ウェスリーン王国英雄記①

きなこもち



プロローグ
 これは私と、私の兄弟たちの話だ。
 ただの兄弟との幸せな思い出話というわけではない。彼らの遺志を継ぐのであれば、私が死ぬまで口にしてはいけなかった話。
 でも、私は、全てを捨てる覚悟でこれを皆に知ってほしいと思ったんだ。

 兄の名前は、ギルバート。皆も知っている、この国で歴代最強と謳われた大魔導師だ。多くの戦争でこの国を勝利へと導いた男。

 まあまあ、口を挟まずに聞いてくれ。

 彼は当時の王をクーデターによって追い出し、弟を国王に据え、己を宰相という立場に置いた。前の王家は民の為に何かをすることも無ければ、ただただ私腹を肥やし、富を貪るだけだったのだから、兄を反逆者と糾弾する声は多くなかった。実際、私の兄弟たちがこの国を治めてからの方がずっと豊かな国になったのだから、当然と言えば当然なのだろうが。

 しかし、恨みというのは積り積もっていくわけで。

 そう。あの事件だ。
 命を落としたのは、私の兄弟たちと複数の魔道士と騎士だけで済んだとされている、私の大事な人を奪っていったあの事件。
 あの事件は、もし亡くなった者たちがいなかったら、もっと被害の大きいものになるはずだった。王都は完全に壊されていただろうし、死者は万を超えたはずだ。
 
 まあ、事件に関しては近いうちに全てを公表するから、今はおいておこう。

 これから話すのは、私と兄弟たちがずっと隠してきたことだ。
 私は、今ある地位も名誉も富も、捨てる覚悟はできている。家族にも覚悟をしてもらった。

 そこまでして何故、公にするかって。

  これは、己にできる唯一の懺悔だから  
※
「ただいま。ギルバートに言われたもの、いっぱい採ってきたよ!」
 俺は扉を開けると同時に大声で叫んだ。
「ただいま帰りました、お兄ちゃん」
 ジャックは俺と違って大人しいから、それではギルバートに聞こえないだろうってくらいの声量だ。それでもギルバートの耳にはどちらも届いたのだろう。廊下の突き当りから、おかえり、と言いながら出迎えてくれた。
「いつもありがとうな、二人とも」
 俺が抱えていた籠も、ジャックが抱えていた袋もギルバートは軽い動作で取り上げる。
「ギルバート、今日の仕事はどうだった?」
 俺が聞けば、優しく笑いながら頭を小突かれる。
「お兄ちゃんって呼べ、お兄ちゃんって」
 そういう反応が面白いから、俺は絶対にギルバートの望むようには呼んでやらないんだ。
「お兄ちゃん、明日は何をしたらいいですか?」
 ジャックはやっぱり俺とは違う。ギルバートの言うことは絶対聞くし、言葉遣いもいつも丁寧だ。本当に双子なのか、自分でもしょっちゅう疑うけれど、ジャックの顔を見る度に、自分と全く同じ顔なのだから不思議でたまらない。
 ギルバートはジャックの言葉にやっぱり優しく笑うのだ。
「今日、これだけ採ってきてくれたから、明日は一日遊んできていいぞ」
 遊んできていいぞ、って言われたところで、どうせジャックと二人で森に行くことには変わりないのだ。
「ギルバートは遊んでくれる?」
 俺の言葉にギルバートは困ったように眉を下げるのだ。
「ごめんな。俺は明日も薬を作らないといけないから。今日も明日も夜だったら少し遊んでやれるぞ」
「兄は弟の面倒を見るものだって隣のおばちゃんが言ってた。ビリーはいつもピーターに遊んでもらってるのに」
 こんなこと言っても困らせるだけというのは分かっているつもりだった。でも、どうしても言いたくなってしまう。
 ギルバートが何かを言う前に、口を開くのはいつもジャックだ。
「ジェームズ。お兄ちゃん困らせるのはやめなよ。うちはお父さんもお母さんもいないんだから、お兄ちゃんはお父さんとお母さんの代わりなんだよ。ビリーのお家も、お父さんとお母さんはお仕事しているじゃない」
 いい子ぶっちゃって、って思う。自分だってギルバートに遊んでもらいたいくせに、ジャックはいつもいい子の振りをする。
 ギルバートは俺たち二人の頭を撫でる。
「二人ともごめん。俺、もっと頑張るから、もう少し待っていてくれ」
 ギルバートの言っていることはよく分からなくて、俺が首を傾げているのと同じように、隣でジャックも首を傾げていた。そんな俺たちを見て、ギルバートは小さく笑う。
「ふっ。お前たちは本当にそっくりだな。ほら、今日も練習したいんだろ。俺はお前たちが採ってきてくれた薬草を部屋に置いてくるから、先に地下室行って待っていてくれ」
「うん!」
 俺はジャックの手を引いて一目散に地下室へ向かった。地下室なのに暖かくて、ほんのり明るいのはギルバートの魔法のおかげ。
 すぐに降りてきてくれたギルバートが扉に向かっていつもと同じ言葉を呟く。
「【遮断せよ】」
 見た目は変わらないけれど、ギルバートがそれを呟くと、どれだけ騒いでも扉の外には声が届かないことを俺たちは知っている。
「さ、好きなだけ練習していいぞ」
「なんか強いの教えて。かっこいいやつ!」
「はは、分かったよ。ジャック、お前はどんな魔法が知りたい?」
 俺が教えてって言ったのに、ギルバートはジャックに聞き返す。
「なんでジャックに聞くんだい! 教えてって言ったのは俺なのに!」
「昨日はお前がやりたいって言った炎を出す魔法を教えてやっただろ。今日はジャックの番だ」
 そんなギルバートの言葉に、ジャックは嬉しそうに両手を合わせた。
「あの、僕、その」
「慌てなくていいから、知りたいこと言ってみろ。俺が教えられるものだったら教えるから」
 ギルバートの言葉に、ジャックは意を決したように言った。
「あの、僕、お友達が欲しいんです」
「友達?」
 俺とギルバートがその言葉に首を傾げたのは同時だったと思う。
「友達なら、近所の子どもたちがいるんじゃないか?」
 ギルバートが尋ねれば、ジャックは首を横に振った。
「魔法で一緒に遊べるお友達が欲しいんです。魔法を人前で使ってはいけないことは分かっています。でも、やっぱり、誰かと一緒に楽しみたくて。あ、無理なら無理でいいんですけど」
 ジャックの言いたいことは、俺にも分かった。そもそも、俺は、何故人前で魔法を使ってはいけないのかもよく分からない。だからこそ、余計に、魔法を見せられる友達は欲しい。
「俺も欲しい!」
 俺が叫べば、ジャックは何故かほっとしたような顔をした。
 俺が馬鹿にするとでも思っていたのだろうか。
 ジャックとは反対にギルバートは悲しそうに笑った。
「そうだよな。お前たちには寂しい思いをさせているしな。うん、お前たちならきっとできるだろ。やってみようか」
 ギルバートは杖を握って小さく振った。
「【出でよ、我が友】」
 杖の先から煙が出てきたかと思えば、その煙の中から兎と鷹が飛び出してきた。兎はほんのり光っているし、鷹は金色だったから、普通の動物じゃないことは分かる。
 兎が跳ねれば、そこには花が咲いたし、鷹が羽ばたけば風が吹く。
「【水よ湧け】」
 ギルバートがもう一度杖を振りながら唱えれば、空中に水の泡が浮いた。その水の泡は、鷹が起こした風で、小さい泡になって空中に散らばる。その下を兎が跳ねると、植物が伸びてきて、水滴に触れる。すると水滴はキラキラと弾けた。
「「すごい、すごい!」」
 俺とジャックは声を揃えて笑った。兎はギルバートの頭に飛び乗り、鷹はギルバートの肩に止まる。そんなギルバートに俺たちは二人揃って駆け寄った。
「俺も鷹みたいにかっこいい動物出したい!」
「僕も兎さん出したいです!」
「こいつらは実際の動物ではないんだ。精霊みたいなものだな。一般的には使い魔って呼ばれているけどな。ちなみに、父さんは羊だったぞ」
 ギルバートは兎と鷹を撫でながら話を続ける。
「全ての魔法使いに呼び出せるわけではない。こいつらに認めてもらわないといけないから。呼び出せない魔法使いも大勢いると聞いた。でも、呼び出せたら、とても心強い味方になってくれる」
