大人になるには

五十嵐琥珀



 二十歳を過ぎて一年半経った頃、気づいてはならないことに気が付いた。私は「大人」ではない、ということに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大前提として、(日本において)大人は必ず二十歳以上である必要がある。しかし、それだけでは大人とは呼べない。必要条件と十分条件の違いである。
 では、大人とは何か。これはあくまでも私の想像である。
 大人なら寂しいのは我慢できるし、色々なことを知っている。おまけにちょっと怪しい遊びもできる、はずだ。それから、「なんとなくかっこいいオーラ」が出ていそうな感じ、も付け加えておく。 
 では、私はどうか。まず、家に一人でいるのは耐えられない。ずっと動画を流しっぱなしにして、音量を最大にしてゲームをしないと押しつぶされそうになるのだ。寂しいと死んでしまう人種である。それに、私は何も知らない。経済や政治といった大きなものから、趣味のゲームや漫画といった小さなことまで、毎日新しい発見がある。言い換えれば、私はあまりにも無知なのだ。大人ならもっと豊富な知識を持っているはずだ。そして、悲しいことにかっこいいオーラは微塵もない。
 このことからわかるように、私は大人の定義にかすりもしない生物である。そんな残念な事実に直面しながら、それでもいつものように課題、卒業論文、アルバイトをこなし、部屋の静けさをごまかしながら生きていた。
 
 しかし、そんな生活にちょっとした変化があった。
 ある日のバイト終わりのことだ。私や店長が片づけをしている中、周りのバイトの方々が何やら話し合っている。その中の一人、神戸さんが「ちょっと時間ある?」と尋ねてきた。家に帰っても寂しいだけなので、私は素直にはい、と答えた。
「何かやるんですか?」
「麻雀。ルールは知ってる?」
「イカサマ麻雀の動画なら見たことあります」
 こりゃ駄目だ、と誰かがつぶやいた。それならば、どうして私に声を掛けたのか。
「ほんとはこの四人でやりたかったんだけど、......ほら」
「僕なら大丈夫です。ちょっと店長の顔が三つに見えるだけなんで」
 神戸さんの隣にいた青年がふらつく。顔も真っ青になっており、どう見ても大丈夫ではなさそうだ。ほかの人たちも同じように思っていたようで、店長は外の自動販売機で水を買って青年に渡し、神戸さんたちは彼を担ぎ上げるように外に出し、無理やり家に帰らせた。安心したのもつかの間、私は気づいてしまった。
 要するに、ピンチヒッターに選ばれたのである。

 麻雀はバイト先近くの某所で行われることになった。私は空いている席に座る。正面にはメガネの青年塩見さん、右横には西条さん、通称姉御、そして左隣りには神戸さんが座っている。私以外の参加者は駒を並べたり、小さなさいころを振ったりと、手早く準備をしている。何をしているのかさっぱりわからなかったが、独特の緊張感があることはわかった。
 一回目が始まる。いつの間にか何か決まり、いつの間にか駒らしきものが配られる。
「ほら、五十嵐さんの番やで」
 隣で勝負を見ていた神戸さんが声を掛ける。しかし、自分の番といっても何をしたらいいのかわからない。迷っていると、右隣にいた姉御が「ここ、ここ」と端っこの駒を指さした。取ったのはいいが、そこからどうすればいいか全くわからない。その様子を見て、プレイヤー兼指導係の神戸さんが手元の駒をのぞき込む。
「一個取って、いらないものを捨てるんよ」
「どれもいりそうなんですが......」
「いやいやいや」
 神戸さん曰く、さすがに捨てないのはダメらしいので、ルールや役について教えてもらった。その間、勝負は中断されたままで、なんだか申し訳なかった。本当はもう少し早く教えてほしかったのだけれど。私はルールを完全に理解できないまま、勘で右端にあった「東」と書かれたものを捨てた。
 駒、ではなく牌を取って捨てるたびに何となくルールがわかってきた。
「よし、きた」
「嘘やろ......」
「自力でそろえた!?」
 ルールがわかる程度で勝てるほど世の中は甘くない。勝負はこれを含め三回行われたが、結局一度も勝つことはできなかった。それでも賑やかな雰囲気の中で打つ麻雀は中々にいいものであった。何よりも、少しワルな遊びができた気分だった。

