Forest

あいかわあいか



【〇】
Target distance, 7miles.
Correct track indicator minus 7.
GPI acceleration factor set.

「なあ、イェソド。日曜日の夜、あと少しで帰還できるときに出動たぁついてねぇな。誰だか知らねえがこんな時間に死手の信号ちやがって。この位置じゃ帰るのは朝三時か。オレは明日の朝八時から図書館の総会に出席しないけねぇんだぞ」
「もうマルクトちゃん。そんなこと言わない。
 ちゃんと助けてあげよ? 帰りの操縦は私がやっておくから、仕事終わったらマルクトちゃんは機体後方でゆっくり寝てくれていいわよ」
「......わかったよ」

Target distance, 6miles.
Pulse ident transponder active.
Arming alignment factor to zero mode.

4 miles.
Auto CDC into manual Teleflex link.

「まったく、毎度のことだが一面触手しかねえな。基地から一二〇キロ近く離れているがよくもまあ、こんな遠くまで来たもんだよ。誰だか知らねえが。ちゃんと生還できなきゃ意味ねえぞ」
「そうねぇ。私も基地からここまで離れるのは初めて」
「  まあ何にせよ、オレたちは仕事をして帰るだけだ。イェソド。準備しろよ」
「ええ。もちろん」

Target distance, 3miles.
Target in sight.

「目的地の浄化を開始する」

【一】
   かつて、森があった。

 びちゃびちゃと薄桃色の媚毒をまき散らしながら触手の群れが迫る。陸に打ち上げられた魚のように暴れながら、変形を繰り返しながら、赤褐色の肉の群れが向かってくる。彼らに岩場を這う蛇のような淑やかさはない、ただ物量と劇毒を頼りに  しかし確実に獲物を捕えるため距離を詰めにくる。捕まったらかつての冒険者たちと仲良く孕み袋だ。
 わたしは振り返ることなく、背中合わせに立つ水色の髪の少女に向かい呟いた。
「ネツァク  うしろは任せた」
背後の少女はわたしの言葉に嬉しそうに口元を歪めると、自信満々の口ぶりで返した。
「もちろん、ティファレトさんこそ!」

 言葉が終わるのを待つことなく、触手の群れはどっと雪崩をうってわたしたちに迫った。やらねば死ぬよりもひどいことになる。少しの興奮と、胸の内から膨れるストレスに奥歯を噛み締めた。だらりと地におろしていた大鉈をもつ右手にぐっと力をこめる。
「持って行け[収穫者(harvester)]」
 重量二〇キログラムもある大鉈の柄にはカミソリの刃が仕込んである。わたしはそこに手のひらを押し当てて、すっと母指球の肉に刃を走らせる。ぱっくりと肉が切り開かれ、わずかに血がにじむ。それと同時に鉈の侵食が始まった。ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。触手の媚毒をもろに食らったときのような動機がした。右腕が痒い。そう思った次の瞬間、右腕の肌の裏側を何本もの細い管が遡上していった。寒気。全身が総毛立つ。
 ふと、大鉈が軽くなった。二〇キログラムの大鉈がまるで食器のナイフを持つかのように軽くなった。ちらりと見ると、わたしの右腕は何本もの触手を束ねたようにボコリと膨れ上がっていた。右腕の表面から染み出した赤褐色の媚毒がぽたりぽたりと地面にしみ落ちる。
  [収穫者(harvestor)]  、特殊生命工学の第一人者であるミヤモリ博士謹製の甲種兵装。人為的に触手を体内に埋め込ませ、爆発的に身体能力を現代の兵器である。
 まさしく毒を以って毒を制すの思想である。なるほど、わたしの父と母は触手に殺され、旧友はこの森のどこかで触手どもの孵卵器となっている。恨みがないかと言われれば嘘になる。しかし    。
 迫ってきた赤黒の肉塊を、振り下ろしとともに軽々と両断する。切れ味のいい包丁で鶏肉を捌くようだ。肉を断ち切る衝撃が森に響く。間髪いれずに[収穫者(harvester)]で触手の群れを横一文字に両断する。断面から赤黒い血が噴き出した。ああ、楽しい! わたしは気づけば自分が返り血を浴びながら口元をひどく歪ませていることに気づく。この武器を持つといつもこうなってしまうのだ。後々自己嫌悪に苛まれることを知っていたとしても、この感情はどうしても否定できなかった。
 一本の触手がドウと死角から迫る。「甘いね」と、視線を向けることもなく軽々と切り裂いた。絶対的な上位者として他者を蹂躙する感覚に生を実感する。
 左右から次々と迫る触手はすべて止まっているように見える。右の触手は鉈を振るって片づけ、左の触手はいったんガントレットで受け止めてから、返す刀で両断する。事実として触手の群れは段々と動きを鈍くしていた。
   触手の先端には『爪』がついている。原液の滴るそれにわずかでも掠れば媚毒は体内に侵入し廃人となる他はない。[収穫者(harvester)]の刃も同様だ。むしろ触手の媚毒を何倍にも濃縮された劇毒となっている。たとえ触手であったとしてもその媚毒には耐えられない。毒は触手全体に回り、その肉体を腐らせる。極太の触手が高速で真上から振り下ろされる。......おそらくこれが最後の抵抗だろう。わたしがそれを軽いステップで避けて、ざっくりと刃で切り裂けば、触手の群れはビクリと震えて二度と動かなくなった。
「どうだいネツァク。こちらは大丈夫そう」
「こっちもねー」
 彼女は両腕で[平和執行機(peacemaker)]と呼ばれる戦槌を握っている。ハンマーには媚毒と赤黒い血がべっとりとこべりついていた。