「どうしたら認めてもらえるんですか?」
 ジャックがこんなに食い気味なのは珍しい。
「そうだなあ。生まれた時から認めてもらっていることが多いらしい。父さんもそうだったと聞いた。でも、俺の場合、兎は物心ついたときにはそばにいてくれたが、鷹はいつの間にか来てくれるようになったから、認めてもらえていたとしても、今は呼べないこともあるだろう。焦らずに呼んでごらん」
「どうしたら、来てくれますか?」
 ジャックの質問にギルバートは少し考えるような仕草をした。少ししてから、ギルバートが指を鳴らすと兎と鷹はさっと消えてしまった。しゃがみ込んで俺たちの頬に手を当て、目線を合わせる。
「願ってごらん。魔法は心だ。杖も言葉も本当は必要じゃない。それらは魔法を出しやすくするためのものでしかないんだ。魔法は誰かを、何かを願う心なんだよ。本当は戦争のために使うものなんかじゃない」
「でも、戦争は誰かを守るためにしてるんじゃないの?」
 俺の言葉に、ギルバートは何故か顔を歪めて俺たちを抱きしめてきた。
「お兄ちゃん?」
 ジャックの呼びかけには答えずに、ギルバートは俺たちを離した。
「ほら、練習するんだろ」
「うん! 来い来い来い!」
 俺は何度も声に出したけど、すぐには来てくれなかった。この魔法を知りたいと言ったジャックは、何故かギルバートをぼんやりと見上げているだけだった。
「ほら、ジャックも呼んでごらん」
 ギルバートに促されて、ジャックは両手を結んで目を閉じた。彼が何を願ったのか、俺には分からない。でも、その願いは確かに届いたのだろう。ジャックの目の前で何かが眩しいくらい光ったかと思えば、そこにはジャックよりも少しだけ大きい、真っ白な四つ足の動物。頭には一本の角が生えていた。
「うわあ、すごいや! ジャック、すごい!」
 俺がその生き物に触ろうとすれば、その動物はひらりと逃げてジャックに頭を擦りつけていた。
「僕のお友達?」
 ジャックの呟きに、その動物は頷くように頭を振った。ジャックは嬉しかったのか、その動物に抱きついた。
「嬉しい。僕の所にきてくれてありがとう。えっと、名前は......」
「そいつはユニコーンだ。お前の好きに呼んでやればいいよ」
「ユニコーン......。名前は......。えっと、ジョイ、とかどうかな。僕とジェームズと頭文字がお揃いなの。それに、ジョイには楽しいとか幸せって意味があるんだよ」
 名前が気に入ったのか、それともジャックを気に入ったのか分からないけど、ジャックがジョイと名付けたユニコーンは、ジャックを背中に乗せて地下室を走り回っていた。
「ジャックばっかりずるい! 俺も相棒が欲しいのに!」
 俺がそう言えば、ギルバートは俺の両手を握って、額をこつんと合わせてきた。
「お前にとって相棒っていうのはどんな相手だ。そいつに何を望む。そういうのをしっかりと考えてごらん。大丈夫。お前にはちゃんと来てくれるよ」
 俺は......。俺は何がしたいのかな。相棒と何がしたいんだろう。
 一緒に魔法で遊びたい。できるようになった魔法を自慢したい。
 何処かに出かけるのもいいな。空を飛べるような子でも楽しいかも。
 考えながら目線を動かせば、ギルバートのキラキラした青い目が見える。俺もこの色らしい。顔を動かしてジャックを探せば、彼のキラキラの空色の目がこちらを伺っていた。
 ずっとそばにいてくれる海と空。
 ずっとそばにいて欲しい二人の色。
 そうだ、俺は。
「俺、二人とずっと一緒にいたい」
 俺の言葉に二人は目を大きくさせる。
「俺、ギルバートとジャックとずっと一緒にいたいんだ。二人を幸せにするの。俺は、二人にとっての英雄になりたい。それを手伝ってくれる相棒が欲しいんだ!」
 そうだ。俺にとっての世界は二人だから、二人を守りたい。二人には笑っていて欲しい。
 すると、俺とギルバートの間が強く光り始めた。ギルバートが一歩引くと、そこには俺と同じくらいの大きさの卵。俺たち皆がそれに注目していると、ピシりと罅が入る。パキパキと音を立てて出てきたのは、四つ足で翼の生えた赤い蜥蜴のような生き物。
「ド、ラゴン......」
 掠れる声で発したのはギルバートだ。ドラゴンと呼ばれた生き物はギルバートを見て頭を下げてから、俺の方を向く。体と同じくらいの長さを持った尻尾を床に叩きつけた音で俺は我に返った。
「君が俺の相棒?」
 真っ黒な目を見つめながら問えば、彼は呻りながら頷いた。
「グルルルル」
「そっか、君が俺の相棒なのか! うーん......。ギャリーなんてどうだい? 強いって意味だし、ギルバートと頭文字がお揃いだよ!」
 つい最近、ジャックと一緒に読んだ言葉の意味をさっそく使うことになるとは思ってもいなかった。でも、彼にぴったりなのを知っていて良かったな。
 ギャリーは尻尾を俺に巻き付けると犬のように鼻を鳴らす。どうやら、名前がお気に召したらしい。
 新しいお友達。
 俺はそれが嬉しくて嬉しくて。
 このまま三人で笑っていられると思っていたんだ。
※
 ジェームズのことが眩しいなと思った。
 僕も思ったことはほとんど同じ。
 二人とずっと一緒にいたい。そこに一緒にいてくれる友達が欲しい。
 でも、僕は口にはしなかったから。堂々と口にして、しかもドラゴンが来てくれたジェームズは眩しく見えた。
 お兄ちゃんもジェームズのことが誇らしいんだろうな。僕よりもジェームズの方がなんだってできるから。きっと、僕よりもジェームズの方が好きなんだろうな。
 そう思ってちらっとお兄ちゃんの顔を見ると、すっごく怖い顔をしていた。ジェームズや僕を怒る時でさえ、あんな顔はしない。お父さんとお母さんの代わりにお薬を作って僕たちを育ててくれているけれど、お薬が上手に作れなかった時も、変なお客さんが文句を言ってきた時もあんな顔をしているのは見たことが無かった。
「早く逃げなければ。この子たちが国に見つかる前に。英雄にされてしまう前に」
 聞こえた言葉に吃驚してお兄ちゃんを見た。ジェームズは気付いていないみたいだけど、僕にははっきり聞こえたんだ。
 でも、言葉の意味はよく分からなかった。
 確かに、この国では、魔法使いはあまり好かれていないらしい。魔法使いであることが見つかってしまって、国の騎士に連れていかれた人を一度だけ見たことがある。戦争に参加させられたって聞いたけど、彼は生きたまま帰っては来なかったと、噂好きのビリーのお母さんは言っていた。
 英雄にされてしまうってどういうことだろう。確かにジェームズだったら国の英雄になれるかもしれない。でも、お兄ちゃんは嫌なのかな。英雄って恰好良いと思うけど。僕は無理だと分かっているけど。
 あまりに僕がじっと見つめていたからか、お兄ちゃんはこちらを向いて綺麗に笑った。それは見慣れた笑顔のはずなのに、何故か僕は無性に怖くなったんだ。
「おいで、ジャック」
 お兄ちゃんに呼ばれたから、ジョイから降りようとすると、ジョイは僕を背に乗せたままお兄ちゃんに近づく。ジョイの頭を撫でながらお兄ちゃんは優しい声で言った。
「ジョイ。こいつをよろしくな」
 お兄ちゃんの後ろに、ジョイとよく似た白い馬。真っ白な翼を持った動物がいたのを僕は見た。その子が何かは尋ねることができなかったけれど。
 お兄ちゃんが王宮直属軍の魔法使いになったのはそれから一年後だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一章
「おはよう、ジェームズ。魘されていたよ」
「ああ、おはよう」
 兄のギルバートが魔法使いとして王宮に連れていかれて六年。そして、ギルバートが王宮直属軍の魔導師、つまり直属軍のトップになってから二年の月日が経った。
