閉鎖世界 ー統合魔術研究所ー 

白内十色


 
 直径五百メートル、高さ二十メートルの円柱型をした鈍色の建造物に六ケ所、ちょうどバースデーケーキにロウソクを刺すみたいに六本の尖塔が付きたっている。ケーキだとしたらまだまだ子供だけど、実際の築年数はもうちょっとあるらしい。古びもせず欠けもせず、自然現象を一切受け付けないような佇まいで工業地帯に鎮座するそれは、魔法現象の集約研究施設、その名も統合魔術研究所なのでした。
 ここでいう「魔法」というのはざっくり説明すると意志の力。もうちょっと詳しく言うと私たちの認識が現実に与える影響の総称なのです。現実があってそれを私たちが認識しているのが一般に知られている理解だけれど実際は逆で、私たちの認識の合計値がこの現実として定まっている。現実はそれぞれの物事について思考している人たちの認識の多数決として決まります。つまり、りんごが今日も赤いのは、多分明日も赤いのは、世界のほとんどの人がりんごは赤いと思い込んでいるからなのです。
 ここにりんごが青いと思っている人がいて、その人がものすごく必死にりんごを認識して、それがその周囲にいる人間の認識の総量を上回った場合に、りんごは晴れて青くなるでしょう。人がものを認識する在り方は一定ではありません。アフリカにいる子供たちのことを四六時中考えている人なんていないでしょう?
 大体の場合において、現実の改変は周囲十メートルくらいの人間の認識力を上回ることで発生します。こうして、現実が一般に言われる「常識」から離れた状態になることを「魔法」現象と呼びます。
 魔法の存在は一般には伏せられています。だって誰もが魔法を使うようになると、常識なんてあったものではありません。いわば現実の在り方を決める選挙に百人も二百人も立候補して票が割れまくっている状態です。もう、地球温暖化で疲弊した南極の氷河みたいにばっきばきに割れるでしょう。やがて崩壊するのは想像に難くありません。ですから、魔法現象はある程度の制御と合意の下に発動する必要があります。せっかく現代は「常識」という名前で世界が安定してくれているのですから、あまり揺らすのは好ましくありません。魔法がもっと頻繁に使われていた中世なんかは、さぞかし混乱していたのでしょうね。
 そこで発足したのが我らが統合魔術研究所。魔法を体系立って使用するための研究を行う組織です。統合魔術研究所では、新しい常識の創造を、もしくは想像を、主なゴールにしています。何かの役に立てるため、もしくは楽しいから、魔法現象が元となった災害に対処するため、そのために必要な世界に対しての認識を例えばファンタジィ小説を作るときの設定資料集を作るように、彼らは日夜組み立てています。研究者というよりは、ロマンチストに近いのかもしれません。出来上がった新常識を使いやすくするための工学的アプローチなんかもしていますが。こうして出来た「理論ある魔法」を彼らは「魔術」と呼びます。
 魔法を使うには一人で行う必要はありません。その場にいる人間全体で認識を共有していれば、より簡単に現実を変化させられる、という寸法です。実のところ「科学」というのは地球上のほとんどの人間に共有された、最も強力な「魔法」の一種なのです。このような理由があるので、統合魔術研究所では週に一回、研究成果を職員全体に共有する会議を行っています。この会議こそ、統合魔術研究所の魔法技術を確かなものにしているのです。
 
「と、こんなもんでよろしいでしょうか!」
「うん、良いんじゃないかな。ちゃんと私の教えたことを理解してくれているようでなによりです」
 ここは統合魔術所西側三階、私が保護され、師事しているところの魔術師、桐生迷人(きりゅうめいと)さんの研究室です。私こと白峰(しらみね)冷(れい)華(か)は迷人さんの研究の合間に、ここで魔術についての講義を聞いているのでした。迷人さんは教えたがり、注釈したがりなので私を教えている時もどこか楽しそう。その分、興が乗ってしまうとどんどん知識を詰め込んでくるのだけれど。今だってほら、私が長々とこれまでの勉強を復習している間に傍らのパソコンでなにか作業しています。
「じゃあ、次の話に行ってみようか。統合魔術研究所の隔離塔についての話をしましょう」
 こうなったらどんとこいの精神が大切です。なんだかんだといって、知らないことを知ることは悪くないもの。ため息とともに向き合うことにしているのだった。
 私がとある事件をきっかけに魔法を使うやり方に目覚めこの研究所に保護されて以降、私は自分の魔法の技術を安定して使うために勉強を続けているのです。将来はこの研究所で働くことを迷人さんは見据えているのかもしれません。
 
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「では、隔離塔についての話ですね。君もこの研究所の上部に塔がいくつかあるのは知っていますね?」
 画面に研究所を上空から映している画像が表示される。壮大さと、違和感。自然の摂理なんてガン無視で建築されたような金属の塊で、確かにここならどんな不思議も許されるような。そんな、非日常の光景。煙とか車が動いているようだけど、まさかリアルタイム? ドローンでも滞空しているのだろうか。
「うん、ロウソクみたいなの。時々ピンクの煙吐いてる」
「塔は全部で六基。そのうち、煙を出すことがあるのは三基になります。その三本と火気厳禁の第四研究塔を合わせた四基が、研究目的で建造されたものですね」
「となると、残りの二基が隔離塔?」
「そう。この二つは特に危険なもの、もしくは研究の邪魔をするようなものを私たちの主要な研究区画から引き離すために設けられています。特級の危険物から、露骨に物理法則を無視しているせいで外部に漏らすと常識の崩壊を招きかねないから閉じ込められたものまで、色々あります。単に保管されてるだけのものも結構多いですね」
 ふーん、と私。魔法を専門に研究している人にとっては宝物庫のようなものなのかもしれない。
「常識の崩壊? そんなに神経質になることなんですか?」
「重要ですとも。人間の心理をなめてはいけない」
 迷人さんが持っていたペンを宙に浮かせてくるくると回す。最も簡単な魔法の形で、ただ『ペンが動く』と信じ込むことによって発生しているものだ。
「科学技術という名の魔法体系を信じ込んでいる人たちの前に四次元ルービックキューブだの反重力浮遊板だのを見せたら大騒ぎだ。極端な話、それを中核にした宗教まで起こりかねないならね」
 迷人さんの『ペン回し』の技術は相当なものだ。指を使わずに回す場合もペン回しと言っていいのかは謎だけれど。これなら確かに、教祖にだってなれるのかもしれない。
「と、いうことで隔離塔に保管されている物品について少しずつ教えていきましょうか」
 何がということで、なのだろうか。迷人さんは棚から分厚い紙束を革紐でまとめたものを取り出してくる。内心うへぇとなる私。これ、全部研究資料? 見た目の重さが心に影響して、気持ちがずーんと沈む。
 「では、分かりやすく面白い物から......おや?」
 「え、どうしました?」
 迷人さんがパソコンの画面を見つめて固まってしまった。肩越しに私も覗き込む。シャンプーの香りがふわっと漂ってきて脈拍が上がる。画面に起きている異常に気付いて、もっと上がる。あまり良くないどきどきの気配。目を瞬いて画面にフォーカスを合わせ、数を数える。
 「煙が......四つある」
 第一隔離塔から、火の手が上がっていた。
 
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 研究室を飛び出して廊下端のテレポータに飛び乗る。迷人さんは走りながらスマホを取り出してどこかへと連絡を取っている。しばらくすると研究所内に警報が鳴り響き、大事なところにはシャッターが下ろされていった。
 テレポータはエレベータと似たような直方体の箱で、四方の壁面と扉には一面に絵画が張られている。迷人さんの研究室のある区画は工学系なので、集積回路をモチーフにした直線的な幾何学模様になっている。実は迷路になっているとかいないとか。操作盤に触れて行先を指定すると振動とともに壁面が蛸のような触手に絡みつかれている図案に変化し、一拍置いて扉が開くとそこは第二隔離塔の根本付近だ。瞬時の間に転送される。
 このようなテレポータは研究所の各地に総計三十個ほど置かれていて、ボタン一つでどの箱にでも転移できることになっている。テレポータの箱にはそれぞれ名前がついていて、描かれている絵画もそれぞれ異なる。さっきの箱なら「機械の箱」と「触手の箱」という名前だ。結構そのまんまのネーミングだったりして、分かりやすい。私のお気に入りは食堂へと繋がっている「ケーキの箱」かな。
 閑話休題。
 種明かしをすると壁面の絵は液晶に表示されていてそれを切り替えているだけなんだけど、表向きはそんな機能などないものとして扱われている。稼働していないときのテレポータの絵画は一定で、前を通るたびに同じ絵を目にすることになるから、それが突然変化すると錯覚が発生することになる。「自分が乗っているのは別の箱なんじゃないだろうか」というような。冒頭でも言った通りこの世界を形作っているものは私たちの認識だから、私たちが自分は別の場所にいると認識すれば現実がそれに合わせて変化する、ということになる。これによって晴れてテレポート成功。私は第一隔離塔に転移したのだった。
 「そんなことあるわけないじゃないか」は厳禁なのだ。この世界はあると思ったものがあるのだから。魔法とは、「いかに上手に思い込めるか」なのです。
 さて回想をしている間に私たちは階段をずんずんと登っていく。私が行ったことがあるのはテレポータの所まで、そこから先は未知の領域だ。私がついて行っていいのか、と聞いたら「君も戦力だ」と言われたのでした。さて私に何を期待しているのか。少し常識を外れた思考を持っているだけで、一か月前までは普通に一般人していたのですけど。
 隔離塔の内部にはエレベータの類はなく、上下の移動は全て金属質な螺旋階段で行うことになっている。反響音を響かせながら、迷人さんの着ている黒コートを追って走る。魔法の扱い方を覚えると自分の身体能力を魔法でブーストできるようになったので、このくらいでは疲れなくなった。「自分はもっと強い」という自己暗示だ。
 階段の途中にはところどころに部屋があって、上に行くほど重要度が高くなっているとか。決して扉を開かないように、と助けた鶴のようなことを言われたけど、たぶん実際に危険なんだろうなと思う。
 やがて煙の臭いが漂ってきて、階段は鉄格子の前まで到着した。現れたのは畳の張られた十畳ほどの和室でした。床の間と掛け軸もちゃんとあって、右手の障子が張られていたと思しき場所から火の手が上がっている。部屋の中央ではおかっぱ頭の女の子がこちらを向いて正座している。座敷童みたいな。火事に動じていないどころか微動だにしてもいないので人形のようにも見える。塔の上という立地だけならラプンチェルだな、と思う。日本人形みたいなので髪が伸びる機能はついているかもしれない。日本人形だって、際限なく髪が伸びるのかは知らないけど......。
「楠木ちゃん、お部屋に入れてちょうだい」
 迷人さんが女の子に話しかけた。迷人さんにしては馴れ馴れしい。合言葉なのだろうか。
 楠木ちゃんと呼ばれた女の子がすっ、と立ち上がってこちらに向かってくる。よく見ると鉄格子には「内側から」鍵が掛けられていた。彼女はそれを音もなく開けて、巻き戻すように後退して正座の体勢に戻る。この部屋の番人、なのかな。
 迷人さんは女の子に一瞬だけ頭を下げて、すぐに火の手の方へ向かう。女の子は動かない。一日中座っていることが仕事なのかもしれない。足がしびれそうだ。私も彼女に頭を下げて、迷人さんの後を追う。
 
