながら手を掴むはさみの関節の部分をつかんだ。......ところで映像は終わる。アナウンサーは強烈な印象を残す映像とは逆に淡々と、無事に蟹は駆除されたことと対応にあたった巨物処理員は軽症であることを伝えた。
「ほんま怖いよなぁ、あんな近いとこでも巨大化して、もう日本も終わりよ。ホンマあの子も若いのに働かされて......可哀想やなぁ。ほらっ、あんたより若いのよ。見習いや」
 母は洗濯物を畳む手を止めずに話しかけてくる。母の存在など無視して横で座ってテレビを見入っていた僕はそれには応えなかったが、気が咎めるので折り方にこだわりなさそうなバスタオルに手を伸ばして半分に折りたたんだ。グロテスクな四本の足の毛はこの使い込まれて人間包み込み力を失ったタオルより、きっと触ると痛いだろう。はさみなんて、重機レベルかもしれない。十五歳か。僕が生まれた時にまだ存在していない存在が今日、蟹と川で戦った、と思うと不思議な気分がする。確かに現場は近いが、知れば知るほど現実ではない。現実だけれども、それは事象に過ぎなくて、僕が雨を降らせられないように、川の流れを止められないように、影響しあえないなら無いのとそんなに変わらない。戦うのが僕だったらお見舞いしたスマートなかかと落としも、すぐにチャリで淀川に走っていたら始まった二歳年下の切りっぱなしのようなボブヘアの女の子との青春も、本当にただの妄想になってしまって、僕を焚き付けていたほっかほかの期待と目がひんやりと覚めていく。
「ちょっと畳み方違う。半分に折ったらも一回。」
 母は僕が畳んだバスタオルの折り方に指摘を入れながら次は言ったように折ってや、と新しいバスタオルを寄越した。おろして間もないふわふわのタオルだ。僕は言われた通りに折る。重ねられたバスタオルは最初に僕が折ったのだけが横に飛び出ている。母は立ち上がって脱衣所に片しにいった。残された僕は値上げの話題に変わってしまった番組を見る気はなかったのでチャンネルを変える。音楽、ドラマ、バラエティ。
 巨大化生物とは何か?
 関心にストライクな言葉に手が止まる。司会のおじさんが、知っていますか? と五人のゲストに聞くと、みなわざとらしく首を傾げて何となくなら分かるんですけど、説明しろと言われたら......とか何とかうにゃうにゃと言った。
「巨大化」はこの数年間日本が抱える環境問題なんです。用意されたモニターから、いかにも教授っぽいおじさんも自然と参戦して、実は巨大化の原因は遺伝子の病気なんですよと、説明を加える。具体的なことが誤魔化されてても、図説と本がギシギシに詰まった本棚を背景とがセットになると何だか説得力がある。突然大きくなった動物が森林を破壊したり、時には人に危害を与えたりと巨大化発症生物が現れてすぐ対処しなくては非常に大きな災害になってしまうんですよ。おじさんは優しい声色で続ける。そのためね、人間で発症した方が巨物処理員として巨大化した生物を安全に処分する役割に就いて、今は対応しているんですよ。ゲストはヘぇ?と頷いて、ママさんタレントがまだ中学生位の子達が危険な目に合うのは良くないのでは? と聞けば、おじさんは自衛隊との協力体制が危険な状況を作り出さないようにしていると力説し、さらに特別ゲストで自衛隊員が三人登場してきて、紹介するくだりをわいわいやると、VTRを流し始める。かなり身長があるはずの隊員でもその中学生巨物処理員の膝上あたりの身長しかないので、どちらかは見切れながら、おじさんの自衛隊員がでかい鹿に強力らしい睡眠薬を打って捕まえたり、バーベキューして親睦を深めたりする様子を見せられて、僕はいよいよ変な番組だなと思ってチャンネルを変えた。