 ギルバートはこの国では歴代最強の名を冠しており、俺とジャックはギルバートを逃がさないための人質として王都での生活を強いられた。何とか魔法が使えることを周囲に知られることがないままここまで生きてくることができたのは、ギルバートが二人の住む家に色々と魔法をかけてくれたからだ。
 朝食のテーブルに二人で着くと、パンにバターを塗りながらジャックが尋ねた。
「なんか、嫌な夢でも見たの?」
「ギルバートが連れていかれる夢だった」
 ああ、とジャックも暗い顔をする。
 ギルバートは王宮直属軍に入れられてすぐに戦線に立たされた。そこでギルバートは目まぐるしい戦績をあげたのだ。
 ギルバートが戦場に立てば、金の鷹が天を舞い、光る兎が野を駆け、ギルバート自身は天を駆ける白馬であるペガサスに跨ったという。鷹が羽ばたけば突風が起こり、兎が野を駆ければ敵の馬は草に足を取られた。白馬が駆ければ雷鳴が轟き、雷が敵の大砲を撃ちぬいた。死者の一切でない、敵の武力が全て崩壊した戦だった。
 初陣とは思えない働きぶりに、王も軍もギルバートに多くの報酬を与えると同時に彼が反乱を起こすことを恐れ、弟である俺とジャックを監視下に置いた。監視下に置かれる代わりに、俺たちには貴族と同等の生活が与えられた。
「兄さんは、また戦場に行くらしいね」
 表情を変えないままジャックは言葉を紡ぐ。
「今度は何処だっけ」
「兄さんが移り住みたがっていたアカナ連邦共和国だよ。国王はそこを支配下に置いて軍の魔法使いを増やしたいみたい」
「あの暴君、段々とすることが酷くなってないかい?」
 ギルバートが軍に入って戦争で有利に動くようになってから、この国の王はただでさえ暴君であったのに、ますますひどくなったように思うんだ。
 歴代最強と言われるギルバートは己の能力だけでなく、戦術も巧みなのだと言うのは、ギルバートが我が家につれてくる数少ない友人のアルフィーだ。そんなギルバートが戦場に出れば戦争は負け無しとされ、魔法使いが少なく、戦争も負け続きだったこの国が列強と呼ばれる国に数えられ始めたと新聞に書いてあったのを読んだのはいつだっただろう。
「兄さんが軍に入ってから戦は負け無し。列強の仲間入りだからね。隣国さえ倒せれば、兄さんがいる間は敵なしだろう」
「でも、列強の仲間入りをしたっていう割に、この国は貧しいままじゃないか。俺たちはギルバートのおかげでいい暮らしができているけれど、この国の貧富の差は笑えないよ。こんなの昔のギルバートが望んだ世界じゃないはずだよ」
 俺はつい声を荒げてテーブルに拳を叩きつける。
「俺は、今のギルバートは嫌いだ。昔は小さな幸せを大切にしてくれる人だったのに。俺たちに、魔法は戦争のためじゃなくて大切な人のために使うものだって教えてくれた人が戦争で魔法を使っているじゃないか。どうしてだよ......」
「ジェームズ、落ち着いてよ。兄さんが戦場に立つのは、僕たちを守るためだ。君だって分かっているだろう」
 ジャックの静かな声に俺は口を噤むしかない。
 分かっている。そんなこと分かっているさ。ギルバートはいつでも俺たちを守るために動いてくれていることくらい。
 でも、それじゃギルバートはどうなるんだ。俺たちのためにしたくもない戦争をし続ける彼は、いつか笑わなくなってしまうんじゃないだろうか。
 俺がギャリーに願ったことは、俺の力ではなく、ギルバート一人の力で表面上だけは叶えられているけれど、それも近いうちに壊れてしまいそうで怖い。
 俺がもう少し大人だったらなあ。
 まだまだギルバートと比べれば小さい手を見つめていると、まるで俺の心を読んだかのようにジャックが呟いた。
「僕たちにもっと力があればよかったのにね」
 十二歳にしては大人びた表情をするジャックに、俺はジャックまでいなくなってしまいそうで怖くなった。
「ねえ、ジャック。君はギルバートみたく俺を置いていったりしないよね」
 彼の空と同じ色の瞳に映る自分は随分と情けない顔をしているだろうけれど、仕方がない。ジャックは小さく笑う。
「当り前だよ。僕はいつだって君と一緒だよ。むしろ、君の方が僕を置いていってしまいそうだよね」
「そんなことしないよ。俺はいつだって君たちの英雄なんだから!」
 そう叫べば、俺のそばにギャリーが現れる。呼んだ? とでも言いたそうに俺を見上げる。
「ああ、ギャリー。勝手に出てきちゃダメだよ。ここはギルバートの魔法に守られているけど、それ以外では俺が名前を呼ばない限りは絶対出てこないでくれよ」
 窘める俺をものともせず、ギャリーは俺に顔を寄せてきた。俺は小さくため息をついてから、朝食のベーコンをギャリーに分けてやる。ふふっと笑って、ジャックもジョイを呼んだ。
「おはよう、ジョイ」
 頭を撫でながら、牛乳を入れた器を差し出せば、ジョイは嬉しそうに飲み始める。
「君はいい子だから大丈夫だと思うけど、僕が呼ぶまで出てこないでね」
 ドラゴン、その中でも赤き竜と呼ばれるギャリーもユニコーンであるジョイも普通の魔法使いが呼べるような生き物ではない。もちろん、ギルバートが呼ぶペガサスだって。これらを呼べることが普通ではないと気づいたのは、ギルバートが多くの人にもてはやされるようになってからだ。
「僕は君を戦争の道具にはしたくないなあ」
 呟くようにそう言ってジョイの頭を撫でれば、ジョイはジャックを心配そうに見つめていた。
「もし僕が魔法使いだと周りに知られて、戦場に立たなければならなくなっても、僕は君を戦わせないように頑張るね」
 ジャックはそんな縁起でもないことを言いながら窓の外を見た。きっとギルバートのことを心配しているのだろう。
「兄さんだって、本当は彼らを戦場で使役したくはなかったはずだ。兄さんは大丈夫かな」
 ほら、やっぱり。ジャックの頭の中はいつもギルバートでいっぱいだ。目の前にいるのは俺なのに。
「俺たちが暗い顔したってギルバートが戦場に行くのは決定なんだから、せめて笑顔で出迎えてやるしかないっていつも君が言うんじゃないか。それよりもさ、今日って何か予定あったっけ?」
 しんみりとしてしまった雰囲気をどうにかしたくて、俺はわざとらしく話題を変える。それを察して、その話題にのってくれるジャックはやはり優しいのだ。
「今日は来週兄さんと一緒にパーティに行くための服を受け取りに行くんだよ。僕たち、前に比べれば圧倒的に良い服を着させてもらっているけれど、正装って初めてだよね」
 先々週くらいに採寸されて作った服ができたから受け取ってくれと昨日ギルバートに言われたのだった。貴族だったら、家に届けてもらうのが普通なんだろうけど、ギルバートは家に信用していない他人を入れることを良しとしないから、自分たちで受け取りに行くしかないのだ。
「パーティか、面倒だなあ。どうせ俺たちのことをギルバートの付属品くらいにしか思ってない髭のおじさんたちの集まりじゃないか。俺たち、成人もしていないのに」
「まあまあ、そんなこと言わないで。挨拶は確かに嫌だけれど、ご飯は美味しいらしいよ。なんたって、王宮の調理人たちが作るんだからね。美味しいご飯を食べに行くって思おうよ」
 どれだけご飯が美味しくたって、家で三人で食べるご飯に勝るものがないことはジャックだって分かっているはずなのに。でも、ジャックにとっての世界の中心はギルバートだから、ギルバートを困らせないように、彼は俺と違っていつも物分かりの良い態度を貫く。
 だからこそ、俺が代わりに我儘を言ってやるんだ。
「学校も行きたくないよ。いまだに俺たちのことを腫れ者扱いする人間がいるじゃないか。教師だって俺たちのこと見てやしないし。あんなところ行くくらいならギルバートが教えてくれた方がよっぽど分かりやすいし」
 俺の言葉にジャックは笑みを零す。
「何だかんだ、君は兄さんが大好きだよね」
 急にそんなことを言われて、俺はついカッとなってしまった。自分でも顔に熱が集まっていることが分かる。
