ウェスリーン王国英雄記

きなこもち


~あらすじ~
 双子の兄弟であるジェームズとジャックは、兄であるギルバートと三人で平凡に暮らしていたが、ギルバートが魔法使いであることが見つかり、王都で暮らすことになる。ジェームズとジャックは、魔法が使えることを隠しながら貴族の学校に通い、ギルバートは、魔導師として王宮に勤めていた。
 ギルバートがアルフィーと共に秘密裏にクーデターを企んでいる最中、ジェームズが魔法使いであることが発覚する。戦争に行きたくないと泣くジェームズをジャックが諭し、二人はそれぞれに覚悟を決める。
 ジェームズは徴兵後、己が参加するのは戦争ではなくクーデターであるとギルバートに告げられる。そしてクーデターは成功する。
 それは、竜に認められた英雄王の誕生の瞬間であった。

~主たる登場人物~
・ジェームズ
 魔法使い。赤き竜が使い魔。青色の瞳の少年。
・ジャック
 魔法使い。ユニコーンが使い魔。水色の瞳の少年。
・ギルバート
 ジェームズとジャックの兄。王国の魔法使いが所属する直属軍のトップである魔導師。兎、鷹、ペガサスが使い魔。青色の瞳の青年。
・アルフィー
 ギルバートが信を置く人物。直属軍の副魔導師。
・シャーロット
 王国のテイラー公爵家の娘。義姉に虐められているところをジェームズに助けられて親しくなる。金に近い栗色の髪にキラキラの翠色の瞳(ジェームズ談)の少女。

~ざっくりした設定~
・魔法
 一部の人間だけが使える力。
「魔法は誰かを、何かを願う心」ギルバート談
・杖、詠唱
 なくても魔法は使えるが、あった方が威力や安定性が増す。杖は誓いの際にも使われる。
・使い魔
 魔法使いが呼び出すことのできる精霊。呼び出せない魔法使いも多い。


第四章
 ウェスリーン王国新王の擁立は瞬く間に多くの国に知れ渡った。
 アカナ連邦共和国からは先の大戦の正式な停戦と同盟締結について、ヤーハン国からは貿易交渉と同盟交渉の申し入れがあった。
 これはギルバートが魔導師であった頃に密かに築きあげてきた関係によるものであり、クーデター終了後、真っ先に支援を宣言してくれたのもこの二国だった。
 動乱に乗じて国境を攻めてくると疑われたラーシャ帝国にはこれといった動きは見られなかった。ラーシャ帝国も国内での貴族による対立があり、これ以上揉め事は増やしたくないのだろうというのがギルバートの考えだ。
 その他諸々、多くの国や地域からの使者があったが、とりあえず国の存亡に関わるものはなかったことで、ギルバートや俺を始め、国の中心部に位置する面々は胸を撫で下ろした。
「今後は我が国とのより一層の協力関係を築くことを願っております」
『こんな子どもが新王とは。だが、宰相ギルバートの弟ということは、実質、国を取り仕切るのは宰相か』
 クーデター後、初めて新王である俺への謁見を許された他国の要人は隣国であるアカナ連邦共和国のハリソン首相であった。
 アカナ連邦共和国は王政を廃止されており、いわゆる民主主義を確立させている先進的な国。トップである総督は民が決め、総督が代表して国としての方針を決めており、首相や大臣、元帥は総督に任命される形をとる。
 魔法使いを保護していることからも多くの魔法使いが亡命先に選ぶ国であり、それが気にくわない他国から宣戦布告を受けることも多くある国だ。それでもなお魔法使いを迫害せず保護し続けた。自由と責任が両立する国。
 ギルバートがずっと行きたがっていた国。
 そんなアカナ連邦共和国がずっと手を焼いていたのが、前王時代のこの国だ。クーデターによって魔法使いが国のトップになったというのは、アカナ連邦共和国にとっては戦争の種を減らす絶好の機会なのだろう。そして。
『しばらくは混乱が続くのだろうし、同盟を結んでいるとはいえ、こちらが優位にはなるだろう。だが宰相は前から総督と密約を交わすなど食えない人間であることは確実だ。宰相にだけ』
 聞こえてくるハリソン首相の声を遮るように、俺は彼の名を呼んだ。
「ハリソン首相」
 呼び掛けると、ハリソンの心の声は途切れる。
「私はまだ、こんな子どもです。しかし、宰相に全てを委ねるような形ばかりの王になるつもりはありません。名実ともにこの国の王になりましょう」
「それは、大変素晴らしいことでございます」
 言葉とは裏腹なハリソンの動揺をきちんと聞き取れてしまったものだから、俺はほくそ笑みながら続ける。
「ですので、今後、対等な、良き同盟国として長く付き合っていきたい、とキャメロン総督にお伝えください」
「ありがたきお言葉。一字一句違えずに総督にお伝えします」
 ありがたいなんて思ってもいないくせに。
 そう。アカナ連邦共和国は、この国を配下に置きたがっている。表面上は同盟国の扱いをするのだろうが、実質は属国のように扱うことを望んでいることは分かっている。
 それでは、と最敬礼をしてその場から辞そうとしたハリソンを引き留め、付け加えた。
「あと、アリス元帥に伝言を。貴方の国が宣戦布告を浮けたときは、私と赤き竜を筆頭に、我が国は同盟国として参戦します、と」
 俺の言葉に、その場にいた全員が凍りついたのが分かる。宰相としてそばに仕えていたギルバートの思いも五月蠅いくらいに聞こえてくる。ハリソンの思考も耳に痛いくらいに響く。
『戦争を自分たちから起こすなということか。それに、もしこの国に戦争を仕掛けたら赤き竜の力を使ってでもこちらを叩くつもりだ。これが本当に十二歳の少年なのか』
 思っていることとは裏腹に、ハリソンは気遣わしげな表情で口を開く。
「そんな、陛下自らが戦われるなんて......」
 ここで畳みかける。
「民が戦っているのに私が戦わないなんてできませんよ。それに兵を動かすのは私よりも宰相や魔道士長の方が優れていますからね」
 これ以上煽るのは得策ではないだろう。
 ハリソンに退室を促す。ハリソンも特に何かを言うことなく部屋から出ていった。
 扉が閉まると同時に、ギルバートはアルフィーと俺以外の人間を下げさせた。皆が出ていくや否や、部屋に防音魔法を張る。
「何を考えているんだ!」
 怒っているのは聞こえていたがここで怒鳴るとは思っていなかったな、とどこか冷静に思った。
「ギルバート宰相、誰が聞いているか分からないですよ」
「俺の魔法を破って聞き耳たてられる人間がいるとしたらお前たちだけだ。そんなことよりも最後の発言はなんだ。一歩間違えたら同盟が結べないどころか戦争だぞ!」
 怒鳴り声をあげるギルバートに小さくため息をついた。
「あの国がそんなに馬鹿じゃないのは、貴方が一番分かっているだろう。キャメロン総督と密約を交わした仲なのであれば分かるはずだ」
 ここでギルバートは押し黙った。それはぐうの音も出なかったからというよりも、俺のここまで冷たい声を聞いたことがなかったからという方が大きいのだろう。
「私は、この国を良くしたい。そのためには、アカナ連邦共和国にだって見下されるわけにはいかない。名ばかりの同盟に甘んじて、実質属国にされるなんてあってはならない」
 ギルバートの思いは聞こえても口から出てくることはない。ギルバート自身が混乱しているというのもあるかもしれない。
「ギルバート宰相。貴方は私の兄であり、宰相でもありますが、私がこの国の王であり、全権限は私にあるはずです。時と場合と立場を考えて発言することを願います」
「なんで......、お前......」
『なんで、どうして、そんなことは。俺は、お前を守りたいだけなのに』
 ギルバートの心の声に俺は臍を噛むしかできない。
「くそがっ」
 ギルバートは悪態をつきながら部屋の扉に手を掛ける。彼が出ていくより先に、俺は今後の予定を伝えた。
「宰相。一時間後にハリソン首相と会食。彼らを見送ったらすぐに国内の貴族との面会です。定刻通りによろしくお願いします」
「......。承知いたしました、陛下」
 ギルバートが出ていくと、俺は漸く肩の力を抜いた。周りが妙に静かだった。
 そこでハッとしたんだ。何も聞こえないなんて、あるはずがないのだ。この部屋には、ギルバートと己、そしてアルフィーがいたはず。それなのに、アルフィーの心の声は一つも聞こえなかった。
「アルフィー......」
 ギルバートが出ていく前から、アルフィーがギルバートの防音魔法の上に二重に防音魔法を張っていることには気が付いていた。ギルバートが出ていっても、アルフィーの防音魔法は残っている。
 そんな慢心から、ギルバートに立場を弁えろと言ったその口で、ついアルフィーの名前を呼んでしまった。アルフィーの方を恐る恐る見れば、彼は真顔で答える。
「陛下。誰が聞いているか分かりませんので、魔道士長とお呼びください」
 俺が己の失態に顔を歪め、それを見たアルフィーは相好を崩す。
「まあ、俺がお前をいじめるのはやめようか」
 俺のそばによってきて頭を撫でてくれるアルフィーは、俺にとってはもう一人の兄のように面倒をみてくれる相手であるはずなのに。
「どうして、何も聞こえないんだ」
 そんな俺の言葉に彼はクスリと笑う。
