神と人とは相容れぬ⑤

きなこもち


前回までのあらすじ
 神社で出会った神・アメに導かれるまま現世(うつしよ)から離れて幽世(かくりよ)で生活するようになったユキ。
 アメにとって自分がどういう存在なのか分からないまま、ユキはアメに渡された絵馬の願いを叶える手伝いをすることに。そこで、スサノオやクシナダヒメ、ウカノミタマ、エビスなどの神と関わりを持っていく。
 初めての絵馬の願いを叶えようとしている時に出会った、願い主の友人・幸助。普通の青年だと思っていたユキは彼のことを忘れていたが、再び出会うこととなる。再会した時の幸助は普通の青年ではなく、火の神・カグツチの一の眷属という立場だった。
 幸助に連れていかれ、初めてカグツチに会ったユキは、カグツチと自分の前世、そしてアメに関わりがあったことを知るも細かいことは分からないままであった。
 その後も絵馬の願い事を叶えるために尽力するユキであったが、願い事を叶えた後、アメの神社に帰りそびれてしまう。夜に境内の外にいてはいけない、というアメとの約束の理由が分からないユキは、何故か猛烈な恐怖に襲われ動けなくなってしまう。
 そんな時、助けてくれたのは幸助だった。
 幸助はユキをエビスの神社に連れていく。
 恐怖に苛まれているユキはエビスや幸助に、アメに対する気持ちを吐露する。
 このままユキが『魔に転じる』ことを幸助は危惧したが、エビスの手によってユキは『魔に転じる』ことなく助かった。
 エビスの神域で短い期間過ごすことになったユキは、アメとカグツチ、幸助と自分の前世である幸呼との関係を知ることになる。幸呼は幸助と兄妹であり、アメの一の眷属であった。そして、転生しなければならない原因がカグツチとアメの諍いであった。その事実を知ってもなお、ユキはアメと一緒にいることを選び、そんなユキにエビスは『ユキを常に肯定する』と約束してくれる。
 その後、ユキはエビスに促され、アメの神域に戻り、アメの所にいるのが自分の意思であることを改めて自覚する。
 それからは今までの日々が戻ってきて、ユキは絵馬の願い事を叶え、アメとカグツチは歩み寄りを見せ始める。
 ユキは自分が誰かの代わりであったとしても、アメのそばが自分の居場所であると決める。


前回までに出てきた世界観
・神社同士なら鳥居を通して移動できる。ただし、行きたい先の神社の神様の許可が必要。
・神社には御神体があり、それを通して現世と幽世を行き来できる。
・絵馬に書いてある願い主の名前に触れると、願い主本人、またはその近しい人のそばに行くことができる。絵馬に書いてある神社の名前に触れると、神社に戻ることができる。
・眷属は普通の人からは見えにくい。絵馬を持った状態で話しかけると普通の人にも認識される。
・神様は自分の認識されやすさを調整できる(らしい)。
・神物は神様の私物のこと。神様はいつでも使える。
・転生の輪:魂の行き来。輪廻転生みたいなもの。
・魔に転じる:眷属が自我を失うこと。主である神が消滅させなければならない。
・一の眷属:神にとって何かしら一番の眷属。
・神には本来感情が無い。感情があるように見えるのは、眷属からの借り物、真似である。
・神は常に是(正しい)である。神同士が争った場合、最高神アマテラスによって是非が決められる。
・アマテラスに非を唱えられるのはスサノオ、ツキヨミ、エビス、そしてアメの四柱のみである。
第五章
「アメのところまで案内してくれる」
 アメ様がいないにも拘わらず、鳥居を繋げて入ってきた神様。アメ様がいないのに何故入ってこられたのだろう。
 輝く純白の髪はとても美しいと思う。銀色にも見える。金の瞳に整った顔立ちをしている女の神様。でも、今まで出会った神様とは雰囲気が違う。どこか逆らってはいけないように思える。
「ごめんなさい、アメ様は不在でして」
「ふうん。では、神域に通しなさい。無断で神域に入ったとしても、約束していたのにいないアメが悪いのだから、我にも、もちろんそなたにも非はないわ」
 綺麗なのにちょっと怖いなあ。何の神様なのだろうか。お社の御神体まで案内し、神域に入る。アメ様が普段他の神様をもてなすお部屋にお通しして、急いでお茶を淹れ、茶菓子と一緒にお出しした。
「へえ、気が利くのね。そなた、名は?」
「ユキと申します」
「ユキ、ね。覚えておくわ。やはり、人の子はいいわね。我も一人くらい人の子の眷属を持とうかしら」
 人の子の眷属を、ということは他の眷属はいるのだろうか。タマちゃんみたいに動物なのかな。
「眷属は動物さんなのですか?」
「ふふ、違うわよ。我の眷属は三つだけ。鏡と剣と勾玉。これらに宿る付喪が我の眷属」
 鏡と剣と勾玉。それって、三種の神器と同じ組み合わせ。
 そういえば、この神様はアメ様を呼び捨てにした。彼を呼び捨てにできるということは、彼よりも高位か同格の神であるということだ。
「付喪って付喪神ですよね。神様を眷属にできるのですか?」
「我は特別だから。彼らは眷属にして神物。時に御神体の役目も果たす。だから、我は基本的に他の眷属は取らないけれど、そなたは面白そうね」
 え。何を言い出すのだろうか。それはどういう意味なのだろうか。
 答えあぐねていると、アメ様が神域に戻ってきた。
「宮様、遅くなりまして申し訳ございません」
 アメ様がわざわざ膝を折って頭を下げた。高位の神であるアメ様が三つ指をつく意味。唯一、名前を呼ばず、宮様と呼ぶ神様。
 ああ、この方が。
「この我を待たせるなんて。この最高神、アマテラスオオミカミを」
 最高神アマテラスオオミカミ様。
「良い度胸じゃない。お詫びにこの子をくれないかしら。そなたがここまで執着するのなら、さぞ良い魂なのでしょう」
「それは......」
「あら、我に逆らうというの」
 どこか楽しそうなアマテラス様。
「他の命なら喜んでお受けしましょう。ですので、ユキに関してはお許しいただきたい」
「嫌、と言ったら?」
 アマテラス様の言葉にアメ様の空気が凍った。あ、これは怒ってる。かなり。
「では、我が全ての力をもってあなたに謀反を起こしましょう」
 最高神に謀反って......。でも、アメ様は本気だ。目を見れば分かる。それに対して目を細めるアマテラス様。
「へえ。我に勝てるとでも」
「勝てるとは思っておりません。ですが、私に付き従う神は多くいます。全ての剣も私に従います。勝てずとも、宮様にとっては痛手となるでしょう」
「三種の神器であるアマノムラクモノツルギも従わせるつもり?」
「謀反を企てる時点で宮様への忠誠はないも等しい。従わせない理由がない」
 アマテラス様はそこまで聞くと小さくため息をついた。
「やめておくわ。エビスはそなたに付くでしょうから七福神は全てそなたの戦力。加えて、アマノムラクモノツルギを振るいたいがためにスサノオもそなたに付くとなっては三貴神の総力戦になる。さすれば現世にも影響が出るでしょうし、そなたに謀反を起こさせる利はない。それよりアメ、我が何故来たか分かる?」
 アメ様は頭を上げずに答える。
「宮様のご命令であれば何なりと」
 アマテラス様は扇を勢いよく閉じて言い放つ。
「カグツチを討ちなさい」
 え......。カグツチっておそらく、あのカグツチ様だよね。他にいないよね。なんで。
「討てと言われましても、私たち神は死にません。余計な恨みを募らせるのは控えるべきかと存じます」
「死なないからいいのよ。金輪際、そなたに復讐しようなどと思わなくなるまで徹底的に叩き潰しなさい」
 待って、待ってよ。カグツチ様は復讐をするような神様じゃないのに、どうして話が進んでいくの。カグツチ様はあんなに優しいのに。
「お言葉ですが、カグツチは何をなさったのですか?」
「そなたのところに届いたのではなくて? カグツチの呪が。そなたは我が父イザナギの大切な剣。そなたを傷付けようとするのであれば、イザナギの娘として黙ってはいられないわ」
 カグツチ様の呪。あの絵馬はカグツチ様の物だったのか。でも、何故。誰かに呪を送るようには見えなかったのに。それに彼がアメ様に呪を送る必要だってないのに。
「それは私とカグツチの問題です。宮様のお手を煩わせることではございません」
「あの時のことを忘れたとは言わせないわ。あの時はそなたのせいでもあるし目を瞑るわ。でも、今回は理由がないから我も黙ってはおけないのよ。そなたは自分の力を自覚なさい。そなたが争うと現世にも影響が出る。また未曾有の大災害を起こすつもり?」
 アメ様が口をつぐんだ。何も言えず苦虫を磨り潰したような顔をしている。
「またそなたが怒り狂うと我でも止められぬ。その前に因縁に蹴りをつけなさい。そなたが自身でせぬと言うのなら、三貴神の誰かに命ずるわ。ツキヨミであれば、我の命は的確に遂行してくれるはずよ。期間は一日。明日、ツキヨミにここに来るように伝えるわ。それまでにどうするか決めなさい」
 次は全て終わった後に会いましょう。それだけ言うと、アマテラス様は立ち上がり神域を出ていった。何も言わないアメ様も気になるが、それよりもアマテラス様には聞きたいことがある。急いで追いかけて、鳥居にたどり着く前にアマテラス様の裾を掴んだ。
「ご、御無礼を、お許しください」
「別にいいわよ。それより、何の御用かしら」
 張り付けた笑顔が怖い。何を考えているのか分からないのが怖い。でも、伝えないと。
「カグツチ様は、悪い神様ではないと思うのです。あの方は、アメ様との仲を修復することを望んでいます。それなのに、復讐しようなど思うはずありません。お考え直しください」