「き、君に言われたくない。君だって兄さん兄さんって五月蠅いじゃないか」
 俺の必死の反撃も、ジャックにとっては痛くも痒くもなかったらしい。涼しい顔でニコリと微笑まれる。
「だって、僕は兄さんのこと大好きだからね。もちろん、ジェームズのことも好きだよ。さ、早く食べて学校行こうか。行きたくないのは僕もだけど、兄さんのために外聞は良くしておかないと」
 その顔もギルバートそっくりで気に入らない。そんなこと言ったら怒られるから、言わないけれど。
 ジャックに急かされるままに残りの朝食を食べきって、身支度を整えてから二人で学校へ向かうのだった。
 学校は、貴族の令息令嬢が通うところに半ば強制で編入させられた。俺たちは貴族の礼儀作法なんて少しも知らなかったから、庶民が、とか、あんなのが同じ学校に通うなんて、とか聞こえるように陰口をたたかれた。本当に学校に行きたくなかったけど、ジャックは行くことをやめなかった。彼をこんな場所に一人にしておきたくなかったから、俺はなんとか毎日通った。
 流石に六年も通えば、礼儀作法も馬鹿にされない程度に身についた。ギルバートが功績を残すおかげで、学校での立場も悪くはなくなった。
「じゃあね、ジェームズ。変なことはしないで、授業はちゃんと受けるんだよ」
 ジャックは俺に小言を言うと、隣の教室に吸い込まれていった。教室からは彼に挨拶をする女生徒の声も聞こえてくる。誰だっけ、確か、どこかの伯爵令嬢だったかな。
 俺も諦めたように教室の自分の席に着くと、数人が挨拶をしてくる。
「おはよう、ジェームズ」
 俺に挨拶をしてくるのは、軍の関係者の令息が多い。ギルバートは直属軍のトップだから、陸軍海軍の関係者の親戚はやたらと俺に話しかけてくる。空軍トップの令息は年が近くないからか、会ったことすらないけれど。
「おはようございます、ジェームズ様」
 やはりご令嬢。言葉遣いが丁寧だ。こんな世界があるなんて、昔の俺は考えたこともなかった。
「おはよう、エミリー嬢」
 俺が返せば、彼女は俺の隣の席に座る。エミリー嬢は誰の親戚だったっけ。忘れたけれど、結構偉い人のご令嬢だったはず。
 いまだに俺のことを遠巻きに見てくる生徒もいるけれど、気にしないのが一番だ。どうせ、授業について行くので手いっぱいなのだから。
 そんなこんなで午前の授業が終われば今日はおしまい。ジャックと一緒に帰る予定だけれど、ジャックはあの人当たりの良さで結構人気があるらしく、授業が終わっても他の生徒と話していることが多い。俺はいつも教室で課題を終わらせながらそれを待つのだ。
 でも、今日は違った。
 なんとなく、外の空気を吸いたくなった。それは、今日は課題が少なかったからか、それとも、元々の飽き性が由来したからか分からないけれど、俺はぼんやりと中庭に出た。机の上に荷物を置いたままにしているから、そのうちジャックが探しに来てくれるだろう。
 中庭はよくご令嬢方がお喋りだったりをする場所として使われているけれど、授業を終えた後だからか人は少ない。
 ジャックが良いって言ってくれたら、ここでご飯食べるのも良いなあ。ジャックはよく色んな人に誘われているから難しいかもしれないけれど。
 六年は通っているはずなのに、滅多にこない場所を散策するのは思ったよりも楽しかった。金持ちばかりが通う学校らしく、中庭は庭師が手入れをしている。
 そろそろ迎えが来そうだし、教室に戻った方がいいかなと考えたところで、何か叫ぶような声が聞こえたから、俺は興味本位でその声の方に寄って行った。あまり人が行くようなところではないところで、数人のご令嬢が一人を取り囲んでいる。
 叫んでいたのは、数人のご令嬢の中でも濃い茶色の髪の子だった。
「貴方が、この学校に通うなんて! この名門に顔を塗るようなものだとまだ分からなくて?」
 ああ、俺もよく言われた言葉だ。と言っても面と向かって言われたことはないけれど。
「いい加減にしなさいよ、この娼婦の娘が。さっさとここから消えなさいよ」
 そこからは聞くに堪えない罵詈雑言。いやいや、ご令嬢が使う言葉じゃないでしょうってくらい酷いものもあった。まだ、俺たちが昔住んでいた村の悪ガキの方がましだ。
 囲まれている女の子は何も言い返さずに、ただ静かに肩を震わせていた。下手に口を出して、恨みを買いたくはなかったし、顔のきつい彼女がどこのご令嬢か分からないけれど、下手をすればギルバートに迷惑がかかる。二人を守るためなら、他人は切り捨てないといけないって分かっているつもりだったけど、どうしても見ていられなかった。
「それくらいにしておいた方が良いと思いますよ」
 無関係な人間の登場に彼女たちは驚いたようだったが、すぐに言い返してきた。
「関係のない方は黙っていてくださると嬉しいわ」
「でも......」
 彼女の勢いに負けそうになる。殴ったり魔法をかけたりしてはいけないのはなんとも不便だ。
「貴方には関係のないことです。見なかったことにして帰宅なさった方がよろしくてよ。それとも」
「イザベラ様。この方は、直属軍魔導師殿の弟君ですわ。あまり敵対しない方がよろしいかと」
 イザベラと呼ばれたご令嬢の取り巻きの一人だろうご令嬢がそんなことを告げる。イザベラ嬢はそれを聞いて、ふっと笑った。
「そう。これは失礼いたしました。私はテイラー公爵家のイザベラと申します。以後、お見知りおきを」
 それだけ告げて、俺の名前も聞かずに彼女は去っていった。歩く様子は可憐で美しいのに、あの言葉遣いは残念過ぎる。でも、ご令嬢ってことは婚約者がいて、婚約者の前ではあの美しさで佇んでいるんだろうな。
 女の子って怖い。
「あ、あの......」
 完全に固まっていた俺の耳に控えめな声が届いて、俺は慌てて彼女に手を差し出した。
「すみません、何もできなくて。大丈夫ですか?」
 彼女は下を向いたままなので、差し出した手に気付くことはなく、小さな声で礼を言ってきた。
「いえ、助けてくださってありがとうございました。私はテイラー公爵家のシャーロットと申します」
「あれ、じゃあ、イザベラ嬢とは姉妹なのですか?」
 俺の質問に、彼女は相変わらず聞き取れるか否かというくらいの小さな声で、形式上は、と答えた。
「えっと、その。少し待っていてください」
 よく分からないけれど、他人の事情に口出しをする権利は俺にはないだろう。俺はポケットに入れてあったハンカチを中庭の噴水で濡らしてから、彼女の元に戻った。不作法であることは分かっているが、魔法を使う訳にもいかないので、濡れたハンカチで汚れている彼女の膝や髪を拭いてあげた。元は綺麗だったのだろうドレスも、蹴られた跡が目立つので、ハンカチでぽんぽんと叩くように拭けば、乾けば目立たないだろう程度には綺麗にすることができた。
 さらさらとした金に近いような薄い栗色の髪で隠れてしまって見えないけれど顔は大丈夫なのだろうか。でも、顔見せろって言うのも失礼な話だし。ていうか、俺が膝とか髪を拭いている時も全然反応なかったけれど、俺の不作法に驚きすぎて固まっているとかではないと良いな。
「あの......」
 恐る恐る彼女の顔を覗き込もうとしたら、彼女は勢いよく顔をあげた。
 やはり頬も少し汚れているけれど、俺はそれ以上に彼女の瞳に魅入っていた。
 ギルバートともジャックとも違う、キラキラの翠色。
「うわあ、綺麗」
 俺が思わず口にしてしまうと、彼女は耳まで真っ赤にして顔を伏せた。俺も、自分のしてしまったことに気が付いてしどろもどろになる。
「あ、ごめんなさい。あの、瞳がね、そんなに綺麗な瞳は見たことが無かったから。驚いてしまって。あの、ご令嬢に対して失礼をしてすみません」
 彼女は彼女で、えっと、とか、その、とか意味をなさない言葉ばかりを口にしているから埒が明かない。
「えっと、顔をあげてもらってもいいですか。頬も少し汚れてしまっているみたいなので......。あ、俺が拭く必要もないのか。これ、使ってください」