「どうしてだと思う?」
 その言葉に、自分の能力が悟られていることを確信する。そうでなければ、先ほどの自分の発言に対して、あのような質問は返ってこないはずだった。
「貴方が、俺と同じ能力を持っているから」
「惜しいが少しだけ違うな」
 クスクス笑いながら俺の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
「俺はな、魔力の動きが分かる。生まれつきだ。昔はどう使えば良いのか分からなかったから気が狂いそうになるときもあったが、慣れれば便利なものさ。お前もだろう?」
「う、ん......」
「さっきの会談中もお前の声がよく聞こえていたぜ。ハリソンの声も、ギルバートの声も。煩いくらいだった」
 俺はアルフィーの言葉に疑問を覚える。
「魔力の動きが分かるんじゃないのかい。声ってどういうこと」
 俺の質問に、アルフィーは少しだけ困ったような顔をして説明をしてくれた。
「魔力は感情に影響されやすい。俺たち魔法使いは魔力が多いから特にだ。感情が大きく揺れれば、魔法が暴発したりもするしな」
 それには心当たりがあった。小さい頃は自分が泣けば物が壊れたし、自分が徴兵されたのだって魔法の暴発が発端だったし。
「魔力の動きが分かるのは、感情の動きが分かるのと同義だ。感情ごとに魔力は違う色をするから。と言っても、お前には分からないだろうな。お前は魔力が見えている訳ではなさそうだから」
 あの見透かすような瞳で、彼は俺を見て少しだけ口角を上げる。それだけなのに俺はピシリと固まってしまう。アルフィーが俺の正面で杖を抜き、それを一振りすれば、杖の先から薄い黄色の煙が現れる。
「普通、魔力っていうのは使う時以外、本人の周りに集まっている。なのに、お前の魔力はこんな感じの時が多い。ふわふわと他の人間の周りを漂っているように見える。そんな時、決まってお前は相手の感情を揺さぶるんだ。だから、相手の思考か感情を読んでいるのだろうと予測した」
「俺が貴方と同じ能力の可能性だってあるじゃないか」
 杖を振って煙を消しながら、それはない、とアルフィーは断言する。
「お前が俺と同じ能力なのであれば、こんな魔力の動きはしない。それに、お前がこの能力を持つなら、お前はもっと魔力の動きを減らすようにするはずだ」
「俺のことを買いかぶりすぎじゃないかい」
「そんなことはないさ。お前は俺が買っている以上に優秀なはずだ。だからこそ、同じ能力ではないと思う」
 杖をくるくると遊ぶように回しながら、アルフィーは俺を見つめてくる。
「俺がここまで話したんだ。お前のことを教えてくれても良いんじゃないか?」
『俺が嘘をついていないことはお前も分かっているだろう?』
 アルフィーはわざと心の声が聞こえるようにしていた。ここで嘘をついたところで見透かされるのは明白だ。
「ご明察。俺は、人の心の声を聞くことができる」
「使いこなせるのか」
「ある程度は。相手の感情が大きすぎたりすると勝手に聞こえてくることもあるけど」
 アルフィーは少し思案したあとにゆっくりとに近づいてくる。なんだろうとアルフィーを見つめていると、アルフィーは優しく抱き締めてきた。
「辛かっただろう。この能力は、とても辛いよな」
「別に......」
「俺は辛かった。魔力の動きで相手のしようとしていることや、漠然とした感情が分かるだけで吐き気がした。お前の年の頃は、何もできず泣くことしかできなかった」
 自分を抱き締めるアルフィーの腕が震えていることにはすぐに気が付いた。
「俺......」
 ポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。
「こんな力いらないって何度も思った。心無い言葉が聞こえるたびに人が怖くなった。でも、ギルバートと兄弟がいたから。ギルバートの心の声はいつも俺たちを思ってくれているものばっかりで。兄弟は少し我が儘だけれど、彼もいつもギルバートと俺のことばかり」
 一拍置いてから俺は噛み締めるように話を続ける。
「二人がいてくれたから、俺は、辛かったけれど、辛くはなかった。この能力がなければ、彼らの本心を知ることなんてできなかったから」
 極力、感情を揺らさないように、バレないように、平静を装って俺は笑った。
「分かってもらえて嬉しかった。誰にも言えないから」
「なあ」
 アルフィーは抱き締める腕を緩めて、俺と目線を合わせる。
「俺はお前に嘘をつかないよ」
「貴方が嘘をついても、俺には分からないからね」
 駄目だ。気が付かれたら駄目だ。
 落ち着け。落ち着かないと、気が付かれる。この人を相手にするなら、表情だけで駄目なのに。
 落ち着こうと思えば思うほど、それが難しかった。そんな俺の気持ちを見透かして彼は言うんだ。
「そうじゃない。俺は今後、お前に嘘はつかない。心を覗いたって良い。お前には見えるようにしておいてやる。信用できないなら、杖に呪いを掛けたって良い。そんな悲しい色をさせながら、笑わないでくれ」
 目の前のアルフィーは今にも泣きそうな顔をしていて、本当に自分のことを心配してくれているのだと分かる。
 ああ、この人はいつもこうだ。
「どうして、いつも俺のことを気にかけてくれるの。ギルバートでも、兄弟でもなく、どうして貴方が」
 今までずっと蓋をしてきた想いが、止まることなく溢れてくる。
「ギルバートも兄弟もいつもお互いが一番で、何をしても俺は二番。二人とも大事で大切なのに、俺がこの道を選んだのは二人のためで、後悔なんてしたくないのに、時々どうして俺がって思ってしまう。俺の手は血に染まってしまったのに。もう、何も知らずに二人と笑っていたあの頃には戻れないのに」
 自分の手を見れば、それは赤く染まっているように見えて、鉄錆の匂いがする。その赤も匂いも、一生落ちることはない。自分で選んで決めたことだというのに。
 大きな雫がボロボロと溢れていく。
「俺は、名前を捨てて、年相応の夢も捨てて、挙げ句人殺しになった。それでもギルバートと兄弟を守りたかった。なのに、あの二人は今でもお互いが一番。じゃあ、俺は誰の一番なの。俺を思ってくれる人はいないの。じゃあ、何のために全てを捨てたって言うんだ!」
 このどこにもぶつけられなかった怒り、悲しみ、戸惑い。それらの全てがアルフィーには見えているのだろう。どうせ隠せないのだ。それだったら吐き出してしまった方が楽になるだろう。
「ギルバートが、全てを捨てて頑張ってくれていたのは分かってる。でも、どうしても、思ってしまう。自分はついでだったんじゃないかって。ギルバートが全てを捨てて守りたかったのは兄弟だけなんじゃないかって」
「......」
 アルフィーは小さく名前を呟く。それを無視して続ける。
「分かっているんだ。そんなことはないって。だって、心が見えるから。この能力があって良かった。でなければ、彼らの声を聞くことはできなかった。聞こえなければ、きっと耐えられなかった」
 瞼が腫れぼったい。きっと、目は真っ赤だろう。
 それでも、精一杯の強がりで俺は笑った。
「だから、さっきのも嘘ではないんだよ」
 俺の言葉が本心であることは伝わったのだろう。アルフィーはまるで自分が辛いかのように顔を歪めた。
『この子は、いつか壊れるな』
 彼の口は動いていない。だから、これは心の声だ。この人なら、隠せるのにあえて隠さなかったのだろう。俺の信用を得るために。
「お前、もう声を聞くな。このままじゃ、お前が壊れる」
「だって、聞かなきゃ。聞かない方が」
「もう良い。もう良いから。聞かなくても、見えるものはたくさんあるから。それにお前に聞こえたものが本心かどうかだって分からないんだ」
 そんなことがあるはずない。心は、口よりも目よりも雄弁だ。誰も心の中で嘘はつかない。
 そんな風に思った俺の心を見透かすかのように彼は言うんだ。
「違う。違うよ。その時思ったことが本心とは限らない。聞こえたことを鵜呑みにしては駄目だ。人間は愚かな生き物なんだ。衝動的に普段は思っていないことを考えてしまうこともある。ただ、それが本心かなんて、本人にだって分からないことだ」
 どうなんだろう。衝動であろうと何だろうと、思ってしまったことは事実ではないだろうか。
 分からない。俺には、分からない。
 俺は視線を泳がせながらも、アルフィーの腕をぎゅっと掴んだ。そうでもしないと、立っていられないような気持ちだった。そんな俺の頭をアルフィーは優しく撫でつける。
「大丈夫だよ。あいつらはいつもお前のことを思っているから。俺だって、お前のことは大事に思っている」
 分かっている。そんなことは自分が一番分かっているよ。でも、不安なんだ。
 謁見の間には俺の嗚咽だけが響き、アルフィーは正しいリズムで俺の背中を叩き続ける。時間の経過と共に段々と落ち着いてきた呼吸に、アルフィーが過呼吸を起こさなくて良かったと安堵するのを聞いた。
「もう聞かなくて良いよ。お前が聞かなくても、俺が見てやるから」
 それはできない。何も聞かないのはできない。これほど外交に役に立つ能力はないのだから。