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 人肌の色に塗装された金属板と、破裂するように破損した胴体から零れる大小の歯車や私の知らない金属部品。炎の中に横たわり沈黙するそれは、人間を模したかのようなロボットだった。体内からは血色をした液体がとめどなくあふれ出しており、可燃性なのか、炎に触れると瞬時に燃え上がっている。
 炎は畳一面に燃え盛り、柱を蛇のように伝い上がって天井を焦がしている。誰だ、こんな大事そうな場所を木造建築にしたのは。住人の趣味だろうか。趣味なら消火作業も手伝ってほしいけれど、部屋の中央にちょこんと正座したままで、動く気配がない。
 そういえば、彼女の周囲は不自然なほどに燃えていない。彼女から私たちが入ってきた扉までの距離と同じ、大体三メートルくらいの円を描くようにして、炎の侵攻が押しとどめられている。彼女が結界を張っている? 結界って何、という疑問はさておくとして。何せここは統合魔術研究所なのだから結界の一つや二つはありそうなものである。それによく見ると、彼女から半径三メートルの円の内側にちょうど入るように、一メートル四方くらいの小型の和風箪笥が置かれている。表面は漆が塗ってあるだけで飾り気のない、シンプルな箪笥だ。彼女はこれを守っているのかもしれない。
「冷華嬢、消火作業をお願い。ロボットの保護はこちらでやっとくから」
 ロボットの検分をしていた迷人さんから声が飛んでくる。迷人さんは来ていた黑コートを脱いで、炎に被せて消化しようとしている。
「でも私、火を消す魔法とか知らないけど」
「江戸時代ってどうやって火事を消し止めてたか知ってる? 燃え広がりそうな家を全部叩き壊してたんだよ。面白いよね」
 ちょっと皮肉っぽい口調の迷人さん。私ももっと頭を使うべきだったかもしれない。結局私にできる事って何かをぶっ壊すことだけなんだから。
 私が腰から拳銃型の魔法デバイスを抜いて構えると、迷人さんから追加指示。
 「燃えている方向には特に重要なものはないので派手にやっちゃって大丈夫だよ。床はあんまりくり抜きすぎないでね」
 あいさ了解、と返事をして引き金に手を添える。
 私の魔法は自分の感情を引きずり出すところから始まる。普段は心の内側に眠っているような、暗い思い。怨嗟とか苦痛とか虚無感とかが、私の心を探ると湧きだしてくる。思えばずいぶんため込んでしまった。人間の六十%が水だとするなら、私の十%くらいは憎しみでできているかもしれない。今でも時々夢にみるような。
 私は感情を使って魔法を行使する。感情の行き場を見失わないように慎重に心を操作して、今回だと目の前で燃え盛り『やがって』いる炎に矛先を向ける。私が憎いものなんて世界に要らない。消えてしまえばいいのに。私の憎み方はどうやら極端で強力なようで、実際に世界からそれを消してしまう。他の人の世界観を乗り越えて、それの存在を否定する。
 いわゆる、八つ当たりになるのかもしれない。でも、過去の苦しみなんてどうしようもないもので、八つ当たりする以外にできることはあるのかな。こうやって誰にも危害を加えずに発散できるなら、それで良いと思う。
 私の拳銃はこの魔法を使いやすくするための、張りぼてのレイ=ガン、SFによくある光線銃だ。感情をしっかり貯めて引き金を引くと、銃口から魔法が撃ちだされる。天井の炎に向かって光線が向かい、スライドショーの発表でレーザ・ポインタを左右に振るように拳銃を動かすと、それになぞられた部分の物体が一切合切、一つの例外もなくこの世から消えていく。
 まだ細かい調整はできないから、炎と一緒に建築物も消し飛ばして、青い空が目に映る。ずいぶんと爽やかな青だ。この空の下でラピュタよろしくロボットが墜落したり、この私が憎しみを炎にぶちまけて消火活動を行っているなんて、この空はちっとも知りやしないに違いない。つまり、八つ当たり日和。非常に気持ちよく感情をぶつけられそうである。
 畳も障子も燃えているところは全部消し去って、鎮火完了です。謎の虚脱感に襲われる私。献血をした後のけだるさみたいなかんじ。頭と体がふわっとして、お布団が目の前にあれば寝てしまいそう。
「ご苦労さま」
 後ろから迷人さんが声をかけてくる。畳の無事だった部分にロボットの部品を並べているようだ。黒コートを羽織りなおしていて、それには煤一つついていない。
「あれ、そのコート火を消すのに使ってなかった?」
「魔法で編まれてるからね、大丈夫。それよりこのロボット、面白いよ」
 迷人さんが手招きするので、そっちの方を見に行ってみる。腑分けをされた人間の死体のようで、ずいぶんと生々しい。特に目を引くのは、透き通った緋色をした結晶で形作られた、心臓の模型だ。同じく緋色の十センチほどの歯車が二つ、内側から飛び出していて、今でもチクタクと音をさせて動き続けている。内部にも無数の歯車が埋め込まれているようで、その歯車が内部でうごめくたび結晶に入る光が反射されて、きらきらと心臓はその見た目を変化させていく。
「生きてるの、これ?」
「ここにあるのは生物ではない。生命反応は感知できない。でも、意識はあるかもしれない。今は稼働していないけれど」
 迷人さんはいつになく真面目そうな表情で部品を観察している。私にはさっぱり理解できないけれど、迷人さんには構造が分かるのだろうか。
「問題は、おそらくこのロボットを構成するパーツが足りていないんだ。具体的には、頭部と右腕。それと胴体にも何か所か不自然に空洞になっている部分があるから、そこにも部品が入るかもしれない。とにかく、探さないと」
 慌てる私。私が気持ちよく消火活動をしている時に、間違って消し去ってしまったのかな。
「いや、違うと思う。君に指示をする前に、周囲は一通り確認して異常はなかったから。部品があるとすれば、塔の下に落ちているか、統合魔術研究所の敷地外だ」
 迷人さんが顔色を見てフォローしてくる。なんだか見透かされている。迷人さんは少し肩をすくめて、手を打ち合わせる。ぱちん。
「捜索してみよう。このロボットが飛来した方向は解析されているはずだから、その道筋をたどれば見つかるはずだ」
 
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 統合魔術研究所の北側に位置する金属製の滑らかな壁の一部が、地面に沈み込むようにして開く。閉じている時は単一の金属塊として存在し、門が開くときには二つの独立したオブジェクトとして存在が切り離され、スライドする。研究所職員の総意として、繋がっている状態と繋がっていない状態の『どちらでもある』と二重に認識されているため、この大門は微弱な認識変化で二つの状態の間を遷移することができる。例えば扉近くのディスプレイに「OPEN」と表示されているとか、それだけで。
 自分の中に現実とするものを複数存在させるこの多重認識の技術は私にはまだ難しい。魔術師ってやつは自分のココロの中をいじくりまわすことが得意な人種で、能動的に自分の認識を操ることで現実に影響を与えている。
 黒コートの迷人さんがアスファルトに革靴の踵を鳴らして、バインダを開く。ファンタジィにあるような魔導書ではなくて、そこら辺の文房具屋さんで五百円もすれば買えるような、紙を挟むバインダだ。一応、表裏に儀式的な文様のプリントされた紙を挟んでそれっぽくしてある。
「バインダはいい。知識に噛みついて離さない」
 紙をめくりながら、迷人さん。
「魔術師の持つものにしては、格好がつかないんじゃない? 人の皮で装丁したり血液で文字書いたりでもしてみたら」
「こちらの方がコストもかからないし、利便性も高い。今時オカルト趣味なんて流行らないよ。私は魔術師を名乗ると同時に、科学者でもあるしね」
 紙束の間から三枚を抜き出して、これは君の分、と渡してくる。A4のプリンタ用紙に見えるけれど、本当のところは全く別物だと私は講義されて知っている。迷人さんも三枚手に取って、地面に並べる。
「ちょうどよい機会なので、式神技術の練習をすることにしましょうか」
 渡された用紙の中央には、円を描くようにひとつながりの文字列が印字されている。魔術的な意味を高められた紙を用意すれば、専用のプリンタを用いて量産が可能なものだ。文字列には式神が従うべき行動手順が記入されているので、機能付き式神という種別になる。
 迷人さんが用紙の中央に順に手を触れていくと、紙が自動的に折りたたまれて人の形を模した人形になる。ちょうど、指示を記した文字円が正面にくるかたちだ。
「本来の陰陽道とはずいぶん違う代物なんだけどね、便宜上式神の名前と形を使うことにしている。その方が、日本での常識に近いので魔術が起動しやすいからね。紙飛行機の形を使いたければそちらを出すよ」
「大丈夫、これくらい。えいっ!」
 私の人形もぴょこんと起き上がる。短い脚で歩く姿は愛らしいけれど、穢れなんかと一緒に燃やされたりもする不憫な子だ。
 迷人さんに指示されるままに、人形の背中に世界観コンパスを括り付ける。メーターがない小型版で、常識と異なる世界観のある方角を示すだけなので、見た目は普通のコンパスと変わりない。コンパスが垂直に立っていると意味がないので、人形をうつぶせにしてちょっと宙に浮かせる。元が軽い紙だから簡単だ。
 この式神カッコカリをはじめ統合魔術研究所で開発された魔術の物品には、「オブジェクト化」という操作が施されている。下手をすれば個人の思い込みに留まってしまいかねない魔法現象を他人と共有し、より安定かつ強力に発生させるための処置だ。統合魔術研究所は週に一度全体会議を行い、月に一度書籍を発行する。この時彼らは、認識を操作した結果現実を書き換えたという課程を無視し、「発見された事実」や「開発された製品」として発表する。もちろん、既存の魔術研究との整合性や一定の信憑性がなければ皆は納得しないので、その部分の文脈を詰めることが研究者の腕の見せ所だ。そうして宣言された物事は皆の認識に共有され、無意識下の定理として固定される。
 人の無意識が世界に与える影響は微弱だ。意図して魔術を発動させようとしなければ普通は世界の常識を乗り越えられない。けれど、それを数十人にわたって束ねることで、誰も意識的に魔術を行使していない状況でも常識に逆らった物品が稼働することが可能になる。研究所地下では今でも無限の水瓶から純水が供給されていたり虚空炉が無を生成していたりして、それは誰の監視も必要とせずに動き続ける。
 そんなわけで、研究所の優秀な魔術プログラマが設計した機能付き式神は本来誰の補助も必要とせずに活動できるのだけれど、今回はことが未知の機械部品の捜索ということもあって監視として私たちが必要になっている。式神にはGPMもついているので楽ちんだ。GPMっていうのはグローバル・ポジショニング・マジックの略のこと。近代的だね。
 この機能付き式神は異常物品の捜索と確保を行うタイプだ。背中に括り付けた世界観コンパスと連動して常識から外れた世界観を持つ物品の方角へ向かい、可能そうなら持って帰ってくる。花に集まる蜜蜂とか、そんなイメージだ。
「冷華嬢、準備はいいね? 手元の計器をよく見て、式神の位置を見失わないこと。異常があれば即報告。それでは、出発!」
「さー、いえっさー。行っといで、私の可愛い式神さんたち!」
 指示を受けた六体の式神はばびゅんとその場を飛び出して......一直線にUターンして私の方へ飛んできた。
「ふへぇ?」
 風切り音を立てて飛んできた式神たちは顔やら服やらに衝突してまとわりついてくる。痛いわけではないけれど、動きにくい。授業中に教室に虫が入り込んで、なぜか自分の周りだけを飛び回っている時のような気分。
「迷人さんこれ欠陥品じゃない?」
「えっと......。恐らくだけど式神は研究所職員の世界観は例外として感知しないようになっていて、君はまだ職員じゃないから反応したんだと思う。どうしたものかな」
 珍しく迷人さんが戸惑っている。人間程度の作り出した機械に完璧はなく、それは魔術の産物でも例外はないのだった。式神の手が私の頬をぱふぱふと挟んで、どこかへ運ぼうとしている。どうしよう、式神にお持ち帰りされちゃう......。
 と、迷人さんがバインダからハガキ大の紙を取り出して、私の服に貼り付ける。とたんに、式神がすっと私から距離を取った。
「封印のお札。統合魔術研究所の外壁に取り付けられている世界観遮断器の紙バージョンだね。認識の異常による常識の書き換えは同心円状に広がる一種の力場として存在するんだけど、これはその広がりを遮断して非常識を中に閉じ込める。どうやらうまくいったようだね。この状態で魔法を使おうとするとお札が焼き切れちゃうから気をつけて」
 お札のデザインがおどろおどろしいのであまり人には見られたくない格好になってしまった。恥ずかしい六割、面白い四割。さっさと終わらせて外してもらうのが吉だと思うけれど意外と悪くない。今度こそ式神にゴーサインを出して、彼らは青空の中に消えてゆく。
 