「たとえあの呪がカグツチのものでなかったとしても、あの呪はカグツチの力を纏っていたのだから、勝手に力を使われたのはカグツチの失態。不穏なものは早いうちに摘み取るべきだわ」
 そんな理由でカグツチ様を討つというのか。証拠もないというのに、あんなにも優しい神様を。
「お願いします。お考え直しください。私は、アメ様とカグツチ様がこのまま不仲になるのは嫌です」
 地面に頭をつけて懇願する。見なくても、アマテラス様がこちらを見下ろしているのが分かる。視線が痛い。
「では、我に何をくれる?」
 神様に軽率に願い事をしてはいけない。ましてや最高神に。これがスサノオ様やヒメ様に知られたらきっと激怒するのだろう。彼らはなんだかんだ私を大事にしてくれているから。でも、彼らが私を大事にしてくれるのはアメ様が大事だから。だったら、私だってアメ様のために行動しなくては。
「私の魂を」
「我に魂が擦りきれるまでの服従を誓うと言うの。面白い。でも、我も愚かではない。そなたを我のものにしたら結局アメが怒り狂う。だから、そなたの魂は受け取れない」
「ですが、私にはこれ以上差し出せる物なんてっ!」
 もう一度懇願しようとしたときだ。
「もういいよ、ユキ」
 アメ様が来た。私を立ち上がらせて、服についた砂を払ってくれる。
「悪いけれど、ユキだけは譲れません。ですので、お受けしましょう。私がカグツチを討ちます。でも、明日はツキヨミ様をこちらに寄越していただけますか。彼の力をお借りしたい」
「分かったわ。ツキヨミにはそなたを全面的に支えるように指示するわ。では、我はこれで。あ、あと、ユキ」
 手招きをされたので、ちらりとアメ様を見やれば、彼は小さく頷いた。アメ様が行っても良いと示唆したので、私はアマテラス様に近寄った。アマテラス様は私の耳元で囁いた。
「何かを変えたいのなら、そなたが力を得なさい。力のない者に、何かを変えることなどできぬ。誰に何を願うかはそなた次第。どの神が何を得手としているか考えれば分かるでしょう。そなたがもし、この現状を変えることができたのなら、我はそれを全て是としてあげる」
 私から離れると、鳥居を繋げて帰ってしまった。呆然と鳥居を見つめているとアメ様に声をかけられた。
「ユキ、何を言われたの?」
「力のない者に、何かを変えることなどできないと」
 悔しそうな顔をしたアメ様は私を抱き締めてきた。
「ユキ、お願いだから、力を得ようとしないで。君はただ僕のそばで笑っていてくれれば良い。カグツチとの仲を心配してくれるのは分かる。でも、僕は君の方が大事だ。だから、何もせずそばにいて」
 私はそれに対して何も言えなかった。だって、知っているから。アメ様がカグツチ様との仲を取り戻したいと願っていることを。
 次の日、アマテラス様のおっしゃった通りに、ツキヨミ様がいらっしゃった。少しだけ紫がかっていて一纏めにされた長い黒髪に、金の瞳。そういえば、スサノオ様も金の瞳だったから、三貴神と呼ばれる彼ら姉弟の共通するものなのだろう。ずっとツクヨミ様だと思っていましたと告げると、いつからか人の子はそう呼ぶようになりましたねと微笑まれてしまった。
「アメ様。此度のカグツチ様討伐の件ですが、お願いが二つございます」
「何でしょうか」
「一つ目。これは姉上の意向。決して貴方が責を背負わないこと。二つ目。現世に影響を及ばさないようにすること。以上です」
 二つ目は分かる。でも、一つ目がよく分からない。いや、意味自体は理解できるが、その条件を提示した理由が分からないというか。
「宮様が責を背負う道理もないでしょう」
「姉上が責は被ると。貴方は姉上......、いや、我ら三貴神にとっては三種の神器よりも貴い存在。そんな貴方に全ての責を背負わせることはできません。そもそも貴方に責はないのですから」
 アメ様ってアマテラス様やツキヨミ様にも大事にされる存在なのか。確かに、イザナギ様の剣ということは、彼らにとっても大事な剣ということか。
「この二つだけはこちらも譲ることができません。承諾していただけないのであれば、貴方の代わりに私が実行いたします」
 どういたしますか。静かな声が響いた。アメ様はしばし考えているようだったが、承知しましたと言った。
「私の力が必要であると姉上に伺ったのですが、私に何ができるでしょう」
「色々とお聞きしたいことがございます」
 ツキヨミ様が疑うような瞳でアメ様を見る。
「答えられる範囲でお答えしましょう」
「ツキヨミ様はカグツチがそこまで徹底的に討たれる必要があると本当にお思われですか? 命は遂行しますが、何故宮様がこのようなことに踏み切ったのかが私には分からないのです」
「はあ......。隠すことでもないので正直に述べましょう。此度の討伐の件は、カグツチ様を鎮めるためだけではないのです」
 他の目的があるということだろうか。
「此度の真の目的。それは、貴方に謀反など無意味だと思い知らせるため。謀反を企てた神の末路を、全ての神に理解させる目的があるのですよ」
 え、じゃあ、カグツチ様は......。
「生け贄ということですか......。そんなことしていいはずがない! あんなに優しい神様を、そんな理由で苦しめるなんて絶対に間違ってます!」
「姉上の決定に非はありません。控えなさい、人の子よ」
 非はない? それは違う。だって、エビス様は言っていた。アマテラス様に非を唱えることができる神がいるって。
「彼女にだって間違いはあるはずです。ツキヨミ様も、アメ様も、アマテラス様に非を唱えることができるのでしょう! どうしてこのようなことをお許しになるのです!」
「私はこれを是だと思っているからですよ」
 これのどこが是だと言うのだろう。証拠があるならまだしも、カグツチ様がやったと言えないこの状況で、見せしめのように彼を討つことの、どこが是なのか。
「貴方はアメ様の過去の失態を知っていますか」
 ツキヨミ様の問いかけに頷けば、彼は説明を続けた。
「あの時のアメ様の行いや、是非の結末をよく思っていない神は多いのです。アメ様に謀反を企てている神がいるとの報告すらあります。今回のことを行ったのがもしカグツチ様でないとしても、呪を理由にし、姉上の許可のもとにカグツチ様を討てば、他の神はアメ様に何かをしようとはしなくなる。大事なのは、アメ様に危害を加える存在を討つことは是であると知らしめることなのですよ。アメ様は私にとっても大切な宝。彼を守るために、私は是と見なします。スサノオも是とするでしょう」
「そんな......」
 酷い。そんなの絶対に酷い。
「アメ様も、アマテラス様を是とするのですか......」
 彼は無情にも頷いた。
 分からない。神様の考えが分からない。
「たとえ、アメ様が認めたとしても私は是とは認めない。たとえ神様に非とされようと、私はその決定を是とは絶対に認めない!」
「口を慎みなさい、人の子よ。所詮、人の子が姉上に非を唱えようと、決定は覆りません」
 何も言い返せないのが悔しい。
「日程は追って連絡いたします。アメ様、よろしくお願いいたします」
 ツキヨミ様は、最後にそれだけ言うと帰っていった。
「アメ様。あの命を本当に是とするおつもりですか」
「ああ。これ以上宮様に迷惑はかけられない。それに僕もあの命を非とは言い切れないからね。ユキも、今日の言動は良くないよ。ツキヨミ様だからお咎めがなかったけれど、他の神だったらその場で消滅させられていたっておかしくない。気を付けてね」
 おかしいのに。おかしいはずなのに、どうして分かってくれないの。
『神に同じものを求めてはいけないよ』
 急にエビス様の言葉が頭をよぎる。同じものを求めてはいけない。きっと、私は今、彼に同じ感情を持つように求めている。神に同じものを求めている。
 分かりあえるはずがないんだ。
 分かりあえないのならどうしたらいいのだろう。
「ユキ。君はもう、この件に関わらないで。神は死なない。君が思い詰める必要はない」
「死ななければ良いのですか。理不尽な制裁を、死なないからというだけで許すのですか。そんなものは正しくない! それにアメ様だって、カグツチ様との仲を気にしていたではないですか!」
「ユキ! いい加減にしろ!」
 初めて自分に向けられるアメ様の怒鳴り声を聞いた。
「君に何ができる! 何の力も持たない君に!」
 そんなこと分かっている。分かっているのに。
 その言葉が悲しくて仕方がない。
「ごめん、なさい」
 私には何もできない。力もない。幸呼さんなら、何かできたのだろうか。
「ユキ、ごめん、言いすぎた」
「これ、お返しします。何もできない私が持っていて良いものじゃないから。誰か力のある役に立つ方に渡してください」
 首にかけているものの片方。アメ様にもらった首飾りを外してアメ様に差し出す。
「ユキ」
「力のない私には不相応でしょう」
「これは君にあげたんだ。だから」
「私ではなく、幸呼さんの魂にあげたのですよね。ごめんなさい、性格も顔も何一つとして、幸呼さんと同じではなくて」
 アメ様の手に無理やり首飾りを握らせる。
「ユキ、違う。僕は君が」
「ごめんなさい」
 それ以上は聞きたくなかった。彼の制止も振り切って、私は彼の神域から飛び出した。
 どこに行けば良いだろう。エビス様のところはきっと行く前に見つかってしまう。首飾りがないから、スサノオ様やタマちゃんのところまでは行けないし。
 行けるところなんて、一つしかなかった。
*
「それで俺のところに来たと」
「だって、幸助さん以外に頼れる人がいなかったんです」
「まあ、別にいいけど。はい、ココア」
