日の光と黒

あみの酸



 雲一つない青空から降り注ぐ日差しが喪服を加熱する。霊園のアスファルトからの反射も加勢して、私の体から汗が吹き出た。短く切り揃えた毛先が項に貼り付く。
 母方の祖母が眠る墓の周りで、澤井家本家の人たちに小さなペットボトル飲料を配り歩く。動ける若者がほとんどいないからと、二十歳の私は昨日今日と三回忌の法要の手伝いをさせられている。墓参りはあと線香を供えて終わりなのだが、出席者が多いためもう暫くは真夏の太陽の下に立っていなければならない。
 名前も続柄もよく分からない本家の人々の中に、細身の喪服姿を見つける。貴重な若者  と言っても彼はもう三十を過ぎているが  である澤井宗佑さんも、私と同じように親戚たちに飲み物を配っていた。意志の強そうな瞳を愛想笑いで隠している。

 宗佑さんは私から見て母方の従兄弟で、本家の次男に当たる。私が保育園の頃に本家に預けられていた時、当時高校生だった彼は私のお迎え係として何かと面倒を見てくれていた。文武両道の長男と違って部活に入っていない彼に祖父母が世話を命じただけだったのだが、いつも可愛がってくれる彼に幼い私はいたく懐いていた。着崩した学生服や毛先を遊ばせた黒髪で、やや語気の強い関西弁を話す彼が、私には絵本の王子様よりも輝いて見えた。年長の時には、褒められるためだけに自分の「山本真衣」の漢字の次に「澤井宗佑」の漢字を覚えた。それを彼に見せびらかすと「真衣ちゃん天才やんけ! 俺嬉しいわ!」と期待通りの反応を返してくれた。目を輝かせながら「そうすけくん、知ってる? いとこってケッコンできるんだよ」と彼に猛アタックしていた記憶も無駄にはっきりと残っている。
 
 宗佑さんと会うのは十数年ぶりだ。私も本家に行かなくなったし、彼も東京へ出てからあまり実家に帰っていないらしい。私の記憶にある彼は初恋の思い出で美化されている筈なのに、久しぶりに見た彼は洗練された大人の佇まいをしていて、よりいっそう魅力的に見えた。
 暑そうな喪服のジャケットを着て、車の運転など私以上に使いっ走りに遭っているであろうに、彼はその笑顔を崩さない。年配の親戚たちからの「結婚せえへんの?」「折角シュッとしてはるのに勿体ないで」といった失礼を浴びても、矢張りやや強い語気で「今は仕事が恋人やからええんです」と返している。華奢で背も高い方ではないのに、その気丈さからその背中に広さを感じた。
 
 私はペットボトルを配り終え、保冷バッグを車に戻しに誰も居ない霊園の駐車場に来た。すると後ろから「真衣ちゃん」と声を掛けられる。振り向くと宗佑さんが大きな保冷バッグを片手にこちらに歩いてきた。
 宗佑さんは、自分の車の後ろに保冷バッグを置き、そこからブラックコーヒーと甘そうなリンゴジュースのボトルを取り出した。
「真衣ちゃんはどっちがええ?」
「私はどっちでも......そ、宗佑、さん、が、先に選んでください」
「せやなぁ、自分コーヒー飲める?」
「はい」
「じゃあこっち飲んで。俺ブラック苦手やねん」
 彼はそう言って私に黒いボトルを渡し、水色のキャラクターが描かれたリンゴジュースを開封した。飲んでも余計喉が渇きそうな液体を流し込んでいる。彼は本当にブラックコーヒーが苦手なのか、それとも私への気配りなのかは分からない。
「にしても暑いなぁ」
「そうですね」
「日陰入ろ」
 宗佑さんは喪服の上着を脱いで車の荷台に置き、自分の車の陰にしゃがみ込んだ。小さく手招きをされて、私もコーヒーのキャップを開けながら彼の隣にしゃがんだ。
「久しぶりやなぁ。俺んこと覚えてる?」
「はい、覚えてます」
「えらい大人っぽくなったな。最初誰かと思ったで」
「そりゃまあ、十年以上経ってますし......」
「それもそうやな。あ、そんな畏まらんでええよ。昔は宗佑くんて呼んでたのに逆に緊張するわ。敬語も要らん」
「は、はい......」
 そんなことを言われても、昔と違って十歳以上上の人にそんな態度を取るのは躊躇われるし、私の方がずっと緊張している。熱中症になりそうに体温が上がるのを感じるが、それでも憧れの人にそう言われてしまえば従う他ないのだろう。
「ほんまにお疲れ様」
「宗佑、くん、こそ」
「お互いこき使われて大変やなあ」
「うん」
「どうせまだ時間かかるやろうし、もうちょっと涼もか」
「うん。配り終わった時まだ半分ぐらいやった、し、ね」
「よな。よう働いたしゆっくりしよ」
 上手く話せないから、ついブラックコーヒーを飲んで返事を誤魔化してしまった。沈黙が流れる。蝉の音では間を繋ぐことができない。
 ブラックコーヒーを飲んでも、初恋の人を横に際限なく喉が渇いていく。保育園児から大学生に成長するまで、ずっと彼を想い続けていた訳でもなく、今偶然いないだけで恋人がいたことも何度かある。けれど自分が持つ一番古い記憶の中で燦然とした煌めきを放っている人とこうして並んで座っていることは、かつての恋人たちとのどの瞬間よりも私の心臓を締め付けた。気持ちの良い夏風が運んでくる僅かな煙草の香りで息が詰まった。

「宗佑くん、は、彼女さんとか、いらっしゃらないんですか」
 沈黙とその他諸々に耐えきれず口を開いた。親戚から散々似たような質問をされているであろうに私は何て無神経なことを聞いてしまったのだろう。
「......おらへんよ」
 宗佑くんは落ち着いた声色で答えた。きっと私の言葉の意図が大人たちとは違うことに気づいているのだろう。
「そ、そっか。そうなんや」
 うっかり気持ちが浮き上がった。私のような子どもなんて彼の眼中にないだろうに。
「真衣ちゃんこそ付き合ってる人おらんの?」
「おらんよ」
「ふーん」
 ただ間を繋ぐためだけに恋人の有無を聞かれたのを感じた。興味ないくせにと拗ねた気分で彼の横顔を盗み見る。すると同じように横目で私のことを見る宗佑くんと目が合った。
 細く骨張った手がこちらに伸びてくる。それは私の左頬に近づき、輪郭を覆う髪に触れた。汗で濡れた毛束を掬い上げて、耳に掛けた。耳の裏から首筋を汗が伝う。
「ぼちぼち戻ろか。俺らもばあちゃんに線香あげなな」
「あ、はい」
 宗佑くんはすくりと立ち、喪服の上着を取って車に鍵を掛けた。私は日陰でしゃがんだまま自分の左耳を押さえた。右手に持ったペットボトルが少し凹む。
「ほら、おい、真衣ちゃん行くで!」
 やや語気の強い声に呼ばれてハッと立ち上がる。ぐらりと立ちくらみがしたが、振り切って宗佑くんの元へ駆け寄る。
 日陰にいた筈なのに全く涼めなかった。自分の失言と彼の意味不明な接触で目が眩む。幼い頃の記憶をチカチカとした火花が散って邪魔をする。
 私の前をそそくさと歩く喪服の背中を、思わず睨み付けて顔を顰めた。


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