例えば、坂道を転がり落ちる石のように

五十嵐琥珀



※このエッセイでは、個人的に推しの名前を出したくなかったため、推しの名前は一切出しません。本当に好き勝手書いていますのでご了承ください。



ほんの小さな愛語り
       二〇二〇年九月二五日

 最近、好きな人ができました。好きな人、といっても別に付き合いたいわけではありません。とある俳優のファンになっちゃったのです。まあ、世でいう「推し」です。少しだけ、語らせてください。
 まず、顔がいいです。第一印象は真面目で落ち着いた風貌のお兄さん。ぱっちりとした目が印象的です。見た目は三十代といっても通用しますが、実年齢は四十代半ば。我々は彼の若さの秘密を日々考察していますが、結論いまだ見えず。それにも関わらず、本人は自分の顔の良さに気が付いていない模様。少しは自覚した方がいいのになぁ。
 顔に加え、非常に表情豊か。何かいいことがあればすぐに満面の笑みを浮かべます。それはもうくしゃっと笑います。彼の笑顔は国宝級といっても過言ではありません。逆になにか失敗してしまったらすぐにしょぼくれます。この姿を見てしまえば、全人類彼を慰めたい衝動に駆られます。少なくとも私は美味しいお菓子を一万円分買って献上するでしょう。
 顔だけでなく、体もすごいです。特に胸筋と腹筋。一言で言うと「バキバキ」。胸筋はがっしりしているし、腹筋に至っては綺麗に六つに分かれています。つい最近もドラマで肉体美を披露し私は奇声をあげました。もう一度言います。彼は四十代半ばです。
 さらに、彼はとても多才です。基本的になんでもできます。歌を歌えばもはや本職。ロック調の曲もバラードも歌えます。ピアノ・ギターも弾けます。確か一回だけドラムを叩いていた記憶があります。いつだったか脚本も書いていたそうです(これはほかのファンが教えてくださいました)。トークも上手ですし、家事も完璧にこなします。
 声のことを忘れていました。彼の声はとても美しいのです。ありていに言えばイケボ。そしてよく通ります。形容するのは難しいのですが、とにかく印象に残る声です。彼の声の良さは万人が認めているのか、ある番組ではナレーションを担当しています。私はそれを見るのを楽しみに生きているようなものです。
 それから、本職の俳優業について書かないといけません。彼は優しくて頼れる先輩役から裏で様々な悪事をたくらむ悪役まで幅広く演じることができます。特に私が好きなのは絶叫する演技と泣く演技。素の彼は絶対にそんなことをしないので、そのギャップがたまりません。様々なドラマや映画、舞台に出ているため、まだ出演作すべてを見ていません。もっとたくさん見たいものです。できるならば、彼の出ている舞台を見に行きたい。生で彼の演技を見たいのです。
 彼の活躍は俳優業だけに留まりません。バラエティーではまた違う角度から彼の良さを知ることができます。なんと彼、若い時からバラエティー番組にレギュラーで出ています。当時、リアルタイムで彼の姿を見ていた人が羨ましい。ちなみに、その番組はDVD化されているほか、まとめ動画は大量に動画サイトにあげられています。そのため、その気になれば、ほんのわずかではありますが、若かりし頃の推しが拝めます。では、彼はどんなことをしていたのか? 基本的にはものすごく無茶をしています。ここではあまり書けませんが、タバスコは序の口、とだけ言っておきましょうか。イケメンが、俳優がする仕事ではないのに、それでも頑張って、バカ騒ぎをしている姿は素晴らしいの一言。そんな彼は、今もレギュラーでバラエティー番組に出ています。昔の様に無茶なことはできませんが、それでも変わらずに面白い。いや、面白いだけを強調してもいけない。私としては、楽しそうにしている姿を見るだけで幸せなのです。
 そして、漫画やアニメを愛するオタクです。全然そんなものに興味なさそうな顔をしているのに、好きな作品の話になればキラキラとした笑顔になります。そして饒舌に語りだします。いつだったか、彼がこんなことを語っていました。「本当に好きなものには易々と近づけない」と。素晴らしい。私と同じことを考えている。少なくともオタクである私も、貴方に対して同じことを考えています。
 色々な推しを見てきたのですが、彼の変遷も魅力です。昔の彼は少し子供っぽいところが目立っています。とてもやんちゃ。声も心なしかハスキーな感じがします。今の彼は、結婚して子供も産まれたからか落ち着いた雰囲気になり、色気が増しました。どちらも素敵。
 非常に家族思い・意外にツッコミが上手など、他にもまだまだ好きなところはあるのですが、推しのことを考えるだけで頭が混乱しそうなので、ここで終わらせておきます。
 できれば彼のことを好きになってくれる同士が現れることを、私は祈ります。