 いるか分からない状況で幸助さんの下宿先を訪問すれば、彼はいてくれた。というよりも、誰かが訪問してきたら分かるようになっているらしい。
「それで、何があった。首飾りを持っていない今の状況がどれだけ危険か分かっているだろう」
「分かっています。でも、あれ以上アメ様に酷いことを言いたくはなかったから」
「何があったか言うつもりはないと。まあ、どうせカグツチ様の討伐の件だろう」
 ココアが気管に入った。咳き込むと、幸助さんが背をさすってくれた。
「落ち着いて飲め」
「どうしてその事を知っているのですか」
「どうしてって、俺の主な仕事は情報収集だし」
 なんでそんなあっさりしていられるの。自分の大切な人が理由なく傷つけられるかもしれないのに。
「幸助さんはいいのですか」
 すると彼の纏う空気が変わる。
「良いわけがないだろう。カグツチ様は呪を送るような神ではない。濡れ衣だ。だが、たかが眷属の俺には、何もできない。カグツチ様も、自分が討たれるだけで済むならと諦めてしまっている。神は身勝手だ。何も悪くない者を、無慈悲に貶める。こんな冤罪が許されるはずがない。許されてはならないのに」 
 幸助さんは頭を抱えてしまった。
 当然か。許せるはずがないけれど、自分には何もできない。それは私も同じだ。
「何が神は是だ。何が最高神アマテラスは絶対的な是だ。そんなはずがないだろう。どうして誰も、彼女を非と認めない」
「アマテラス様を非とできるのは四柱だけだと。あ......」
 私は首にかけている袋の中身を思い出す。
「私なら、できるかも......」
「どういうことだ」
「私も、自信はありません。だから、エビス様のところに連れていってください。もしかしたら、私は今回の件を非とできるのかもしれない。いきましょう」
 私は立ち上がって、彼の部屋の玄関に向かった。幸助さんは付いてきてくれると思ったのに、彼は立ち上がらずに座ったままだった。
「どうしてそこまでするんだ。カグツチ様は、君の主ではないのに」
「私がこれを是だとしたくないのですよ。それにもしこれをアメ様が実行してしまったら、もうアメ様とカグツチ様は二度と分かりあえない。私はアメ様に後悔してほしくない」
 ごめんなさい、カグツチ様のためと言えなくて。
 口にはしてないが、本当に申し訳なく思った。
「神は後悔しない」
「そんなことはないはずです」
「神が感情を持たぬことを知らないのか」
「分かっているつもりです。私たちが彼らと分かりあえないことなんて。でも、彼らは私たちから感情を学ぶとエビス様に教えてもらいました。いつかアメ様がこのことを後悔しないように、私はアマテラス様の計画を是としたくないのです」
 幸助さんは少し考えてから私に問うた。
「ユキは後悔しない?」
 後悔はきっとする。彼らを止められたとしても、止められなかったとしても、後悔はすると思う。だって、どっちにしたって私はもうアメ様とは一緒にいられないだろうから。
 でも。
「どうせ後悔するのであれば、私は、アメ様が後悔しないようにしたい。私は後悔しようと、所詮は人間です。近いうちに転生させられるか、最悪消滅させられるか。でも、アメ様は違う。悠久の時から逃げられない彼に、後悔をさせたくない」
 幸助さんの、そっか、という声が小さくも確かに響いた。
「分かった。エビス神のところに連れていこう」
 彼は玄関で立ったままだった私に外に出るように促した。私が扉を開けて先に出れば、彼は靴を履いて私に続いて外に出た。
 幸助さんが差し出す手を確かに握る。彼は私の手を握り返すと、もう一方の手で首飾りを掴んだ。
「手を離すなよ」
 そう言ってから、彼はいつものように何かを呟く。ふっと景色が変わり、顔を上げれば、エビス様の総本社、西宮神社だ。私が以前助けてもらったところ。
 鳥居の前には、来ることが分かっていたかのようにエビス様が立っていた。
「来ると思っていたよ」
 彼は微笑みながらそう言ってくれた。
 神域に連れていかれ、エビス様の眷属の方が出してくれたお茶をよそに彼に頭を下げる。
「エビス様、力を貸していただけないでしょうか」
「内容によるかなー。まあ、分かっているつもりだけれどねー」
 私は彼に知っていることの全てを伝えた。彼もカグツチ様の討伐の件は知っていたらしく驚きはしなかった。
「それで、ユキ君は僕に何をしてほしいの?」
「カグツチ様の討伐を非と認めていただきたいのです。私は、アメ様にあんなことをさせたくない」
「うん、分かった。ユキ君、僕との約束覚えてる?」
 覚えてる。忘れるはずがない。
 頷いた私を見て、彼はそっかそっかと何度か頷いた。
「君がアマテラス君を非とすること。僕はその君の行動を肯定しよう」
 それが僕と君との約束だ。
 エビス様が約束と言った瞬間、首にかけていた袋がうっすらと光る。おそらく袋の中に入っている玉が光を発しているのだろう。
 くるりと体を幸助さんの方に向けたエビス様は問う。
「幸助君、君の願いは? 代償とかは気にしなくて良いから言ってごらん」
「しかし......」
「いいから。僕も君には大分助けられているのだし。そのお礼に僕がご褒美をあげる。僕にできることなら何でも一つ願いを叶えてあげる。だから、君の願いを言ってごらん」
 エビス様の声は優しかった。何かをずっと我慢している子どもに言い聞かせるような優しさを含んでいるようだった。
 幸助さんはそれでも何も言わない。恐る恐る彼の顔を覗き込むと、彼は声も出さず、ただ静かに涙を流していた。私が覗き込んだことで、彼は自分が泣いていることに気がついたらしく、はっとしたように頬を拭った。
「お願いします。我が主をお救いください。彼の名誉をお守りください。これ以上、諦めたようにカグツチ様が笑わなくてすむように」
「相手が最高神だから約束はできないけれど、君の願いが叶うように尽力しよう」 
「ありがとう、ありがとうございます......。この御恩はこの魂尽きるまで忘れません」
 エビス様は自分よりも少しだけ背の高い幸助さんの頭を撫でながら言った。
「こちらこそ、あの子のそばから離れないでくれてありがとう。僕は君に感謝しているんだ。カグツチ君を一人にしないでいてくれたのだから」
 幸助さんのことを勝手に大人っぽい人だと思っていた。私よりもずっと長い間眷属をしていて、魔に転じたりもしない忠臣。人のようで、もはや神の方が近い人。私なんかとは違う凄い人だって。
 だから、泣いたりも弱音を吐いたりもしないって思っていた。
「カグツチ様がいなかったら、俺はとっくに消滅させられていた。カグツチ様じゃなかったら、これほど長い時間を過ごす中で精神を保っていられなかった。彼のおかげで、幸呼に会えた。彼のおかげで、ユキに会えた。これだけ与えてもらって、俺は彼に何も返すことができない。あの時も何もできなかった。俺には彼のそばにいることしかできなかった」
 涙を拭いながらそう言う幸助さんは、眷属になった時の、成長が止まってしまった時の年相応に見えた。
「僕はね、君ほど優秀な眷属を知らないよ。これほどの長いときで壊れることもなく、魔に転じることもなく。でも、人の子としてもう少し我が儘になったっていい。カグツチ君だって、きっとそれを願っているよ」
「でも、俺は彼にしてもらってばかりで何もできていない! それなのに何かを望むなんて......」
 エビス様は幸助さんから離れると招福さんを呼んだ。それを幸助さんに見せながら彼は口を開く。
「多くの眷属は自分の寿命以上の時に心を保てない。どれだけ僕たち神を慕い敬ってくれる眷属であろうと心を壊し転生の輪に戻る眷属を僕は多く見てきた。招福も、眷属にしては長く僕に使えてくれたけれど、もしこの姿にならなかったとしたら、君ほどの時を経る前に心を壊していたかもしれないね」
 彼は幸助さんの手を握った。
「心を壊さずにずっとそばにいてくれることが僕たちにとってどれほど嬉しいことか、君たちにはきっと分からないのだろうね」
 エビス様の言葉に幸助さんは再び涙を流し始めた。
「だって、俺にはそれしかできなかったから......。俺の非を代わりに被り、謹慎を命じられ、多くの神が彼から離れていった。俺のせいだ。それなのに彼は、俺が無事でよかったって。早いうちに、現世に戻れって」
 幸助さんの非とはどういうことだろう。
 エビス様も分からないようで、首を傾げていた。
「幸助君、君の非って何だい?」
 エビス様の問いかけに、幸助さんははっとしたように顔を上げた。誤魔化すように、あ、とか、えっと、とか声をあげていたけれど、観念したのか途切れ途切れに説明始めた。
「カグツチ様が幸呼を呼びつけたのではないんです。幸呼は兄である俺に最後の挨拶をするために、主に黙って俺に会いに来たんだ。俺が現世に帰ってしまうから。それをミカ様は勘違いした。カグツチ様は真実を隠して非を被った。俺と幸呼が消滅させられるのを防ぐために、カグツチ様は多くの神を欺いた。最高神アマテラス様でさえ......」
「じゃあ、皆、ずっと勘違いを......」
「誰も悪くありません。悪いのは、何も分かっていなかった俺たち兄妹です。カグツチ様だって、何も悪くない。一番悪いのは、俺なんだ......」
 幸助さんの非ではない。どちらかと言うと、幸呼さんの、私の魂の非だ。自分の仕える神様に事情も説明せずに他の神様の眷属に会いに行ってしまったのだから。
 それを全て隠すように自分の非だと説明したカグツチ様が悪い神様のはずがない。もしカグツチ様が非を背負っていなかったら、幸助さんも私の魂もその場で消滅させられていたのだろう。
