銀河鉄道みたいな夜

蒼空夕



「なあ、この列車は何処まで往くんだ」

 真向かいの席に深く腰掛け、ぼんやりと窓の外を眺める男にそう問うた。僅かに開いた硝子窓の隙間から吹き込む風に、黒髪が揺れている。
 僕が声を発してから数拍遅れで、男は緩慢な動作でこちらに視線を遣った。黒曜石のような瞳を数度瞬かせる。

「何処までも、だろうな」
「答えになってない。僕は行き先を......」
「本当に何処までも往く、俺はそう思っている」

 男はそう言うと、再びふっと車窓に視線を戻した。どこか憂いが差したようなその表情は、銀河が発する淡い光に照らされている。  僕は一つ溜め息を吐いた。これ以上、この男に聞いても無駄だと悟ったからだ。

 僕が名前も知らぬ男と共に、小さな列車に揺られているのに気付いたのはほんの数刻前だ。淡い橙色のランプが照らす車内で、藍色のベルベッドがぴんと張られた席に腰掛けていたのだ。
 ふと、揺れる窓の外に目を遣った時、思わず息を呑んだのをよく覚えている。そこには何処までも澄み渡る星の海が広がっていた。宝石を砕いたような輝きが恐ろしいほどに美しく、漆黒に張り付いた恒星たちは絶えず僕たちを見つめ続けている。一等星が主張する眩い光、低等級の星が放つ柔い光は、夜空を駆ける列車を包んでいた。

 しかし  何故僕たちがこの列車に乗っているのか、何故この列車は空を飛んでいるのか。そして、目の前の男は一体誰なのか。何か大切なことがすっぽりと抜け落ちたような感覚にずっと襲われているような感覚だ。僕の持つ知識を総動員しても、手掛かり一つすら掴めないのだ。
   どうしたものか。

「見ろ、北斗七星だ」

 出し抜けに響いた男の声に、僕の思考は遮られた。顔を上げると、いつの間にか男は窓を開け、遠くの星座を指差していた。  呑気なものだ。
 僕も腰を上げ、男の隣へと並び立つ。彼の人差し指と星座が紡ぐ軌跡を辿ると、確かに特徴的なひしゃく型の輝きを夜空に鎮座していた。

「ということは、あれがポラリスか」
「本当だ、探し方を覚えているなんて凄いな......俺はもう忘れてしまった」
「ドゥーベ星とメラク星の間隔をひしゃくの開いた口の方向へ五倍延長だ、そう習っただろう」
「相変わらずお前は物知りだな」

 褒められると悪い気はしない。『そうだろう』と言いかけた瞬間、僕の口は時間が止まったかのように固まった。唇は言葉を作り出そうとせず、ただ意味を成さない音を零すばかりである。
 今、僕は何と言った? 『そう習っただろう』だと? まるでこの男と学校に通っていたような物言いではないか。しかし、僕の脳内をいくら探っても、目の前のこの男と勉学を共にした記憶など無い。それにこの男も、『相変わらず』と言った。確かに僕の鼓膜を揺らしたのだ。

「......お、お前は一体  」
「あっちに牡牛座があるぞ、見えるか?」

 張り付いた唇を必死に動かして数秒、僕の声は男の発した音に遮られた。男は北斗七星とは反対の方向を指差している。

「あ、ああ......見えるぞ......」
「良かった。綺麗だな」
「そ、そうだな......綺麗だ、と思う」

 投げかけられる男の言葉を、オウムのように反芻することしかできない。先ほどまでは饒舌に話せていたのに。申し訳程度の相槌が不自然に聞こえないか、僕の胸中には薄く不安の雲がかかった。

「アルデバランか、随分と眩しい」
「色が......あれは確か......」
「赤色巨星の状態だな。もうあの星は寿命が近いんだろう」

 男はそう言うと、そこで言葉を切る。ふと視線を牡牛座から外すと、酷く穏やかな表情を浮かべる男が視界に映った。ほんの一瞬であるはずの空白の時間が、永遠のように感じられる。
 宇宙の冷たい空気が僕らの間を通り抜ける。星屑の欠片が男の柔らかな黒髪に降り注ぎ、天の川のようにきらきらと輝いていた。

「星の寿命......超新星か」
「ああ、星は超新星爆発を起こして一生を終える......でもその最期はとても綺麗だ、ほら」

 そう言いながら、男は僕の後方を指差す。それを辿るように再びアルデバランの方へと視線を戻した  と同時に、息が止まるを感じた。

「は......?」

 先ほどまで蜜柑色に輝いていたはずの、あの星が無い。いや、正確には、禍々しくも美しいオーロラ色のカーテンが宇宙空間を漂っているような、そんな光景が広がっていた。  スーパーノヴァだ。