 周囲一帯に散らばったロボットの破片をすべて集め終わるころには太陽は西の空に消えようとしている。私は研究所から椅子と机を持ち出して舞城王太郎の「ディスコ探偵水曜日」を読み始め、迷人さんは私に計器を全て預け、式神から届けられた部品を並べて顕微鏡で覗いたりしていた。周囲には軽く認識阻害の結界が張ってあるので一般人がこの得体の知れない二人組と式神たちを目撃する心配もなく、統合魔術研究所大門付近はちょっとした出張研究所の様相を呈している。胸にお札が貼ってあるせいで私も得体の知れない人の枠に入らざるを得ないのがちょっと不服だ。
 総計五十個はあっただろうか。周囲に散らばった大小さまざまな部品、小は歯車一個から大は腕一本まであるなかで、最も異常性の反応が高かった一個がもうじき運ばれてくる。緋色の心臓を手に取ってこねくり回している迷人さんに声をかけて、ずいぶんと薄暗くなってきた北の空を見る。消去法で考えると残されたのは機械の頭部になる。光の当たり具合で夜の使者のようにも見える式神の隊列が、厳かに生首を運んでやってきた。
「到着だね。上出来」
「絵面怖くない? 誰か見てたら都市伝説できるよこれ」
「式神も認識迷彩ついてるから大丈夫大丈夫」
 地面に白いシートを敷いて式神を待つ。横には水色のシールボックス(別名封印箱、私の胸に張り付いてるお札の箱バージョン)を並べて、到着次第個別に封印して残る作業は明日に回すことにする予定だ。けれどこれはあくまで私たちの都合、現実なんていうのは未知の要素の集合体で、一つの想定外が私たちのホワイト・スケジュールをぶち壊してしまうことなんていうのはよくあることなのでした。
 異変に最初に気付いたのは私だった。式神に書かれた文字円が暗闇でも目視できるほどに近づいてきたころ、運ばれてくる生首の目が一瞬だけ瞬きをしたように見えたのだ。
「迷人さん、目が」
「うん、なんだい?」
 迷人さんが生首の方を向くのと同時に再び瞼が開かれて、心臓と同じ緋色をした瞳があらわになる。
『エネルギー入力確認。システム再起動。DTI-001から083、接続されていません。MGT-001から038、接続されていません。HDT-001から035、接続されていません。......』
 機械の頭は中空をにらんだまま、軋んだような合成音声で何事かを述べ続けている。迷人さんが舌打ち。感情なき式神たちは喚き散らす荷物を意に介さず、私たちの敷いたシートの上に頭部を載せるとそのまま動作を停止してただの紙切れに戻る。
『魔力波測定による周辺探査を実行します』
 頭部を中心として「目には見えない何か」が広がるのを感じる。何かしらが異常であることは感覚として分かるが、何が異常であるのかは特定できない違和感の波動。私たちが存在している現実、及び想像しうる非現実、それら全てから異なる認識を用いた現実の改変が行われ、そしてすぐに常識を基調とした通常現実へと戻される。式神に括り付けられたままの世界観コンパスが気の狂ったように回る。
 少し離れたところに置いてあった回収されたロボットの部品がかたかたと動く。死んだ蛙に電流を流すと手足が動くような、そんな無意味で無秩序な動き。機械の右腕が赤子のように何かを掴もうとする。
『MGT-001から038、存在確認。DTI83部品中21の存在確認。HDT35部品中......』
 迷人さんが大した技術だ、とつぶやく。私には理解できない何らかの方法で、自分から分離された部品と通信を行ったらしい。心臓だけは迷人さんが持ってきていたけど、残りのパーツは研究所内の迷人さんの研究室に置いたままだから、それらは探知できなかったようだ。
『内部データ照合。異常なし。主人格『キト』起動します』
 機械の頭が目を閉じ、また開く。紅く輝いていた瞳が透明感のあるブルーに変化し、口に当たるパーツに表情が宿ったように見える。首は繋がっていないので顔は動かせないのか、機械は目だけで私の方を見て、口を開いた。同時に、先ほどまでの機械音声とはまた違った皮肉っぽい声が出力される。
「よお、嬢ちゃん。あんたが俺を起こしてくれたのかい。それとも壊した方? 両方って説もあるわな。まあ、ログを見るに俺が勝手に壊れたみたいなんだが。くそったれ。胴体は内部から破裂し、パーツが四散。ド頭は内側から壊れるより首がもげるほうが早かったんだろう。石頭に作っておいてよかったぜ。しかし頭一つで転がって身動きも取れやしない。周囲に転がってるパーツは全盛期の八分の一ときたもんだ。――つまりベストコンディション、なんて往年のジョークをかますにはちょっとばかし状況が悪すぎはしないか、え? どうだい嬢ちゃん、この回しすぎて潰れちまったネジ頭みたいなこの俺様の状況を打開するカギはあんたの献身的な修理だと思うんだが、この俺のイカした顔と技術に免じて俺を助けてやってはくれないかね?」
 ご丁寧にもウィンクつき! 機械の身体だと何の苦労もなくウィンクできるのずるくないかしらん。私は中学生のころ必死に練習してようやく形になるところまでもっていけたのに。それはさておき機械の修理はまさしく私の専門外なので、隣で無視されて寂しそうな迷人さんのコートの裾をつまんで、よく回る舌を持った機械頭の視界に入るように引っ張ってみる。
「おっと、なんだいおっさん陰気そうなコートなんか着やがって。嫌いじゃないぜそういうファッション。察するにこの子の保護者ってとこかい?」
「......おっさんではない。私は桐生迷人という。この統合魔術研究所で研究員をやっている。君をこれから保護するが、異論はあるかね? 君の残りのパーツはこちらで回収している」
「ちくしょう、統合魔術研究所の関係者か。そんな気はしていたぜ。どうせ俺が危険だと判断したらそのまま捕獲して閉じ込めちまおうってつもりなんだろう? いいぜ、仕方ない。部品のあらかたに心臓炉までそっちの手にあるんじゃお手上げだ。せいぜい無害なブリキ人形のふりでもしておくよ」
 器用にも舌打ちまでする。人間にできることは何でもできるようにしてあるんじゃないだろうか。どうして彼はこんな体になっているのだろう。機械の身体を得て人間を超えた存在になろうとした、というには彼はあまりにも人間らしすぎる。つまり、機械と人間のどっちつかずの状態だ。
「君、名は何という? 型番じゃない、識別名で頼む」
「型番なんてねえよ。俺のシリーズは俺一人だ。名はキト。ずいぶんと昔から使っているから、言語も意味も忘れちまった。よろしくな、桐生迷人。そこの嬢ちゃんの名前は?」
「あ、私、白峰冷華です。よろしくです」
 機械頭が、もう一度ウィンクする。
 
