ウェスリーン王国英雄記⑥

きなこもち



~あらすじ~
 双子の兄弟であるジェームズとジャックは、兄であるギルバートと三人で平凡に暮らしていたが、ギルバートが魔法使いであることが見つかり、王都で暮らすことになる。ギルバートがアルフィーと共に秘密裏にクーデターを企んでいる最中、ジェームズが魔法使いであることが発覚する。ジェームズとジャックは各々覚悟を決める。
 そしてクーデターは成功し、竜に認められた英雄王が誕生した。
 新王の座についたジェームズは国政を担い、幼いながらにその存在を他国に知らしめることになる。ギルバートは宰相としてジェームズを補佐し、ジャックは王弟として貴族の通う学校に再び通っていた。
 ジェームズはシャーロットと婚約をし、シャーロットの協力を得て、王室に意を反する貴族たちを断罪することに成功する。しかし、それを良く一方的な断罪であるとジャックは考え、意見の相違や気持ちの通じない現状に絶望して王室を飛び出し、隣国のアカナ連邦共和国へ向かう。
 隣国で出会ったラーシャ帝国公爵のアルテュールに連れられ、ジャックはジャムスと名乗り公爵家の執事となる。そこで数年の年月を過ごした。
 ジャックがいざ帰ろうとしたところで、ウェスリーン王国にてクーデターが勃発。
 ジャックとジェームズが再会したのは、戦火の中であった。そして、国王ジェームズはジャックで、王弟ジャックはジェームズであることが明らかとなる。

~主たる登場人物~
・ジェームズ
 魔法使い。赤き竜が使い魔。青色の瞳の少年。
・ジャック
 魔法使い。ユニコーンが使い魔。水色の瞳の少年。
・ギルバート
 ジェームズとジャックの兄。王国の魔法使いが所属する直属軍のトップである魔導師であったが、新王国成立で宰相の地位に就く。兎、鷹、ペガサスが使い魔。青色の瞳の青年。
・アルフィー
 ジェームズ、ギルバートが共に信を置く人物。直属軍の副魔導師であったが、新王国成立で王国魔道士の魔道士長に就く。(前章にて志望)
・ハロルド
 ジェームズがヤーハン国に行った際に連れて帰ってきた孤児。ジェームズの側近を務める。
・シャーロット
 ジェームズ国王の正妃。金に近い栗色の髪にキラキラの翠色の瞳(ジェームズ談)の少女。
・ルイーズ
 ラーシャ帝国の皇女。次期皇帝。


~ざっくりした設定~
・魔法
 一部の人間だけが使える力。
「魔法は誰かを、何かを願う心」ギルバート談
・杖、詠唱
 なくても魔法は使えるが、あった方が威力や安定性が増す。杖は誓いの際にも使われる。
・使い魔
 魔法使いが呼び出すことのできる精霊。呼び出せない魔法使いも多い。




最終章
「うっ」
 ごぼっと何かが吐き出される音がして、その後ヒューヒューと気管の鳴る音がする。慌てて後ろを振り向けば、兄さんが膝をついており、その下には血溜まり。目の前の敵を剣で刺し殺してから、彼に駆け寄ろうとするも、兄さん本人に止められる。
「兄さん!」
「構うな、ジャック。俺は刺し違えてでもこいつを殺す。お前は他を頼む」
 もはや力が入らないであろう脚を叱咤して立ち上がった兄さんに、今回の首謀者であるヨリミツは笑みを溢す。
「強がるな。お前さえ死ねば、俺に敵う者はいない。そうすれば、この国は俺のものになる」
「くそがっ。俺なんかより、弟たちの方がよほど強い。それに俺が死のうと、お前には先に進ませない」
 兄さんが倒れそうになったとき、それを支えたのは彼の友であった。純白の翼を持つ四足の友。
「なあ、頼んで良いか。俺の魔力、全部お前にくれてやる。だから、あいつを殺すか、せめて足止めをしてくれ」
 ペガサスは悲しげな顔で兄さんを見ていた。
「ごめん。ずっと戦の道具にして。最後まで戦わせて。次はもっと良い奴を選べよ」
 今までありがとう、ギル。
 そう言ってから彼はペガサスの首に手を当てた。
「【我が全ての力を、我が友に捧ぐ。彼の者の糧とならん】」
 一人と一頭の周りを淡い光が包み込む。
 そこを攻撃しようとヨリミツが杖を振るう。
「【奴らに】」 
「させない。【彼らを護りたまえ】」
 そう叫ぶとジョイが兄さん達の前で魔法を防いでくれる。
「ジョイ? どうして!」
『君の願いは何だった。思い出して。僕は、君の願いを守るために君の友になったんだ』
 久しぶりにジョイの心の声を聞いた。
 自分が呼んだくせに、ずっとずっと兄弟を見守らせるばかりで、この数年間ろくに話すこともしなかった。
 それなのに、君は、僕を守ってくれるの。
『僕たちは、自分で主を選ぶ。僕たちは、友の願いを叶えるためにここにいる』
「うん......。うん......。ありがとう......」
 兄さんのペガサスもきっとそうなのだろう。彼を戦わせることをずっと悔いていたのは伝わっていたはずだ。兄さんのことだ。戦わなくて良い、自分を見限ってくれて良いと言ったのではないだろうか。それでも、ペガサスは兄さんと共に戦い続けた。きっと己の意思で。
「小癪な。そうやって己の魔力があるからと......」
 一体どういうことだ。何故、今、そんなことを言う。
 その言葉を推し量ろうと心を読もうとしたが、その瞬間、ヨリミツからの火炎攻撃を受け、聞くことができない。
「たかがユニコーンが、白き竜に敵うと思うな!」
「勝てなくたって良いんだ。時間が稼げれば!」
 僕が叫んだと同時に、兄さんとペガサスから強い光が発せられる。
「後は頼んだ」
 兄さんがペガサスに告げれば、彼の体は今度こそ重力に従って崩れていく。ドサッと音がしたと同時に、ペガサスの雄叫びが響く。
「なんだっ、うわっ」
 ジャックと剣を交えていた者がその光に目を向けた瞬間に斬り殺す。
 他の敵には目もくれず、兄さんのもとに駆け寄り、その体を抱き起こす。彼は薄らと笑い、僕の頭を撫でる。
「兄さん、兄さん!」
 僕の叫びが聞こえなくなるくらい、雷鳴が轟く。ペガサスが放つ雷撃はその場にいた残りの敵を皆撃ち殺した。ヨリミツは自分の眷属と呼んだ白き竜に防御をさせていた。その最中、ヨリミツが小さく何かを呟いたように僕には見えた。
『あの子が幸せであらんことを』
 その声は確かに聞こえたのだ。どういうことかと考える時間も無く、ヨリミツを竜が一瞥したかと思えば、竜はすっと消えてしまった。
「撃ち殺せ」
 兄さんの指示で、ペガサスはヨリミツを雷撃によって撃ち殺した。その場にいるのが、二人と二頭になったところで、口を開いたのは兄さんだった。
「ごめん」
「兄さん......?」
「ごめんな、ジャック。最後までこんなことさせて。俺は、お前たちにこんなことさせたくなかったのに。本当にごめん」
「兄さん......。違うよ。僕は、僕の意思で、戦ったんです。僕は、兄さんとジェームズを護りたかったから。二人が笑っていてくれたらそれで良かったから。だから、お願い......」
 死なないで。
 他に誰もいない空間でやたらとその言葉は響いた。
 兄さんは生きも絶え絶えで、その命が短いことは僕にとって見ない振りもできない事実だった。
「ジャック、笑ってくれ。笑って生き延びてくれ。ジェームズと一緒に二人、幸せに生き延びてくれ。俺はそれだけが願いだった」
「にい、さん......」
「お前には我慢ばっかりさせたよな。お前が良い子だからって。言ってはいけないことも言った。ずっとそばにいてくれたのはお前だったのに。やりたいことたくさんあっただろうに、ずっと俺についてきてくれて。最後もこんなことになって」
「兄さん。もういい。もういいよ。僕は兄さんに感謝しています。小さいときからずっと護ってくれて、そばにいてくれて。親がいなくたって、兄さんがいたから、僕もジェームズも寂しくなかった。ジェームズは素直じゃないけど、本当はずっと兄さんに感謝していたんですよ。それを聞いてあげてください。聞かずに、彼を置いて逝かないであげてください」
 ボロボロと泣く僕に、彼はあの田舎での暮らしの時のような優しい瞳を向けてくれていた。
「ジャック。お前はジェームズじゃない。ジャックだ。あの日、お前に、お前自身を殺させてごめんな」
「違う、違います! 僕は、手段を選ばなかっただけです......。大切な兄と兄弟を護るために、手段を選ばなかっただけで、全て僕の意思だったんだ......」
 兄さんの手を握りしめて無理矢理に笑顔を作る。泣いているし、作り笑顔であることはすぐ分かるだろう。それでも、彼が笑って欲しいと言ったから、彼の最期に映る顔は笑顔でありたい。
「兄さん、帰りましょう。もう、皆で本当の名前を呼べるじゃないですか。兄さんたちの子どもの名前、皆で考えましょうよ。マイラ様も待っていますよ」
 兄さんは目を瞑り、その光景を思い浮かべているのか、そっと微笑んだ。
「そうだなあ。帰りたかったなあ。でも、俺の望んだ世界にお前たちがいるなら、もう悔いはないよ」
 薄く笑った口が最後に紡いだ言葉は、とても小さかった。
「ジャック。今までありがとう。本当に愛していたよ」
 それ以降、何も言わない兄さんをただただ抱き締めた。
 まるで眠っているかのような穏やかな顔だった。小さい頃のように体を揺すって兄さんと呼べば起きるのではないだろうかと思えるくらい。
「僕、愛してるって言ってないよ......」
 迷子の泣き言のように小さい声を吐き出してから立ち上がる。乱暴に涙を拭って、兄のペガサスに向き合う。
「僕のお願いを聞いてほしいんです」
 ペガサスは小さく頷いた。
「兄をマイラ様のところに送ってもらえませんか。あとで、皆で見送りたいので、せめて遺体を安全なところに......」
『分かった』
「え?」
『あと、我が主は、君たちが主を愛していたことをちゃんと分かっている。君たちの感謝もきちんと伝わっている。だから、主の願い通り、生きてくれ』
 ずっと兄のそばにいたであろう友の言葉だ。これ以上に信憑性の高いものもないだろう。
『彼は私を友と呼んだ。何度も、戦場に立たなくて良いと言ってくれた。私は彼のために戦場に立った。彼を敬愛していたから。私の方こそ、気持ちを伝え損なってしまったようだ』
「きっと伝わっていたと思います。でなければ、貴方をずっとそばに置き続けたりしないと思うので」
 ペガサスはそれを聞いて僕に対して頭を下げる。そして、一つ空まで響きそうな声で鳴くと、兄さんを背に乗せ、壊れている窓から飛び去っていった。
 残された僕はジョイに飛び乗る。
「ごめん、ジョイ。もう少しだけ力を貸して。嫌な予感がするんだ。ギャリーの気配を辿って、ジェームズのところまで連れていってくれ」
 ジョイはその指示を受け、ギャリーの気配を探す。思っていたよりもずっとそばにあったのだろうそれに、ジョイは駆け出した。
※
「君は誰だい?」
 華奢な少女に行く手を阻まれた俺は、腰の剣に手をかけて臨戦態勢をとる。
 マイラとシャーロットを伯爵領に送り届け、ジャックとギルバートの安否を確認すべく城内を探していたのだ。見知らぬ少女に出会ったのは、謁見の間だった。
「誰......か。それは私の言葉。貴方は、国王の双子の兄弟だと思っていたのに、国王が従えるはずの赤き竜を従えている。どういうこと」
 ギャリーを喚んではいない。それなのに何故この少女には分かったのか。
