猫猫探偵事務所(2)

羽月


【登場人物】
・綾瀬:探偵。人を寄せ付けないドライな雰囲気で、
無口と思えば毒づくことも。自分が必要ないと思えば説明もしない男で、よく櫻田にフォローされている。
・櫻田:飄々とした爽やかな好青年の雰囲気だが、綾瀬
に探偵の依頼を斡旋する以外普段何をしているのか不明な男。綾瀬との付き合いは長いらしい
・西山:綾瀬の洋館に居候している女子大生。少し臆病
だが綾瀬の嫌味などあまり深く考えない。おおらかな性格。下の名前を琴香という。

・アカネ:明るいショートの女子大生。今回のキャンプ
       の幹事の一人
・タイキ:金髪の青年。社交的で綾瀬とは正反対のタイ
       プ。幹事の一人。
・ショウマ:短髪長身の青年。面倒見がいいのであろう
       雰囲気を感じさせる。幹事の一人。
・ヨミ:アッシュグレーのショートヘアで、右目が前髪
       で隠れた、中世的な雰囲気を持つ青年。華奢。
・ユキノ:人見知りな女子大生。黒髪ロングの真面目そ
       うな雰囲気で、押しに弱い。
・オペラ:勢いのいい元気な大学生。男子校生のノリを
       忘れないまま大学まで進学したような青年。
・スマルト:オペラと類は友を呼ぶように一緒にいる青
       年。
・ヨル:柔らかい雰囲気が魅力的な女子大生。
・K:ひときわ背の高い青年。常に表情が固く、ヨルの側
       から離れない。
       
【1のあらすじ】
 洋館のひっそりと住む綾瀬が不在の間に、櫻田が依頼を持ち込みに訪ねてきた。初対面の西山とすんなり仲良くなった櫻田は、洋館に勝手に西山命名の「猫猫探偵事務所」の看板を立てては帰ってきた綾瀬に怒られる。
 櫻田の持ってきた案件とは、表向き大学生サークルが身内で行うキャンプで運営を手伝って欲しいとのことであったが、続く差出人不明の手紙によると「他のメンバーには黙って妹を殺した犯人を突き止めて欲しい」というものであった。西山は表向きの要件しか知らないまま、三人は二泊三日のキャンプへ参加する。
 キャンプ一日目は自己紹介、親睦を深め、何事もなく進んでいく。
 宿泊する山荘の作りは、玄関から右に曲がれば各々の眠る六つの部屋、左に曲がればキッチンと風呂、トイレ、正面の大きな彫刻を避けて奥に進むと大部屋となっている。

【綾瀬のメモ】
 中心・タイキ、アカネ、ショウマ
 HN 本名不詳 関連性:無
 カップ人数分? 色:タイキ水色、アカネオレンジ、ショウマ緑、ユキノ紫、ヨミ黒、西山黄緑、櫻田茶、綾瀬白
 黒猫 女子
 キャンプ発端は話の流れ
 アカネとタイキ 交際 他にも


【本編】
 ピピピピピピピピ......。
 キャンプ二日目の朝、西山は目覚まし時計の音に起こされた。もぞもぞと動いて、昨晩控えめに設定したそれを止める。
 まっすぐ飛び込んでくる光が眩しい。
「ふぁ......あ、櫻田さんおはようございます」
「うん、おはよう。申し訳ないんだけど、そこのソファで眠り込んでいる怠惰の塊、起こしてくれないかな」
 見ると、洋館で昼寝しているときと何も変わらない綾瀬が眠っている。あまりにもいつも通りで、西山は少し安心した。
「綾瀬さーん、起きてくださーい。朝ですよー」
「......う、るさい。起きてる......」
「起きてるって言いませんからこれ。案外いい時間なんです、遅れますよ」
「......」
 夕飯ができたときと同じだ。全然起きない。
「綾瀬、起きないねえ」
 その様子を櫻田はニヤニヤしながら見ていた。
「僕と二人で出ているときは割と目覚めがいいんだけどな。ふふふ」
「起きていると言っているんだ」
 茶化すような櫻田を不機嫌に睨みつけながら、綾瀬が起き上がった。
「あ、起きた」
「迂闊だった......。いつか口を縫ってやる」
「別に悪いことじゃないのに?」
 反省する気のない櫻田は、綾瀬と正反対にえらく上機嫌である。西山はいまいち状況がわからないまま、とにかく綾瀬が起きてくれたので深く考えないことにした。
 西山も準備に関して特にこだわりも少ないため、指定された朝食の時間には十分間に合った。
「食事の場所は全部大部屋ですよね」
「って言ってたよ」
 三人は大部屋へと向かう。昨日と同じく、アカネが用意してくれているのだろう。
 西山は少しワクワクしながら、大部屋の扉を開けた。