 止めないと。アメ様を絶対に止めないといけない。エビス様がこの真実を黙っていてくれたとしても、いつかアメ様がこの真実を知るかもしれない。そうしたら、アメ様はきっと良心の呵責に苛まれる。アメ様のためにもアメ様を止めなければ。
「アメ様を止めないと......」
「ユキ君待って。この計画を止めるのはきっともう無理だ。それよりもスサノオ君のところに行こう。味方は多い方がいい。ツキヨミ君とアメ君がアマテラス君を是とするなら、少なくともスサノオ君には是としないようにしてもらわないと」
 エビス様は幸助さんが泣いているのも構わずに私たちの手を引いて神域を出て、鳥居を八坂神社に繋げた。躊躇いなく鳥居をくぐり、神域に入っていく。
「どうした、エビス。騒々しい」
 出迎えてくれたスサノオ様は私といつの間にか泣き止んでいた幸助さんを見て眉間に皺を寄せる。
「どうしてそやつらをエビスが連れている。しかもユキ、どうして眷属の証を身に付けていない」
「全て僕が説明しよう。その上で力を貸していただけないだろうか、三貴神が一柱、スサノオよ」
「兄上にそこまで言われたら、話を聞かぬことなどできまい。ついてこい」
*
「事情は分かった。お前たちの願いも分かった。だが、俺は姉上の考えを一方的に非だとは思わん。俺とて三貴神が一柱。アメは守らねばならぬものだからな。だが、そのためにカグツチに濡れ衣を着せるやり方は気にくわん。だから、俺は姉上を是とも非ともしない」
 通された部屋で一連の流れを説明したエビス様にスサノオ様はそう言った。彼の言葉に、私たちは何も言えなかった。
 スサノオ様の言うことはきっと間違ってない。というか、多分、一番正しいのだと思う。私は一方的にアマテラス様を非としようとしたが、もし私がアメ様を大事に思っている神様だとしたら是としたのかもしれない。
「私は、アマテラス様たちのお気持ちを考えようともしていませんでした」
 皆が非にならないようにする方法を見つけなければいけない。でも、私には分からない。
「どうすればいいのでしょうか」
「三貴神である俺と兄上は此度の姉上の決定を非とはしづらい。アメは父上の宝だからな。だから、決定を覆しはせずとも、カグツチを守ればいい」
 スサノオ様は私たちに待つように告げてから部屋を出ていった。エビス様や幸助さんと一緒に首を傾げていると、増えた足音が聞こえてきた。
 スサノオ様が連れてきたのは、タマちゃんとヒメ様。
「あらあら、皆さんお揃いで。私たちは何のために呼ばれたのでしょう」
 クスクスと笑うタマちゃん。その足元にいた茜さんが私を見つけるやトタトタと小走りで駆けてきて頭を擦り付けてくる。
「ヒメ、タマ。こいつらに力を貸してやってほしい」
「父上の命であれば喜んで拝命しますわ。それにユキさんのお力になれるのであれば。何をすればいいのですか?」
 スサノオ様の言葉にタマちゃんは表情を変えた。スサノオ様を真っ直ぐに見つめて問いかける。その問いかけに対しスサノオ様も端的に事情を説明した。
 話を聞き終えたタマちゃんとヒメ様は頷いた。タマちゃんは茜さんを呼び、近寄ってきた茜さんを一撫でした。何かを呟いてから私の方を向いた。
「では、私は、茜をユキさんの護衛につけましょう」
「え......」
「茜は私の一の眷属。多くの力を茜に許しています。その茜をあなたの護衛につけます。きっとあなたの魂を守ってくれると思いますわ。茜、ユキさんの力になるのよ」
 茜さんはタマちゃんに頷いて、再び私のそばに寄ってきた。しかし、私の膝の上に乗ったりすることはなくそばで背筋を伸ばして座った。
「ありがとうございます」
 私がタマちゃんに頭を下げ、茜さんによろしくと伝えると、今度はヒメ様が口を開いた。
「では、私の方はこれを」
 ヒメ様は髪から櫛を抜いた。それを幸助さんに差し出す。
「これは私の神物です。それがあれば、どんな状況であろうと一度は逃げおおせることができるはずですよ」
 幸助さんはその櫛をぎゅっと握って、ヒメ様に頭を下げた。
「私がついて行ってあげられればいいのだけれど、私はスサノオ様につかねばならないから」
「いえ、神物使用の許可、深く感謝申し上げます」
 ヒメ様は幸助さんのお礼を受け取ってからスサノオ様のそばに行った。スサノオ様がそばに寄ったヒメ様の頬をするりと撫で上げると、ヒメ様が鈴のついた櫛に変わった。その櫛を髪の毛に挿したスサノオ様が、来いオロチ、と呟けば琴が現れる。
「俺の武器は剣や刀ばかりだから、アメに対しては不利だ。だから、俺はヒメとともに、お前たちの守護に努めよう」
 鈴の音も、琴の音も、厄除けになると聞いたことがある。厄除け、つまり守ってくれると言うことなのだろう。
「どうして、ここまでしていただけるのですか」
 不意に幸助さんが呟いた。震えるような、小さな声で。
「アマテラス様に背いてまで、カグツチ様をお守りする利があるとは思えない......。ましてスサノオ様、カグツチ様は貴方の母上であるイザナミ様を黄泉の国に追いやった存在。母上を慕っていた貴方からしたら、親の敵ではないのですか。それに、何故俺のことを信じていただけるのですか。俺が嘘をついているとは思わないのですか」
「では、お前は嘘をついているとでも言うのか。三貴神が一柱である俺に対し」
「そんなことあるはずがございません。ですが、俺とスサノオ様の関わりはあまりありません。それなのに、どうしてここまでしてくださるのか......」
 スサノオ様はわざとらしくため息を一つついた。
「勘違いするな。お前のためでも、カグツチのためでもない。ましてや、アメのためでもない。己のためだ。俺は、俺の是に従っているのみ」
 だが、と彼は続けた。
「俺を動かしたのは誰だ。俺を動かすためにエビスを動かしたのは誰だ。お前たちだろう。三貴神である俺を動かしたのだ。お前はお前の行動を是と信じ先に進むしかない。俺はお前たちや、お前たちを信じたエビスを信じるしかない。俺はお前を信じてやる。約束だ」
 約束。これほどまでに力強い約束はないだろう。私も幸助さんもそろってスサノオ様に礼を告げた。
「礼などいらん。策を練るぞ。カグツチを守るのだろう」
「でしたら、私はこれで失礼いたしますね。ユキさん、御武運をお祈りいたしますわ」 
 タマちゃんは小さく頭を下げてから部屋を出ようとした。部屋をでる直前に私は彼女にお礼を言った。
「タマちゃん、ありがとうございます」
「いいのよ。ユキさんのお力になれるのであれば、私も、もちろん茜だって嬉しいわ」
 彼女は手を振りながら部屋から出ていった。茜さんは私のそばにいるらしい。
「誰が何をするかだな」
 スサノオ様は私たちを一瞥する。
「アメ相手では圧倒的に戦力が足らない。眷属に加担させるのは酷だしな。エビス、せめてビシャモンテンの神物は借りられないのか」
「無理だろうね。彼は仏教上がりの神だから、戦神だけれど、戦は好まない。それに全く関係のない彼を巻き込みたくない」
 私には力なんてない。分かってる。でも。
「私がアメ様を止めます。説得します。なので、私をカグツチ様のお側にいさせてください。彼を守らせてください」
 反対されるだろうと思ったのに、スサノオ様は、それが妥当か、としか言わなかった。
 お前はどうすると問われた幸助さんは手を前にかざした。
「不知火(しらぬい)」
 幸助さんの手を中心に炎が現れたかと思うと、その炎から弓と一本の矢が現れる。
「お前、それはカグツチの神物か」
「はい。カグツチ様が俺を一の眷属と認めてくださった時に不知火の全権限を俺に下賜してくださいました。なので、俺はこれを使いこなすことができます」
 そこまで言うと彼は首飾りを外した。
「たとえ、カグツチ様の眷属でなくなったとしても」
 エビス様とスサノオ様が息を飲むのが分かった。幸助さんは微笑んで、それをエビス様に差し出した。
「すみません、これを預かっていただいてもいいでしょうか」
「幸助君。君はこれを外す意味が分かっているのかい!」 
 無理矢理にエビス様に首飾りを握らせると彼は変わらぬ口調で話し続けた。
「分かっているつもりです。でも、俺はこれからカグツチ様の命に背くから、もう彼の一の眷属ではいられない。いや、ずっと背いていたんです。気がつかない振りをしていただけで」
「カグツチ君の命って」
「カグツチ様のために魂をかけるなと。自分のせいで魂が傷付くのは嫌だからって。でも、俺は、彼が傷付く方が嫌だ。だから、俺は」
 そこまで言って幸助さんは言葉を切った。どこか悲しげに、でも何かを吹っ切ったような顔をしていた。エビス様は握らされた首飾りを見て、思い出すように口を開く。
「君は、昼夜を問わず活躍していたね。カグツチ君の神社はもちろん、他の神の手伝いも。僕も自分の眷属では難しいときは君に手伝ってもらったし、多くの神が君には感謝しているんじゃないかな。そのおかげで、カグツチ君の過去の汚名は大分薄れていった。てっきり、カグツチ君の命でやっているのだと思っていたけれど、君の独断だったのか」
 幸助さんは首を振る。
「カグツチ様が俺に命じていたのは、危険がない程度の情報収集のみです。昼に色々なことをしているのはカグツチ様も御存知だとは思いますが、おそらく彼は俺が夜も出回っていることを知りませんよ。そのために俺は現世の若者の振りをしているのですから」
 なるほど。若者の振りをしていれば夜に神域にいなくてもおかしくはないだろう。情報収集の一環として若者の振りをしていると言えば、カグツチ様も疑いはしても止めはしなかったのだろう。
「まあ、お前がそう決めたなら俺は何も言わん。だが、不知火は弓。近距離戦では不利だろう。となると、お前はカグツチのそばにはいられんぞ」