「二人の声は聞かないようにする。もし聞いているようであったら、叱ってくれて構わない。でも、それ以外は聞くよ。この能力は役に立つから」
 俺の目元を拭ってくれながら、アルフィーは悲しそうに声を出す。
「それだと、どっちみちお前が壊れてしまう」
「それでも良い。俺は、俺が壊れようとこの能力を捨てるつもりはない。俺には国を良くするための義務があるから。ギルバートと兄弟が笑って暮らせる国を作るまでは頑張るって決めたんだ」
 人のことばかり願うこの少年に幸せになってほしい、と願うのが聞こえた。
「俺、貴方のことを誤解していたよ」
「知っているさ。お前は俺のことを随分と警戒していたからな。まあ、仕方のないことではあるが。でも、今日からは、俺が一番の味方でいてやる。何があっても、例えギルバートがお前の存在を否定したって、俺がお前を肯定してやる。疑うなら杖に誓ったって良いぞ」
 そう言って杖の持ち手を俺の方に差し出す。
「じゃあ俺も、貴方には嘘をつかないと杖に誓います」
 自分の杖を腰から抜いて持ち手をアルフィーに向けた。俺がアルフィーの杖を握ると、彼も俺の杖を握った。お互いに持ち手から手を離すと、アルフィーがふっと笑った。
「この杖になってから誓いを立てたのは俺が初めてか。ギルバートに呪われそうだな」
「それは杞憂だよ。この杖は、ギルバートがくれたものだから。あの時壊してしまったけれど、それを使ってギルバートが新しい杖を作ってくれたんだ。だから、杖にはギルバートとの誓いの記憶が残っている」
「なら良かった。そんなことでギルバートに呪い殺されたら、死んでも死にきれない」
 そんな軽口に俺も思わず笑ってしまった。
「さ、大分時間が経っちまったな。酷い顔だ。そんなんじゃ、ハリソンに馬鹿にされてしまうな。魔道士長様が、特別に魔法をかけてやろう」
 アルフィーの大きな掌に目を覆われる。思わず目を瞑ると、目元が温かさで包まれた。掌の熱とは違う、魔法の温かさだった。しばらく目を瞑っており、アルフィーの手が離れたのを感じて目を開くと、ついさっきまで腫れぼったい感じのしていた瞼がすっきりとしていた。
「良い顔だ。会食まであと十分くらいだ。間に合うな」
 俺の目元に指を滑らせて、胸元から取り出した懐中時計をちらと確認する。
「陛下、参りましょう。会食も上に立つ者の務めです」
「はい。補佐を頼みます、魔道士長」
 わざとらしい会話に二人でニッと笑って、談笑をしながら会食の部屋へ向かう。その際に、アルフィーは心を読ませることで、言葉を発せずに会話をする提案をしてきた。俺は上手くできるかは分からずとも、その提案を受け入れた。
 俺たちが会食の部屋に入ると、皆揃って待っていた。俺はハリソンを含めたアカナ連邦共和国の人間に頭を下げてから、自分の席に座る。
「お待たせしてしまったようで申し訳ありません。国内情勢も不安定なため、あまり豪華なものをお出しすることはできないのですが、ぜひお楽しみください」
 俺の声を合図に会食は始まった。食事を楽しむというのは名ばかりの、腹の探り合いである。でも、心の声が聞こえる俺は自然と有利になる。言葉に詰まってもアルフィーが心の内で正しい知識を教えてくれる。俺自身、ひたすらに情勢や政治、アカナ連邦共和国の歴史を頭に叩き込んだこともあり、会話に困ることは無かった。
 会食が終わるころにはハリソンは自分をただの子どもだとは思えなくなっているようだった。
 ハリソンを城の門まで見送り、ハリソンが馬車に乗り込もうとした時、俺は手を差し出した。
「本日はありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします」
 ハリソンは俺の手を握り返し、短く礼を述べると馬車に乗り込んだ。一段落ついたと小さく息を吐き出せば、俺の頭を撫でる者がいた。
「お疲れ様」
 振り返らずとも、その手と声の主が誰かなんて分かってしまう。
「宰相......」
 頭に置かれた兄の手をそっと払って、俺は笑った。
「宰相、次は貴族との面会です。今日はテイラー公爵、ジョーンズ侯爵、アーノルド伯爵です。貴族との面会はとりあえず今日で最後ですね。よろしくお願いします」
 兄の顔は分かりやすく歪められたけど、声は聞かなかった。
 三人で謁見の間まで戻り、それぞれ定位置に着く。俺は玉座へ、そのすぐ隣にギルバートが立つ。アルフィーは玉座がある階段の下に立つ。その他にも、数人の騎士と魔道士、記録を残す者が部屋の隅に待機している。
「では、始めましょうか」
 俺の一声で、謁見の間の扉が開く。入ってきて、恭しく首を垂れるのはテイラー公爵であるパトリック。前王時代からの三大貴族のうちの一つ。俺とギルバートが国を治めることを最も良しと思わないだろう名家。
「この度は、国王陛下に謁見を賜り、心より感謝申し上げます」
「頭を上げてください、テイラー公爵」
 俺がそう言えば、パトリックは頭を上げた。いつぞやかに見た、あの濃い茶髪のご令嬢。目の前の男も彼女と同じ濃い茶色の瞳と強気な目元をしていた。
「初めまして、テイラー公爵。堅苦しい挨拶は無しに、本題に入りましょう」
「ええ、陛下」
 一目では何を考えているのか全く分からない顔。でも、関係ない。俺には、聞こえるのだから。
※※
 弟が何を考えているのか分からない。
 元々、聡い子ではあった。学校でも成績が良いというのは聞かされていた。だが、まだ十二歳だ。それなのに国王という立場をこなしている。
 先ほど、謁見の間から俺が出た後、アルフィーと何を話していたのか。
 俺にはアルフィーのように魔力の動きを見る力も無ければ、ジェームズやジャックのような潤沢な魔力もない。
 俺よりもアルフィーの方が信用に足るのだろうか。
 俺は、信用できないのだろうか。
 斜め前で玉座に座る弟を見ながら、どこか暗い気持ちに捕らわれる。
 この子は俺のことをどう思っているのだろう。まだ兄として慕ってくれているのだろうか。それとも、黙認した俺を恨んでいるのだろうか。
 あの時の、ジェームズの瞳を俺は今でも思い出せる。その隣のジャックの瞳も。二人は真逆な瞳をしていた。それなのに、俺は片方の意思を汲んでしまった。
 いや、本当はどちらの意思も汲めてはいなかったのかもしれない。
 クーデターの首謀者としては間違ってはいなかったはずだ。ただ、あの子たちの兄としては間違ってしまったかもしれないだけで。
 ああ、また、アルフィーと目を合わせ頷いている。二人の間にどんな絆が育まれたと言うのか。
 信頼されなくとも、恨まれようとも、俺はこの子を守ろう。俺のためだと言って自ら汚い世界に踏み込んできてくれた、共に戦うと誓ってくれたこの大事な弟を。
 腰の杖に触れながら俺は目の前の謁見を見つめ続けた。
※
「献上品、ですか......」
 俺の訝しげな顔を気にもせず、ジョーンズ侯爵であるエドガーは胡散臭い笑みを崩さずに言葉を続ける。
「はい。我が領地における特産品でございます。陛下もお気に召すことかと」
『こんなガキが新王だなんて。陸軍も海軍も地に落ちたものだ。絶対に蹴落としてやる』
 随分と舐められたものだ。
 ちらとアルフィーを見やれば、彼も俺の方を見ていたので、アルフィーの心の声に耳を澄ます。
『こいつは前王に最も賄賂を贈っていた貴族の一人だ。爵位は侯爵だが、その財力は最高位の公爵を凌ぐほどだ』
 俺は少しばかり考え込んだ。事前の調査で、ジョーンズ侯爵領は領地内での貧富の差が激しいことが明らかとなっている。
 貧富の差、それ自体が悪いことだとは言わない。どれだけ先進的な国であろうとも貧富の差というのは存在する。貧富の差ゆえに、競争が起こり、発展していく。悪いことばかりではない。
 それは分かっていても、水すら飲めない民がいるというのはいかがなものかと思う。
 ふうと息をついてから、目の前のエドガーに莞爾と笑いかける。
「ジョーンズ侯爵。献上品の申し出はありがたいのですが、侯爵領からの税収だけで王室としては十分です。それよりも、私の頼みを聞いていただきたい」
「陛下のご命令とあらば何なりと」
 言質はとった。
 俺とアルフィーの口角が上がるのはほぼ同時だった。
「貴殿の領地の、人が住んでいる場所。その全てで治水を終わらせていただきたいのです。また、水利政策も行っていただきたい」
 エドガーは顔を引きつらせ、彼の内心での罵詈雑言に俺は噴き出してしまいそうなのを必死に耐える。
「そうですよね。治水も水利も多額の資金が必要となる。奴隷のように扱っている民にタダ働きをさせたところで、道具や資材にかかる額も膨大だ」
 俺はわざとらしくクスクスと笑ってやった。
「でも、貴殿にとっては難しいことではないはずです。なぜなら、今ここに持ってきてくださった特産品。それは世界的に見てもジョーンズ侯爵領でしか生息のできない生き物から紡がれる光沢のある糸から作られる布。しかも貴殿は、こちらに黙って非合法的に魔法使いを働かせていますよね。魔法が付与された糸は様々な力を持つ。普通に売っても高級品。そこに魔力を使って付加価値をつけることでさらに高値で売ることができる」
