墓標のシャナ

白内十色



 それは最初、雷が落ちたのだと思った。夜中に唐突に鳴り響いたその轟音はおそらく森中に響き渡り、そしてすぐに静かになった。その日は犬と猫が転がったような大雨の日で、成層圏を越えて宇宙の果てまで雨が続いていてもおかしくない程だった。僕は森の中ほどに建てた作業用の小屋で寝る前のコーヒーを飲もうとしていた。コーヒーの銘柄には詳しくないが友人に勧められて日頃飲んでいるものだ。まさに雷が落ちた後の木のような、燻ぶった香りを伴っているので僕はその液体を『落雷』と呼んでいる。
 僕の体質はどうやらカフェインを無効化するようで、コーヒー程度では眠れなくなることはない。次の日、空が白み始めた頃に起きだすと昨日の夜の暗さが嘘のように空に雲はなく、開けぬ夜はないという使い古された言い回しを想起させた。
 僕は幼少よりこの森を自分の庭だと思って育ったが、それが本当に自分のものだと知らされたのは中学に上がったころのことだった。祖父の2回忌のことだったか、当時の僕にとってはよくわからない老人だったその人が僕の生まれた時に森一つを僕のために贈ってくれていたのだということを知らされたのだった。
 自由人、といえば聞こえがいいが、森に小屋を建ててそこに潜み、社会からのかかわりをほとんど断っている僕のような存在は、ドロップアウトしていると言っても差し支えないだろう。少なくとも、自分ではドロップアウトしたつもりである。僕は木工細工を生業にしているが、それだけで生きていけるほど熱心ではなく、相続された遺産を少しずつ削りながら、日々を何とかやり過ごしている。
 昨晩の音の方角を大まかに覚えていたので、それを見つけ出すことはそれほど難しくはなかった。一見普通の樹木のように見えるが、その異質さは緑の葉に混じって紅葉が始まった一枚の赤色のように目を引いた。
 少なくとも、この森の植生では見たことがないし、図鑑でも覚えのない形状だ。直径一メートルほどの円形の葉が亀の甲羅のようなドーム状に配列され、木の本体を雨から守る傘でもあるかのようだ。そして、何か強い衝撃を受けたかのように、一部の枝が折れ、残る枝も裂けかけていた。落雷の衝撃ではない。落雷であれば、どこか焦げたようになるはずだが、そのような様子はなかった。
 僕はその木を一目見て、ベッドの上で横たわり死を待つ老人を想起した。しわがれた唇で描かれる「ほほえみ」すらも見えるかのようだ。特に何が死んでいるというわけではなく、確かに枝はいくつか折れているが幹肌はつやつやとして今まではまさに生きていたのだろう。しかし、その木は確かに死にゆく定めなのだ。その木はいま生ではなく、死を見つめ、死に向かおうとしている。その、確信があった。
 木のうろに該当するのだろうか。木は内部に何かをかくまうような形状をしている。卵型をした、内側の「それ」が初めにあり、死んだ木はそれを取り囲むように育ったのだろうと想像する。守られているものはどうやら何らかの木のようだ。生きた木のような質感がある。周囲のものはおそらく、「それ」を守ることが使命だったのだろう。たとえ死ぬことになったとしても、守りたかったのだ。空に焦がれる鳥のように、恋する姫を守る騎士のように。死にゆく木に囲まれて生の輝きを放っているその対比は一種の芸術作品であるかとすら思われた。
 僕はその場でテントを張って、しばらく成り行きを見守ることにする。昨晩の轟音はこの木が原因なのだろう。ほかに森に異常は見当たらなかった。幸い僕の持つ時間は多い。木は死に、円形の葉はやがて茶色くなり地に落ちる運命だとしても、内部の「それ」は生きているのだ。それは卵型をしているが、何かが身を丸めて卵型になっている、というのが実情のように思える。テントの中には本と食事と『落雷』のコーヒー。さすがに木工細工の機材まで持ってくるわけにはいかないので、しばらくの間仕事は休むこととする。代わりに作業の間で出た小さな破片と彫刻刀を持ってきて、仏像彫りの真似事でもしようかと考える。森の中でキャンプをすることは多かったので、テントは大型の上質なものが揃っている。なにせ、この森は僕の庭なのだ。
 