 いや、どうしてこうなった? まあいいか。














推しと日常と見つからない一転機
       二〇二〇年八月一九日

 人間だれしも持っているものに、「愛」と「欲望」がある。もちろん、私も例外ではなかった。
 ご飯を食べて、勉強して、バイトをして、掃除洗濯などをして日々を過ごす。これだけでも生きていこうと思えば生きていける。だけど何か物足りない。例えば、スパイスみたいなものが。
 そこで登場するのが二次元である。私は漫画・アニメ・ゲームが好きだ。いや、「推し(簡単に言うと好きなキャラクター)」を愛でるのが好きだ。彼らは、存在そのものがエネルギーなのだ。彼らなくしては私は亡霊のようにぼーっとしながら日々を無気力に送っていたことだろう。
 「推し」が好きだ。漫画が見たい。アニメが見たい。「推し」のグッズが欲しい。あわよくばフィギュアが欲しい。推しに貢ぐためのお金が欲しい。でもアルバイトめんどくさい。でもグッズは欲しい。こんな「愛」と「欲望」によって、つまらない日常はこんな感じに彩られる。
 朝、起床して身支度を整える。朝食を作っている間にツイッターを見る。推しのファンアートや二次創作を見る。気に入ったものがあったらいいねする。ご飯を食べたら片づけをして、着替えやメイク。一息付くために、イラスト投稿サイトで推しの絵を探してみる。勉強や卒業論文に取り組む。ツイッターで推しの萌え語りを見る。そしていいねを押す。昼食を食べたあと、少しうとうとしながらアニメを観て、漫画を読む。また色々と用事を済ませる。バイトのある日はバイトに行ってお金を稼ぐ。推しのことを考える。ご飯・お風呂を済ませ、明日の準備をする。ベッドに寝転がりゲームをする。友人と電話する。眠くなってきたら寝る。
 今までは、こんな幸せな人生を送っていた。



 そんなある日、突然、推しができた。二次元ではない。三次元にだ。しかも、一目惚れではない。前々から知っている人物だった。昨日までなんともなかったのに、今日は彼のことを考えるだけでドキドキしてしまう。なぜだ? なぜ推しは推しになったんだ? 

 この問題は数年に一度あるかないかクラスの難問となった。この問題を考えるにあたり、私は今までのことを思い出す羽目になった。狭い部屋の中をぐるぐると回り続け、椅子に座って考える人と化した。そのおかげか、私は彼との出会いを「心当たり」程度ではあるが思い出すことができた。二年ほど前に、友人に見せてもらった動画だ。急いで動画を確認する。推しは、あいつは確かにそこにいた。
 しかし、当時の記憶に彼の姿はまったく残っていない。残っているのは、顔が二倍近く伸びている大泉洋だけなのだ。正確に言うならば、とある番組の肝試し企画にてお化けに遭遇してしまい、絶叫しながら逃げ惑う大泉洋だった。
 命からがらスタート地点に帰ってきた彼を、ある者は笑い、ある者はヤジを飛ばし、ある者は震え、ある者は呆れかえった。その中に、推しがいた。彼は、たまにヤジを飛ばしつつ、静かに震えながら自分の順番を待っていたのだ。
 二年前のあの日、彼のことは全く眼中になかったのだろう。無理もない。出演者の大半の顔と名前と声とキャラが一致しない状況で、唯一知っていた大泉洋に注意が向くのは当然だ。
 「推しとの出会い」という手掛かりをひとつ掴み、難事件解決に一歩前進した。私はベッドに寝転がり、動画巡回をしながら、その後のことを必死に思い出す。

 確か、その後しばらくはその動画のことを忘れ、日常を送っていた。しかし、半年ほど経ったころ、なぜかその動画のことを思い出した。探しまわった末に動画を見つけ、再び大泉洋で笑い、前回は笑わなかったほかの人たちにも笑わされた。「何かこいつら面白かったな」と番組というより出演者に興味をもったのはこれがきっかけ。その後は、同番組の動画を探し、笑い、元気をもらっていた。しかし、この段階では推しのことは一ミリも興味がなかった。では、彼のことをどうして推してしまったのか? 次の問題はそこにあった。これがわかればすべてが解決する。

   思い出せない。どこで底なし沼に足を入れてしまったのかがわからない。どれだけ記憶の隅をつついてもきっかけが見つからない。いや、そもそも好きになったのはさっきだろう馬鹿! さっさと見つけろと脳内の私が叫んで暴れている。取り合えずベッドから降り、もう一度ダイブして無理やり落ち着かせた。
 昨日は何をしていた? まず、いつも通りツイッターを見て「あいつは可愛くて尊い!」とか言った。相手は好きな漫画の主人公。まごうことなき二次元。それから、暇だったから動画を見て笑った。推しが出ているものだ。それを見ても、特に好きとは思わなかった。それしか覚えていない。明らかに謎である。どうしよう。
 
 考えるだけではらちが明かない。そう判断した私は、一つの決断をした。推しを教えてくれた友人、コウさんに連絡しよう。彼は、私がオタクであることだけでなく、今までの推しを何人か知っている。当然、私が二次元好きなことも。
 電話のコール音が鳴り響く。一回鳴るごとに、コウさんに念を送る。お前が布教したんだろ、責任取れと。そんな心の声を知らずに、三コール目でコウさんは電話に出た。早速本題に入る。
「ねえ推しできたんやけど」
「誰? アニメ? ゲーム?」
「違う違う。あいつだよ、あいつ」
「誰?」
 名前を言うと、彼はえっと驚きの声をあげた。
「まじで......?」
「そうだよ。冗談抜きで困ってる」
「大丈夫かい?」
「今は別に平気だけど......。大嫌いなんだよね、彼」
「嫌いなのに推しになったのかい?」
「うん」
「それはもう好きなのでは?」
「馬鹿!!!!!!!!!!!!!!!」
「ごめん」
「いいよ」
「そういえばさ、この間テレビつけたら大泉洋がいて  」
 一時間ほどやり取りを続け、今度一緒に会おうという約束をして電話を切った。途中で喧嘩にならなくてよかった。そんなことで喧嘩はよくない。怒鳴ってごめんなさい、コウさん。
 事件の解決はまだ先になりそうだけど、気にしすぎてもしょうがない。
 私は本棚から漫画を取り出して読んだ。久々にドラクエしようかな、なんて思いながら。

