カサンドラの戯言(序)

弓川あずさ


             弓川 あずさ
 
  晴れは嫌いだ。何故か日の光が当たると嫌な気持ちになる。だから私は雨のほうが好きだ。雨が降ると普段することのない散歩に出るのが私の趣味だった。曇った空、雨の匂い、響く雨音、それらが私に安心感を与えてくれた。そんななんてことのない趣味を私がいつも通りに謳歌していた高校の入学式前日の午後、絹のように降り注ぐ雨の中で、私は彼女と出会った。
  彼女は空っぽのテナントの軒下で雨宿りをしていた。その日は昼から突然雨が振りだしたので、傘を持っていないんだろうな、とすぐに予想がついた。その長い黒髪が湿って艶やかな様、困ったように空を見上げる横顔は、女の私からしても見惚れてしまうものだった。
 「あの、大丈夫ですか?良ければ送りますけど。」
  気が付くと、私の口からはそんな言葉が勝手に飛び出していた。私が自分自身の行動に驚いていると、彼女は驚いた顔をしてこちらを見た。そして、その顔が微笑みを形作ると
 「お気遣いありがとうございます。それなら、すぐそこのコンビニまで連れて行ってくれますか?傘を買いますので。」
  私は急に恥ずかしくなった。私の軽率な言葉が意味するところは、見ず知らずの人間を家まで連れていくことと同義であったからだ。どうしてそんな簡単なことにも気づかなかったのだろう。どこまで送るかも考えていなかった自分が憎い。そして相手に私が出すべき案を出させてしまったことに申し訳なさを感じた。
 「あの角にあるところですね。わかりました。あと、変な言い方をしてしまってごめんなさい。」
 「変な言い方?」
  彼女が心底不思議そうにするので私はまた言葉を間違えたことに気付く。
 「ああ、いえ、何でもないんです。あはは......」
  なんとか彼女は納得してくれたようだった。
 
  私がさす傘の下を、私と彼女が並んで歩く。しばしの沈黙。それを破ったのは彼女のほうだった。
 「あの、あなたは側江高校に通っていらしたりしますか?」
  その名前が出ることに私は驚く。なぜならそれは、明日私が入学する予定の高校だからだ。
 「ええと、まだ通ってはないですね。そういうあなたは側江高校の学生だったり......?」
  私がそう言うと、彼女は目を輝かせた。
 「まだってことはあなたも明日入学するんですね!私もなんです!まさか未来の同級生に会えるなんて......!」
  そして彼女はひとりでに盛り上がっていたが、しばらくして圧倒されていた私を見て気付いたのか、少しきまり悪そうにした。
 「そういえば、まだ自己紹介してませんでしたね。私は天野真昼といいます。よろしくお願いしますね。」
 「私は、木場(きば)幸来(さら)、です。こちらこそよろしくお願いします。」
  ぎこちない自己紹介を私が返したところで、コンビニに着いた。そして、彼女......真昼が安いビニール傘を買うまで見届けると、当たり障りのない言葉を掛け合って私たちは別れた。私が家に帰りつくころには、太陽が顔を出し始めていた。
  これが、私たちの出会い。思えば、あの時私が真昼と関わったのは、彼女といても"アレ"を見ることが無かったからなのではなかろうか。その後、入学式で再会した挙句にクラスまで一緒になった私たちが友人となることは自然の成り行きであったといえる。
 
  そして現在。私たちは高校二年生になった。
 「おい幸来。起きろ。天野さん待たせてんじゃないの?」
  私の微睡を邪魔する声が聞こえる。春になったばかりの朝、まばゆい光から逃げたくて、夢の世界に逃げようとする私を揺り動かすのは私の兄であった。彼、木場(きば)徹(とおる)は大学生であり、実家から大学に通っている。幼いころからこうして私に世話を焼いてくる、少しうっとおしい存在である。そして、唯一の私の"力"について知る人物であった。
 「分かってるから、兄さん。」
  渋々ベッドを抜け出す。私が起きたのを確認すると、兄は文句を言いながら、さっさと一階に降りて行った。私も続いてリビングへ向かう。母の用意した朝食を食べ、食器の片づけ、歯磨き、洗顔と順にこなしていく。そして最後に残った工程が面倒だった。自室へと戻るとまず、姿見の前で髪を梳かす。癖のある私の髪はいつも櫛にひっかかる。真昼のようなストレートヘアーに何度憧れたことだろうか。そして制服。私はこれが苦手だ。といっても毛嫌いしているわけではない。単にスカーフが面倒、それだけだ。
  全てを終わらせた私は鞄を肩にかけ、玄関に向かう。兄はまだリビングでくつろいでいた。
 「私もう行くけど。兄さんこそ早く行かなくていいの。」
  私の精一杯の仕返し。しかし返ってきた言葉は
 「大丈夫。俺は2コマ目からだから。ほら、友達待たせるなよ。」
  悔しさを覚えながら靴を履く私。するといつのまにか兄は後ろに立っていた。
 「気を付けろよ。お前に言うのも野暮なんだろうけど。」
  いつもと変わらない調子、でも本気で心配しているんだということは分かる。昔からそうだった。兄は何か隠している。私のこの力のことも、やけにあっさり信じてくれた。訊こうとしてもはぐらかされるけど、私のことを考えてそうしているということだけは分かるので、いつしか私も徒に訊きだしてやろうとすることはなくなった。
 「ホントに心配性だよね。大丈夫だよ、心配しないで。じゃ、いってきます。」
  扉を開け、いつもの通学路を歩く。私にとっては憂鬱な快晴。そして、ひとつめの十字路で、"それ"は見えた。
  いつも通り右に曲がる私。突如現れる赤い乗用車。避ける間もなく私の身体は跳ね飛ばされる。地面に激突する私の姿。首の折れた死体。
  これが、私の"力"。言ってしまえば予知能力、それも質の悪いやつ。何か不幸が起きるときにだけ私はその光景を見ることができる。幼いころから何度も惑わされてきた能力。従わなければ酷い目に遭うし、従ったところでありがたみが実感できない。なんなら常にうっすらとした嫌な予感はある。ただ、ここまで酷いものは久しぶりだった。とにかく、私は真っすぐ進むことにした。さっきの光景が嘘のように、いつも通りに時間が過ぎる。そして、いつものように待ち合わせ場所に着くと、既に真昼はそこにいた。
 「おはよう。遅いよさっちゃん。またお兄さんに起こしてもらったの?」
  からかうように声をかけてくる真昼。あれから彼女は私のことを『さっちゃん』と、ときどき呼ぶようになった。正直なんとも言えない。
 「私はちゃんと起きてる。兄さんがお節介なだけだよ。おはよう真昼。」
  真昼は布団の中にいるのは起きてるとは言わないだかなんだか言ってきたが、私にとってあれは起きていることにカウントされることは譲れない。何気に兄さんと仲良くなってることといい、なかなかしたたかなやつである。とにもかくにも、真昼と会ったその瞬間、ぼんやりと存在した嫌な予感のほとんどが消え去った。初めて会ったときから、これだけはいつも不思議だ。そもそも真昼の存在が不思議なんだけども。私とこうして仲良くしてくれていることとか、私が苦手な太陽みたいな存在なのに、一緒にいても嫌な気持ちにならないこととか。
  晴れは嫌いだった。でも今は、前ほど悪くないと感じている自分がいた。
 
  こんなふうに少しだけ変わってるけど、平穏な日常があった。でも、そんなものはうわべだけで、私の知らないところでは平穏とは程遠いことが起こっていたんだ。このさき私は、それを思い知ることになる。
 


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