天使の夢

亀村紫



「かわいい子と付き合いたい」

 それがS君の願いだった。......ふざけあがって。

 この世で、天使は人の願いを聞く力を持つ。
 しかし、聞く力しか持たない。聞いた願いを叶えてあげる力はないので、そこは自力で何とか頑張るしかない。願いなんてほっておけばいいじゃないかって? そうはいかない。天使だから、聞いた願いを叶えてあげないと死んでしまう。
 そして不幸なことに、私はこの世の天使である。
 
 それはそうとして、何度思っても呆れる。かわいい子ですって? 私、こんな人のために......

「いい夢じゃない。本能的で素直で......」
 悪魔が言った。宝石みたいな目をした悪魔は「願い」を「夢」と言う。
「それで? 叶えてあげちゃえばいいの?」
「そう。本当なら頼みたくなかった、というかあなたの顔を見るのも嫌だけど」
「天使がそんなつれないこと言うんじゃないよ。それより、本当にいいの?」
 悪魔のことを憎んではない。憎んではいけない。ただ、ただ......

 この世の存在には役目があるのだ。天使の役目は願いを聞いてあげること。しかし表向きの活動はできない、という前にまず活動できる肉体を持つことができないので、自力で叶えてあげられる願いは限られている。そこで必要となるのが悪魔だ。悪魔なら人の肉体を奪い取ることができる。例えば、かわいい女の子の肉体を奪ってS君に近づくとか。

 S君はたまに夢を見る。私が人間だったころの、彼の彼女だったころの記憶だ。やっぱり、彼には女を見る目があると思う。人間だった私はけっこうかわいかったから。あのね、悪魔。S君の好みに会う「かわいい子」を探すのはなかなか大変なはずよ?

*

 アラームが鳴った。寝癖を直し、デートの服を選ぶ。彼と一緒にご飯を食べ、ショッピングをし、映画を観に行く予定だった。しかし私はこれが夢だと気づいた。彼は今病院で寝ているからだ。何日もずっと。お医者さんは一生起きないかも知れないと言った。一生? 起きられないのなら、そんなのは「一生」とは呼べないはずなのに。
 
 夢から覚めると、天使が私の上に座っていた。目が近い、と思った。灰色の目をした天使はこう言った。
「願い、叶ってあげるからさ、交代しない?」
 私は肯いた。そうすると彼が病院から起き上がり、私は彼の開いた目を見ることができた。しかし、私はいなかった。どこにも。

*

 またアラームが鳴った。天使のベッドは世界一ふわふわする。
 目を覚ます瞬間、幾千もの願いが壊れたダムの波みたいに寄せてくる。自分では叶えられないので、聞いていても悲しくなるだけだ。
 S君は寝ている。病院ではない。真っ黒なダブルベッドで、かわいい彼女と一緒に寝ている。彼がたまに見る夢には、もう人間だった私は出ない。

S君の腕を抱いているかわいい彼女見て言った。
「悪いわね。でも全部役目だから。分かるでしょ? こんなこと、私だって......」
 悪魔には似合わない悲しい表情。
 私、いや、私たちは、人々を守らねばならない。朝も夜も、この世でもあの世でも。天使と悪魔とは人になることを諦めた存在ゆえに、人のようには生きていけない。この世はそうできている。
 しかし......

*

 何度目か分からないアラームが鳴った。いつの間にか眠ってしまったのかな。看護師さんにバレたら怒られるのに。
 横には彼の寝顔がある。彼は目を閉じたまま一か月近く寝ていたのに、私はまだ彼の瞳の色を鮮明に覚えている。色だけじゃない。黒目の輪郭、白目の透明さ、そして、私を見つめるときの優しい揺らめき。
 彼がいつまで眠っているかはわからない。もちろん、できるのなら早く起きてほしい。でも、こうして添い寝をすると、少なくとも彼のそばで眠れる。それが許される。誰にも奪われやしないし、彼に忘れられることもない。
 ねえ、聞いて? 本当に酷い夢だったわ。
 


  


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