「眷属ではなくなった時点でそれは百も承知。神域の端からユキを援護しましょう。しかし、万が一カグツチ様に危険が迫った場合は俺もおそばに行かせていただきます」
 幸助さんが不知火をもう一度呼ぶと、弓と矢は炎をあげてから一つの刀になった。
「刀はアメに対しては無意味だ」
「これは日本刀ですが、普通の日本刀ではありません。彼が服従できるのは、鋼や鉄を元にした刀剣。不知火は違います。これはカグツチ様の炎の一部。彼の剣の神が服従させられる代物ではありません。彼に服従しない刀剣を俺は不知火しか知りません」
「そんなものを作るから姉上に目をつけられるのだ、まったく」
 綺麗な刀だった。少しだけ赤く見える銀色。アメ様の持つ剣や、エビス様の持っていた刀よりも綺麗。刀身を撫でると微かに温かいような気がした。
 幸助さんは私が手を離したのを確認すると、不知火を弓に戻した。
「じゃあ、そういうことでいいだろう。俺たち他の神にはその日含め数日間自分の神域から出ないよう触れが出るだろうから、カグツチをそばで守れるのは神ではないお前たちだけだ。俺は、ここからお前たちを守護しよう。エビス、お前はどうする」
「僕は、あの呪を送った神を探そうと思う」
  エビス様は受け取った首飾りを首にかけながら、話を続ける。
「幸助君、目星はついているのだろう?」
「はい。幾百年、色々な神の手伝いをした甲斐がありました。そこまで苦労はしませんでしたよ。ただ、確固たる証拠がありません」
「そこからは僕の仕事だ。僕に対して嘘なんかつかせなよ」
 何だかんだとサクサク話が進んでいく。
 結局、カグツチ様の神域には行かぬよう全ての神に触れが出た時点で私と幸助さんはカグツチ様の元に向かう。スサノオ様とヒメ様がその援護をしてくださる。エビス様は幸助さんの情報をもとに今から一人で呪を送った人を探しに行く、ということらしい。
「二人にはこれを渡しておくね」
 渡されたのは組紐だった。
「君たちは今、誰の眷属でもない状態だからね。今だけは僕の眷属ということにしておこう」
 アメ様にもらった首飾りのような物だろう。躊躇いなく腕に巻いてしまったが、幸助さんはそれを見ているだけで何もしていない。
 着けないとダメなのだと思うが、違うのだろうか。
 苦笑しつつエビス様が尋ねた。 
「やはり、着けたくないかい?」
「すみません。嫌というわけではなく、ただ、俺はカグツチ様以外に忠誠を誓う訳にはいかないから」
 私は何も考えずに着けてしまったが、ずっとカグツチ様に仕えていた幸助さんからすれば裏切り行為のようなものなのだろう。
「うーん、困ったなあ。何かしら神の許したものを持っていないと一人では神域に入れないし......」
 エビス様が考えあぐねていると、スサノオ様が幸助さんの組紐を奪って、幸助さんの承諾も得ずに彼の手首に結びつけた。
「腹をくくれ。お前は、カグツチを守るために、カグツチの眷属を辞める道を選んだ。その決定に俺たちさえ巻き込んだ。お前が決めたのだろう。安心しろ。カグツチを守ることができ、お前が行き場に困ったら俺の一の眷属にしてやる。神物だって与えてやろう。そうなれば、お前は俺の初の一の眷属だ」
「あれー、スサノオ君、一の眷属は作らない主義だろー」
 いたずらっ子な笑みを浮かべたエビス様がわざとらしく尋ねる。
「こいつは優秀だ。何も理由がないのに転生の輪に戻すのは惜しい」
「まあ、それは分かるけれどねー」
 二人の話を聞いた幸助さんはゆるゆると首を横に振った。
「俺は優秀ではないですよ。ただカグツチ様のおそばにいたかっただけですから」
「それでもだ。お前は考えられないほど長い時をカグツチに捧げた。それは凄いことだ。自信を持って良い」
 いつだったかエビス様が言っていたっけ。幸助さんは実はとっても人気のある眷属だって。高位の神様も幸助さんを欲しがっているけれど、カグツチ様が断り続けたと。幸助さんってやっぱり凄いんだなあ。
 カグツチ様は幸助さんのこの決定をどう思うのかな。眷属を辞められちゃうって悲しいのかな。それとも、自分のためってところに喜ぶのかな。あの神様は優しいから、どっちもかもしれないし、他の感情を持つのかもしれない。分からないけれど、カグツチ様も幸助さんを大事に思っているのは事実だ。だって、二回目だったか会ったときに言っていた。
『これが正しい感情なのかは分からないけれど、私は私なりに幸助を愛しているつもりだよ』
 内緒だよって人差し指を立てて笑った彼は、幸助さんに似ていた。
 幸助さんもカグツチ様も守らないと。アメ様を止めないと。
 スサノオ様の言葉に戸惑う幸助さんに私も思っていることを伝える。
「幸助さんは凄いと思います。能力とかそういうのも凄いと思うけれど、それ以上に、カグツチ様のためにそこまでできる貴方を尊敬しています。自分の価値に自信を持ってください。一緒に頑張りましょう。カグツチ様を守るために」
 私の言葉に、幸助さんは少しばかり驚いたようだった。
「ちゃんとカグツチ様を守れて、言うはずないと思うけれど、もしカグツチ様が文句とか言ったら私がカグツチ様を怒ってあげます。貴方はまたカグツチ様の一の眷属になってください。約束です」
 思ったことをそのまま口にする私に、彼はクスクスと笑い出して、額を叩いてきた。
「いたっ」
「生意気、ユキのくせに」
 額を叩かれたのは解せないけれど、やっぱりお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなって思った。
「私は、幸助さんのことも、カグツチ様のことも大事に思っているんですよ!」
「ありがとう、ユキ。お前も俺にとっては大事だよ」
 それは当然だろう。大事な妹の魂なのだから。
「まあ、幸呼さんの魂ですしね」
 そう言ったら今度は頭を叩かれた。しかもそこそこ強めに。
「間違ってないでしょう?」
「間違ってるよ。俺は、お前が幸呼と同じ魂だから大事なんじゃない。ユキというお前個人と関わって、お前が大事なんだと思ってるんだよ」
 てっきり、私が幸呼さんの魂で、それをアメ様が大事にしているから、皆が私を大事にしてくれていると思っていたけれど、違うのだろうか。
 あまり釈然としないでいると、エビス様が私の頭をぐしゃぐしゃにしながら言ってきた。
「僕はユキ君が、一の眷属と同じ魂だからここまで手を貸している訳じゃない。そもそも一の眷属とはあまり関わったことなかったし。僕はね、君の真っ直ぐなところに惹かれたんだ。真っ直ぐに相手を見てくれる君に。君だって凄いよ。僕をここまで動かしたのだから」
 エビス様に思いきり抱き締められて息が苦しい。でも、嬉しくて胸は温かい。
「えへへ、ありがとうございます」
 お礼を言うと、もっと強く抱き締められた。さすがにちょっと痛いなって思ったら、誰か、といってもスサノオ様か幸助さんだけれど、に首根っこを掴まれて救出された。
「エビス、ユキが潰れるぞ」
 どうやら首根っこを掴んで救出してくれたのはスサノオ様だったらしい。ごめんごめん、と謝りながらエビス様は一歩退いた。
 首根っこを離されて解放されると、足元の茜さんが頭をぐりぐりと擦り付けてくる。どうしたのか分からず、とりあえず頭を撫でてやると手に頭を押し付けてきた。
「茜さん、急にどうしたのですか?」
 聞いたところで、私は茜さんの言葉は理解できないけれど。茜さんはひたすらに頭を擦り付けてくる。
「タマの白狐はな、アメの一の眷属には懐かなかった」
 スサノオ様が急にそんなことを言った。それがどうしたのだろう。茜さんを撫でながら、スサノオ様を見上げれば、彼は私の目を射ぬくように見つめながら口を開いた。
「魂は同じかもしれないが、何もかも違うだろう。お前と一の眷属は全く違う人の子だ。お前も自信を持つと良い。俺もエビスも、アメの一の眷属だったらここまで力は貸さなかったぞ。この結果は、お前自身によってもたらされたものだ」
 何となく、生まれ変わりだと聞いたときから自分を見てもらうのは諦めたような気がしていた。それでも優しくしてくれるし、大事にしてくれるからそれ以上を求めるのは止めようと思っていた。皆が自分ではない誰かを大事にしているとしても、それでここにいて良いのならと諦めていた。
 そうか、そんなことはなかったのか。
「私を、私自身を大事に思ってくださっていたのですね」
「会ってすぐのうちは、重ねていた。それは認めよう。だがな、違う人間であるというのはすぐに気が付く。それをどう思うかは、神によっても、人によっても違うがな。俺はアメの一の眷属の生まれ変わりがお前で良かったと思う。少なくとも、ここにいる連中は同じように思っているだろう」
 チリン、とスサノオ様の櫛に付いている鈴が鳴った。
「ヒメもそう思っているそうだ」
 嬉しくて、お礼を言いたいのに、何と言えば伝わるのか分からなくて言葉が見つからない。
 茜さんから手を離して立ち上がり、見つからない言葉を探せば、エビス様が助け船を出してくれる。
「ユキ君、ありがとう、でいいんだよ。それが今の時代の、一番単純明快な感謝の言葉だろう?」
「そうですね。ありがとうございます、私を大事に思ってくださって。とても嬉しくて、温かいですね」
 嬉しくて、自然と頬が緩んでしまうのをそのままにお礼を言えば、エビス様が私の右手を取った。
「おいで、招福」
 もう一方の手に招福さんを喚び、それを私の手に載せた。
「おい、エビス。まさか」
 スサノオ様の声にエビス様は一つだけ頷いた。
「ユキ君、僕は君に、招福の全権限を貸与しよう」
 私に、一の眷属であった招福さんを貸す?
