おいらがやって来た

あわきしそら


 
 ごおおう。
 びゅおおおう。
 風と雨の大合唱で、光太は目が覚めた。
 このにぎやかな音楽が台風によって指揮されていると気づくと、あわててふとんから跳ね起きる。
「テレビ!」
 そう口にして、光太はテレビのあるリビングへ向かう。
 早朝のリビングには、おばあちゃんがいた。
「光太、早いね」
 そう声をかけるおばあちゃんに、
「ね、警報出てる?」
と尋ねる。
「ああ、出てるよ。ほら、このあたり真っ赤かさ」
 おばあちゃんが、テレビの画面を指さす。
 そこには光太の住んでいる地域の地図が映し出されていて、警報を示す赤色に染まっていた。
「よっしゃ」
 光太はガッツポーズをする。
 警報が出ていたら、小学校はお休みだ。
 学校に行って、椅子にじっと座って授業を聞かなきゃいけない時間が、何もしなくていい時間に変わるなんて。
 風と雨が、自由気ままに「がははは」と笑っているように思える。
 それに、わくわくする理由はそれだけではなかった。
 また、来るかな?
 光太は窓へ近寄って、そのカーテンを半分開く。
 外はまだ薄暗く、大きな雨粒がばしゃばしゃと庭先に降り付けている。
 空を見上げると、灰色の粘土のみたいな雲がうねりを上げて広がっていた。
「台風、早く行ってくれるといいけどねぇ」
 おばあちゃんが隣にやってきて、つぶやく。
「うん。まあ、そうだね」
「学校休みだからって、あんまし浮かれちゃおられんよ」
 光太は、いつもと違う空を眺めながら、「はーい」と生返事をする。


 それは、お昼過ぎにやって来た。
 昼ご飯のチャーハンを食べ終わって、部屋でゲーム機をいじっていた時だ。
 突然、風と雨の大合唱が止まった。
 外を見ると、さっきまで降っていた雨が止んで、庭木を揺らしていた風も穏やかになっている。
 あいつが来たんだ。
 光太はゲーム機を置いて、家の外へ飛び出した。
 庭先に立って、頭上を見上げる。
 すると、不思議なことに空は、光太の家の上だけ、丸くくり抜かれたように青かった。
 「台風の目」と呼ぶらしい。
 光太は、そのぽっかり現れた青空に向かって、
「おーーーい」
と叫ぶ。
「たーいーふーーーのーめーー」
 光太の呼び声が、青空に吸い込まれる。
 次の瞬間、丸い空の真ん中がこぶのように盛り上がった。青色のこぶは、ちょうど閉じたまぶたみたいな形をしている。
 ゆっくりと、空のまぶたが開く。
「誰だ誰だ、おいらを呼ぶのは」
 空に真っ黒な瞳が現れた。
 瞳だけのそいつは、雨風に似た声で問いかける。
「おーれーー」
「うお、ちっちゃな人間の子だな」
 台風の目が、視線を光太の方へ向ける。
「ちーさーくなーいーー」
「ごめんごめん。おいらからすると、何でも小さく見えるからさ」
 それもそうだ。
 台風なんだから。
「俺って言うけど、お前は誰なんだ?」
 台風の目が尋ねる。
「こーーたー」
「こーた? 聞いたことないな」
「ずーーっとーまーえー、あっーたーーー」
 光太は、その時のことを思い返す。
 三年くらい前のこと。
 今日みたいな台風の日だった。
 急に雨が止んだのを変に思って外へ出たら、偶然にも台風の目が開いているのを目にした。
 それは、不思議な体験だった。まるで、宇宙の真っ暗闇がこちらを覗いているような、そんな心地がした。
「それは、別の台風かもしれないな」
 台風の目が少し考えて、そう答える。
 その瞳も、宇宙を映しているみたいだった。
 光太の心臓は縮こまるよりも、わくわくして跳ねる。
「いーろーんーな、たーいーふーーがーー、いーるーのー?」
「ああ、そうさ。おいらたちは南の海で生まれて、それからあっちこっち旅をして、だんだんと小さくなって、水に帰るんだ。そして、また台風として生まれる」
 光太は、台風が生まれるところ、旅をするところを想像する。
 旅をしている時は、時々目を開いて、下の様子を伺っているんだろうか。
「あんたの出会った台風を見つけたら、あんたのことをまた伝えておくよ」
 台風の目が、目をつぶる。
 いや、ウィンクかな?
「うんーーー」
 光太は笑顔で応える。
「じゃ、そろそろおいらは行くよ」
 台風の目が、ゆっくりと閉じられる。
 光太が手を振る間に、空は平らに戻っていった。
 それから、激しい雨と風が再び、光太と光太の家を直撃する。台風の目が過ぎ去ったからだ。
「うわあああ」
 光太はあわてて家の中へ入る。
 リビングにいたおばあちゃんが、濡れている光太を見て、
「何してたの」
と驚く。
 だけども、光太は満足そうな顔で「べつにー」と答えた。




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