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 場所は変わってここは統合魔術研究所内部の隔離実験室だ。迷人さんが会議に行ってしまったので私はキトと名乗ったロボットと二人、この部屋の中にいる。私の役目はキトの監視と機械類の調整をすること。現在私の隣では魔術式発電機がうなりを上げてキトに電力を送っている。
 この魔術式発電機というのがとんでもない代物で、内部には太陽系の惑星と完全に同期した天体模型が置かれており、それにギアを噛ませることで惑星の公転のエネルギーをごくわずかだけ借用し、それを用いて発電するものだった。しかもこれのタチが悪い点は、地球ではなく火星の公転エネルギーを利用しているところ。最悪これの使用によって公転周期などに影響が出ても地球には被害がない、という訳だ。人間ってずるい。
 キトと名乗った機械に問いただしたいことは山ほどある。なぜ彼はこの研究所を訪れたのか、なぜ空中で分解してしまったのか。しかし今は最優先事項を彼にエネルギーを供給することに設定し、疑問は一時棚上げされている。爆発による体液の流出、炎上によって機械内部に貯蔵されていたエネルギーが失われ、補助動力の役目を担っていた緋色の心臓(心臓炉というらしい)からの魔力供給も底をつきかけているようだ。機械の体の所有者であるキトが動作を停止してしまうとこの研究所の技術力では彼の復元は不可能であろうとの判断がなされた結果だった。
 迷人さん自身は研究者兼魔術師ではあっても戦闘のための魔術を行使できるわけではないし、そもそもこの場所は研究施設であって戦闘施設ではない。私は数少ない破壊を専門にする魔法使い、というかそれしかできない人なので、キトが暴れた時のための保険としてこの部屋に居ることになった。この部屋は封印のお札とこれまた同じ原理で魔術的に隔離されているから、最悪自分以外の全部を吹き飛ばしてしまっても構わないのでした。
「なあ、嬢ちゃんは人間以外の生物がどうして少量の食事だけで生きながらえているのかと不思議に思ったことはないか? 肉食動物の狩りは四日に一度、それも毎回上手くいくわけじゃねえ。草食が一日中草を食っているのは草から得られるカロリーが少なすぎるからだ。ウィーガンの奴らだって米を食わねぇと死んじまう。人間ってのは最も燃費の悪い生き物だ。たかだか八十キログラムの生物が朝昼晩に間食まで食いやがる。七つの大罪の一つ暴食ってのも原因に挙げられるだろうが、一番の原因は人間の頭脳のエネルギー消費が激しいってことだ。脳の消費するエネルギーは全体の二十%を占める。何に使われているかって? 思考、記憶、回想、そりゃあ何にでも頭脳ってのは使うもんだが、最も大きいのは認識だよ。世界を確定させるための、世界を変化させるための、認識だ。野生動物の存在が世界観に与える影響は非常に小さい。容易く人間によって狩られ、絶滅させられるほどにな。人間だけがこの世界の中で特権的な立ち位置にいる理由は他でもない、魔法を行使する能力を持つことだ。アフリカの片隅で生まれた人間が世界中に広がったのは――」
「......要するに、魔法使いまくりの身体をしたあんたは燃費が悪いから、早くエネルギーよこせってこと?」
 生首だけでぺらぺらと喋り続ける客人にデコピンを食らわせる。生首は起き上がりこぼしか達磨のように滑らかにスウェーバックして、振り子振動する。ちゃんと重心が下にあるし、継ぎ目も滑らかに作ってあるから遊ぶと楽しい。
「ざっつらいと! どうだい嬢ちゃん、生成器の調子は?」
 長さ三十センチほどの筒が三本、それがキトの身体から取り出された燃料生成機の全てだった。小型の蛍光灯のような見た目で、電力を流してやることで純粋エネルギーが実体化したものである赤色の燃料血液を生成する。
「今は最低速で動かしてるけど、これでも原子力発電所一基分に相当するんだって。この調子だと一日も動かしたら満タンだね。ところでさ、どうしてまた電力からわざわざ作ってるの? せっかく魔法使えるんならそれで生成すればいいのに」
 いい質問だ、と言いたげに機械の頭が目をくるくると回す。なんでこう、いちいち動作がやかましいんだろう。
「そりゃあ、魔法さえ使えりゃエネルギーに関してはいんちきし放題さ。永久機関なんて魔法の世界ではとっくの昔に作られているし、そもそもエネルギー保存則自体が科学の作り出したまぼろしだ。でもな、悲しいことに一般の人間が今でもその迷信を信じてやがるせいでそっちの世界観に妨害されちまうんだ。世の中には変えやすい現実と変えにくい現実ってもんがある。誰も俺の体の中で何が起こってようが気にしていないだろうから大体の部分では好き勝手出来るんだが、ことが物理法則となると話が違ってくる。物理法則ってのは人類が共通の意見として決めておくことにしたもんだ。ある程度進歩している国ならガキのうちから教え込まれるたぐいだ。人類全体が偏執的に支持しているもんだから、あんまり露骨に逆らおうとしても無理って訳だ。露骨な永久機関ってのは基本的に安定しない。いいか嬢ちゃん、魔法を上手に使うには二つの道がある。出来るだけ狭い道を通り、誰も見ていないような論理を使って、ちょっとずつずるを繰り返すやり方が一つ。誰もが通る大きな道を使い、誰もが持つ思考を味方につけてその力を借りるやり方が一つだ」
「ふうん......。賢いのね」
「そうさ俺は賢い。全部他人の言葉の受け売りだけどな」
 彼はとにかく喋る。喋る。喋る。聞かれていることにも聞かれていないことにも答えるし、軽口も多い。そしてその言葉の中には、確かな知識が存在した。まるで何かの講義を聞いているかのよう。私が迷人さんから聞いて知っていることから、迷人さんでさえ知らないことまで、彼は知識として記憶しているのかもしれない。
 
    ///
    
「これより先ほど確保された異常物品についての緊急会議を行う」
 統合魔術研究所第十一会議室には総勢十五名の工学担当職員が集められていた。研究所で日々研究、開発される魔術製品の中でも、工学的アプローチを用いた世界観操作を目的とする研究者グループ。工学系筆頭研究員、白衣の代用として常に白コートを着込んだ大柄な男、飛鳥職員を始めとした精鋭たちである。
「では迷人君、物品の概要を頼む」
「はい、ただちに」
 迷人職員が立ち上がると同時に、大スクリーンに部位別に分類された『キト』の部品群が映し出され、職員の前に置かれたPCへと会議資料が転送される。周囲の職員から感嘆の声。
「確保された機械群は本人の申告により、以降『キト』と呼称します。キトは本日十一時五十三分に第一隔離塔頂上に墜落し、私と異常性発露者及び研究員候補生である白峰冷華が現場に向かい、これを確保しました。この時点ではキトに動作は見られず、また部品が多数欠落していることが確認されました。その後、十二時十五分から統合魔術研究所正門前より式神による部品の捜索を開始し、キトの部品はほぼすべてが回収されたものと思われます」
 と、座席の一つから挙手がある。
「白峰冷華というと、先日の魔法事故を引き起こした人物では? それを第一隔離塔に向かわせるというのは問題がるのでは......」
「確かに彼女は世界観暴走を経験しましたが、現在彼女の世界観は彼女の制御化にあり、研究所にも好意的な態度をとっています。本題には関係がありませんので、次へ進めます」
 迷人職員が手元のPCのキーを叩くとスライドが次へと進み、部品のいくつかをピックアップして拡大した画像が表示される。
「現在キトは第三隔離実験室において、エネルギー供給を受けています。彼の頭部を回収すると同時に意識が再起動し、彼が意識を持つ存在であることが明らかとなりました。キトは胴体内部の大幅な破損による燃料流出により意識を保てなくなる可能性を提示し、私もその主張に妥当性があると判断したため、RX-2天体発電機によって発電された電力を彼の所持していたマナ生成器に通すことで彼に活動を維持するためのエネルギーを与えています」
 またも、場がざわつく。飛鳥職員が手を打ち鳴らしてそれを鎮め、代表して質問する。
「マナ生成器は仮想魔道協会の開発のはずだ。奴らとは数年前に停戦協定を結んでいるはずだが、渉外班はどのように報告している?」
 職員の数人が頷く。仮想魔道協会は統合魔術研究所とは異なり、所謂ファンタジィの世界観を基準とした魔法技術を開発する団体で、統合魔術研究所とは消極的な敵対関係にある。
「結論から言って、協会と戦闘状態に発展する恐れはありません。なぜなら、今回確保されたキトは、彼らによって開発されたものではないと考えられるからです。そしておそらく、他の全ての魔法団体のものでもありません。仮想魔道協会からの通信でも、該当する機械類は存在しないそうです」
 職員に安堵が広がる。ここに集結しているのは基本的に戦闘行為を好む人種ではない。思い描いた構造物を作り出し、それが何かの役に立つならそれで満足、という人間が集まっているのだ。
「それもそうだ。機械仕掛けなど、およそ彼らの仕業ではありえない。彼らが得意とするのは精霊術、属性魔術、それにマナ動力。とても文明化された構造物が作れるとは思えん。機械というと――むしろ我ら統合魔術研究所の領域なのではないか?」
 と、職員の一人。しかしすぐに
「だが俺らはそんなもの作った覚えはないぞ」
 と、否定される。迷人君続けたまえ、と司会の飛鳥職員。
「彼、キトと名乗る機械群は仮想魔道協会の所有ではないと話しましたが、彼にかの協会の技術が使われているのは事実です。そして同時に、彼には各種魔法団体の技術がそれぞれ部分的な形で使用されています。具体的に主要なものでは、仮想魔道協会のマナ動力、解読聖書の人造奇跡及び神罰機構、フリーランスの魔法使いがよく用いる感情魔術、そして私たち統合魔術研究所のルーン・スクリプトや強化鋼材などの使用が確認されています。判明しているものは資料にリスト化しているのでそれをご覧ください」
 資料には大小さまざまな部品の画像と、それに用いられている各種魔法団体の技術が記されている。魔法団体の名は有名無名を問わずほぼ網羅されているが、全ての部分に対して使われている技術は存在せず、それぞれの技術をパッチワークのように継ぎ合わせることによってキトの機械構造は成り立っていた。
「これは......凄いな。まるで魔法技術の見本市じゃないか。頭部を開いたらemethでも入っているんじゃないかね?」
「可能性は高いです。彼に使用されているのが確認されたもので最古の技術はアンティキティラ・デバイスに用いられた歯車機構ですので」
「まったく、とんでもないものが迷い込んだものだ。彼の武装は?」
 スライドが次へ移り、漆黒の刀身をした短剣が映し出される。
「彼の主武装はこの短剣と思われます。右腕内部に格納されているものをスキャンによって確認しました。感情ベクトルを操作し、情動による世界観変動を利用する感情魔術と同様の技術が用いられております。この短剣に集約されている感情はオーラ節スペクトル解析によるとほとんどが憎悪であり、それも同一人物ではなく複数人の悪感情を集約したものであることが判明しています」
「憎しみの蟲毒か。暴走ではなく制御下にあり、それも指向性を持たせた憎悪は時に凶悪なまでの破壊力を持つ。感情の所有者の詳細は判明しているか?」
「悪感情の元となった人物はアジア系から西洋系まで世界各地に分布しており、総勢百人は超えると思われます。また、彼に使用されている感情魔術による構造は憎しみを集積したこの短剣に限らないようです。親愛、快楽、悲哀など、その他の感情もそれぞれ蒐集され部品の一部として蓄積されています」
「感情の蒐集が目的か? 副数人の感情を束ねる扇動術は近年では流行らない分野だ。世界観を変動させるだけなら個人の感情だけで事は足り、それを強化するためには冷華君の拳銃型デバイスのようにイメージの補強を行うのが一般的なやり方だが」
「不明です。ただ、彼自身の認識によって世界に影響を及ぼすための装置は発見されておりません。周囲の世界観を利用するものや、既に何らかの組織によってオブジェクト化された技術のみで彼は構成されています」
 しばしの沈黙。程なくして出席者の一人が口を開く。
「脱走の危険性は? 彼が我々の管理下から離れる可能性はどれほどある?」
「彼は現在分解されており、修復の指示は出しておりません。それに、隔離実験室周囲は『神聖結界』によって覆われ魔術的な封印も施されています。そう簡単に破れる代物では......」
 その台詞はフラグか否か。突如会議室に警報が鳴り響く。天井部に設置されたスピーカから緊急事態を告げる知らせが届く。
「確保されていた人型実体『キト』が構造を自身で復元し、隔離実験室から脱走しました!」
 
