彗星ペタ

白内十色


 俺の名前は彗星ペタ。酒を飲んだ直後から俺は名前を捨て、彗星ペタになった。酔っぱらいのたわごとだと言ってもらっちゃ困る。なぜなら俺は完全に正常で、俺の狂った体、狂った出来事、狂った世界に狂った宇宙の話に夢オチなんてものは一切ないからだ。酒の酔いなんてものは一瞬だが貴重な一瞬であることを知るのにそう時間はかからない。
 酒の話をしよう。酒は俺の祖父の考古学者が遺跡を掘り出している最中に見つけたもんだ。よく沈没船から古代の酒が発見されてどんだけ熟成されたんだって話題になるが、この酒はそんなちゃちな古さじゃあない。焼き物の徳利みたいなやつに粘土で封がしてある、地盤の隆起やら地震やらから奇跡的に破壊を免れた超古代の酒だ。それは土深くに埋まっていて、爺ちゃんが土を削るのが少しでも乱暴だったら徳利は砕け散って、貴重な酒が大地にしみこんでいたことは想像に難くない。
 原始人が原始のやり方で無い知恵を絞って作った酒に、作った器が、完全な形で残っている。そんな特大ニュースに記者団が詰めかけて、当時暇だった俺もやってきた。そして、あろうことかその酒を飲み干したんだ。それは人類がこれまで築いてきた何か、時間という途方もなく重いそれを一瞬で台無しにしたい欲望、その表れだった。歴史に名を残すだけでなく、歴史そのものを叩き壊す。人類が積み上げたバベルの塔をただのひと蹴りで崩壊させられるのなら、俺はそれをこの上ない幸せだと思う人間だった。
 酒を飲んだ俺は体が隅々まで小さなハンマーでもって砕かれて、原子やら素粒子やらの今人間が分かっている小さなものよりさらに小さく、概念的に行き着くことのできる最大限まで小さく粉々にされるような感覚がした。そして、俺はその場で再構築された。砕かれた俺が一瞬にして寄り集まり、部品と部品が引き合って、新たな俺を構成する。完成した俺は人間だった。どこから見ても人間だし、人間が持つべきとされている物はすべて持っている。心臓は鼓動するし、歩けもすれば物も食べる。ただ、それらの意味が全く異なっている。俺の持つ動作、歩くやら走るやらのその全ての行為が全く違うものに『再定義(オーバーライド)』されていたのだ。
 酒を飲み干した俺はばれないうちに逃げようと考えた。逃げるためにはどうするか? 逃走経路を考えるとか人の目をごまかすとかいろいろ考えられるが、俺は単に自分の部屋まで「歩く」ことを選んだ。そう、ただ歩くだけ。俺は俺の再定義された体の使い方を、再定義された頭でちゃんと理解していたのだ。家まで「歩い」た俺は家に到着する。それはしごく当然のことに感じられたし、当然のことのように俺は歩いた。
 飲んだ酒の味の話だが、大したことはない。そこらの日本酒の方がよっぽど美味いと断言できる味だった。俺は太古の酒を飲み干すという大罪を犯した直後だっていうのに飲み足りない気分だったので、冷蔵庫に一本あったワインを開けて飲みなおそうとした。ワインを開ける。ワインを飲む。ワインが無くなる。これはどうもおかしい。至極当然のことのようだが何かが違う。俺は酔った頭で違和感を覚え、次は「食べる」を実行する。
 結果は予想の通りだった。目の前の物が消え、俺は食べ終わる。(咀嚼する→味わう(気のすむまでループ))を行えば味を感じることはできる。ただ単に「食べる」の場合はそうはいかない。普通食べるときに必要だった咀嚼やらの動作が一切省略されて、入力に対しての結果だけが残る。多分俺は「食べる」に対して人間を入力すれば、人間を食べることができるのだと思う。そして、食べられた人間は消える。美味しいオムライス(写真を撮ってインスタにも上げた)が食べると消えてしまうのと同じように、人間も消える。これってバグだなと俺は思う。