「私は、前王によって集められた反乱軍の一人。白き竜の真の主よ」
「白き竜の主はヨリミツだって聞いていたけど」
「リリーに頼んで、彼に力を貸してあげていただけ」
 少女は淡々と話を続ける。その声色からは何の感情も読み取れず、どうしたら良いか分からなくない。
「あれ?」
 不意に少女が首を傾げると、彼女の傍らに白き竜が姿を現した。少女が竜の首筋を撫でると、竜は気持ち良さそうに彼女に顔を寄せる。
「どうして帰ってきたの? ああ、そう......。いいえ、別にリリーは悪くないわ。ヨリミツが命じたことなのでしょう。でも、そうなのね。彼は死んだのね」
 顔色一つ変えず、少女は俺に向き直る。
「宰相も死んだそうよ。魔力を全てペガサスに渡してヨリミツを殺したみたい」
「え......?」
「ヨリミツに相当な傷を負わされて、どのみち勝ち目は無かったみたい。ひょっとしたら助かったのかもしれないけれど、宰相は身命を賭してまでヨリミツを殺したかったのね」
 俺の目を真っ直ぐに見て首を傾げる。
「宰相は貴方の兄だったのでしょう?」
 その言葉を皮切りに目の前が真っ赤に染まるのを感じた。剣を抜き、少女に斬りかかれば、白き竜が盾となる。白き竜の尾に弾き飛ばされ、床に伏す。
「貴方も竜を従えているのでしょう。なら竜に戦わせないと。貴方は炭になるわよ」
「俺は......。ギャリーを戦いの道具にはしたくない......」
 白き竜はその言葉に対してグルルと唸る。
「貴方の双子の兄弟もそう言っていたそうよ。使い魔に対して、『戦ってほしいわけじゃない』なんて、おかしな話ね。そういえば、宰相も、いつの間にか鷹や兎は使役しなくなっていたから、同じような考えなのかしらね。馬鹿みたい」
「うるさい。彼らを馬鹿にするのは、俺が許さない」
 立ち上がり、地を這うような声で呟いた。その魔力もあって普通の人間であれば足が竦んでもおかしくない。それなのに少女は相変わらずの無表情だ。
「【我が剣に力を】。【彼の竜を倒さん】」
 光を纏った剣を片手で握り、思いきり地を蹴る。跳躍をして、剣を振り下ろせば、白き竜は少女を庇うように立ち塞がり、前片足でその剣を防ぐ。先ほどと違って魔力を剣に纏わせているので、竜にとっても少しは苦痛なのか、低い声で唸る。
「痛いのね。さすがは宰相と国王の弟ってことかしら。魔力は桁違いね。でも、向こうから攻撃をしてきたのが悪いのだから燃やしちゃってもいいのよ」
 少女の言葉で、竜は口を開けた。剣から両手を離し、咄嗟に竜の手を蹴って距離を取り、魔法を詠唱する。
「【我が盾とならん。護りたまえ】」
 竜の口から炎が放射され、ぎりぎりで張ることのできた防御壁がそれを弾く。
「ぐっ」
 竜の炎の方が威力は上か。このままじゃ本当に焼かれる。
 瞬時に理解するも、防御壁を蔑ろにしたらその時が己の最後。どうしようか逡巡すると聞きたかった声の一つがその場に響く。
「【彼の者を護りたまえ】。ジョイ、竜を止めるんだ」
 ジョイから飛び降りたジャックは杖を振り、俺の防御壁を強化する。ジョイは竜に突進すると、額の角で竜の足を突き刺した。悲鳴のような雄叫びを上げ、竜は炎を止め、ジョイに向き合う。炎が止んだのを見て、ジャックは防御壁を消し、俺に駆け寄ってきた。
「ジェームズ、大丈夫?」
「ああ......」
 俺は呆然とジャックを見つめる。
 聞きたいことがたくさんあった。怪我はしてないのかとか、魔道士たちはどうなったのかとか、町は大丈夫なのかとか、前王はどうなったのかとか。だが、それより何よりも聞きたいのはギルバートのことだった。
 つい先ほどまで自分の命が危なかったという状況なのに、兄弟の顔を見た瞬間、急にほっとした。聞きたいことはたくさんあるのに、思う通りに言葉が出てこない。
 ジャックはそんな俺を見て、落ち着いた声で指示をする。
「ジェームズ、一先ずは彼女を殺すんだ。彼女が白き竜の主であるとするなら、彼女を倒さないかぎりこの反乱は終わらない」
「その必要は無いわ」
 少女の返答にジャックは訝しげな顔をする。
 睨みあっていた白き竜とジョイも、白き竜が少女に首を寄せたため緊張を解く。
「別に興味無いもの」
「は......?」
「私はヨリミツのために力を貸していただけ。ヨリミツが死んだ今、私は何もしない。反乱も王位も興味無いわ」
 俺がその言葉にほっとしたのとは逆に、ジャックは堪えようのない怒りがこみ上げたのだろう。血がでそうなくらい拳を握りしめていた。
「そんな理由であんな魔方陣を国全体に展開したっていうのか! あの魔力は、白き竜のものだろう!」
 少女は無表情のまま首をかしげる。
「ああ。頼まれたから魔力を数ヵ所に一定量以上置いたけれど、あれは魔方陣だったのね。ヨリミツがやりそうなことだわ」
「君はあれが発動したらどうなるのか分からなかったのか! あんなものが国を包囲して何人の死者が出るかなんて考えれば馬鹿でも分かる!」
 ジャックは杖が折れんばかりの力で握りしめる。こんなに怒ったジャックを見るのは久しぶりかもしれない。
※
 少女の言葉に僕は目の前が真っ赤に染まるのを自覚する。絶対に殺してやると思った。
 あれさえなければ、死者は出ずに済んだかもしれない。少なくとも魔方陣を破壊するときの死者は出なかった。
 魔方陣で国を包囲するというのは自分たちを強く動揺させた。前王であれば、国民なんて捨てて逃げたであろうが、兄さんやアルフィーさんがそれを良しとしないことを前王は分かって実行したのであろう。
 アルフィーさんは魔方陣の核の破壊方法を瞬時に編み出し、魔力の脈を辿り、核の位置を全て調べてくれた。その上で、己の魔力が尽きるまで多くの魔方陣の核を破壊してくれた。彼の死がなければ、魔方陣は発動していたのだろう。
 それに、魔方陣の一角を破壊した兄さんも相当な魔力を消費していた。その分の魔力があれば、兄さんはヨリミツを殺すのに命を賭ける必要はなかったはずなのだ。兄さんならば、ヨリミツが白き竜を従えようと負けるはずがなかったのに。
 それなのに。
 興味が無い。頼まれたから。そんな理由のために、彼らは命を落としたのか。その原因の少女が、目の前にいる。直接ではないにしろ、兄の仇が目の前に。
「許さない。君さえいなければ、アルフィーさんは、兄さんは、他の魔法使いたちも死なずに済んだのに。僕は君だけは絶対に許さない」
「貴方だって、ヨリミツの部下を殺したのでしょう。ヨリミツを殺したのは貴方の兄。貴方だって、誰かの命を奪っているのに、自分のことは棚に上げるのね」
 彼女の言葉に押し黙る。
 自分で選んだ道なのだ。兄についてクーデターを起こしたことも、王位に就いたことも、反乱軍と戦ったことも、その結果として人を殺めたことも。後悔は無い。後悔してはいけない。でも、少女の言葉一つで、途端に自分の手が血で汚れているように見えた。
「それでも、僕は君を許さない。僕たちだけを殺そうとしたのなら別に良い。でも、何の罪もない国の人たちを巻き込もうとしたことは許されることではないはずだ!」
 杖を振り、魔法を詠唱しようとした僕を抱き締めて、それを止めたのはジェームズだった。
「ジャック、ダメだよ。彼女は利用されていただけじゃないか。彼女も被害者なんだ。彼女を殺しても誰も帰ってこない。後悔が増えるだけだよ」
 ジェームズは少女の少ない言葉から、彼女の生い立ちを想像したのだろう。僕だって心の声が全く聞こえない少女から、それが能力によるものではなく生い立ちのものであると想像はついた。しかし、国のために命を落としていった者たちの顔を思い浮かべるだけで、目の前の少女を許せそうにない。
「それでも、彼女のせいで兄さんもアルフィーさんも!だったら、彼女を殺さなければ、彼らが報われない!」
「ギルバートたちがそんなことを願うはずないのは、君が一番分かっているだろう!」
 分かっている。兄であれば彼女の話を聞いたら、敵であろうと手をさしのべることくらい。きっと、自分やジェームズを殺した相手であろうと、助けてしまう。
 兄はそういう人だった。
 アルフィーさんも、魔道士の者たちも復讐を望むような者たちではなかった。
 分かっているのだ。
 握りしめていた杖を落とし、その場に膝を付いて声を出さずに肩を震わせた。僕の背を撫でながら、ジェームズは少女に問うた。
「君は、どうしたい?」
「別に殺したって構わないわ。リリーだけ逃がせれば良いの。どのみち極刑は避けられないのでしょうし。それに、ヨリミツが死んだ今、一人ぼっちだもの」
 彼女の顔を見れば無表情なのは変わらないが、無機質だった声に色が混ざったように感じた。
「じゃあ、君はこの国から出ていってくれ。ある程度の資金と必需品は与えるから、できる限り遠くへ行くんだ。この国の情報が届いていないようなところまで」
「私は、貴方の兄の仇よ?」
「うん。君がいつか、君のしてしまったことを悔いたとき、その時は俺が君を友として迎えるよ。そのために世界を見て、色々な人と関わって、感情を知ってくれ。今の君には、感情が欠けているようだから」
 ジェームズの提案に対しても、少女はやはり無表情のままだったが、白き竜の首を撫でると、白き竜は一つ頷いた。
「そうするわ。この子の背に乗って遠くに行く。誰も知らない場所へ」
※
 少女が俺とジャックの方へ目を向けると、その目を大きく見開いた。初めて少女の表情が崩れるのを見たなと思ったときには俺は突き飛ばされていた。
「まだだ。まだ私は諦めない。次はお前だ」
 自分がいた場所を見れば、床に伏すジャックがいた。彼を中心に赤い液体が広がっていく。
 血走った目で自分を見下ろしているのは前王で、彼はローブを羽織っており、ローブの部分が透けている。
「私は、王位を取り戻す。お前の兄たちが奪った全てを、私は取り戻すのだ」
 呆然としたまま動けない俺に前王が剣を振り落とす。
 ああ、動かないと。避けないと死ぬ。分かっているのに、動けない。恐怖とかそういったものに支配されているというわけではない。
 ここで生き延びても意味が無い気がした。
 ギルバートは死んだらしい。ジャックも、この出血量は治癒魔法でも間に合わない。となれば、自分も彼らを追いかけた方が楽じゃないだろうか。元々、王位なんて興味は無いのだ。ギルバートとジャックと幸せに暮らせればそれで良かった。彼らが自分を見てくれる日々が幸せだっただけなのに。
 自分に襲いかかる剣はまるでスローモーションかのように見える。来るべき衝撃を受け入れる覚悟をしながら瞳を閉じる。
 覚悟した痛みはいつまでたっても俺を襲わず、恐る恐る目を開く。すると、自分と剣の間にはジョイの角があり、角が剣を防いでいた。
「ジョ、イ......。ジェーム、ズを、守って、あげて」
 ジャックの声にはっとし、体が動くようになる。
「兄弟、今、治癒魔法を......!」
「そんなことしている暇は無いわ。何と契約したのか知らないけれど、それはもう人ではない」
 少女の声に、前王をまじまじと見る。気配を遮断できるマントの存在も意味不明だが、それよりもユニコーンであるジョイに力負けしていないというのがおかしい。もう一度瞳を覗き込めば、その目は確かに狂っている。
