雑文集

白内十色



危険屋さん

 危険屋さんは大きな紙のロールを担いでいます。危ないよと人に示すための紙です。紙には黄色と黒の縞模様が斜めに描いてあり、裏面はシールのように貼り付けられるようになっています。
 危険屋さんは街を歩きます。水色の作業着に黄色のヘルメットをかぶっています。危険屋さんは街で人が「怖いな」と思うようなところを見つけたら、そこで足を止めます。  
 例えば、車の曲がり角の先にある角ばった柱であったり、ちょっと天井の低いトンネルであったりです。危険屋さんは担いでいる紙を地面に下ろして黄色と黒の紙を引き出します。たいそう大きな紙ですから、ロールの方をころころと転がして必要な分を取り出します。柱には目に留まる高さに紙を貼り付けて、ここに柱があるよと教えます。トンネルには上の方に黄色と黒を配置して、車高制限の表示も取りつけます。
 危険屋さんは夜中に活動します。人をあまり怖がらせたくないからです。危険屋さんが危険の紙を貼っているのを人が見かけると、「ああ、ここは危険なのだな」と思うでしょう。危険屋さんは、危険は気付かないままでもいいと思っています。街中にひっそりと貼られている黄色と黒を人が見て、そっとそこから距離をとる。気付かないけれど伝わっている、それだけのことで充分なのです。
 危険屋さんは今日もどこかの街にいます。黄色と黒の斜めのしるしが危険屋さんの足跡です。大きな紙を担いで今日もどこかを歩いています。なにも増えたりはしないけれど、ちょっとだけそこは怖くない。危険屋さんはそんな街を作っています。

紙幣の話

「それは私の息子たちがそれぞれ十と十二のころ。春の日だったと記憶している。子供には月の始めに五千円ずつを与える決まりでね、しかしその日はちょうど一万円札しか私の財布には入っていなかった。上の子はその時買いたいものがあったようで、私が小遣いの日を先送りにしようとすると、強く反対した。それで、一万円札を半分にしたものでいいからおくれと言うんだ。そうしてその月彼らの手元には、半分にされた紙切れが渡ることになった。上の子は賢い子供で、半分になった紙幣は銀行に持っていくと書いてある半額の値段のお金に引き換えてくれることを知っていた。私から紙を受け取ったその足で銀行に行き、文具やら何やらを買ったそうだ。下の子はそんなことは知らないから、半分のお札を折りたたんで、小さな紙飛行機にして橋から飛ばした。五千円分の紙飛行機だ。彼はその後三度寝て三度起き、思い立って一枚の絵を描いた。種を飛ばす蒲公英の絵だ。これがたいそう出来が良く、市のコンクールで大賞をとった」

ゼロの目

「あなたは何が怖いかしら?」
 彼女は急にそう言いだした。彼女のことはよく知っているつもりだったが、その日はどうも様子が違う。私の知らないものを見ている顔だ。
「特に」と答えると「そう」と言う。
「私はね、ゼロの目が怖い」
 ゼロかい、と聞くと彼女は少し目をつむる。ゆっくりとした呼吸だが、今日は少し意識的な呼吸のようだ。
「人はね、生きているうちで何回もサイコロを振るの。一秒ごと、出来事それぞれに、大きなものや小さなものまで沢山振るの。一が出る時もあれば六の時もある。その目をしっかり見て生きていかないといけない。時には投げたサイコロが全部一だったりする」
「最低値かい。六分の一がエヌ回続くことだから、無くすことはできない」
「そう、大失敗。でもね、いつか来るわ。仕方ない。私だって何回も経験してきたし、それに対して対処してきた。けど、ゼロはそれとは違う」
「サイコロにゼロなんてないじゃないか」
「あるわ。いつか、必ず。私たちは、何万回もサイコロを振るの。なんども、なんども。時にはバケツ一杯のサイコロに手を出さないといけないときもある。ゼロの目が出ないなんて、言い切れる?」
 少し上を見つめて悲しい目をする。
「出したのかい」
「出たわ」
 私は私の前に、彼女にほかの彼氏が居たことを知っている。現在は何とも思っていないと言っているが、彼女にはその時の記憶が残っている。私はその時のことを何も知らない。今の彼女のことに関係があるかも分からない。
「三回続けてゼロの目が出るとね」
「出ると?」
「サヨウナラ。サヨウナラよ」
 彼女は震えている。こんな時の正解はそっと抱きしめることだと私は知っている。知っているはずなのに身体が動かない。心を振り絞って彼女に触れ、優しく手を回す。彼女の身体がこわばってゆく。どこかでサイコロが振られる音がする。
 