 数日が経過すると、うろの中の「それ」は次第に柔らかくなっていった。初めは木と同じような固い質感だったのが、押すと少しへこむようになっていった。一度本を取りに帰ったほかは、木に面したテントの中で僕は木を見張り続けた。僕は円形の葉を持つ木のことも良く観察し、一つの答えを得た。円形の葉がついている枝はそれぞれ強い衝撃を受けたように見えるが、その力は全て下からのものなのだ。つまり、パラシュートをつけた人間が落ちる時に、パラシュートが上に引かれるように、円形の葉が空気抵抗で上に引かれる際に受けた力、それが枝の受けた衝撃の正体なのだ。僕はこの木は空から落ちてきたのだと推定し、この木をパラシュート・ツリーと名付けた。木の葉は光合成を担うものだけではなく、パラシュート・ツリーが地上に落下する際の衝撃を軽減するためのもののようだ。おそらくは、内部のものを守るために。
 十日目のこと。作る仏像がなかなか悪くない仕上がりになり、信心などないのにこの像になら祈っても良いなど思い始めてきたころのこと、「それ」がついに動いた。目を、開いたのだ。卵型の上部にあった亀裂が開き、人間の目と驚くほどに類似した瞳が現れた。瞳孔は朝露のようなライト・ブルー。目の亀裂はやや大きめのものが一つのみで、裏側に隠れているなどのことがなければ、単眼ということになる。ついで、目の少し下の亀裂が開き、なんと音を発した。かすれた声、洞窟を風が吹き抜けて音となるような、原始的な音だ。瞳が動き、僕の方を見る。瞳の前で指を振ってみると、レスポンスは遅いが、確かに追従しこちらを見ている様子を見せた。「こんにちは」と僕が言うと、驚いたように瞬きをし、声を発する。「シャナ」と、確かに聞こえた。声は低く、成人男性よりもなお低いだろう。管楽器のような音だ。発声方法が人間とは異なるのかもしれない。しかしそれは明白な意思の発露であり、パラシュート・ツリーが守っていたものは確かに生きて届けられたということになる。
 日が沈むとともに「それ」は目を閉じて活動を停止し、日が昇ると活動を再開した。活動と言っても目を開き、音を発することだけである。僕は様々な言葉をかけてみる。花には水を与えるように、地上に降り立った未知の生命に与えるべきは情報だと思えたのだった。「それ」も何かを話している。人間よりも発音できる音の幅が広いようで、一部の女性が出すカン高い声とまではいかないまでも、それなりの高音を出すことができることが判明した。加えて、人間の持たない発音の言葉も話すので、真似をしてみることは困難を極めた。低い音から始まり音階を登っていくように音を発したので、作業小屋に眠っていた手慰みで作ったハープもどきを持ってきて同じ音階を出すと、喜んだかのような反応を見せた。異なる言葉を持つ二者が通じ合うには音楽をもってするのは悪くないやり方かもしれない。僕がうろ覚えの民謡を歌うと、「それ」も何事かを口ずさんでいる。
 そんな関係が一か月ほど続いた。いくつかの言葉や僕の名前を覚え、たどたどしく真似をする。僕も少しは言葉が分かるようになる。どうやら「それ」の名前は「シャナ」というらしい。シャナは数字を学習し、10進数の面倒さにも慣れていった。どうやらシャナの本来知っている数学は16進数を採用していたらしい。その方が賢明だよ、と僕は言う。とにかく、数字である。シャナは日が落ちるとともに眠り、日が昇ると目を覚ます。目を覚まして初めに僕に会った時に、シャナは数字をつぶやく。僕らの数字とシャナの数字を一回ずつ。そして、その数字は日ごとに一つずつ減っていくのだ。数字がゼロになるとどうなるのか、とシャナに聞くと「動く」が「可能」であるという。なるほど、動けるようになるのかと僕は納得し、その日を待つことにした。そして、
それが今日である。
 シャナの卵型にうずくまっている体の部分は、日を経るごとに柔らかくなっている。どうやら触ると嫌がる部分もあるようで、全ての箇所は確認していないが、人間のように動くと言われても違和感のないほどには柔らかく、可動性があるようだ。だが質感は一見したところ木のように見える。硬さも、人間のそれよりは硬い質感だ。
 その日、シャナはゼロ、と言った後にゆっくりとパラシュート・ツリーのうろから這い出してきた。卵から生まれたばかりの雛のようだ。人間と同じく四肢があるが、それぞれやや細長い。まだ力がなく、少し動いただけで動かなくなってしまった。「大丈夫か」と聞くと「わからない」と言う。大丈夫なんて語彙を教えていなかったことに僕は気づくと、「何をするべきか」と聞く。シャナは少し時間を空けて考えた後、「太陽」と言う。太陽の見えるところは日の当たるところだ。おそらく太陽光が必要なのだろうと思い、日向に置くと、「正しい」と言う。そして、目をつむり、動かなくなった。
 パラシュート・ツリーは完全に死んでいた。残っていた最後の葉が枯れ落ち、あとはもう朽ちるのを待つだけである。あるいは、母親が胎児に栄養を供給するように、パラシュート・ツリーの葉は光合成をしてシャナにエネルギーを与えていたのかもしれない。それが枯れてしまったので、シャナは自分で動き、光を求める必要があったのだ。