 麻雀三本勝負が終わった後、なんだか家に帰りたくない気分になった。あの場所から、いきなりシンとした家に戻るのはあまりにもったいない。できればもう少しワルな気分でいたいものだ。
 空はまだ完全に暗くなってはいなかった。少しくらいなら外にいても大丈夫なはずだ。自転車をゆっくり漕ぎながら、どこに行こうか考える。と、その時。ぐぅ、とお腹が小さくなった。
 まずは、夕食を食べよう。
 何を食べようか。肉か、いや、そんな気分ではない。ラーメンはこの間食べたからしばらくはいい。カレーは刺激が強すぎる。そこまで考えたところで、ふと寿司が浮かんだ。寿司はとても美味しい。最近は全く外食していないし、お金もある。何より魚が食べたい。駅の近くに寿司屋がある。寿司しかない。
 私は自転車で駅の方へ向かった。

 ゆっくりと自転車をこいでいく。空はまだ暗くはない。けれど、街灯はついている。明るく照らしてこその伝統なのに。なんだかちぐはぐしている気がする。耳を澄ましても、車が通る音しかない。時折、すれ違う人の声や音楽が入るくらいだ。
 心が締め付けられた気がして、自転車のペダルをこぐスピードが速くなった。

 寿司屋はまあまあ賑わっていたが、待ち時間がないのは幸運だった。喉が渇いていたのでまずは水を一杯飲む。体中が潤った。
 何を食べようかとレーンを見る。目の前を、いかや甘えびが通り過ぎていく。いつも私が好んで食べるネタだ。その中に、アジがいた。光り物だ。よく両親が好んで食べていたような気がするが、私自身は食べたことがない。私は何となく手を伸ばしてアジを取った。
 醤油をつけて口に入れると、なんとも言えない風味が口の中に広がった。イカやエビ、イクラとは全然違う。「魚を食べている感覚がするなぁ」と、グルメレポーターなら赤点の感想が浮かんだ。しかし、味自体はとても美味しかった。これからは毎回アジを食べようと小さな決意をした。
 
 寿司屋で二千円ほどの夕食を取った後、外に出ると真っ暗だったが、人通りはバイト先とは比較にならないほど多かった。どこを歩けばいいかわからず、大通りの端の方を怖々と歩いた。
 私はふらりと電化製品店へ寄ることにした。別に電化製品が欲しいわけではない。近くにあったから寄ってみたかったのだ。中に入ると、店内放送やらなんやらでとても賑やかだった。もう八時を過ぎているはずなのに。
 まずは三階のゲーム売り場へ。どんなゲームが売られているのかを覗いてみる。面白そうなゲームがたくさんあった。しかし、財布の中に三千円しかないことを思い出し、引き返した。
 他に見るものもないし、家に帰ろうかなと思った。その時に、あるものを見つけた。動画配信サイトの一か月利用カードである。これさえあれば、ドラマ、映画、アニメの配信が見放題になる。アニメを垂れ流しにして、寂しさを紛らわすのも悪くない。
 しかし、三十日プランは二千円もするのである。それにお金を使うくらいなら、ずっとゲームをしておけばいいのではないか、いや、ずっとゲームをしているのもどうなんだ。ぐるぐると思考が周り、私自身もカードの周りをぐるぐると回った。視線を少しだけ上げると、買い物客がぽかんとこちらを見ていた。恥ずかしくなって、隅の方へ逃げた。
 結局、財布の中身が千円ちょっとになった。
 
 もう、家に帰ろうかな。誰に言うでもなくつぶやいた。
 私は自転車をこいだ。空はもう黒く染まっているが、曇っているのか星は出ていない。その代わりに、街灯や自動車の灯りが煌々と照らしている。普段、夜の闇に縁のなかった私にとって、こんなにしっかりと輝く光は初めてだった。
 家に帰ってからは早かった。配信サイトの登録を済ませ、お風呂に入り、好きなアニメを子守歌代わりにして眠りについた。時計の針はまだ九時半を過ぎたばかりだった。
 諸々の出来事は、夢に全く出てこなかった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「落ち着けぇぇぇ!! 話せばわかるっ!」
「とりあえずあんたが落ち着けよバァーカ!!」
「いい加減にしろぉっ!!!」
 一人の部屋に野郎どもの怒声と爆発音が響く。一人の部屋はこれぐらいではないと賑やかにならない。私は部屋の中で、昨日のことを思い出していた。
 昨日、初めてのことを複数経験してみても、そんなに特別な感情は抱かなかった。楽しかった、おいしかったなんて月並みな感想しか出てこないのだ。けれども、すべてに特別な意味を持たせる必要はないのではないか。

 少なくとも、「本当の大人」はそんなことを一々気にしていないと私は思うのだ。


さわらび123へ戻る
さわらびへ戻る
戻る