拳銃のための

 あるところに泣いている子供がいるとします。世の中の理不尽さに打ちひしがれ、前を見ても希望をそこに見出すことが難しくなってしまったような、そんな子供です。
 そこに旅人が現れて、子供に一丁の拳銃を渡します。日本では御法度、アメリカでも子供が拳銃を持つことは簡単にできることではないでしょう。ともあれ、それは拳銃です。
 別に拳銃である必要はないのです。それは例えば空から降ってくるマッコウクジラでも、道の角からこんにちはと声をかけてくるエイリアンでも、何でもよいのです。子供が得たのは、ただの金属の塊であるだけではなく、ひとかけらの奇跡でした。苦しいまま停滞した日常に新しい風を吹き込む奇跡です。
 彼は手に入れた拳銃でいじめっ子の頭を打ち抜くことができます。あるいは、自分のこめかみに拳銃を向けて引き金を引くこともできます。けれど彼は、拳銃を勉強机の引き出しに入れてそっと閉じ、そのまま学校に行くことができます。
 学校に行った子供は、いつもより少しだけ勇気があり、瞳にはわずかながらの自信が宿っていることでしょう。拳銃を使って何をしようといったイメージがあるわけではないけれど、拳銃があるという小さな奇跡は彼の目を前に向けるでしょう。
 ことによると、子供はその後ドラマチックな冒険の数々に遭遇するでしょう。なんでもない日常が頭の中でドラマチックな冒険に変わっていくということもあるかもしれません。そうした冒険を潜り抜けた子供は、精神的に少しだけ成長していることでしょう。
 さて、これまでは、物語の話です。現実ではこうはいきません。不法に入手した拳銃はあっという間に警察に見つけられ、少年は良くて大目玉でしょう。ドラマチックな冒険も、普通は起こることではありません。
 けれど、物語の中だけは、少年が救われてもよいではありませんか?

大切だったのに!