 シャナは次の日、水を欲した。植物に対してするように、体に水をかけようとすると、違う、と言う。どうやら、口に該当する裂け目に水を入れ、摂取するのであるらしい。進化の上で、絶対的に合理的な形態というものがあるのだろう。知的な生命体になるために、必要なステップというものが存在する。例えば僕とサナヤでは皮膚の質感が違うから、これは正しい進化とは関係のない部分だ。だが、目の構造や、音声を発する機関が存在し、それは栄養の摂取口と構造を共有する、というシステムは、合理的に進化するうえで答えが一つしかない部分、この道を通らなければ正しく進化できない部分なのだろう。
 食べ物はいるか、と僕がキャンプ中に食べている乾パンを見せるが、シャナは首を横に振る。見ただけでは何か識別できていないはずだが、否定するということは明らかに違うものなのだろう。シャナをよく観察すると、地面を掘って土を少量ずつ摂取しているさまが確認できた。植物のように見えることを加味すると、道理である。生態はどうやらかなり植物の方に寄っているらしい。となると、僕の日頃好んでいる『落雷』などは与えない方が良いものの筆頭だろう。カフェインは植物の成長を抑制すると聞いたことがある。
 三日もすると、シャナはかなり自由に動くことができるようになった。短時間なら日陰にいても大丈夫だし、日陰にいられる時間は今後も長くなっていくとシャナは言う。僕のテントにやってきて僕の彫った仏像に興味を示し、『落雷』コーヒーに指を突っ込んでは飛びのいたりする。おそらくはカフェインの成分というよりはその高温が原因だっただろう。食物を温めて食べる、という人間の習慣を受け入れるためにシャナは長時間の説明を必要とした。
 シャナはまるで物心ついたばかりの子供のように、全てのものに触れて回る。なぜわざわざテントで日差しを遮ることをするのか? と聞かれたときは僕も反応に困ってしまった。雨が降ると濡れるからだ、と答えては濡れた方が良いではないかと反応されることが必至であった。
 衣服を着る習慣もシャナにとって新鮮であった。日ごとに体色を変えるのはなぜか、と質問され、シャツを脱いでみせると目を大きく開いて痛くないのか、痛くないのかとしばらく騒いだ。僕があまり複雑な意匠の服を着ないことも勘違いの原因だっただろう。服を脱いだ姿が人間の本来の姿だが、それを見せるのはあまりしないことで、また服は人間を守る役割がある、と説明した。シャナは皮膚が頑丈だ。シャナの一族は衣服を着る代わりに、個性を出すため、ボディ・ペイントをすることが慣習であったらしい。僕が塗料を持ってくると、喜んで体に塗り、非常に精巧な幾何学模様を身に纏った。シャナの皮膚は人間のように剥がれ落ちることが少なく、一度施したボディ・ペイントは一か月は持続する。
 僕がシャナの身体構造に興味を持っているように、シャナも僕の体に興味がある。最初は服越しに触らせていたのだが、次第に服を脱いでほしいと要求されるようになった。シャナにも触られては嫌な部分が存在する、それと同じだと説明すると、僕の手を取ってその部分に触れさせてくる。ある種の信頼の証か、何かの儀式であるそうだ。背中の中央にある、ひときわ柔らかく、繊細な部位だ。ボディ・ペイントもこの部分には施されていない。目を閉じて僕の手の感触をしばらく味わうと、シャナは「これでいいか?」と聞く。退路を断たれてしまったので僕は服を脱ぐ。案の定、シャナは僕の性器に興味を示した。人体の中で、特別複雑で面白い部分であるのは否定しない。
 悔しいが、シャナの言語能力、学習能力は僕のそれを上回っている。教材の量も影響しているだろうが。木の根が浸透圧で水を吸うように、知識に乾いたシャナは僕の教える概念をあっという間に吸収する。驚いたのは、シャナと僕とである程度同じ感情が存在する、ということだ。水や土に対する飢えと同様に、感情に対する飢えがシャナには存在するらしく、僕はそれは人間の「寂しい」と同義だろうと結論付けた。寂しいを覚えてからのシャナは時々寂しいを口にするようになる。何で満たされるのか、と聞くと、サナヤが居ない、と答える。
 シャナの種族がサナヤと言うことが分かったのはこの時だ。僕という個人に対して人間という種族名が存在するように、シャナにも種族があることは想像できたが、シャナはそのことをあまり口に出さなかった。
「シャナの種族はサナヤというなら、他のサナヤはどこにいるんだ?」
「皆、動かなくなった。人間、動かなくなったとき何と言う? 考えられなくなった時のこと」
「それは、死だ。死ぬ、と言う」
「ならば、死んだ。星の外でみな死んだ。」
「星の外? 空気のない暗闇ならば、人間は宇宙、と呼ぶ。宇宙でサナヤは死んだのか?」
「宇宙だ。宇宙で多くのサナヤが死んだ。私をここまで運ぶために」
 そしてシャナが語ったのは、サナヤの一族が滅亡し、シャナが地球にたどり着くまでの物語だった。