「おはようございます」
「あっ......おはよう。お二人もおはようございます」
 そこにいたアカネがほんの少しぎこちなく微笑んだ。
「......」
 綾瀬が無言になる。その気配を西山は感じ取った。
 テーブルの上には既に料理が用意されており、いつでも食べられる雰囲気ではある。
 しかし、アカネとその奥で準備を進めるタイキとショウマ、それ以外のメンバーが見当たらない。
 櫻田が軽い雰囲気で尋ねる。
「他のみんなはどうしたの?」
「それがですね......ヨミが、朝食の準備を手伝ってくれる予定だったんですけど、来なくて......」
 綾瀬と櫻田に緊張が走る。
「まだ寝てるんじゃないのか」
 遠くからタイキが呑気な声を上げる。
「そうだといいんだけど......。起こしに行ってくれたメンバーが帰って来ないので、きっとそのまま探しに行ってくれていると思います」
 アカネの心配そうな声。反対にタイキとショウマはさほど気にしていない様子だった。淡々と皿を並べ、準備を進める。
 櫻田は頷いた。
「それは心配だね。僕らも探しに行ったほうがいいかな」
「いえ、多分大丈夫です。もうじきみんな帰ってくると思うので。それに他のメンバーは昨日山へ入ってますが、一回も行ったことないとなると不安ですし」
「それはそうだね。失礼した」
 綾瀬は昨晩ヨミとキッチンであった時のことを思い出した。あの時、姿をくらましそうな雰囲気はなかったはずだ。他のメンバーの行動......どうだろう。情報が少なすぎる。
 潜り始めた思考を破るように、大部屋の扉が勢いよくまた開かれた。
「ただいまー」
「あっ、どうだった?オペラ」
「全然ダメ」
 さっぱり、というように首を振るオペラ。続いて他のメンバーも大部屋へ帰ってくる。
「もうご飯できてるんじゃん」
「美味しそ?」
「スマルト、今はそれどころじゃないんだよ」
「はいはい」
 ユキノに窘められ、伸ばしていた首を引っ込める。
 その様子をアカネはちょっと笑って、切り替えるように声を張った。
「とりあえず朝ごはん食べますか」
「で、でも、本当に大丈夫かなぁ」
「まぁこの場所に一番詳しいのはヨミだし、大丈夫でしょう」
「そうそう。食後しばらくしたら山に入る予定だったし、その時でもいいんじゃないか」
「僕も同意見だな」
 心配するユキノを、キャンプ幹事の三人は宥める。
「う、うん......」
「とりあえず座ろうぜ」
 スマルトがそういうと、メンバーは重い足取りながらも席につき始めた。
 正直、意外だった。
 西山にとって誰かの姿が消えるだなんて経験は初めて。どうすればいいのかわからない。昨日何事もなく笑っていたヨミに何かあったのではないか、不安になる。しかし、先ほどまで不安そうであったアカネもなだめる側についているのだ。
 いいのかな......。
 ふと隣に立っている綾瀬を見上げる。
「......」
 表情が少し、ゆがんでいる。
 何かを考えているのだろうか、口を固く結んで。
 その表情で一層不安が広がったが、視線に気づいたのか、綾瀬は一瞬はっとしたと思うと目を伏せて席に着いた。
「琴香ちゃん、食べよう」
 苦笑いの櫻田に促されて、西山も気持ちを切り替えることにした。
 この二人がとにかく流れに乗ることにしたんだ、それに、そんな簡単に何かが起こるとも思えないしな。
 気を使ってのことか、はたまた重大に思っていないのか。幹事の三人は落ち込み気味の会話を取り持ってくれた。
 あ、そうだ、とタイキが話を遮る。
「準備もあるから、食後2時間程度したらなんだけど。今日は山を散策するんだ。一応歩きやすい道だが、よく道を覚えながらついてきて欲しい。あと、水辺で遊びまーす」
「はーい」
「その時にヨミも見かけれたらいいね」
「まああの子は自由人だからなぁ、大丈夫と思うけど」
 明るく切り替えられたのを見てやっと、西山は少しほっとした。みんながそう言うんだ、大丈夫だよね。
 朝食の味は、よく覚えていない。

 朝食後は全員で片付けをした後、各々自分の部屋に下がっていった。山道というので、動きやすい服装にもしたいのだろう。
 休息の2時間にしても、少し時間が余る。
 どうやら昼食も出先でとるらしく、西山はアカネとショウマがおにぎりを作るのを手伝うといって出かけていった。
「綾瀬」
「わかっている」
「一人ならまだしも、二人一緒にいるなら大丈夫だよ」
「わかっている」
「わかってないんだよなぁ」
 苦笑する櫻田。
 勢いよく飛び出していった楽しそうな西山を止めることができず、大人しく部屋に戻って見たものの気が済まず、二人はコテージ周辺を探索しようと表に出た。
「とりあえず一周する? そういえば初日あんまり見れてなかったしね」
「そうだな......こう、山荘を右回りして見るか。起こるとしたら最終日、それまで動きはないと思っていたんだがな」
「今回、不穏でも依頼自体はただの調査だったし」
 さく、さく、と草が足元で音を立てる。
 山荘を見上げると、ちょうどそこは角部屋である綾瀬たちの部屋だろう、窓が見える。少し高い位置にあるので、外からは見えないだろう。
 山荘に沿うように左折。
 ......本当に、何もない。
 また左折。ここは山荘の裏側に当たる。
 天気の良い午前中、静かで、透き通っている。
「荒れた形跡もないな」
「そうだね。......あ」
 草ばかり。
 その中で櫻田が見つけたのは、オブジェでもなく、山荘の壁に紛れている扉だった。
 その扉に静かに近づき、そっと耳を寄せる。しばらくじっとしていたが、櫻田はゆるゆると首を振った。それを確認して、綾瀬も近づく。
「これはまぁ......随分とうまく擬態しているね」
「当分手入れもしていないな。内装と違い年季が入っている」
「雨晒しだしねぇ。倉庫とかかな」
「妥当だろう。管理人の事務所も遠い、メンテナンスのためにもあって然るべきだ」
 櫻田が笑顔で、何かの真似をする。何を言いたいのかはなんとなく分かった。
 ピッキングしちゃう?
「はぁ。やめておくべきだな」
 まったく、この男は平気でそういうことをする。綾瀬はため息をついた。穏便に済ますということは潤滑油に等しいとうのに。
 そんなため息をよそに、櫻田は楽しそうだ。
「あっ。綾瀬、綾瀬!」
「うるさい。今度は何だ」
「あれだよ、件の猫!」
 見ると、距離を開けた先で黒猫がこちらを見ていた。心なしか、視線が厳しい。
「本当にいたんだねぇ、どこにいるのかと思ったよ」
「お前、そんなに猫好きだったのか」
「いや? でも噂のものが目の前に現れると、面白くないかい? あっ、ちょ、逃げないで」
 見事に避けられる櫻田。
「そんな変態には猫も近付いて欲しくないだろうな」
「変態じゃないから。あー、琴香ちゃんがいたらなぁ」
「......?」
「女の子にしか懐かないっていう」
 あぁ、そんな話あったなと綾瀬も思い出した。
「......そういえば、会いたがっていたな」
「そうだね。実証もできるしね」
 そういうところだぞ、というのを、綾瀬は飲み込んだ。こいつにはおそらく言っても無意味だ。
「もういいだろう、さっさと行くぞ」
「え? いいの? 猫好きなんじゃないの」
「嫌いではないが」
「ははーん」
 ひとしきり猫と格闘し、一歩も近付いてもらえなかった櫻田はニヤニヤしながら帰ってくる。
「琴香ちゃんはしゃぎそうだもんね。可愛いだろうな」
「いい加減にしてくれ」
 鬱陶しくなってきた綾瀬は、スタスタと櫻田を置いて行く。預けている西山の様子も一度確認したい。
「待ってよー」
「知らん。一回戻るぞ」
「まったく、遊びがいがあるんだから」
 ふん、と鼻を鳴らして、山荘に入って行った。まっすぐ左折、キッチン直行である。
「大事にされてるねぇ」
 微笑ましく思いつつも、からかいたくて仕方ない性分なのであった。