 彼の最も大切な神物の権限を、私に貸すなんて......。
「そんな、受け取れません!」
「よく聞いて。与えるとは言ってない。貸すだけだ」
 エビス様は私に招福さんを握らせ、その手をぎゅっと握ってきた。
「必ず返してね。君が自分の手で、僕に招福を返してね。僕、返してくれるまで、いくらでも待つからさ」
 エビス様の言わんとすることが分かった。
「分かりました。私が自分で返しにいきます。アメ様と一緒に返しにいきます。だから、待っていてください。絶対に返しにいきますから。約束です」
「ああ、約束。神との約束だ。絶対守らないといけないよ」
「はい、必ず」
 エビス様はもう一度私をぎゅっと抱き締めてきた。しばらくそのままにしていると、彼はすっと離れて、五豊と呼ばれる刀を喚んだ。
「僕はもう行こう。必ずカグツチ君の疑いを晴らしてみせる。ユキ君、幸助君、カグツチ君のことを頼んだよ。スサノオ君、皆を守ってね」
 エビス様はそれだけ言うと、部屋から出ていった。私の手には招福さんが握られている。
「私はエビス様に何を返せばいいのでしょうか」
 静寂の中で、私の呟きは妙に響いた。
「お前が、お前の手で招福を返してやれ。それが今のエビスにとっては一番の見返りだろう」
 自分の手で招福さんを返す。それはつまり、消滅するなということだろう。
 ここまで大切にしてもらえるというのが嬉しい反面、ここまでしても消滅する可能性があるというのは少し怖い。アマテラス様の命とはいえ、アメ様がそこまでするというのを未だに信じられない自分もいる。
 本当にアメ様はカグツチ様を討つのだろうか。
 ぼんやりと考えていれば、ユキ、と声をかけられて意識を引き戻される。
「余計なことは考えるな。姉上の計画をその場で非としなかった以上、アメは実行するぞ。しなければならないのだ」
「はい」
 スサノオ様は私と幸助さんに神域滞在の許可と、神域内の武道館等いくつかの建物の使用許可をくれた。
「幸助、ユキに神物の使い方を教えてやれ。完璧とまでは言わんが、可能な限り神物の力を引き出せるように」
 スサノオ様はそう指示を出すと、自分の眷属を呼び、私たちの滞在を通達していた。
 眷属の方に神域内の武道館や弓道場の位置を案内してもらったあと、私は武道館で神物の使い方を教えてもらうことになった。
「神物は所有権を有する者が喚ぶことで実体化する。今、招福の所有権はお前に貸与されている状態だから、お前がどこにいようと関係なく喚ぶことができる」
 彼は不知火を喚ぶと、矢を弓にあてがった。
「神物は基本的に、その形のまま使う物が多い。刀であれば刀。弓であれば弓。そして、普通の武器と違うのは、持ち主の思う通りに使えるという点だ」
 彼は矢を放つと、矢は真っ直ぐに壁に向かって飛ぶ。壁に刺さる寸前で軌道を変えて、最終的に幸助さんの手の中に収まった。
「不知火は俺の思うところに矢を放つことができる。そして、カグツチ様の神物であるからこんなことも可能だ」
 彼がもう一度矢をあてがうと、矢の先端に炎が燃える。
「そして、神物には形を変えるものや形とは違う使い方をするものがある。そういった神物は神によって作られた物であると思っていい。不知火もそうだし、招福もそうだ」
 彼は不知火を刀に変えながら、招福さんを指差した。
「不知火は形を変える。招福は、使い方が違う。エビス神が招福を使うところを見たことがあるか?」
 頷けば、どう使っていたか問われた。
「えっと、彼が招福さんを振るったら、空気が澄んだ気がします。結界がどうのと言っていたので、結界を張ったのかなって思っていたのですが」
「それでいい。正解だ。エビス神は、基本的に招福を結界術で用いる。招福を振るえば、自分の思うところに結界を張ることができ、その場の空気を浄化できる」
 確かに、釣竿からは想像できない使い方だ。空気の浄化を想像しながら釣竿を振るってみたが、特に変化はない気がする。
「ここはスサノオ様の神域だ。清浄な空間で浄化はできない。それよりも結界を張ってみろ。簡単だ。自分を囲う壁のようなものでも想像すればいい」
 壁を想像。自分の周りに見えない壁を想像しながら釣竿を振るう。何かが変わったような感じはしないが、結界は張れているのだろうか。
「上出来だ」
 幸助さんがコンコンと見えない壁を叩いている。
「強度がいかほどか試してみるか。お前はとりあえず、何があっても壊れないような壁でも想像して結界を張れ。不知火を射ってみよう。お前に当てたりはしないから安心しろ」
 彼は私から距離を取ると、矢を弓にあてがう。私は壊れませんようにと祈りながら釣竿を一回振るう。
 彼が矢を放つと真っ直ぐこちらに向かってくる。キインと音が響いたかと思えば、矢が空中で止まっている。いや、微妙に振動しているからこちらに向かってはいるが何かに阻まれているといった感じだ。普通の矢だったら壁に当たって落ちるのに、カグツチ様の神物であるからか落ちることなく結界を破ろうとしているのが分かる。ピシッと罅が入るような音が聞こえたので、おそらく結界が破られそうなのだろう。
 もう一枚張れば......。
 今張ってある結界の内側にもう一枚結界を張るように想像しながら釣竿を振るってみる。
「いい機転だ。だが、弱い」
 幸助さんが言い切った時には、カシャンと割れる音が二回続けざまに響いて、矢は私の目の前で止まって地面に落ちた。
「俺の不知火が防げないなら、お前の主の刃は防げない。あれは剣の神にして、雷神であり、戦神でもある。いくらスサノオ様の加護があろうと、お前自身がもっと招福を使いこなせなければ話にならない」
 初めて使うんだから、もう少し優しくしてくれてもいいと思うのになあ。結界を張れたことを褒めてくれたっていいのに。
「一枚目の結界は良かった。俺の不知火に勝るとも劣らぬ強さがあった。だが、二枚目が駄目だ。とりあえず張ろうという気持ちが見え見えだ。そのせいで一枚目も弱った」
「結界が張れているのかさえ分からないのに、強い弱いと言われても......」
「結界を破られると思うな。破られないと信じろ。この国の神の力は、俺たち人の子の気持ちが大きく影響を与える。それは神物も同じだ。お前が招福を信じきらないといけない」
 うーん、難しいなあ。気持ちの問題ってことかあ。じゃあ、気持ちの強さが同じくらいの場合どうなるのかな。
「では、絶対に破れないと信じる人が張った結界と、絶対に貫くと信じる人が放った矢はどちらが強いのですか?」
「神同士であればより高位の神が、人同士であればより経験の強い方が。神と人であればもちろん神が。だが、これが覆ることは多くある。相手がどうとかは気にしなくていい。お前はただひたすらに信じるしかない」
 幸助さんは矢を拾い上げると、不知火を刀の姿にした。
「招福の基本的な使い方は分かったな」
 基本的、ということは他にも使い方があるということなのだろうか。
「ここからはできるか分からないが、一応伝えておく。招福はエビス神の思った通りに姿を変えるらしい。俺はかつて一度だけ、エビス神が招福を刀にしていたのを見たことがある。そしてその刀はスサノオ様の剣でさえ弾いていた。エビス神に聞けば、招福は何の形にもなると。持ち主の望むものになるのだと言っていた」
 それはきっと招福さんとエビス様の絆があってこそできることだ。私にそれができるとは思えない。
「私と招福さんにはその絆はありません」
「ああ。だから、できるかは分からないと言ったんだ。お前は結界を張れるようにしろ。カグツチ様のおそばにいるのはお前なのだから、お前の主の攻撃を最も受けるのもお前だ」
 アメ様は、私がいてもカグツチ様を討つのかな。私の魂、幸呼さんの魂を傷つけてでもカグツチ様を討つのかな。何だか信じられない。
「次は不知火の刃を防いでもらう。お前の主は剣の神だ。接近戦になったら剣の神である彼は剣を使うだろう。それが神物か御神体かは分からないが、御神体を使ってきたら厄介だぞ」
 御神体って、お社にあるあの御神体かな。あれって動かしていいの。ていうか、御神体って神様の本体のようなものかと思っていた。
「御神体ってお社の中央にある剣のことですか」
「ああ。まさか使うわけないと信じたいが、今回は最高神の勅命だ。使う可能性は大いにある」
「御神体を使うというのはそれほどすごいことなのですか?」 
「俺たち眷属の魂なんて簡単に消滅する。いや、むしろ、御神体は専ら魂の消滅にしか使わない」
 何故、勅命だとそれを使うの。カグツチ様を討つだけが目的なら、眷属の消滅は不必要ではないの。
 私の動揺を見て取ったのか、彼はやはりと呟いた。
「討伐の意味を知らないんだな」
「カグツチ様を攻撃するだけかと思っていました」
「討伐とはな、その神だけではなく、眷属も全て消滅させ、神域も最低限までに縮小させることだ」
 眷属の消滅。だから、スサノオ様は眷属に加担させるのが酷だと言ったのか。
 カグツチ様がやったかどうか証拠のないことで、カグツチ様をそこまで追い詰めるの。それが是なの。
 え、待って。眷属の消滅ということは幸助さんはどうなるの。
「え、では、幸助さんは......」
「カグツチ様は討伐前に全ての眷属を転生の輪に戻すおつもりだ。俺も、無理矢理に転生の輪に戻されるはずだったから、どうにかしてカグツチ様を説得するかしばらくどこかに身を潜めようと思っていた。お前やエビス神が手を貸してくれたのは本当に僥倖だった」
 そっか、じゃあ、眷属の証を外した幸助さんは眷属として消滅をさせられるわけではないのか。
 私と幸助さんは、普通に妨害者として消滅させられる可能性があるというだけだ。
「幸呼が消滅せずに済んだのは、以前は神物を用いていたから。もし御神体を用いてきたら、俺たちは簡単に消滅する。やめるなら今のうちだ」
「やめないです。たとえ消滅してでも、私は彼を止めたい。被害が私だけで済むのならそれが一番良い」
 今さらやめるわけがないだろう。
「私を大事にしてくださっているエビス様やスサノオ様、ヒメ様やタマちゃんを蔑ろにしているわけではないですよ。もちろん、消滅せずに皆に会いたいですから。でも、私はこの魂を賭けてでも、アメ様を止めたい。それに、スサノオ様が消滅はさせないとおっしゃってくれたではないですか。信じましょう、私たちに力を貸してくださった神様のことを」
