塔

平題典



俺は塔の二階に立っている。
塔はちょうど縦に真っ二つに割られたような恰好で、つまり俺は外から丸見えだ。
ちなみに俺は上裸だ。
半分になった部屋は四畳くらいの広さで、家具はない。ドアもないが、出て行きたくなれば勝手に外に飛び出せばいい。そのために塔は半分になっている。
俺がいる塔の向かいには、また別の塔が立っている。二階建てだ。その向こうには三階建て、四階建てと、段々に高さを増し、霞んで見えなくなるまで続いている。どれも半分に両断されている。
俺は立ち尽くす。上裸なので少し肌寒い。
向かいの塔の二階には、小鬼が立っている。中腰になり軽く上体を揺らしている。頭上に4の数字が浮かんでいる。
俺は自分の頭の上を見上げる。頭頂部から十センチくらいのところに2の底面が見えた。
小鬼は生意気にも毛皮を着ている。
俺は衝動的に、軽く助走をつけ塔のふちを踏み切って宙を飛ぶ。そのために塔は半分になっている。向かいの塔に悠々と着地すると、「ハア」みたいな声を上げながら腕をぶん回した。狙った小鬼は生意気にもあっさり避けた。よろけて無防備になった俺の頭めがけて棍棒を振りかぶる。
打撃のエフェクトとSE。
俺は「ウワアァ」みたいな情けない声をあげ、地面に倒れる。画面全体が薄暗くなり、YOU LOSEの文字がでかでか浮かび上がった。俺は死んだ。
そして俺は生き返る。
気付けば俺は最初の小部屋に戻っており、何事もなかったみたいに突っ立っている。ぼんやりと、はるか昔の記憶を思い出す。
俺は雲の上にいた。
雲の上にはTHE・神みたいな筋骨隆々の老人がいて、なぜか知らないが滅茶苦茶に怒っており、俺に雷を落とした。比喩ではなく。俺は「ウワアァ」みたいな声を上げて空から転落していき、その過程で剣を落とし、どうやってだか知らないが鎧も脱げた。自分が好きで上裸なわけではないと分かり安心する。
俺は、今いる塔の一階に下りてみる。そこには鎧が飾ってあってぴかぴか光っており、鎧を着るべき人間など俺以外にいやしないので、俺は鎧を身に着ける。冷たいが、頭上の数字がくるりと5に変わったので、俺は嬉しい。嬉しい時用のフリー効果音声を上げる。「#喜び003」。
二階に戻り、さっきの小鬼、相変わらず揺れている小鬼に殴りこみに行く。塔と塔の間をジャンプし、その勢いのまま拳を大きく振りかぶる。振りおろす。パンチのエフェクト。小鬼はあっけなく崩れ落ち、黒い煙になって消え、手にしていた棍棒がごとりと床に転がった。拾いあげて俺はさっきより得意げな笑い声を上げる。頭上の数字が9に変わる。
俺には喜びの表現方法がたくさんある。具体的には#喜び001から#喜び006まで。
俺は棍棒の使い心地を試すため、さらに向こうの塔へ飛びうつる。一閃。小鬼は煙になり、俺の数字は15に変わる。#喜び003!!
俺はしばらく血に飢えた殺戮マシーンと化す。
へーい、みたいな甲高い声がして、俺はふっと現実に引き戻された。どのくらい登ったのか、俺は見知らぬ塔の一室に立っている。顔を上げると、向かいの塔の最上階に声の主が見えた。
やけに薄着の女が手足をウィトルウィウス的人体図みたいな恰好で十字架に縛りつけられ、妙にエロい声ですすり泣いている。横に蔵王山並みに太ったトロルが鞭を持ち、よだれを垂らして立っている。の割に鞭打つ様子は見せず、時折二人してこっちをちらちら見る。
女は金髪おだんごヘアで、俺はあんまり興奮しないが、とりあえずトロルを切りにいく。
切りかかった瞬間、トロルの頭上で輝く数字が目に飛び込んできた。437。
トロルの一撃で意識が吹き飛ばされた。俺は赤白ピンクのモザイクの塊と化し、床にべたりと落ちる。女はオゥノー、みたいな声を上げるが、その口元は笑いを殺して歪んでいるのを、肉塊に埋もれた俺の目は見る。金髪おだんごごときのハニートラップに掛かったことに俺は歯ぎしりする。YOU LOSE。
そしてまたやり直し。
戦闘の楽しみは消える。ただの作業と化す。数字を見比べる作業だ。
道中俺は独学で数検準一級を取得し、数字の大小を比較するプロと化していく。
ある小鬼を倒すと、理屈は不明だが人間の姿に戻り仲間になった。塔を二つ渡ったくらいであっけなくトロルに吸収されて死んだ。結局トロルの数字の肥やしになるのなら、足手まといだ。数学の道に友情は不要だ。
俺は塔の壁に剣先で数式を刻みながら先へと進む。ルートの入れ子式構造の中で道を見失い、記号の海で溺れながらもがく。
