仮面の下 走ル高麗人参 だる。早く昼休みにならないかな。 うーん。そろそろ授業おわ......え、あと二十分もあるじゃん。五分しか進んでない...... やばいやばいやばい、今日予習してない。当たる順番回ってきそうなのに...... 一学期火曜日の四時間目、午前中最後の授業、古典。梅雨らしく、今日は朝から小雨でも土砂降りでもない雨が降っている。いつも通りだ。雨の音も、授業も、みんなの心のコエも。 「次のページの漢詩の音読を、神宮寺さん。神宮寺香織さん?」 あら、神宮寺さんたら、また寝てる。まあ午前中最後だし、国語って眠たくなる教科だしね。 「じゃあ、飛ばして後ろの東くん」 「え、俺? あ、えーと」 やべ、よりによって予習できてないとこじゃねえか。なんて読むんだよこの漢字! 恭介くん、困ってるよね。私の予習ノート見せてあげようか。いや、でも......。 「東くん、焦らなくていいから。ちなみに次の漢字は、、と読みます」 東くん、予習してないのかしら。いつもちゃんとしてるのに、珍しいわね。 原先生、優しいなあ。他の先生だったら表面上はどうあれ内心半ギレだよ。そりゃ、昼休み前後の授業をほとんど睡眠学習してる香織と、予習してこない恭介が百パー悪いんだけどさ。 キーンコーンカーンコーン 「はい、じゃあ今日はここまで。次の授業は三十二ページの書き下し文をノートに書いてくること。あ、それと今日は配布物があるから掃除の後、ショートホームルームを行います。すぐ終わるから教室で待っておいてください」 ええ、今日は部活で外部コーチが来るのに...... カノジョにちょっと遅くなるって伝えとかないと。 今年はクラス担任も原先生だし、当たりだな。去年の担任なんかずっと生徒の品定め(特に女子)してたし、ホントに最悪だった。それなりに人気の先生だったのが余計残念だ。クラスメイトも、まあ、いかにも高校生らしい感じだし、許容範囲内かな。 授業が終わるや否や財布を握りしめて購買にダッシュするやつ、弁当を持って友達の席に集まるやつ、ザ・高校の昼休みって感じだ。 さ、僕も恭介を誘って学食に行こうかな。恭介は、っと、お、香織と話してる。 「香織、お前が爆睡してるから俺が当てられたじゃねーか。予習してなかったのにさ、ちょっと焦ったわ」 「ふああ、おはよ~。え、私当てられたの? 全然気づいてなかった」 突っ伏していた顔を上げて、香織が応じる。うわ、おでこにすごい跡ついてる。 「当てられた時に焦りすぎだろ、恭介」 さっきの恭介の狼狽えっぷりを思い出しながら声を掛けた。 「いや、だって焦るだろ。苦手なうえに予習し忘れてたし、詰んだと思ったわ」 「隣の川西さんがノート見せようとしてくれてたぞ。未遂だったけど」 「は? どういうこと、ってああ、例のアレか」 さすが恭介。察しがよくて助かるよ。 「心読めるってやつ? じゃあ問題。私は今何を考えているでしょうか?」 学食の今日の日替わりランチなんだっけ? 「今日の日替わりは定食ランチがチキン南蛮で、丼ランチが親子丼だ」 「お~。さすが舜。私定食ランチにしようっと」 神宮寺香織と東恭介は僕、篠崎舜の幼馴染だ。僕が他人の心を読めることも知ってる。現状、このことは僕ら三人の秘密だ。 「香織も今日は学食か? いつも川西と教室で弁当だろ?」 「麗奈、昼休みに図書委員の仕事あるんだって~。お母さんも今日は夜勤明けだから、お弁当がないのです」 だからね、お昼ご一緒してもいーですか? 「一緒に食べるのは構わないけど、そういうことは、ちゃんと口で言え」 「いいじゃん、伝わるんだから」 「俺には伝わってねえからな?」 おなかすいたー。学食学食...... 