 触手との戦闘より数分が過ぎた。[収穫者(harvester)]の侵食を一時解除して、ネツァクが[平和執行機(peacemaker)]で撲殺した触手の死体の傍らにある岩場に二人腰掛け休憩する。触手にはテリトリーがあるらしく、土地の主である触手を殺してから七二時間程度はその場所でほかの触手に襲われることはないのだ。二人して触手の血をぬぐい、媚毒中和剤を左腕に注射する。注射痕の数を数えるのはもうやめた。打った直後の寒気にももう慣れた。伐採者(ぼうけんしゃ)として生きるというのはそういうことだからだ。父も母も、祖先たちもそうしてきたのだから今更わがままを言うつもりはない。
 かつて、わたしには親友がいた。彼女とは一二歳くらいまで一緒に遊んでいた。しかしある日、触手の芳香に吸い寄せられて、ふらふらと森の奥へと消えてしまった。この世界では珍しくもない出来事だった。しかし私にとっては世界がひっくり返る出来事だった。そして今も世界はひっくり返ったままだ。今も彼女はこの触手の森のどこかで、肉体を肉の牢獄に捕らわれて助けを求めている。......どうにかして、彼女を助けて(ころして)やることはできないだろうか。 それが今のわたしを動かす原動力だった。
 わたしはちらりとネツァクの方を見つめた。ふわふわとしたセミロングの水色の髪、透明感のある白い肌、身長一五〇センチメートルくらいの小柄な少女。のんびりとした性格で、いつもにこにことしていて何を考えているのかよくわからない。わたしはネツァクが感情に捕らわれている姿を見たことがなかった。
 まあ、それもそうだろう。ネツァクは図書館の司書にして[端末]だ。  かつて彼女は特殊生命工学の第一人者であり図書館司書として働いていた。触手の森の拡大に対抗するにあたって、人間の限界を感じた彼女は自らの遺伝子情報を管理する触手にコードするに至った。そして、触手が人間の女を苗床にしてその胎を借りて触手を出産させるように、自らを苗床にして新しいネツァクのクローン体を出産し続ける仕組みを作成するに至ったのだ。現在図書館には二三体のネツァクが稼働しており、いま傍らにいるネツァクは末娘らしい。これらのシステムが形成されたのは百年以上も前の事と聞いた。
 わたしはネツァクたちのことを狂人だと思う。しかし、そこまでの手段をとらなければ触手の森に対抗することはできなかったのである。事実、図書館にはネツァクよりもよっぽど人間性を失った怪物がたくさんいる。しかし彼らを非難する権利は誰にもない。なぜなら、彼らがいなければ人類はあっさりと滅亡していたに違いないからだ。
 ネツァクはわたしの視線に不思議そうに首を傾げると、「ねーねー、ティファレトさんー」と声をかけた。彼女はネツァクとして生み出されてから一四年となる。知識は投射(コード)され、恐怖心が遺伝子レベルで抑制されているとはいえ、身体のつくりや精神の状況は年齢相応であった。いつもネツァクがわたしに飼い猫のようにすり寄ってくるのも、無意識のものであろう。
「ティファレトさん、ティファレトさん」
「どうしたの?」
「触手林(ノイマン・フォレスト)の随分と深くまで来ましたねぇ。基地からざっと一二〇キロメートルになりますけど、わたしたち帰れるんですかねぇー」
「地図作成の仕事なんだからそんなものよ。図書館司書(ライブラリアン)のあなたの方が詳しいんじゃないの?」
「そうですねー、うーん、ここで一泊してすぐ引き返せば生存率は七割といったところでしょうねー」
「思ったより高くて安心したわ」
「もう、あなたはちゃんと生きて帰るんですよー。ティファレトさん」
「別にわたしが死んでも悲しむ人はいないでしょう?」
「そんなことはないですよ! 少なくともネツァクたちは悲しみますよ!」