「私は王位に就く前から、魔法使いを殺して贄にしているのだよ。これは我が一族がずっと行ってきたことなのだよ。この膨大な魔力に敵うものはいない」
 歪んだ笑顔で笑う前王に言葉をなくす。
 こいつは何を言っているのだろう。何故、そこまでして王位にこだわるのだろう。
 頭の中がぐちゃぐちゃだった。何を最初にしなければならないのかが、全く分かっていなかった。決めることもできなくなっていた。
「嫌だ。ジャック!【時間が止まれば良いのに】」
 急にジャックの呼吸が止まった。少しずつ面積を広げていたはずの赤が止まった。
 ジャックだけではなかった。前王も微動だにしないし、少女も手を伸ばしたまま固まっている。
「時間が止まっている? でも、どうして」
「お前が願ったからさ」
 突然聞こえてきたその声は、もう二度と聞けないと覚悟していたもので。
「やっぱり、お前はすげえなあ。流石は、赤き竜に認められた英雄だな」
 こちらももう聞くことができないのだろうと思っていた声で。
「ギルバート......。アルフィー......」
 掠れた声で尋ねつつ、声の方を向けば破顏した二人が立っていた。
「二人は生きているの?」
「いいや、死んださ。でも、お前にも会っておきたくて」
 優しい眼差しで自分を見つめるギルバートに、思わず泣きたくなった。
「ギルバート、ごめんね」
「良いんだ。お前は悪くない」
「お願い、ジャックを助けて......。俺のせいでジャックが......」
 俺の言葉にギルバートは悲しげに笑い、アルフィーはジャックのそばに近寄り膝を付く。アルフィーはざっとジャックを見回すと、首を横に振った。
「ごめんな。命というのは不可逆的なものなんだ。助けてやることはできない」
「そんな......」
 ジャックのそばに蹲り、嗚咽をあげる。
「「ジェームズ」」
 そんな俺に優しくすることなく、二人が揃って俺を呼んだ。涙を湛えた瞳で二人を見上げれば、二人はかつてのような強い意思のある瞳で俺を見つめていた。
「前王を殺せ。あいつは魔法使いだけじゃない。国民さえも道具としか思ってない」
 アルフィーが口を開く。
「俺が殺しておければ良かったんだが」
 ギルバートも続ける。彼らの言葉に首を横に振る。
「無理だよ。俺には無理だ。ジャックに全て背負わせた上に、守れなかった。俺は英雄なんかじゃない」
「甘えるな」
 俺の襟首を掴んだアルフィーのあまりの剣幕に瞳を彷徨わせる。
「俺は、お前の兄を、お前の双子の兄弟をずっとそばで見てきた。ギルバートやジャックが望み願った世界を、お前が壊すつもりか」
「だって、俺は」
「あいつらがお前のためにと作り上げた世界を、お前が壊すのかと聞いているんだ。甘ったれるな! ギルバートやジャックの方がお前よりも何倍も辛かったはずだ!」
 思い切り地面に突き飛ばされて尻餅をついたままアルフィーを見つめる。
「俺が、俺が死ねば良かった。ジャックなら、君たちの悲願も果たせただろうに。俺は、ジャックから奪ってばかりで......。何もしてあげられなかった。ギルバートにもそうだ。俺はジャックと違って、良い弟なんかじゃなかった」
 後悔しかなかった。ジャックと入れ替わってからずっと。ジャックから普通の人生を奪ったことも、名前を奪ったことも、ずっとずっと悔やんでいた。それでも、後悔するにはいつも遅すぎた。
「お前たちは、俺の英雄だったよ」
 先ほどから泣くか言い訳するかでどうしようもないだろう俺のそばに膝を付き、優しく抱き締めながらギルバートは言った。
「お前は知らないだろうけど、お前たちの笑顔に俺は支えられていた。心の支えだった。だから」
 お前が望むならこのまま逃げて良いよ。
 聞こえた声に息を飲んだ。
「何言って......」
「俺は、お前とジャックが魔法を隠さずに笑って生きていける世界が欲しかっただけだ。お前はもう俺がいなくても生きていける。別のところに逃げて、笑って暮らしてくれれば良いよ。マイラも一緒に連れていってやってくれ。幸せになってくれれば、俺はいいんだ」
 弾かれるように顔を上げて、ギルバートの瞳を覗き込めば、そこに嘘は無いように思えた。
 なんで、どうして。どうしてそんなこと言うんだ。そうしたら、ギルバートの人生はなんだったというのか。怒ってくれればいいのに。自分の仇を討て、と、あいつを殺せ、と言ってくれればいいのに。アルフィーのように怒鳴ってくれればいいのに。
 混乱する頭で、絞り出した声は震えていた。
「ギルバートは......」
「ん?」
「ギルバートは幸せだった? 俺たちとか自分以外のことばかりで。もっと自分のことを考えれば良かったのに」
「俺は、幸せだったよ。お前たちがいて、毎日一緒に暮らしてさ。お前たちがいなかったら、俺はもっと早く死んでいたと思う。この国を変えたいとも思わなかった。お前たちのおかげで、俺には生きる意味があった」
 ああ、俺は愚かだ。二人がずっと頑張っているのを知っていたのに逃げて。自分だけ幸せになろうとして。その上、また逃げようとして。馬鹿だ。大馬鹿だ。
 彼らはこんなにも俺を思ってくれていたのに。
 涙を拭う余裕なんてなく、ギルバートに尋ねる。
「俺の魔力でも、あいつには敵わない。俺はどうしたら良い?」
 それは泣き言ではなかった。その意図をきちんと汲み取ってくれたギルバートはアルフィーを見て頷く。
「あいつの魔力は偽物だ。いつか絶対に隙がある。そこを狙うんだ。それに、お前には友がいるだろう」
「でも、ギャリーは」
「大丈夫。もうお前に力を貸してくれるよ。だって、ギャリーがお前を選んだんだから」
 ジェームズが立ち上がると、ギルバートも一緒に立ち上がる。
 ずっと自分より大きく見えていた兄の背を、自分はいつの間にか追い抜いていた。
「守ってみせるよ。ギルバートとジャックが、俺の兄弟たちが望んだ世界を」
 アルフィーは俺の隣に立つと、頭を乱雑に撫でる。
「ああ、お前はお前を信じろ」
 にっと笑う顔をもう見ることはないのかと思うとまた泣きそうになるが必死に堪える。
「うん。あとさ、ジャックにごめんって伝えてほしいんだ。本当は自分で言いたいけど、きっと間に合わないだろうから」
「最後に話す時間くらいはなんとかしてやる。助けてやることはできないが、戦いが終わるまでの延命措置くらいは俺とギルバートに任せておけ」
 アルフィーはそう言いながら、自分の剣を差し出してきた。ギルバートは杖を握らせてくれる。
「持っていけ。魔法で鍛えてある。お前が持っていた剣よりは役に立つかもしれない」
「お前には杖を渡していなかったからな。お下がりで悪いが」
「ギルバート、アルフィー。ありがとう」
 貰った剣と杖を抱き締めてから、二つとも腰に差した。
「ギルバート」
 ギルバートに向き直り、泣き腫らして真っ赤になっているだろう目で彼の瞳を見つめる。お揃いの青い瞳を。
「育ててくれてありがとう。ずっと言いたかったのに、言えなくてごめんね」
 俺の言葉にギルバートは目を見開いた。
 目を瞑って時を動かす。時を止めたのは無意識だったというのに、時を動かす方法は手に取るように分かった。
 時を動かしてしまえば、きっともう二人には会えない。それでも、動かさなければ。
「【時よ、再び回り出せ】」
 魔法が発動し、世界が時を取り戻す。その僅かな間。ほんの一瞬。
「ジェームズ!」
 ギルバートが叫んだ。
「俺はお前たちを愛している。ずっとだ!」
 ボロボロと涙を流しながら叫ぶギルバートに俺は。
「俺も愛しているよ、兄さん」
 最初で最後、俺は、ジェームズとして彼を兄さんと呼んだ。ずっと伝えたかった言葉と共に。
 次の瞬間にはギルバートたちの姿は消えていて、何事も無かったかのように世界が動き出す。俺自身は時が止まる前と同じ場所に戻っており、目の前でジョイの角と前王の剣が均衡を保っている。
「ユニコーンごときが、私を止められると思うな」
 前王の禍々しい気が剣に帯びたかと思えば、ジョイが圧し負けそうになる。自身の腰を確認すれば、そこにはギルバートにもらった杖とアルフィーにもらった剣が確かに存在した。剣に手を回し、鞘から抜く。抜いた勢いのまま、前王の剣を弾き、その反動で後ろに下がった前王を睨み付けた。
「お前は殺す。絶対に」
「口を利くな。王の地位を横取りした汚らわしい分際で。死ぬのはお前だ」
 俺たちが剣を構え直すと、ジョイが隣で立ち上がった。
「ジョイ、ジャックを部屋の隅に避難させて。あいつは俺が殺すから」
「私も手伝うわ」
 俺の隣に少女が立つ。
「あれは生かしておいてはいけない。リリーがそう言ってるから、私は貴方に力を貸すわ」
 少女はジョイによって運ばれているジャックに向かって杖を振ると、ジャックの周りがキラキラと光った。
「何を」
「彼の周りに魔力を感じる。助けることはできなくても、延命させようとしているみたいだから、それを増強してあげただけ。それよりも、あれはどうするの。魔力が多すぎるわ」
「分からない。でも、殺さなきゃ」
 ジェームズが言いきる前に、前王は魔法を放つ。少女が咄嗟に防御壁を張る。
「くっ。なんて威力。いったい、何人生け贄にしたのかしら。リリー!」
 白き竜が少女に応えるようにして、前王に向かって炎を吐き出す。その炎を前王は剣で防いだ。
「ああ、欲しい。この力が欲しい。竜に認められたお前たちの魔力が欲しい。【硬直せよ】。【地にひれ伏せ】」
 前王が魔法を唱えると、膝から力が抜け、床に這いつくばった。
「なっ。【硬直よ、解けよ】」
 硬直を解こうと魔法を詠唱しても体は動かないままだ。
「なんで」
「あの憎きギルバートやあそこの死体の方が魔法の扱いは長けているようだな。お前は、魔力だけある出来損ないだ」
 剣で炎を防ぎながら、ニタリと笑う。その笑みと言葉に背筋が凍る。
「【彼の者の硬直よ解けよ】。【白き竜に我が魔力を】」
 少女の詠唱によって硬直から解放される。少女から魔力をもらったのか白き竜は先ほどよりも炎の威力を強めていた。
「リリーの炎を防ぐなんて。なんて魔力なの」
「竜の力はこんなものか。私の使い魔を見せようじゃないか。【出でよ。冥界の番人よ】」
 前王の隣にすっと何かが現れる。頭を三つ持つ冥界の番人と呼ばれる獣。目は血走っており今にも俺たちに襲いかかろうとしている。
「誇り高き冥界の番人が、どうしてこんな者の使い魔に」
 かつてケルベロスを使役していた人を見たことがある。兄さんが信頼を寄せて、うちに連れてきた人だ。なのに何故、この王に使役されている。
 俺が信じられないと言ったような声で呟けば、冷静な声が響く。
「主が違うわ。おそらく、生け贄となった人の使い魔だったのでしょう」
 その言葉に剣を構え直すと、魔法を詠唱する。
「【剣に力を。彼の使い魔を解放せよ】」
 剣がうっすらと光る。
「君は前王を頼む。俺は、ケルベロスを解放させる」
「ケルベロスよ、あいつらを食い殺せ」
 強く地面を蹴り、走ってくるケルベロスとの間合いを詰める。剣で横に一閃するも、ケルベロスはさっと避ける。振りかざされた長い爪を剣で受ける。
「君は誇り高き冥界の番人のはずだ。自我を取り戻せ」
 どれだけ魔力が高かろうと、人間と使い魔では力の差は歴然だ。まして、それが伝説の生き物であるならば、人間が力で敵うはずもないのだ。