「あれ、綾瀬さん。おかえりなさい」
「おかえりなさい」
 キッチンに向かうと、持って行く昼食の準備はおおかたできている様子だった。
 何事もない三人の様子に、綾瀬はひとまず安心する。
「お、できてるねぇ」
 呑気な櫻田も遅れて入ってくる。
「櫻田さんも。あとは容器に詰めるだけですよ」
「琴香ちゃんが手伝ってくれたから、案外早くできちゃったね」
「いえ、私は全然。二人ともお料理得意なんだね」
「私たち、付き合ってるのがどっちも料理ダメ出しねぇ」
「作ってあげるんだ? 偉いな」
 櫻田は純粋に褒めていた。どちらかというと、ショウマに向けてだろう。
「どんなの作るの?」
「僕は本当に家庭料理しかできませんよ」
「十分すぎるじゃないか」
「まぁ、今はいませんけど」
 寂しそうな表情。
 アカネが打ち消すように参加した。
「私もですよー、タイキはああ見えて放って置いたら死んでしまいそうな感じ」
「あ、確かに、私も」
 すかさず西山が便乗する。
 ふふ、と抑えきれなかった声。櫻田だろう。
 綾瀬にはいささか居心地が悪すぎる。
「死にはしないんだがな」
「どうでしょう......」
「まあまあ、喧嘩しないでください」
 アカネは笑いを噛み殺しながら言った。
 喧嘩をしているわけではないのだが。
 若干不服ではあるが、綾瀬にはそれより確認したいことがあった。
「各々の部屋の配置なんだが」
「あ、やっぱり不自由です? 今晩からなら一応、ヨミの部屋で一人寝ることもできますけど」
 アカネは申し訳なさそうだった。一部屋に三人泊まってもらっていたのを、気にしていたのだろう。
「いや、そういうわけでは」
「場所も向かいの部屋ですよ、ほら」
 そう言ってポケットから取り出したのは、部屋割りのメモであった。比較的雑に書き込まれている。
 玄関から入って右に曲がると各々の部屋が並んでいるのだが、玄関側に三部屋、反対側に三部屋ずつ並んでいる。これは渡された見取り図に示されていた通りだ。
 玄関側は、入り口から奥に向かって、アカネとユキノの部屋、ヨルとKの部屋、綾瀬と櫻田に西山の部屋。
 その向かいに、入り口からタイキとショウマの部屋、オペラとスマルトの部屋、ヨミの部屋となっている。
 綾瀬はすっと目を細めてメモを見つめた。
「みんなで決めたので、特に決まりがあったわけじゃないですし。まぁ、前回とペアは変わらないんですけど」
「前回?」
 西山が尋ねる。
「うん。毎年この時期にキャンプをするのが恒例でね。まぁ前回色々大変だったから、今回開催するかどうか悩んだんだけど、みんながやりたいっていうから」
「そうなんだ。仲がいいんだね」
「あはは、まあそうかもね」
 そう言ってアカネは笑う。その笑顔が、西山には羨ましく、しかし少し寂しそうに見えた。
「ありがとう」
 そんな様子を綾瀬も見ていたが、満足したのかメモを返した。
「あれ、いいんですか」
「大丈夫だ。一応確認なんだが、部屋の間取りはほぼ同じかな?」
「あ、はい。だいたいそうです」
 綾瀬は頷いた。
「ありがとう。僕らの部屋が特別広いというわけではないようだし、わざわざお邪魔することもなさそうだ。このままでいさせてもらおう。では」
 お先に失礼、と言うように綾瀬は片手をあげた。キッチンを出ようとして去り際、
「櫻田、僕はもう少し散歩して戻る。よろしく」
とだけ残した。
 何をよろしくなんだろうという視線の中、櫻田は困ったように笑うしかなかった。
「ごめんね、あれは本当に自由人なんだ」
「もうどうにもなりませんね」
 西山も綾瀬の自由さに肩を落とす。今に始まった事ではない。ただ、あれはおそらく何かを見つけた顔だ。