 この世界には触手の森があった。ノイマン・フォレストと呼ばれるそれがいつから生まれたのかはよくわからない。触手の森はこの世界を侵食する。かつてあった新緑をその触手で絞め殺しながらじわじわと拡大を続けている。触手の森の拡大を止めなくては、やがてこの世界は海以外のすべてが肉の触手に覆いつくされることになるだろう。
 そして、触手は男を殺し、あらゆる生物の牝個体を触手の孵卵器として触手の体内に収容する。他の生物の胎に触手の卵を寄生させ、胎を借りて新たな触手を出産させる。どのようにして彼らは生まれ、そしてこのような習性を身に着けたのかは誰も知らない。しかし確実なのは、  人類が生き残るためにはあらゆる手段を用いて、ノイマン・フォレストを崩壊させる以外にないということだった。この第六触手林も年々拡大を続けている。わたしたちのような伐採者が頑張っているが、焼け石に水と言ったところで限界は近いだろう。
 実は、触手林を滅ぼす方法はただ一つだけ存在する。それは、触手林の奥深くに存在すると言われているコアを破壊することだった。コアは悪蓑や大牧場と呼ばれており、触手林を維持するためのエネルギープラントとして機能する。そして地下茎を通じてエネルギーを森全体へと供給する。コアを破壊すれば触手林はそのエネルギー経済の中心を失い急速に弱体化するのだ。世界にはかつて一二の触手の森があったが、第四触手林はコアの特定・破壊が成功したことによって消滅させることに成功している。ゆえに現在世界には一一の触手林しかない。わたしの人生の目標は、この第六触手林のコアを特定し、破壊することだった。
 わたしは傍らでにこにこと微笑みながら、こちらを眺めるネツァクのほうをぎょろりと向いて質問を投げた。
「ねえ、ネツァク」
「はい! どうかしました?」
「あなた、何を企んでいるのかしら? この依頼も昨日今日のあなたも、絶対おかしいわよ」
 わたしの言葉にネツァクはさも嬉しそうに頷いた。
「なるほど! たしかに企んでいることはありますよ。聞かれたら答えてあげますけどね」
「じゃあ聞くわ」
「ティファレトさんは、自分が図書館でネツァクとはじめて喋った時のことを覚えていますか? ネツァクはティファレトさんの願いを必ず叶えて差し上げるとお約束しました」
「あてにはしていなかったけれどね」
「しかしお役に立てるかもしれないと思い、ティファレトさんを森の奥へご招待させて頂きました! 図書館の監視があるといけませんので」
 そう言ってティファレトは嬉しそうに、人差し指を唇にあてて、しーっとジェスチャーした。
「ここなら通信も届きませんからね!」
「つまり............図書館は、この第六触手林(ノイマン・フォレスト)のコアの場所に目星をつけているのかしら?」
「うーん、ティファレトさんの権限(クリアランス)だとその情報は開示できませんね」
「そうなの? どうしてもだめ?」
「いいえ! いまは図書館の端末との常時通信は切れているのでこっそり教えてあげます! 図書館にばれたら首が飛びます。実は、現在の地点からさらに二〇キロメートル進行した地点に、怪しいポイントがあるんですよね。そこがコアだって図書館のえらい人たちが言ってました! 内緒ですよ!」
「そうなの?」
「ネツァクは記憶力だけはいいので」
「何でいままで言わなかったの?」
「えらいひとが言っちゃダメと言ってたので準備に時間がかかりました! ......それにティファレトさんは献身的な性格なので躊躇しました」
 わたしはその言葉にやや逡巡しながら、ちらりとネツァクの方を見た。彼女はいつものようににこにこと微笑んでいた。
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよー。ティファレトさんは優しいですからね。今まで触手の森に捕らわれた女性たち、殺された男たちのことを思って  。今からでもコアを破壊するために向かってしまうじゃないですか」
 たしかにわたしは言葉を聞いて今日が死ぬ日なのだと確信していた。そのように計画されていたのだと思うしかなかった。脳裏にかつての旧友の声がよぎるのだ。救わねばならないと。わたしは高揚する心臓を抑えながらネツァクに尋ねた。
「案内をお願いしてもいいかしら? コアまで」
「言うと思いましたよ」
「お願い。わたしはあの子を助けないといけないの」
「おすすめはしませんねー、たしかにティファレトさんは、戦闘力だけなら図書館でも有数です。古今無双です。コアまではきっと辿り着けるでしょうね。それでもダメです。コアの守りは固いですから。きっとティファレトさんは死にます。もしくは死ぬよりもひどいことになります。ネツァクも死にます。それはいやですねえ」
