君のセカイ、私のセカイ

走ル高麗人参



「では、明日は四時半に校門前集合です。遅れないように。今日は早く寝て明日に備えてください。解散」
 いよいよ明日。私たち三年にとっては高校最後の全国大会。
「やばい、もう緊張してきた」
「いや、それは早すぎない?」
「頑張ろうね」
 選手たちは思い思いのことを口にしつつも、皆いつもより表情が硬い、ような気がする。とか分析している私も、一応選手なんだけど。

「先輩、絶対優勝してくださいね」
「確か試合は午後からでしたよね。授業中もエール送ります!」
「私たちの分も頑張ってね」
 後輩たちの敬語に混じる、タメ口の応援。
 それなりに強豪のはずなのに予算の少ない我が部では、選抜メンバーと監督以外はお留守番だ。それは後輩でも、私と同じ三年でも例外はない。

「リサ先輩、電車の時間やばいですよ。これ逃すと次2時間後です」
 背後から声を掛けられ、振り返ると同時に腕時計を確認する。うん。ほんとだ。やばい。

「ごめん、電車やばいから帰るわ。お疲れさま~。ほらサユキ、ダッシュ!」
「お先に失礼します。お疲れさまでした」
 声を掛けてくれた後輩の腕を引きつつ、誰に向けるでもない挨拶を口にする。

「お疲れ~。明日は頑張ろうね!」
「お疲れ様で~す。明日、応援してます!」
 駅に向かって走り出した私たちに声が投げられる。私たち、というか、主に私に向けての言葉だけど。

「セーフ」
 駆け込み乗車とまでは言わないが余裕でもない乗車を決めた私たちは、立っている人もいるけど座れないこともない車内を見回した。
 4人掛けのボックス席にサラリーマンの中年男性が一人。私は知っている。あのおじさんは次の駅で降りるってこと。よし、あそこにしよう。
 隣の後輩にアイコンタクトをとってボックス席へ向かう。おじさんに目線とジェスチャーで相席の許可を取り、二人ならんでおじさんの向かいの席に座った。

 次の駅までは特に会話もなく、それぞれスマホを眺めていた。予想通りおじさんが降りて行ったのをスマホ越しに見送り、私はおじさんが座っていた席の隣に座り直す。ボックス席で交互に向かい合わせで座るのが、個人的に一番ゆったりした電車のポジションだと思う。さっきの駅で大分人も減ったし、許されるでしょ。

「いよいよ明日だねえ。私はお留守番だけど、リサちゃん、頑張ってね。寝坊しちゃダメだよ」
 後輩から幼馴染にコンバートしたサユキは、早速スマホをしまい、部活の話題を再開した。

「寝坊はしないよ、多分...」
 正直、私は試合より集合時間に間に合うかが心配だ。この幼馴染には何度も時間との熾烈な戦い、もとい醜態をさらしているから、的確な警告といえる。

「来年は私も全国大会に出たいなあ。私、大会前の『頑張って』『頑張ろうね』感が好きなんだよね。なんかすごく青春っぽくない?」
 しまいかけていたスマホが手に食い込んだ。私、何で今動揺したんだろ?
「私は、あんまりあの雰囲気好きじゃないかな」

「何で? 帰るタイミングが掴みにくいから?」
 何でさっきからサユキは図星ばかりついてくるんだ。あ、幼馴染だからか。
「それもあるけど......。なんていったらいいのかな。ほら、よくいうでしょ? 『頑張れ』は、もっと努力しろって意味にもとれるって」
 自分で図星を指されたと思ったけど、口はよくわからないことを続けていく。私、何が言いたいんだ?

「日本語って難しいねえ。みんなそんなに意地悪じゃないと思うけど。ただ、そういう場面で使う『応援してるよ』ってニュアンスの挨拶なんだよ。朝、おはようっていうのと一緒じゃない?」
 それは分かってる。みんな応援してくれてるのは分かるんだけど。
「私、なんだかんだ緊張してるのかな。だから変に斜に構えた捉え方してしまうのかも」

「いや、それはリサちゃんが中二病を患ってるからじゃない? リサちゃん、無自覚っぽいけどたまに浸ってるなあって思うことあるよ」
 それは初耳なんだが。え、私って中二病なの?
「まあ、でもリサちゃんの言ってることもなんとなく分かるよ」
「後輩としては、純粋に『応援してまーす』って意味だと思うけど、メンバーじゃない三年生は、『私を差し置いてメンバーになったんだから、死ぬ気で勝ち上がりやがれ』って感じもあるのかも」
 サユキの三年生のイメージが凄い。そんなに尖ってみえるのか?
「それで、メンバー同士の『頑張ろうね』は、一緒に試合に臨むから、それこそ挨拶のニュアンスが強いのかな。と、サユキは考察してみたのですが、どうでしょう?」