 山道を歩くには非常に良い天候だ。ヨミがいないことを除けば、西山の心も軽やかである。
 各々最低限の荷物を持って山道入り口に集合していた。ヨミ以外のメンバーが全員いることを確認して、一行は出発する。
「本当だ。ほとんど整備されてますね」
 殿を綾瀬と櫻田とともに務めつつ、西山は足元が確かなことに安心した。日頃の運動不足が不安だったのだ。
「そうだね。傾斜もさほどないし、迷いそうにないね」
「目的地は歩いて二十分でしたっけ。多分大丈夫です」
 急に謎の自信を煌めかす西山。
 それくらい歩いてくれ、という綾瀬のため息は聞こえなかったようだ。
「それにしても......」
 目の前を楽しそうに歩くメンバーを眺める。
「みなさん優しくしてくださってよかったです」
「それはよかった。みんな個性的だし、琴香ちゃんが楽しそうで僕も安心したよ」
「えへへ」
 先頭を幹事の三人が仲良く歩いている。アカネとショウマは、後方確認を忘れないのも見えている。
 オペラ、スマルト、ユキノの三人もそれに続いて楽しそうだ。しょうもない、と呆れるようなじゃれ合いに、ヨルもくすくすと笑っている。Kはおそらくヨルのものであろう荷物まで持って、仏頂面のまま歩いている。
「こんなにバラバラなのに」
「それがいいんじゃない?」
 櫻田は微笑んだ。
「自分と違うのって、面白いだろう?」
「そうですね」
 自分と同じくらいの年なのに、先をゆくメンバーが遠いものに感じてしまう。友達がいないわけではないが、ここまで性格が異なっても一緒にいられる友達がたくさんいることが羨ましかった。
「ま、琴香ちゃんも同じだよ。そう変わらない。僕にも眩しく見えるよ」
「だといいんですけど」
「ま、今の調子で積極的に話してごらん。何か発見があったりしたら僕にも教えて欲しいな。僕もさ、みんなのこと気になるけど、この通りシャイで」
 そう言って照れ笑う。
「無理しかないだろう」
 綾瀬の呆れた一言がいつも以上に冷たかった。

「到着―!」
 二十分程度、特に辛くはないが木漏れ日に守られて歩いた先、現れたのは開けた大きな水場と、滝であった。
「うわ、すご」
「これ泳げる? 泳いでいい? 川だもんね?」
「それよりヨミがいなかった」
「えっと、とりあえずは自由行動で! あんまり遠くに行ったり、滝に近づきすぎたりしないようにね」
 急に統率感のなくなった一同の背中を追うように、アカネが声を張り上げる。幹事も大変だな、と西山はちょっと同情した。
「急に私が写真撮り始めても気にしないでね、なんならノッてくれると嬉しいから」
 アカネの話も聞こえているのかいないのか。各々、文字通り自由行動を始める。
「みんな元気だねぇ」
 櫻田はその様子をまぶしそうに眺めていた。十分みんなと一緒にはしゃいでいても不自然でないのにな、と西山は思った。彼は友好的ではあるが思いの外、輪の中に入ろうとしない。
 その先ではヨルが水辺でパシャパシャと遊んでいる。手をつけたり足で遊んでみたり、ささやかながら楽しそうだ。Kの見守る表情も、心なしか柔らかく見える。
 「保護者みたいだな」
「いや、ほぼ一方的な主従関係だよ」
 背後の声にパッと振り返ると、オペラが立っていた。
「オペラさん! いつの間に」
「いやー、気付いたらスマルトとユキノに置いて行かれちゃってて。ちょうどこっちもセコムがいなくなったみたいなんで」
「セコム......?」
 西山は首を傾げたが、その言葉で櫻田はあっと周りを見渡した。
「綾瀬のやつ、また勝手に消えやがったな」
「あ、え? 本当だ、いない」
「綾瀬さんならさっき、山の中に消えて行きましたよ」
「も?、勝手なんだから......」
 頭を抱える櫻田。
「ま、置いて行かれたもの同士仲良くしましょうよ」
 オペラは楽しそうだ。話すタイミングを元々伺っていたのだろう。
 確かに人付き合いに向かない綾瀬がいると、話しかけにくかったかもしれない。西山は頷いた。
「あの二人、主従関係なの?」
「実際にはそんなことはないんだけど、なんつうかな......Kが一方的にやってるだけっていうか。ヨルはああ見えて何も考えていないし、楽だからそうしているって感じかな」
 へえ、と西山は唸る。
「楽だから、か」
「ヨルはああ見えてドライだし、自分のしたいことに一直線っていうか。興味ないもんにはぜーんぜん」
 オペラは首を振る。
「ところでお三方は、誰の紹介で?」
「そういえば、オペラ君は昨日その話の時にいなかったね。誰にというわけではないけど、代表者という形で呼ばれたんだ」
「へーえ、また凝った事を」
 ヨルは一人水遊びに飽きたらしい。K
と一緒に滝の方まで歩いて行った。
 シャッターチャンスを狙ってのことか、その後ろをタイキとアカネが付いて行く。
「まあ去年、キャンプだけのせいじゃないっすけど、色々あったらしいですからね」
「へぇ。それは聞いてもいい話?」
「いや俺、一番当事者たちからとは遠いんで......多分、ユキノあたりが知ってるかも」
 そういえば、昨日はオペラ、スマルト、ヨル、K
の四人がいなかった。このメンバーに対して喧嘩ではないけど、アカネとヨミが関係について言い淀む節があったな、と櫻田は思い出す。それとは、関係が遠いのか。はたまた、比較的遠いだけなのか。
「男女関係でもたついてたってのは分かるんですけどね。この手の話、みんな面と向かって言わないもんだから」
「大学生だもんね」
 そうですか? 西山は櫻田に抗議の目を向ける。
 大学生全員がこんなにもたつくことはないと言いたげである。
「ま、人によるけど」
 その視線を感じ取って一応、フォローするしかなかった。
「おたくはどうなのかな」
 パッと、オペラが西山に話題をふった。
「わ、私!?」
「あっ。ダメだよ。そんなこと目の前でされたら、僕が怒られちゃうから」
「誰が怒るんだ」
 その声に振り向くと、険しい顔の綾瀬。
「あちゃ?、時間切れかぁ」
 オペラはケラケラと笑った。
「じゃ、セコムが来たので退散しまーす」
 そして、潔く写真会を行うアカネ達の元へと去って行ったのだった。
「だって、綾瀬」
「変なあだ名をつけるんじゃない」
「つけたの僕じゃないし」
 はあ、と綾瀬はため息をついた。この三日間であと何回つけばいいんだろうか。
「で、いつの間にどこに行ってたの?」
「いや、さっきの道にヨミさんが見えた気がした」
「え!?」
 これには西山も食いついた。
「うるさい。結果的に、何もなかったが」
「なんだ」
 少ししゅんとしてしまう。
「手ごたえは?」
「微妙だな」
 手ごたえ。見た気がする、というのがどこまで確証に近いのか、ということだろう。
「スマルト、ユキノの二人が歩いているのは確認した。先日のことがあるからしばらく観察していたが、特に問題はない、むしろこのまま観察して見つかった時が面倒だと判断して帰って来た」
「よかった。オペラ君が取り残されたと聞いて、ちょっと心配だったけど。やっぱりそこはそうなんだろうね」
「そっちは?」
「去年のいざこざは、ユキノさんに聞けってさ。オペラ君は一番遠いらしい。ヨル、Kの二人は相変わらず。そこの関係には必要以上の詮索は不要かな」
「ほう。まあ、分かった」
 お互いに情報交換に慣れている。今までもこうして来たのだろう。こんなにも皮肉以外ではきはき会話し続ける綾瀬を、西山は久々に見る気がした。
 しばらく後にスマルトとユキノも帰って来た。メンバーは特に何とも言わず、二人は混じっていく。
 着替えを持って来たメンバーは、滝から離れたところで着衣のまま川に入っていた。どうやら魚を手掴みしたいらしい。
 西山は特に何も持って来てなかったので川には入れなかったが、
「やっぱり私も入りたい! カメラ係頼んでいい?」
とアカネにカメラを渡されてしまったため、楽しそうに遊ぶメンバーを写真に収める大役をこなしていた。
 そうだな、私、そのために呼ばれたんだよね。
 遊びたい気持ちもありつつ、結局みんなと仲良くしてもらえることが嬉しいのであった。