今日の日替わりなんだっけ? クラスメイトのコエだな。僕たちもそろそろ。 「ほら、学食混む前に早く行こう」 二年の教室がある一号館の二階から、一階に降りて渡り廊下を通り二号館へ。二号館の一階フロアが学食になっている。窓が曇ってて見えにくいけど...良かった。多少の列は出来てるけど席はじゅぶん空いてそうだ。 「定食ランチお願いしま~す」 「俺も定食ランチで」 香織、恭介、僕の順で注文の列に並んだ。僕は丼ランチにしよう、定食ランチより安いし。ん? おばちゃん、いつまで恭介に微笑みかけてるの、僕注文してもいいかな。 「東くん、この前はありがとおねえ。おばちゃん大助かりだわあ」 「いえいえ、いつもお世話になってますから」 ああ、先週買い替えた机と椅子の搬入を手伝ったときの話か。そりゃ大助かりだろうなあ、半数ぐらい俺が運び入れたしな。すごーい、さすが男の子ねえとか言いながら、一台運ぶごとに雑談してたもんなあぁ。久々に筋肉痛になったわ。 うわあ、災難だったね、恭介。でもさ、胸中そんなに皮肉ってるのにニコニコ話せるの、やっぱりさすがだと思うんだよ、僕は。 「はい、定食ランチです。チキン南蛮サービスしてあるからね」 おばちゃん、小声のつもりかもしれないけどガッツリ聞こえてるよ。香織、わざわざ振り向いてまで恭介の皿ガン見するんじゃないよ。相変わらず食いしん坊だな。 無事三人とも席を確保できてよかった。出入り口に一番近いテーブルの、端っこ。出入り口に対面する向きに香織、その向かいに端から恭介、僕で陣取った。人が出入りするたびに外のぬるい風が直撃するけど、混んでるし文句も言ってられないか。 「恭介~。チキン南蛮交換しよ~」 「香織、恭介のは手伝いのお礼なんだから遠慮しろ」 「ははは、そういうことだからお前にはやらん。香織も何かおばちゃんの手伝いすれば? サービスしてくれるかもしれないぜ? フロアの掃除とかいいんじゃないか」 ......どこだろ......。 「ココの掃除は他クラスの掃除当番の子がやってるよ~。あ、ほらその子とか」 香織が箸の先で恭介を指した。 「香織、人に箸を向けるのは、」 「あ、東くん!」 背後から女の子の声。さっき聞こえてきたコエと同じだ。香織が指さしたのは恭介じゃなくてこの子だったのか。どっちみち失礼なことに変わりないけど。 「東くん、いまちょっといいかな」 「ああ、大丈夫だけど」 うわあ、勢いで来ちゃったけど、どうしよう......。探し物手伝ってもらったお礼に手作りクッキーとか、重すぎ? 一緒に友達もいるし、気があるって思われちゃうんじゃ......。いや、むしろ思われたほうがいい、のかも? うんうん、青春してるなあ。ガンバレ! って言いたいところだけど、厳しいだろうな。だってさ、今、恭介のコエすごいからね? こいつ、この前家の鍵無くしたとか言って一時間以上探し回った挙句、ブレザーの内ポケットに入ってたとかぬかしやがった奴じゃねえか。俺が散々ポケットとかバッグとかもう一回探せって言ったのに、それは絶対ないの一点張りだった癖によ。 例のごとく、表情と本心が一致してないんだよなー。ま、本心がどうあれ恭介が拒否することはないから安心して渡しなよ。 「こ、これ、この前探し物手伝ってくれたお礼。ほんとにありがとう。口に合わなかったら捨ててくれていいからっ。それじゃ」 女の子が立ち去る前に恭介が声をかける。もちろん、さわやかなスマイルで。 「わざわざありがとう。これ、手作り? すげえうまそう」 「う、うん。お菓子作り、趣味なの。でも、ホント素人だから、無理しないでね。それじゃあっ」 こんどこそ女の子がドアを開けて出て行った。