 サナヤの科学者は最初、それを観測機器の汚れだと思った。あるいは、汚れであると信じたかった。サナヤの文明は人類のそれよりも数百年は進んでいる。しかし、観測に伴うノイズを克服することは、いまだサナヤには不可能だった。
 複数回の観測と、厳密な計算の結果、観測機が捉えたそれが実在すると判明した時、サナヤ社会は絶望に包まれた。地球の辞典でいうところのイルカのような形をした宇宙船が数万隻、サナヤの星へと航行しているのだ。サナヤ社会はその当時宇宙航行技術を有しておらず、せいぜい探査機を飛ばし、いくつかの惑星に数人のサナヤを着陸させることができるのみだった。
「何を求めて向かってくるのか?」
 サナヤは自らよりもはるかに発展した技術を有する異星人に対し、問いかけのメッセージを送った。異星人の船団は10光年ほどの近さにあったため、返事が返ってくるまでに20年の月日がかかることになる。サナヤはその月日を、処刑台に上る前の死刑囚のような気持ちで待ち続けた。友好的な理由でサナヤに接触するのであれば、もっと早くに連絡をするべきなのだ。船団のイルカのような形状は、宇宙に溶け込み、観測をし辛くさせるある種の迷彩効果を持っていた。
 20年後、帰ってきたのは『知識』であった。それは天体に対して破壊的な効果をもたらしうる現象に関する知識であり、サナヤの現在の技術と持ちうる時間では、到底再現が不可能な、はるかに進んだテクノロジーのみが持ちうる技術だった。
「私たちはあなたを破壊することが可能である」
 要するに、『知識』の伝えることはそれだけだった。
 可能だから破壊するのか、それとも別に理由があるのかはわからない。非友好的な異星人の、最低限の挨拶もしくは宣戦布告として、その『知識』は送信されていた。
 サナヤの判断は速かった。星を脱出し、居住可能な天体へサナヤを送り込むこと。持つ力を全て用いれば、何ができるか? それをサナヤは考え続けた。
 サナヤは他者のために自らを犠牲にすることを躊躇しない。そして、自らの肉体を改造することにも積極的だった。サナヤは死ぬと硬い木材になる。そして、その死体を建材として、一つの宇宙船を作り上げた。軌道上に集まり、選ばれた一人のサナヤを核として、それを取り囲み守るようにしてサナヤは死んだ。遺伝情報を適切に制御されたサナヤの死体は密に絡み合い、中心のサナヤを守る。中心のサナヤは冬眠状態となり、長い旅を死体に囲まれ、眠って過ごす。
 最終的にほぼすべてのサナヤが集まり一つの宇宙船が完成した。目的地は、科学者が血眼になって見つけ出した、航行可能な範囲で唯一の居住可能な惑星、つまり地球である。地球は異星人の船団とは反対方向にあったため、その点も都合が良かった。
 全てのサナヤが集まったとはいえ木材である。長き旅の果てに摩耗する。全てのサナヤと全ての叡智を集めたとしても、地球にたどり着けるのは一人、そして、その一人を守るためのパラシュート・ツリー、それだけだった。
 そうして辿り着いたのがサナヤ=シャナ、ただ一人になったサナヤである。