 エドガーの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。心の中の罵倒も、もはや何を言っているのか分からないほどに感情が高ぶっているようだった。
「おかしいですね。相場を考えれば、貴殿の領地から納められる税は妙に少ない。昨年は繁殖も上手くいって、例年よりも多く利益がでたと聞いています。おかしな話ですね。経理の人間を入れ替えた方が良いのではないでしょうか」
 俺の歯に衣着せぬ言い方に、エドガーはとうとう声を荒げた。
「新参者のくせに何を知ったような口を! たかが十二の子どもに何が分かるというのだ!」
 従来の法であれば、王族に声を荒げた時点で王族侮辱罪として即刻首をはねられていたというのに。
 呆れたようにエドガーを見つめてやると、俺のそばにいたはずのギルバートはいつの間にかエドガーの横に立ち、杖をその喉元に突き付けた。
「貴様、我が王を侮辱するか」
「はっ。弟を王位に就かせてさぞや良いご気分でしょうな、魔導師ギルバート殿」
 口だけは良く回るが、杖を突きつけられて顔は強張っているのが分かる。
「私は魔導師ではなく宰相です。ジョーンズ侯爵は少し政治をお勉強なさった方がよろしいかもしれませんね。法も、ね。王族侮辱罪は、前よりも軽くなったとは言え、一切罪に問われないわけではない」
 ギルバートがぐっと杖を突き立てれば、エドガーは息を詰める。
「宰相。もう良いでしょう」
 これ以上は埒が明かないのでギルバートを止めるしかない。俺がギルバートを見やれば、ギルバートは杖を下ろし、なおもエドガーを睨み続ける。俺は立ち上がり、自らもエドガーのそばに立つ。真っ赤な顔を見下ろしながら、先ほどと同じ様に莞爾と笑ってやった。
「侯爵領から納められている税は現時点でかなりの額です。このままでも良いと思っていますし、税の基準をもう少し下げても良いと思っているのですよ。ですが、先ほど言ったことを了承していただけないのであれば、税は本来の額を納めていただいて、治水などは国の事業にしようかとも考えています。どちらが良いのか、よくご検討ください」
 俺は杖を抜いて目の前でクルクルと振って見せる。
「貴殿から見たらただの木の棒かもしれませんが、これだけで貴殿の首を飛ばすことだって可能なのですよ。比喩ではなくね。剣よりもよほど簡単に」
 杖でエドガーの肩から首を辿ってやる。首に辿りついた時、エドガーは先ほどギルバートにやられたときと同じように息を詰めた。
「私は暴君になりたいわけではありません。ましてや、貴殿が懇意にしていた前王のように私欲にまみれたいわけでもない。正しい選択を期待していますよ」
 威厳を持たせるために羽織っていたマントをわざとらしく翻して玉座に戻る。
「ジョーンズ侯爵。もう下がって良いですよ」
 俺が言えば、エドガーは挨拶もそこそこに去っていった。礼儀がなっていないものだ。
 ふう、と息をついてギルバートとアルフィーを呼ぶ。
「宰相、魔道士長」
「お呼びでしょうか」
 二人が俺の目の前に揃うと、俺は指示を出した。
「今日で国内貴族との面会は全て終わりました。とりあえずジョーンズ侯爵の動向は注視してください。あと、パーカー公爵とウィリアムズ男爵、一応テイラー公爵もお願いします。これからもっと増えるとは思いますが」
 俺の言葉に二人は頷いた。
 全ての国内貴族に対して、圧をかけ、反乱分子となりうるかを確認した。しかし、一度話しただけではどうにも分からない。
 内部を腐敗させるものは早々に消し去りたい。できれば、成人で結婚ができる十五になるまでに。それまでに終わらせられれば良いのだが。
「はあ。明日はヤーハン国に出向かないといけないのですよね」
 俺のぼやきにギルバートが宰相らしく答えてくれる。
「はい。本来であれば、向こうがこちらに出向くのが礼儀ではありますが、ヤーハン国王のご容態が優れないとのことで、こちらが出向くことに」
「分かりました。ヤーハン国まで何で行くんでしたっけ。あと、どれくらいかかるんでしたっけ」
 これにはアルフィーが答えた。
「魔道馬車で半日ほどです。お望みでしたらもっと早く到着することも可能です」
「いや、馬が可哀想だから止めておきましょう。半日で十分。ヤーハン国王に謁見できるのは明後日ですよね」
「公式な謁見は明後日ですが、非公式であれば明日の夕食頃にお会いできるかと」
 中々に忙しそうだ。でもまあ、やるしかないからな。
「では予定通り、明日から私と宰相は留守にします。魔道士長、あとはお願いしますよ」
※※※
「何を見ていらっしゃるのですか」
 尋ねはしましたが、何も見ていなかったのかもしれません。彼は私の質問に曖昧に笑って誤魔化してきました。
「あの子が陛下となられてもう二ヶ月ですか。時が経つのは早いものですね」
「姉さんが宰相夫人になって二ヶ月とも言えますよ」
 彼はどこか寂しそうにそう答えてきました。それも仕方のないことかもしれません。
 あのクーデターで、この国は随分と変わりました。と言っても、変わったと感じるのはまだ貴族だけかもしれませんが。近いうちに民も感じるところとなるのでしょう。税収を始め、教育制度なども変えるようですから。
 魔法使いにとって一番分かりやすく変わったのは扱いだと思っています。前のように無理矢理に徴兵されることはなくなりました。しかも、魔道士になるには騎士と同じ様に試験に合格しなければならないという風に変わりました。この試験はそれなりに難しいそうで、試験に合格できない魔法使いの受け皿として魔法使い協会が設立されました。この協会は陛下の名義ではないそうですが、それなりに資金は出したそうです。
 つまり、公的には魔道士というのはそれなりに名誉ある職という扱いになったのです。まだ貴族の間で差別はあるようですが、少しずつ減っていくのでしょう。
 良い方に向かっているように感じます。しかし、それを実行している陛下もギルバート様も、大層お忙しいご様子で。ギルバート様と結婚して夫婦となったのに、あまり夫婦らしい生活は送れていません。私と同じように、彼もあまりギルバート様たちとは過ごす機会が無いようで、いつも寂しそうな顔をしています。
「学校が再開するまではもう少しかかるのですよね」
「そうみたいです。本当はもう再開できるけど、貴族の動向の確認と、庶民向けの学校を同時に開くためにまだまだかかるって聞きました。僕としては行きたくないから再開しなくて良いですけれど」
 私は学校には通ったことが無かったので、そこがどういった場なのか分かりませんが、魔法を使える彼にとってはあまり良い場所ではなかったのかもしれません。
「姉さんたちの邸宅はいつ完成するんでしたっけ」
「あと一月はかかるそうです。その間はこのお城にお世話になります」
「この城もボロボロで改修ばかりだけどね。でも、そっか。一月したら、僕一人になってしまうんですね」
「いつでもいらしてください。私も一人は寂しいですから。ギルバート様はこれからもお忙しいでしょうし」
 私がそう言えば、彼はやはり寂しそうに笑うのです。
 立場的にも呼べなくなってしまった彼らの名前。ギルバート様はどんな思いでいるのでしょうか。
 彼が見つめていた窓を見ながら、私は遠い島国にいる夫を思いました。
※
 ヤーハン国での謁見は実にスムーズであった。
 国王のご容態は確かにあまり良くはないのだろう。だが、国のトップが病気で代替わりをすることができるというのは、国の内部が安定している証拠でもあるだろう。王太子の他に二人のご子息と、一人のご息女がいらしたが、皆自分の意思を強く持った印象を得た。
 国家のお飾り、というわけではなさそうだ。
「お初にお目にかかります。ウェスリーン王国の新王の座に就いたジェームズと申します。この度は、ヤーハン国の国王陛下、女王陛下、また王太子殿下を含めた、ご令息、ご令嬢にお会いすることができ、誠に光栄でございます」
 必死に言語を練習しておいて良かったと思う。つかえることなく言えてほっと安堵する。変わった作りの建物の中心で俺はギルバートと共に片膝を付いて床に直に座っていた。
 城と呼ばれる建物なのに、俺の国の物とは随分かけ離れていた。入口の扉は横にずらして開ける物であったし、廊下は玄関に対して一段上がる仕組みになっていた。どうやら、この国では建物の中では靴を脱ぐらしい。
 書物や伝聞で知ってはいたが、自分が体験するとどうにも違和感が拭えない。
「これはよくいらっしゃいました。本来であればこちらが出向かなければならないのに、ご足労いただき申し訳ない」
 人の良い笑みを浮かべる国王陛下とその隣で笑みを絶やさない女王陛下は、俺たちが両膝を付いているところよりも一段高いところで膝を折りたたむようにして座っていた。
「ウェスリーン王国の新王陛下はまだ十二歳でいらっしゃるのでしょう。そのお年でご立派ですわ。私たちの子どもたちも見習ってほしいわ」