 正午。
 準備して来た昼食を広げて、各々好きなものをつまんでいく。水遊びで消耗した身体には余計美味しく感じた。
 楽しくおにぎりを取り合っているのを見ながら、アカネはショウマに話しかける。
「どこ行ってたの?」
 そういえば、昼食の手前までいなかった。
 西山はその横で話をそっと聞いていた。
「いや、一応探したほうがいいと思ってさ」
「だと思った。ありがとう」
「でさ、いたよ。やっぱり」
「えっ?」
「大丈夫だってさ。ちょっと手違いで戻るタイミング失ったらしい。このまま続行するって」
「はあ、良かった。やっぱり、ちょっと早かっただけなのね。心配しちゃった」
 何が早かったのだろう。
「......ちょっとショウマ、顔色悪いよ」
「そうか? うーん、久々に外で遊ぶから疲れたのかもな。まぁ、大丈夫と思うが一応気をつけるよ」
「無理しないでよ」
「そこまで心配しなくても」
 ショウマは笑う。
 ため息をついたものの、アカネもそれ以上何も言わなかった。他のメンバーの会話に何事もなかったかのように入り込む。
 ともあれ、ヨミは無事なのだ。それでいいのだろう。
 その様子を、綾瀬も顔を向けず静かに聞いていた。

「じゃ、片付けますか」
「はーい」
「あ、アカネ、あれ言わなきゃ」
「え? あぁそうだった。えっとみなさん注目ー。今晩も例年通り肝試しをします! ルートは今日歩いた一本道で、ゴールはこの滝場!」
「はーい」
 気の抜けた返事が続く。
「皆さんには安全のための懐中電灯を支給しまーす。それにリボン結んでいるんで、ゴールの証にここにリボンを預けて帰ってください」
「で、ここでリボン回収してくれるのが、今回来てもらった櫻田さん達三人ということで」
「あ、僕ら? はーい」
 突然振られた役割に、櫻田も笑顔で気の抜けた返事を返した。キャンプの主な役割はこれなんだろう。
「と言うわけで、退散! みんなちゃんといるね。来た道を戻りましょー」
「はーい」
「あの......いいのかな」
 ユキノがおずおずと手を挙げた。
「うん、大丈夫だよ」
 不安を押し返す、アカネの笑顔。おそらく今いないヨミのことだろうが、その笑顔にユキノは黙った。
 時刻は昼過ぎ。恵まれた快晴に、キャンプは滞りなく進んでいるようだった。