ゼット軸の差
       二〇二〇年八月二十日
 何度でもいう。私は二次元命の人間だった。付け加えると、二次元にしか「推し」ができない人間のはずだった。
 小学校六年生で二次元のキャラに恋をしたのがそもそもの始まり。中学三年生で中二病も発症し、様々な漫画やアニメ・ゲームに夢中になること約十年。歴代の推しも片手では数えられないほどになってしまった。一人一人紹介していったら丸一日かかるだろう。そんな私の家の中には大量の漫画、ゲーム機三台、ゲームソフト二十本、攻略本十冊弱、大量の同人誌、無数の推しキャラグッズがこっそりと、もしくは堂々と置かれている。筋金入りの「オタク」と胸を張って言える。
 そんな中、彼はふらりと、空気も読まず、突如として私の前に降臨した。三次元の人間が、始めて私の生活に入ってきたのだ。今までは決して入ってこなかった聖域に。これは偉業としか言いようがない。
 
 では、なぜ三次元の人間が入ってこられなかったのか。主には、負の側面が強いと感じてしまっていたからだろう。
 生身の人間は年を取る。それが怖い。年を取ると、相応の貫禄が出てきてということはある。しかし、その姿を見ていると、「死」が少しずつ近づいてきているように感じてしまうのだ。これは私の考えがおかしいだけである。
 それだけでなく、不祥事・事件を起こしてしまうかもしれない。実際に芸能人の訃報や逮捕、芸能界引退のニュースに嘆き悲しむファンを何人も見てきた。その姿を見るたびに、悲しい気持ちになった。推しがいきなり死んだり引退したりしてしまうと思うと、耐えられない。私はアイドルや俳優を推す方々を尊敬しつつ、自分とは一生関わることのない世界だろうと思っていた。
 まあ、三次元に推しができたこと自体に問題はない。問題なのは、推しが推しであることである。

 二次元と三次元の間には、好みの違いという問題がまたがっている。「推しと好みのタイプは別」という言葉があるように、二次元での好みがそのまま三次元に適応されるわけではない。私はそこで躓いた。例えば、こういう人間がいたとしよう。
 とても子供っぽい。怖がりでビビり。すぐにダダをこねるし落ち込む。頑張っているシーンも多いが、あんまり報われてない。遅刻、忘れ物、逆ギレの常習犯で、中二病。銃や刀を見ると我を忘れて飛びつく。自論を押し付けるから面倒くさいし鬱陶しい。好きなものの話になると止まらない。反省しても翌日には忘れる。ただし顔はいい四十代半ばのおっさん。
 これが推しである。
 こういうキャラクターがアニメや漫画にいたとして、別に何とも思わない。こういうキャラもいるんだなー、くらいで済む。大体、周りを見ても「人を殺すのが性癖のイケメン」「サイコパス」が推しの方々がたくさんいる。二次元においては、推しの性格がよくないことなんて多々ある。実際歴代の推しにも「人類を絶対滅ぼしたいボス」とかいるし。彼と比べれば大したことはない。
 では、こういう人が実在するとして、お近づきになりたいだろうか? 少なくとも、私は近くにいてほしくない。人間的にダメ。性格に難がありすぎる。友達のお父さんでぎりぎり許せるくらいだ。ましてや、好きなタイプになるわけがない。

 ......なかったはずなのに。
 二次元を愛で続ける日々は、こんな男によって破壊された。
 ずけずけと人の人生に入り込みやがって。
 二次元に浸る安穏とした日々を返せ。
 何度だって言ってやる。お前のことなんて大嫌いだ。

バラエティーのあいつ
       二〇二〇年八月二二日
 私は、いつものように動画巡回をしていた。なんとなく推しの出ている動画を見る。公式が出している、バラエティー番組の予告だった。
 先にも述べたように、推しとの出会いはバラエティーだった。
 バラエティーに俳優・女優が出ることは珍しくない。それはいい。バラエティーで、ドラマや映画の宣伝をすることはよくある。YouTubeやニコニコ動画といった動画サイトに芸能人のまとめ動画がある。それもよくあることだ(著作権的にはアウトだろうが)。名場面・爆笑場面を残しておきたい気持ちはわかる。ただし、私の推しになると話はぐんと変わってくる。
 まず、彼はバラエティーにレギュラーで出演している。それだけならいい。バラエティーは芸人限定の場ではないからだ。面白ければどんな人を出したっていい。そして、その様子をまとめた動画も出ている。大体の芸能人の場合、動画サイトで検索したら上から五番目までにはそういう動画があったりする。特に珍しいことではない。
 問題は、バラエティーにおいて結構な割合でやらかし、動画にまとめられてしまっていることにある。例を挙げると、肝試しの最中に無になる(本当に「無」と化した)、辛い物を食べて固まった末によだれをたらす、番組に遅刻して反省会が行われる、怒られて逆ギレする、スタッフの私物を壊す、などなど。私ですら十秒でこれだけ浮かぶし、どれも動画にまとめられている(再生しなくてもサムネイルでわかるのだ)。
 これらの失態・醜態・ポンコツシーン、人間的にあり得ない言動は有志によりまとめ動画にされ、挙句の果てにはMADまで作られ、今でも広い広いネットの海を漂っている。コウさんとたまたま知り合い、仲良くなっていなければ、広大な海の中で巡り合わずにすんだのだろうか。多分そうだろう。きっと、そっちのほうが幸せだった気がする。
 私は動画の中の彼を見ていて思う。
 どうしてお前のことを推してしまったのか、と。
 私は現実逃避をするためにと関連動画を再生した。ひとまずはあの(・・)人(・)で落ち着こう。
「推し」と「好きな人」の違い