顔を上げれば、向かいの塔から女が「へーい」とこちらに助けを求めている。クレオパトラ風黒髪ショートか。俺は先を急ぐ。数学の道に色事は不要だ。
やがて、俺の身体に異変が現れる。石垣に数式を刻む剣先が細かく震えはじめる。震えは瞬く間に腕の痙攣へと悪化した。
塔から塔へ飛び移る。小部屋には小鬼が一匹、頭上に浮かんだ数字は26。弱い。俺は剣を構える。今や柄を両手で握らないと照準がぶれて振るえない。
小鬼は、なにも気に留めていないかのように、剣先を額に突きつけられたまま揺れている。
俺はふと考えた。これ、殺す必要あるのか。
俺は茫然として剣をおろす。俺が先手を掛けない限り襲ってこない小鬼を倒す意味などあるのか。そもそも、こいつらは何のために存在しているのか。
全身の痙攣がひどくなる。痙攣というより、電波受信の悪いブラウン管テレビの映像みたいに自分がぶれ始めているのを感じる。
俺のプログラミングに、数学的証明機能は組み込まれていない。高度な哲学的思考も。俺に求められているのは、自分と相手の数字を見比べて、数字を大きくしていくことだけだ。その範疇を超えると、バグる。
まばたきをすると、視界にノイズが走った。一瞬、真っ暗い画面に赤や緑や青の文字列がちらつく。数字とアルファベットのネオンサイン。
〈script〉
        なんだこれは
〈/script〉
幻覚を振り落とすように頭を振る。このままいけば、エラーメッセージと共にこの世界自体が落ちると直感的に分かった。だから俺は当てずっぽうに剣を振るった。刃先が小鬼の肉を断つ手応えとともに、視界の揺れが消えた。
小鬼の悲鳴のSE。黒煙のエフェクト。
俺は壁面に式を刻むのをやめた。頭のなかに、枝分かれして増殖していく数式を閉じ込めておく。そうして俺はなんとか身体の震えを抑えつけることに成功する。
ふと、小部屋のふちから見下ろしてみると、地上ははるか下方にある。俺の頭上の数字はもうすぐ三桁の大台を突破する。
飛び移ろうと見上げた小部屋には、一匹の巨大な老トロルがはち切れんばかりに詰まっている。実際、鶏みたいに細い両足は部屋のふちからはみ出ている。
よく来たな、My Son、とトロルは喋った。
「算数が得意か、良きかな」
俺は自分のレパートリーの中から、なんとかクエスチョンマークをひねり出す。こいつの存在全体にかかるクエスチョンだ。なぜ喋れるのか、なぜ俺を知っているのか、何者なのか。
「年寄りはいらんことまで良く知っとるものだ」
そう一言で片付け、老トロルはしばらく黙った。しわの中に小さな両目が埋まっているため起きているのか寝ているのかも分からない。あまりに喋らないので死んだかと思いだしたころ、ようやくトロルは口を開いた。
「不憫なことだ、ここでは好きに学問を極めることもできん。」
俺は#笑い002で相槌をうつ。
「この世界全体を書き換えるには、残念ながら数検準一では歯が立たん。可能性があるとすれば、プログラミングを学ぶしか無かろう」
俺はクエスチョンマークを出す。プログラミングとは何なのか。訊こうにも、もはや老トロルの意識は遠くに飛んでおり、俺の存在さえ失念している。
「プログラミングは儂らの後輩世代から必修化されおった。儂らが習得に四苦八苦しとるところに後輩どもが入社してきて、涼しい顔してやってのけるんじゃろうな。やだな。儂なんか表計算ソフトもろくに使えんというのに」
ぶつぶつ言っている老トロルの輪郭は激しくぶれ始め、やがてぼやけた汚い色のもやにしか見えなくなり、消えた。後には細かいピクセルの粒が、床の敷石の隙間に挟まってキラキラ光っているだけだった。
プログラミングか。
俺は手にした剣の切っ先を敷石の隙間に差し込み、てこの原理で力を加える。めきめき音を立てて敷石の裏から生えていた根が引きちぎれ、敷石のひとつが剥がれた。微細な静電気が走る。敷石の下には、深緑色をして赤や青の脈が走った基盤があった。根に見えたのは細いコードだった。
世間一般的にはどうだか知らないが、俺にとってプログラミングとは大工仕事と同義だ。
塔を改築していく俺を、小鬼たちは揺れながらただ見ている。
俺は荒ぶってがくがく痙攣する左腕をベルトで身体に縛りつけ、右手で塔の石垣を崩していく。バグが酷くなれば、それを修正するために俺自身のプログラミングをいじる。ちょっとした縫合手術みたいなものだ。バグは、例えば絨毯に生じた皺みたいなもので、つぶしてもぼこりと他所へ移るだけだ。完全な消滅は望めない。