「『何があろうと前へ』、それが当時のサナヤの標語だった」
 シャナは長い手を横に広げ、語り終わると一つだけの、大きな目を泣くかのように閉じた。やんちゃな子供のような、知識欲にあふれたシャナはそこにはなく、ただ木彫りの置物であるかのようですらあった。
「君は、生きている」
 僕の絞り出した言葉にシャナの返事はない。二人座って見つめあったまま時間は過ぎ、日が暮れてシャナは活動を停止した。

 シャナがパラシュート・ツリーの前で泣くことが増えた。話によると、シャナにとって特に親しかった者がパラシュート・ツリーの素材になっているらしい。この部分は誰であると、僕に丁寧に教えてくれた。シャナはサナヤの中では若く、そして最も優秀な個体であった。その能力の高さ故に、異星人の船が接近しているという知らせを受けて他の子供とは異なる教育を施された。その教育とはサナヤ文化の全てをシャナに教え、伝え残すための知識教育である。もちろん、サナヤの星を脱出して別の星にシャナを送り届けるためだ。
 逆に、シャナの友人となったものはパラシュート・ツリーの使命を全うするための教育を受けていた。サナヤは子の意思と関係なく、年齢を重ねたものが将来を決めることがよくある。それでも、シャナとその友人は仲が良く、友情に包まれた良い交友関係を築いていたようだ。
 ある日、シャナがパラシュート・ツリーの死体に縋りながら叫んでいるのを聞いてしまった。シャナの本来の言語であったため内容は分からなかったが、その響きのあまりの悲痛さに僕は近寄れず、その場を去るしかなかった。その日はずっとシャナは動かず、ただ何事かを呟いているようだった。パラシュート・ツリーはやがて地球の細菌に分解されて腐ってゆくだろう。シャナはその時、何を叫ぶのだろうか。

 次の日の昼頃、シャナがテントの中に入ってきた。「寂しい」を口にしながら。読んでいた本にしおりをして、シャナの表情を見る。まだ付き合いは短いが、表情、そして体の動きからおおよその心情を推察できる。今のシャナは、僕に求めることがある顔だ。
 シャナは僕の手を取り、背中に当てる。サナヤの肉体で最も弱い部位であり、『神の間違い』と呼ばれている。その実態はサナヤの排熱口で、熱を通しにくい樹木の肌を持つサナヤはこの口を通して体温を調節する。
 僕の胸に顔をこすりつけ、嗚咽を漏らす。自然と、シャナを抱きしめるような形になる。僕の左胸に耳にあたる器官を押しつけて、心臓の鼓動を聞く。死に包まれてやってきたシャナは生を求めている。感情に対する飢え。
「助けを求めている。シャナは、寂しい」
「人間にもよくあることだ。そういう時は、他者に頼るといい」
「頼る。何が私を満たす? 栄養への飢えは食えばいい。土を、水を。感情を満たすには何を食う?」
「僕で満足するならば。僕は、シャナの味方だ」
 シャナが腰に手を回し、その力は次第に強くなる。人間は脆いが、今壊れようとしているのはシャナの方だ。僕は「大丈夫」と言い、頭を撫でる。長い腕に包まれて、僕はそれを受け入れる。背部の排熱口に当てた手が熱い。シャナの体温が上がっているのだ。
 不思議と、死ぬ気はしなかった。