 また月野源、新曲か。帰りに一瞬だけ聞いた曲が今流れているものだと気付く。音楽番組でやたら愉快なダンサーを背に歌う彼の顔を見て、僕はまた堺さんの嬉々とした声を思い出した。顔が似てることがそんなに羨ましいポイントなもんなのか。でもきっと違うな、と思い直す。きっと、似てるのは顔だけだったとしても月野源のようなキラめく芸能人への憧れを彼氏に付与して見たいし、見てほしいのかな。すごいやつだけど、やっぱり堺さんのことは好きになれない。歌を歌い終わって、カメラ目線でアイドルみたいに、ウインク。画面越しの彼を堺さんは見て、彼氏を重ねてキュンキュンしているのだろうか。嫌やな、なんか。
「ちょっと! 宿題やったん? ちょっとは手伝いもしてや?学校早仕舞いしたんやから体力あるやろ。ホンマ何もしぃへんのやから」
 脱衣所から帰ってきてキッチンに行く途中で僕に小言を言う母。これは普通に、嫌や。

 僕の日常というものはそういうもので、そういうものが少しずつ中身は同じでも見た目を変えるから、その中身が本当に前と同じか確認して、次もきっと同じだと思いながらも一応次も確認する。いつでも変わったら面白いなと思いながら、変わっていないことにどこか安心する日々を繰り返す人生であると思っていた。しかし、その日は違う。僕はあの巨物処理員とであるチャンスを幸運にも手にしてしまったのだ。
 誰もがパンサキの春のコーンパン祭りで黒いお皿がもらえるのは知っているが、夏のツナマヨコーンパン祭りの存在は認知度が低かった。そして、一名様に当たると謳われている商品は、「巨物処理員と朱雀門広場でのお茶会ご招待」である。締め切りは八月二十三日。僕が夏のパン祭りを知ったのは九月十日。白い封筒に「ご招待券」が送られてきたその日に初めて知った。実は母は僕の知らない母業務の中で朝食の食パンや夏は弁当が傷むからと僕に昼食として与えた他より少し配点の高いツナマヨコーンパンについたシールをコツコツと回収し、毎回スーパーから取ってきた台紙に貼り付け、住所を記載しポストに投函していた。巨物処理員に対する興味など、夏休みに入る前にとうに失っていたというのに、母という生き物のお得精神が僕の輝かしい青春への切符を運んできたおかげで頭の中は蟹と戦う女の子でいっぱいだった。学校へ行く道中も、廊下を歩くときも、教室でボッチ飯を食べるときも、僕は浮き足立っていた。堺さんのお喋りの内容も、陽キャの食べるツナマヨコーンパンも全部愉快だった。母に頭を下げてお茶会への参加券を譲ってもらった代わりの家事手伝いも何も苦でなかった。だって僕には誰にも経験できないような経験の舞台が待っている。僕は確信していた。何か、変わると。運が良ければこの現状が、悪くても価値観がひっくり返るようなことがそこにあるような気がした。それは奈良に向かう近鉄に乗っている間も、朱雀門の赤が目に入ったときも、なぜか揺るがなかった。
 今思えば、ひどく楽観的だった。
「田中里香です! 今日はよろしく」
 魔性の、とその計算尽くされた完璧な笑顔に今ならそう言える。けど当時の僕は今まで見たどの女の子よりも大きな目の潤んで光る様も、差し出された人差し指のどこまでも沈み込みそうな柔らかさも彼女の特別さを際立たせているのに、関西なまりと一挙一動から朗らかな雰囲気を感じる姿にどこか親近感を抱いていた。しかしかといって、例えば相手がクラスメイトである時と同じように格好良く振る舞えない自分の余裕のなさにさらに焦る。見つめられれば目ん玉の裏から脳みその中を覗かれてしまいそうで、咄嗟に目線を外す。膝小僧、から真っ暗なスカートの影に隠れる脚にふわふわと灰色の毛が生えているのが分かる。
