ゴミ捨て場で夢見た

ワイファイしなないで



 誰も居ない筈のその場所からは、狼煙が上がっている。校舎を囲う塀と体育倉庫の間にできた、設計ミスみたいな小さな空間。そこを覗き込めば、案の定彼女がいた。
彼女は私と目が合うとほんの一瞬だけ驚いたようにたじろぎ、咥えていたものから口を離した。

「何でここに」
「散歩してたら偶々見つけて」

咄嗟の嘘にしても下手すぎる。こんな場所、見回りに来る教師だって覗かないだろう。しかしあなたを追いかけて来たんです、とは口が裂けても言わない。ちょっと走ってきたんで...というように乱れた髪とスカートを整えるふりをしながらも、彼女が片手に持っている、凡そ持ち主に似合わないソレに目が釘付けだった。

「いつも放課後ここで吸ってんの?」
「何か文句ある?」

彼女はそう言うと、「もうお前と話すことは何もない」とでも言うように私の存在を無視し始めた。目の前にあったから、手を出してしまうものなんだろうか。彼女の感性は、一般的なものとは大きな差異があると改めて思う。少なくとも、私の感性からは。

「美味しい?」
「別に」
「じゃあなんで吸ってるの」
「関係ないでしょ」

さっきからそんな風に憎まれ口を叩くクラスメイトを、半ば驚愕しつつ見守る。教室での様子から判断するに、普段はもっとビクビクした感じで、大人しい奴なのだ。もっとも、彼女と話したのはこれが初めてなので、これが本来の姿なのかもしれないが。教室で誰かと話している所を見たことも無く、とにかく彼女はいつも一人だった。
 そんな彼女を見てはいつも安心していた。



 綺麗で長い黒髪。私は癖っ毛で髪も色素の薄い色をしていたので、ほんとの最初に注目したのはそこだった。彼女を構成する全てから目が離せなかったので、それはその一部に過ぎなくて、こんなに誰かがずっと気がかりなのも、ずっと見ていたいと思うのも初めてのことだった。彼女という存在は、その年限りの「なかよし」グループで合わせ続けるのも疲れ切った私を唯一学校に繋ぎとめるものでもある。
煙たがられてもいじめられても、彼女がこの学校という小社会へ一人で赴く日々を選択し続けているのは理解できないが、私にとってそれは非常に都合の良いことだった。

 次の日も彼女はそこに居た。昨日と同じ位置に着く。彼女は迷惑そうな目を向けてくるが、一応公共の土地だからか、何も文句を言わなかった。もしかしなくても、放課後ここに来たら毎日会えるのだろうか。

「うわっ何泣いてるの?副流煙気にするならどっか行ってよ。泣くのはトイレでもできるでしょ」
乱入しておいてなんだが、私の心の安寧のためにももうちょっと愛想良くしてくれないものだろうか。彼女の新たな一面が見れた、と喜ぶにはあまりに盲目すぎた。

「泣いてなんかないし」
慌てて視界を塞ぐ液体をぬぐう。また、彼女の立ち居振る舞いがあまりにも教室でのそれと乖離し過ぎている点について、指摘せずにはおれなかった。教室では揶揄われても下を向いているだけだった人間と、同一人物であるとはとても思えない。

「結構雰囲気違うんだね、教室にいる時と」

返事は無かった。大方予想はしていたことだった。彼女の私を見る視線が、汚いものを見るようなものであることにも気づいていた。教室掃除で使い古された雑巾を突き付けられていた時の表情と、大差がないのだ。

「ここはゴミだめみたいな場所だから」
「え」
喋り出した彼女を見つめるけれども、視線は合わない。
「たばこ吸えなくなったらいらいらするようになっちゃっただけ。ちょっとスッキリできるし...鬱憤を晴らすって程まではいかないけど。だから先生には言わないでよ」

彼女がここで吐き出すのはただの煙だけじゃなくて、腹の中に溜まった日々の不満であったり、息苦しさであったりするのかもしれない。また、この場所はかなり煙たかったが、彼女はそれを厭うようなそぶりは無い。ニコチン中毒にもなってしまっているようだし、相当長い期間、こうやって一人で過ごしてきたんだろう。傍を通り過ぎたときも、煙草臭さを感じなかったので気づかなかった。これは迂闊なミスだった。ならこれからは、私と共に過ごせばいいじゃない、と伝えなければならない。
「あのさ、仲良くなりたいんだけど、私と、」
「私はお前のこと大嫌い。私のこと見下してるんでしょ?一軍のくせに、カースト最底辺の人間のことなんかお願いだからほっといてよ」