 俺が差し出したハンカチを受け取って、きゅっと握りしめた。
「あの、これで失礼しますね」
 これ以上の沈黙に耐えられそうにない。
 俺は教室に戻ろうとそそくさと踵を返す。彼女をあの場所に放置したままで良いのかとも思ったが、彼女だってご令嬢なのだから、誰かが迎えにきたりするのだろう。あんな物陰で、男と二人きりなんてあらぬ誤解だってされるかもしれない。
 急ぎ足で教室に戻れば、ジャックは俺の机で静かに本をめくっていた。俺の足音に気が付いたのか、こちらに顔を向けてから本を鞄に仕舞う。
「どこに行っていたの? 待ちくたびれちゃったよ」
 茶目っ気を含ませて笑うジャックに、俺は先ほどまでの緊張感から解放されて心底安堵する。
「君だって俺のことをよく待たせるじゃないか。お相子だよ」
「そうだね。さ、帰ろう。帰りに仕立屋に寄らないといけないから、少し遠回りだよ」
 俺はまとめてあった荷物を背負って、二人で学校を出た。仕立屋で用意されていた自分たちの服に袖を通して最後の調整をしてもらう。服を受け取ってから、俺たちは今度こそ家に向かう。
「そういえば、今日はどこに行っていたの?」
 ジャックに尋ねられて、答えていなかったことを思いだす。
「中庭だよ」
 何となく、よその家庭の事情を勝手に話すのも憚られて、俺はそれだけを答えた。ジャックは、そっか、とだけ言って、それ以上は何も聞いてはこなかった。
 次の日、俺はどうしても気になって、また中庭に行った。昨日と違って今日は午後の授業もあったけど、放っておけなかった。何もなければそれでいいじゃないかと言い聞かせながら、中庭の端の方に行けば、今日も彼女はいた。昨日と違うのは、今日はシャーロット嬢だけで、イザベラ嬢やその取り巻きのご令嬢はいないという点だ。
 彼女は直接地面の上に座り込んでいて、今日もドレスが汚れてしまっている。ご令嬢も外でお茶を楽しんだりはするだろうが、そう言う時って地面に何か敷いているものじゃないのかな。
 俺の足音に可哀想なくらい肩を跳ね上げてこちらを振り返った。ここにいるのが俺だと分かると、あからさまに安心したような顔をしてから、その顔を伏せてしまった。
「あの......」
 俺が声をかけても、彼女はこちらを見てはこない。
「あの、学年を教えていただけませんか」
「あ......。えっと、九年です......」
 九年生ということは俺の一つ上なのか。
「そうなのですね。おれ、あ、私は八年生です。申し遅れました、ジェームズと申します。庶民の出で、名字も家名もありません。王宮直属軍魔導師ギルバートの実弟です」
 俺の言葉に何を返すわけでもなく、彼女は俯いたままだ。
「授業は終わっていますが、帰られないのですか? 公爵家のご令嬢なら、ご家族や侍女が心配するのでは」
「いいのです。誰も、私のことを心配はしないから」
 顔を見ずとも、悲しんでいることは分かった。でも、心配しないなんてことあるのだろうか。
「ご家族はきっと心配されますよ」
「あの、私のことは放っておいてください。お借りしたハンカチは必ずお返ししますから」
 そんなこと言われてもなあ。俺だって血も涙もないって訳ではないから、放っておけと言われて、放っておくなんてできやしない。でも、気の利いた会話ができるわけでもない。
「あ、そういえばですね、今日はお菓子を持ってきたんです。一緒に食べませんか?」
 俺がいつもお腹を空かせているからか、いつからかお菓子を持ってきてくれるようになったエミリー嬢。彼女自身もお菓子作りが好きとかで、歪なクッキーとかもよく渡される。でも、美味しいから俺はいつもありがたくいただいている。
 今日もエミリー嬢にクッキーをもらったから、それをそのまま鞄に突っ込んで取っておいたのだ。
「これ、とっても美味しいですよ」
 包みを解いて彼女の前に差し出す。やはり彼女は何も言わない。仕方がないので、俺は彼女の隣でクッキーを美味しくいただいたのだが。
「クッキーは嫌いでしたか。何かお好きなものはありますか?」
 ここまで無視されると悲しいものがある。どうしたものかと考えてながらクッキーの包みを縛っていたリボンを引っ張ったりしていたら一つ思いついた。
「あの、いつもここにいるのですか? 明日もいますか?」
「授業が終わったら、いると思います」
「そうですか。では、また明日!」
 俺は急いで教室に戻って、やはり俺の席で本を読んでいたジャックを引っ張って学校を出た。ギルバートから言いつけられた用事が無い限り、滅多にしない寄り道を今日はした。目的地である若いご令嬢に人気らしい小物が置いてあるお店、と言っても置いてあるのは高級品ばかりだが、にジャックと入った。
「急にどうしたの。こんなところに用事なんて。ていうか、ここって僕たちに買えるようなものあるの?」
「分からないから入ってみたんじゃないか。でも、ギルバートに渡されているお小遣いって結構な額だから、何も買えないってことはないと信じたい」
 こういうお店はご令嬢が侍女や執事と一緒に来たり、誰か好きな人に渡すために男が買いに来たりするところであって、俺たちのような子どもが二人で来るところではないから人の目を引いた。でも、俺たちの着ている制服が俺たちの身分を主張しているようなものなので、子どもだけで珍しいがそんなこともあるのだろう、程度の目線だけだった。
「ねえ、ジェームズ。値札がないんだけど......」
 ジャックが俺に耳打ちをしてくる。確かに値札が置いていない。でも、値札が無くて怖いのは、ギラギラしたネックレスとか、重そうな耳飾りで、俺が欲しいのはそういうのではない。自分が買う気は無いからか、興味津々にショーケースを眺めているジャックを放置して、俺はお店の中をぐるぐると見て回る。
 俺は失念していた。ネックレスや耳飾りみたいな分かりやすいものは良いけれど、俺が探している髪につけるのがどういうものかがさっぱり分からないことを。
 ブローチも髪飾りも、学校のご令嬢が付けているのはどれも同じに見えて、どこが違うのか分からない。そうなると、探したところで、目当てのものがどれなのかが分からないのだ。
 出直すべきか、どうするか悶々と悩んでいたら、お店のお姉さんが助け舟を出してくれた。
「何かお探しですか、お坊ちゃま」
「あ、えっと、髪につけるものが欲しくて。髪を纏められるものって言うのかな。せっかく瞳が綺麗なのに、隠れてしまうのは勿体ないから」
 俺の言葉に、お店の人はふふっと微笑んで、お店の一角に案内してくれた。ただ髪につけるだけの装飾品。髪を纏めるリボンにキラキラと石が付いたもの。どれも綺麗だけど、どれがいいとかは全く分からなかった。
 俺の拙い説明で、お姉さんはいくつかのリボンと、よくご令嬢が髪につけているちょっと重そうな髪飾りを出してきてくれた。
「これは髪を纏められるの?」
「全ての髪を纏めるのは無理ですが、前髪くらいでしたら留めることができますよ。髪をきちんと纏めたいのでしたら、リボンの方が良いかと思います」
 説明を聞いて、俺はいくつかのリボンに目を向ける。ピンクとかオレンジとか黄色のリボン。俺の背格好を見てか、リボンの端に石が少しだけ付いているというシンプルなもの。これだったら、あまり高くもないのだろう。
「これがいいな」
 俺が手に取ったのは薄い緑色でふちに白いレースが付いているリボン。端にはリボンよりも少しだけ色の濃い、彼女の瞳と同じ色の石が付いていた。
 あの、薄い茶色の髪にも似合いそう。
「かしこまりました。お支払いはいかがいたしますか。ご自宅にお付けすることもできますが」
「えっと、足りれば今払っちゃうし、足らなければうちに付けて欲しいんだけど......」
 俺はそう言って、恐る恐る今日持っていたお金を鞄から全部出すと、お姉さんは一瞬驚いたような顔をしながらも、その中から金貨を一枚だけ持っていった。