 でかいものはカッコイイ。戦隊ロボを見た時か、NBAの選手を見た時か、はたまた目の前の朱雀門を見た時かも知れないが、まず、うおーっと腹の底から何者にでも絶対に勝てそうな心強さが湧き出て、すぐに喉元まで上がってくる。もうこの時点で何かに勝った気がする。自分も目の前のでっかいのも特に誰とも戦っていなかったとしても。そして声に出る、オア、出さないように気を使うのどちらかを思考なしに瞬時に選ぶ。どっちであっても目の前に火花がチッチッと散って尊敬や憧れに似た感動が体を駆け巡り、とどめに脳に「カッコイイ!」を突き刺してくるのだ。だからでっかいのはカッコいい。だけど、目の前の女の子は薄い前髪がよく見る女の髪型で、名前もいたって普通で、大きさを除けば少し他より柔らかい(と言い切れるほどの経験はしていないが)ぐらいしか特徴なんてなさそうなのに、やたら可愛く見える。
「えっ」
「え?」
 僕は頭にポッと浮かぶ言葉に小さく動揺したつもりが、口からこぼれてしまったようだ。彼女は僕の次の言葉を少し首を傾げながら顔をよりこちらに近づけて待っている。何か言わんと、何か。砂利でもコンクリートでもなく枯れたような芝が広がる地面、プリーツがしっかり入った紺のスカート、その重たるい生地と反して白くて雪のような彼女の脚。
「いや、あっ、蟹。蟹です。夏に出たんです、でっかい蟹が淀川に。その時の巨物処理員の子元気かなと思って。」
 面白いことは何も言っていないのに、ヘラヘラしていることに後悔しながら僕は僕の頭の中で起こる非常事態に対する対応に追われてた。こういう時は必ず現状把握が要だ。心拍が少し早いのは緊張とまだ少し夏の気温が残っているせいで、自分を良く見せたいのは誰だってそうだろう。そして、目の前の子が可愛く見えるのは、ロマンのあるビッグなサイズと女の子の組み合わせなんて、男なら当然に必然に惹かれるわけで、僕が特別な趣味を持っているなどではなく、すごく簡単に誰にでも分かりやすくあえて言葉にしてしまうならば、それは、一目惚れのせいである。
「それ、多分もえかちゃんやんねぇ。あの子はこの前しっ......いや、亡くなった、ったあー......殉職? しました」
 え。
「何でですか」
「それはキミツジコウなので、ごめんなさい。でも応援してくれてたんよね、ありがとう」
 また、完璧な笑顔だ。完璧すぎる、それはアイドルとファンとの関係よりも、年収千五百万と浮浪者との距離よりもずっと無機質で無情な現実を含んだ微笑みだった。終わった。終わったんだ、今日という日の中身の確認は。僕が続けようのない会話に沈黙せざるをえなくなっていると、遠くから走ってきた真っ赤なTシャツの男性が彼女に他の参加者にも挨拶をするように指示を出した。奈良で有名らしいアイドルと、奈良の知事と僕のような何かしらのキャンペーンで集められた一般人数名と六メートル超の十六歳が参加するお茶会はポリバケツをティーカップにした彼女が四日前に誕生日を迎えたと嬉しそうに報告する話から始まった。

「火星にいってみたいです、夕日が青いから」
 彼女はお茶会での意地悪な質問にそう答えた。うなだれてて芝のつむじを辿っていた僕はそれを聞いた瞬間に
彼女を見た。
「火星に逃げて、夕日の時にだけ故郷のことをふと思い出すような日々を過ごしたい」
 彼女の目はそう言っていた。テレビ関西のカメラは二台とも彼女の方を向いていて、後からテレビ放送を確認した母からはお前は出席してないんかと不思議そうな顔で言われた。それも仕方がない。僕が舞い上がって宙に浮かぶ気分から固くて慈悲のないアスファルトに叩きつけられた気分になった反動でお喋りする余裕なんてなくなっていたのだから。しかし確かに僕の淡い変化はあっけなかったが、お茶会でそう彼女が答えるのを聞いてから、僕は必死にコーンパンを食べる生活を三年続けている。夏は夏のパン祭りに向けてツナマヨコーンパンだけを一日十食を目標に食べ続け、秋から春はコーンクリーム、ノーマルコーン、塩バターコーンパンを購入してQRコードを読み取ることでパンサキポイントを得続ける。貯まったパンサキポイントはインターネット上のキャンペーンホームで二十五ポイントで好きなパン祭りの応募券一口に交換できるのだ。夏のパン祭り期間であればツナマヨコーンパンポイント十五ポイントで一口なため効率は少し悪いが、年中コーンパンを食べるか食べないかで当選確率はずいぶん違う。コーンパン生活は正直、黄色が嫌いになるくらい苦しいが、目的のためならそれくらい厭わない。どうしてか。目的はもちろん、もう一度彼女に会うためだ。かわいそうな青少年でもなく、アイドルでもない、火星の夕日を夢見る彼女にどうしても会いたかったのだ。