 俺は普通の生き方はできないだろうと観念した。そして、普通じゃない生き方をすることにする。ネットの掲示板に「彗星ペタ」の名前をそれとなく書き込み、都市伝説として流布させる。困ったことがあれば彗星ペタと三回叫べ。面白ければ助けてくれる。俺は「聞く」と「探す」の組み合わせでそれを感知することができた。聞こうと思えばどれほど遠くの物ごとでも聞き取れるし、探そうと思えばどれだけの情報量の中からも探しとれる。
 人はキロに苦しみながらメガ盛りを食べ、ギガにも苦しむ。テラくらいが普通出てくる最大じゃないだろうか? 俺はその全てより上の位にいるから彗星ペタ。彗星のように現れて毒の尾を残して去ってゆく。
 最初に彗星ペタのお世話になったのは虐められているガキだった。興味本位で三回叫んだだけのネットオタクは論外とするなら、本当に心から助けを求めて俺を呼んだのはそいつが最初だった。でも君が虐められてるのって俺のことを知るくらいどっぷりネットの沼に使って学校でよくわからん知識をひけらかしてるからなんじゃねぇのか? ってそんなことを言うとガキが泣く。うるさいので俺は「蹴る」。同時に「加減する」を実行した俺を褒めてやりたい。というか褒めろ。とはいえガキの有り様は過去の俺を彷彿とさせなくもなかったので俺は虐めっ子たちの所まで行って一人ずつ蹴って回る。全員ちょっと学校を休むほどではない程度の中途半端な怪我に収まったはずだ。
 その後も何回か俺を呼ぶ声がある。足元に謎の魔方陣を加えるとかのアレンジをしてきやがったやつは面白かったから普通に助けてやったし、そのほかにも何人か助けて感謝される。逆につまらない依頼、そいつが悪いなって依頼の場合は容赦なく蹴る。おかげでネット上では俺の名は恐怖と畏敬の対象となる。
 狂った王様が臣下を全員殺して回ったかのようにとっ散らかったクソ汚い部屋に呼ばれて片付けろと言われたので俺はそいつを蹴とばしてさらに部屋が汚くなる。ピシッとスーツを着こなしたザ・ヤクザみたいなやつらが雁首揃えて何を考えたか俺を呼び、敵対する組を皆殺しにしてくれと言うので、きちんと全員蹴飛ばした後依頼してきたそいつらも蹴って回る。かと思えばいたいけな女の子(そしてとっても貧乏!)が俺を呼んで、素敵な女の子になりたいとか抜かすので、俺は俺の考える限りの綺麗なものをその子に与える。レースのカーテンにぬいぐるみ、彗星ペタを呼ぶくらいだから暗い趣味の子なので、ゴシックロリータなふわふわ服も与えてやり、その子の顔に笑顔が育っていくのをじっと見守る。
 俺はこの世界の隠れた王様であり、暴君だった。俺の望むものは何でも存在するべきであるし、望まないものに対しては蹴る権利があった。だんだんとエスカレートしていくのは自覚していたが、止める気はない。
「彗星ペタ! 彗星ペタ! 彗星ペタ!」
 聞きなれた声がする。いわゆるお得意さまってやつで、彗星ペタの数少ない友人に該当する人間だ。最初は魔方陣に凝ってる浮かれた野郎だったが、いつの間にか著名な天文学者になってデカい天文台の運営を任されるようになっている。
 いい加減気軽に俺を呼ぶのはやめろよなと言いながら奴のところに「歩い」て行くとずいぶんと興奮した様子で椅子に座っている。
「見てくれ、このデータ。生命が存在しそうな惑星を発見したんだ。方向も完全に特定できてる。彗星ペタの目から見てこれはどう見える?」
 俺は奴の示した方向を「観測」する。機械なんてもちろん使わない。肉眼だが、物事を詳しく見るときには「観測」を使うことに決まっているのだ。普通の人間からすればとんでもない精度で、とんでもない拡大率で空を「観測」した俺が見たものは漆黒の宇宙空間を染める赤色の星、そしてその球体から一直線に地球に向かってくる、ものすごい速度の赤色の一群だった。