「じゃあどうしてわたしに死手装置なんて取り付けたのよ。......はじめから今回の依頼は変だと思っていたもの。地図作成の依頼ならもっと適任役がいるものだし、図書館の航空部隊に任せた方が確実でしょう?」
「ええ。その通りですね。ネツァクが手配しました」
「なるほど? 合点がいったわ。図書館は初めからわたしとネツァクをコアに向かわせて、装備させた死手装置を用いてコアを爆撃するつもりだったのね。ひとりでもそこそこに戦えて、喜んで死地に向かうからわたしに白羽の矢がたったのでしょう? 癪だけれどこの計画、飲んであげようかしら」
 言葉を聞いてネツァクは「ちがいますよー」と首を振った。そして嬉しそうに続けた。
「いいえ違いますよ! 死手装置をつけたのは図書館ではありません。このネツァクです。独断です」
「あなたが?」
「そもそもティファレトさんは、コアがどういうものか知っていますか?」
「大量の人間が囚われてエネルギーを生成するための牧場が形成されていると聞いたわ」
「間違いではありません。けれど違います。それはあくまでも外延部です。
 いいですか? コアの中心には八枚の巨大な石板が円形に並んでいるんです。そして中心部には紫色の水晶のようなものが存在しているんですよ。ところで、ティファレトさんは、エネルギー保存則という言葉をご存知ですか?」
「馬鹿にしているの?」
「いいえ。けれど冷静に考えてもみてください。この膨大な触手の群れを動かすのに、まさかえっちなことする精神エネルギーなんてものだけで足りるわけがありませんよ。
 コアというのはですね。結局異世界か宇宙かは知りませんが遥か遠くからエネルギーを持ってくるポータルであり、そのエネルギー森全体に供給する力場形成装置なんですよ。重力波を調べてやることでかんたんに観測が可能なんです。
 実は図書館はコアの場所を既にすべて特定しているのですよ? それに、実は上空からの爆撃を本気で行うことでコアを安全に破壊することは可能なのです。おそらくとても繊細な機械なんですね。ローマに位置した第四触手林がコアを破壊されて消滅したことはご存知ですね? あれは、表向きには大討伐隊を編成したことにしていますが大嘘です。本当は上空からの核兵器投下によって破壊しました。破壊できてしまいました。もうお分かりですよね? 図書館はコアを破壊することが可能にもかかわらず、あえてそのまま放置しているのです。
 仮にですよ? もし触手の森が破壊されたらどうなりますか? 図書館は存在する理由を失いますね。そして世界の名だたる十の軍事企業も同様です。彼らが触手の森を攻撃するために有していた戦略爆撃機や核兵器はどうなりますか? その矛先はどこへ向かいますか? 科学総裁政府や帝国は彼らを無視しますか? 戦争になります。もしかするとこの世が終わるかもしれません。だから図書館は、自分たちが確実に戦争を生き延びる確信を得るまでコアを破壊せず保持し続けるのです。
 だから図書館は自ら決してコアを爆撃することはありません。
 あー、ぜんぶしゃべったら楽になりました! ......というわけで、ティファレトさん。一緒に逃げましょう」
「どうして?」
「ネツァクがどうしてあなたにこのことをしゃべったのか分かりますか? それはですね、ティファレトさん。あなたは図書館の長老どもに疎まれているからです。そして遠くない未来殺されるからですよ。ネツァクも同じです。世界の秘密を喋ってしまったので帰ったら首ちょんぱです。ねえ、だからティファレトさん。一緒に逃避行しませんか。すべて忘れて一緒に新天地で暮らしましょうよ。
 ......ティファレトさん。ティファレトさんは死ぬのが怖いですか? 怖くはありませんか?」
「怖いわよ」
「へへ、安心しました。ネツァクも同じです。コアに向かえば間違いなくネツァクも死にます。確かにネツァクは生き返ります。この端末が活動を停止すればネツァクも再生産されます。群体とはそういうものです。しかしそんなネツァクでも死にたいとは思いませんね。
   いまティファレトさんには二つ選択肢があります。一つは、ネツァクと一緒に逃げることです。ネツァクがかならずあなたを幸せにしますよ。そして二つは、ネツァクが道案内をして二人でコアへ向かい[死手]によって爆撃を要請しコアを破壊してしまうことです。二つ目については、たしかにネツァクが準備いたしました。しかしネツァクとしては触手の森を破壊することにティファレトさんが死ぬほどの価値があるとは思えないのです。だからやめてほしいなあとは思います」