 力で負けそうになっているところに短い悲鳴が耳に届いた。声の方を向けば、少女が倒れていた。先ほどの俺と同じように、体が動かせなくなっているようだった。
 彼女に視線を向けていたほんの短い間に剣にかかる負荷が大きくなり、すぐ目の前に爪が迫っている。
 このままでは押し負ける。
 剣にかけていた力を弱めると同時に体を横にずらす。前にのめり込む形になるケルベロスの腹部を思い切り蹴り上げた。ケルベロスは多少よろめいただけでさして負傷の様子は見られない。
「くそっ」
 立ちはだかるケルベロスに悪態をつく。
 勝てる可能性が低い。少女の方も、少女自身はいまだ硬直したままだ。白き竜が前王の攻撃から少女をかばっているようで、苦戦しているのが見て取れる。
 俺に向かって走ってくるケルベロスに剣を構えた瞬間だった。
 真っ白な何かがケルベロスに突進した。
「ジョイ......?」
 ジョイは額の角でケルベロスを突き刺していた。ケルベロスは角で貫かれながらも手足を必死に振りかざし、ジョイの体に傷を作っていく。
 ジェームズを守ってあげて
 つい先ほどのジャックの言葉がもう一度聞こえた気がした。
「ありがとう、ジョイ。もう少しだけそのままで」
 貫かれているケルベロスの横に回ると、その腹部に剣を突き刺した。
「【誇り高き冥界の番人よ。その鎖から解放されよ】。さあ、元の主の元へ帰るんだ」
 剣が光り、ケルベロスの体が薄い光に包まれていく。ケルベロスは暴れるのをやめ、三つの頭が揃って俺を見つめた。その瞳は先ほどとは異なり澄みきっている。
「君はもう自由だよ」
 真ん中の頭が俺に向かって下げられると、ケルベロスは消えていった。
「ジョイ、ありがとう。あとは、あいつだけだ」
 すぐに少女に駆け寄れば、硬直しているだけではないと知れた。少女は顔色が真っ青になっており、体が震えている。
「大丈夫かい!」
「これは硬直魔法じゃない。魔力を奪うための禁忌よ。貴方では解けないわ。魔法は魔力だけが問題じゃないんだから」
「じゃあ、俺の魔力を渡せば良い?」
「そんなことしても無駄よ。それよりも早くあれを殺しなさい。あれは同じ事を繰り返すでしょうから」
 前王の方を見れば、人であるはずなのに、白き竜の炎をものともせずに防いでいる。
「私の魔力が全て奪われたらリリーが......。早く、あれを殺して。リリーを助けて。あ、あああああ!」
 少女は突然悲鳴を上げ、苦しそうに喘いでいた。
 魔力が全て無くなれば死ぬ。それはギルバートに何度も教えられたことだった。
 前王に向かって走るが、前王の放つ雷によって近づくこともできない。
 あいつの魔力は偽物だ。
 ギルバートはそう言ったのに、なんだいこの威力。ギルバートが褒めてくれた俺の魔力量でも敵いそうにないじゃないか。
 心の中でギルバートに悪態をつきながら、じっと前王を見つめた。ギルバートが言ったことを信じるしかないと決め、その一瞬の隙を見つけようとする。
 防御魔法と剣を使いながら前王の攻撃を防いでいれば、ふいに気がついた。前王は呪文を大量に呟き、実際はそのうちの半分ほどしか発動していない。
 ギルバートやジャック、俺もそうだが、口にしなくても魔法は発動できる。口にする方が確実に発動でき威力も増す。杖は更に確実性と威力を増すための道具でしかない。
 杖を持ち、言葉にした上で発動しないというのは普通あり得ないことだ。
 俺はきっとあいつを殺せる。
 そう自覚すると、何故だから心が落ち着いた。今なら、彼も力を貸してくれる気さえする。
「ギャリー。ずっと放っておいてごめん。君に守ると言ったものも守れなかった。君だけに守らせていた。不甲斐ない主でごめん。でも、お願いだ。力を貸してくれ。俺の守りたかった人たちが作り上げた世界を守るために」
 前王が放ってきた炎を剣で防ぎながら喚んだ。
「【我が友よ。我が願いを聞き届けよ】」
 突然、そばから前王に向かって炎が放たれた。前王は咄嗟に防御壁を張るも、その威力に防御壁を壊される。防御壁だけに意識が向いた一瞬を逃すわけにはいかない。
「【彼の者の口を封じよ】」
 口を封じられた前王は、咄嗟にローブを纏った。前王が姿を消したことで、ギャリーは口から吐き出す炎を止めた。
「【空間よ、閉じよ】」
 部屋に魔法を張り巡らせることで、前王が逃げられないようにする。すると、部屋の隅から雷が放たれる。それは方向が定まっておらず、簡単に避けることができた。
「ギャリー、あの当たりに向かって弱く広範囲に炎を吐くんだ」
 ギャリーが指示通りに炎を吐けば何かが燃える音がして、すぐに前王が姿を現した。
「【杖よ、我が手の元に】」
 前王の手から飛んできた杖を握り、二つに折った。
「さあ、これでお前はほとんど魔法が使えないも同義だろう。口を利けるようにしてあげる。最期に弁明くらいは聞いてあげるよ」
 炎に囲まれた前王は、口が利けるようになると、すぐに大声をあげて笑った。
「抜かったな、小僧。【我が仮初めの魔力をもって召喚す。マンティコアよ、この国の人間、全て食らいつくせ】」
 床に魔方陣が光り、そこから少しずつ何かが姿を現す。
「マンティコアって......」
 呆然として見つめる先には、体は赤く、人の顔をしたライオンのような獣が現れる。尻尾は針のように尖っている。
「お前たち兄弟は、本当に詰めが甘い。杖が無くとも、完成されている術式であれば、発動は容易いというもの。この城には、初代国王の時代に作られた召喚術式が存在するのだ。王家にのみ伝わる秘術だよ。こいつはいつも腹が減っていてな。一つの軍隊くらいぺろりと平らげてしまう。この国には、食べ物がたくさんあるぞ。それに、竜の肉も美味であろうなあ」
「狂っている......」
「まあ、でも、まずはお前からだな。ああ、あそこに転がっている死体からでもいい。好きな方からお食べ」
 前王の言葉に周囲を見渡したマンティコアはジャックを見据えると真っすぐに向かって行く。ジョイが守るように立ちはだかると、マンティコアはジョイと睨み合う。俺がマンティコアの後ろから剣を振りかざせばマンティコアは綺麗に跳躍し、ジョイや俺から距離を取る。
「ジェームズ。あれは、逃がしちゃ、駄目だ。あれは、疫病......、もたらす、獣。国が、亡ぶ。あれは倒せない。浄化しなきゃ」
 ジャックの言葉に驚くしかできない。
 疫病をもたらすって何だ。あれ一頭だけで国を亡ぼせると言うのか。
 マンティコアはこちらを伺っており、尖った尻尾はそれ自体が意思を持っているかのように揺らめいている。口からは怪しい煙が出ており、あれはきっと毒なんだろうなと思う。
「ギャリー!」
 ギャリーの名を叫ぶと、ギャリーは勢いよく炎を吐き出す。マンティコアは俊敏な動きでギャリーの炎を避ける。避けた先を予測して魔法を放っても、尖った尾で払い落される。
「くそっ」
 何かしらの攻撃を与えなければ、倒すどころか動きを鈍らせることもできないのに、マンティコアの速さを見る限り難しいと思ったジェームズは唇を噛む。
「あれは悪魔よ」
 いつの間にか隣に来ていた少女が、多少息を乱しながらもそう言った。
「私があれの動きを止めるわ。でも数分しか止められない。その数分で確実に仕留めて」
 少女は後ろについてきていた竜に触れる。
「リリー。貴方が許す限りでいいわ。私に、貴方の魔力を頂戴」
 竜に触れながらその場に膝を付き、もう一方の手で床に触れる。
「【竜の気高き魂よ。その清らかさをもって、彼の獣を捕えん】」
 詠唱が終われば、床が一面光り出す。とてつもなく眩い光というわけではなく、柔らかく清らかな光だった。
「今よ」
 少女が呟き、俺の指示より先にギャリーの炎がマンティコアを包む。マンティコアは尾の針で器用に防いでいる。
「【赤き竜よ。我が魔力、欲するだけ持っていくと良い】」
 その言葉でギャリーの炎の威力は増し、マンティコアは防ぎきれず断末魔をあげながらこちらに走ってきた。剣で防ごうとすれば、そのまま腕を噛まれる。ただ腕が千切れるというだけでなく、腐っていくかのような痛みが襲ってくる。それと同時に、ギャリーに渡したが故の失う魔力の多さに膝を折りそうになるが、己を叱咤してマンティコアにもう一方の手で杖を向ける。
「【彼の獣に救済を】」
 マンティコアの足元に金の光を放つ魔法陣が現れ、床全体の光を吸収し、さらに強い光がマンティコアを包む。しばらくすると、マンティコア自身が光り始め、ギャリーは炎を放つのをやめた。
 ギャリーに渡した魔力だけでなく、マンティコアの浄化にもかなりの魔力を持っていかれ、倒れそうになるのを歯を食いしばってこらえる。
「【君は救われるべきだ。ゆっくりお休み】」
 光が一層強く輝いたかと思えば、さっと消え去った。そこにはもうマンティコアもいなかった。
 マンティコアがいないのを確認してから、部屋の隅で絶望的な顔をしている前王に向かって歩く。
 腕が痛い。足もろくに動かない。魔力もほとんど無い。でも、こいつは殺さないと。
 まるで化け物でも見るかのように怯える前王は俺に意味のない命乞いをしてきた。
「俺さ、ジャックやギルバートと違って優しくないんだ」
 杖を向けることなく、冷たい声で言い放った。
「燃やし尽くせ。骨すら残さぬように」
 ギャリーは前王に向かって炎を吐き出し、前王は叫びながら悶え苦しんでいたが、やがて叫び声が消えた。しばらくすると、そこには灰だけが残った。
 フラフラとしながら、ジャックのそばに倒れこむ。倒れる寸前に少女が白き竜の足元に座り込んでいるのが目に入ったが、それに構う余裕もなかった。
 魔力がほとんど無かった。おそらくマンティコアの毒らしきものも体を巡っている。死を実感した。
「ジャック。俺、頑張ったよ。褒めてよ」
 笑いながらジャックの手を握れば、弱い力で握り返してくれる。
「うん。頑張ったね、ジェームズ」
「ねえ、一緒に逝こうよ。ギルバートに会いに行こう」
 俺の言葉にジャックは弱弱しく笑みを浮かべる。
「ジョイ」
 彼がジョイを呼ぶと、ジョイは俺たちのそばに座り込む。ジョイはその角を俺の腕に擦りつけてきた。それだけで腕の痛みが引いていく。ジョイの力だ。
「これで痛くないだろう」
「うん」
 俺は笑って目を閉じた。痛くない。ジャックと一緒に死ねる。これからギルバートに会える。そんなことを考えていたんだ。
※
「【僕の魔力を、ジェームズに】」
 手から伝わっていくだろう温かさに彼は目を見開いた。
「ジャック、なんで」
 僕は答えなかった。ジェームズは呆然としながら、ただただ僕から流れていく魔力を受け取るしかない。魔力の流れが止まり、僕はふっと笑った。
「良く馴染むだろう。双子だから、当然だよね」
「どうして、こんなこと」
 信じられない、とでも言うような顔と声をしている。
「僕はどのみち助からない。君も本当は助からない。魔力は空っぽになったら死んじゃうし、人から貰える物でもないから。でも、僕たちは双子だから。君は生きて」
 体が動くようになってからジェームズは勢いよく体を起こし、目を大きくしながら僕を見下ろした。その瞳は溜まり始めた涙で潤んでいる。
「ああ、綺麗だな」
 僕は笑って、ジェームズの頬に触れる。