私の言葉に被せる様に、彼女は珍しくも饒舌に語った。こんなにスルスル言葉が紡げるということは、常々思っていることなのだろう。見惚れこそすれ見下してなどいないので、その内容には間違いも含まれているが。

「この前、私に話しかけてくれた子に...あんたが、あの子に私と話すなって言ったんでしょ?何でいつも邪魔するの?」
「この前私に告白してくれた男の子、何で次の日から学校来なくなったの?」
そんなこと今更言ったって、しょうがないだろう。彼女が惨めだったら、誰にも相手されずに独りぼっちだったら、嬉しいんだ。教室の隅で小さくなってるのがお似合いだよ、とは流石に言わないが。


「ねぇこういうの、何回目?」


 次の日もそこには煙草を咥える彼女が居たが、恥知らずにも昨日の今日でのこのことやってきた私をいつも通り迷惑そうな目で見てくるだけで、何も言ってこなかった。昨日の比じゃなく辛辣な言葉を並べ立てられると覚悟して来たのに、なんだか拍子抜けしてしまう。あの言葉たちも、ただこのゴミ捨て場に置くという作業だったのかもしれない。収集車でも来て、回収されてしまえばいいのに。
 
 
 この放課後の逢瀬において、話しかけても無視されるか、軽くあしらわれるかのどちらかだったが、私は平安時代の貴族よろしく足繁くその場所に通い続けた。本当に平安時代だったら、もうとっくに熟年夫婦だろう。そして相変わらず教室では何も話さない関係だったが、いつしか彼女は私を快く(さすがにニコリとまではいかないが、露骨に嫌な表情をすることなく)ここへ迎え入れてくれるようになった。


「な、何?」
ドキドキしながらそう言ったのは、さっきまで取るに足らない雑談をしていたのに、急に静かに見つめられたからだ。多分、顔にも出ている。

「泣きすぎ」
「あ、ほんとだ...」
片手を頬に運ぶと、確かに濡れた感触がする。
「何でいつも泣くの? そんなに学校が辛いなら休めばいいのに」
またしても見当違いなことを言ってくる彼女には、ちがう、と返した。涙の訳くらい、自分でよく分かっている。


「彼氏いる?」
先程までは穏やかな顔をしていた気がするのに、私がそう言うと彼女は簡単に眉を顰めてしまった。
「はぁ...?」
「恋バナしようよ。そういう話、したことないし。...付き合ってる人、とか好きな人とか、居るの?」
学校に居る時のことは把握できても、校外においてはその限りではない。クラスメイトと言う関係は案外希薄なものなのだ。
しかし聞いてしまった後で、己の無計画さに戦慄した。パラシュートの確認なしにバンジージャンプしてしまったような気持ちだ。返答によっては、終わる。

「居ない」
何とか一命をとりとめた。
「好きなタイプは?」

「男」
そう言ってから、彼女は私の顔に吐いた煙を吹きかける。口からはゴホゴホと咳が、目からは生理的でなのか何なのか分からない涙が出てきた。頭では酷くがっかりしている自分に気づく。下半身を覆う布がスカートだったら対象になりませんか。あなたに一途な頑張り屋さんの私じゃだめですか。

「私が一人でいたら嬉しいんでしょ?あたしがいつもハブられてるの見て、あんたいつも嬉しそうな目をしてるよね」
思考に介入して来るように彼女は私に問いかけてきた。(彼女から会話を切り出したのはこれが初めてのことだった。)というか、そんな言い方をしたら、私がめちゃくちゃ酷い奴みたいじゃないか。その実私も、目は口ほどにものをいう、と言う言葉の確かさに驚き、物も言えずにいるところだ。そんなことない、と言えたとしても、口先だけであまりにも説得力のない言葉に、彼女は鼻で笑っただろう。

「自分より"下"の人間を見て、満足してたからだと思ってた。でも違うみたいだね。
最近注意して見てたの、あんたのことを。あんたがどういうときに嬉しそうな顔するのか、顔では笑ってても怒ってる感じがするのか。」