 わたしは彼女の言葉を聞いて、なるほどと頷いた。問われるまでもなく、返事は決まっていた。
「それでも、わたしはコアに行きたい」
「はい」
「わたしの父も母も祖先たちも、この森に挑んで散っていった。きっとわたしもどうせそうなる運命よ。それが今日ってだけ。わたしはそのために生まれてきた」
「そうですか」
「うん。わたしはね、何が正しいのかはわからないけれど、触手の森に苦しんでいる人をたくさん知っている。この選択で多くの人が死ぬのかもしれないということはわかる。ネツァク。あなたを見捨てて殺すことになる。けれど、わたしはこの森を滅ぼすためなら何でもする。それがわたしの正義だから」
「......決意は固いですか」
「うん」
 わたしはやや逡巡し、しかしきっと覚悟を決めると彼女にひどいことを言った。
「ねえ、ネツァク。わたしのために死んでくれない?」
ネツァクはその言葉を聞いてすこしキョトンとした。そして口元を歪めて笑い出した。本当に面白そうに。
「はは、あははは、  ティファレトさんは悪い人ですねぇ。ネツァクはこれでも死ぬのが怖いんですよ? 死にたくないと思って震えているんですよ? ネツァクは一四歳です。未来も希望もあるのに、あなたのために死ねというのですか? ティファレトさん?」
「......わかったわ。ごめんなさい。莫迦なことを言ったわ。コアはあきらめる。一緒に逃げましょう。それでいいのでしょう?」
 わたしの言葉にネツァクは押し黙った。そして莞爾といつものように微笑んだ。諦念に満ちた笑みだった。
「いいえ。その必要はありません。ネツァクはあなたをこのままコアへと連れていきます。
 ティファレトさんはきっとネツァクを預けてすぐ、コアを探しに向かいます。案内もなく  当てもなくさまよっても死ぬだけですが、それでもあてずっぽうで向かうでしょう。
 ネツァクはあなたに死んでほしいとは思っていません。しかし、一方でネツァクはあなたを触手の森と心中させる可能性を与えるため死手機構を装備させました。なんでかわかりますか?
   ネツァクがコアの話をしたら、ティファレトさんは無駄死にをするため一人でコアへと向かってしまうからです。ネツァクはそれがいやです。ネツァクはティファレトさんのことがすきなので、せめて死ぬなら世界に爪痕を残す死に方をしてほしいです。だからネツァクも死んであげます。最期までティファレトさんが正義に殉じれるように。その死があなたの満足であるように。
   一人で死ぬのは寂しいですよね? ネツァクはあなたと一緒に、きょう死んであげますよ」