「君の瞳は兄さんと同じ。深い深い海の色。僕はそれが一等好きで、羨ましかった」
 ジェームズの目尻に溜まった涙を拭いながら、話を続けた。
「僕はね、君が思うほど良い子でも優しくもない。だって、僕は兄さんに見てもらいたかっただけ。君に構ってほしかっただけ。兄さんに見てもらえる君を、君ばかり見る兄さんを。兄さんばかり慕う君を、君に慕われる兄さんを、恨んだこともある。でもね」
 動かせないと悲鳴をあげる体を無視して無理矢理に起き上がり、ジェームズを抱き締める。ジェームズの頬に自分の頬を寄せたときにジェームズの頬が濡れていたように感じたのは、彼の涙だけのせいではないだろう。
「それ以上に、君たちを愛していたよ。僕たちを愛してくれた兄さんを、僕を兄弟として慕ってくれた君を」
「ジャック。ごめん。俺、俺......! 君の未来を、生活を、名前まで奪ってしまった。俺は、どう償えば良い......」
「泣かないで。僕と兄さんが望んだ世界で、幸せに生きてくれればそれでいい。僕は、君と、兄さんの愛した人と、兄さんの血が流れる子が、幸せになってくれれば、それ以上望むことはないよ」
 泣きじゃくるジェームズの背をさすりながら、もうそろそろ時間だなあ、と他人事のように自分の命を思った。
「ねえ、ジェームズ」
 視界の端で、ギルバートとアルフィーが微笑んでいるのを僕は見た。
「名前を呼んでよ。昔みたいに。外に遊びに行くときみたいにさ」
「っ......」
「君が連れ出してくれた時の空は、何故かいつもキラキラしていた。曇りだろうと、雪だろうと。君がいるだけで僕の世界は輝いていたんだ」
「おれ、おれも、そうだった......。俺は、ギルバートとジャックが、いてくれるだけで良かった。二人が名前を呼んでくれるだけで良かったのに!」
 ジェームズの涙は彼と僕の服をしとどに濡らす。
「お願い。俺を置いて逝かないで。俺も一緒に連れていって。二人がいない世界に、いたくなんてないよ」
「ジェームズ」
 兄さんたちの延命措置も限界なのだろう。ジェームズの背をさすっていた手はもう持ち上げることができず力無く下がり、体を支えることもままならないのでジェームズに寄りかかることしかできなくなった。
「お願い」
 掠れた声しかでなかった。息ができなくなってくる。目を開けるのも億劫で、世界の音が遠退いていく。それなのに、ジェームズの呼吸、拍動、嗚咽ははっきりと聞こえていた。
 このまま大好きな兄弟の腕の中で死ねるのであれば、こんなにも幸せなことはないだろう。
 意識を手放しかけていた僕の耳に息を吸う音が届いた。手を握られている気もするが、感覚が鈍っているのか確かではない上に、確かめる術ももう無い。
「ジャック。ジャック。俺の兄弟。俺の半身。今までありがとう。君のおかげで、俺の世界がどれだけ美しかったか。ジャック。好きだよ。大好きだよ。また遊ぼうね。俺が手を引っ張ってあげるから、ギルバートも一緒に、空を見に行こう。それまで、待ってて」
 子供の頃、本当に二人で遊び回っていた頃。ジェームズは僕の返事も聞かずに、手を引っ張るようにして家を飛び出すことが多かった。
「ジャック、お空が君の目の色だ。俺、君の目のお空が大好きだよ」
 土地柄、快晴が多かった。ジェームズは毎日飽きずに、空は僕の色だ、僕の瞳が好きだ、と言った。一人だけ違う瞳に寂しさを感じていた僕は、その言葉のおかげで自分の瞳を好きでいられた。
「君は俺の瞳を羨ましいと言ったね。でも、俺は君の瞳が大好きだった。明るい空の色」
『嫌だ、置いて逝かないで』
「離れている間もずっとね、空を見れば、ジャックがそばにいる気がしてた」
『お願いだよ。死なないで。一人にしないで』
 ごめん。ごめんね。一人にしてしまうね。最期に聞くのが、君の悲しい心の内になってしまったね。
 途中から夢を見ているようだった。
 左手で僕の手を引き、右手で空を指差す愛しい兄弟。己の半身。向かう先には兄さんが両手を広げて待っていてくれる。
 自分の前には常に二人がいてくれた。それがどれほど幸せだったか。
 手を引かれるまま兄さんの腕の中に飛び込むと兄弟はいなくなっていた。あれ、と思う間もなく、僕は兄さんに抱き締められる。
「よく、頑張ったな。さあ、行こうか」
 兄さんの腕の中で振り返れば、自分を抱き締めながら肩を震わせるジェームズがいた。
 ああ、自分は死んだのか。あの強がりで、本当は寂しがりやの愛しい兄弟を、一人置いて逝ってしまうのか。
 ギルバートに肩を抱かれ歩きだそうとしたとき、僕は叫んだ。
「ジェームズ!」
 その声は確かにジェームズに届いた。僕の亡骸を抱き締めながら、ジェームズは僕の方に顔を向ける。ジェームズの目には泣いている僕とその肩を抱く兄さん。そばに佇むアルフィーさんが映っているのだろうか。
「ちゃんとご飯食べるんだよ。ちゃんと寝て、体も動かして。毎日笑って、元気に幸せに生きて。僕はちゃんと待ってるから。ずっと、待っているから......、ゆっくり来てよ。急いできたら、二度と口利かないからね!」
 ああ、変なの。今の僕は死んでいるのに。もう体は無い、意識だけみたいなものなのに。涙が溢れて止まらないや。変なの。でも、ありがたい。最期のこの時間は僕にとってはかけがえのない時間だ。伝えなきゃ。
「大好きだよ、ジェームズ。またね」
 ジェームズも涙を流しながら笑顔を浮かべてくれた。
「『ジャック、大好きだよ。俺たちずっと一緒だよ』」
 ああ、最期に聞こえたのが、その言葉で良かった。
※
 ジャックの姿が見えなくなってから、ジャックの亡骸を強く抱き締めて俺は泣いた。声を出して泣いた。ジョイはジャックに鼻を寄せ、ギャリーは俺を労るように見ていた。涙が止まらないままジョイの頭を撫でる。
「一緒にジャックを見送ってくれないかい。」
 ジョイが頷いたのを見て、冷たくなったジャックの手を握り、俺は想いのままに詠唱する。
「【我が兄弟に賛辞を。安らかな眠りを。廻る魂に祝福を】」
 ジャックの体から光が出てきては消えていく。その度に段々と体は薄くなっていき、最後にはすっと消えてしまった。
「【ありがとう、ジャック。君へ心からの感謝を】」
 しばし先ほどジャックがいた場所を見つめていた。もう一度姿を見せてくれそうなそんな気がしたから。あるはずもないのに。
 少し離れたところから少女と白き竜は何も言わず俺を見ていた。その視線に気がついて、俺は少女と向き直る。
「君は......。君は竜と会話ができるのかい?」
 場にそぐわない質問に少女は首を傾げる。
「それがなに?」
「いや、羨ましいと思って。俺は、いつも、誰の声も聞こえやしないから」
 一連のことを眺めていた少女は少しばかり思案してから、もう一度首を傾げる。聞こえる君には分からないだろうね。
「何でもないよ。ねえ、自分の発言を覆すようで悪いんだけど、やっぱり残ってくれないかい?」
「え......?」
「この国を立て直さないといけない。政治はもちろん、損壊した建物や、君が作った魔法陣によって乱れた地脈、国を守っていた守護魔法とかも整えるには俺だけでは力が足らない。君に力を貸して欲しいんだ。ねえ、名前を教えてよ」
「私の力を借りることを、民は許すの?」
 彼女のもっともな発言に、俺は苦笑を禁じ得ない。
「許さないだろうね。ひょっとしたら俺も失墜するかも。でも、地脈を整えて、新しい守護魔法を最優先に終わらせたい。そのために君の魔力が欲しい。俺は、この国を守らないといけないから」
 床に転がっていたジャックの杖を拾い上げ、ギルバートの杖と一緒に握りしめた。
 そのまま崩れている壁のそばに近寄る。城だけならまだしも、城下には広く火が上がっていて、兵士が鎮火に奔走している様がよく分かる。城下を見渡して、その惨状に思わず顔を歪めた。
「ギルバートもジャックも、優しい人だった。彼らは俺のためにこの国を作ったと言っているけれど、本当はね、彼らはこの国の全ての民のために戦ってこの国を作り上げたんだ。俺は、俺の愛した人たちが作った国が愛おしい。だから、守りたいんだ。この国は彼らの想いだから」
 二本の杖をまとめて振れば、雲行きが怪しくなる。
「【慈恵の雨よ。この国に降り注ぎたまえ。戦火を消し去らん】」
 言葉を紡げば、雨が降り注ぐ。優しく降り注ぐ雨は静かに火を消し去っていった。
「あー、まずは町の修復かな。とりあえず、仮住居を作って職人を城下に住まわせないと。それと並行で、守護魔法を張り直して、地脈を整えて......。職人の町や農村は大丈夫なのかな。確認しないと。ああ、兵士と魔法使いの被害はどれくらいかな。結界を張れる人がいたりしないかな」
 ぶつぶつと呟いていると、不意に少女が声を出した。
「名前はエレナよ。輝く光のごとく気高く生きるようにとヨリミツがつけてくれたの」
 自分の隣に立ち、まっすぐにこちらを見つめるエレナに面を食らった。でも、その名前と由来にまた少し羨ましくなる。
「綺麗な名前だね。ギルバートの名前とよく似ている」
 エレナは懐から杖を取り出し、その持ち手に付いていた石を外すと俺に差し出した。
「それは私とリリー......、白き竜の契約の証。それを壊せば、私と白き竜の絆は破棄される。私にとっては命よりも大事なもの」
 手のひらに乗せられたキラキラと光る白の石とエレナの顔を交互に見比べる。
「私は、私と白き竜の力の全てを貴方に委ねるわ。貴方の手となり足となることを、私はリリーとの絆に誓う」
「急にどうして。別に君が力を貸さないって言うなら、遠くに逃がそうかなって思っていたけど」
 俺が尋ねれば、エレナは流し目で白き竜に視線をやる。
「ただ、純粋に興味があるの。どうして赤き竜が貴方を選んだのか。貴方がこれから何を為すのか」
 許してとも、償うとも言わなかった。言われていたとしても、彼女を赦すとか赦さないとか言えるほど、俺は偉くないから別に良いけれど、苦笑してしまったのは仕方がないだろう。
「君が力を貸してくれるなら百人力だよ」
 俺がそう言って笑った直後、ローブを羽織った男がボロボロだった扉を蹴破って入ってきた。
「陛下!」
 男はどこか幼い顔つきで、俺を見るや顔を歪めた。
「ご無事で、ご無事で何よりです」
 ジャックの側近だった青年だ。幼い顔つきだが、実は自分達よりも年上なのだと言ってジャックが笑っていたのを思い出す。俺が憎いと思っていた相手。
「君も無事で何よりだよ。ねえ、騎士団や王国魔道士、魔法協会の皆はどうなった?」
 言葉の何かに引っ掛かったのか一瞬瞳が揺れたように感じた。しかし、すぐに青年は口を開く。
「陛下と王妃様のご命令通り、騎士団、王国魔道士、魔法協会の者たちでほとんどの市民を王都から避難させることはできています。安全確保のため、騎士団と魔道士には警護に当たらせています。今のところ、この反乱における死者はこちらでは騎士団、王国魔道士しか確認しておりません。魔法協会の者に協力を仰ぎ確認したところ、農村や職人の町には被害はないそうです」
 この男の呼ぶ陛下はジャックのことだ。ジャックはずっとジェームズという名で王位に就いていたのだから。この青年の言葉から考察するに、ジャックとギルバートはほとんどの人間を城内どころか王都から出していたのだろう。だから、俺が着いた時に、シャーロットとマイラくらいしか一緒に避難させる人がいなかったのか。