  ///
 
 時は少し遡ってキトが脱走する以前のこと。純白の壁に閉ざされた隔離実験室にて。
「嬢ちゃん、俺についての話をしてもいいか?」
 他愛もない雑談を繰り返してそろそろ共通の話題も尽きてきたと思ったころ、キトが不意にそんなことを言い出した。
「いいよ。私も気になっていたんだ」
  キトは表向きに陽気だけれど、その実は謎に囲まれている。迷人さんだって気になり続けているだろう。キトは軽く目を閉じると、彼の来歴について語り始めた。
「俺はな、何にも成れなかったんだ。俺だって、人間だったころがあった。徐々に自分を改造して、今の身体になったのさ。人間だったころの俺は、魔法が使えなかった。今もそうだ。俺は、自分だけの力で周囲の世界を書き換えるってことが、ついぞできなかったのさ。俺は魔法の使えない存在だ」
 部品を見た迷人さんが言っていた。彼の身体は全て他の魔法機関で開発された技術で、独自のものは一つもなかったと。
「誰かを真似していたら、何かに成れると思ったのさ。だから、俺は俺を作った。誰かの作った良いものを集め続けたら、きっと自分だけのものが作れると思ったんだ。オリジナルの魔法が。だがな、全然違った。俺の身体の中に借り物が増えていくだけだった」
「組み立てるのと、一から作り上げるのではまるで違う。俺はインチでもミリでもない規格のネジが作りたかったんだ。誰にも適用されない、俺だけのものだ」
「俺の感情は世界を変えないくせに、集めてみた他人の感情はちゃんと世界を動かしやがる。長く生きて、全てを見ても、それでも俺の中には何も生まれなかった。ただ、何かに成りたかった、そんな思いが残るだけだ」
「これが俺さ。他人の知識の寄せ集めのガラクタ人形だ」
 そう言って、ため息をつく。叶えられない目標のために長く生き続けた彼の横顔は、心なしか哀しげに見えた。
 キトは自分を卑下するけれど、それでも捨てたものではないと私は思う。でもきっと今の彼は、彼の成りたかったそれではないのだろう。
 「まあ、この話はこれくらいにするか。嬢ちゃんは確かに何かだぜ? 全力で誇ったらいい」
 キトが高速で瞬きをして、急に陽気な声を出す。軽いボイスパーカッションと。本当に何でもできる機械だ。それが、たとえ誰かの借り物だとしても。
「さあ、これからはエンターテインメントだ。嬢ちゃん、映画に興味はないか?」
「映画? そういえば最近見てないけど」
「嬢ちゃんには助けてもらったからな。俺の頭を壁の方に向けてくれ。いいもん見せてやるぜ」
 そう言ってウインクする。キトはこれまで話した限り気のいいやつだったので、私は特に疑うことなく彼の頭を椅子に乗せて壁に向けた。すると、彼の目から謎の光が照射されて、研究室の白い壁をスクリーン代わりに映像を映し出す。そんな、テンプレというかよくある機能までついているんだ。アニメじゃないんだから......。
 そして彼が私に見せたのは、歯車と振り子からなる摩訶不思議な力を持った映像だった。
 
 複雑に連結した無数の歯車の集合体が映し出される。ひとつながりの大型機械。時計の中に入り込んだようで、目が回る。それらは全て連動して動き、規則的に回り続けている。左右からカチ、カチと一定の周期の回転音がする。立体音響? 中央に古時計のような振り子があり、音に合わせて左右に揺れる。右、左、右、左、右、左......。
 振り子の動きを目で追っていると、視界に銀色の針のようなものが現れる。一本から、数を増やして二十ほど。針は真空中を飛ぶ宇宙船のように滑らかに進み、歯車の間に突き刺さる。針は歯車の噛み合いの間に入り込み、動きを止められた歯車はもう力を伝えることはない。見る間に世界は動きを止めて、昆虫標本の出来上がり。死んだ歯車たちの中で、ただ振り子だけが動き続けている。かたん、かたん。右、左。最後に動かなかった針が一本、空中をまだ漂っている。針はゆっくりと旋回してこちらを向き、私の方へ向かってくる。

 突き刺される!
 
 私は硬直し、そして動けない。針は私の体に到達すると吸い込まれ、私の中の何かを縫い付ける。私の目は振り子を見つめたまま静止し、心臓から流れる血液はどこへも届かない。体の端から感覚が手放されてゆく。死んでしまった私の身体と、停まってしまった私の心。体に力が入らない。そもそも、力のための動力も、それを伝える先も、私には存在しない。私は、私は......。
 そして無限とも思える時間が過ぎる。どれほどの時が経ったのだろうか。静止した私はいつしか砂浜に立っている。砕かれた感情の砂浜。欠け続ける月。ひび割れた私は前へ進む。波の欠片をひと掬いして。流れ落ちる水は何よりも遅く、何故なら私の心が真空だから。砂は全て流れ落ち、時計を逆さにもう一度世界が始まる。落ちる砂に、水に、私はその中にいる。月に手を伸ばそうとして、気付けば月を下に見る。落ちるとは昇ること。停まることですらまた同じ。ゼロと永遠がひとつながりの概念であることを知る。私は、私は、どこに居るのだろう。そんな疑問さえもいつしか消え失せて。
 落ちる中で一つ、見たような気がした。流れ落ちる砂の中でただ変わらないもの。光の三原色とその混ぜ合わせ、そのどれとも異なる色を放つもの。私は、私は......。
 
 どこからか、指を鳴らす音がする。私の意識はふいに現実に引き戻され、冷たい床に着地する。
 閉じていた目を開くとそこは今まで居た白い壁の実験室で、けれども何百年と見ていなかったような心地がする。倒れている私を覗き込む人影がある。金属質の光沢と人間らしいシルエットのそれは、完成した形のキトであった。バラバラに壊れた部品が全てあるべき場所に収まり、十全な形で活動している。
「キト、いつの間に......」
 起き上がろうとするも、体に力が入らない。まだ肉体だけは眠っているようで、金縛りのような。
「騙すような真似をして悪いね嬢ちゃん。催眠術みたいなもんだ。そう簡単には動けねぇぜ」
 キトはそう言うと、壁の方へ向かってゆく。右手を軽く振ると、手のひらの中に黒光りする刀身を持った短剣が出現する。
「パーツと動力を揃えてくれてありがとうよ。時と場合が揃えば友好的になれたかもしれん。だが、俺にやりたいことは別にあるんでな」
 キトが短剣を壁に突き立てると、それは豆腐を切るかのようにするすると壁に沈んでいき、ある所で見えない何かに弾かれたように動きを止める。
「どうするつもり? 鍵は外側からで、私にも開けられない。壁だって壊せないはず」
 もう何回か点検を突き立てて通らないことを確認しても、キトは余裕げな表情だ。
「やり方なんざいくらでもある。察するにこの部屋には一種の結界が張ってあるんだな。この研究所に入ろうとして俺がぶち当たった奴と、同じものだ。仕組みはこうだ。何らかの神学論的作用によって研究所内部を聖別し、神域に設定する。そんで、神域に立ち入ろうとするものの悪しき心、敵意やら害意やらを判別してそれを通さないって訳だ。俺のこれなんかは憎悪の結晶みたいなもんだから効果てきめん。攻撃が効く気配もねぇ」
 手のひらで刃をくるくると回して肩をすくめる。頭上に放り投げて、後ろ手でキャッチ。
「ところがどっこい、何も物事を破壊するのは悪心だけじゃねぇ。正義の心が破滅を招くこともあるってことを教えてやるよ。後はそう、魔法的な攻撃に対しての防御も施されてるみたいだが、物理的にぶっ壊しちまえば関係ねぇ」
 キトが頭上に短剣を掲げると、右手を覆っていた装甲版が剥がれ落ち、内部に格納されていた無数のパーツが露わになる。白く透き通るような色をした部品群はそれぞれに浮遊し、漆黒の短剣の周囲を取り巻くと、それを覆うように組み合わさってゆく。
 部品は西洋剣の柄のような形に組み合わされ、キトがそれを正眼に構えると純白の光線が現れて刃の部分を形作る。眩い輝きを放つそれは、御伽噺の英雄が持つかのような大剣だった。
「私はこの憎しみを、正義のために使うと誓う。我が刃は我が敵のため、背後の皆を守るためのものである......ってな。よくあるだろう? 正義を執行するための憎しみの正当化だ。正義の名を借りればそれは善に成れるのさ。だから、俺が今から振るうのは混じりけのない正義の刃だ。覚えときな。」
 そしてキトが上段に大剣を振りかぶり、一気に振り下ろすと今度こそ豆腐は切り裂かれ、白い壁に大穴が開く。同時に、館内に警報が鳴り響いた。大剣を背中に背負い壁の穴を通る前に、キトは一度だけ私の方を振り向いた。
「ところで嬢ちゃん、アニメとかで敵キャラを凄い剣捌きでみじん切りにするやつあるだろ? あれって敵がタマネギみてぇな層構造してるからできるらしいぜ」
 そうして瓦礫を踏み越え彼は外に出る。輝ける剣を下げたその後ろ姿は戦場に向かう勇者のようですらあった。
「タマネギ......?」
「意味なんてねぇよ。じゃあな。次会う時は全てが終わってからさ」
 少し手を振って、今度こそ彼は私の視界から消える。
 