【二】
 淫獄。地下の大空洞に広がる触手の海に囚われた私の見た光景は正しくそれだった。あらゆる生命が肉の海に囚われもがいていた。わたしの隣にはネツァクが触手の蓑の中で力なく浮かんでいる。「ティファレトさんが死んだら、ネツァクもすぐ自死機構を起動します」なんて軽く言っていたが、それを律儀にも守っているようだった。
 彼女に背中を任せてコアへ向かう旅路は正直楽しかった。二度とは戻れない旅だとしても。もしかするとわたしはネツァクのことが好きなのかもしれなかった。しかしもはや戻らないことだ。あのとき彼女の申し出を受けていればなどは思わない。そして「ごめんね」とは言わない。そのようなことは言ってくれるなとネツァクに言われたからだ。だから「ありがとう」。かすれた喉で口にした。
 傍には酷使されボロボロに腐食され破壊された[収穫者]と[平和執行機]が仲良く横たわっている。わたし必死に鍛えてきた腕も足も完全に破壊されて、もはや武器を持つことは叶わないだろう。今まで培ってきたものも、こうなってしまえばすべて過去だ。媚毒が身体を犯し、視界がチカチカする。  しかし辿り着いたのだ。朧げな視界の向こうには円形に並べられた八枚の石板と紫色の水晶が見える。あとはこの地下空間に爆撃がなされれば触手の森はもう終わりなのだ。