自分の心が、おそらく筒抜けになっている。それはなんとも居心地悪く、居た堪れないことだった。
「牽制するくらいしか能が無いだけだったんだね」
打ち明ける手間が省けたと喜ぶべきなのか、意図しない形でバレたことを嘆くべきなのか。どこを見ていたら良いのか分からず、タバコから崩れ落ちるヤニが地面に落ち、彼女の白い足に踏みつけられている様子を眺めていた。

「あんたが望む関係になるのも、嫌ってほどでもない」

ハッとして顔を上げると、もう荷物を片して去ろうとしていた。
今後のあんたの行動次第でね、と言い残し彼女は去って行った。


そして次の日から私はというと、それからもクラスではより一層目を光らせ、彼女に話しかける人間を攻撃し続けた。私自身も、彼女と話すことはおろか、目を合わせることも無かった。

 どう行動したらいいのかなんて決まってる。



 ある週明けのその日、息を切らしてその場所にたどり着いた。その日は晴れていたが、週末大雨だったせいで地面はまだぬかるんでいる。そのため彼女は居ないんじゃないかと危惧したが、その心配は杞憂に終わった。いつも通り、彼女はそこで吐き出している。
 最近ずっと焦っていた。彼女の私を見る目が、再び剣呑なものに変わっていっているような気がしたから。機嫌が悪いのかとも思ったが、教室でも特筆すべき彼女の陰鬱な様子は見受けられなかった。何もかもがいつも通りなのに。登校時間も、授業態度も、休み時間に読んでる本も。ある日のいつもの密会で、心願の成就には条件があったことも忘れ、懇願した。

「ねえもういいでしょ!私と付き合ってよ」
なんて最早ストレートに言っても彼女は頑なに拒否し続ける。思わせぶりなことを言っておいてなんなんだ、この女は。せっかく、彼女の魅力に気付こうとしている人間を排除してあげようとしているのに。そんなの望んでないって言ってんでしょ、とかなんとか責め立てられて、もう訳が分からなくなって頭にくる。
この時私が暴挙に出てしまったのは、私の精神状態が異常であったからだということにしておく。

「何なの、仲良くしてあげようって言ってんじゃん!お願い、優しくするからさ」
「その優しさ他に使ってってば!お前結局自分のことしか考えてないだろ!!お前のそういう所が、き」

己の口でそれをふさいだのは、この口がうるさくて仕方なく。であるからして、これは立派な正当防衛だ。決して、続く言葉を聞きたくなかったからではない。
彼女の口内が煙草を吸っているとは思えないほど綺麗なのは知っていたが、さすがに実際に侵入しているとヤニ臭いのが分かる。苦い味もしてきた。

突如思い切り鳩尾を蹴られて、グエッと変な声が出る。あまりにも不意打ちすぎて、私の身体は泥の海に叩きつけられることとなった。目の前の人間がそんなことになっても、彼女は唾を飛ばしながら私に酷い言葉を浴びせ続けた。こんなとこ思い切り蹴られるのも初めてだし、スカートは泥まみれだし、口内がえずいてしまうくらい苦い。しかしそんなことよりも、彼女の罵倒がとにかく耳障りで仕方なかった。

「きしょく悪いんだよ!!!」

彼女はもう一度私を蹴りつけると、振り返ることなくその場を立ち去った。喉の奥がどんどん痛くなって苦しくなって、慣れた感覚と共に視界がぼやけてきた。走り去る彼女が見えなくなるまでの間、それを拭う努力もせずに涙を垂れ流していたのは、少しでも長くその後ろ姿を目に焼き付けておきたかったからだ。



 次の日彼女は居なかった。


 雨が降っているからなのか、遅れて来るのか、煙草が尽きたのか、もう来るのが嫌になったのかは定かではないが、まぁそこは都合のいいように解釈しておく。地面には昨日私に投げつけた煙草の箱とライターが雨に打ち付けられていて、拾い上げるべく歩こうとしたら、ぬかるみに足をとられて派手に転ぶこととなった。
 何でこんな目に遭わなければならない。どうして奴は私を愛さないんだろう。私で丁度いいじゃないか。やぶさかでないと言っていたのは、彼女のほうなのに。

 私がいつも泣いているのは、あなたの傍に居られて嬉しいからだと伝えてみたい。またゴミを見るような目で見られるだろうし、怖い、と一蹴するだろうが、それでもいい。ようやっと手に入れた煙草にライターで火をつける。むせながらも狼煙を上げては、彼女の訪れを待っていた。








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