 山荘に到着した後、川に飛び込んだ者はシャワーを浴びたり、思いの外疲れたので休むと言ったりとメンバーは休息タイムに入った。
 この後はBBQをするらしい。ただその場所があまり整備されていないので、設営のために早めに出発するとのことだった。ここより少し下流にあるそう。魚釣をしたかった面々はテンションの上がり方ですぐわかった。
 綾瀬達三人は一先ず部屋に戻る。
「聞きました? ヨミさん、いたって」
 西山はそのことを早く二人と共有したかった。
「え? そうなの?」
「聞こえた」
 櫻田の驚いた声と綾瀬の冷めた声。
「それは......良かった」
「さっき滝場で、アカネちゃんとショウマさんが話してて、聞こえたんです。綾瀬さんにも聞こえてたんですね」
「耳はそう遠くない」
「待ってよ、僕が遠いみたいじゃないか。見つかったのは良かったけど、教えてくれたらいいのに。というか、合流しなかったんだ」
「そこなんだ」
 良いニュースであるのにも関わらず、綾瀬の声は非常に冷たかった。
「それから、少し早すぎただけ、とも話していた」
「ふうん?」
 展開がわからない。
 良かっただけでは終わらなかったので、西山は狼狽える。
 ダメだったのだろうか。
 何が?
「そうなると納得がいかない」
「そうだね」
「この話の時もそうだった」
「ふうん」
 二人の表情は変わらなかった。綾瀬は無表情のまま、櫻田は微笑みを貼り付けたままだ。
 それが一層、西山を混乱させた。
「ごめんね、琴香ちゃん」
「えっ? いや、私は別に」
「何ていうか、僕たち面倒臭い性格なんだよね」
「そうですね」
「否定しないんだ」
 西山の即答に、思わず笑ってしまう。
「到底万人受けしないし、何なら嫌われちゃうんだよね」
「そうですか?」
「君はおおらかだからね。でもぼくらも無闇矢鱈に嫌われたくはないしさ。だから、僕らがこうやって話すの、みんなには内緒だよ?」
 何となく、納得した。西山はこくりと頷く。
「良かった。僕は周りにまだ溶け込めるけど、綾瀬なんか敵しか作らないからなあ」
「......余計なお世話だ」
「事実ですし?」
 櫻田は口を尖らせる。
 今は、普段の二人に近いのだろう。それに自分は許されている。そう思うと、西山は協力しなくちゃいけないな、と思うのであった。
「そういえば、釣りをしたい方々が先に出発するって言ってました。どうします? 私はアカネちゃんが一人で準備に残るって言ってたんで、そっちを手伝うことになっているんですけど」
 西山は割と溶け込んでくれているらしい。新しい情報に、二人は考える。
「じゃあ、僕は釣りにお邪魔しようかな? 綾瀬は絶対向かないと思うから、琴香ちゃんと大人しく準備手伝いなよ」
「......どうしてお前はそう一言余計なんだ」
「うーん、愛、かな」
「早く出ろ」
 えへ、怒られちゃった、と櫻田は舌を出す。
 この人は綾瀬をからかう時が一番楽しそうなのであった。
「じゃ、僕、みんなにいつ出発するか聞いてくるよ」
 部屋割りを覚えているのだろう。櫻田はそういうと早くも部屋を脱出した。
 多少不機嫌な綾瀬と残される。
 ただそんなのは西山にとって通常運転の範囲だった。こういう時はそっとしておいて、仮眠するなり何なりした方がいいと経験が言っている。
「疲れたか」
 ベッドに横になった瞬間、綾瀬が声をかけた。
 それが少し珍しくて、返事が詰まる。
「あ、別にすごく疲れたわけでは......。夜も肝試しとか歩き回るのなら、今の内かなって」
「そうか」
 そんなに疲れた顔をしていたのかな、とちょっと反省する。心配かけていたのなら申し訳ない。
「準備はいつだ」
「あ......、と、三時からって言ったました」
「わかった。起こす」
「え?」
「......いいから、寝ておけ」
 ふふ、と笑って西山は横になった。
 出先だからか、少しだけ優しく感じる。いつもが放って置かれすぎて、感覚がおかしくなっているのかもしれない。というか、元々優しい人だったな。
 意外と疲れていたらしい。溶けるように微睡み落ちた。
「......はぁ」
 綾瀬は綾瀬で、起こすと言ったからには眠るわけにいかない。ここが他人のフィールドなら尚更である。
 それにしても、櫻田がいてくれて助かった。結局、思うところは多くあるにしろ、情報収集を円滑に進める下地を引いてくれる。西山から情報を聞き出すのもそうだが、釣りには興味なくとも今もこうして出かけてくれている。綾瀬をここに置いたのは、西山の安全確保のためだろう。
 それに。
 キャンプ出発前は「綾瀬のしていることを見ておいたほうがいい」と言いつつ、西山をこちら側へ引き込まないようにしている。それが綾瀬にとって一番ありがたかった。だから、時々引っかかる言い方にも、黙っていたのだ。
 まあ、僕が口出す話でもないからな......。
 ふとそう思い直して、依頼について思考を始める。いつの間にか過保護な自分にまだ、気付きたくない。