[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]

 無機質な警告音声が脳に響く。どうやらわたしが死ぬ時間がきたようだった。

[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値に達しつつあります]
[媚毒浸透率が閾値を超過しました]
[死手機構起動準備中]
[死手機構起動準備中]
[しばらくお待ちください]
[こんにちは。死手機構が起動しました。ナビゲーターを担当させて頂きます。セフィラと申します]
[死手機構は同意なくして起動することはございません。中断を希望される場合は説明書記載の緊急停止動作を実行してください。期限は一〇〇秒です]
[所定時間が経過しました。死手を発動します]
[順次、ペントタールナトリウム、臭化パンクロニウム、塩化カリウム注射を実施します]
[ご利用いただきありがとうございました]
[ティファレト様、お休みなさいませ]
[速やかに死手地点へ浄化爆撃を開始します]

【三】
「ごめんなさいね。ティファレト」
 ネツァクは粘液の海に沈んでいくティファレトの亡骸を見つめながら小さく呟いた。大好きだったティファレトは死んだ。ネツァク(わたし)が殺したのだ。
 カチ、カチ、カチと奥歯を三回噛みしめた。[自死機構を起動しました][解除を希望する際は一〇〇秒以内に緊急停止動作入力をお願いします]と無機質なアナウンスメントが脳内に響いた。
「好きでしたよ。あなたのことが。そしてあなたと生きた時間は楽しかったですよ。ティファレトさん」
 もし仮に死後の世界があったとして、ネツァクはきっと地獄行きだろう。だからこれは永訣だ。二度と会うことはない。
「ネツァクは悪人に御座います。ティファレトさん。
   ネツァクはあなたと一緒に心中したいがために、それをあなたの正義感に仮託させ、あなたをこの触手の海で死に至らしめたのですから」

 ティファレトは誰よりも熱心で、強く、それでいて優しかった。順調に武功をたてていく彼女の正義は遠くない未来、きっと自分の保身しか考えない図書館の長老たちと衝突するだろう。
 間違いなく断言できる。ティファレトがまともな最期を迎えることは決してない。
 そしてネツァクもまた、群体の一端末として消費され死ぬ運命にある。ネツァクたちの平均寿命は二一歳だ。ネツァクもまた運よく今まで生き延びてきたが、そう長生きはできないか、孕み袋として森の肥やしだ。
 だから思ってしまった。どうせ短い人生だ。二人仲良くこのコアと共に心中できればきっと楽しいと。
「......だからって許してくれとはいいませんよ。結局のネツァクは大好きなあなたが、最後まで正義に殉じて、ネツァクの大好きな姿で死んでほしいと思っただけなんです。  ネツァクは自らの正義のために死ぬあなたと一緒に死にたかったのです」
 ティファレトは自らが生き残る選択を決してを選ばなかっただろう。それがティファレトにとっての正義だからだ。ネツァクは彼女が死ぬことをわかっていながらすべての準備を整えたのだった。
「それではさようなら。
     好きでしたよ。ティファレト」


【四】
「こちらネツァク。こちらネツァク。マルクト・イェソド聞こえますか?」
「聞こえるぞネツァク。マルクトだ。これはどういうことだ? オレとイェソドは死手地点に浄化爆撃を行った。したらどうだ? 甲種兵装がまったく動かなくなっちまったんだ。これはつまり、......そういうことなのか?」
「はい。こちらでもコアの破壊を確認しました。あなたがたが爆撃によって破壊したのです」
「へえそうかい、オレたち大金星じゃないか」
「......誠に申し訳ございません」
「なぜ謝る?」
「うちの末娘(ネツァク)が独断でコアへの死手爆撃を要請しました」
「は?」
「基地に帰還すればあなた方は処刑されるでしょう。ネツァクたちも母上(ネツァク)とともにドロンします。あなた方におかれましても、姿をお隠しになることをお勧めいたします。重慶の飛行場へ着陸を強行していただけましたら、保護可能です。大変申し訳ありませんでした。よろしくお願い申し上げます」
「おい待てよ......」
「こちらもヤバいので失礼申し上げます」
「あ............」
 マルクトは通信の切れた無線機を片手に持ったまま、ちらりとイェソドの方を向いた。彼女はにこにことした表情のまま口を切った。
「ねえ、マルクトちゃん」
「んだよ」
「行こうか。重慶」
 マルクトはイェソドの言葉に「ん」と小さく答えて、爆撃機の航路設定をはじめることにした。
「ねえマルクトちゃん。なんだかうれしそう」
「そうでもないぞ。胃が痛い。胃薬を持ってきてくれ」
「はいはい」
「まあ    あのクソガキに嵌められたのはムカつくが、あのクソ野郎どもに一泡吹かせれたと思うと嫌な気はしねえよな」


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