       二〇二〇年八月二八日
 色々あってなかなか会えなかったコウさんと、久々に会えた。あの時の電話から、一週間は経っていただろうか。お互いの近況を話すうちに、話題はいつしか私の推しの話になっていった。
「最近推しとかの動画を漁っているんだけどさ」
「へえ」
「大泉洋の好感度がストップ高になった」
「なんで?」
「いやぁ、歌上手いなあ、洋ちゃん」
「話を聞け!」
「なんの話だっけ」
「なんで推しの動画を見ていたら大泉洋の好感度が高くなってるの?」
「単純接触効果だと思う」
 単純接触効果とは、何度も接触していると、好感度が高くなり、印象にも残りやすくなる効果のことである。
「だーかーらー、推しの動画を見てるって言ってたでしょ、ハクちゃん。なんで大泉洋の話に......あ」
 コウさんは何かを察したようだ。流石大ファン。
「関連動画に出てくるから、つい見ちゃう」
「だよね......」
 あろうことか、私の「推し」とコウさんの「推し」は仲の良い友人だった。これは双方のファンが知っている事実だ。番組でも結構な頻度で共演している。私が最初に推しのことを知ったバラエティーでもそうだった。動画サイトでも、仲がよさそうな二人の様子がまとめられている。
 このような事情から、推しの動画を一度見ると、高確率で大泉洋が関連動画に出てくるのである。それを一度見ようものなら、ますます関連動画に彼が出てくる、興味をもって見てしまう、というスパイラルが発生してしまうのだ。
「ちなみに推しの好感度は......?」
「一ミリも変わってない」
「えーーーー!!!!」
 彼は、モノマネも歌もダンスもクオリティが高い。最近は料理もできる。大体なんでもできる。トークも面白い。それでいて謙虚で、実は結構繊細。あまりに魅力的でついつい見てしまう。推しの動画も見てるんだけどね。好感度は推しの十倍はある。しかし、おかしい。何かがおかしい。そのことをはっきりと言語化したのは、コウさんだった。
「じゃ、じゃあ、彼は推しなのかい?」
 一瞬沈黙が訪れた。
 洋ちゃんのことは「好き」だけどは「推し」ではない。そもそも「推し」の定義は何なんだ? 「好き」はlike、「愛してる」はlove、でも「推し」はその二つとは少し違うような気がする。私は違うなぁ、と答えた。
 しかし、コウさんは大泉洋のファンである。いや、ガチ勢と言っても許される。仲良くなってすぐに、かれこれ五年はファンだと聞いたことがある。出演しているドラマやバラエティーについてはかなり詳しい。彼の執筆したエッセイ集も持っている。それくらいの熱意を持っている人だ。こんなこと言ったら怒られるかもしれない。かつて、そういう人に出くわしてしまい、ひどい目に遭ったことがある。
 しかし、そんな心配は無用だった。
「そうか」
 彼はただ一言そう言っただけだった。私はほっと溜息をついた。
「そういえば、水曜どうでしょうはどれくらい見たっけ?」
 コウさんは話題を変えた。彼の好きな番組だ。大泉洋がレギュラー出演しており、私も何回かコウさんと見たことがある。私は、見たことある場面を二、三個あげた。あんまり見たことがないなぁ。名シーン・名台詞百個はあげられそうなコウさんとは大違いだ。ずいぶん楽しそうだ。
「じゃあ、今度見ようか」
「いいよ」
 こうして、一週間後に観賞会が行われることになった。
家に帰って、意味もなくゴロンとベッドに横たわった。私、最近楽しくない気がする。そして、コウさんとの会話を思い出し、ぼんやりと考えた。

 「推し」とは一体何なのか。

観賞会と第二回推し会談
       二〇二〇年九月四日
 予定通り行わた、水曜どうでしょう観賞会。内容は、最初期の企画であるサイコロの旅。ひたすらサイコロを振り続け、深夜バスや電車で移動し、どうでもいい話をしながらゴールを目指す姿は、笑いを誘うのに十分だった。コウさんは場面ごとに詳しい解説をしてくれたおかげで、退屈はしなかった。それに、彼の目はキラキラ輝いていたのだ。本当に楽しそうにはしゃいでいた。
 三十分しかないはずなのに、終わるころには笑い疲れて床に転がった。その状態で、コウさんと二人で話し合いが行われた。「第二回推し会談」である。なぜ二回目なのかというと、一回目より響きが良かったからだ。開始時間は夜の十時、眠気が襲いつつあった。
「コウさんはさ」
「ん?」
「大泉洋が好きになったのはどうしてなの?」
 好きになったきっかけ。それは、地味に気になっていたことだった。コウさんと知り合って三年。「大泉洋、好きなんだよね」「この顔見てよ。やばくない?」「このドラマに彼が出てるんだけど見て!」と、彼はちょくちょく大泉洋のことを語っている。しかし、一度もきっかけを聞いたことがない。
 彼はあっさり答えた。
「実は、郷里で水曜どうでしょうが放送されてたんだ。姉も結構はまってたから色々教えてもらって。そこから、かな」
 案外普通の理由だった。他人から教えてもらって興味をもち、そこから好きでい続けているんだ。よくよく考えてみると、私も同じだった。推しのことをコウさんから教えてもらい、そこからハマる。もしかしたら、もう少しで何か掴めるかもしれない。
「二年ほど前でしたよね? 彼を始めて見たのは」
 なぜか敬語で尋ねられた。インタビュアーか、貴方は。いや、確かにその通りだ。彼との出会いは二年前、貴方が見せてくれた動画がきっかけだった。
「そうですね。正直、彼は印象薄かったですね。すべて大泉洋に持っていかれましたから」
 私も敬語で返す。もはや、会議ではなくインタビューと化していた。
「そのほかにも様々な回を見せた記憶はありますが、彼の印象はどう変わりましたか?」
「そうですね。それでもぴんときません。強いて言うならば、奇人変人びっくり人間の中にいる顔のいい一般人ですね。しかも最初の方は推し以外の顔と名前とキャラを覚えることに集中していたので、ますますそう感じたのかもしれません」
「だからあまりピンとこない顔をしていたのか」
「でも、冷静に考えたら、奇人変人びっくり人間の中にいて平然としている時点で一般人ではないということに気が付いた。番組内容も......あれでしたし」
「あぁ......」
 彼は、今までどんな目に遭ったのだろうか。少し思い出してみた。辛い・苦いは当たり前、ちょくちょく登場する蛇・サソリ(当然毒あり)等の危険動物、熱湯風呂、容赦ないドッキリ、リバース、挙句の果ての事故......。変なコスプレしたり全裸になったり変顔したりもしたけれど、それは日常茶飯事。そんなのをカウントしていたらキリがない。彼のことがかわいそうに思えてきた。よくやってきたよ、本当に。
 彼の苦労を考えていて、思った。私、彼のこと好きなんだろうか。それとも本当に嫌いなんだろうか。なんだか変な気分だ。
 いや、なんか甘やかしている気がする。あいつは人間的に結構難ありの男だぞ。
「あいつ、知れば知るほど嫌な奴だよ」
 私は言ってやった。コウさんには聞こえていないはずだ。

