ごめんねのための物語 七鹿凪々 一、『だいきらい』 「ゆきちゃん、また掃除当番代わってあげたんだね」 「うん、ゆりちゃんは用事あるんだって」 「......他は」 「えっと、ももかちゃんは先生から呼ばれてて、」 「私が聞きたいのはそんなどうでもいいことじゃないよ、ゆきちゃん。掃除当番の四人全員がいないの?」 「そうだよ」 「昨日も、一昨日もゆきちゃんはそう言って一人でやってたよね」 「ね、みんな忙しいんだね」 「そういうことじゃないの! ゆきちゃんはあいつらにいいように使われてるだけなんだよ!」 「......」 「私、昨日も一昨日もそう言ったよね。もうやめよって。誰のためにもならないし、何よりゆきちゃんがかわいそうだって。なんでまだやるの?」 「......」 「答えてよ」 「......あやめちゃんには、関係ないことだよ」 「そう。そうなんだ......話してくれないんだ」 「......」 「邪魔してごめんね、ゆきちゃん」 「......そんなこと、」 「じゃあね」 「ぁ」 「だいきらい」 二、『わからない』 黒猫のものしりは、いつものように街を散歩していた。退屈が嫌いなものしりはおもしろいことをいつも探しているからだ。 ふと、ものしりが駄菓子屋を通りかかると、日陰に人間の女の子が膝を抱えて蹲っていた。 あれは、大松さんのところのゆきちゃんかな、とものしりは検討をつける。毎日この狭い町を歩き回っているものしりにとって、人の顔を見分けることなど造作もないこと。しかし、ものしりはなんでゆきがあんなところにいるのかまではわからない。 これは何かがあったに違いない。と、ものしりは内心喜ぶ。その何かがものしりの退屈を紛らわせてくれるだろうかも知れないからだ。 ものしりははやる心を抑えてヒトに変身した。ものしりは長く生きることで不思議な力を手に入れた変化(へんげ)なのだ。こうしてヒトにも変身できる。 ものしりは懐を確認した。ちょうど百円。今朝自動販売機の下で光っていて気になったものだ。その時はなんだただのお金かと残念に思ったが、今は役に立つとにんまりする。 * 「ほら、食いなよ」 ものしりはゆきにアイスキャンディーを一つ、差し出した。これはものしりがむすびに聞いた人間と仲良くなるための処世術だ。人間には初対面の相手に物を送る習慣があるのだとか。 自分用にも一つ買ったものを頬張ると、かすかな甘みが口内に広がる。 「だれ」 「通りすがりのお姉さん。あなたは?」 「......大松ゆき」 「で、ゆきちゃんはこんなところで何しているの?」 「わかんない」 ものしりは、じっとゆきの顔を見る。悲しんでいるな、と直感で理解したけれど何が原因かはもちろんわからない。 「何があったかは知らないけれど、話くらいなら聞いてあげるよ」 しゃくしゃく、と両者がアイスキャンディーを頬張る音だけが響く。 しばらくして、 「私、どうすればいいかわかんないの」 とゆきが口を開いた。 「みんなにね、嫌われたくないからがんばってみんなの頼み事引き受けてたんだ」 「そしたらね、一番仲の良かったお友達に嫌われちゃった」 「もうわかんないよお......どうすればみんな私を受け入れるの」 ぽろぽろと、ゆきは泣き出した。今まで耐えていたが、喋ったことで堰が切れた。拭っても拭っても涙があふれだして止まらない。 「......」 わからないなあ、とものしりは思った。ものしりにとって嫌われないために行動するということがあり得ないのだ。自分一人で困らない、ものしりはそうやって生きてきた。 そしてまた、ものしりのプライドが少し傷ついた。百年と少し生きたことで、普通の日々を退屈だと思うまで知識や経験を積み、「ものしり」を名乗るまでになったのに、わからないことがある。まだまだ退屈しないことにわくわくするとともに、「わからない」と感じている自分にものしりは少し失望した。意地でもこの子の疑問に付き合って解決して見せる、とものしりは意気込んだ。 三、 神社脇の森。むすびはいつもここに一人でいる。無論巣がここにあるからだが、むすびは静かなここが特に気に入っていた。 そんな静寂を壊す声が一つ。 「むすびさーん、いるー?」 はぁ、とむすびはため息をつく。声だけでものしりが来たとわかったからだ。むすびは別にものしりのことが嫌いではないが、ものしりがここに来るときはいつも何か面倒事も一緒にもってくる。静かに暮らしていたいむすびにとってものしりが持ってくる面倒事は少々騒がしすぎるのだ。 