「この一枚で十分ですよ。では商品を包んで参りますね。お釣りはその時ご一緒にお渡しします」
 残りのお金をギルバートが買ってくれたお財布に戻すと、ジャックが寄ってきた。
「買えた?」
「うん。金貨一枚でお釣りが出るって」
「そうなんだ。じゃあ、このお店は色んなお客さんを相手にするお店なのかもしれないね。僕、ネックレス見ていたんだけど、大きめな石が三つくらいついたネックレスに若いお兄さんが金貨十枚くらい渡していたから吃驚しちゃったよ」
「俺が買ったのはリボンだからね。高くはないだろう」
 ジャックはふーんと少しだけニヤニヤとしていた。
「なんだい、その顔」
「ねえジェームズ。そのご令嬢と仲良くなれたら、僕にも紹介してね」
「ああ、いいよ。瞳がすごく綺麗な子なんだ。仲良くなれたら紹介するよ。でも、今のところ完全に無視されているから難しいかな」
 俺の答えにジャックは拍子抜けしたように肩をすくめた。何て言って欲しかったのかよく分からないけれど、丁度お姉さんが戻ってきたから聞きそびれてしまった。
「お待たせいたしました。こちらが先ほどのお品物になります。こちらがお返しです」
 俺がどちらも鞄に突っ込むのを確認すると、お姉さんは俺たちが店の外に出るまでついてきた。
「本日はありがとうございました。喜んでもらえるといいですね」
「こちらこそありがとう、お姉さん」
 お姉さんに手を振りながら俺たちは帰路に着く。ジャックはニコニコ笑っていてなんだか気持ち悪かったけど、気にしないことにした。
 次の日、俺は嬉々として昨日買ったリボンを持って中庭の端に行った。彼女はやはりそこにいて、俺は隣に腰を下ろす。彼女は相変わらず何も言わなければ、こちらを見もしない。
「あの、これ、もし良かったら受けとってもらえませんか?」
「え......?」
 長い髪の隙間から、翠の瞳がのぞいていた。
「昨日、ジャックと買ってきたんです。あ、ジャックっていうのは双子の兄弟なのですが」
「ですが、いただく理由がございませんので」
 そう言ってまた下を向いてしまう。こちらを見もしないその態度に何となくカチンときてしまって、俺は彼女の顔を両手で挟み込んで無理矢理に俺と視線を合わせた。
「あのさあ、流石にここまで失礼な態度をされるとこっちも面白くないよ! 俺のことが嫌いとか、庶民と話すつもりがないって言うならはっきり言ったらどうだい! 分かりやすく陰口叩かれる方がよっぽどましだぞ!」
 彼女は驚きを隠せないような目をしていた。
「何とか言ったらどうだい!」
 俺が怒鳴ったからか、それとも元々の性分なのか、彼女は顔を下に戻そうとしたが、そうはさせない。俺は彼女の顔から手を離さずにじっと見つめ続けた。しまいには彼女は目を潤ませ始める。
「あ、あの、手を離してくださいませんか」
「君が自分でこっちを見るまでは離さないよ」
「分かりましたから。あの、お願いします」
 半泣きで言われてしまって、俺は漸く自分のしてしまったことを実感して我に返る。
 これは、不味いのでは。公爵家のご令嬢に暴力を振るったことになるのでは。テイラー公爵家と言ったら、この国で三本指に入る名家のはず。ギルバートに怒られるだけで済むなら良いが、ギルバートに何かあったらどうしよう。
 俺が頭を抱えていると、隣から、あの、と小さな声が聞こえてくる。声の方を向けば、彼女と目が合った。
 そう、目が合ったのだ。
「無礼な態度をお許しください。あの、その、無礼なことは承知ですが、このことはお家には伝えないでいただけませんか」
「あ、いや、お、れ。あ、えっと、私の方こそ申し訳ございません。ご令嬢のお顔を掴むなんて。家には伝えないというよりも、シャーロット嬢の方が私に謝罪させるべきではありませんか?」
 彼女は顔をぶんぶんと横に振る。
「いえ、まともに対応できない私が悪いのです。お願いします、お家には言わないでくださいませ。これ以上、あの人たちに叱られるのは嫌なのです」
 ガタガタと震えながら訴える彼女に、何か尋常ではないものを感じる。
「言いませんよ。むしろ、言わないでくれると助かるのは私の方なので」
「ありがとうございます」
 彼女の声色は明らかにほっとしたようだった。
「あの、これ、受け取っていただけませんか」
 俺はもう一度、昨日買ったリボンの入った箱を差し出す。彼女はおずおずといった感じではあったが、箱を受け取ってくれた。細くて白い指で包みを解いていく。中身を取り出して、リボンと俺を交互に見る。
「どうして、こちらを私に? お姉さまの間違いではないですか?」
「シャーロット嬢の瞳が綺麗だったから、髪の毛で隠れてしまうのは勿体ないと思って。瞳の色とお揃いなんです。もし良かったら使ってください」
 リボンをじっと見つめたまま動かない彼女を、気に入らなかったのかな、と思って見つめていると、彼女は小さく嗚咽を漏らす。
 え、泣かせた。公爵家のご令嬢を泣かせた。これは本当に不味い。ギルバートに怒られるどころではすまない。確実にギルバートに迷惑がかかる。ていうか、なんで泣くの。そんなにリボン気に入らなかったのかな。泣くほど嫌いなの。それはそれで俺も結構辛いんだけど。
「すみません、泣くほど嫌だとは思っていなくて。えっと、あの、捨てても構いませんので。本当にごめんなさい」
「違います、そうではないのです。そうではなくて」
 違うというので、俺はひとまず安心する。
「瞳を褒められたのは初めてなので......。嬉しくて」
「え、だって、そんなに綺麗な瞳なのに。宝石みたいだと思って......」
「緑の瞳は嫉妬の象徴だと。嫉妬の化け物の色なのだと、うちでは罵られるので......」
「俺、庶民だから知らないけど、貴族の間ではそういうものなのかい。でも、それって、分からないでもないかもね」
 また罵られることを覚悟したのか、彼女はきゅっと目を瞑る。俺の言い方も悪かった。
「だって、これだけ綺麗なんだもん。嫉妬の対象にもなるさ。嫉妬する色じゃなくて、嫉妬される色なんだろうね」
 長めの前髪を払いながら瞳を見つめる。俺の言葉に驚いたのか、彼女の涙は止まっていた。
 うん、やっぱり澄んだ宝石みたいだ。それにしても、家族が罵るなんて酷いなあ。他人が罵るならまだしも、家族が罵るなんて。
「君の家族は酷いんじゃないかい。家族だったら、君の瞳が美しいことを喜ぶべきだろう」
「あ、その、本当に何も知らないのですね」
「何を?」
 彼女はリボンをぎゅっと握りしめてから、ぽつぽつと家庭事情を教えてくれた。
「私の母は、庶民の出なのです。公爵であるお父様は、たまたまお母様と恋に落ちたそうです。その間に生まれたのが私です。しかし、お父様は既に今の公爵夫人と結婚されていたので、お母様と私は王都の外れで、お父様から送られてくるお金で生活していたのです。ですが、お母様が病気で亡くなって、公爵家に養子として引き取られました。ですから、私も庶民なのですよ」
 だから無理な言葉遣いはなさらなくても大丈夫ですよ、と彼女は小さく笑った。気をつけてはいるが、ついついジャックと話すときのような言葉遣いになってしまうから、外向けの言葉遣いが苦手なのは見抜かれているのだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて......。でも、公爵様が愛したのが君のお母様なら、君だって公爵様に愛されているだろう?」
「お父様は愛してくださっていると思います。ですが、お父様はあまり家に帰ってこられないので。公爵夫人やお姉様とは、あまり......」
 そこまで聞いて何も分からないほど、俺も馬鹿ではない。貴族の間ではよくあるらしい、夫人と不倫相手の関係。夫人が跡継ぎを産んでいれば、丸く収まることも多いけど、不倫相手に男の子が生まれると、それはもう手に負えないことになると。