 何気ない街並みの白壁の民家に散髪屋のくるくると回る看板に、その先に苦しみの門が開いていることを私は知っている。
「間違った道を歩かないこと。『そこ』にたどり着かないように」
 誰かの聞きなれた助言。きっと誰もが知っているこの街の合言葉。誰もが知っているのに、従うことはたいそう難しい。
 例えば今のように、ふとした拍子に踏み入れた脇道が歪みを見せると、私は道を間違えたことを知る。苦しみを得る前に心を閉ざして、指が鳴るのを待ち受ける。次の瞬間、私は寝台の上で目を開く。普段通りの東窓から差し入る日の光が、何事も私は為さなかったことを伝えている。
 この街は停止している。どこかへ行くことが可能である、その理論だけは理解している。具体的にどのようにすればどこに辿り着くのか、誰も知らない。何故なら、『そこ』への道はどこにでもあるのだから。一つ筋を間違えるだけで道は容易に苦しみへと繋がっている。
 繰り返される苦しみに飽いて活動を止めた者もいる。私はまだ諦められずにこの街を彷徨っている一人だ。歩き続ければ何かが見える、そうした淡い希望だけを胸に抱えている。
 『そこ』とは具体的に何なのか、そろそろ語らねばなるまい。『そこ』は聖堂である。
 この街の中心は聖堂であった。聖堂に祀られていた神はは街の全てに微笑みをもたらした。街の人は週に一度、聖堂を円形に取り囲んで祈りを捧げた。聖堂に感謝するたび彼らは聖堂へと道を繋げた。やがて聖堂を中心とする道の群れは街全体に根を張ることになる。聖堂を通らずに生活することに無理があるほどに。
 聖堂はまさに街の心臓であった。街の全てが、聖堂を自身の体の一部のように大切にしていた。だからこそ、聖堂がある日突然変貌した時、街は苦しみに包まれた。
 聖堂に棲む腐敗した神は、私たちを見つけると優しく手を差し伸べる。救いではなく、私たちを握りつぶすために。神が醜く溶け落ちた腕で私たちを包み込むと、決まってどこからか指の鳴る音が聞こえる。
 指を鳴らしているのはこの街を存続させようとする漠然とした意志のようなものだと私たちは考えている。この街の誰もが街の存続を願っている。聖堂より先に街が存在していたのであるから、聖堂の腐敗にかかわらず街は継続するのである。ただ、街の誰もが停滞しているというだけで。少しの間時間を飛ばして何もなかったことにする、それだけが限界なこの街の意思だ。
 いい加減に聖堂への道を塞ぐべきだという人もいる。神が腐敗してからもう四ヵ月もの時が過ぎようとしている。私たちが聖堂への道を残しているのは、失われた神への未練ではないのか? そんな考えである。そう、塞ぐべきである。このまま腐った神がこの街に居続けるのであれば。これに議論するなら、それに対応するもう一つの思想について語る必要がある。
 もう一つの思考は、新たな神をこの街に招くべきであるというものだ。彼らはこの街のあるべき場所、すなわち中心たる聖堂には新たなる神が必要であると主張する。新鮮な神性で古い神を洗い流し、街を再び正しい在り方に戻すのだ。彼らは緑色の布を屋上に登って振り回す。どこかで見ている神に届くように。我らの街にかつて存在したことから、神は確かに存在する。そして、それを得ることで我らは間違いなく救われるだろう。
 私はどちらが正解かを決めかねている。決める代わりに私は街を歩く。街のどの場所に何があるか、街を構成する人物がそれぞれ何を思考するか、全てを目に収めるために道を進んでいる。
 聖堂は今やこの街の人間に害をなすものでしかない。ただ、一つ確かなことがある。私たちは私たちの神を大切に思っていたということ。それゆえに聖堂へと数多の道を繋げたということだ。時には、こんな事もある。道を繋げたことを私たちは後悔していないが、苦しみは今、私たちとともにある。