二次元回帰
       二〇二〇年九月六日
 本格的にまずいと思った。スマホの検索履歴が、推しの名前で埋め尽くされているのだ。嫌いな相手の名前を調べるなんて、相当の重病だ。早く何とかしなければ。
 私は、漫画を読むことを決意した。漫画の中にも「推し」はいる。
 本棚から漫画を取り出す。カバーが妙に冷たく感じる。漫画なんて、何年も読んでいないような気がした。表紙のキャラを見ても、そこまで心がときめかない自分に気づいた。ゴロンと床に寝転がって、ページをぺらぺらめくる。
 ......全然興奮しない。今までは東奔西走する推しを見て、人間とは思えない奇声をあげながら萌えていたのに。なんなら一月前までは毎日のように妄想ツイート・ファンアート巡回をしていたではないか。同人誌も買ったではないか。
 うん、取り合えずお前のせいだな。推しよ。お前は嫌いだ。
 さて、もう一度動画巡回をするとしよう。推しよ、お前のことをお見舞いしてやるぞ。

待ち受けのあいつ
       二〇二〇年九月七日
 最近、推しついて、様々な情報を集めるようになった。動画では主に醜態や出演作を、SNSでは推しの出ているおすすめ作品や写真を、そして公式サイトでは彼の半生を。
 そんな中で、興味深い話を見つけた。「彼を携帯の待ち受けにすると、いいことが起こるらしい」というものだ。詳しい原理は推しの名誉のために伏せておくが、とにかくいいことがあるらしい。実際、効果が出た人もいるようだ。
 これはぜひ試してみるべきだろう。嫌いな人物を待ち受けにさえしておけば、こちらにいいことがあるのだ。やらない理由はない。私はコウさんに頭を下げ、二人で待ち受けにピッタリの写真を探すことにした。コウさんは仕事が早く、早速写真を大量に見つけていた。有能な助手のおかげで、私はそれを審査すればいいだけである。
「これは?」
「幼いときは論外。ボツ」
「じゃあこれは?」
「んー」
「ファンはこの写真みんな持ってるらしいよ」
「知ってる。ひとまず保存だけしておこう」
「よし、じゃあ次」
「個人的に前髪ある方がイケメンなんだよなあ。保留」
「これは?」
「大泉洋とのツーショットやん! これ保存しとく」
「これは?」
「えーっと、保存」
 約三十分かけて、十四枚を保存し、そこからゆっくりと選ぶことになった。選ぶ前に、写真を二枚追加で保存した。あくまで待ち受けにピッタリな写真候補を追加で選んだだけであり、別に彼のことが好きなわけではない。最終的には、なんかすごくかっこいい写真を選んだ。横顔の美しさと、彼の日常を切り取ったかのような雰囲気が決め手だった。これなら小さないいことが起こること間違いなしだ。
 この翌日、待ち受けの話には続きがあることを知った。
「いいことが起こるだけじゃなくて、その分だけ不幸が彼の身に訪れる」
 ......本当に申し訳ないが、彼は知らない間に犠牲になってしまった。彼の不幸を祈るほど、私はクズな人間ではない。けれども、待ち受けを変えるつもりはない。すまない、推しよ。

 ......この三日後、カギをなくし一時間半ほど探し回ることになるのだが、本筋には関係ないため、この話は割愛する。

ドラマのあいつ
 二〇二〇年九月八日
 きっかけはささいな一言だった。
「そういえば、推しがどんなドラマに出ているか知らないなぁ」
 私は、彼のことをバラエティーで知った。ニコニコ動画で調べても、ユーチューブで調べても大体出てくるのはバラエティーで醜態を晒している姿である。ドラマ・映画・舞台の宣伝はよく探さないと出てこない。しかし、彼の本職は俳優である。それなのに俳優としての彼を全く知らない。なんかおかしくないか、私。
 それに対し、コウさんは一つの提案をした。
「最近ドラマとかに結構出てるからDVDで見たら?」
「そうする!」
 別に彼のことは好きではない。しかし、私はあまりドラマを見ずに育ってきた。ドラマというものがどんな感じのものなのか気になっている。もう少し新たな世界を広げ、成長していくべきだ。
 我々は彼の出ているドラマを調べ、見たいものをリストアップすることに決めた。どうやら、彼の出演作ははどれも純粋に面白そうだったり、話題になったりしているものばかり。普通に楽しめそうである。私は第一候補のラブコメの公式サイトを見せた。
「彼が出ているラブコメが見たいです。まともなイケメンとして出てきます」
 私が真っ先に手をあげて発言した。コウさんも賛成し、最初に見るドラマにあっさり決まった。次はコウさんが一作のドラマを紹介してくれた。
「こっちはヒューマンドラマだね。妄想癖の変態役。ついでに大泉洋も出てる」
「これも今度見よう。そんでね、これは? ミステリーもの。結構コメディーで面白いらしいよ」
 話は盛り上がりに盛り上がり、早速レンタルショップへと向かった。目指す棚はドラマ、目標はラブコメ。