 うん、そうね。そういうことなのかも。
「うん、そうね。そういうことなのかも」
 何の捻りもなく思ったことがそのまま口から零れた。

 よく分からない話をしているうちに、最寄り駅の一駅前まで帰ってきていた。かなり人が少なくなった車内から更に人が下りて、乗車してきた人はもっと少なかった。
 そして電車はダイヤ通りに最寄り駅へと向かっていく。
 私たちの話もなんとなく途切れてしまった。だから、到着駅と乗り換えのアナウンスが流れ始めた時、サユキが突然しゃべり始めたのを、危うく聞き逃す所だった。

「まあ、『頑張って』って言われるのもリサちゃんなら、試合に出るのもリサちゃんなんだから、好きに解釈したらいいんじゃないかな。言葉なんて、結局受け取り手次第なんだから」
 電車が止まる。ドアが開くプシュッという音。
 立ち上がり、一番近いドアに向かうサユキ。

「じゃあ、リサちゃん。『頑張ってね』」

 サユキはドアが開くと同時にこちらを振り返り、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら降りていった。


 うん。とっても格好良かったけど、私もここで降りるんだよね。なんなら駅から家の方向も一緒だし、仲良く徒歩なんだが? ......中二病はどっちだか。

「...はあ、...まあ、頑張ろうか......」
「はあ......」

 ワタシは独り、自室でため息をついた。部活が終わったら本格的に受験勉強を始める。そう家族と約束した。
 全国大会のメンバーに選ばれなければ、三年生はそこで引退だ。だからワタシは今日まで、具体的には選抜メンバーの発表兼引退から全国大会の壮行会まで、まだ練習に励む同級生を尻目に塾通いを続けてきた。
 
「私たちの分も頑張ってね」
 選抜メンバーにはそう声を掛けた。応援したい気持ちに嘘はない。嘘ではないけれど、鞄に入った?判定の模試が頭にあったのも本当だ。つい最近まで一緒に汗を流したチームメイトが、二年半慣れ親しんだ部室が、ひどく遠くに感じられた。

「今の成績では少し厳しいね。でもまだ時間はある。ここから成績を伸ばして合格した先輩もたくさんいる。しんどいだろうけど、諦めずに頑張ろうね」
「あんた、こんな成績で本当に大丈夫なの? 塾を増やした方がいいのかしら」
「受験勉強なんてのは、ずっとは続かない、苦しいのは今だけだ。それに、みんな通る道なんだから大丈夫だよ。父さんがお前くらいの時だって......」
 先生も、母さんも、父さんも、私を気にかけて応援してくれている。それはとてもありがたい。だけど......。

「おーい。入るぞー」
 こっちが返事もしていないのにずかずかと部屋に踏み込んでくる。兄という存在は、どの家庭でもそうなんだろうか。

「そろそろ晩飯だぞ。勉強もほどほどにして、リビングに来いよ」
 ほどほどに、ね。
「そんなこと言うのは兄さんぐらいだよ。みんなもっと勉強しろって言うのに。言わなくても、圧を感じる」
 兄さん、ごめん。晩御飯に呼びに来ただけなのに、愚痴っちゃって。

 兄さんは一瞬面食らったように立ち止まって、そのままベッドにどかっと腰かけた。誰にことわってワタシのベッドに座ってるんだ。兄という存在はどこの家庭でも(以下略)
「分かるわー。みんな頑張ってるとか、みんな苦しんでるとか、みんな通る道だとか、だろ? みんなとか知らねーよ。自分が、今、現在進行形で辛いんだっての。って、俺は思ってたなあ」
 ハッとした。
 兄さんの言葉は全部今ワタシが掛けられている言葉で。掛けられるたびに引っ掛かっていた言葉だ。

 ああ、なるほど。なんだかわかった気がする。
「そうだよ。みんなが何なんだよ。代わりに勉強してくれんのかよ。ていうか、みんなが辛いからってワタシの辛さには少しも影響しないんだけど。ワタシが今辛いことに変わりねーよ」
 一気に言葉が溢れてきた。兄さんが言ったことと結構被った気がするけど、それがワタシの気持ちなんだから仕方ない。

 兄さんは私が言葉を切ったのを確認して、ベッドからワタシを見上げながら言った。
「まあ、お前が勉強しようがしまいが俺には何の関係もないしな。ほどほどでいいと思うぞ。ただ......」

「合格祝いには、お兄様が寿司に連れて行ってやらんこともない」
 ベッドから立ち上がりながら事もなげに呟いた。
 いや、訂正。平静を装っているけど「俺、いいこと言ってやったぜ」感が滲み出ている。......残念な人だ。

「回らないほう?」
「さすがに回るやつだわ、図々しいな!」

 よし、言質はとったからね。絶対兄さんのサイフでお寿司たらふく食べてやる。


了


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