「趣味ですか? うーん、本はよく読みます。イヤホンで聞いて楽しめて、種類がたくさんあって、ちょうどいいので」
 あの時、柔らかいと感じたのは、気のせいではなかった。彼女は、彼女らは、幸運にも自分が巨人になってしまうことを知れたとしても、その発症は防ぎようがなかった。そして急速に異常に大きく成長する体は柔らかく脆く、弱い。
「でも、私が知らない気持ちも、知れない気持ちも全部、書いてあるんです。言葉にできなくて大切にしていた気持ちも言葉にされてて、それが正解かどうか確かめようがないのがやだなって思うから、最近は料理の本ばっかり読んでます。お腹空きますけどね」
 彼女が寂しそうに話すお茶会での様子は地上波にもネットにも流れた。十六歳に思えない発言だとか、可哀想だとかと評価されていると思えば、同情を誘っているだけだ、バケツでお茶を飲むのは衛生的にどうなのかといった意見まで飛び交い、守るべき青少年として話題になる一方で学校制服のような装いが愛らしいアイドルとして人気が出るきっかけになった。あのお茶会がメディアに取り上げられた頃から巨物処理員を見る機会は多くなったと感じる。しかし僕にとっては彼女が画面の向こうで話す内容はどうでもよく、まだ生きているかどうかだけがいつも気がかりだった。田中里香の生存確認ができた日、コーンパンを食べる量が明確に増える。テレビ番組のゲストならまだいい、巨物処理員としての彼女を見た時などは、心臓が嫌な音をさせる。彼女は鳩や蟻やトカゲの羽や足をパンでもちぎってるかの様に簡単に骨ごと少し回転を効かせて取ってしまうのだから、彼女だって同じように手足をむし取られてでかい肉塊になる未来がある。
「怖いですよ! 特に虫が苦手やから、戦う時はうえーって思ってますよ!」
 手をお化けのようにして左右に細かく振り、茶目っ気たっぷりに舌をちろっとだすと、お茶会の参加者は親のような顔になって冗談としてそれを扱うと、彼女も我が子のように愉快そうに振る舞っていた。
「でも、みんなのこと守るのが私の役目やから、一生懸命頑張ります」
 空気が変わるのが僕にも分かった。知事の恰幅のいいおじさんが拍手をすると、皆それに続いて会場中(と言っても朱雀門と芝ぐらいしかないなので寂しい感じがしたが)から彼女への賞賛の拍手が向けられた。そしてニッコリ。このお茶会だけでなく、日本中でこの子たちを守りたいと思う大人が誕生するのが当然の笑顔だった。
 僕が三年間コーンパンを食べ続けている間、身近な生き物が命を脅かすほどのサイズになって突然人里で暴れるというニュースは少しずつ増えていった。淀川もこの三年で五回、カマキリ、蟹、蟹、蟹、元小魚がでっかくなってメディアを騒がせた。僕はその度にチャリを漕いで現場に駆けつけるのだが、既に無残な死骸が川に浮かぶだけだった。野次馬の声を聞くに、巨物処理員はアクション映画の互角で戦うシーンのような攻防戦を数十秒繰り広げた後、カットの声がかかって演じるのをやめたかのようにあっさりと腕や足をもいで戦闘不能にしてしまうらしい。SNSではそれに対して疑問視する声も上がってたが、陰謀論者の声と一蹴されていたし、僕は彼女が傷つかないのならなんでもよかった。僕はコーンパンをどう食べたら一番多く食べれるのかを研究していて、コーンパンを大体千個食べた時に普通に食べるのが一番だと発見した。
 軍事力の拡大で 日本の子供達に安心を!