 そしてこの男もまだ指示も無かったはずなのに農村のことなども確認しておいてくれるあたり、優秀であったのだろうと思う。前は政治なんててんで駄目だったのに。
「報告ありがとう。ハロルドは魔法は得意だっけ?」
「え......。私よりも陛下や宰相、アルフィー様の方が堪能であったのは事実ですが......。えっと、私を陛下の側近に命じてくださったには陛下なので......」
「そうだったっけ。ごめんね、色々あって一部記憶が抜けているみたいで。私の側付きだったなら、色々と詳しいよね。頼っていいかな」
 俺の言葉にさらに悲しそうな顔をする。とっさに一人称をジャックと同じにはしたが、口調も何もかも違う上に、情報が足らない。そんなことは置いておいても彼が心の優しい青年だと分かった。ジャックがそばにおいたのが分かる気がした。それに、ジャックの側近だったという事実は、多少苛つくが信用に値する。
「アカナ連邦共和国とヤーハン国に手紙を出してくれ。援助がほしいと。ラーシャ帝国にも今回のクーデターは伝わっているはずだ。宣戦布告をされる前にせめて守護魔法だけは張りたい。守護魔法を張れる魔法使い達を集めてほしい」
「王国魔道士の中でも手練れは皆、魔法陣破壊の際に亡くなりました。魔道士長も」
 彼の声が少し硬くなる。おそらく、俺が、彼にとっての陛下じゃないと確信を与えてしまったのだろう。
「ああ、そうか。じゃあ、守護魔法は私が担う。それ以外をよろしく頼むよ、ハロルド」
 名を呼べばパチパチと目を瞬かせ、困ったように言った。
「かしこまりました、ジェームズ様」
 筒抜けだな、とジェームズは苦笑する。
 ハロルドは一礼すると、崩れている壁から外に飛び降りた。落下する中で杖を一振すると、杖は箒に変わる。箒の上に立つと、あっという間に飛んでいってしまった。
 それを見送ったあと、再びエレナに向き直る。
「君は、しばらくこの国にいてくれ。復興と守護魔法の修復が終わったら、地脈を整えるために俺と一緒に各地に飛んでもらうから。しばらくは建物の修復や王都の人たちの治癒を頼んでいいかな?」
「分かったわ」
 エレナは白き竜に目配せをすると、竜は頷いてから姿を消した。そのまま、ハロルドと同じように壁から飛び降りた。
 エレナがいなくなったのを確認してからジョイのそばに寄り、頭を撫でる。
「どこにでも行くと良い。ずっと俺のそばにいてくれてありがとう。ジャックの友でいてくれてありがとう」
 そう呟いて、少しばかりしてからハロルドやエレナが飛び降りていったところから城下を見渡す。火は収まったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても、箒も無く、よく躊躇いなく飛び降りられるな......」
 それこそ自分のために作られた杖をずっと持っていなかったから、空を飛ぶときは普通の箒に頼っていた。すぐさま城下に行きたいところだが、城内がボロボロなのは想像に容易い。
 ハロルドがここから出ていったのも、ジャックを探している間、城内の惨状を目の当たりにしているからであり、空を飛んだ方が早いという判断故なのだろうと思う。
「仕方ないね。ギャリー、乗せてくれないかな」
 その問いかけにギャリーは、俺の隣でしゃがみこむという行動で答えた。ギャリーに跨がると、ギャリーは壁から落ちるようにして飛び出した。落下する途中で翼を広げ、力強く羽ばたいた。
 戦火を消し去ってくれた雨はあがり、雲間から光が射し込む。空には虹がかかっている。
「あの時と、同じだ」
 怪しい空模様の中、外に遊びに出たら、雨に降られた時があった。大きな木の下で雨宿りをしていたら、雨があがり、すぐに空は晴れていった。その時、虹が出ていたのだ。俺はすぐにジャックの手を引いて、虹を指差して走った。走っていると、二人を探しに来ていたギルバートがほっとしたように微笑んで両手を広げてくれていた。そこに二人で飛び込んだことがあった。
「こんなに似ているのにね」
 もう、手を広げて待っていてくれる兄も、手を引かれる形でそばにいてくれた兄弟も、この世にはいないのだ。
 思わず涙ぐんだ俺の耳に届いたのは、ギルバートの声でも、ジャックの声でもなかった。
『陛下はご無事のようだ』
『竜だ。我らの王は健在だ』
『ああ、なんて神々しいのでしょうか』
『陛下のおかげで、国は助かりました』
 国民の声だった。陛下はジャックのことだ。そんなことは俺にも分かっている。だが、それが嬉しかった。
「守るよ。絶対」
※
 結果として、国は大きく傾いたりはしなかった。城下から皆を避難させていたおかげで、国の復興に携わることのできる者が多くいたからだ。
 また、ギルバートやジャックは他国との協力関係を強めていたため、アカナ連邦共和国もヤーハン国も快く救援物資や人員を送ってくれた。
 これを機に攻め込んでくるかと考えられていたラーシャ帝国は何の動きも見せなかった。急な皇位継承で内部も揉めていたと言われているが、皇女が戦争を仕掛けようとした皇帝を失墜させ、自ら皇位についたという噂もある。新たな皇帝であるルイーズ皇帝陛下は、自国のことが落ち着いていないだろう時期から支援を公式に申し出た上、皇帝の辞書とされるフルニエ公爵家にウェスリーン王国支援の先導をさせた。
 あの反乱から一年ほど経ったときに、ラーシャ帝国との会談があった。久しぶりに見たルイーズは皇帝の貫禄を身につけており、俺は一瞬驚いてしまった。
「お久しぶりです、ジェームズ国王陛下。他国のような手厚い支援をすることができず、本当に申し訳ない」
「いえ。むしろ、支援をいただくばかりで返すこともできず、こちらが頭を下げるばかりです」
 俺の返しに、ルイーズは目を大きく見開いた。
「そう、亡くなったのは......」
「うん......。よく気が付いたね」
「ウェスリーン王国の言葉で挨拶していたら気が付かなかったと思うわ。貴方のラーシャ語は、フルニエ公爵領独特の訛りがあるのよ。ジェームズ国王陛下は綺麗なラーシャ語を話すから。名前を失くすのは辛くない?」
 その質問に俺は思わず顔を歪める。
「俺がジェームズだから。君がジェームズだと思っているのは、本当はジャックなんだ」
「え?」
「今話すことじゃない。いずれ、話すよ」
 ルイーズはその言葉に静かに頷くだけだった。
 その会談では、長い間敵対関係にあった二国間の同盟が結ばれた。
 多くの国の援助のおかげもあり、国の結界は早いうちに直すことができた。
※
 あの事件から早四年。
「陛下、どこから手をつけますか」
 議会にて、地図を開きながら綺麗なローブを纏った少女が俺に問うた。
「そうだな。王国魔道士たちは町に近い順に、魔道士長は俺と一緒に乱れが酷いところから行く。順番と配置は、俺と魔道士長で考えておく。近いうちに出られるようにギャリーとリリーの準備も頼んでいいかい」
「かしこまりました」
 俺は一番近くに座っている男に声をかける。
「俺は長期不在になる。その間の政治は君に任せる。あと、私情で申し訳ないが、シャーロットとマイラたちのことはよろしく頼むよ」
「謹んで拝命いたします、陛下」
 彼の言葉を最後に、立ち上がって議会の終了を告げる。
「それじゃ、あとはいつも通り頼むよ。来週からの議会は俺抜きでやってくれ。以上、解散」
 皆が部屋から出ていく。三人だけになった部屋で安堵の空気が流れる。
「お疲れ様です、陛下」
 少女が声をかけてくれるので、俺は眉をつり上げてため息を漏らす。
「その陛下ってのやめてくれないかい。誰も見てないんだ、いつも通り呼んでくれよ」
「どこで誰に見られているか分かりませんので」
 ニコリと笑う少女に、ふーんと言ってから、指を鳴らす。少女はやれやれと言ったように呆れた顔をすると、ふふっと笑った。
「国王が、そんなに魔力の無駄遣いをしてもいいのかしら、ジェームズ」
「これくらい使ったに入らないだろう、エレナ。ねえ、ハロルド、君のお嫁さん、怖すぎるよ」
 ハロルドは苦笑しながら漸く口を開いた。
「まだお嫁さんじゃないですよ。婚約者です」
「そんなことどうでもいいよ。あー、もう。俺はエリザベスとアデルバートに会いに行くから!」
「陛下、魔道士長と考えるのではなかったですか。魔道士長はここですよ」
 俺はがっくりと肩を落とし、エレナとハロルドを連れて執務室に戻るのだった。
※
「それで漸くここに来られたんだ。明後日からは各地に飛ばないといけないし」
「それは大変でしたね。ここではゆっくりなさってください」
 丁寧な所作で紅茶を注いだ女性は、カップを俺の前におくと、俺の正面に腰を下ろした。
「ありがとう。マイラたちのことはハロルドに任せてあるから、大丈夫だと思う」
 マイラは昔と変わらない微笑みを浮かべて、カップに口をつける。俺も彼女と共に紅茶と茶菓子に手をつけた。
「君の紅茶もお菓子も、相変わらず美味しいね」
「お褒めいただき光栄ですわ」
 世間話をしつつお茶を楽しんでいた。そして、気になることを聞いた。
「ねえ、考えてくれたかい」
 俺とは対照に、マイラは笑みを崩さないまま頷いた。
「ジェームズ様の心のままに」
「俺は、王として死んだ宰相の妻に問うているんじゃない。義弟として義姉に問うているんだ」
 マイラは静かにカップを置き、やはり笑顔のまま答えた。
「私は、伯爵家の娘にして、亡き宰相の妻です。陛下に申し上げるのであれば、陛下の御心のままに、という言葉を選びますよ。なので、先程の答えは、義姉から義弟へ家族として言った言葉です」
 お菓子を一つつまみながら、まだまだ子どもですねえ、と笑った。
「ギルバート様と約束したのです。最後まで貴方たちの家族でいると。家族ですから、もし貴方が間違ったことをしようとしているなら止めますわ。でも、私は貴方のしようとしていることは間違いとは思えない。だから、貴方は貴方の思うままにお進みなさい。私たちは大丈夫ですから」
「でも、」
「おかあさまー!」
 元気な声と共に駆けてきた小さな男の子がマイラの足元に飛び付いた。マイラは男の子を抱き上げると、もう一つ声が響いた。
「あ、叔父様!」
 続いて駆けてきたのは先程の男の子よりも少し年が上の女の子だった。女の子の方は俺に駆け寄ると、一礼する。
「叔父様、ご機嫌麗しゅう」
「ははは、随分とお行儀の良いレディになったじゃないか、エリザベス」
「当然ですわ。ねえ、叔父様。また魔法を教えて!」
 俺は椅子から立ち上がり、エリザベスを抱き上げると、マイラが咎めるように口を開く。
「エリザ、ジェームズ様に我が儘言わないの」
「だって、お母様。叔父様はお忙しいからあまりいらしてくれないのですもの。お会いしたときくらいは、一緒に遊んでほしいですわ」
 俺の腕の中で口を尖らせるエリザベスを見て、苦笑しながらマイラに顔を向ける。
「気にしないで。俺もエリザベスとアデルバートと過ごす時間がとても好きだから。エリザベス、本と杖を持っておいで」
 エリザベスを下ろしながらそう言えば、エリザベスは一目散に駆けていった。俺はマイラのそばに寄り、アデルバートの頭を撫でる。
 アデルバートはあの反乱の後に産まれた子だった。マイラに頼まれて、名前を考えたのは俺だ。
