泡沫の魔法

蒼空夕



 目元を彩る魔法に溺れている。

 ポーチから取り出した新品のアイシャドウパレットを開き、ほぅと溜め息を漏らす。ダイヤモンドを砕いたようなラメが、満天の星空のようで美しい。この輝きを瞼に乗せると考えるだけで、心臓の鼓動が早くなる。口元が緩むのを感じた。一目惚れして衝動買いしてしまったことは後悔していない。昨日の私の目に狂いはなかったようだ。
 どの色を使うか悩んでいるこの時間がたまらなく好きである。シンプルなブラウンも良いし、大人っぽいボルドーレッドも捨てがたい。パレットと睨めっこしながら、うーんと唸る。

「この色にしよう」

 そう言いながらチップに取ったのは、淡いピンク色のアイシャドウ。鏡の中の私と目を合わせ、瞼全体に丁寧に乗せていく。少しずつ魔法がかかっていくのを感じ、思わず笑みが零れた。ふんわりとした、優しげな色がアイホールを包んだ。


   そう言えば、何故私はメイクするのだろう。ふと、そんな疑問が脳内を駆けた。

 大学生になったからだろうか。
 高校生の頃は勉強と部活で手いっぱいでメイクをする暇なんて無かったし、校則も厳しかった。しかし、メイクへの興味が皆無だったという訳ではない。時々学校帰りにふらっとドラッグストアに立ち寄っては、化粧品売り場からしばらく動かないこともあった。買う勇気は持ち合わせてなかったので、コスメを眺めるだけだったけど。
 縛られていた好奇心が解放されると、大爆発を起こすらしい。私は次々と化粧品に手を伸ばした。ファンデーション、アイシャドウ、チーク、マスカラ、口紅、グロス。これらを詰め込んだポーチは、さながら宝石箱である。幼い頃にテレビで見た魔法少女の変身グッズみたいで、全てが煌めいているように感じた。可愛いコスメを持っているだけで、私自身も可愛くなったみたいに錯覚するほどだった。


 そんなことを考えている内に、私の両の瞼は桜が満開になっていた。腫れぼったくなくて、自然な仕上がりである。こんなものでいいだろう。

 次にチップに取ったのは、少し濃いピンク。先週大学帰りに花屋で見かけた薔薇によく似た色だ。二重ラインにそっと乗せ、指でぼかす。桜と薔薇の境界線が曖昧になっていく。
 仕上げの締め色には、濃い紫色のアイシャドウを使う(一番濃い色を「締め色」というのは、最近ネットで得た知識である)。多分これは、ライラックという色だった気がする。人差し指で撫でつけるようにして取ったライラックが、目尻に接近する。指から色彩が離れ、私の目元を染め上げた。

「できた」

 桜、薔薇、ライラック。三つの花が私の瞼に咲いた。現実ではきっと同時に咲くことはないのだろうけど、コスメの魔法にかかればそんなことも可能になるのだ。
 アイシャドウに限った話じゃない。チークを使えば頬に果実を落とすこともできるし、グロスを塗れば唇に星屑を散りばめることだってできる。コスメが持つ力は無限大だ。


 それにしても、メイクという行為は不思議なものだ。その日の夜には綺麗さっぱり落としてしまうというのに、朝が来る度にこの行為を繰り返す。十時間前後しか維持できない、酷く刹那的なものを作っては崩している。あまり意味の無いことだと言ってしまえば身も蓋もない。

 だからこそ、私はメイクを魔法だと思っている。シンデレラにかけられた魔法が十二時までのものだったように、私たちのメイクにもタイムリミットがある。
 儚いものだと絶望するわけではない。クレンジングで魔法を解いてしまう瞬間まで、楽しめれば良い。太陽が昇ったら、また魔法をかければ良い。


 鏡に映った私と視線がぶつかった。見慣れた顔のはずなのに、今日は何となくキラキラしているように感じる。それはきっと気のせいではなくて、私に魔法がかかっているからだろう。
 新調したアイシャドウパレットのおかげで、しばらくは楽しく過ごせそうだ。目元や口元だけではなく、気持ちまで明るくなれるのも、メイクの不思議なところである。


   さて、次は何処に魔法をかけようか。

 そんなことを考えながら、私はポーチに手を伸ばした。


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