女の子の涙 あわきしそら ママは、泣き顔まできれい。 ゆるやかに垂れた目の端に、涙がたまって、それが粒を作るくらいに大きくなったら、ぽつんと落ちる。ガラス玉のような粒が、ぽつんぽつんと落ちる。 初めて見たのは、あたしが五歳のとき。次が、小学校一年生。その次が、三年生で。それから、四年生。その後は、もう覚えてない。 ママは、恋を失うたびに泣いた。 ライオンが大きな爪でひっかいたみたいに、傷ついて、泣いた。 きれいだった。 * 「希(れあ)ちゃん、何かあったの?」 ママが尋ねる。 もう夜の十二時を過ぎていた。高校生には、不健全な帰宅時間。 「ん......ちょっと」 そう言葉を濁す。 でも、ママが心配したのは、あたしの帰りが遅かったことだけじゃないはずだ。 玄関にママの飾った、薄いピンクと紫の花が香る。 かわいらしいにおい。 この顔じゃ、言い訳するのも無理があるか。 ため息をつく。 あたしの泣き顔は、不細工だ。 リビングで、今日あったことをママに話す。ソファで隣り合って座って、語る。 話しているうちに、腹が立ってきた。 何もかも勝手なんだ。 あたしが知らないうちに勝手に決めて、勝手に結論づけて。くそ馬鹿やろうが。 顔面のパーツが真ん中に寄って、しわくちゃになる。きっと、顔色は真っ赤に違いない。その顔の上を、涙が洪水のように流れていく。 「希(れあ)ちゃん、失恋したんだね」 そうだよ。 振られましたよ。 ママが、ティッシュを取って、あたしに渡す。 鼻水をぬぐう。 ママみたいになりたくないと思っていたのに。 また、鼻水が垂れた。 「ズズ......あいつが飲む牛乳、全部腐ってろ」 ついでに、電信柱の下を通るたびに、鳥にフンをかけられろ。そいで、テストの解答欄を全部一個ズレで書いて、ひどい点数を取ってしまえ。 「ズズ......馬鹿やろう」 鼻水をかむ。 ママが、あたしの背中を、呼吸に合わせて手でなでる。 あらい呼吸が吐き出されるとともに、涙も流れ出る。 本当に自分勝手なやつ。あいつ。 「そうね、私もそう思うわ。 恋を失うごとに」 「ズズ......」 「私も振られるたびに、男なんてみんな去勢されて、宦官になってしまえばいいのにって思うわ」 「ズズ......宦官?」 何だろ。 ママは恋ばかりだけど、意外に物知りだ。 「まあ、男は本当に馬鹿よね」 話しながら、ママが、繰り返しあたしの背中をさする。 涙は、終わりがないみたいにあふれた。 ああ、朝にはまぶたが腫れているだろうな。ティッシュも、全て使い切ってしまいそうだ。 ママの手は、だんだんと、そしてじんわりとあたしをあたためた。 「でもね、いつも思い出すの」 ママが口を開く。 時計の針は、もう二時を指そうとしている。 「愛おしかった思い出を」 ママの手が、あたしの腰のあたりで止まる。 「恨んで、憎んで、愛していたことを無しにしてしまいたい時に。 誰かを大切で、真綿のように想っていたことを、そんな気持ちが確かにあったことを、思い出すの」 「......うん」 ママみたいに、そんな風にあたしはきれいに思えないや。 あたたかい手が離れる。そして、ソファに乗り上げて、ママが体をこちらに向けた。 「今、苦しいでしょ」 「うん」 「辛いでしょ」 「うん」 ふと、ママの垂れた目が優しい色を帯びた。 あ、ママが失恋した時にする目だ。 傷ついていて、かなしげで、なのにきれい。 「だけどね。 楽しくて、幸せだった思い出に、『間違い』のシールを貼って、なかったことにしなくてもいいのよ」 「忘れちゃった方が楽だよ」 あたしは、かすれた声で言う。 「そうね」 ママが、あたしを抱き寄せる。 やっぱりあたたかい。 「でも、もし思い出すことがあったら、無理にそれを嫌わなくてもいいからね」 「あたし、性格悪いから、恨んじゃう」 「うん、それでもいいから」 ママの髪の毛からは、玄関に置いた花と同じにおいがする。 恋をする人の、かわいらしいにおい。何度も人を愛した人のにおい。 「大丈夫、大丈夫」 ママが、耳元でささやく。 ああ。あたしも、いつかきれいに泣ける日が来るのかな。
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