「なんだか、顔がギルバートに似てきたね」
「ええ。エリザベスもアデルバートも、ギルバート様によく似ています」
「君とギルバートの子どもだから当然かもしれないけれど、魔法使いとしての才能も申し分ないね。だからこそ、君たちには迷惑をかけることが申し訳ないよ」
「ジェームズ様。私たちのことは心配なさらないでください。貴方は、貴方が正しいと思うことをしてくださればいいのです。それが、私の願いですわ」
 俺はアデルバートを撫でる手を止めて、小さく頷いた。
「おじさま、だっこ」
 アデルバートはマイラの腕の中でこちらに手を伸ばした。その言葉に笑いながら、マイラからアデルバートを受け取った。
「君も随分大きくなったね。またしばらく会えなくなっちゃうけど、元気にしているんだよ」
「おじさま、僕にもまほう、教えて」
 少しだけ舌足らずにお願いをするアデルバートにマイラは苦笑をするが、俺は快諾した。
「今日は友達を呼ぶ魔法でもしようか。俺がギャリーに出会ったのは、エリザベスと同じくらいの時だったからね。きっと君たちもできるさ」
 嬉しそうに本と杖を持ってきたエリザベスとアデルバートに召喚の魔法を教えても、何かが出てくることはなかった。彼女たちはがっかりしていたが、俺は知っているんだ。
「出てきてあげたらどうだい。君たちだって、早く遊びたいのだろうに」
 そう言っても、出てくる気配は見えず、彼女たちが二頭の白い馬に出会うのはもう少し先のことになりそうだ。
「そろそろ行くよ。シャーロットにも会っておかないと」
「それがよろしいかと。ジェームズ様、彼女のことはどうなさるおつもりですか」
「どうするも何も、俺には何もできないさ。彼女には納得してもらうしかない」
 次に向かうは王妃の私室。彼女はいつもそこにいる。
「調子はどうだい」
「私の身を思うのであれば、あの女を追い出し、私と離縁してくださいませ」
 相変わらずだ。仕方がないと思うけれども。それにしても彼女はこんなに強い目をしていただろうか。
「でも、君だって彼女の功績は見てきただろう。俺の一存だけで彼女が魔道士長になれる訳がない」
「そうであったとしても、私は彼女を許すことはできません。彼女がいなければ、ジャック様は......。ギルバート様もアルフィー様も死ななかったかもしれない。彼女を見る度に、殺してしまいたくなる」
 シャーロットの瞳は憎しみで満ちている。それが向けられているのはエレナだけではない。彼女は俺のことも憎んでいる。
「君が俺を憎んでいるのは知ってる。でも、今ここで放り出すことだってできない。あと、地脈だけなんだ。それが終われば、ちゃんと終わらせるから。君のことも解放する」
 シャーロットはしばらく黙っていたけれど、ぽつりぽつりと話してくれた。
「ジェームズ様のことを憎んでいるわけではございません。貴方がいなければ、私は彼に会うこともできなかった。私はただ、ジャック様を偲んで生きていくことを
許されたいだけでございます。私は貴女の妻ではございませんので」
 それきり彼女は何も言わなかった。
 ※
「思っていたよりも早く終わったね」
 赤き竜の背を撫でながらエレナに言った。
「そうね。でも、国王である貴方が半年も国政から離れること自体、本来は異例な自覚は持ってほしいわ。そろそろハロルドの胃に穴が空きそうよ」
 白き竜に水を飲ませながらエレナはぼやく。
「はは。付き合わせて悪かったね、魔道士長。これで婚約者のところに帰れるよ。熱い夜を過ごしてくれ」
「リリー、燃やして良いわよ」
「おっとごめんごめん。冗談さ」
 両手をあげて笑う俺にエレナもリリーも呆れたような目を向ける。
「まあ、でも、漸く彼に会えるのは嬉しいわ」
 ふっと顔を緩めたエレナに、出会った頃の彼女を思い出して感慨深く思った。
 出会った頃の彼女は感情が無さそうだった。無い、というよりも知らない、と言った方が正しそうな。彼女の生い立ちを聞いたことはないけれど、恵まれたものではなかったのだろうと思う。
「ねえ、エレナ」
「どうしたの」
「これを君に返すよ。今までありがとう」
 エレナの手に握らせたのは、かつてエレナが差し出した白き竜との契約の石だった。突然のことに、エレナは首を傾げる。
「君には感謝しているんだ。こうやって、俺を支えてくれて」
「感謝するのは私の方でしょう。罪人である私をそばに置いてくれて、こうして地位まで授けてくれた」
「君をそばに置いたのは俺の我儘だったから感謝されるようなことではない。それに魔道士長になったのは君の実力と功績のおかげさ。俺の一声だけで君を魔道士長にできるほど、君の婚約者は甘くないだろう」
 小さく頷く彼女の瞳は少しだけ潤んでいた。
「ハロルドに会えたのだって貴方のおかげ。貴方のおかげで、私は、私は......」
 エレナはその場に蹲り、顔を手で覆った。その肩は小さく震えていて、リリーは心配そうに彼女を見つめる。
「私は罪を自覚したわ。今なら、貴方の兄弟が何に怒っていたのかよく分かる。私だって、ハロルドを殺されたら、犯人を殺したいって憎むわ。でも、でもね」
「君は家族としてヨリミツを愛していただろう」
 彼女はびくりと肩を震わせ、顔を縦に振った。
「貴方のそばにいて、ハロルドと出会って、あれが愛だったって分かった。ヨリミツは悪いことをしたけれど、彼には彼の正義があった。それに、彼は私のことをちゃんと愛してくれていたし、私も彼を愛していたのよ。今になって分かったところで、もう遅いのに」
 ボロボロと涙を溢すエレナの気持ちが痛いほど分かる。
「私はヨリミツに助けられたの。先祖返りで魔法が使えた私を家族は気味悪がった。でも、遠縁のヨリミツだけは私を見捨てなかったし、あの島国から連れだしてくれた。リリーの名前だって、私が名前を忘れないようにってヨリミツが付けてくれたものだった」
 リリー。確か、ヤーハン国ではユリと呼ぶんだったか。白い花。きっと、彼女が親に貰ったのであろう名前。
「初めてだった。温かい食事も誰かと囲む食卓も。誰かに抱きしめられて眠るのも。全部ヨリミツが初めてだった。でも、当時の私にとって、それはどうでもいいことだったし、彼が望むようにすれば生きていけるとしか思っていなかった」
 彼女の顔は見えない。けれど、彼女の下の地面にはぽつぽつと黒い染みができていく。
「あの時、彼を止められていればもっと違う今があったかもしれない。私がもっとちゃんと考えられていれば、貴方のお兄様や兄弟、ハロルドの尊敬する人だって死ななかったかもしれない」
 気持ちは痛いほど分かる。あの時こうしていれば、と俺だって何度考えたか分からない。でも、現実は無慈悲だ。どれだけ悔やんで、どれだけ悲しんでも、過去には戻れない。時は進んでいくだけ。分かるからこそ、彼女にかける言葉を持ち合わせていなかった。何を言うかが問題ではないことを、誰が言うかが大切だということが、俺には分かっていた。
「エレナ......」
「私は恨まれて当然なの。恨まれて、殺されたって当然だと思う。それなのに、ここにいることを許されて、優しくされて。私は、私が殺してしまった人のためにも、この国だけを思って、この国のために生きなければならないのに」
 ひゅっと息を吸って何も言わなくなったエレナの脇にしゃがみこみ、彼女の背をさする。
「良いよ、全部言って」
「私は彼らの大切な人を奪った人を捨てきれない」
 エレナは叫んだ。
「だって、あの人は、私を愛してくれた、初めての家族なんだもの!」
 その声はとても悲痛を帯びていた。
「うん。彼は確かに君の家族だった。だって、彼は君を守ろうとしていたからね」
「え......」
「あの事件、よく計画されていた。国全体を包囲する魔方陣、少数の魔法使いで、手薄とはいえギルバートとジャックを追い詰めた手腕。彼自身、とても魔力に富み、才能もあった。なのに、どうして魔方陣の白き竜の魔力の気配を消さなかったのだろうと思って。あれほどであれば、気配は消す方が得策だ。最初は、失敗したときに全ての罪を君に着せようとしていたのだと思ったけれど」
 エレナは時が止まったかのように俺を見つめる。
「だとしたら、白き竜を皆の前で使役しないはずだ。君を皆と戦わせて、自分は後ろで命令だけしてれば良い。当時の君だったら、それで戦っただろう」
 彼女はコクりと頷く。
「そう。あの人は、私を表に立たせなかった。リリーに促されれば、私は躊躇いなく彼に罪を擦り付けたでしょう。そう計画していたのだと、全てが終わった後にリリーに教えてもらった」
 ごめんなさい、と誰に対するものなのか分からない言葉を、悲痛な、叫ぶような声で繰り返した。
「ハロルドに全部言ってごらん」
「え?」
 俺はエレナの腕を掴み勢いよく立ち上がらせる。
「ハロルドに全部言ってみればいい。彼はきっと、君の辛さも罪も全部受け入れてくれるさ。そういう男だから、ジャックは彼を信じたし、俺も彼を信用している。でも、もし受け入れてくれなかったら、俺と一緒に逃げちゃおう。君とだったら、共に罪を抱えて、竜に乗って旅をするのも悪くはない」
 エレナをリリーの背に乗せ、俺はギャリーに乗る。
「さ、帰ろう。俺たちは今、自分の罪と向き合うという賽を投げるんだ。君の罪はハロルドが、俺の罪は国民が見届ける」
「どういうこと。貴方の罪って」
「時期に分かるさ。ギャリー、頼んだぞ」
 俺の声にギャリーは翼を広げて空を飛ぶ。それにリリーが続いた。
 竜はいまだ、この国にとって英雄の象徴だ。竜が空を飛べば、それを見るためにわざわざ外に出る国民がいるくらい。
 俺たちはそんなに偉い存在じゃない。俺もエレナもそれぞれ罪があって、後悔がある。ただ、偶然にも竜が認めてくれただけ。
 それだけなんだ。
 
 
 
 
 
 

エピローグ
「これは私と、私の兄弟たちの話だ」
 彼はこの言葉から話を始めた。
「これは己にできる、唯一の懺悔だから」
 クーデターによって国を変え、賢王と呼ばれた国王ジェームズが、とある事件の約五年後に国民に向けて唐突に公表した話だった。
「これは俺の告白さ。国の皆を騙し、王位に就いていたことを心から詫びよう」
 国王ジェームズの話は粛々と続いた。出自から始まり、今に至るまでの話であり、それを当時の国民のほとんどは何かしらの形で聞いていた。
 中でも多くの国民を驚かせたのは、国王が入れ替わっていたという話だった。
「国民が慕っていた賢王ジェームズは俺の双子の兄弟のジャックだ。俺は、前王統治時代、魔法使いだとバレて徴兵されそうになった。兄の立場上、俺は直属軍に行かなければならなかったが、行きたくないと泣いて喚いた。それを見かねたジャックが俺と入れ替わったんだ。
 ジャックは兄弟の贔屓目を無しにしても、良い王だっただろう。宰相である兄と協力し、この国の発展に尽力した。貴族には厳しかったかもしれないが、全ては国のために彼らは動いていた。俺はジャックとして、彼のそばで彼を支えてはいたが、彼の背負っていたものには到底及ばなかっただろう。
 情けないことに、俺の世界はジャックとギルバートだけで構成されていたんだ。だからこそ、二人がどんどん認められていくのが怖くて逃げ出したんだ。元々、ジャックの護衛として側にいただけで、公務とかは無かったらから、国の皆は知らないかもしれないが。