 人の良い笑みの下で何を思っているのか。心を読もうと思ったら、何も聞こえなかった。
 相手からとんでもなく高い魔力を感じるわけでもないので、本心から思っているのか、それとも全てを隠せるくらい他の能力が高いのか。
「とんでもありません。まだまだ分からないことだらけです。それに、ヤーハン国のご令息、ご令嬢のご活躍は素晴らしいと聞き及んでおります」
「うふふ。お世辞がお上手ですこと。ウェスリーン王国と我がヤーハン国では物理的な距離が何とも悲しいところですが、今後も良い同盟関係であることを祈っておりますわ。ねえ、貴方」
 同意を得るかのように女王が国王の方を見やると、国王も頷く。
「ええ。異なる文化、異なる言語、異なる風土。手を取り合うのは難しいようにも思えますが、我が国はウェスリーン王国と手を取り合いたいと願っているのです」
「こちらこそ、長きに渡る同盟を期待しております」
 その後すぐに、ヤーハン国の外交省大臣が持ってきた調書に国王が署名をし、俺もその隣に署名をする。これで正式に同盟が結ばれたことになる。
 その場は一度お開きとなり、俺とギルバートは用意されていた客間に戻る。客間もやはり床に直接座るような部屋であった。だが、気遣いなのかそういう様式なのか分からないけれど、椅子とテーブルが一式置かれていた。床に座る習慣はあまりないので、俺とギルバートはお互いに椅子に腰を落ち着けた。
「良い国だね」
 俺がギルバートにそう言えば、彼も頷いてくれる。
「文化が全然違う。まさか、靴を脱いで、しかも床に直接座るなんて思っても見なかった。でも、それが不快じゃないように綺麗にされている。俺たちの国とは何もかもが違う。文化だけじゃなくて、気候も、国民も何もかも。面白い」
「だが、侮れない国でもある。この国の両陛下はあのおようにお優しい雰囲気を抱えた方々だが、この国民をまとめ上げている。ヤーハン国の国民は血の気が荒い。あのラーシャ帝国に対し、一国で宣戦布告をして、勝利した国だ」
 そう、その国民性こそ、この国が長らく占領もされずにいた理由だ。島国だから、海が守ってくれたというのもあるだろうが、俺が簡単にこの国に来られたように海は鉄壁の守りとはなりえない。
「そうだね。あまり敵には回したくない。すんなりと同盟を組んでくれて助かった。ギルバートの根回しのおかげだ。これで、ラーシャ帝国に対する牽制にもなると良いんだけど」
「ラーシャ帝国は今、国内を落ち着かせるのに手いっぱいだと聞く。しかも、ヤーハン国と同盟を組んだうちに侵攻はしてこないだろう」
 ラーシャ帝国。南の大国。国土面積が大きいというのは、必然と人口も多くなる。しかも、温暖な気候で資源も多い。全く、羨ましい限りだ。しかも、魔法を使える一族と使えない一族が皇帝の右腕左腕をしているんだから、皇帝も愚かとは言えない。
 ラーシャ帝国がどう出るかは分からないが、起こってもいないことを考えるのは杞憂と言うものだろう。それより、今回の訪問をきちんと終わらせなければならない。
「今日の夜は小さな宴会みたいなものなんだっけ」
「そうだな。この国で結構良い形式の食事らしい。なんだったかな、カイセキというんだったか」
「お昼もカイセキじゃなかったっけ」
「あー、そうだったな。音は同じだが、意味が違うらしい。昼は両陛下と俺たちの四人で静かに食べる。夜はそれよりも多い人数と大広間で食べる。夜には酒が出されるらしい」
 二本の棒で食事をする、といったような最低限のテーブルマナーは身に付けてきたが、流石に料理の種類までは分からない。
 この国の正式な場での料理は隣国に似ていて、少しずつ料理を出していくんだったか。隣国と違うのは、一つの材料で複数の調味料が作られているところだろうか。やたら塩分と砂糖を好むのもこの国の特徴か。
「良いね。楽しみ。うちの国は伝統料理というものは少ないからね。手の込んだ料理も少ないし」
 食事の話をしたから少し空腹を感じてきた。昼食はもうすぐだ。
「呼びに来てもらえるんだっけ」
「ああ。下の者が呼びに来て、案内もしてくれるらしい」
 ギルバートがそう言ったところで、丁度ドアがノックされる。入室を許可すれば、入ってきたのは王太子だった。俺たちは慌てて立ち上がる。
「王太子殿下。どうなされました」
 すぐに笑顔を取り繕ったギルバートが対応する。
「お二人をご昼食にお呼びしにきました。ご案内します」
「そうだったのですね。ありがとうございます。陛下、参りましょう」
 ギルバートに陛下と呼ぶように言ったのは自分だけど、こうも迷いなく呼ばれてしまうとこちらが戸惑う。
 まあ、おくびにも出したりはしないけど。
 王太子に連れられて向かったのは小さな部屋だった。廊下よりもまた一段上がった作りになっていて、入ると柔らかな草の匂いがする。背の低い長机と、長机の脇に座るためのクッションが置いてある。
「さ、おかけになってください」
 先に座っていた国王の前に俺が、女王の前にギルバートが座る。机の上には真四角の黒い皿のようなものが置いてある。給仕と思われる女性が黒い皿の上に小さな皿をいくつか置く。ご飯、汁物。それと、うちの国では馴染みのない生魚。
「それではいただきましょう」
 二本の棒、箸と呼ぶらしい、で摘まみながら食べる。全体的に量が少ないのですぐに食べ終わる。その後、光沢のある黒で塗られている食器に入れられている具がたくさん入っている汁物、焼き魚、酸っぱい野菜、また汁物、何ともいえない味付けをされている野菜と海鮮、米の入ったお湯と歯ごたえの良い野菜が順番に出された。全部、食べたことのない味ではあったが、美味しかった。
「次で最後になります」
 そう言って出てきたのは、濃い緑色の液体と可愛らしい外見の小さなお菓子。
「これは濃茶と菓子になります。菓子を召し上がってから濃茶をお召し上がりください。本当は私がお茶をお出しできれば良かったのですが、茶室は狭く直接床に座らなければならないので、今日はこれでお許しください」
 こちらもまた、食べたことのないような味であったが、甘くて美味しかった。昔食べた砂糖菓子をどこか思い出す。濃茶と呼ばれた液体はすごく苦くて、思わず顔を顰めてしまった。
 出されたものに嫌な顔をするなんて。悪く思われないと良いな。
 ちらと両陛下を伺えば、二人は微笑んでいた。
「すみません。あまり食べたことのない味だったもので」
「いえいえ。貴方の年相応の反応がつい微笑ましくて。笑ってしまってごめんなさいね」
 女王がそう言って、食事は終わった。特に粗相なく終わらせることができたと安心した。
 夕食までは特に公務はない。城内であれば一人で好きにして良いと言われているから、どこか探索にでも行こうかな。
 木で作られた廊下を靴下で歩く。どうにも靴を脱いで歩くということに慣れない。靴も履かず、どれだけ静かに歩いてもギシギシと響いてしまう部分があるのは侵入者対策だろうか。靴を履かない文化ならではの対策なのだろう。
 建物は全体的に高さがなく、その分敷地が広い。天守閣と呼ばれる一つだけ背の高い建物があるが、現在においてあれは使われていないお飾りみたいなものだと説明を受けている。
 城内を一通り歩き回ってしまった後、部屋に帰るかどうか迷っていたら三番目の王子に会った。
「ジェームズ国王陛下。お探ししておりました」
「ヨシテル殿下。何かございましたか」
「いえ、もしお手隙でしたら、城下をご案内しようかと思いまして」
 城下。確か王都のようなものだったか。つまるところ、この国の最重要都市であろう。
「それは大変嬉しい申し出なのですが、勝手に城下に赴いてもよろしいのでしょうか」
「父上の許可はとってあります。警護の面でしたらご安心ください。こう見えても、剣術には覚えがあります」
 そう言って彼は左手を腰に佩いている剣に置いた。これまた、この国特有の片刃で反りのある細身の剣。刀というんだったか。
「それでしたら、是非ご一緒させてください。私も剣と魔法には覚えがありますので、ご安心ください。一度、それらを取りに部屋に戻っても?」
「はい。では行きましょう」
 杖と剣を身につけて、ヨシテル殿下と共に城を出た。城下町を歩いていると一つ気が付いた。
「この国では、一般の方は武器を持たないのですか」
「我が国では市民が武器を持つことは禁止されています。武器、というのは法で定義づけられていまして、刀や銃といったものは免許取得者のみ免許と共に所持が認められています」
 武器が禁止とは面白い。武器を持たずとも安心して暮らせるということだろうか。
 俺の気持ちを察したのか、ヨシテル殿下は笑いながら答えてくれる。
「この国は、四方を海に囲まれています。そのため、陸続きの国があるような貴国と違って規制がしやすいのです。また、持つこと自体を規制することで、武器によって殺されることは多くはないと皆が思い、武器の必要性が下がるのです。といっても、日常的に使う刃物などでの事件は多くありますし、不当に武器を所持する者も少なくはないのですが」
 困ったように笑う彼は、そうは言っても、刀から完全に手を離している。
