誰も読まない手紙

ニラ豚



 拝啓、逃げ出したお前へ。
 何をしているのですか。
 隊長はお前が来るのを待っています。こんな大事な決戦前に姿を見せないのは何事ですか。お前がいないことを確認した誰もが、当然だという顔で頷いていました。それから、お前を気にするやつはいません。どこまでも情けないです。僕も、お前も、隊の全員も。
 お前ひとりがいたところで。それで魔王に勝てるわけないと思っているのです。仮に、本当に仮定の話ですよ、僕ら兵士が明日の戦いで魔王に負けても、この世界には勇者がいます。凡人でもなく、僕らみたいに弱くなく、お前みたいに逃げ出さない、世界に希望をもたらしてくれる勇者が。
 異世界から王様が呼んできた勇者は、ええ、まあ、この世界で最強といって差し支えないでしょう。あれだけ僕らの隊長や聖騎士を完膚無きまでに叩きのめすのですから、彼が人知を超えた力を手にしているのは明らかです。一体どれほどの年月を鍛錬に費やしたのかは分かりませんが、あれで齢十八になり成人したばかりというのだから驚きです。僕たちは彼にとって役目不足なのか、少々、ほんの少しです、調子に乗ったり、見下すような発言が多くて反感を買っていますが、世間からみれば、彼は崇められ、称えられ、そして愛されています。
 しかしお前は、こう言いましたね。
「勇者がいれば俺ら座ってりゃいいだろうが」
 昨日のことです。僕らは明日に備えて訓練している途中のことでした。
 お前の怠け癖が全面に出た発言を僕は咎めましたが、周りの人間は少し笑っていました。鍛錬中だったのに放り出して出ていったお前を、誰も止めなかったのは、きっと少なからずや的を得ていたからかもしれません。
 けれど、それでも、これに意味がないとは誰も言いませんでした。汗を流して剣を振るうことも、歯を食いしばって坂道を走ることも、何かあれば盾になることも、魔物に怯えている村があれば長い道のりをどこまでもいくことも、勇者にやらせられない僕らの役目です。僕らがやっていることを勇者がいれば意味がないなんて、どこの誰にも言わせません。その僕らの中に、もうお前は入ってませんがね。
 僕には、いいえ僕ら兵士には、魔王を倒せるほどの力はありません。それでもお前みたいに諦めたり、逃げ出したりは決してしませんが。明日は何百万分の一の確率を必死に求めることになるでしょう。それでも、弱いことを罪とは呼べません。僕らは困っている人を助けることができます。魔物から小さな子供を守ることができます。守った子供の中には、いつか魔王を倒すほどの力を持つ子供がいるかもしれない。誰かを守れるだけの力があれば、可能性をつなげていけば、それを積み重ねていけば、いつか世界に平和が訪れると思っていました。
 異世界から呼んだ勇者に頼らなくても。
 当たり前ですが魔王は一刻も早く倒してしかるべき存在です。時間がかかれば犠牲者は増えます。最短な方法はこれです。疑いようがありません。最短こそが最善かどうかなんてのは、そうですね、僕が死んだ後に分かるでしょう。
 死ぬのは怖くありません。本当に怖くないんです。兵士になったとき、この瞬間が来ることをずっと覚悟してきましたから。魔王と戦って死ぬことが、兵士として最高の名誉です。お前は違うのでしょうが。吐露すれば、そんな兵士の名誉なんてへったくれもない、お前が来なくて安堵してしまう、自分もいるのです。
 騎士というほど高貴な身分の生まれではないですが、父も母も城仕えの兵士という家系で僕は生まれました。一族の誇りを胸に、これまで生きてきました。明日もです。最後まで僕は一族の男として立派にやり遂げてみせます。両親は悲しんでくれるでしょうが、これが息子の生きる道だった、と肯定してくれるでしょう。
 お前は違います。
 飢えを知っていて、家族と名乗れる人もおらず、路地裏という世界の端で孤独に生きてきたお前には、守るべき者も誇りも名もありません。それでも腕さえあればなれるのが兵士というもので、お前が隊に入って来てから、刺激的な日々でした。情緒というものが決定的に欠けているお前には散々苦労させられましたが。今になって思い返せば、どれも、まばゆくて、刹那で、落ちた星と流れるような、いややめましょう、お前と語るための言葉は、空へ持っていきましょうとも。
 信念さえあれば、兵士として真っ当に生きていけると思っていました。そうでないことも多いけれど、最後まで、僕は兵士として生きていきます。勇者に憧れた男ではなく、兵士として。自らの誓いに、殺されて死にます。僕が選んだ道をお前は選ばなかった。ただそれだけです。それだけのことに、長い手紙を書いてしまいました。二人分の夕食を食べた後なので時間がありません。そろそろ見回りの時間です。
 長くなってしまいましたが、いいですよね。手紙は城に出します。お前は二度と訪れないでしょうから、これは誰にも読まれることのない手紙です。どうせならそれがいい。
 どうしようもなく僕は兵士でした。
 人々が希望を託す男は、たったの一人です。
 僕は違います。
 
 お前は勇者を下らない存在だと扱き下ろしましたが、僕にとって勇者はそんな存在などでは、決して、ないんですよ。
 
拝啓、僕の勇者へ
お前だけでも生き延びてください。




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