夏の夜には 紫苑ミリ 湿ったままの毛先が肌に張りつく。温風で乾かすにはもう暑すぎる夜だった。ドライヤーをそこそこに切り上げ、冷凍庫に向かう。お風呂上りに食べようとアイスを用意していた。 「髪、まだ濡れてない?」 目ざとく見つけた亮一が声をかけてくる。 「扇風機あびてたら乾くからいいの」 期間限定のマロンクリーム味のアイスだった。夏真っ盛りの今にマロンクリーム味なんて、いったい誰が買うというのだろう。きっと「期間限定」というフレーズに弱いわたしみたいな人間のおかげでなんとか売り上げを保っているにちがいない。 「乾かしてあげるから、おいで」 亮一はドレッサーの前の椅子をぽんぽんと叩いて言った。一人暮らしといったら夢のドレッサーを置かなくちゃ、と奮発したけど、六畳の部屋は案外狭くてそれを置いたら勉強机を入れるスペースがなくなってしまった。うちにあるインテリアと呼べるものは、そのドレッサーと、ベッドとハンガーラックくらい。そのほかの雑多なものは全て、押し入れ収納に詰め込まれている。 「お願いします」 アイスとスプーンを持って椅子に滑り込むと、亮一は勢いよくわたしの髪を乾かし始める。 雑多な家。ずぼらな家主。にもかかわらず、亮一は引きもせず可愛いと言うし、こうして甘やかしてもくれる。 好きだなあ、と呟いた声はドライヤーの音にかき消された。 「なんて? 」 スイッチを切ってから、亮一が尋ねる。かき混ぜられてぼさぼさになった髪を見て少し笑った。 「いい気分、って言ったの」 「そりゃあもう、お姫様みたいに扱ってますからね」 「実質、姫だからね」 亮一は恭しくかしずいてみせた。苦しゅうない、と言ってアイスを口に含む。奇をてらうのはあまり良くないと感じる味だった。 「美味しい? それ」 「ひとシーズンで消える命だね。きっと」 ひとくち、と言ってしゃがんだ亮一の唇にスプーンをやる。口に含んで少しして、亮一は顔をしかめた。 「なんというか。味もサイズ感も、出す季節も全部間違えた感あるね」 「確かに」 大容量のカップアイスにする代物ではなかった。冷凍庫の中に入っているバニラ味に思いを馳せる。素直に王道を選べばよかったと、期間限定に目がない自分の性格を恨み始めていた。 「おれもアイス食べよっかな。もらうね」 冷凍庫が開かれる。ああ、愛しのバニラ味。亮一の手に収まったそれはいつもより輝いて見える。 「ひとくちちょうだい。口直しに」 開いた口の中にひやりとしたそれが運ばれる。やっぱり美味しい。バニラにしておけばよかった、というわたしの後悔を見てとったのか、亮一は笑った。 「半分こにしようか。バニラと混ぜたら緩和して食べやすくなるかも」 「そしたらマロンの体積増えるじゃん」 亮一は笑った。つられてわたしも笑う。結局、亮一は半分より少し多くマロンクリームを取り、わたしには半分より少し多いバニラをよこした。優しいから好き、だった。亮一からデートに誘われるようになった頃は。今はもう、そんなことは超えてしまって、例えば彼がバニラアイスをひとりで食べきっていたって、それでもわたしは変わらず好きだろうと思う。 ふたりで歯を磨いて、ベッドに潜りこむ。ドライヤーの温風を避けたくなるほど暑い夜なのに、それでもわたしたちは小さなシングルベッドにぴったりとくっついて寝る。暑いねと言いながら、眠りたいような、眠ってしまうのがもったいないような夜を過ごす。こんな暑い夏の夜には、アイスと、好きな人さえあれば良い。
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