 次の日、僕が起きるとシャナは全身のボディ・ペイントを落としていた。かと思うと赤とオレンジの塗料を手に取って、体に塗り始める。樹木の体を焼き焦がすかのような、渦巻く炎の意匠だ。炎に身を包んだシャナは、僕の全てを喰らい尽くしたのだろう、他を圧するエネルギーに満ちていた。空気が、燃えている。知らぬ大地、知らない生物の保護下にあったせいで、感情を抑圧していたのだ。幾多の死に包まれたせいで、自分の生に気づけなかった。
 シャナは吠える。走り、太陽の光を浴び、僕を抱きしめる。口が裂けるほど笑い、鳥が逃げ出すような大声を出す。シャナの長い手足は感情を表すためにうってつけだ。体を振り回して踊り、僕の体を掴んで空に持ち上げる。燃える炎のシャナ。生きているということ。
 そしてシャナは言う。
「ハープを持ってきてくれ」
 シャナは歌う。命のための歌を。それはサナヤの言葉で紡がれたサナヤが生きるための言葉たち。足で地面を踏むことでリズムを取り、人間よりも広い音階で歌う。童謡のようであり、そして同時にロックの激しさを併せ持った人類のまだ知らない歌だ。炎が音楽に乗って伝播し、僕の心を燃やす幻覚が見える。死を見つめることは生を理解すること。サナヤにとって炎を纏うことは死への覚悟を表す。死にたくないのではなく、死ぬことを前にして敢えて生きること。
 僕が聞いたのは竜巻のような歌、雪崩のような歌、磁気嵐のような歌だ。そして永い夜の後、都市に日が昇り、建物がドミノ倒しのように照らされてゆく。自動車の上に残った僅かな雪で子供たちが雪玉を作る。


 時に銃声のように聞こえるその叫び声が僕を撃ち抜いて、いつしか涙を流している。僕は森に潜んで半ば死んだような生活を送っていた。テーブルを作り、椅子を作り、コーヒーを飲む。明日も同じ日が続くと思っていた。かき鳴らされるハープの音が明日をかき回す。もう、今までのような明日はやってこない。それは僕にとってある種の祝福だった。死の後には生がやってくる。
 シャナの歌は、楽器が演奏に耐え切れずに壊れてもなお続いた。自分でほとんどの音は出せてしまうので、楽器は歌をサポートする道具に過ぎない。日が暮れるまでシャナは歌い、夜は僕に抱き着いたまま眠りについた。

 シャナとよく相談した結果、僕はシャナの存在を全世界に公開することにした。メディアや研究所、国の機関にシャナの写真と地球に着た経緯を伝えた。もちろん、録音したシャナの歌を添えて。シャナは僕の森で過ごしていられるような存在ではない。僕はシャナに世界を見せたかったし、世界もシャナを見るべきだと思った。
 僕の情報は最初は質の悪い冗談だと受け取られたが、シャナの歌に対しては高い評価を持って受け入れられた。YouTubeに投稿した歌は時間がたつにつれ再生数が伸び、革新的な音楽ジャンルとしてそれを真似した動画が生まれるようになる。いくつかのメディアが音楽の件で僕に取材に来て、そしてシャナの実在に驚いてそれを記事にする。シャナも見知らぬ記者の前で愛想よく歌を歌う。森だけではなく、人の集まる都会がこの星にあると知ってシャナは早く行きたそうにするが、安全が確保されるまでは行くわけにはいかない。大気汚染はシャナの体にどのような影響を及ぼすだろうか?
 森に学者が来て、シャナと学術の話をする。サナヤの星で英才教育を受けたため、学者の使う用語を理解すると、彼らと会話をすることができる。サナヤの体にとって有害な分子、有益な分子が特定される。日光と同等の効果をもたらすライトが僕の小屋に設置され、シャナはその光を浴びながらインタビューを受けることになる。やはり人間というものは屋外では落ち着かないのだ。その窮屈を晴らすためか、人が来ない日は僕と共に散歩をすることが増える。景色が開け、都会の様子が見える場所がシャナのお気に入りになり、双眼鏡を手に焦がれるように街を見つめている。
 僕は次第にシャナを守る責任を感じるようになる。シャナの居場所は信用できる人間にしか伝えないようにし、そのほかの人間との連絡はメールのやり取りのみで行うようにしていたのだが、いつしか住所が流出して熱狂的なシャナのファンが僕の小屋を訪れるようになったのだ。シャナにも歌うことに飽きる日や、難しい話をして疲れているときがある。僕はそのマネージャーの役割を担うようになる。森にこもってほとんど人と会話していなかった僕にとって、急に押しかけてくる客とのコミュニケーション、それも時に対抗的にならざるを得ない会話は、なかなか労力を要するものだった。数少ない友人をかき集め、警察から人を派遣してもらって、客に対応するための体制作りに励むことになる。