  ///
   
 ルーン文字、それは古代ゲルマン人が用いていた筆記様式であり、日常的な用途から呪術的な用途まで幅広く使用されていた。ルーン文字の一つ一つには『火』や『氷』などの意味が紐づけられており、占いなどで用いられる際には加えていくつかの含意があるとされることが多い。  
 統合魔術研究所ではこの太古の魔術体系を掘り起こし、『終端』、『循環』、『懐疑』などの独自のルーンを追加することでこの言語の論理性を補強して使用している。ルーン・スクリプトと名付けられたこの新たな言語体系は、ルーン魔術を自動的かつ再帰的に行使するための、一種のプログラミング言語として作り上げられたものだ。
 薄くスライスされたシリコンの結晶に超高密度で記述されたルーン・スクリプト群は非常に高度な動作を指示することが可能であり、その動作の正確性、複雑性は他の魔術体系の追随を許さない......はずだった。
 ルーン・スクリプト制御の最新式防衛用ゴーレム、隔離実験室付近の防火扉に偽装された格納庫内に配備されていた総勢十体は、白銀に輝く大剣を手にしたキトによって瞬く間に打ち倒されていた。まさに鎧袖一触、内部に格納された武装を使用する間もなく機体が破壊され、内部の燃料に引火して爆発する。
 今まさに最後の一体を頭頂部から足元まで易々と切り裂いてみせたキトは、大剣を十字を切るように素振りして背中に背負う。その体は汗一つかいていない。......これは機械ゆえ当然のことだが。
「なんだいこのデカブツは。土木作業でもやらせた方が向いてるんじゃないか? 悪いが性能は俺の方が上だったようだな」
 そう嘯いて彼は階段を昇る。彼の頭部に格納された記憶領域には研究所のPCをハッキングして入手した研究所内の詳細な地図がインプットされており、彼はこの複雑に建造された建物の内部を完全に把握していた。
   
 隔離実験室のある危険実験領域から階層を一つ上がった区画は桐生迷人を含めた工学担当職員の主な活動場所である工学領域となる。さらに階層を上げるとそこは第一隔離塔、キトが墜落した場所である。
 階段を昇ったキトを待ち構えていたのは横一列に並び拳銃を構えた工学担当職員たちと、その中央で大型のアタッシェケースを手に持った筆頭研究員、飛鳥職員だった。
「総員、発砲開始!」
 飛鳥職員の号令とともに周囲の職員が一斉に射撃を始めた。魔術的な強化を施された弾丸は薄紫色の光の尾を引きながらキトへと殺到する。
「ちょっ、いきなりそれはねえだろうよ」
 大剣の腹を盾のようにして銃弾を受け流すと、跳弾が研究所の壁に当たり閃光を伴った爆発を起こす。魔術が発動しているという認識を強化するため、光という形で使用者にフィードバックを返しているのである。
 なおも続く銃撃をキトは横にスライドするようにして躱してゆく。銃弾の軌道が見えているのか、間一髪のところで全て避け切っている。
「十分。退避!」
 飛鳥職員が叫ぶと銃撃をしていた職員たちが後ろに下がり、同時に飛鳥職員が足元に置いてあったアタッシェケースを上空へと蹴りあげる。宙を舞ったアタッシェケースの蓋は自動的に開き、中からは六丁の拳銃が現れてキトの周囲を取り囲むように散乱する。飛鳥職員は白コートの内側に手をクロスさせるように差し入れ、さらに二丁の拳銃を取り出す。
 飛鳥職員が革靴の踵を地面に打ち付けると、一度地面に落ちた六丁の拳銃が浮遊し、銃口をキトへと向けた。原子模型における原子核を取り巻く電子群のような軌道をとって、浮遊する拳銃はキトを包囲する。
「なるほどねぇ。合計八つを一度に操る。あんた、ただもんじゃないね」
「破壊の概念を詰め込んだ特別製の銃弾だ。直撃して無事で済むと思うな」
「それなら当たらなければよいだけの話。それだとこの大きさは取り回しが悪いなっと」
 キトの持つ大剣が分解され、内部の漆黒の短剣が姿を現す。外れたパーツが自動的に右腕のあるべき場所に格納されてゆく。短剣の切っ先を飛鳥職員に向けて言う。
「俺が求めるものは第一隔離塔最上階に封印されている『異様なるもの』の一体だ。あんたらの識別名だと『拒食症』。どうせ持て余してるんだろう? 引き取ってやるからここを通してもらおうか」
「何をする気かは知らんがアレを世に放つわけにはいかん。研究機関に害をなすものは悉くを排除する。大人しく捕縛されなければ破壊することになるだろう」
 キトの口角が僅かに上昇し、機械の顔が笑顔のように変化する。
「じゃあ、交渉決裂だな。他の奴らは逃げちまったから一対一という訳だ」
「後で後悔しろ。......発砲を開始する」
 空中を浮遊する八丁の拳銃が同時に弾を吐き出し始める。作用反作用の法則を無視して弾を加速する魔術式拳銃は、反動によって銃口がぶれることなく正確に対象を狙い続ける。空中に仮想の腕を配置することによって行使されるいわゆる念動力、サイコキネシスと呼ばれる技術によって拳銃群は制御されている。
 体を捻り、宙を舞い、キトは放たれる弾丸を避けてゆく。弾丸の軌道上に漆黒の短剣を配置すると弾丸はひしゃげたように破壊され、存在意味を失ってその場に落ちる。長期間の歳月をかけて練り込まれた短剣内部の憎悪は、既に呪いの域に達していた。
 常に太陽の方向を向き続ける向日葵のように、銃口はキトを追尾し続ける。あるものは進行方向を先読みしてその先に弾丸を送り、あるものは回避する先を潰すように連射を行う。計算し尽くされた飛鳥職員の銃撃は、キトの行動の選択肢を徐々に狭めていった。
 「なんだよてめぇ、頭良すぎんだろ。いったい何人分だ? 俺ぁそんな奴が大嫌いなんだよ。才能と努力、両方手に入れやがって」
 キトが毒づく。一般的に一人の人間が同時に思考できる物事は二つまで、訓練された者でも四つと言われているが、飛鳥職員においては同時思考数は十にものぼる。拳銃一つに思考一つ、そして消耗した弾丸を補充するために二つの思考を割り当て、圧倒的なマルチタスク能力の全てをフル稼働で使用することで、個人だけで制圧的な射撃を実現している。
 白コートのポケット、そして床で開かれたままのアタッシェケースから次々にマガジンが飛び出し、弾を吐き出し終えた拳銃に装填されてゆく。銃声が狭い廊下に響き渡り、白い壁に弾痕が穿たれる。弾丸の軌道を用いて張られた蜘蛛の巣は刻一刻と姿を変え、触れるもの全てを破壊せんとする。キトは壁を蹴り宙に浮いた拳銃の一つへと跳躍するが、すかさずカバーに回った他の拳銃からの銃撃の嵐によって妨害される。銃弾の一つがキトの左足を掠め装甲を破壊、赤色の内蔵液が零れ落ちる。
「こりゃ大変......。だがな、少しは見えてきたぜ。ルーチンだ。決まった手順。拳銃を仮に一から八と呼称すると、弾切れを起こす順番に補充する順番ってのが全部決まってるわけだ。一が切れたら次は二、その次は三が弾切れを起こす。考えりゃ当然だな。その瞬間こそが隙になる」
 キトが再度跳躍、それを追うようにして銃弾がキトを追うが、キトは壁を再度蹴って進路を変える。その先には、今まさにマガジンを交換している最中の拳銃が一つ。他の拳銃の反応が追い付くよりも速くキトはそこまでたどり着き、短剣を突き立てる。拳銃は二つに切り裂かれ、地に墜ちる。
「獲った!」
 なおも続く銃撃をかいくぐりながらキトが叫ぶ。飛鳥職員が顔をしかめる。
「次行くぞ次!」
 僅かに減った銃弾の中をすり抜けるようにキトが進み、また一つ拳銃が破壊される。装填中で動けない拳銃へと短剣を投げつけて壁に縫いとめ、また一つ。右足で飛び上がり蹴りつけてさらに一つ。壁に刺さった短剣へとキトが手をかざすと、紐で引かれてでもいるかのように吸い寄せられ、短剣はキトの手に収まる。
 残された二つの浮遊拳銃を周囲に集め、飛鳥職員が一斉射撃を行う。しかしもはやそれはキトには届かず、キトが横に逸れるだけで躱されてしまう。
 と、飛鳥職員の背後の廊下から足音が響く。黒コートを着た迷人職員が走ってくる。手には、一メートルほどの槍のようなものを持っている。
「飛鳥職員! 『無槍(むそう)』持ってきました!」
 飛鳥職員が振り向く。そして、大声で叫ぶ。
「助かった。使用許可。5カウントで投擲! あと、銃を貸してくれ!」
 迷人職員のコートの下から二丁の拳銃が飛び出し、飛鳥職員の周囲に浮遊すると銃撃を始める。現在飛鳥職員が操作している拳銃は六丁、統合魔術研究所内で使用されている拳銃の規格は統一されており、使用する銃弾も同一である。
 迷人職員が倉庫から運び出してきた『無槍』とは、最強の矛である。なにものをも貫き通す矛と妨げる盾、その両方が存在するとき矛盾は生じる。ならば、最強の盾が存在しない場合であれば、最強の矛は存在し得る。そんな詭弁から産まれたこの兵器は全ての障害を貫通し、目標を破壊するものだ。付近の鍋の蓋をつかみ取り最強の盾であると宣言する、ということすらも対策として有効であるという脆弱性はあるものの、そうでない場合は絶大な力を誇る統合魔術研究所の秘密兵器である。
 再び開始される制圧射撃、そして最強の力を持った槍が背後から迷人職員によって投擲される。『無槍』は一直線に軌道をキトへと向け、その移動に合わせて穂先も追尾し続けている。
「ええい、埒が明かねぇ!」
 『無槍』が投擲されると同時に、キトも短剣を飛鳥職員へと投げつけた。飛鳥職員はそれを間一髪で躱し、短剣は背後の壁へと突き刺さる。
 同時に......。
『残念、俺はこっちだぜ』
 二人の背後から声がする。紛れもなく前方にいたはずのキトの声である。墨色の煙が短剣の突き立った場所から吹き出し、周囲を覆う。咄嗟に振り向く飛鳥職員と迷人職員、そして『無槍』が空を切り壁を破壊する音が響く。
「学者連中には付き合いきれん。兵器の実験は他所でやってろ。俺は先に向かうからな」
 煙の中からキトの金属質な姿が現れる。壁から短剣を抜き取るとキトは身をひるがえし、第一隔離塔の方角へと走り去った。煙は徐々に晴れてゆき、後には舌打ちをする飛鳥職員が残る。
 両手に掴んでいた拳銃をコートの内側にしまい、浮遊していたものも床に落ちる。アタッシェケースが口を開け、拳銃の残骸と壊されなかった二つの拳銃を吸い込み、蓋を閉じる。
「やられたな。あの瞬間、私たちは振り向いた。振り向かされた。恐らくナイフにマイクでも仕込んであったんだろう。テレポートのような技術は他人が見ている間は使用できない。他者の観測によって存在位置が固定されるからだ。だがマイクによる視線誘導と煙幕での遮断によって、それが可能な条件を整えられたのだ」
 悔しそうに足を踏み鳴らす飛鳥職員。普段研究者の長として多人数を率いている飛鳥職員がこのように感情を表にすることは珍しいことである。迷人職員が横で肩をすくめる。
 しばらくしてゆっくりとした階段を昇る足音が響く。隔離実験室で目を覚ました白峰冷華が、キトの足取りをたどって追いかけてきたのである。
「あ、迷人さん! ......と飛鳥さん。ごめんなさい。キトに逃げられちゃいました。って、なんですかこれ壁は蜂の巣だし大穴空いてるし......」
 戦闘の痕跡を見て唖然とする冷華。壁は表面どころか内部までも深く破壊され、修復には数か月を要するだろう。
「奇遇だね、私たちもちょうど取り逃したところだ。さあ、急いで追いかけようか」
 