 DVDを丁寧にプレイヤーに入れ、震える手で再生ボタンをゆっくり押した。彼は一体、どんな演技をするんだ? 興味と若干の緊張があった。
 主人公が登場し、そのほかのメインキャラも続々と登場する中、推し演じるイケメンも姿を見せる。緊張がピークに達した。さっきまで「この人かっこいい」「こいつ苦手」と言っていたコウさんも、全く喋らなくなった。貴方は緊張しなくていいと思うんだ。
 そこにいる彼は、「推し」ではなかった。姿かたちは推しそのものだ。しかし、普段(主にバラエティー)とは表情もしぐさも喋り方も全く違う。少しでも気を抜いたら、推しとは認識できないほどだった。やっぱりアンタは俳優だったんだね。流石としか言いようがなかった。
 話はつつがなく進み、ラブコメディーの名に恥じぬドタバタでドキドキな展開に、すぐに私は引き込まれていった。一方のコウさんは、推しの一挙手一投足に集中し、様々なコメントを残した。
「この叫び声はコレクションのプラモデルを壊された時のやつ」
「これは、迷惑かけて謝罪しているときの声」
「これは......あれだね。寝起きでテンションダダ下がりの顔」
 頼むからちゃんと見てくれ、コウさん。私はコウさんをにらみつけた。彼はバツが悪そうにうなだれた。
 推しがピアノの演奏をしているシーンが流れる。少しもの悲しい雰囲気で、見ている方の心が締め付けらた。しかし、何かに気づいたのだろうか。コウさんはわずかに首をかしげた。
「本人演奏じゃないんだね」
 コウさんがDVDを一時停止する。テレビに映っている手をじっくりと観察し、「やっぱり」とつぶやいた。
「やっぱり別人だ」
「わかるんだ」
「肌の色とかが微妙に違うね。彼、ピアノいけたはずなのに」
「どこ情報!?」
 私は叫んだ。そんなの、ウィキペディアに書いていなかった。
「確かどっかで言ってたのよ。いろいろドジした末にピアノで弾き語りして事務所の社長に怒られたって」
「知らないよそんなの!!!!!!!!!」
 有志の方よ、ぜひウィキペディアに追加をお願いします。いきなり新情報を知らされても、脳内処理が追い付かないです。あらかじめ知っておきたかった。コウさんは私の魂の叫びには耳を傾けず、リモコンの再生ボタンを押した。

 私は思い知らされた。推しの顔と声はかなりいい部類に入るということを。
 劇中の彼は、お人好しなただのイケメンだった。性格のいいイケメンは、ただのイケメンである。そんな人間が笑ったり泣いたり、たまにアンニュイな表情を浮かべるだけで胸が苦しくなる。これは恋なのだろうか? ラブコメ特有の告白シーンは、悶絶ものだった。声が良すぎる。地声がいい。もはや反則だ。私は床をごろごろ転がりながら、時折奇声をあげた。喉が痛い。転がっているときにぶつけた頭も痛い。そんな私を落ち着かせてくれようとしたのか、コウさんは時折、飲み物を入れてくれた。
 物語も後半に差し掛かった頃、事件が起きた。彼のシャワーシーンがあったのだ。そこに映っていたのは綺麗に割れた腹筋と鍛え上げられた胸筋だった。
 部屋中に悲鳴が響いた。喉が痛い。
 紆余曲折を経て、物語はハッピーエンドを迎えた。物語のラストに、幸せそうに笑う推しを見ているとなぜか涙が出てきた。
 時間が許せば、ほかの作品も見たい。俳優としてはかなりいい人だということを実感した。

私なら大丈夫
    二〇二〇年九月十日
 コウさんが、最近そわそわしているように思う。どうしたのかと尋ねると、
「君の様子がおかしい」
 と言われた。曰く、ぼんやりしている時間が増えたり、くるくる回りだしたりしているのが気になっているそうだ。コウさんはじっと私の方を見ている。
「どうせずっと推しのことを考えているんじゃないかい?」
 ずっとじゃないよ。一日十時間くらい。少し心配症が過ぎるのではないか? コウさんは心配そうな顔をしていたが、そんな心配するなといってやりたい。
 コウさんはスマホのロック画面を見て尋ねた。
「結局、推しのことは嫌いなのかい?」
「当たり前じゃない。だって色々最悪。遅刻忘れ物二日酔いはするわ言い訳するし逆ギレするわでしょ。反省してもその日限りだし、無駄にテンション高くてうざったいし、四十代なのに精神年齢十歳で今でもアホなことしてるし、何かしたら大体やらかすし、一度暴走したら止まらないし、たまに馬鹿になるし!!! 私はさ、もっと大人っぽい人が好みなの! そもそも私は二・次・元・命だったのにあの野郎!!!!!!!!! それに  」
「一回落ち着こうか」
「うん」
「息を吸って―」
 思いっきり息を吸い込む。
「はい吐いてー」
「はー」
「落ち着いたかい?」
「だいぶね。そんでね、顔と声がよけりゃいいって思ってくれてたらまだいいけどさ。本人絶対自覚してないよねこれふざけんなって思うまじで。もう少し自分の年齢を考えて、年相応の魅力というものを......」
「ストップ、ストップ。もうやめ!」
 ドウドウと必死に落ち着かせようとするコウさんに免じ、一旦口を閉じた。コウさんは優しく言った。「一旦整理して考えよう」と。なるほど、一理ある。
「彼のこと、嫌いなんだね?」
「そうだね」
「どこが?」
「色々やらかすところとか......子供っぽいところとか」
「例えば? 君の推しは今年に入って何をした?」
「サラダの盛り付けをしていたらやぐらを作り始めました」
「それは見て笑った。ほかには?」
「サイトに、ギガスラッシュやってる写真をアップしていました。ちゃんと剣も持ってました」
「ちょっと情報細かすぎない? しかし彼がドラクエとは......」
 そうかな、と答えると彼は首を縦に振った。どっちもちゃんとサイトに載ってるよ。番組公式サイトとかファンクラブ会員限定サイトに。
 コウさんはやれやれといった感じでこう言った。
「少なくとも、人並み以上に夢中になっていると思うよ、君は」
 ......訂正しよう。私、ちょっとおかしいかもしれない。