「魔法に規制はかかっていないのですか」
「魔法、我が国では一般に陰陽道と呼びます。それが使える者は、国に申し出る義務があります。貴方の国で言う魔法使いを我が国では陰陽師と呼びますが、陰陽師は月に一度、国の機関で検査と試験を受けなければならないのです。陰陽師ではなくとも、年に一度の健康診断で同時に検査は行いますが」
「検査と試験、ですか」
 無理矢理に軍属させられたことを思い出し、声が硬くなったのが分かる。自覚があるのだから、隣のヨシテル殿下にも伝わっただろう。しかし、彼は俺に対して何かを言うことはなく、ただ国の説明を続けた。
「陰陽師の力は素晴らしいものですが、逆に言えば簡単に人を殺めることに使うことができる力です。こちらで検査をして力の程を調べ、試験によってどの程度使いこなせているのかを把握します。使いこなせなければ国が用意している訓練を受けていただくことになっています。使いこなせるのであれば、特に何かを強いられることはありません」
 魔法使いが迫害されていた国で生きてきたからか、新しい仕組みのように思えた。魔法は人を殺せるというのは確かに事実なのだから、魔法使いに対する法の整備は必須なのに、考えたこともなかった。
 魔法使いに対する規制や法も整備した方が良いのだろう。帰ったらギルバートとアルフィーに言ってみよう。
「ウェスリーン王国と我が国では、陰陽師の扱いが真逆です」
「え?」
「我が国では、陰陽師は貴族の間で重宝されたのです。主に魔を払うという役割で。逆に庶民の間では魔の力を持つとして毛嫌いされることが多かったようです。貴方の国では、穢れた力だとして貴族に嫌われていて、生活の役に立つからと庶民には親しまれていると聞いています。それをどう利用するかは、貴方次第です。さあ、着きましたよ」
 聞き返す間もなく会話を切り上げられた上に、当てもなく歩いていると思っていたからその声に驚いた。ヨシテル殿下が示しているのは、濃い茶色の古そうな建物だった。中に入ると、色とりどりの布が置いてある。
「おばさん、きたよー」
「あら、殿下じゃないの」
 ヨシテル殿下の声に反応して近寄ってきたのは、深緑に所々花が刺繍されている民族衣装を纏った女性だった。
「おばさん、こちら、ウェスリーン王国のジェームズ国王陛下です。今日は彼に何かを贈りたくて」
「え?」
 そんなの初耳だ。ただ町を見せるだけと言ったから付いてきたのに。
「あ、あの。それは」
 俺の困った顔を見て、彼はふっと笑う。
「私はジェームズ国王陛下の一つ上なのです。ご存知でしたか?」
 流石に外交の一環でそれくらいは覚えている。一つ頷けば、ヨシテル殿下はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。ただ、会話に関連性が無い。
「では、兄上と姉上の年齢はご存知ですか?」
「王太子殿下は二十八、ヨシカツ殿下は二十六、キチョウ殿下は二十三だったかと」
「すごいですね。私でさえ、ヨシカツ兄上の年齢は曖昧なのに。多分、全員あっています。お分かりのように、私だけ年が離れているのです。上三人は兄妹であり、友のようであったのに、私だけ弟でしかなくて。ジェームズ国王陛下とは年が近いと知って、友のようになれたらと思っていたのです」
 ヨシテル殿下はいつの間にか店の女性が持ってきた宝石細工を見やる。白の混じったような緑の石や、透き通った黄色の石が多い。
「これは私から貴方への個人的な贈り物です。国も立場も関係なく、友からとして受け取っては貰えませんか」
 俺はその言葉に面食らってしまった。
「友......?」
「はい。私は是非、ジェームズ国王陛下と良き友になりたいのです。その印に、貰ってはいただけませんか」
 そこまで言われて、断ることができるはずはない。はずはないのだけれど。
「友にはなれません」
「え......」
 ヨシテル殿下は面食らったような顔をする。
「私は所詮、国民を代弁する存在でしかない。民の意向によっては、ヤーハン国と争いをする可能性だってある。貴方を裏切る可能性がある身です。そんな私に友と呼んでもらう資格はきっとありません」
 友達、という存在に憧れがあった。いつでも味方で、何でも話せる存在。
 兄弟と違って、自分にはいなかったから。
 申し出はとても嬉しかった。だからこそ、頷いてはいけないと思ったのだ。
「申し訳ありません。とても、嬉しかったです」
『そんな泣きそうな顔で何を言っているんだ、こいつは』
 謝って頭を下げれば、不遜な言葉が響いてきて驚いて頭を上げる。
「そんなに難しく考えないでください。私は......、俺はジェームズ国王陛下のご意見ではなく、ただの一個人であるジェームズの気持ちが知りたい」
 ヨシテル殿下の瞳は慈愛に満ちていて、彼が愛されて生きてきたことが分かる。
「不便な立場だよね。俺たちも国民と同じで、必死に生きている人間でしかないのに、たまたま今の立場にいるだけで国民と同じ様には生きられない。でも、恨もうと呪おうと望まなかろうと、この出自によって受けた権利に対する義務と責任が俺たちにはある。民の前では俺たちは国を代弁する立場でなければいけない。君の言う通りジェームズ国王陛下とヨシテル殿下は敵対することがあるかもしれない」
「だから......」
 俺が言葉を紡ぐよりも早くヨシテル殿下は続けた。
「でも、俺はそれを自覚している君のことは信用に値すると思っている。国が敵対したって何をしたって、俺はジェームズを個人として信用する。ねえ、公的な場でなければこれからもジェームズって呼んで良いかな。俺のこともヨシテルって呼び捨てにしてくれて構わない」
 彼はそう言い切ると、再び石に目を向ける。
「おばちゃん、これを揃えるのは大変だったでしょ?」
「そうねえ。でも、貴方が国庫から出るお金じゃなくて、キチョウ殿下の事業を手伝って自分で稼いだお金で出すっていうから、とっておきを揃えたのですよ。値段は特別価格にしておきますよ」
「そっか、ありがとうね」
 彼は緑の石を持ちながら、こちらに顔を向ける。
「これは我が国の国石に指定されているんだ。国石っていうのはまあ、国を代表する宝石みたいなものかな。別に他国と決めた訳ではなくて、うちの国は古よりこの石を色々なことに使っていたと文献が残っていたから、王族と政府でそう決めた。特に反対は出なかったし、国民にも馴染み深い石だしね」
「国石......」
 国の石。それを定めて何になるんだろうと思わないでもない。でも、それを定める余裕があるとも捉えられる。
「ヒスイって俺たちは呼んでいる。ジェームズの瞳の色と同じ石にしようかとも思ったんだけど、せっかくだから俺の国の石にしようと思って。あ、黄色の石は国石ではないけど、そっちもこの国の文化に深く根付いた石だから一応用意してもらったんだ。そっちはコハク」
 どれもあまり見たことが無く、純粋に綺麗だと思った。けれどそれ以上に、彼が俺のために用意してくれたということが嬉しかった。
「俺、友達だと思っても良いのかな」
 俺の言葉に、ヨシテルは俺たちが普段できないような年相応な笑顔で答えてくれた。
「もちろん」
※※
「我が国はいかがでしたか」
 楽しそうにヨシテル殿下と会話をしている弟をつまみに酒を飲んでいると、王太子殿下が声をかけてきた。
「この国は素晴らしい。文化も歴史もある。治安も良い。なにより、食事と酒がとても美味しい。羨ましいです」
 酒の力で酔いも入っていた俺は素直に答えた。王太子殿下は褒められたのが嬉しかったのか、口角を上げる。彼も酒の入った器に口をつけてぐいと飲み干す。
「宰相と陛下はご兄弟でしたよね」
「ええ。と言っても、年は離れていますが」
「私たちもそうです。ヨシテルだけ年が離れているのです。あれがああやって笑うのを、私は初めて見ました」
 ヨシテル殿下と弟を見つめる彼の顔は、王太子殿下ではなく兄の顔をしていた。
「ヤーハン国王家は長男が跡を継ぐと決められています。なので、女であったり次男であったりした時点で王族としての権利は無いと言っても過言ではなくなってしまいます。まして三男なんて。私は生まれてきた弟を見て、心底同情したのを覚えています」
 突然の話に驚きを隠せないでいる俺に構わず彼は話を続けた。
「女であれば、まだ蝶よ花よと育てられたかもしれないのに、男であるばかりに義務ばかりで権利なんてない苦しい生活を送ることになる」
 彼が何を言おうとしているのか、何となく分かってきてしまった。
「それなのに、いつの間にか、王族としても剣士としても世間に認められるようになった。私たちの中で国民に最も慕われているのはヨシテルかキチョウでしょうね。私は彼を純粋に尊敬すると同時に、彼に目を向けてやらなかったことを後悔しています」
 予想と遠からぬことを言われて、次に言われるであろう言葉も予想が付く。
「もう一人、弟さんがいらっしゃいましたよね。ジャック王弟殿下。彼にもきちんと目を向けてあげてください。時間は戻らない。我が王家の秘術でだって時を戻すことはできない。これは、失敗した兄からの助言です」