    ///
    
 キトが左腕を伸ばし肩を回すようにスイングさせると、その軌道上に沿って板状の光帯が羽をかたどるように放出される。『飛行』を象徴する翼は浮力を生じ、キトを浮遊させた。第一隔離塔の長い長い螺旋階段を精霊術で発生させた上昇気流に乗ってキトは飛び越えてゆく。
 そしてキトは頂上へたどり着く。鉄格子で仕切られた和風の空間に、キトが墜落した時と寸分違わず少女が佇んでいる。目の上で切りそろえられたおかっぱ頭の少女は、依然として人形のように動かない。
「なるほど番人って訳か。それともこいつも捕らえられてんのか? いずれにしろ『拒食症』は後ろの箱の中だ。ばっちり封印されてやがるが気配だけは理解できるぜ」
 キトが短剣を一閃させると鉄格子が切り裂かれ、道が開かれる。キトは開いた穴を潜り抜けようとするが......。
そこ(・・)に(・)は(・)変わらず(・・・・)鉄(・)格子(・・)が(・)存在(・・)した(・・)。
 「ああん?」
 キトが再度鉄格子を切断。一瞬は崩れ落ちたかのように見える鉄格子はしかし、次の瞬間には何事もなかったかのように復元されている。キトは短剣を再度光り輝く大剣の形態に変化させ切りつけるが、しかし鉄格子の様子に変化はない。
「なんでぇこいつは。壊れないわけじゃなくて、再生してやがる。それもすげぇ再生速度だ。まったく、どうするか......」
 
    ///
    
 私と迷人さんは第一隔離塔の金属製の階段をまたも駆け上っている。なんだかつい最近も通ったような気がする果てなき螺旋だ。余計なところで重労働になるのは勘弁してほしいのだけれど安全のため、ということなら仕方ない。研究者の人たち、みんな体力なさそうだけど。キトと実際に戦っていたのも飛鳥さん一人だけだったと聞くし。
「ところで飛鳥さんは? 置いてきちゃって大丈夫なんですか?」
 私が二人に合流した後、白コートの飛鳥さんはキトを追いかけずにどこかへと離脱していってしまった。傷を受けた様子はなかったけれど足取りはおぼつかなくてふらふらしていたからひそかに私は心配している。
「大丈夫だよ。ただの糖分不足。魔法を使うってことは脳に負担がかかるからね。特に飛鳥さんはエネルギー消費の激しい脳の使い方をする。砂糖水でも飲んでいればいずれ元気になるよ」
「そんな、カブトムシじゃないんだから」
「でも真理だよ。砂糖は脳にエネルギーが届く速度が速いから、魔法を使う人は糖分を好みがちだ。この研究所の中で紅茶を飲む機会があったら、周りの人に気をつけた方がいいよ。人によっては善意で砂糖を大量投入してくるから......」
 唐揚げにレモンかけてくる人かな? 人間ってやつはどこでも似たようなことをする。
 迷人さんの足が疲れてきたようなので、少し歩を緩めてもう一つ質問をすることにする。最初からずっと聞きたかったこと。そして今、私が知る必要があると思うこと。
「ねえ、迷人さん。この塔の上には何があるんですか?」
 迷人さんが完全に足を止める。すうっ、と息を吸う音がする。しばしの沈黙と冷たい風が二人の間を通り過ぎる。
「そうだね、良い質問。君には知る権利があるし、知っておくべきかもしれない。別に最高機密って訳じゃない。準、機密くらいのものだ。いつかは教えることになっただろう」
「前置きはいいから、教えてほしい」
 私がせかすと、迷人さんはゆっくりと私の方を振り向く。
「第一隔離塔の下のテレポータ、あるだろう? 『触手の箱』と呼ばれるものだ」
「うん。さっきも通った」
 触手が箱全体に絡みついて締め付けている、気持ちの悪い図案のテレポータ。
「それの、モチーフになったものだ」
 ひえっ、と今度はこちらから声が出る。あの箱の図案に元ネタがあるなんて考えもしなかった。
「数十年前のこと。所長が先々代だった頃だから、結構な昔だ。今みたいなルーン・スクリプトの技術も誕生していないし、魔術の開発がほとんど手探りだった時期だ。文献がほとんど残っていないから詳細は知りようがないのだけれど、その時出現した『異様なるもの』を当時の統合魔術研究所所長と研究者たちで封印した。何か別のものの封印が解けた結果解放されたということかもしれないし、単にその時代で誕生したものかもしれない。彼らはその『異様なるもの』に『拒食症』と名をつけ、決して封印を解いてはならないと伝え遺した。あのテレポータの図案はその資料に描かれた『拒食症』の姿をもとにしている」
「その、『拒食症』というのは何をしていたの? 封印されるようなものなのだろうけど」
「『拒食症』の詳細は不明だ。ただ触手のような姿で暴れまわり、甚大な被害をもたらしたとしか伝えられていない。ただ、名前というのは人間が与える最初の祝福であり呪いだから、名付けによってそれの性質を反転させようとするための名だとしたらおおよその所は想像がつくけれどね。言霊信仰ってやつ。後はそう、きっと原形は人間だったものなのだろう。人間がベースでない『異様なるもの』は今まで観測されていないから」
 名前はその人の本質を表す。きっと真理の一つだけれど時には間違えるタイプの真理だろう。私は冷華って名前にあやかってレイ=ガンを持っている。光線銃のこと。ただの駄洒落だけど面白いっていうことは人生においてとても大切だ。しかし私の名前の白峰冷華、私はそんなに冷たそうな人間のつもりはないのだから、名前と本質に関係がないことだって山ほどある。
「触手の本体が人間? それってどういうことです?」
 また少しずつ階段を昇りながら迷人さんに尋ねる。迷人さん自身は戦闘はしていなかったそうだけど、兵器を取りに走り回ったりはしたらしい。
「それを説明するには、『異様なるもの』についての講義が必要だね。まずはその話から」
 そう言って少し息を整える。さっきから妙に前置きが多いのも疲れているからかもしれない。
「『異様なるもの』というのは主に人間が、他の全ての存在と異なる精神状態に至った時に呼ばれる通称だ。精神のバグのようなものだと言っていいと思う。普通人間は周囲の常識を教え込まれて育つ。仮に教える存在が居なかったとしても、世界との関わりを通じて一般世界の法則というものを少しずつ学んでいくものだ。だから現代に生きている人間はほとんどが同じような世界観を持っている。私も君も、少しばかりズレているという程度で大まかな所では変わりがない。だが、『異様なるもの』は違う。それは常識を知らず、地球人類八十億人の常識に逆らって行動することができる。私たちが普通だと思っていることを普通だとは思わない。常識の枷を最初から持っていない。そんな存在だ」
「それは、狂気のことかな」
「違う。大違いだ。狂人だって人間だ。だが、『異様なるもの』はもはや人間としての在り方を脱ぎ捨てているものが多い。人間の体と精神は常識に適応するために最適化されたもので、非常識を受け入れるには軟弱だ。『異様なるもの』はもはや生物として異なる存在だと思った方がいい。あるいは、そのような概念や物質として観測するのでも十分だ」
「ふーん。きっと私は会わないほうがいいね。面倒くさそうだから」
「それが良いと思うよ」
 そうしている間に、ようやく隔離塔の頂上に私たちはたどり着いた。鉄格子はしっかりと残っていて、その代わりに横の壁に大穴が開いている。キトが壊したのだろう。道中で風を感じたのは、こんなところに風穴があったからか。どうでもいいことだけど。
 中には日本人形みたいな例の少女とキトがいる。キトが今まさに、正座している少女に向かって光の大剣を振り下ろそうとする。
「迷人さん! あの子が。助けないと」
「たぶん、大丈夫。とりあえず壁の穴を通って向こうに向かうよ」
 大剣が通り過ぎても、少女の姿は変化していない。首に傷一つついていないし、血も出ない。まだ生きているのかは......動かないからちょっと分からないけど。
 迷人さんが黒コートを脱いで壁の穴から放り出すと、それは魔法の絨毯のように広がって浮遊する。こともなげにその上に乗るのでつられて足を踏み出すと、少し揺れるけど意外としっかりとした足場になっている。
「このコートの裏にはルーン・スクリプトが刺繍してあってね。大体のことはできるようになっている。今だったら空を飛ぶとか、飛鳥さんのものだったら弾薬を倉庫から召喚したりとかだね」
 実は便利アイテムだった黒コートの上に乗って私たちは空を飛ぶ。落ちるのがやっぱり怖いので、私は迷人さんの腰を掴んでいる。キトが墜落して私が広げた壁の穴を通ってキトと少女が見えてくる。
「ちっ、追い付かれたか。嬢ちゃん、ずいぶんと早いお目覚めじゃねぇか。もう少しおねんねしてても良かったんだぜ?」
 そう言って、キトがもう一度大剣を一振り。今度は背後に置いてあった和風箪笥が切り裂かれて、すぐに何事もなかったかのように復元する。少女は気付いた様子もなく、動きすらしない。
「しかし何だってんだこいつは? 『拒食症』の封印が解けやがらねえ。正確には、ぶった切った瞬間に再生しやがる。こいつも、そこの鉄格子もだ」
「私たち、統合魔術研究所の最後の砦だからね。そう簡単に突破されては困る。というか、『それ』は私たちでも壊せない代物だ。まあ、諦めて投降するのも一つの手なんじゃないかな?」
 迷人さんが安っぽい台詞を吐いている間に、私はキトにレイ=ガンの狙いをつける。念のため少女と箪笥には当たらないようにと言われているので、それだけ気をつけて。私の、負の感情をベースとした魔法は世界をゼロに上書きする効果を持つ。けれど、それを拒もうとする強い認識がそこに存在する場合、それに負けて世界観が書き換わらないことだって当然起こりうることだ。迷人さんは目の前の少女をそのようなものだと言っていた。
「ふん。やれないと言われたらやるまでだ。目の前のこいつの特性は不死、不滅。つまりゾンビや不死者(アンデッド)の類だと仮定できる。それなら、聖職者の出番だ」
 キトは腰の付近から何かの部品を取り出して、大剣にはめ込む。途端、大剣が少し変形して、十字架を模したかのような形に変化した。キトは祈りを捧げるように十字架を掲げ、詠唱を始める。
『父と子と精霊の聖名によって。これなるは捧げし供物、積み重ねし祈り。我ら敬虔なる信徒に相応しき加護と、眼前の罪に相応しき罰を。神罰機構、起動!』
 キトが十字架を振り下ろすと同時にキトの周囲を光の波が覆い、障壁となる。振り下ろされた十字架の先は、正座をしたままの少女を指し示した。迷人さんが咄嗟に私を押し倒して、黒コートで身を守る。天から落雷のような光の柱が放出され、壁の穴から回り込んで少女に直撃する。眩い光が迸って全てが白く染まる。例えるなら大出力のビーム兵器。アニメで宇宙戦艦が搭載するべきものが、地上に向かって打ち下ろされている。
 光の柱は数秒間振り注いだ。背後から感じるエネルギーの圧力は余波だけで倒れてしまいそうだったし、実際迷人さんのコートがなければ二人とも危なかったかもしれない。爆発的な力の奔流が私たちの隠れるコートの上を通り過ぎて行った。
 そして、そして、光が消える。後に残されたものは
 ......。
 何(・)も(・)変化(・・)して(・・)いなかった(・・・・・)。
「冗談だろう?」
 相も変わらず正座をしたままの少女、背後に置かれた和風箪笥、床には畳が張られて隔離塔とは鉄格子で閉ざされている。私たちが最初に見た時と寸分違わない光景だ。
「あーあ。解読聖書の皆さんが必死に積み立ててた信仰を勝手に使っちゃって。後で怒られるよ? 『圧縮供物(パッケージ)』だって安くないんだから」
 迷人さんが薄笑い。キトがガチャッと十字架をスライドさせると五センチほどの金属のケースが十字架から排出される。そのままキトは十字架を大剣に変形しなおし、さらに分解して漆黒の短剣の形状にまで戻していった。
「冷華嬢に説明するとね、解読聖書というのはキリスト教を母体とした魔法団体なんだ。彼らの経典である聖書を独自のやり方で『解読』し、それによって得た知識を世界の真理であると設定して行動する。束ねた信仰を用いて常識を突破するんだ。神に捧げた祈りはやがて力となり、恩恵をもたらす。さっきの百倍の出力と相応しい儀式、文脈設定があればソドムとゴモラの再現も可能だろうね」
「信仰心なんてないくせに!」
「神ってのは儀式を入力すると恩恵を返すデバイスにすぎない、ってことはこっちの世界じゃ常識だぜ?」
 さて......、とキトが短剣を構える。少女の心臓深くまで短剣を突き立て、四十五度捻って傷口を広げ、引き抜く。一瞬だけ血液は出るが、さも当然のように復元する。
「おっさん、これは『何』だ? 自分自身と周囲に与えた影響を全部なかったことにしやがる。しかも見た目は人間、中身も人間ときたもんだ。一歩も動かない喋らないくせにな」
 迷人さんがコートを羽織りなおして、腕を組む。迷人さんの指示で私はキトへ銃を向ける。すくなくとも見た目は人間に似ているキトに銃を向けるのは健全な日本人である私には抵抗があるのだけれどそこはそれ。破壊衝動だってちゃんとあるのでそれに任せてしまえば、きっと私は人を撃てる。
「解説の時間としようじゃないか。まずは彼女の来歴から語らなければならない」
 迷人さんが語り始める。
 