 俺は酒を飲んでからある種の共感覚を発症していた。共感覚、という表現は少し違うかもしれない。全ての感覚、五感や数字などが全く同じ指標を用いているように見えるのだ。それは例えば順番で表現できる。赤は0番目の色だし、緑は120番目くらいだ。触感に対しても味覚に対しても同じことが言えて、全てが順番という一つの指標に並ぶ、同じものだととらえてしまう。ではどう区別するか、はなんとなくわかるとしか言えないが、全ての感覚に数字のパラメータがあり、パラメータが同じ感覚は同じようなものだと感じている。
 奴が指した星の色は明確に赤色、0番目の色だ。しかしそれは共感覚でそう見えるだけで俺が感知しているのは全く別のものだった。五感のどれでもない。数字でも、図形でもない。人類がいまだ知らない概念の一つ。それは俺が俺自身を見るときに観測する色、そして自分が立っている地球を見下ろしたとき、その核に当たる部分に溜まっている、何か超自然的なエネルギーと同じ色だった。
 俺は慌てて宇宙を「見渡す」。そして「探す」。すると同じような赤色を持つ星が百も二百も見つかって途方に暮れる。そして、そのうちのいくつかは地球へ向かって「赤色」を飛ばしてきているようだし、お互いに「赤色」を飛ばしあっている星もあるようだ。
 俺には分かっている。あの「赤色」に見える力こそが命ある星の輝きそのものであるし、俺の超人間的な力の源だということ。そして、地球に向かってきている幾本もの「赤色」はその中でもとりわけ攻撃的な使われ方をしているエネルギー群であるということだ。
「おい、見えるかあれ? ずっと手前だ。高速で、こっちに向かってきてるぞ!」
 俺が叫んで奴が慌てて天文台を操作するが、当然と言うべきか何も見つからない。なぜなら俺の身にまとっている赤色の力でさえ奴には見えないし、誰からも見られたことがないからだ。俺以外の人間に赤色はない。ただ地球の核に溜まっているだけだ。人類は赤色の力を得られないのか? こんなにも宇宙は赤色で溢れているというのに? 俺と同じ奴が宇宙には山のようにいるのだ。異星人が丸ごと俺と同じなのだ。
「ほかの異星人はいないはずだったんだ。異星人が居ようものなら、とっくの昔に発展して宇宙を覆いつくしているはずだからだ」
 奴が言うがとんでもない! 宇宙は異星人に満ち溢れている。そして、宇宙は今まさに戦争状態だ。人類だけが蚊帳の外で何も観測できずにいる。あるいは、ほかにも観測できない文明がいるのかもしれないが、そんな奴らはすぐにでも滅びる運命ってことだ。
 俺は夜空に手を伸ばして「攻撃する」を試してみる。俺のできうる限り最大の出力だ。しかし、それは向こうの「守る」に阻まれてしまう。最強の鉾1に対して最強の盾が100あるとどうなるか? 盾が勝つに決まっている! 俺は迫りくる異星人の移民船、あるいは攻撃船に対して対抗するすべを持たない。これは彗星ペタにとって初めての敗北だった。
 奴らの進行速度は光速を超えている。当然だ。俺の「歩く」だって「観測」だって光速を超えて動作しているのだから奴らがそうでないわけはない。むしろ、今すぐに着かないということは別に何らかの最大値があるのだろう。とにかく、光速を超えて飛来する奴らはあっという間に地球に辿り着く。そしてそれは奴らの纏っている赤色の攻撃性からして、地球の破滅を意味する。
 俺は天文学者のところから失礼して、地面に対して「掘る」を実行する。「掘る」、「掘り続ける」。「彗星ペタ!」の声を無視して俺は地殻を掘り、マントルを潜る。俺は地球のコアに接触して、輝ける命の星の力を得なければならない。人類が滅びるのは同時に俺の滅びも意味するだろうし、人類を滅ぼすのは俺自身でなくてはつまらない。せっかく面白おかしく遊んでいるのに、外からやってきて急に台無しにされるなんてたまったものではない。俺に発掘品の酒を飲まれた爺ちゃんの気持ちが少しわかったような気がした。