 俺が逃げ出したのは、ちょうどあの事件から四年前。そして、戻ってきたのは事件当日だ。
 俺はラーシャ帝国にいて、ラーシャ帝国で皇帝の辞書と呼ばれるフルニエ公爵家で護衛として働かせてもらった。その時にラーシャ帝国の現皇帝陛下にお会いした。今回、支援を申し出てくださったのはその時のよしみがあるだろう。本当に慈悲深いお方だ。
 四年間ラーシャ帝国で過ごし、俺は帰ろうと思ったんだ。その矢先、事件の知らせを聞いた。魔力が無くなることも何も考えず、転移魔法を繰り返して王都に着いた。事件が表面化したのがその日だっただけで、少し前からジャックたちは国中に張り巡らされた魔方陣の解除に尽力していた。
 魔方陣の核を破壊するのに多くの魔力を必要とし、魔力の多い王国魔道士たちがそのために命を落とした。当時の魔道士長であったアルフィーもその一人だ。
 核を破壊するのを十数人の魔道士だけで行い、多くの魔道士たちには王都にいる住民の避難や警護をさせ、魔法使い協会の者にも協力を促した。それにより、王宮、いや、王都にいた人間はジャックとギルバート、シャーロットとマイラ、あとは数人の魔導士と騎士だけだった。
 俺が王宮に着いたのは、王都の人の避難がほとんど終わってからだった。俺はジャックとギルバートに、シャーロットとマイラを安全なところに送るよう頼まれた。マイラは身重にも関わらず、ギリギリまで宰相の妻として働いていたし、シャーロットに至ってはジャックと共に残ることを希望した。それでも彼女たちを生き残らせることがジャックとギルバートの望みだったから、無理矢理に彼女たちをオースティン伯爵領に避難させたんだ。
 彼女たちを安全なところに送り届けてからすぐに、俺は王宮に戻った。ジャックとギルバートがどこにいるか分からなかったから二人を探していた。その途中で現魔道士長であるエレナに出会った。
 彼女と戦っているとジャックが加勢に来てくれた。ジャックはエレナを殺そうとした。当然だ。利用されていたとはいえ、ジャックが最も慕っていたギルバートとアルフィーの敵なのだから。だが、ジャックはとどまった。エレナを殺さなかった。俺はこれで終わったと思った。
 その直後さ。
 前王によってジャックは斬り殺された。俺の身代わりになって。俺は絶望した。ジャックもギルバートもいない、こんな世界にいる意味があるのかってね。でも、ギルバートはそれを良しとしなかった。死んだっていうのに、わざわざ俺に会いに来て、俺を叱っていったんだ。
 その後、俺は前王を殺した。でも、俺も死の間際に立った。ジャックと一緒に死ねると思ったんだ。ジャックと一緒にギルバートのところに行けると。大切な兄弟と一緒に大切な兄のところに行けるのはとても幸せなことだと思ったよ。それなのにジャックが死なせてくれなかった。そして、ジャックとギルバートが作った国を守るまではと思って、国王の地位に就き、今までやってきた。
 だが、王位を今、国の皆に返そうと思う。この国はもう、王なんて必要無い。国を率いる者を君たちが決めるんだ。村や街から代表を出し、その者たちが集まって国の方針を決める。今日から、国を作り、率いるのは、君たち国民自身だ」
 国王ジェームズの話はそこで終わったが、国は大いに混乱した。
 王位を返上するといえど、すぐに政務から退くことができるわけではなく、国王ジェームズもしばらくは国政に関わったが、それは全て、国民としての立場であり、決定権を行使するものではなかった。
 この国では国王という存在に対し、多くの議論が交わされた。
 国王の意見を尊重するべきだ。この国も民主化するべきだ。国王という国の象徴を失くしたら国が崩壊する。などのような様々な意見が挙がった。しかし、国王ジェームズは気持ちを曲げることなく、落ち着いたら政務に関わるつもりは無いと言い続けていた。
「俺が出席する議会はこれで最後だ。今までありがとう。民として、より一層の繁栄を願っているよ」
 国王ジェームズが参加する最後の議会が終わった直後の話だ。会議場の扉を開けて入ってきたのは、欠席していたはずの、元王国魔道士長、当時の国立魔道士長であるエレナであった。
「一つの提案を議論させていただきたく存じます」
 エレナは手に持っていた分厚い紙の束を机に置いた。
「国王の存続についてです」
 その言葉に国王ジェームズは大きく目を見開いた。
「国王が国の全てを動かすというのは確かに危険だとは思います。ですが、多くの国民は国王を望んでいます」
 エレナは紙の束を指差す。
「これは、国王を国の象徴として残すことに賛同してくれた国民の署名です。全国民の八割近くが署名をしてくれました。もちろん、私やハロルド、ここにいる全ての大臣も署名済みです。また国の決定に関与させるわけにはいきませんが、ヤーハン国の王族やラーシャ帝国の皇帝陛下も、我がウェスリーン王国の王族を残してほしいとのことですよ」
 口の端を少しだけ上げて言いきられた言葉に、国王ジェームズは議会に参加している顔ぶれを見渡し、エレナに視線を戻す。
 絞り出した声は少しだけ震えていたという。
「皆が慕っていたのはジャックだろう。俺じゃない」
 エレナは首を横に振る。
「ジェームズ国王陛下」
 エレナは真っ直ぐに国王ジェームズを見据えた。
「民は、貴方に戻ってきてほしいのです。この署名は、その証拠です」
「だって、俺は」
「貴方は確かに罪を犯したかもしれない。でも、それ以上に、民は貴方を慕っているのよ。貴方の笑顔を見続けたいと思っているの。それは、貴方が得た信頼であり、貴方が応えなければならないものよ」
 国王ジェームズの手を取り、会議場を後にする。二人がたどり着いたのは王宮で一番格の高い応接間。そこにあったのは机に載りきらず、床にも置かれている大量の紙の束だった。
 国王ジェームズはそのうちの一枚を掴む。一枚に目を通し、すぐにもう一枚にも目を通し、次々と目を通していった。
「これは......」
 それは手紙であった。様々な字で書かれた手紙に国王ジェームズは涙をこぼしていた、と後にエレナは語った。
「署名の際に、任意で書いてもらったの。強制はしてないわ。それでも、ほとんどの人が書いてくれていた」
 読めば読むほど、彼の涙が溢れて止まらなくなった。
「一応、全てに目を通してはいるのだけれど、一枚も捨てるようなものは無かったわ。その上、全ての手紙は貴方とジャックさんを間違えていない。皆、貴方たち兄弟に感謝しているのよ」
 手紙には、国王ジャックや宰相ギルバートに宛てたものも多くあった。国王ジャックが王位に就いていた時代のことに関しては国王ジャックと宰相ギルバートに対して。国王ジェームズが王位に就いてからのことに関しては国王ジェームズに対して。
「ありがとう。これを俺に届けてくれて」
「私だけじゃないわ。ハロルドもマイラさんも、色んな人が手伝ってくれたの」
 ジェームズは手紙を読みながら話した。
「俺はさ、王位に興味はないんだ。彼らの作った国を守りたかったから、王位に就いただけ。それなのに、王位に就いて良いのかな」
「皆がそれを望んでいるの。あと、これも読んでほしい」
 杖をひらりと振ると、一枚の紙が国王ジェームズのそばに飛んでいった。それを受け取り、目を通した国王ジェームズは、真っ赤な目のまま、子どものように笑った。
※
「こうして、国王ジェームズは正式な二代国王として、国の象徴として国の繁栄に務めましたとさ」
 王宮の中庭で二人で本を読んでいた。僕が本を閉じると、蒼の瞳の少年はキラキラとした目で僕の空色の瞳を見つめた。
「それが俺たちのご先祖様なんだろう?」
「まあ、正確には僕たちのご先祖様の弟だけどね」
「血の繋がりがあることには変わらないじゃない。それに、君は初代国王と同じ名前。俺は二代国王と同じ名前。格好良いじゃないか!」
「王族としては久々の双子ってことで、どうしてもこの名前にしたかったって母上がおっしゃっていたもんね」
 蒼の瞳の少年は僕に思い切り抱きつく。
「俺はもっといっぱい魔法を練習して、ジェームズ国王みたいな英雄になるんだ!」
「でも、第一継承権を持つのは兄上だし、僕たちには王位継承権は無いようなものだよ?」
「分かってないなあ。俺がなりたいのは英雄だよ。困っている人を助けるのが英雄の役目さ。あ、もちろん、君は今度こそずっと俺と一緒だよ!」
 抱きついている腕に力が込められる。僕は思わず顔を綻ばせる。
「うん、そうだね」
 本の表紙を撫でながら頷けば目の前の少年はニコニコしながら話を続ける。
「君はこの国の建国記が好きだよね」
「だって、この国の建国記は、僕がこの目で見届けたかった英雄記だから」
「確かに。俺も自分の目で赤き竜とか見てみたかったなあ。今では壁画か国章でしか見ることができないしね」
 そういうことではないんだけど。まあ、彼自身は覚えていないようだから仕方がない。
「でも、兄上はペガサスを召喚するのに成功したよ」
「そうだよ。兄さんはすごい。そして、兄さんにできたなら、きっと俺たちにもできる。俺たちはきっと、竜は無理かもしれないけれど、凄い友達が召喚できるさ」
 彼が興奮したように言い切ったところで、渡り廊下から声が響いてきた。
「おーい。お前たち、そろそろ行くぞ」
 そこには隣の彼と同じ蒼い瞳をした青年が立っていた。
「兄さん!」
「兄上と呼べと言っているだろう」
 蒼の瞳の少年は腕をほどき、蒼の瞳の青年に走りよっていった。動じることなく少年を受け止めた青年はとても優しげな顔をしている。僕が苦笑しながらその様子を見守っていると、蒼の瞳の少年が振り返り、戻ってきた。
「どうしたの?」
 首を傾げる僕の手を引っ張って走った。本を脇に抱えて、転ばないように付いていく。僕が顔をあげると、目の前で満面の笑みで手を引く双子の兄弟と、少し離れたところで両手を広げて待っていてくれる兄が視界に入る。
「ああ、懐かしいな」
 小声で呟くと、聞き取れなかったのか蒼の瞳の少年が首を傾げた。
「何か言ったかい?」
「ううん、何でもないよ」
 そう答えれば、彼は『僕』がずっと見たかった笑顔で『僕』の名前を呼んでくれるんだ。そして、『僕』も彼の名前を呼ぶことができる。
「早く行こう、ジャック!」
「うん、ジェームズ!」
(fin)
登場人物たちの名前の意味
・ジェームズ......取って代わるもの、後釜
・ジャック......神は慈悲深い、後釜
・ギルバート......輝かしい契約
・アルフィー......賢い助言者
・ハロルド......強力な軍隊
・マイラ......慈悲深い、戦士
・シャーロット......自由
・エレナ......輝く光
・エリザベス......神への誓い
・アデルバート......高貴な輝き
・ルイーズ......名高い戦士

 また、大体お察しだとは思いますが、各国の私の中のモデルを書き記しておきます。
・ウェスリーン王国......イギリス
・アカナ連邦共和国......アメリカ+カナダ
・ヤーハン国......日本
・ラーシャ帝国......ロシア


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