わざわざクッキー届けるためだけに来たのか。健気っちゃ健気なんだけどなあ。 「恭介、モテモテじゃん。あの子去年同じクラスだったけど、めっちゃ料理上手だよ。そのクッキー絶対おいしいよ。一個ちょーだい」 はあ、香織は隙あらば食べ物ねだるなあ。前世で餓死でもしたんじゃないか。 「恭介、一応伝えとくけど、あの子、鍵無くしてなかったぞ。普通にポケットに入ってるの知ってて、探してるフリしてた」 実は僕、その現場を目撃してるんだよね。あの女の子と恭介がうずくまって何かしてるのが見えたから、声をかけようとしたんだけど......。 やった。東くん優しいから、困ってるフリしたら声をかけてくれると思ったのよ。ホントは鍵、ポケットに入ってる。嘘ついたのは悪いけど、東くんと二人きりになれる機会なんて滅多にないし。もう少しだけ。 っていう甘酸っぱい青春のコエが聞こえてきたから、僕はお呼びじゃないなと思ってそのまま帰ったんだ。 「マジかよ。俺そのせいで電車何本も逃したんだけど」 「しかも恭介の掃除場所、第一体育館だろ? 教室に戻るとき絶対通る所を狙ってたみたい。計画的犯行だね」 女の子にとってはドキドキ青春の一ページかもしれないけど、それに付き合わされる恭介にしてみればいい迷惑だろうね。ていうか香織といい、あの女の子といい、何で他クラスの掃除当番を把握してるんだ? 「舜、それ恭介にバラしていいの?」 それバラしていいの? 香織が不思議そうに訊いてくる。批判的な意味が含まれてないのはコエを聞けば分かる。 「良くはないだろうけど、言っても言わなくても、あの子に脈がないのは変わらないだろ。な、恭介?」 「本人に振るなよ。......まあ、そうだけど」 「ふーん。じゃあそのクッキー貰っていい?」 結局食べ物目当てかよ。 「それとこれとは別」 その後はいつも通り授業を受けて、そして放課後。 「掃除当番の人たちもみんな帰ってきましたね。それではショートホームルームを始めます」 授業後に予告されていた通り、ショートホームルームが開始された。ちらほら何の話? っていうコエが聞こえてきてるけど、こういう時心が読めるって便利だなって思う。担任の原先生のコエを予め聞けばいいだけだし。因みに今回は今月の学級通信の配布と四月に受けた校外模試の返却だ。......模試か。やっぱり聞かなきゃよかった。 「まず今月の学級通信を配布しますね。一枚とって後ろに回してください」 うちの学級通信は月に一回、A4用紙両面刷りのものが配られる。クラス担任によって結構レイアウトが違うから、見比べてみると面白い。今年の原先生は、古典の先生だからなのか毎回プリントの最初と最後に頭語と結語が書かれている。今月のは「啓上」と「拝具」だ。先月は確か「拝呈」と「敬白」だったかな。手紙なんて普段書かないけど、こういうのを知ると書いてみたくなるのは僕だけじゃないはず。 「はい、じゃあ次は春休み明けの模試を返却します。国語、数学、英語、全部返します。質問は各教科の先生に」 「えー、いらないよー」 よし、僕の覚悟はもう決まっている。 「出席番号順に取りに来てください。......篠崎くん」 点数を見ないように受け取って、最短ルートで席まで帰る。答案を伏せて机におき、イスに深く腰掛けて、深呼吸を一つ。そして一気に裏返す。僕の点数確認ルーティン。よし、赤点は回避。 「点数に一喜一憂せず、間違えた問題は必ず復習して次に生かすように。間違いは、やり直して出来るようになればいいだけですからね」 ショートホームルームも終わって、僕、香織、恭介の三人で駅まで歩く。校門から出たところで、香織が口を開いた。 「恭介、舜~。