「そうだな。俺たちはもう進むしかないとスサノオ様に言われたばかりか」
 彼は刀を握り直す。
「お前の主のよく使う神物は布都御魂(ふつのみたま)という剣だ。今回も使うとしたらそれだろう。見たことはあるか」
 確か、絵馬の呪を祓うときにアメ様が握っていた剣だ。
「はい。多分一度だけ見ました」
「そうか。ではお前の主の御神体の名を知っているか」
 それは知らない。いつも神域に入るときに触っているのに。
 首を横に振れば、幸助さんはさらに尋ねてきた。
「お前の主の名は分かるか」
 もう一度首を横に振る。
「名は色々な意味や力を持つ。お前が主の名を覚えていないのはお前が正式な眷属ではないからだろう」
「でも、眷属ではないのにアマテラス様や、スサノオ様のお名前は分かりますよ?」
「名は漢字を交えて名乗るからこそ意味がある」
 そう言われれば、どの神様も私に漢字を教えてくれたことはない。
「一方的に知っていても意味はない。互いに漢字で名を教えあうからこそ意味があり、それが神と眷属の主従関係の基本だ」
「そうなのですね。私は確かに彼の眷属にはなっていなかったので、知らなくても仕方ないですね」
 でも、漢字はともかく、名も知らないというのは少し寂しい気がする。いや、でも、私も名乗ってないしな。
「彼の名前を教えていただけますか」
 知ったところで意味はないかもしれない。でも、私は知りたいのだ。
「彼の神は雷の神であるタケミカヅチだ。又の名を、イザナギの剣  」

*

 カグツチの神域はとても静かだった。以前は他の眷属の方もいたし賑やかだったが、今はユキとカグツチ、遠くに幸助しかいない。
 ユキと幸助は、全ての神に触が出されたときにカグツチの神域へ入った。鳥居は繋いでもらえない可能性があったため、近くまでエビスにもらった組紐で移動し、境内へ。御神体から神域に入り、ユキはカグツチのそばへ。幸助は少し離れた位置に待機することになった。
 カグツチは武器を何も持っておらず、完全に丸腰だ。彼は、アマテラスの命は絶対であり、拒むことも許されないと理解していたからだ。
「ユキ、本当に私は大丈夫だよ。宮様の勅命を妨害したら君も刑に処される。今からでも幸助と一緒に帰ってくれないか」
 カグツチは嫌だった。自分のために最も大切な眷属や、その子の大切にする魂が傷つくのが。
 でも、ユキの方も簡単に引き下がれる程度の覚悟なわけではない。
「幸助さんがいることお気づきだったのですね。でも、嫌です。帰りません。申し訳ないのですが、私はカグツチ様のためというよりもアメ様のためにここにいます。アメ様に後悔させたくないんです」
「そっか」
 カグツチは困ったように目尻を下げた。
「じゃあ、アメのこと頼んだよ」
 ユキは真剣な顔で頷いたが、カグツチは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ユキの首に手刀を入れ、彼女を気絶させると、彼女を御神体のある部屋の隣の部屋に連れていった。
 神域の縮小がなされても、御神体のある部屋やその周囲だけは絶対に壊されない。本当であれば、幸助もこの部屋に入れておきたかったが、彼がそれに素直に従わないことはカグツチが一番よくわかっている。
 部屋に結界を張り、ユキが外に出られないようにする。
「茜、ユキを頼んだよ」
 ユキに付きっきりだった茜は一つ頷いた。
「幸助はどうしようか。あの子がいなくなるのは嫌だな」
 幸助がカグツチを庇うようにアメに刀を向けたら、幸助は確実に消滅させられる。
「消滅される前に転生させたかったなあ」
 消滅でも転生でも、どちらにせよ幸助だけはせめて自分の手で。カグツチはそう決意し、部屋から出ていった。
 それから数時間後、姿は見えずとも、神が神域に入ってくることをカグツチは感じ取った。
 触が出ているのは一週間。その初日に来るということは七日間徹底的に神域を破壊するつもりか。
 カグツチは何故か苦笑が漏れた。
「相変わらず嫌われているなあ。私は、君のこと大切だと思っていたのだけれど。ねえ、アメノオハバリノカミ」
 カグツチが振り向いた先には、剣を手にしたアメの姿があった。
「別に嫌ってはいないが宮様の命だ」
「宮様はどうせ討伐令しか出していないだろう。触が出されている初日に来たのは君の判断だ。これは嫌われていると判断してもいいだろう」
 怒るでもなく、悲しむでもなく、どこか諦めたように笑うカグツチにアメは剣を握り直す。
「選ばせてあげよう。君が先に斬られるか。それとも神域を先に縮小されるか」
「では、先に斬ってくれ。皆と過ごした神域が壊されていく様を見るのは苦しい」
 カグツチには別の思惑があった。このまま先に斬られてしまえば、幸助が諦めて隠れていてくれるのでないかと思ったのだ。
「分かった。では、神域が縮小されている間起きぬ程度に斬ってやろう」
「死なないとはいえ、怖いものがあるね、それ」
 カグツチが目を瞑る。彼が丸腰であることを確かめるとアメは剣を構える。 
「では、しばし眠ると良い。ヒノカグツチノカミよ」
 剣が振り下ろされ、カグツチに触れようとした瞬間、何かが剣にあたり軌道を逸らした。
「ちっ。幸助か。全ての眷属を転生させたと思っていたが、一の眷属は手放せなかったか」
「違う。幸助はもう私の眷属ではない。だから、あの子を消滅させるのは止めてくれ」
 カグツチの願いも叶わず、アメは無情にも呟いた。
「来い、アメノオハバリ」
 それは、アメの御神体であり、アメ自身。御神体であれば魂なぞ一瞬で消滅する。
「たとえ君の眷属ではないとしても、宮様の勅命を妨害したのだ。どのみち消滅は免れまい」
 アメは光を放ちながら現れた剣を握る。それをカグツチの首もとに当てた。
「どうせ死なないのだから、首を落としてもさして問題あるまい」
「首を落とされた神がいるのは聞いたことがないから本当に死なないかは分からない。それに一応首を落とすのは我ら神の間では禁忌だが」
 アメが少し剣を持つ手に力を入れれば再び剣が何かに弾かれる。その隙に誰かがカグツチとアメの間に滑り込みカグツチを突き飛ばしアメから距離を取らせる。
「来たか、幸助」
 幸助はアメの前に立ちはだかった。片手で弓と矢を纏めて持っている。
「先程から我が剣の軌道を阻むはその弓か。だが、近接戦でどう僕と戦うつもりかな」
 幸助は小声で、不知火、と呟いた。弓は炎をあげ、刀へと変貌を遂げる。これにはアメも驚きを隠せず息を飲んだ。
「ほう、いい神物だ。だが、剣の神である僕に刀で挑むとは」
 アメは剣を幸助に振りかざす。幸助はそれを刀で受け止める。
「これは普通の刀ではありません。だから、貴方に服従はしない」
 幸助は必死にアメに剣を防いでいた。受け止め、弾き、いなし。剣が自分に当たればすぐにでも消滅させられる。元々、そこまで刀の扱いに秀でているわけではない上に、神に手を出すとその代償があると知っている幸助は分が悪い。しかも、アメの攻撃は一撃一撃が重く、幸助の手は早くも疲れてきていた。
「幸助!」
 刀が弾き飛ばされ、目の前には剣を振りかざしたアメ。幸助はすんでのところで胸元に入れてあった櫛を握る。
 キイン、と音が響いてアメの剣は押し返された。
「クシナダヒメ様の櫛か」
 櫛は燃えたかのように真っ黒になってしまった。
『一度だけなら逃げおおせるでしょう』
 というのはこういうことかと幸助は思った。櫛の結界が残っているうちに不知火を呼ばなければ。焦った幸助はその場で叫んでしまった。
「不知火!」
 不知火はアメには服従しない。そう思い込んでいた幸助の油断だったのかもしれない。
 神物の名を知ったアメは、無意識に顔を歪める。
 あとは、神物が服従するのが先か、普通に幸助が消滅するのが先か。どちらにせよ時間の問題で、宮様の命は果たせてしまいそうだと確信する。
 不知火を握り直した幸助は立ち上がって距離をとる。振りかざされる剣に対し、受けの姿勢を取るも明らかに劣勢。このままでは押し負ける。
「服従させずとも済むか」
 アメが呟いて、剣に力を入れ直したときだ。
 琴の音と鈴の音が響く。
 櫛ほどではないが、確かに二人の間には結界が張られる。
「スサノオ様まで、僕の邪魔をするのか」
 聞いただけで分かる。彼らが八坂の地から、幸助を守ろうとしているのだと。
「お前はどうやって彼らを丸め込んだ」
 剣で無理矢理に結界を破ろうとしながらアメが尋ねた。
「俺じゃない。彼らが動いたのはユキのおかげだ。彼女が彼らを動かした。あいつの願いは」
「知ったような口をきくな。どちらにせよ、君は消滅を免れない」
「お前は救いようがないな。ユキが動いたのはお前のためだ。いつか後悔という感情を知ったときに、お前が後悔しないようにと願って彼女は動いたんだぞ!」
 結界が破かれるも、幸助は自身の力で剣をいなし、そのままアメの腹部に蹴りを入れる。
 蹴り飛ばされたアメは起き上がると睨むようにして幸助の持つ刀を見た。
「来い、不知火」
 自分の腹部を押さえていた幸助の手の中の刀がカタカタと震える。
 さっと青ざめた幸助を見て、アメはもう一度言った。
「来い、不知火」
 刀は幸助の手から離れ、アメの手に収まった。
「良い刀だ。重さも長さもちょうど良い上に、弓にもなるとは」
 刀と剣を持ち、ゆっくりと幸助に近づく。幸助の顔は絶望に染まりきっている。
「言っただろう、全ての剣は僕に従うと。まあ、特殊な刀だったから服従に時間がかかったが。さあ、選ぶといい。僕の御神体で一瞬にして消滅するか、それとも、君の持つこの神物で時間をかけながら消滅するか」
 どうすればいい。時間をかければエビス様が間に合うか。ユキはカグツチ様の結界の中だからきっと来られないだろうし。
 幸助はしばし考えたのち、エビスが間に合う方に賭けた。
「では、不知火でお願いしたい」
 笑えているだろうか。声が震えているのは分かっている。足も笑っている。しかし、ただで消滅させられるわけにもいかない。時間を稼げれば希望はあるかもしれない。
 気丈に振舞うのは幸助にとっての最後の抵抗だ。
「幸助!」