 文字を打つためのキーボードのような器具は、サナヤの世界にもあったようだ。僕の小屋にはそれまでパソコンがなくタブレット端末だけで世界と連絡を取っていたのだが、サナヤの指は液晶を触ることに向いていないことが判明したため、僕はパソコンを買うことにした。パソコンが届くと、シャナはすぐに検索にのめりこみ、僕の教えられない知識を吸収していく。シャナはすでに日本語を完璧に学習し、読むことも話すことも軽々とできるようになっていた。
 シャナがテキストエディタで文章を書いていたことを知るのはそれが完成してからだった。僕が気付かなかったというよりは、シャナが隠していたものらしい。きっと、驚かせようとしたのだろう。それはサナヤの童話や寓話の日本語訳であり、かの星の文化を地球に伝えるための文章群だった。
「これでひとつ、使命を果たせた」
 シャナはそう言って満足げにする。サナヤの言語体系に対応したキーボードとプログラムを搭載したワードプロセッサを技術者が開発中だ。それが届けば、シャナは本来の言語でその物語を記すことになるだろう。
「すべて使命が終わったらどうする?」
 と僕が聞くと、
「使命は死ぬまで終わらない」
 と返ってくる。シャナの頭の中には故郷の情報が余すところなく詰まっている。サナヤの本、サナヤの歌、サナヤの楽器にサナヤの恋のやり方まで。博物館を背負っている聡明なシャナ。否、生きているものは多かれ少なかれ皆が博物館なのだ。目にするもの全てを無意識に吸収して心に蓄えている。その結果生まれた微細な心の振動を、正しく書き記すことなどできるだろうか?

   ///

 そしてシャナは墓標になった。
「眠い」と一言言い残してうずくまると、そのまま動かなくなった。背中に手を当てても、もう温もりを感じることはない。僕は最初、何が起こったか分からなかった。けれど、ずいぶんと前から覚悟をしていたことだった。
 シャナは生きた。都会を巡って歌を伝え、書き残した本は十冊にも及ぶ。地球の文化を楽しむ傍ら、再現されたサナヤの道具を懐かしむ。命を燃やし尽くすような激動の日々を僕の隣で過ごしていた。
 一度、シャナが音楽のイベントで観客に叫んだことがある。
『知っているか? 生と死だけが広い宇宙の中で共通だ』
 サナヤは人間と同じく、個体が二体いなければ子孫を残せない。だが、地球までたどり着くことのできるサナヤは一体だけが限界だった。シャナは子孫を残せない運命で、そしてそのことをよく理解していた。
 クローン体を作り、遺伝子を残すことも考えられたが、シャナはそれを拒否した。
『生を尊重するためには、まず死を尊重するべきだ』
 シャナは死ぬが、地球に埋め込まれたサナヤ文化の種は芽吹き、花開こうとしている。文化を残し、シャナは去る。
 初めて僕が見た時の、パラシュート・ツリーに包まれていた時のような、丸く固まった形状でシャナは死んでいる。しかし、そこには生命の息吹はなく、死のみが固まっている。
 僕はやるべきことを知っている。僕も長い時を生きて、そしてただ生きていたわけじゃない。シャナが死んだときのための準備が手元にはある。もしシャナより先に僕が死んでしまったときのために、しっかりと紙にも書き残してある。
 サナヤは死ぬと硬い木材になる。そして、サナヤは他者の死後、その死骸を用いて道具や楽器を作る風習があった。それは、他者の死を無駄にせず、引き継ぐという意思の表れだった。
 僕は死んだシャナから一本の笛を削り出した。サナヤの音楽を奏でるために必要な音階を備えた笛。そして、人間が演奏するための構造をした笛だ。笛はしっくりと手になじみ、まるで何十年もこの笛を吹いていたかのようだった。
 そしてシャナは墓標になった。サナヤという種族を代表して、地球人の前に現れた一つの墓。宇宙のどこか遠く、果ての星海で、一つの種族が眠っていることを、青い星まで教えるために、シャナは生きた。
 一つの文明は、最後には一つの笛になった。


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