燃料切れ

 広大な海原に一隻の船がぽつんと漂っています。マストがあり白い帆がたたまれていますが、船の後部にはちゃんとエンジンが積んであるので、帆は運転手の気が向いたときに少し風の力を借りるくらいの使われ方をしているのでしょう。クーラーボックスには魚を満載にして、釣果は上々といった様子でした。
 帰る前に最後のひと釣り、漁師が竿を降ろすと、途端にすさまじい力で竿が引き寄せられ、船が少し傾きます。漁師が手近な柱にしがみつき、負けじと必死に引き返すと、とうとう獲物の方が根負けし、釣り糸に噛みついたそれは船の上へと引き上げられました。
 釣れたのは、機械仕掛けの魚でした。背中の部分にきめ細かな防水の施されたエンジンを背負い、身体は鱗の代わりにぬらぬらと黒光りする金属で覆われています。並みの魚であれば陸に上がった時はぴちぴちと跳ね回るものですが、機械の魚はそれにくわえてぎしぎしとやかましい金属音を響きわたらせました。
「やあ兄ちゃん、素晴らしい出会いだ。これが海の中だったらもっと素晴らしい出会いになったと思うんだがね」
 機械の魚は口を開くとそう言いました。漁師は竿が壊れたりなんかしていないかと点検しながら、魚の方を横目で見ます。魚は船からの脱出を諦めたのか、ぎしぎしと金属のこすれる音は止まっています。
「凄まじい引きだから鮫でもかかったかと思ったよ。竿が折れてなくて幸いだ」
「竿にフカがかかったってか?」
「そんなつもりはないが、そういうこと」
 陽気な魚はメタリックなギザ歯をこすり合わせて耳障りな笑い声を立てます。ひとしきり騒いだあと、魚は器用にはねて漁師の方を向きました。
「せっかくの縁だ、俺についての話を聞いてくれないか。兄ちゃんも気になってるだろう?俺のこの体のことさ」
 漁師は少し考えた後、首を縦に振ります。娯楽の少ない海の旅であることですし、話がつまらなければ海から放り出せばよいのです。聞かない理由がありませんでした。
 機械の魚は身の上話を始めます。
「俺はこの海を越えたはるか向こうから来たんだ。知ってるか?海を越えた向こうには別の国がある。俺の生まれた国は機械技術の発展した国だった。○○〇ってんだ」
 漁師は、知らない、と言います。漁師は船を持っていますがそれで海を渡ることなど考えず、魚を捕ることばかり考えていました。
「そうかい。俺はそこで作られたんだ。けれど、そこはもう滅んでしまった。居場所をなくした俺は放浪の旅って訳だ。なんで国が滅んだかって? 魚の俺には知ることのできない理由さ。急に滅びちまって、勝手なもんだ。一番大きなものが変化すると小さなものまでその変化が押しつけられる。理不尽な仕組みだ」
 金属の魚の生まれた土地は網の目状に水路が通っていて、水中には同じような機械仕掛けの魚たちが暮らしていました。水路の脇には一定間隔で給油用のパイプがあり、魚たちはそこからガソリンを供給されて、それで動いていました。その給油パイプも、今はありません。
「とすると、君はいまガソリンなしで動いてるのかい?」
 漁師が驚いて尋ねます。背中のごてごてとしたエンジンは今や飾りなのでしょうか。
「そうだぜ、けっこう無理してんだ。でも、俺たち魚は泳がないと死んじまうのでな。必死で普通に泳いでる。これでも頑張ってる方なんだぜ。エンジンで生きるのが俺たちの生き方だ。波の下を爆速でかっ飛ばして海藻の間を駆け抜けるのさ。ガソリンがなくなってからというもの、生きるのがつまらなくて仕方がねぇ」
 漁師が黙っていると、魚が続けます。
「それで漁師さんよ、俺の話はこれでひとまず終わりだ。せっかく捕まえたんだ、煮るなり焼くなりしていくかい」
「お前に食える部分があるんならそうするけどな。こっちが腹を壊しそうだ」
「仕方ないだろ、こんな風に生まれついたんだから。生き方ってのは変えられない」
 魚は身体を器用に動かして、「肩をすくめる」動作を再現します。漁師には漁師の生き方があります。得体のしれない魚を抱え込んでトラブルに巻き込まれるのはごめんでした。
「じゃあ、じゃあだ。せめて燃料を少し分けてはくれないか? 身が締め付けられるような退屈なんだ。頼むよ」
 魚は言います。漁師は船後部に積んであるエンジンと、貨物庫にあるはずの予備の燃料のことを思い浮かべてから、少し考えて言いました。
「君は、それでもいつか燃料切れになる。その時また苦しくなる。それでもいいのか?」
 魚は答えます。
「今だ。今、苦しくて死にそうなんだ」
「君はずいぶんと不器用だ。なら、仕方ない」
 漁師は立ち上がると貨物庫に行き、ガソリンを持ってきました。魚の背中の後ろ側、尾の付け根ほどにある蓋を開いて、満タンまで給油します。そして、魚を持ち上げると船の端まで持って行って、元気で暮らせよと言いながら放り投げました。
 機械仕掛けの魚は、最後にありがとうと叫びながら落ちていきます。海に落下して水しぶきを上げると、すぐに白波を盛大に立てて、船から遠ざかっていきました。
 魚が行ってしまったのを見送ると、漁師は船の帆を張りました。風の力を借りて船を動かすための装置です。そして、自分のもと来た陸地へと船を進めてゆきました。