無視しようかとも思ったが、ものしりはむすびを見つけるまでずっとああやって叫ぶ。他の獣たちにも迷惑になるなとむすびは全てを諦めた。 「うるさいぞ、ものしり」 のしのしと声の方へむすびが向かうと、なぜかものしりはヒトに変身していた。 「それ、やめてよね。他の子はいいよ。私大抵の子よりはものしりだから。でもアンタに言われると嫌味にしか聞こえない」 「と、言ってもお前が自称している名に変わりはあるまい。それを呼んで何が悪い」 くく、と喉の奥でむすびは笑う。 「ひっ......狐さんがしゃべった」 むすびはここでようやく、ものしりの横に人間の娘がいることに気が付く。そして、ものしりがわざわざヒトになっている理由も。 「先に教えんか」 「いやあ......忘れてたね」 むすびもものしりと同じ変化だが、突然の訪問だったためむすびは狐の姿のままだ。そして普通、獣は喋らない。 目の前の出来事全てがわからないが、とりあえず自分が今まで経験したことのないことだということを、辛うじてゆきは理解した。 「おぬし、名は」 「へ、あっと......私?」 「他に誰がおる」 「大松ゆき」 「歳は」 「十一」 「儂はむすび、ただの長生きな狐だな」 「た、ただの狐は喋らないと思います......」 「ほう! おもしろいところに目を付ける。たしかにそうだな」 くくく、とむすびはまた笑う。なんだか変な人、いや狐だなとゆきは思った。 「さて、そんな人間とものしりが二人して何事だ?」 「んとね、用があるのは私じゃなくてゆきちゃんの方」 「へえ?」 むすびはゆきをじっと見つめる。ゆきは委縮したが、思い切って 「その、相談したいことがあるんです」 「......とりあえず話してみろ」 面倒かどうかは話を聞いてから決めればよい。ゆきの泣き腫らしたらしい目を見て、むすびは小さくそう呟いた。 * 話をすべて聞いて、ゆきの隣にものしりがいる理由をむすびはなんとなく理解した。 「ものしり、お主また中途半端に人間の悩み事に首を突っ込んだな」 「何さ。悪い?」 「悪いとも。結局解決できず儂のところまで来るのは何度目だ? ええ? しかも今回は連絡なしときた」 「仕方ないじゃん。忘れてたんだから」 むすびのため息交じりの批判から始まり、ものしりが言い訳を重ねる会話はこの二人にとって既に何度もされているお決まりのものだ。むすびは真剣だが、ものしりは適当に流すことにしている。 「そんなことはどうでもいいの! 今はゆきちゃんが悩んでいるんだから、それを手伝ってあげるのが人情ってものでしょーよ」 これを聞き、むすびは確信した。この猫がこの人間の悩み事に首を突っ込んだのは間違いなくいつもの知的好奇心に突き動かされたからだ。恐らくこの人間がどれだけ悩んでいるかなぞあまり意識しておらず、ただこの悩み自体を不思議がっているに違いない。こんなのに絡まれたゆきをむすびは哀れに思った。少し協力してやろうと、むすびは知恵を巡らせる。 * 「......大した問題でもない、か」 「嘘、ほんとむすびさん!」 「うるさい、もう黙っとれものしり」 むすびは改まってゆきを見つめる。 「なあ、大事なものは何だ? 『あやめちゃん』か? それともほかの四人か?」 「......あやめちゃんです」 「ほう。話を聞く限り儂はおぬしがそう考えているとはとても思えなかったが」 「そんなこと、」 「ん? だってそのあやめとやらの忠告は聞かず他の人間の頼み事は聞くんだろう? あやめよりも他の人間に嫌われたくない、いいや、あやめに嫌われるくらいいいやということではないか」 「そんなことない! 私はあやめちゃんにだけは嫌われたくないもん」 「ああもう叫ぶでない。さっさとあやめとやらにそれを伝えてこい」 「......」 「何を大事にするべきかを忘れるな、それだけのことだよ」 「......わかりました」 「よろしい」 * 「あやめちゃん!」 「......ゆきちゃん、何」 「あのね、私、あやめちゃんのことが見えてなかった。人に嫌われるのが怖くて、私を嫌う人がいるってことが怖くて、あやめちゃんが心配してくれているのに無視しちゃってた」 「......」 「人に嫌われるのは怖い。でも、あやめちゃんに嫌われるのはそれよりもっと嫌なの」 「......うん」 「だから、だからね。昨日は」 『ごめんね』
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