 カグツチがアメと幸助の間に体を割り込む。
「アメ、止めてくれ」
「カグツチ、そこをどかないのであれば君も勅命の妨害として刑が増えるぞ」
 カグツチは一度目を伏せ、そして、喚んだ。
「来い、川螢(かわぼたる)」
 カグツチの手の中にあるのは一振りの薙刀。
「愚かな。僕に対し剣は無意味であると知っての愚行か」
「分かっているさ。君に剣で敵わないことも、私だけでなくほとんどの神が敵わないことも。だが、己が眷属が魂をかけて戦っているのを主として見捨てられるはずがない。私はこの眷属の主として、彼の非を被り、共に堕ちよう。それが宮様の命に背く行いだとしても」
 カグツチは薙刀を握り、刃をアメに向ける。
「それもまた怪し火の一つか。となれば、服従に多少は時間がかかる。いいだろう、君が斬られるのと、川螢が服従するのとどちらが先か。見せてもらう」
 カグツチは幸助の首根っこを掴み離れたところに投げる。アメの方に振り向き、彼の剣を薙刀で受ける。
 敵うはずがない。これは、エビス様が来てくれるまでの時間稼ぎでしかない。
 カグツチは内心で己の無力さにため息をついた。
 カグツチとアメの因縁は書物の中でも序盤の方から始まる。生まれてくる際に力を制御できず己の母であるイザナミを黄泉送りにしてしまったカグツチを父であるイザナギはアメを用いて斬り捨てた。イザナギやアメを恨んだことはない。しかし、彼らに対する畏怖はその身をもって、他のどの神よりも知っている。
 だからこそ、彼には勝てない。私は、彼が怖いのだから。でも、それでも、あの魂くらいは救ってやりたい。どうにかして転生させたい。また、巡り合えればそれでいいのだから。目の前の神がそれを許すとも思えないが。
 カグツチの想いも虚しく、アメの剣によって弾かれた薙刀はカグツチの手から離れ宙に浮く。
「川螢」
 アメが呼んでも薙刀はアメの手に納まることはなく、重力に従って地に突き刺さった。それを取りに行く暇もなくアメは剣をカグツチの喉元に押し当てる
「随分と忠義の厚い武器だ。称賛に値しよう。だが、君の力では僕には勝てない」
「知ってる。だって私は君が怖いから。勝てるはずがない。でも、私は君のこと大切だと思っているよ。だって、君は父上の大切な剣で、そして、私の血から生まれたのもまた君なのだから」
 その言葉にアメは剣を下ろした。少し、心のどこかが揺らされた。
 心なんて、感情なんて借り物で偽物のはずなのに。
「何故、今、そのようなことをおっしゃるか......。そもそも、貴方が力を悪用されなければこんなことにはならなかったのに!」
 アメは御神体である剣を地面に突き刺すと、神域全体に結界を張った。スサノオたちの加護もこれで届かなくない。布都御魂を喚ぶとそれをカグツチの目の前に刺しカグツチを結界に閉じ込める。
「これでもう邪魔は入らない。まずは幸助、君の消滅からだ」
 武器もない幸助には対抗する術はない。それに覚悟はとうにできているのだ。
 抵抗する様子を見せない幸助に、カグツチは焦る。だが、こちらも結界に閉じ込められている以上何もできない。できるのは懇願だけだ。
「私が首を差し出しても良いから、幸助の消滅だけは」
「君の首は命ではないが、幸助の消滅は命の範囲内だ」 
 カグツチが何かを言い続けていても、それが幸助とアメの耳には入らない。幸助からすればどれほど時間を稼げるかが最重要であるし、アメからすれば幸助は消滅させることも命の一つ。
「カグツチ様、たかが眷属のために首を差し出してはいけませんよ」
 でも、そんな優しい貴方のそばにいたかった。共に堕ちると言ってくれて嬉しかった。
 口にしようとして幸助は口をつぐんだ。言えばカグツチが余計後悔すると思ったからだ。
 幸助が口を閉じたのを見て、アメは刀を幸助に突き刺した。
「うっ」
 元が幸助の刀であったからであろう、突き刺されてもすぐに消滅とまではいかず、ジリジリと削られていくように幸助は感じた。
「元は君の刀だ。君への忠義もある故に、消滅までは時間がかかるだろっ」
 アメは突然言葉を切って、地に膝をついた。幸助もカグツチもその光景に絶句する。人であれば心臓の位置に刀が突き刺さった状態でアメは信じられないような表情で問う。
「ユキ、どうして......」
「神は、死なないのでしょう。であれば、私に今できる、貴方を止める方法は、これしかなかったから」
 ユキも左胸を押さえつつ、アメ同様に膝をつく。
「茜さん、結界をありがとう。おかげで気が付かれずに近づくことができました。カグツチ様を解放して、幸助さんを助けてあげてください。まだ、間に合うはずです」
 茜はユキの指示通りまずはカグツチの目の前の剣を地から抜き、結界を壊す。次に幸助に近寄り、幸助からなんとかして刀を抜いた。カグツチも慌てて幸助のそばによる。カグツチにも分かった。幸助はまだ間に合うと。アマテラス以外の神でもまだ修復できる損傷であると。
 茜は幸助に片足を置くと、一声鳴いた。すると、茜と幸助の周りを薄い光が包む。
「茜、君はタマにそこまで力を許されているのだね」
 茜が頷くと、光は消えて、幸助も消滅からは免れる。
 幸助が助かったことに安堵しながら、ユキは何とか膝立ちでアメから刀を抜いた。
「招福さん、ありがとうございました」
 刀は釣竿に戻り、すっと消える。ユキはその場に倒れ、それを見たアメがユキを抱える。
「ごめんなさい、私が貴方を傷つけることになって」
「ユキ、どうしてこんなっ。君は神殺しの代償を知らないのか?」
「神殺しというのですね。何かしら代償があることは覚悟していました。その名称は知らなかったですが。神を傷つけてはならないとはこういうことなのですね」
 アメはユキの魂が深く傷ついているのを感じていた。おそらく自分では助けることはできない。アマテラスならどうにかなるだろうが、勅命の妨害をしたユキをアマテラスが助けるとは、アメには考えられなかった。
 勅命を妨害した者はその場で消滅させねばならないと分かってはいても、アメにはできそうもなかった。本当は安心していたのだ。カグツチのそばにユキがいないことに。このまま出てこないでくれれば、勅命を妨害はしていないとして消滅させずに済むとアメは期待していたのだ。それがどうしてこんなことに。
「まさか、自ら消滅するような道を選ぶなんて」
「いいではないですか。どちらにせよ、私は勅命を妨害したとして消滅させられるのですから。それなら、皆を助けるために神殺しとして消滅した方がいい。ああ、間に合ってよかった」
 ユキは全て覚悟の上だった。誰からも聞いたことはないとしても、たかが人の子の分際で神を傷つけたらそれ相応の代償があるだろうことは予想がついた。代償の内容は分かっていなかったが、神にしたことがそのままに自分に返ってくるのだと、自分の状況から察することはできた。
「きっと、エビス様がもうすぐ来てくれます。だから、もう少し待っていてください。そのあとの結果を、私は見ることはできないかもしれないけれど」
 魂が削れていくのは感じていた。自分が助からないのも分かる。
「でも、貴方が迷ってくれてよかった」
「僕は迷ってなんて」
「迷っていなかったら、幸助さんはすぐに消滅していたし、カグツチ様が無傷なはずがない。何かに迷ったのでしょう。迷うのは間違いじゃないですよ。迷って迷って、後悔のないようにしてください」
 ユキの体はうっすらと透け始めている。
「待って、待って。僕はまた、君に酷いことを」
「アメ様、愛していますよ。だから」
 ユキはアメの顔に手を伸ばして微笑んだ。
「私を貴方の」
「間に合ったわね」
 新たな声に、その場の皆が声の方へ向いた。
「アメ、此度の勅命を下げます」
「宮様、それは一体......」
 アマテラスはアメに答える前に場を見渡し、仕えていた眷属に指示を飛ばす。
「ムラクモ、お前は幸助の保護。ヤサカ、お前はアメの手当てをしなさい。幸いにも神域はほとんど無事のようね。さてと」
 アマテラスはユキの側により膝をつく。
「アマテラス様......?」
「人の子の分際で随分と派手にやってくれたようね。まさか神殺しの禁忌まで犯すとは思っていなかったわ。でも、約束は果たしましょう。来なさい、ヤタノカガミ」
 側にいた眷属は鏡となってアマテラスの手の中に収まった。
「エビスの兄上が、呪を送った神を捕まえて連れてきたのだから、さすがに此度の勅命を是として推し進めることは我にもできぬ。本来であればそれでもそなたや幸助には処罰があるのだけれど」
 アマテラスは鏡を撫でると、鏡は光を集めてユキに当てる。
「此度のそなたの行動、その全てを是としましょう。よって、そなたは不問。もちろん、そなたに手を貸した幸助も不問。力を勝手に使われ、勅命を妨害したカグツチも、そなたが守ろうとした対象なのだから不問にするわ」
「ありがとう、ございます」
 ユキはそれを聞いて笑った。
 間に合った。エビス様が間に合わせてくれた。誰も消滅しなかった。
 それがユキの心を満たしていた。
「あとは、ユキだけね。今の自分の状況は分かる?」
「どうせ助からないのでしょう。でしたら、私はアメ様の神物になりたいです」
 アマテラスはそれを聞いてふっと笑い、それは許可できないわ、と言った。
「そなたは帰らなければならないのよ。本当にアメのところに戻りたいのであれば、今度はあるべき形で来なさい」
「嫌です、嫌です! 私はここに、アメノオハバリ様の側に、」
 
「私は、彼の側にいたいのに!」

 目の前には、泣いているお母さんや弟の姿があった。
「幸姉ちゃん!」
「幸! 目が覚めたのね、今、医師(せんせい)を呼んでくるから」
「お母さん、ナースコール!」
 部屋から出ていったお母さんと、冷静にナースコールを押す弟。
「姉ちゃん、目が覚めてよかった。って、姉ちゃん、どうして泣いてるの?」
「え......」 
 ここはどこ。さっきまで私は、皆と一緒にいたのに。皆って誰だっけ。私は彼の側にいたくて、それなのに。
 彼って誰だっけ。
 分からないのに。どうしてこんなに悲しいの。
 
 (続く)


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