塔と塔に通路を渡し、部屋を拡張する。コスモス畑みたいにゆれている小鬼はまとめて大部屋にぶちこんだ。改築の過程で不本意ながら増えた俺の仲間たちも、一部屋に押し込む。塔を四つ繋ぎ一階から三階まで吹き抜けにしたホールが、満杯になった。奴らは一様にピザ配達員みたいな恰好をして、ただ薄笑いを浮かべている。
もはやSEを発するエネルギーさえ惜しんで作業を続ける。
俺が求めているのは多分、この世界の真理だ。
俺は塔から摘出した臓器を組み合わせ、演算機を造る。それ自体が部屋六つ分くらいに大きい黒い箱は、何十億もの蜂を宿した巣箱みたいにブーンとうなっている。この箱は、仲間を百人集めたよりももっと賢い。ブーンとうなりながら、内部では竜巻のように演算が渦巻いて、無数の枝葉の中から真理へつながる道を探している。
そして、外壁のコンクリートが溶けはじめる。暑い。箱が放出する熱気が原因だ。周囲二十二部屋分の壁紙もだめになった。俺は思案の目をちらりとホールに向ける。そこに詰め込まれたピザ配達員の軍隊。
俺は、仲間を社員として雇う。演算機の周りに氷柱を運ぶくらいのタスクは実行可能だ。奴らはいい意味でプログラミングらしく、指示どおりのことを薄笑いのままこなす。
社員がいるなら社員寮が必要だ。オフィスを、トイレを、休憩室を俺は造る。金髪ウェーブの美女が訪ねて来て、綺麗な声でへーいと言う。彼女は、現金なことにAV秘書風の胸元が開いたスーツを着ている。俺はへーいと返し、彼女を受付に雇う。
レゴみたいだ。俺は自分が組んだプログラミング通りに動く社員をしばらく観察し、それから肝心なことに気付く。すぐに社長室を造る。当然、他の塔を俯瞰できるよう群を抜いて高い所に造った。
俺は今や一日中、ただ革張りの椅子に腰かけて、一面のガラス窓越しにプログラミングの動作を眺めて過ごしている。何もしていないのに、頭上の数字はストップウォッチのデジタル文字盤みたいに数字を増やしていく。バグはすぐさま社員たちにつぶされる。
箱は機能を付け加えていった結果、それ自体が二分の一スケールの黒い精巧な塔の模型となった。常に低い声でうなっている。もはや、その中でどんな数式が増殖しつつあるのか、俺には分からない。
そしてある日、受付がへーいと俺に来客を告げる。
受付は俺を箱もとい塔レプリカの前に案内した。中から、蜂の大群の羽音みたいな唸りに混じって「ハア」みたいな威勢のいい声が聞こえる。
俺は久しぶりに剣を抜き、ちかりと光を弾く刃を箱の上面に当てた。ひどく手が震える。そのまま、ケーキ入刀の要領で刃を下した。一瞬の軽く砕けるような手応えの後、一気に抵抗が消える。中はすかすからしい。
箱を両断すると、中は空洞がちょうど部屋のようになっており、俺はやけに既視感を覚える。
最上階の部屋に小人が立っており、俺を見上げて威勢よく剣を振りたててみせる。〈#挑発001〉を小人は怒鳴る。
俺は数秒絶句し、それからげらげら笑いだす。
小人が何かわめいているが、聞こえない。笑いすぎて、既に飽和状態だったバグが、決壊し溢れだす。俺は痙攣する。危うい均衡を表面張力で保っていたが、もうなにもかも手遅れだ。視界をノイズが侵食していく。手はフードミキサーみたいに震えて剣を取り落とす。
俺はこの感情を表現するプログラムを持たない。
げらげら笑いながら、俺は右手の指先に意識を集中させる。全身の痙攣をその一点に収斂させる。ばちばちと稲妻が走った。
そして俺はかつての俺と全く同じ姿の小人を指さし、その頭に青白い雷を落とす。
小人は吹き飛び、転落していき、その過程で鎧が脱げる。俺は笑っている。
全身を走る電流が、俺自身さえも焼き尽くそうとしているのを感じる。視界が白熱していく。このままだとじき世界全体がショートするだろう。俺は笑っている。
俺の組んだプログラミングがばらばら崩壊していく。塔も塔のレプリカも俺も、ただの画面のぶれになる。
なにもかも砕けるその瞬間まで、俺はげらげら笑っている。



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停止コード : CRITICAL PROCESS DIED


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