 不倫相手の子どもには相続権は無いのだけれど、養子としてしまえば相続権も生まれる。そうなれば、銀食器が高頻度で黒く染まるらしい。
 そもそも、好きでもない人と政略結婚とかするからそういう事態になるのだと思わないでもないけれど。
「そうなんだ......。えっと、いつもイザベラ嬢はあんな感じなのかい?」
「えっと......、まあ......。ですが、お姉様は令嬢としては完璧なのです。来週の王宮主催のパーティで社交界デビューになるのですが、きっとすぐに婚約者も決まるだろうと噂されるくらい美しい方で」
「ふーん。でも、君の方が綺麗だと思うよ。それに、彼女の顔はあんまり覚えていないけれど、あの性格はちょっとなあ。イザベラ嬢と結婚する人は苦労しそうだなあ......。あ、そうだ、早くそのリボンつけて見せてよ。絶対に似合うから」
 彼女はさっと自分で髪の毛を一つに纏めて見せてくれた。普通のご令嬢であれば自分の髪なんて結べないだろうし、彼女が庶民というのを実感させられた。
「わあ、やっぱり良く似合うね。うん、良かった」
「ありがとうござい、ます」
 シャーロット嬢は耳を赤く染めながら、初めて俺の前で笑ってくれた。
※
 昨日の贈り物を渡しに行ったのか、今日もジェームズは教室にいなかった。
 あのジェームズを夢中にさせるご令嬢を見てみたい気もするが、そもそもジェームズが自分の気持ちもよく分かっていないからまだ放っておいた方が良いのだろう。
 少しずつ、少しずつ変わってきてしまう。仕方がないことだし、喜ぶべきことなのだろう。
「にしても、ひょっとしたらあのジェームズが恋をしているとはねえ」
 兄さんは二十一にもなるのに一度も恋人を連れてきたことが無ければ、そういう話を人づてに聞いたこともないから、我が家では恋愛事はどこか他人事だったのだが。
 そのうち兄さんも家庭を持って、ジェームズも家庭を持つかもしれない。その時、自分はどこにいるんだろう。
 寂しいなあ。
 僕は読もうと思って出していた本を鞄に仕舞った。どうせ今日は読もうとは思えない。帝王学も人心掌握も僕がどれだけ努力をしようと、ジェームズは簡単に僕を飛び越える。それが羨ましくて、眩しくて。
「きっと、置いていくのは君で、置いていかれるのは僕なんだよ」
 数日前の会話を思い出しながら呟く。
 考えすぎても良くないことは分かっていたので、気分でも変えようと、同じ教室のご令嬢にもらったお菓子を口に放り込んだ。東の島国である王国、ヤ―ハン国の伝統的なお菓子だそうで、砂糖だけを固めたお菓子だ。専用の砂糖だけで作っているらしく、砂糖を固めたお菓子なのに甘すぎるということが無い。
 思っていたよりも美味しかったので、今度買えないか聞いてみよう。
 甘い物を食べてぼんやりとしていると、扉の開く音がした。ジェームズが帰ってきたのかと思って振り返れば、そこには会ったことが無いだろうご令嬢がいた。濃い茶色の髪に強気な目元、髪と同じ色の瞳が印象的だ。
「魔導師ギルバート殿の弟君であっているかしら?」
「はい。ギルバートの実弟のジャックと申します。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「私はテイラー公爵家のイザベラと申します。貴方のご兄弟のことでお伺いしたいことがございまして」
 ジェームズが何かしたのだろうか。しかも、テイラー公爵家のご令嬢に。テイラー公爵家は、軍とは対峙する貴族じゃないか。そこのご令嬢と諍いなんて起こしたら、兄さんに迷惑がかかるだろうに。
「ジェームズが何か失礼をしましたか」
「失礼、というほどではありません。しかし、我が家のことは我が家のこと。よその者が口を出すことではないことを伝えてくださると嬉しいわ」
 僕は同じ教室のご子息に聞いたテイラー公爵家の養女のことを思いだした。公爵の不倫相手の子ども。それだけならよくある話だけど、面倒なのが公爵夫人は公爵を愛しているのに、公爵はその不倫相手を愛しているという点だろう。
 なるほど、ジェームズが仲良くなりたいと言ったご令嬢はテイラー公爵家の養女か。
「すみません。ジェームズからは何も聞かされておりませんので、話が見えず......。もう少し詳しくお教えいただければと思います」
「私がシャーロットに指導をしていたら、ジェームズ様が口を挟んできたのです。あまりよその家庭の事情に口を出すのは貴族としての品格が問われましてよ」
 僕たちは兄さんのおかげで身分は保証されていても、貴族ではないんだよな、と言いそうになるのをすんでのところで抑える。
「そうだったのですね。それは失礼いたしました。ジェームズには言ってきかせますので、今回はご容赦を」
 頭を下げれば、イザベラ嬢は満足したのか、頭をあげるように言ってくる。頭をあげれば、イザベラ嬢はまじまじと僕の顔を見てきて、あまり気持ちの良いものではない。
「あの......」
「いえ、何でもありませんわ。それでは、失礼いたしますわね」
 あっさりと帰ってしまったイザベラ嬢を見送り、僕は今更ながらに緊張していたことに気付く。気が抜けて床に座り込みそうになるのを耐えて一番近い机の椅子に腰かけた。
「いや、怖いって。怖すぎ。ジェームズ、本当に恨むよ」
 ジェームズの幸福は願うけど、その前に彼にもう少し世間というものを知ってもらわなければ。
 僕はため息と一緒にもう一つ砂糖菓子を口に放り込んだ。
※※
「よう、歴代最強の魔導師殿」
 王宮の長い廊下を歩いていた俺に声をかけたのは同じ王宮直属軍の副魔導師であるアルフィーだ。
「何の用だ、アルフィー」
 見向きもせずに答えれば、アルフィーは俺の肩を抱き、尋ねてくる。
「今度の隣国との戦争、勝てると思うか」
 本来、軍を指揮する立場の俺は是と答えなければならない。しかし、俺は首を横に振った。
「こちらが得ている情報のどれか一つでも真実であれば、まず無理だろうな」
「だよなあ」
「ああ。どれに対してもこちらは対抗しうる戦力がない。二つ揃えばこちらは全滅だ。何度言っても、国王も元老院の爺共も聞きやしねえ。俺だけが騒いでいるならまだしも、陸軍も空軍も無理だって言っているのに」
 俺の暴言にアルフィーは苦笑する。俺はそんなアルフィーに対して小声で問うた。
「それで、本当の要件は」
「これだ」
「ありがとう」
 アルフィーは胸元から取り出した手紙をそっと手渡してくれる。
「なあ、ギルバート。俺はお前を信じていいんだよな」
「さあな。俺は全てお前に話した。お前も俺に全てを話した。その上で、俺たちは呪いをかけあった。それでもなお、信じられないというのなら好きにしろ」
「俺は裏切られない限りお前について行くよ」
 アルフィーは殺意のこもった目で呟いてくる。普段は飄々とした態度を貫いているくせに、時々、人をすぐに消し去ってしまいそうな目をするから怖い。でも。
「そんなお前だから、俺も信じた」
 俺の言葉に、アルフィーは溢れていた殺意を納めてからりと笑う。それにつられて俺も相好を崩す。
 アルフィーは俺の二つ年上だ。俺が無理矢理に軍に配属されたときの教育係だった。俺の魔法の才能を見抜き、本来であれば配属されたての魔法使いは他の魔法使いの盾になるように前衛に立たされるのに後衛に立たせてくれた。立派な規律違反で、本来であればアルフィーは罰せられたはずだ。
『良いのか。立派な規律違反だろ』
『俺のことを心配するなら戦果を挙げてくれると嬉しい。お前ならこの国をぶっ壊せる気がするから、俺はお前を守ってやる』
 その時から、俺にとってこいつはかけがえのない存在だ。もし、こんな立場でなければ親友にだってなれたと思っている。口には出さないが。
「そういえば、今日ってパーティだろ。お前の大事な弟ちゃんたちも出席するんだよな」