 そんなスローガンがいつしか普通になっていた頃、国民の総意という雰囲気で軍事費がかなり上がった。僕が二千個ぐらいコーンパンを食べた頃だ。昼のニュースでゲストの反対派の政治家がその話題には顔を真っ赤にして食いついていたのに、巨物処理員の制服のスカートの長さが短くなることについては無駄の削減を理由に賛成していたのだけがやけに印象的だった。それからは少しずつ巨大生物の出現情報が減っていくと共に、巨物処理員の話題が上がることも減っていった。巨人の寿命とも言われる二十歳で巨物処理員が死んだ時、国の要人が死んだのと同じような扱いで取り上げられていたのに、もう最近ではめっきり聞かなくなった。彼女の安否も、しばらく確かめられていない。僕はここ数日もっとコーンパンを食べて食べて食べて、食べ尽くしていれば、去年や一昨年のお茶会には参加できたのではないかと考えて後悔し通している。三千個、食べれていたら彼女と会えていたかもしれない。一目あって、数時間言葉を交わせば、僕たちはきっとお互いを深いところで理解し合えると思うのだ。本当に火星の夕日が見たいなら、僕らはきっととても良い友人になれると思うのだ。だって、そんなものに興味を持つやつなんて、逃げたがりの見栄っ張りに決まってる。誰も踏み入れたことのない場所を、自分だけが知ってる秘密の場所だとひっそりと自慢に思っていたいんだ。僕が食べ続けたコーンパンの数を嗤ってもいい、少しでも彼女の完璧が崩れるのなら全ての日々は報われる。せっかくだからコーンの数は百から百二十ぐらいが黄金数だと自信を持って言ってやろう。ツナマヨコーンパンなら、実は八十くらいで良い。ツナとマヨネーズを邪魔しない甘さとシャキシャキの食感はそれが最も丁度いいと、彼女に伝えた後にパンサキのお客様窓口に助言を入れてやるのだ。そうしたら、僕に、あわよくば僕にだけ嗤ってくれるだろうか。
 君に出会ってから僕は嫌いなものが増えた。コーンパンと、コーンと、パンと、ツナと、マヨネーズと、全然僕をお茶会呼んでくれないパンサキと、夏。あと昔から嫌いなものを言えば、女がまあまあ嫌いだが、同じくらい僕のことも嫌いだ。背は高くて、群れるほど友人はおらず、都合が悪くなっても泣くことはないが、僕も相当賢くない。僕がかなり君の彼氏になる僕に憧れていることを否定できないし、漫画やドラマで女をクールに口説く男に僕を重ねている。相当キモい自覚はある。でも、君だってまあまあ嫌いな何かと、そういう嫌い方をする自分を嫌いに思っていると思うのだ。もしも、これはもしもの話だが、自分でも引くほどキモい部分も許容してくれるなら、僕は火星なんかじゃなくて、この地球で二人だけが知っている秘密の場所を見つけたい。そして誰にも教えてやらずに二人で知った顔してできた安寧の中で過ごしていたい。非常にIQが低いのは承知している、が、もう見れる希望はこれくらいなのだ。僕ができることは三年前から今までも変わらず毎日コーンパンを食べ続けることぐらいなのだから。でも、三年もコーンパンを食べ続けることだけをしてきたのだ。大阪の川の近くの町で君のために食べることだけを。
 ああ、今年もまた夏のパン祭りが近づいている。
「君がまだ賞品でありますように。」
 僕はそう祈らずにはいられない。



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