扉の話

 あるところに扉がありました。縦二メートル横一メートルほどのありふれた見た目をした扉です。簡素に彫り込んで飾り模様が施されています。扉の右側の中心にはドアノブが付いていますが、これは回りません。ドアノブには鍵穴が開いていますが刺さる鍵は見つからず、押しても引いても開かない、そんな扉でした。

 扉は、人間が「とびら」という概念を発明するずっと前からそこにありました。最初に扉を見つけたのは植物を採取して生きていた人間のグループでした。扉の周囲には偶然にも美味しい実のなる植物が多かったので、人間たちはそこに定住しました。
 人間たちは開かない扉を神様に見立てました。集めた植物のなかで良いものを選んで、扉の前において祈りを捧げます。そして、人々の健康と無事を祈る歌を歌い、輪になって踊りました。扉は返事をしませんでした。
 やがて気候の変化でその場所が寒くなり、人間たちはより暖かい場所を探して住みかを移動することにしました。扉の前にお供え物が置かれることはなくなりました。
 扉は、その場所にあり続けました。

 時間が経ち、扉の周囲がまた元のように暖かくなってきたころ、人間たちが扉の周りに戻ってきました。少し頭の良くなった人間たちで、住居や畑を作るやり方を知っていました。石を磨いて武器を作るやり方も知っており、効率的に狩りをしました。
 今度の人間たちも、扉を神様だと思いました。獣たちに鋭い傷をつける槍を突き立てても、扉に傷がつかなかったからです。彼らは扉を祀るための建物を建て、狩ってきた獲物を前に置いて祈りを捧げました。
 ある日、扉の近くにあった火山が噴火しました。噴煙が辺り一面を覆う大噴火で、さらさらとした火山灰が溶けない雪のように積もりました。人間たちの畑は全てだめになってしまい、あたりの森に暮らしていた動物たちもあっという間に減っていきました。
 人間たちもばたばたと死んでいきます。別の土地に逃げ出すもの、そこにあるもので必死に食いつないでゆくもの、色々な人間が居ましたが、最終的には扉の周りに人間は一人もいなくなりました。扉は人間たちが死んでいく様子を、ただ見ていました。
 半分火山灰に埋もれてしまいましたが、扉はその場所にあり続けました。

 次に扉が発見されるのは、人間が文明と呼べるものを手に入れたころの話です。小規模ですが国のようなものを作り、王と呼ばれる人間が支配していました。人々は埋もれていた扉を掘り返し、磨いて綺麗に整えました。
 そのころの人間たちは自分たちの神様を持っていたので、扉はその神様に関係のあるものとして位置づけられました。扉の前には豪奢なお供え物が並び、彼らの神様をたたえる歌が扉を祀っている聖堂に響きわたります。もちろん、扉は開きません。
 その国の終わりは戦争でした。食料の不足と宗教観の違いから隣国と戦争になり、扉のあった国は滅ぼされてしまいました。山ほどの武装した兵士たちがやってきて、人を殺したり捕らえて奴隷にしたりしていました。
 家々が焼かれ人が逃げ惑う様子を、扉はじっと見ていました。

 扉のある土地に住みついたのは、先ほど戦争を起こした隣国でした。その国から見た扉は異なる宗教のものですから、その国は扉を嫌いました。何とかして扉を破壊しようとして、しまいには大砲まで持ち出しましたが、扉は壊れませんでした。そこで、その国は扉の周りに分厚い壁を立て、扉を内側に閉じ込めました。
 扉を閉じ込めた国は、彼らの神に祈り、彼らの歌と踊りを繰り返しました。国を攻め滅ぼすことでより豊かになっていたその国は、彼らの神に金銀財宝を捧げました。それらの祈りは扉へ向けられたものではありません。扉は何も言いません。ただ、彼らを見ていました。壁の中に閉じ込められながら、扉は静かに彼らのことを考えていました。
 暗い暗い部屋の中、扉は存在し続けました。