「ああ。あいつらはまだ十二歳だってのに王の命だ。早すぎるとは言ったが、絶対連れてこいって言われているからな。今は荒波を立てたくはないし」
「お前の弟ちゃんの社交界デビューって噂が立ちまくっているぜ。それこそ婚約の申し入れとかもあるかもな」
「貴族の令息令嬢が社交界デビューするのは十四、五だろ。社交界デビューじゃねえし、婚約者の申し入れとかも俺は受け付けない。あいつらは自分で幸せを選ぶ権利があるんだから」
 国王主催のパーティの話をアルフィーが切り出してくるものだから、俺はぶっきらぼうに答える。それなのにアルフィーは冷かすような笑みを向ける。
「ていうか、お前はどうするんだ。第四王女から熱心に言い寄られているだろう。弟が社交界デビューなのに、とっくに成人済みの兄貴であるお前に婚約者もいないってまずいんじゃねーの」
 痛いところを突いてくる。苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう俺に、アルフィーはニヤリと笑って本題を突き付けた。
「俺の知り合いの令嬢紹介してやろうか」
「は? お前には言ってあるだろう。俺は王宮に少しでも関与する人間を家に入れるつもりはない」
「まあ、落ち着いて聞いてくれ。俺の従妹なんだよ。ああ、従妹と言っても、俺の父親の妾の姪っ子だから、俺と血の繋がりはないんだけどな。俺の父親も知らなければ、その妾も知らないことだが、その子は魔女なんだ」
 内容が内容だけに声を潜めているが、誰がどこで聞いているかなんて分からない。まして、ここは王宮だ。アルフィーの考えなしの行動を諌めようとして俺は漸く気が付いた。
「お前、いつの間に」
「やだー、最強魔導師のギルちゃんも気が付かなかったの? 俺ってひょっとして天才なのかしら」
「うるせえ。その呼び方やめろ。ちっ、いつから遮断の魔法なんて使っていた」
「本当の要件はってところからだな」
 語尾が上がったわざとらしい話し方に、俺は思わず杖を抜いたが、その手をアルフィーに押さえられる。
 くそ、完全に動きを読まれていた。
「はいはい、すぐ頭に血が上るのは良くないよー。ていうか、杖を出すってどんな攻撃しようとしたのよ」
「お前の頭吹き飛ばそうかと」
「いや、お前が言うと笑えないからな......。それで、どうする。俺の従妹に会ってみるか。今日のパーティには参加させるんだ」
 魔女であることが王宮に知られているのであれば、俺が存在を知らないはずがない。
 魔女であろうと戦場には立たされるし、攻撃魔法が使えないなら、後方支援をさせられ、慰み者にされる。魔力の低い魔女は魔法使いの妾なり愛人なりにされて子どもを生むのに使われる。ただ魔法使いを増やすための道具として扱われるのだ。
 俺は思わず舌打ちをする。
「隠れて暮らしているってことか」
「ああ。彼女の父親がこっそりと俺に相談してくれた。人前で魔法を使わないで済むように訓練したのも俺だ」
「俺に言っていいのか。仮にも魔法使いを管理する立場だぞ」
「お前のことは信用しているからな。それに、お前も立場は同じだろ」
 こんな会話をするのであれば、確かに初めから遮断をしておいてくれて正解だ。
 トップである自分が、弟たちが魔法使いなのを隠しているなんてバレたらおそらく身分?奪で済まない。弟たちは見せしめに拷問にあう可能性だってある。
 俺はふうと息を吐くと、アルフィーに向き直る。
「そのご令嬢に会わせて欲しい。ただ、俺は女なんて分からない。だから、彼女の機嫌を損ねる可能性も大いにあるからあまり期待はしないように彼女のお父上に伝えてくれ」
「はいよ。ただ、まあ、彼女も父親も形だけの婚約、結婚で十分だと言うだろう。お前も都合がいいんじゃないか」
 その言葉に、アルフィーとの身分の差を感じる。
 己の実力だけで成り上がった俺とは違い、アルフィーは元貴族だ。先祖返りでアルフィーは魔法を使えるが、それがなくとも、国の中枢にいたであろう男なのだ。
「俺、お前のそういうところは好きになれねーな」
 貧しくとも愛のある家庭で育った自分は幸せだったのだろう。愛のない結婚を良しとする貴族の考えは理解したいとは思えない。
「こればっかりは仕方ないな。でも、お前ももう少し周りを利用する事を覚えろ。ここで生きていくなら汚いこともしないといけない。まあ、俺だって、妾ばっかり抱えて母上を蔑ろにした挙句、俺をあっさり捨てやがった父親は嫌いだし、それを平気でできちまう上流階級は嫌いだけどな」
 アルフィーが俺に付いているのは、彼自身の出自のせいであることは理解している。この国の貴族としては普通の家庭環境なのだが、魔法なんてものを操る力があってしまったせいで、それを当たり前として享受することはできなかったのだと。
 魔法を見せた日に父親から向けられた言葉も、それからの魔法使いとしての血反吐を吐くような生活も、たまに家に帰るたびに兄弟に向けられる蔑みの視線も、一瞬たりとも忘れたことはないと、いつだったか酒に酔った彼の口から零れ出た。
 魔法使いの慰み者にされる魔女の泣き叫ぶ声だっていまだに耳から離れない、と。
「別に魔法使いに有利になってほしい訳じゃない。ただ、俺たちも普通の人と同じように平穏に暮らす権利が欲しいだけだ。軍に属するのだって自分の意思で決めて、結婚だって自分で決められるような」
 それは俺だって願っている。俺はともかく、あの子たちが魔法を隠さずに笑って暮らせる国が欲しいだけ。
「お前がどれだけ努力しようと、お前はその生活は送れない。お前の子どもがその望む生活を送れるかどうかだ」
「俺のことは何だっていい。身分も関係なく笑える国を、俺の子どもが何にも怯えずに笑える世界を作れって言ってんだよ。そのために俺でもなんでも使ってみろ」
 いつの間にか俺から奪った杖を喉元に突き付けられる。
「良いか、俺はお前を信じてお前の駒になってやる。死ぬ気で使え。例え俺を殺そうと、躊躇うな。それが裏切りでないのであれば、俺は覚悟はできている」
 アルフィーは俺から数歩離れて指を鳴らす。遮断の魔法が解かれた気配がすると共に、ひょいっと杖を投げられる。落とすことなくそれを受け取り、それを腰のホルスターに仕舞う。
「それじゃ、今日の夜はよろしくな。目一杯、可愛い恰好させておくから」
 ひらりと手を振り、アルフィーは去っていった。普通であればしばらくは見えているはずの背中が数歩で消えてしまうのは移動魔法でも使ったからなのであろう。
「俺でも何でも使え、汚いことも覚えろ、ねえ。そんなこと思ってもないくせに」
 アルフィーが目的のためなら手段を選ばないという人間ではないことはよく知っている。でなければ、最初の戦争で功績なんてあげられなかった。あれだけ魔法にも人の動きを察知することにも長けた人だ。俺を防御魔法の陣に置いて、自分が活躍する方が良いに決まっている。
 それに本当にそんなことを思っているのであれば俺に利用されるのではなく俺を利用するはずなのだ。いや、ある意味利用されていると言えるのかもしれないが、それだけなら命を預ける必要はない。
 先ほどの従妹の話もそうだろう。本当に形だけの婚約だと思って己に従妹の話をしたわけではないのだろう。
「信頼はされているんだろうなあ」
 信用している人間から寄せられる信頼は嫌じゃない。嬉しいと思う。
 だが、俺にとって最優先なのは弟たちであって、婚約しても幸せにできるとは思えない。それに、アルフィーだって覚悟しているように俺だって近いうちに死ぬ覚悟をしている。
 置いて逝くことを前提に婚約なんて失礼ではないか。死なずに済むならそれが一番理想だ。自分も生き残り、弟たちの成長を見守って。自分も幸せな家庭を築く。
 一瞬の夢想を払う。
「そんなの夢物語だろ」
 ポツリと呟かれた言葉を拾う人は誰もいない。

続





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