 彼はそれだけを言うと、俺のところから離れた。その後は国王陛下に挨拶をしてから、会場を辞していた。
 王太子殿下が言いたかったのはただ兄としての助言という訳ではないだろう。おそらくは王族としての助言。王族の間で兄弟が不仲になるというのは後継者争いの火種になる。実際、ヤーハン国の内部では少し揉めているというのも今日少しだけ耳にした。
 俺たちは兄弟仲は悪くないはずだ。
 今はあまり兄弟として過ごしていないが、国が落ち着くまでだ。そもそも、国を変えようとしたのだって弟たちのためだ。あの子たちは良い子だから、きっと分かってくれるはず。
 あと少し。あと少しの辛抱だ。
※
「君は自国が好きなのだね」
 少しだけ風に当たりたくなり、廊下に出て庭を眺めていると後ろから声をかけられた。振り返る前に声の主は俺の隣に座ってくる。
「陛下。お身体は大丈夫なのですか」
「ええ、今は気分が良いのですよ。ご心配ありがとうございます。この国はいかがでしたか」
 ニコリと微笑まれ、俺も笑みを作って返す。
「良い国ですね。治安が良くて、文化も歴史もあって」
「でも、貴殿は貴国の方が好きなようだ」
 誤魔化せなかったな。というよりは、見抜かれていた。
「ええ。兄も双子の兄弟もあまり好きではないようですが、私はあの国が好きです。あの国には捨てられない思い出がたくさんありますから。それに、我が国にも良いところもたくさんあるんですよ。」
 そう。俺はあの国を捨てられない。おそらく、今から兄と兄弟が国を捨てると決めたとしても、俺はきっとついて行けない。一人で残ってしまうだろう。
「良いことだと思いますよ。国の上に立つ者は、正しく国を愛さなければならない」
 ヤーハン国の国王はニコリと微笑んで立ち上がる。
「一つだけ。年寄りの戯言だと思って聞いてください。周りを見て、よく聞いてください。貴殿の代わりはいないのですから」
 そう言って去っていった。ついぞ彼の心の声は聞こえなかった。
 次の日、ギルバートと俺はヤーハン国を後にした。
※
「おはようございます、殿下」
「え、ああ。おはようございます」
 未だ慣れない呼ばれ方に慌てて返事を返す。兄を筆頭に起こされたクーデターの後、兄弟は国王に、兄は宰相になった。兄弟が国王になったことで必然的に自分は王弟という立場になってしまった。
 あのクーデターから半年経って再開した学校に初めて足を踏み入れた時も最初にかけられた声がそれだった。貴族は何だかんだ強かだと実感する。クーデター前までのこちらを蔑む目なんか見せやしない。多くの人間が僕に媚びへつらう目になっていた。僕は未だに、それらに慣れることができない。
 なんで兄弟は貴族を残したのだろう。全て無くしてしまった方が楽だったろうに。この学校もそうだ。庶民向けの学校を増やしているというのに、ここは貴族向けの学校、通称学院としてそのまま残された。
「陛下は学院にはいらっしゃらないのですか」
「ええ、陛下はお忙しいようですので。学院に籍は置かれているので、定期的には来られると思いますよ」
 笑顔を貼り付けて返答すれば、それに対しても答えが返ってくる。心底、面倒だと思う。
 しかし、今、挨拶をしてくれたのは新王室を推してくれる親王派の貴族のご令嬢だ。無下にはできまい。
 皆、似たような笑顔を貼り付けて話しかけてくるが、その実、中身は二分される。一つは俺たちを推してくれる親王派。前の圧政を良しと思っていなかったり、上手に生き延びようと考えたりする家門。伯爵家や侯爵家、軍に属する家門が多い。もう一つは貴族派。理由は色々あれど、今の王室を好んではいない家門。前王室で私腹を肥やしていた家門。公爵ややたらと金のある家門はこちらに属することが多い。
 両方の派閥が僕に媚びを売る理由なんて決まり切っている。僕には政治の決定権もなければ、兄弟は僕の我儘を通すような性格でもないので無駄なことだというのに。
 溜息を飲み込み、適当にいなしていると、僕にとっては救いのような、呪いのような存在が歩いてくる。
「ジャック殿下、ご機嫌麗しゅう」
「ご機嫌よう、イザベラ様」
 貴族派の筆頭テイラー公爵家の長女。彼女が話しかけてくれば、他の令息令嬢は黙るしかない。すっと出されたのは美しい装飾の施された純白の封筒。
「私の誕生日パーティの招待状ですわ。不躾かとは思いましたが、直接お渡ししたかったもので。是非、いらしてくださいね」
「そうでしたか。お招き感謝いたします。公爵にもよろしくお伝えください。ところで、シャーロット嬢はお元気ですか」
 ただ気になって聞いただけだったのに、彼女は少しだけ口元を歪める。
「殿下が愚妹のことを心に留める必要はございませんわ」
 その物言いに少しだけカチンときてしまうが、他の人が見ているところで喧嘩を売るわけにもいかない。
「そうでしたか。これはご無礼を。招待状ありがとうございます。それでは、失礼しますね」
 早足に廊下を歩いて教室に入る。授業が始まってしまえば、無駄話をする生徒はいない。休み時間は捕まらないように図書館に逃げ、授業が終わってからは走るようにして学院の門を目指す。門まで行けば、専属護衛のエルヴィスが待っていてくれるから城に帰れる。城に戻って、エルヴィスと別れてから兄弟の執務室に向かう。その途中で目に入ったのは書類を持ちながら執務室に戻る途中の兄弟の後ろ姿と、すぐ隣を歩く男の背中。
 ああ、気に入らないなあ。
 ハロルド、だっけ。兄弟がヤーハン国からいきなり連れてきたスラム街にいたという少年。僕たちよりも三つほど年上だというのに、ほとんど背は変わらないし、別に魔法も剣も長けているわけではない。
 いつも宰相である兄をそばに侍らせるのは申し訳ないし効率が悪いと言って、側近としていきなりそばに置いた。だが、政務どころか、貴族社会に属したことすらない彼を側近として置く方が効率が悪いと僕は思うのだ。怒られるから言わないけど。
「やあ、兄弟」
 僕の馴れ馴れしい声かけにハロルドは少しだけ眉を寄せる。大方、陛下に無礼を、とでも思っているのだろう。彼は僕のことを良く思っていないようだけれど、僕だって君のことは好きじゃない。
「あ、おかえり。学院はどう。困ったことはない?」
「特にないよ。聞いてよ、兄弟。リチャードさんがね、僕なら近いうちに騎士の資格が取れるだろうって。アルフィーさんにも魔道士としての資格は十分だから試験を受ければ資格は余裕だって。そうしたら、周りに何を言われることなく君の補佐ができるよ」
 騎士団長と魔道士長のお墨付きを報告しつつ兄弟のそばのハロルドを見やれば、彼は悔しそうに下を向くものだから溜飲が下がる。
「そんなの取らなくても良いんだよ。ねえ、兄弟。君は好きなことして良いよ。無理に俺の補佐をしようとしなくても大丈夫さ」
 無理なんかじゃないのに。僕は僕なりに、兄さんと兄弟のそばにいられる方法を考えているだけなのに。彼はいつもそうやって僕を遠ざける。彼が僕のことを思ってくれているのは分かっている。でも、他人がそばにいることは許すのに、僕がそばにいるのは断るなんて。
 そんなの寂しいよ。
「ごめん、兄弟。今はちょっと忙しくて。夕食は一緒にとるからまた後で。ハロルド行くよ。部屋に戻ったらその書類全部、俺の署名がいるかどうかで分類して。そしたら......」
 彼らはそのまま執務室に消えてしまった。
 夕食は一緒に。何度そう言われて、あの広い食堂で一人、食事をとっただろうか。というよりも、兄弟や兄さんと最後に食事を共にしたのはいつだっけ。
 兄弟は僕に、好きなことをして良いと言う。まるで、僕が彼らのそばにいたいと願ったことを忘れたかのように。あの日から僕だけが止まったままだ。兄さんも兄弟も歩みを止めない。僕だけが進めない。彼らも振り返ってはくれない。
 思わず泣きそうになるのをぐっと堪えて、僕は部屋に戻らずに城を出た。一人で出歩くなと言われているが、そんなことは無視して転移魔法を使った。行き場所がここしか思いつかなかったとはいえ、いざ扉を目の前にすると急に怖気づいた。
 どうしようかと迷っていると急に扉が開いた。
「あら、ギルバート様の弟君でしたか。お嬢様とお約束ですか」
 出てきたのは姉さんの侍女だった。おそらく、扉の前に不審者がいたから確認に来たのだろう。僕は首を横に振る。
「約束は、していないです。姉さんは不在ですか」
「いえ、ご在宅です。応接室にご案内します。そこで少々お待ちください」
 応接室に案内されて少しだけ待たされる。
 応接室の調度品は高価なものではあるだろうが、華美ではない。おそらくは兄さんの趣味だろうが、姉さんもあまり派手なものは好まないからな。この邸も宰相の邸宅にしては小さいだろうが、二人はもっと小さいほうが好ましかったと言いそうだ。なんというか、似た者同士というところか。
 少し待っていると、姉さんが入っていた。
「約束はしていなかったと思いますが、どうかなされましたか」
 優しく微笑むこの人は、どうして兄と一緒になったのだろう。全然帰ってこない兄に不満はないのだろうか。寂しくは、ないのかな。