テストどうだった?」 絶対来ると思った。 「お前には教えたくない」 「僕も恭介と同感だな」 テスト返却日に帰りが一緒になるといつもこうだ。香織が点数を聞いて、僕と恭介が渋る。 「えー、いいじゃん。それこそ話したって点数が減るわけでもないんだしさ。ちなみに私は国語が九十二点、数学が百点で、英語が九十八点だったよ」 僕と恭介が渋る理由、分かってもらえたと思う。 「なんで、いっつも授業中寝てるお前がそんなに頭いいんだよ......。不公平だ......」 その気持ちはめっちゃ分かる。でもなあ。 「そういう恭介だって大概頭いいじゃないか。今回も点数良かったじゃん。嫌味か?」 次の日、僕はいつも通り始業のチャイムが鳴り終わるぎりぎりで教室に駆け込んだ。最近はいつもこうだ。チャイムが鳴り始めても余裕だとか思ってる自分がいて怖い。ってあれ? いつもならみんな席に着いてるのに、今日は座っている人のほうが少ない。というか、教室の中に人が少なすぎる。廊下と反対側の窓から黒い後頭部らしきものがチラチラしてるけど、え? みんなしてベランダで何してるの? 「あ、舜。おはよ~」 皆と一緒にベランダにいた香織が声を掛けてくれた。 「おはよう。どうしたの、これ?」 「ああ、なんか恭介が登校中に子犬拾ってきたんだって。さっきまで皆、先生とか用務員さんと一緒に下でその子犬を見てたんだけど、先生が予鈴鳴ったから恭介以外は教室に入りなさいってさ」 「で、やっぱり気になるからベランダから覗いてたと」 「そういうこと」 僕も皆に倣ってベランダから下を眺めてみた。お、ほんとだ。白い子犬が校旗を掲げるポールに繋がれてる。そのポール、そんな使い方していいんだ。 「皆さん着席してください」 びっくりした、原先生、いつ教室に入ってきたんだ? ベランダに出ていたクラスメイト達は、バラバラと教室の中に帰ってきた。名残惜しそうに、一度下をのぞき込んでから戻る子もいる。みんな小動物好きだな。僕も好きだけど。 「おはようございます。じゃあ、出席をとります、と言いたいところだけど、皆子犬が気になってるみたいね。先にその話をしましょうか」 子犬にはしゃぐ生徒たちを微笑ましそうに眺める先生。新任ではないけどまだ若いだろうに、お母さんみたいな安心感がある。こういう人が先生に向いてるんだろうな。 「当面は、あの子犬をこのクラスでお世話しようと思っています。東くんが子犬を拾った状況から考えて、おそらく捨て犬でしょう。ずっと学校においておくわけにはいかないので、里親が見つかるまでは、の話です」 その言葉を聞いて、待ってましたとばかりに一気に騒がしくなった。 「やった。ずっと犬飼ってみたかったんだよね」 え、犬アレルギーなんだけど。 「学校で生き物飼育するの久しぶりだな」 買い過ぎたドッグフード持ってこよう。 「何て名前がいいかな」 実際の声と心のコエが押し寄せてくる。ちょっと耳が痛くなったけど、慣れてくると面白い。何が面白いって、不良ぶってぶすくれた顔してるやつが内心めちゃくちゃ喜んでたり、逆に嬉しそうなふりしながら野良犬に追いかけられたトラウマを思い出して青ざめてるやつがいたりしてね。 「アレルギーがあったり、犬に嫌な思い出がある人、そもそも犬が嫌いな人、いろんな事情があるでしょう。なのでお世話は有志を募って、当番を組んで行いたいと思います」 あちこちから立候補の声が上がる。心のコエも併せて考えると、クラスの三分の二ぐらいはお世話係になるかな。僕もその一員なんだけどね。 仮面の下 前編 了
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