    ///
    
 「彼女が発見されたのは先々代所長の時代だ。ちょうど、その『拒食症』が発見されたのと同時期になる。しかしそれは、『拒食症』とは全く別の地域でのことだ。彼女は名前を堂島楠木と呼ぶ。これは統合魔術研究所が後でつけた名前で、発見された当初の彼女に名前は存在しなかった」
「彼女はいわゆる孤児と呼ばれる存在だった。親が存在せず、乞食の真似事などをして日々生きている、そんな子供たちの一人だった。時に大人の暴力のはけ口にされ、碌な仕事もなかっただろう。とまあ、ここまではよくある不幸のうちの一つとも言える」
「彼女が稀有だったのは、その不幸に対しての対処のやり方だった。一から百までの目のあるサイコロを何億と振り続けたら、いつかはゼロの目だって出るかもしれない。彼女はそんなイレギュラーだった」
「彼女は自分を取り巻く不幸に対して、完全に心を閉ざすことにしたんだ。全てのものを認識しないこと。それが彼女が世界に対して出した答えだった。世界に存在するものを自分ただ一人に設定し、苦しみ、痛み、飢え、その全ての外部からくるものを彼女の世界から追い出した。殴られても何も感じず、空腹すらも気付かないことにできるなら、それは究極のゼロになる。マイナスしかなかった彼女の人生にとって、それがどれほど幸せなことだったろうか」
「現在彼女の周囲の世界は、私たちの住む世界からの干渉を一切受け付けなくなっている。彼女に対して何を行おうと、それは完全に無視され無に還る。彼女の下には畳があり、背後には箪笥前には鉄格子、そして中央に座る彼女、これが彼女の見ている世界の全てであり、これが変化することはない。彼女はただそれだけを常に認識し続けている」
「さて、ではなぜ彼女の世界の中に封印された『拒食症』が含まれているのかという疑問に答えなければならないだろうね」
「実のところ、発見当初の彼女は現在ほど完全な世界観の閉鎖を行っているわけではなかった。彼女を現在の姿にしたのは、『拒食症』を封印したのと同じ先々代の所長だ。彼らは彼女に、封印の安定化のための役割を求めたんだ」
「恐らく、彼らは彼女を普通の人間と同じように戻すことができただろう。ちゃんと世界と彼女を結ぶ線を引いて、それが安心できるものだと教えてやれば現在のようにはならなかったはずだ。だが、彼らはそうしなかった。逆に、彼女と世界との関係をさらに断ち切り、そして彼女の世界の中に封印された『拒食症』を混ぜ込んだ」
「彼女と、彼女の周囲の空間は時が止まっているとみなすことができる。彼女はあらゆる変化を拒絶し、老化や劣化も彼女の世界の中では発生しない。すなわちそれは封印の永続、『拒食症』が二度と世界に解き放たれないことを意味する」
「これが彼女、堂島楠木の成り立ちだ。世界と関わることを辞め、彼女はただ封印を守り続けるだけの存在と化している。意識の有無をいうなら、彼女に意識はない。変化を拒絶するということは、脳内活動すらも停止するということだったからだ。だから、彼女は生物よりは岩や樹木に近い存在と言えるだろうね。ただ、一定のコマンドだけは受け付けるように、先々代は彼女を設計した。例えば挨拶や、扉を開けることなどだ」
 
    ///
    
 迷人さんの話を黙りこくったまま聞いていたキトが、下を向いて静かに首を振る。
「なんてこった。『異様なるもの』を探し求めた先でこんなもんにぶち当たるなんてな」
 短剣を床に放り投げて、両手を上に挙げる。降伏のサインだ。武器を持っていないことの証明、といっても機械の身体だからあんまり意味はなさないけれど、シンボルにはなる。
「お手上げだよ。俺はどうやら、探してた意味を見失っちまったみたいだ。また、考え直さないとな」
 私が慎重に銃を構えている中、迷人さんがバインダから封印のお札を取り出してキトの各所に張り付けていく。つるつるした金属部品にも引っ付くのはどんな技術を使ってるんだろう?
「ねえ、キト」
「なんだい嬢ちゃん」
「最後に、君は何を探していたのか、聞いてもいい?」
 キトが迷人さんに目配せして、迷人さんがうなずく。ふふ、とキトが笑う。ささやかで、自嘲的な、そんな笑い。
「俺は何かに成りたかった、成れなかった。そんな話はしたよな」
「うん。魔法が使えないって」
「俺は、変わり続けないと生きてゆけない生き物だ。探し続けないとどうにも立ち行かねぇんだ。存在意義を何かに成ること、そう設定しちまったからな。だが、もうほとんど全てを見てしまった。ありきたりの感情にはもう飽きた。嬢ちゃんみたいなやつだって、ごまんとこの世界には居るんだぜ」
 だから、とキトは少女の、堂島楠木の背後の箪笥を見る。その中にある『拒食症』の姿を想像するように。
「だから、ユニークを求めた。この世界に一つだけしかないものを手に入れたら、それはもう俺のオリジナルなんじゃねぇか、ってな」
 ああ、私は彼に見せられた夢から、彼の世界を知っている。回り続ける歯車、流れ続ける砂。停まってはならない世界のことを。
「けどな、こいつを見ちゃあしょうがない。俺は生き続ける。なぜなら部品を交換するからだ。こいつも死なねぇ。部品が変化しないからだ。この差ってのはいったい何なんだろうな?」
 生きているのに止まっている少女と、動き続ける機械の少年。「何か」を探し続けていたロボットは、何物でもないゼロを見て何を考えたのだろうか。
「しかし、自分の方が幸せだとは死んでも思いたくないね。しばらく死ぬ気はないけどな」
 キトは肩をすくめて、ゆっくりと目を閉じる。眠るように。
 「さあ、話はこれで終わりだ。おっさん、気をつけな。俺の目からはビームが出るぜ?」
 彼には涙を流す機能は付いているのだろうか? 目にもお札を張られたキトが階段を降ろされてゆき、物語の幕はここで降りる。
 後にはただ少女が一人、何も言わずに座っている。


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