「ご飯を、ね」
「はい」
「一緒に、食べてあげようかなって。兄さんは、今日も城で食べるだろうし。一人は、寂しいかなって......」
 こんな言い方をしてしまった後で後悔をした。素直に寂しいと言えば、姉さんだったら一緒に食事をしてくれるだろうに。でも、寂しいと言ったら、兄さんや兄弟に伝わってしまいそうで嫌だった。
 姉さんは数回瞬きをしてから、また笑った。
「そうですね。今日もギルバート様は帰らないと連絡がありました。彼の分の食事をどうしようかと思っていたのです。一緒に食べてくれますか」
「良いんですか」
「勿論ですよ。食べてくれた方が助かります。私も一人の食事には少し飽き飽きしていたので」
 姉さんは兄さんがいなければ使用人と食事を共にしているから、別に兄さんがいなくても一人ではないことを知っている。それでも、一人だからと話を合わせてくれる姉さんの優しさに思わず泣きそうになった。
「食事まで少し休んでいてください。せっかくですから、泊っていかれてはどうですか。客間は常に整えてありますし、明日は直接学院に向かえば問題ないでしょう」
「良いんですか。お邪魔ではないですか」
「家族なのですから、もっと甘えても良いのですよ。それに、私は学校に通ったことがないので、お話を伺ってみたいです」
 家族。家族って何だっけ。血が繋がっている兄さんや兄弟とは最近は全然会話をしていない。兄嫁でしかない姉さんの方が余程家族といえるかもしれない。
「姉さんは、僕の家族ですか」
「ええ。貴方が許してくださるのであれば、私は貴方の家族でいたいです」
 目に膜が張って、良く見えない。思わず下を向けば、零れた涙で制服のズボンに染みができていく。そんな僕のことを姉さんはそっと抱きしめてくれた。背中をさする手は温かくて優しくて、あの日の兄弟の手に似ていた。そう思えば、さらに涙が止まらなかった。
 僕と兄弟は、ずっと一緒だと思っていたのに。
「やっぱり、置いていくのは君だったじゃないか」
 その呟きを姉さんがどう捉えたかは分からない。
 その日から、僕はほとんど城へ帰ることはなくなった。
※※※
「君、行くところがないのかい」
 なんだこのクソガキ、と思ったのが本音だ。俺と違って綺麗な服を着て、やせ細ってもいない。良いところのガキと言ったような風貌。見た目に釣り合わない腰の剣に違和感を覚える。胸元にあるヒスイの飾りが忌々しい。でも、あれは高く売れる。あれを盗めれば一ヶ月、いや二ヶ月は暮らしに困らないはずだ。
 そんな俺を見透かしたかのようにガキは笑った。
「これはヨシテル殿下に貰ったから君にあげることはできないんだ。まあ、盗むこともできないと思うけど」
「んだと、このクソガキ。舐めやがって」
 一歩踏み出して蹴りを入れてやろうと思った。思った瞬間に、俺は地面に倒れていた。俺の背中にはガキの足。
「だから、できないって言ったじゃないか。俺、こう見えて結構強いんだよ」
 そうして首元に当てられたのは細い木の棒。
「おや、これを首元に当てられて何も感じないってことは魔力持ちか。そんな気配は感じないけれど、覚醒前か」
 ふーん、と木の枝を首元にぐりぐりとしてくる。絶対、一発は殴ってやると思うと、すぐに体重をかけてきやがる。起き上がろうにも全く起き上がれない。重いのではなく、体重のかけ方が上手いのだ。
「ああ、無理しない方が良いよ。下手すれば肋骨が折れる。まあ、折れたとしても俺がすぐ治してあげるさ」
 それでふと思い至る。
「お前、陰陽師か」
「そうだね。まあ、俺は魔法使いって呼んでほしいけど」
 陰陽師か。しかも、さっきヨシテル殿下とか言っていたから、こいつ他国の良いところのガキってことか。下手なガキに喧嘩売っちまったな。
「ねえねえ、君さ。家族はいるのかい」
「んなもんいたら、こんなとこで盗みなんてしてねえ」
 ガキは満足そうに笑って、俺から足を離した。今だと思って起き上がろうとすれば、いつの間にか剣を首元に当てられていた。これにはさすがに背筋が凍る。
「行くところがないなら、俺のところにおいでよ」
「誰が、お前のところになんて」
 問答無用で剣を少し首に食い込まされる。血が首筋を流れるのを感じる。
「このままここにいたら、君は同盟国の国王を殺そうとしたから死刑だろうね。俺についてくるなら、衣食住は保証してあげるよ」
「国王って、お前」
 クソガキはにんまりと笑ってから、剣を鞘に戻しながら俺に告げた。
「私はウェスリーン王国の国王であるジェームズと申します。この国には同盟を結ぶために参りました」
 ガキについて行くか否か。選択権が俺にあるようで、実際は強制的に連行されたに等しい。
 ガキに連れてこられたのは遠い異国だった。ウェスリーン王国なんて聞いたこともない。教養だと言われたところで、教育なんて受けたこともないのだから仕方がない。自国の国王の名前すら知らないのだから。
「君にはまず、この国の言葉を覚えてもらう。単語も文法も全く違うから頑張って。でも、何も知らないっていうのは綺麗な言葉遣いを覚えられるから良いかもね。君のヤーハン語は随分と汚いようだから。あと、何かを考える時もここの言葉で考えて」
 そう言って、国王だというガキ直々に、言葉や礼儀作法、国王補佐の職務を叩きこまれた。それだけではない。ガキの兄である宰相に政治を教わり、魔道士長だという男に魔法を習った。
 最初は警戒もしていたし、逃げ出そうとも考えた。だが、その度に国王だというガキに直接捕らえられて連れ戻された。
 流石に俺だってアホじゃない。この国に来て一ヶ月ほどすれば諦めもついた。諦めてしまえば、言う通りにして人よりも豪華な衣食住を享受する方が得だって思うようになる。
 そうして五ヶ月も経てば、大分色々と慣れてきた。
「大分、俺の側近として板についてきたじゃないか」
「流石に、ここに来て五ヶ月ほどになりますからね」
 大量の書類を持たされながら、彼の執務室に向かっていた。
「やあ、兄弟」
 後ろからかかった声に、内心で舌打ちをする。陛下の双子の兄弟、ジャック殿下。彼は王弟殿下という席に胡坐を掻いているのかと思っていたけれどそうではないらしい。騎士団長のリチャード様や魔道士長のアルフィー様も彼の実力を認めている。学院の成績も良いのだと陛下が嬉しそうに話してきたことがある。
 別にそれだけであれば、陛下の弟は優秀で素晴らしいですね、で済むのだ。だが、殿下はどうにも私のことが嫌いらしい。陛下もご存知のことであるが、殿下はいつも遠回しに私のことを牽制してくる。流石に自分のことを嫌いな人間を好きになるのは難しいというものだ。
「ハロルド行くよ」
 話を終えた陛下に呼ばれ、私は彼の指示を受ける。後ろから視線を感じはしたが、私の知るところではない。執務室に入って書類を机の上に置くと、陛下は申し訳なさそうな声色で謝ってきた。
「ごめんね、兄弟が意地悪言って」
「いえ、殿下が優秀なのは事実ですので」
「そうなんだけどね。最近はろくに会話もできていないから、俺も悪いんだけど」
 兄弟というものは、こんなにも互いに信用を寄せたり、依存したりするのか、物心ついた頃から独りだった自分には分からない。ただ、少し度が過ぎているのでは、と思わないでもない。
 そんな口には出していない私の思いに答えるように彼は口を開く。
「そうだね。俺は少し異常かもしれない。大目に見てくれよ。魔法が使えることを黙っていなければいけない幼少期の俺にとって、ギルバートと兄弟は世界の全てだったんだ。そのまま変われないだけさ。兄弟は少し、俺に引っ張られているだけなんだ」
 それはどうだろう。陛下も依存しているのかもしれないが、殿下の方こそ陛下に依存しているように見える。しかし、それは私が口にして良いことでもないのだろう。
 しばしの間、沈黙が流れる。執務室に響くのは、私が書類を分ける際の紙の音と、陛下の万年筆が滑る音。
「ねえ、ハロルド」
 不意に陛下が名前をお呼びになる。陛下に貰った名前だが、存外この名前が嫌いではなかった。
「はい、陛下」
「兄弟を嫌いにならないでほしい。君はいつか、彼の下で働く可能性もあるから」
「それは、どういう」
 陛下は眉を下げる。
「時が来たら話すよ。来ない可能性だってあるしね」
 そんな時は来ないで欲しい。
 私はこの人が嫌いではない。脅すようにして連れてこられたけれど、見捨てずに丁寧に対応してくれたこの人の恩に報いたいと思う。魔法も剣も政治も、まだまだアルフィー様にもギルバート様にも、癪だがジャック殿下にも敵わない。それでも、陛下を守る存在でありたいと思う程度には、陛下に感謝している。
 私が殿下の下で働くということは、陛下が跡継ぎを決める前に死ぬ時だ。そんな時は来なければ良い。
「そんな時が来ないよう、努めます」
 いつもの陛下であれば、肯定してくださると思ったのに、彼は何も言わなかった。


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