「アカネちゃん、きたよ」
 約束の時間ギリギリまで熟睡していた西山は、綾瀬に起こされてキッチンにやってきた。
 スッキリした表情に、アカネも思わず微笑む。
「琴香ちゃんありがとう。あ、綾瀬さんまで」
「一人では大変だろう」
「いえ」
 準備というのは、十一人分のBBQで使う食材のことである。肉類はほぼそのまま使用できるとして、野菜だのご飯だの、準備が必要らしい。
「静かになったな」
「もうみんな、下流に出発したみたいです」
「みんな元気だね。私なんかずっと寝てたよ」
「わかる。私も」
 アカネの指示に従って、準備を進めていく。
 ここで西山は激しい衝撃を受けた。
「え......、包丁、持てたんですか」
 危なげなくカットしていく綾瀬を、あり得ないという顔で見つめる。
「失礼が過ぎる。僕を何だと思っているんだ」
「放って置いたら死んじゃう人」
「だから、僕を何だと」
「やだ、喧嘩しないで二人とも」
 アカネも楽しそうだった。一人で黙々とする気だったのだろうか。
 
 その時、キッチンの入り口で靴音がした。
 パッと振り返る綾瀬、それにつられるようにアカネと西山も振り返る。
「ただいま、お腹減ったよ」
 そこに立っていたのは、行方を眩ましていたヨミ出会った。

「はぁ、まとめると」
 やれやれ、と綾瀬はため息。
「君は今晩の肝試しの脅かす役として、よりアクセントを加えるために隠れていたと」
「そうです。あれ、アカネまだ言ってなかったの?」
「言うタイミング逃しちゃって......。それに、消えるのは滝場の時って決めてたじゃない。朝からいないから焦ったんだから。何してたの」
 アカネの問い詰めを、ヨミはへらりと躱す。
「いやぁ、イレギュラーあってさ。僕も戻るタイミング逃しちゃってさ。ほら、おあいこにしない?」
「全然違うから!」
「まぁまぁ、無事ならよかったよ」
 西山が二人を宥める。
 ヨミはにこにこしていた。メンバーの今までの心配をよそに。
「それより用意してる? 僕のご飯」
「あるよ。はい」
「なるほど、皆がいないこのタイミングに食料調達、と言うわけか」
 アカネから手渡される、ヨミ用のバスケットをみて綾瀬が感心する。
「そうです。もうお腹すいちゃって、死にそう......。もうちょっと足せない?」
「わがままだなぁもう。はい、出来立てのおにぎりですー、持っていけー」
「アカネ様ありがとう」
「と、言うわけで後でもう少し作り足します」
「お世話になります」
 ぺこり、ヨミが頭を下げる。
「どこにいたの?」
「ふふん、滝場の裏、ちょっとしたスペースがあるんだよね。ちょっとうるさいこと以外は、快適なんだよ」
「へぇ! 見てみようかな」
 するとヨミは慌てて首をふる。
「絶対、絶対だめ! 自分だけだと思って、服とか色々散乱しているんだから」
「ごめんって」
 アカネはクスクスと笑う。想像に容易いのだろう。
「じゃ、もういくね」
「もう?」
「うん。誰かが帰ってきたらまずいし、もし動物に取られても困るからさ」
 そう言うと、足早に去っていく。
 綾瀬は軽く唇を噛んだ。
 しまった、イレギュラーは何だったのか、聞きそびれた。
 平気そうな顔ではあったが、もう、それが大したことではないと祈る他ないのであった。

 山荘から下流に向かって一本道、確かにここまで来るまでにこんなスペースあった気がする。西山はぼんやりと思い出す。昨日のことなのに、どこか記憶が遠い。
 想像よりわかりやすい場所にそのBBQ会場となる川辺があった。
 設営は順調に進んだのか、休息用のテントからテーブル、椅子などは既に揃っており、いかにもBBQの雰囲気である。
 一部は川辺で釣りなど遊んでいるようだが、もう火起こしの準備まで始められていた。
 こちらの到着に気付いた櫻田が、駆け寄って来る。
「準備ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
 アカネはそう言って辺りを見渡す。何かを探しているようだ。
「あの、ショウマとユキノどこ行きました?」
「え?」
 空気が、冷たくなる。
 遠くではしゃいでいるメンバーの声が、やけに大きくなった。
「いや、一緒に来てないけど......」
「おかしいな......、まだ部屋にいるのかな」
「具合悪そうだったし、寝てるんじゃない?」
 西山の一言に、アカネは頷いた。
「そうかもね。一応、見てこようかな」
「ショウマなら寝るって言ってたぞ。一応水も食べ物も近くにおいて来たし、気にしないでくれって。起こさないでいてくれた方が助かるってさ」
 タイキは相変わらず呑気だ。彼はショウマと同室であった。あいつ、気にしすぎ何だよな、と呟いた。
「ユキノは一緒に来ていた。けど、......いないな。おい、スマルト」
「あ、お前それ反則だから......、え? 俺?」
 スマルトに水をかけようとしたオペラも振り返る。
「ユキノ知らないか」
 二人は辺りを見渡すが、
「知らなーい」
 それを聞いて、ヨルが二人に批難の声をあげた。
「ちょっと酷い。ほんのちょっと前に、ヨミ探しに行く、すぐ戻るって言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
 スマルトは目をぱちくりさせる。
「適当な返事だとは思っていたけど、やっぱり聞いてなかったのね。そう言うの、彼氏としてどうかと思う」
「まぁまぁ落ちつて」
「オペラも同罪よ。ね、K?」
 Kは真顔で頷く。
「ちょ、Kに聞くのはずるいだろ。うんとしか言わねぇじゃん」
「一票は一票よ」
 アカネはその様子に苦笑いする。とりあえず戻って来るのを待つのが良さそうだ。
「あの四人、喧嘩してたんだっけ?」
 櫻田が小さな声で尋ねた。
「喧嘩っていうほどでも......あったのかな。大したことないですよ。ヨルの作品に、オペラが軽い気持ちで突っ込んだんですよね」
「作品?」
「ヨル、絵を描くんです。しかもその絵の中でも、ヨルの思想と言うか、価値観に近いところを茶化しちゃったものだから」
「オペラも何も考えてないわけではなかったよ。最初の言い方はよくなかったけれど。オペラの価値観と合わなかっただけだ」
 タイキも苦笑いしながら言う。
 西山は目の前でまだ言い合っている四人......、Kは見ているだけだから三人を見る。なるほど、想像できる。喧嘩のような、でもそれが四人の距離感なのだろう。
「その時は今より酷くて、大変だったんですよ」
「僕にはそれも、仲良さげに見えるけどね」
 櫻田は微笑んだ。
「価値観について語れるだなんていいじゃないか」
「その言い争いが案外子供っぽいですけどね」
 見た目は大人にほど近くなったとしても、まだ残っているのだろう。礼儀正し苦とも大学生、まだ社会の本当の荒波に飲まれる前なのだ。
「あ。ユキノ」
 ユキノは案外すぐに帰って来たようだ。綾瀬は何事もなかったことに安堵する。
「ヨミ探しに行ってたんだって?」
「うん。心配で......」
 ヨミが計画的に姿を消したことを知らないユキノは、相当に心配しているようだ。無理もない。
「あんまり遠くに行ったら帰ってこれないと思って、ここあたりしか探さなかったんだけど」
「山荘のあたりとか?」
 アカネは準備中に戻って来たときのことを考えているのだろう。
「いや、そこまで登らなかったよ。でもね、無事だった」
「え?」
「ヨミいたよ。大丈夫だから、楽しんでいてって。内緒だよって。どうして帰ってこないのって言っても、答えてくれなくて」
 ユキノは複雑な表情を見せる。
「無事でよかったけど......」
「そうか、なら安心した」
 ある程度、鉢合わせてしまうことは確率としてそう低くない。アカネは、これでユキノが勝手に何処かへ行かなくなるかな、と安堵する。