 地球の半径の半分ほどを掘ったときだろうか。俺の足元に空間が表れて、俺は落ちる。落下した先はぐんにゃりと曲がった死体の上で辺り一面は死体の山......いや、生者の山だった。俺の落下した下の肉体はゆっくりと動いて反応を示すし、折り重なって倒れている生者のそこかしこに座禅を組んだりそれぞれのやり方で瞑想している生者が存在する。そして、その光景が見渡す限りどこまでも広い空間に延々と続いているのだった。
 彼らはすべて人間に見えた。しかも、その全てが俺の目には「赤色」に見えた。俺と同じオーラを身に纏った、意識のあるかないかも判然としない人の群れが、広い空間に敷き詰められている。
 「おお、おお」といった低い唸り声のようなものが次第に周囲から響き始める。比較的意識のありそうな生者から順に、指を天に向けて突き上げ始める。最初は俺を指さしているのかと思ったが、そんなことはなく、彼らはただ一斉に、今まさにオールトの雲を超えようとしている異星人の船の一団を指さしているのであった。
 そして彼らは「攻撃する」。「攻撃する」。地球の半分ほどまで掘ったこと、地球の表面積とこの人口密度から考えて、十の十五乗ほどの人数がいることになる。それが一斉に「攻撃」しているのだ。赤い光の束が一斉に宇宙に向かっていって、異星船に着弾する。見ている間に船団は崩壊し、散り散りになる。
 さっきまで座禅していた人間の一人が、小さな声で「彗星ペタ」と俺を呼ぶ。声の小ささはその人間の口を閉じていた時間の長さによるものだろう。「彗星ペタ」。かすれた声でそう呼ぶ。「彗星ペタ」。三回目だ。俺のことを知っているのか?
 気づけば「彗星ペタ」の声はこの広い生者に満ちた空間の中のどこからも聞こえるようになる。一種の祈りのように、地鳴りのように、反響し、共鳴し、俺の体を覆いつくす。なんてことだ。俺がペタ(十の十五乗)人目ってことか?
 座禅の奴が俺の額に手を当て、「教える」を実行する。俺は、「理解する」。俺たちの体には「寿命」のパラメータが存在しない。つまり不死ってことだ。今地上で生きている人類は寿命を自らに与え、そして色んな不便を自らに課した愚かな人類だ。命ある星の輝きをかなぐり捨てて、身一つで生きることを決めた、愛すべき挑戦者たち。かつての人類はみなこの地下空間の空洞に引きこもり、人類を陰から守って過ごしている。
「彗星ペタ。彗星ペタ。彗星ペタ。我らは人の子を愛さねばならない。同なれど異なるもの。再定義された星の子。輝き持たぬ者たちを」
 ひび割れた言葉が静かに俺を満たす。俺はしかし反発する。俺は俺のしたいように生きる。面白い奴だけを見つけ、面白くない奴は捨てていく。地下空間を飛び出して地上に出て、目的もなく「歩き」回る。地下では彗星ペタを呼ぶ声がする。
 俺は人類がちょっと前まで危機だったっていうのに腑抜けた依頼で彗星ペタを呼ぶ人間どもに聞いて回る。お前らは滅びたいか? 生き残りたいか? 今や立派な少女に育ったゴスロリの女の子に聞く。いまだ部屋のカーペットは魔方陣柄な天文学者に聞く。その他の一般人間、名前も覚えていない有象無象に聞く。
「彗星ペタが助けてくれる」
 そんなわけがない! 俺は彗星、流れ去るものだ。助けるも助けないも気分次第。そうやって自分を律してきた。
「こんな世界、滅びればいい」
 この世界に対する責任なんてひとかけらもありはしない。無様で醜い人類のことなんて、大嫌いだ。
「彗星ペタ、お前が決めろ」
 天文学者が厳かに告げる。それは俺にとって最終宣告だった。次の、別の星からの赤い船団がもうじきオールトの雲に差し掛かる。俺はもう一度地下に潜る。なぜなら地上の奴らと同様に地下の生者たちも人間で、そして「彗星ペタ」を呼んでいるからだ。
 地下の積み重なった生者の上にどっかりと腰を下ろし、天を指さす。幾人もの人類を助けたり蹴ったりしてきた記憶が俺を変えている。仕方がないから助けてやる。代わりに、地上に戻ったら楽しませてくれ。
 愚かで、愛すべき人類ども。


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