推しが奪っていったもの
       二〇二〇年九月十一日
 三次元の推しに関し、一つ見落としていることがあった。彼は、生きている人間だったのだ。さらに言えば、ドラマや舞台で活躍する俳優だった。
 そう、彼が出演しているドラマ・舞台の総計が、二十以上あるのだ(主役級のものだけをカウントしている)。それだけでも多いのに、バラエティーやイベントのDVDも計二十本ほどあるそうだ。流石、二十年近くに渡りバラエティーで鍛えられ続けた人間である。一枚四千円と仮定すると八万円。しかも再生時間は短くて二時間半。困った。お金も時間も確実に足りない。「この作品はビジュアルがかっこいいのでぜひ」「このイベントでしかしょぼんとしている姿は見れない」「推しのやらかす姿はこのDVDが多い」と一気におすすめされても、混乱するだけだ。せめて、せめて三枚に絞ってほしい。これは、ファンでもなんでもない人間からの戯言だ。
 しかし、そんな私にはあまり使いたくない奥の手があった。中古購入だ。昔の、もう販売されていないDVDはともかく、今でも売られているDVDを安く買ってしまっていいのか。確かにお金は少ない。しかし、推しの活躍は見たい。だが推しに貢ぎたい。これはあまりにもつらい妥協案であった。
 私は相棒の自転車でリサイクルショップに向かった。目的地は家から十五分ほど。安全かつスピーディーに走る。無事故で着いたので、迷わずDVDコーナーに向かう。数は少ないものの、目的のもの自体はあった。
 店員さん、申し訳ありません。DVDコーナーの棚をうろうろする等挙動不審な行為をとってしまいました。それだけでなく、DVDの棚を荒らしてしまいました。ファンの皆様、買い占めを行ってすみませんでした。すべて推しが悪いんです。
 こうして、二次元グッズに占拠されている部屋に、舞台とバラエティーのDVDが新たに仲間入りした。しばらくは配信サイトやレンタルでドラマを見、DVD観賞会を行う日々が続くだろう。とても忙しい。全部見れる日はいつになるだろうか。
 お金の問題は解決できるが、時間の問題はどうしようもない。ゆっくりと解決していくほかはない。

×
       二〇二〇年九月十二日
 しばらく忘れていたけれど、どうして推しは推しになったのか? 私は目の前の推しに必死になりすぎて、その問題をすっかり忘れていた。寝る前に少しだけ、少しだけ考えてみよう、推しのことを。
 どうして彼のことが好きなのか。いや、何で好きとか言ってるんだ。あいつのことは嫌い、だったはずだ。あれ、何で嫌いとか言ってたんだろう。そもそも「推し」とは何なのか。今まで何の気なしに使ってきたのに気になってたまらない。そもそも何で三次元に恋をしてしまったのか。今までの推しは一体何だったのか。二次元に住みたいと思っていた私はばかなのか? 二次元とは何か? 三次元とは何か? 推しは本当にイケメンなのか? 思考がまとまらない。

 漫画もアニメもゲームも身が入らない。

××
       二〇二〇年九月十五日
 ようやく、私は一つの仮説にたどり着いた。
「私の推しは実在しない」
 これは私が見ている悪夢で、二次元にしか恋しない私を苦しめるために推しを作り出した。そして、私以外の人間はさも推しが存在しているかのようにふるまい、私をだましているんだ。そうじゃないとおかしい。右手で頬をつねるが、痛いだけで目は覚めない。これはだめだ。ぐるぐるぐるぐる延々と推しのことしか考えられない。漫画もアニメもゲームもできていない。しんどい。今日も寝れない。お前のせいだ。お前のせいだ。

 
狂想、深き沼より
       二〇二〇年九月十七日
 私は目をこすりながら、コウさんに電話を掛けた。
「推し、ほんとに存在するのかな? 自信がなくて夜すら寝れない」
 コウさんは即答した。。
「いるに決まってるじゃん。ほら、こないだのバラエティーでもさ......」
「それすら嘘に思えてくるよ」
「彼のことを信じてあげなって」
「あんな人間がいてたまるか」
 彼が三次元にいるとはどうしても考えられない。顔がいい、声がいい、ただし問題児。性格に少々難あり。そんな四十代半ばの男がこの世に存在できるのだろうか? いや、できるはずがない。普通二次元にいるはずだろう。いや、二次元でもそうはいないはずだ。そうじゃないと本当におかしい。私が三次元の人間を推しにするはずがない。
 コウさんも嘘をついているんだ。私は電話を切った。