 扉が次に日の目を見るのは、科学技術が発展して研究したり発掘したりすることが盛んになってきた時代のことです。考古学者たちが失われた王国の遺品を探していると、厚い壁に囲まれた扉のことに気が付きました。その時の考古学者たちには扉がどのような経緯で壁の中に閉じ込められているのかはわかりませんでしたが、扉が開かないこと、壊れないことはわかりました。とんでもない発見だと大騒ぎする学者たちの喧騒を、久しぶりに新鮮な空気に触れた扉は聞きました。
 扉はやがて博物館のガラスケースの中に収まることになりました。科学技術は扉のことについて説明はできませんでしたが、いずれ説明できるだろうと科学者たちは楽観的でした。あるいは、説明できないものを見て見ぬふりすることに決めました。扉はそんな彼らの様子を黙って見ていました。

 扉のある場所はしばしば戦争に巻き込まれました。扉を狙ってというわけではなく、ただ戦争の起こりやすい土地だったからです。扉のある博物館の所有者もころころと変わり、扉を見に来る人が全くいない日もありました。博物館が戦争の舞台になることもありました。その時は、扉を挟んで銃撃戦が行われました。絶対に壊せない扉は格好の盾だったからです。自分に当たる銃弾とお互いに傷つけあう人間たちを扉は見ていました。
 扉の見ている前で沢山の人が死にました。扉にも血のはねたものがこびりつき、それを綺麗にしてくれる人が来るまで、汚れはそのままでした。

 やがて人類のいちばん最後の日がやってきました。どこかの国のおこした戦争が世界中を巻き込んで、それは人間を全て滅ぼすまで終わりませんでした。各地に爆弾の雨が降り、それは扉の場所も例外ではありません。博物館は見る影もなく壊れてしまい、扉はむき出しになりました。
 そこに、人類の最後の一人がやってきました。人類が一斉にいなくなってしまうのではなく力尽きた人から死ぬのですから、必ず最後の一人になる人がいるわけです。幸運なのか不運なのか、彼はその最後の一人でした。人類に起きた数々の戦争、数々の不幸を生き残り、最後に彼は扉のある土地に吸い寄せられるようにやってきました。
 彼は扉を見つけると形式的にノックし、ノブに手をかけて開こうとしてみました。どうやっても開かないことを知ると、彼は地面に腰を下ろし、扉にもたれかかりました。彼の手元にその日を生きるだけの食料はありません。きっとこの地球のどこを探してもそんなものは残っていないでしょう。彼には座ることしかできませんでした。
 彼の頬を涙が伝います。とっくの昔に枯れていたと思っていた涙です。彼の家族や友人、愛しいと思っていた人、それらはみな死んでしまいました。彼だけ生き残ったということは、彼以外は全て死んでしまったということです。  
 彼は間違いなくこの地球上でいちばん不幸でした。だって、彼以外の人間はもういないのですから。あるいは、彼は地球上でいちばん幸福でした。彼は最も愛情深く、最も冷酷で、最も勇敢で、最も臆病でした。
 彼は死んでしまった自分以外の人のために泣きました。取り残された自分のために泣きました。滅びてしまう人類のために泣きました。死ぬしかない自分のために泣きました。
 扉は泣いている彼をじっと見ていました。扉は人類がここで終わることを知っていましたし、これまでの人類に何があったか、全て覚えていました。
 最後の最後に、扉は少しだけ開きました。隙間から白い光が漏れ出し、人間の顔を照らします。人間は眩しさに顔をしかめると扉が開いているのに気づき、驚いた顔をしました。人間は振り返るとノブを掴み扉を最後まで開きました。そして、白い光に溶け込むように中に入っていき、姿が見えなくなりました。しばらくして、ゆっくりと扉が閉まり、白い光は見えなくなります。彼がその後どうなったのか、知る人は誰もいません。
 このようにして、地球上から人間は一人もいなくなりました。


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