「どうして......! だって先ほどまで......!」
「言っただろ、星にも寿命があると」
「そんな急に終わる訳がないだろう! やはりこの列車は......此処は何かおかしい!! お前も......お前は何者なんだ......!?」

 突如訪れた恐怖に侵食され、僕は弾かれたように通路へと飛び出した。気を抜くと過呼吸になってしまいそうだ。荒くなる息と鼓動を抑え込みながら、目の前に凛と立つ男を見つめた。
 アルデバランが放つ最期の光を背に受け、男の輪郭が煌めく。しかし、逆光になっているせいでその表情を読むことはできなかった。

「......終わりはいつ訪れるか予測できない。聡いお前なら良く分かっているだろう」
「な、何を......!」
「星も人も一緒だ......終わりは等しく享受せねばならない。無論、俺たちもそうだ」

 男の優しい声が、僕の鼓膜へと届く。柔らかい、まるでぐずる赤子をあやしているような声色だった。僕は震える体を抱きながら、次の言葉をじっと待った。

「  でも、お前の終わりはまだ見たくないな」

 その音が発せられた刹那、眩い光が迸った。まるで目の前で閃光弾が炸裂したかのようだ。反射的に固く閉ざした瞼の裏で、光が去るのを耐えた  。


   どのくらい経っただろうか。列車が線路を滑る音が、やけに鮮明に耳に届く。恐る恐る、僕はゆっくりと目を開けた。

「え......」

 先刻まで確かにそこにいた、男の姿が消えている。橙色のランプに照らされ、藍色のベルベッドがぴんと張られた席だけが光をたたえていた。僕はまるで、鉄砲玉のように座席に駆け寄った。男の存在を探すようして両の手を懸命に動かすが、空を切るばかりで何も掴むことはできない。
 やがて僕は窓枠にしがみつき、言葉にならない叫び声をあげた。暗闇の中へと上半身を乗り出し、咽喉から血が出そうなほどに、涙が枯れそうなほどに泣いた。
 そこから先の意識は、黒に侵されて途切れてしまった。





  ***

「目が覚めたぞ! 早く先生を......!」
「ああ、良かった......! 本当に良かった......!」

 ふっと意識が浮上するのと同時に、聞き覚えのある声で形作られた言葉が俺の上を飛び交っているのが分かった。慌ただしい足音に、ツンと鼻を刺す消毒液の匂い。状況を把握したくて上体を起こそうとした時、耐え難い激痛が全身を走った。
 声にならない叫び声を上げていると、慌てた様子で側にいた看護師が駆け寄ってくる。

「動かないで! 君、大怪我してるのよ......!」
「僕が......? ど、どうして......」
「そ、それは......」

 看護師の唇は開いては閉じるを繰り返し、次の言葉を出し渋るように震える。うっすらとその目には涙の膜が張っているのが見えた。
 その時、病室の外に立つ二人の医師の会話が、耳に飛び込んできた。

「一人だけでも一命を取り留めたのが奇跡のようなものです......あんな酷い事故に巻き込まれて」
「まったくだ。もう一人の子は......残念だったがな......」

 刹那、僕はすべてを理解した。頭の先端からつま先まで、雷に貫かれたかのような衝撃が走る。どうして分からなかった、どうして気付かなかった! そうだ、そうだった。アイツは僕のことを  。

 そんな言葉が脳を埋める頃には、僕の両目からはとめどなく涙が流れ落ちていた。視界はすり硝子で覆われたようにぼやけ、僕の頬は雨にでも降られたかのように濡れている。こめかみを伝った涙が一つ、また一つとシーツに染み込んでいくのが分かった。
 零れ落ちる涙を隠すように、視線を部屋の隅へと向けた。僅かに開いたカーテンの隙間には、一面の星空が広がっている。夢か幻か、僕の記憶に残る煌めきと全く同じであった。
   その時。

「あ......」

 僕の意志とは無関係に、音が喉から吐き出される。僕は空中に浮かぶ細長い何かを見た。それは真珠を繋げたように連なる光を発し、龍のようなゆっくりとした速度で夜空を駆けていた。
 無機質な病室に充満するざわめきに混じって、何処からかガタンゴトンという列車の音が聞こえたような気がした。


さわらび126へ戻る
さわらびへ戻る
戻る