 ベッドに寝転がる。寝たいわけではない。今までの人生を振り返りたいのだ。
 私は二次元が好きだった。暇な時間はすべてゲーム・漫画・アニメに注ぎ、推しのグッズにお金をつぎ込んできた。推しのことばかり考えてきた。約十年に渡って。
今までの推しはどうだったか。一人一人顔を思い浮かべてみる。この子は、声が可愛いから一瞬で落ちた。褐色黒髪美少女が好きになったのは確実に彼女の影響だ。表情や言動も猫みたいでとても愛らしい。この人は、ギャップ萌え。普段すごくチャラチャラしているのに、いざというときは策士と化すのは反則。あと顔がいい。このお方は精神病んでるところがドンピシャ。憂いを帯びた表情がセクシー。取り合えず人類滅ぼそうとするのだけはいただけないけれど。そしてこの子は  。
 みんなのことを考えていくうちに、思い出した。「推し」というものは、いきなりできるものだということに。
 そもそも、推しというものは人生を狂わせる存在であると思う。「好き」でも「愛してる」でもない、もっとドロドロした「何か」が根底にある気がする。人生を狂わせかねない「何か」は、まるで引力のように私を引きずりこみ、ハマらせる。英語で言うならば、「be crazy about」。
狂おしいほど愛している、だ。クレイジー、なんと危ない響きなんだ。クレイジーになるのに、理由はいるのだろうか? それに、クレイジーにさせるのは、何も二次元だけではない。事実、多くの人がアイドルや俳優に夢中になっているじゃないか。
 
 そう、彼には私を底なし沼に引きずり込む魅力があった。私はその魅力にある日突然気づき、飲み込まれてしまっただけだ。推しが推しになった理由は、それだけだ。これで十分じゃないか?
  
 彼が実在するかどうかは別問題だけど。

あっという間の存在証明
       二〇二〇年九月十七日
 運命というのはとても不思議なものた。推しの不在疑惑の最中に、一本のニュースが入ってきたのだ。どうも、インスタグラムに推しの写真が載っているとのことらしい。ツイッターを覗くと、ファンは尊さのあまり死屍累々の状態だった。しかし、肝心の写真がない。やはりインスタで見ないとだめなのか。私はインスタへと急ぐ。
「うわ実在してるわ」
 第一声はそれだった。なんと、彼はブランドの広告塔に起用されていたのだ。見るからに高そうな洋服を何着も着こなし、ポーズを決めている。顔がいい。スタイルもいい。フォーマルなものも、カジュアルなものも似合っている。一瞬別人かと思ったが、何回見ても推しの顔だし、モデルの名前も本人だ。本当にいたんだね、君。
 こうして、彼の存在はあっさりと証明された。疑ってごめん。

 なんだか、悪夢から覚めた気分だ。推しの声が聴きたくなった。

結局貴方はどんな人?
       二〇二〇年九月十八日
 推しの実在が確認出来たら、次の問題が私を待ち受けていた。彼のことをどう布教するか、だ。待ち受けを覗いた友人から「この人誰?」と聞かれるに違いない。その時にできる限り推しの名誉を損なわず、いい感じに取り繕って紹介する義務が課されているのだ。間違っても「なんかヤベー奴」と思われてはならない。いくら私が思っていようとも!
 では、何と言おう。「すごくかっこいい人」? 芸能人、特に俳優やアイドルは軒並みかっこいいからパンチに欠ける。じゃあ、見た目はいいが中身は変人、やばい人、ポンコツだから「残念なイケメン」か。なんか乱暴にまとめられている気がして嫌だ。彼はそんな言葉に収まる程度の器ではない。普通の「残念なイケメン」は残念であってもイケメンであるが、推しの場合は「残念」と「イケメン」が相殺して何も残らなくなる。一緒にしてはならない。なら「ヤベー奴」しかないのか? それはダメだ。ヤベー奴と思われる。
 私は目を閉じ、必死に言葉をかき集めた。
「仮にもエッセイ書きが、彼を象徴する言葉を書けないのはどうなのか」
「いや言葉にできない物事もある」
「いい感じに褒めればいいんじゃない?」
「いや最初大嫌い言ってたやん」
 脳内の私の分身が、言い合いになっている。やれどこが魅力的か、どんな活躍をしているか、どれほどポンコツなのか、今までの情報を分析していく。......情報量が多すぎる。処理に年単位かかるかもしれない。これは大変な作業になりそうだ。
 逆に考えよう。私を中心にするのだ。例えば、こんな私が好きになりました、みたいな感じで。こっちの方が簡単かもしれない。うん、きっとそうだ。早速様々な案を出し、その中から一番まともなのを選んだ。もし推しを布教することがあるのなら、こう言っておこう。
「二次元命で偏屈な私が好き? と思うくらいには魅力的な人」だと。

今の日常から貴方へ
       二〇二〇年九月二六日
 三次元の推しができてからも、日常は何も変わらない。バイトをして、卒業論文の準備をして、家事をして、きちんと一日を送れるようにする。合間合間にツイッターをする。動画を見る。そして、友人と話をする。
 本当に、本当に何も変わっていない。見るものこそ変わったが、それはあくまで表面上のこと。推しを愛で、グッズを求め、たまに暴走する。誰を愛そうとも、その事実に変わりはないのだ。推しに対する「愛」と「欲望」を糧に日常を生きていくことには。
 しいて言えば。
「あれ、コウさんも待ち受け変えた? ○○さん?」
「君が変えていたからね。つい。僕、○○が推しになったんだよねぇ」
「コウさん、大泉洋推しじゃなかったの?」
「推しって言った記憶はないよ? 大泉洋は好きだしね」
 ......コウさんに推しができたことである。

 以上が、大嫌いな、いや、大嫌いだった推しをめぐる激動の記録だ。本当に、あっという間だった。



 ......そうそう、もう一つだけ。これだけは言っておきたい。
 推しよ、貴方のことが大好きだとは言い切れない。だが、幸せに生きろ。それが三次元に生きる貴方を推してしまった私からの唯一のお願いである。


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