 BBQは騒がしいものだった。釣り上げた魚を巡ってはまた喧嘩し、肉の焼具合にやたら拘ったりする。途中様々なアクシデントはあったものの、忘れてしまいそうなほど鮮やかに映る。色々な人の手に渡りながら、カメラはそれを収めて回った。
「綾瀬」
 残り火を見つめながら、櫻田が言う。
 二人はメンバーと少し距離をおいて、眺めていた。
「そっちはどうだった」
「ヨミは無事。肝試しの際に脅かす役としてアクセントを加える予定だった。おそらく、幹事三人は把握。朝イレギュラーによって戻るに戻れなくなり、そのまま離脱したらしい。イレギュラーの詳細は不明だが、顔色良好、顕著な汚れや怪我はない。隠遁場所は滝場の裏、アカネはこれを把握していなかった」
「なるほどねぇ。杞憂でよかったよ」
 櫻田は満足そうに頷いた。が、少し訝しげである。
 綾瀬はあえてそこに触れなかった。
「こっちはいいこと聞いたんだ。去年このキャンプで起こったトラブルなんだけどさ」
「ほう」
「やっぱり、ユキノは情報を持っていた。ヨミには妹がいて、その子も元々メンバーの一人だったらしい」
 妹。
 妹が死んだ原因を、探して欲しいという依頼。
「で、去年の肝試しの時に、妹さんはヨルと一緒に回ったんだけどね。その時に、何かを諦めろとか、やめておいた方がいいとか言い合ってたらしいんだよね。Kはこっそり二人の後をつけていて、妹さんが一人のタイミングでまた問い詰めると」
「はぁ」
「Kはヨルの希望通りに進める為に。半分脅しだったらしい。で、この話を脅かす役だったスマルトが聞いていて、ユキノに流れたと」
「ロクでもないな」
「僕はどうせ色恋沙汰と踏んだ。この辺の話、スマルトとユキノは触れたがらないだろう。特に相手がヨルだと分が悪い」
「加えてそこの関係はヨルの言葉から現在も交際が続いていると見ていいな」
 綾瀬は息を漏らす。
 今まで妹の話が全く出てこなかったので、非常に助かった。
「更にね、ここからほぼ確定できるよ。妹さん、そこから姿を見せなくなったとさ。これに関してヨミは全く話そうとしない。何なら、怒ったりするもんだから、その話題はしてはいけないと言う暗黙のルールみたいなものができたらしい。ショックだったんだろう、とユキノは同情していた」
 ほぼ、決まりだ。
 やっとスタートラインに立てた気がする。
「でもさぁ、言い争っただけじゃない?」
「まぁ、それはそうだが」
「そんなに繊細だったのだね」
 どこか掴み所のない、身のこなしの軽いヨミを思い出す。
 その横で、櫻田は伸びをした。
「うーん、依頼の内容としてはもうちょっと物足りないんだよねえ」
 その言葉に、綾瀬は頷く。
 これだけだとは全く思えない。
 そして何より、依頼主の考えていることが読めない。このまま調査を進めた結果を、伝えていいものなのか。
「同感だな」
「ま、スマルトに情報取りたいけど、厳しいしさ。詮索して欲しく無さそうだったんだよね。まあ、確定できたのはありがたいんだけど」
「そうだな」
 とりあえず、ここまでだろう。
「それなら......」
「そう。肝試し、楽しみだね」
 発端が本当に肝試しなら。きっと何かが動くだろう。
 櫻田の微笑みに、綾瀬はため息で返した。
 既にもう、陽は落ちかけていた。

続く



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