猫猫探偵事務所(1)

羽月


 綾瀬は唖然とした。
 滅多に外出しない自分が、依頼のために家を空けていたほんの数日。もうしばらくは書斎に籠って出るまいと心に決めて帰ってみれば。
「なんだ、これは......」
 町外れの洋館。その雰囲気に負けじと洋風に合わせ、綺麗に仕上がっているがしかし、溶け込めきれない看板が小さく設置されていた。綾瀬が面食らったのは看板自体ではない。いやそれも一部あるが、問題はその掲げられた文字である。

 猫猫探偵事務所

「なんだあれは!」
 勢いよく開いた扉から、不機嫌な綾瀬が飛び込んできた。
 珍しい剣幕に、部屋でくつろいでいた西山も躊躇する。 
「お、おかえりなさい綾瀬さん。どこに行かれてたんですか」
「僕の質問が聞こえなかったのか? なんだあれはと言ったんだ」
「ど、どれのことでしょう」
 鼻歌でも歌いそうな顔で目をそらす。
「その質問はなんだ。シラを切るつもりか? それとも、思い当たる節が多すぎて躊躇しているのか」
「思い当たる節......どれですかね」
「......やけに強い精神だな」
 綾瀬はため息をつく。
「あの看板はなんだと言っているんだ」
「まあまあ落ち着きなよ」
 一人やけに軽く爽やかな声が降ってくる。
 見上げると、螺旋階段から降りる青年の姿。頭を抱える綾瀬。
「櫻田、どうしてここに」
「いやあ訪ねたものの綾瀬がいなかったので。よくみると可愛らしい女性が健気に待っている。一人にする訳にはいかないだろう? というわけで綾瀬がいない間、琴香ちゃんと親睦を深めていまして」
 人の家で何をしている。何を勝手に親睦を深めている。......櫻田、お前、分かってやっているんだろうな。
 この男がいるとろくな事にならない。
「......不本意だが大体理解した」
「え? なにをです?」
 能天気な西山の顔が何時もに増して気に障る。
 エネルギーをすっかり使い果たした綾瀬は、よろよろと安楽椅子に座った。定位置というのはそこにいるだけで気が休まるものだ。
「あの男がここに運ぶのは厄介事ばかりだ。長らくいる君が、今更ここに探偵事務所の看板を立てようだなんて思いつくわけがない。それに僕がここを離れていたのはわずか数日。手際とクォリティを考えても、その男の提案だろう。命名だけ君が任された」
 ひゅうっと櫻田が口笛を吹く。
「お守りが済んだなら帰らないか、櫻田」
「わ、私大学生です! お守りじゃないです!」
「ほらほら探偵様、そういう一言が良くないんだよ」
「あのネーミングはとても大学生とは思えない御花畑だろう」
「酷い......わかってましたけど」
 西山は言いながらもキッチンへと向かった。普段珈琲を淹れるのは彼女の仕事である。
 その様子を見ながら、櫻田は微笑ましい気持ちになっていた。
「琴香ちゃん慣れてるねえ」
「......」
「怒ってる? 彼女可愛いもんね」
「......わざとか」
「ははは、怖いな、睨まないでよ」
「余計な事を言ってないだろうな」
「ぜーんぜん。でも彼女、あの様子だと何も知らないんじゃない?」
「不必要だろう。あれは勝手に入り浸っているだけだ」
「えーと、昔の一悶着に巻き込まれて懐いて、そのまま結局同棲してるんだっけ」
「関係ないだろう」
「よくご両親の許可いただいたねえ、付き合ってもないのに。確かに手を出すようには見えないけどさ。一応仮にも大人の男性だからな」
「安全を優先したまでだ。放っておいてくれ」
「とか言って心配なくせに。だからここ開けていたんだろ。僕が来るのは前から言っていたんだし」
「さあな」
 綾瀬の頑なな様子に、櫻田はため息をつく。
「そんな様子だから名前も呼べないんだろう」
「不必要だと言っているんだ」
 語気が少し荒い。
「大体あの看板はなんだ」
「僕の親切心というか。どうせこんな町外れの山荘、誰もこないしさ。にしては琴香ちゃんのお陰でお洒落に綺麗になっているけど」
 今度は綾瀬がため息をついた。若干、疲れ気味である。その様子を櫻田は楽しんでいた。二人の関係は昔から変わらない。
「本当は看板はただの思いつきでね、僕の遊びみたいなものさ。で、今回の依頼はこっち」
 封筒が取り出される。
 それを手に取りながら、綾瀬は呟いた。
「探偵、なんぞ好きでやっている訳ではないが」
「え? 本当に探偵なんですか?」
 ハッとして振り向いた先には、三人分の珈琲をお盆にのせた西村が立っていた。

「綾瀬、反省したほうがいいよ。まさかとは思ったけど」
「......」
「というかよく数年間隠し通せたね」
「実際に生業にしている方を見た事なくて......」
 西村はおずおずと綾瀬を見た。いつも通り安楽椅子に揺られている姿が、何故か遠く見える。
「それっぽいなあとは思っていたんですけどまさか。普段何してるんだろうとか。途中から考える事を諦めてました。どうせ答えてくれないし」
「確かに答えてくれそうにないけどね。はあ」
 資料もそっちのけに、目を閉じて無言で珈琲は口につける綾瀬。
「綾瀬、何か言ったらどうだい」
「別に言う事はない」
 これは拒絶だ。
 悲しい、と思う。西村は数年ここにいるのに、彼はずっと隠していたのだ。弁解も何もない。これは一種の線引きで、拒絶なのだろうと思った。
「頑固なんだからもう......。琴香ちゃん、気にしなくていいよ。君は悪くないからね、本当にこの男が意地っ張りなだけだからね」
「あ、はい。大丈夫です」
「綾瀬が言わなかったのも、きっと君が余計な心配せずに幸せにいて欲しかったんだと思うよ。こんな性格だしどこで恨み買うか分か......」
「そこまでにしておけ櫻田」
 綾瀬が遮る。しかしその様子で西村は少し安心した。
「んで話を戻すよ、綾瀬。依頼なんだけど明日出発するからね」
「僕は今帰ったんだが」
「資料は目を通せた?」
「人の話を聞かないのか」
 そう言って呆れつつも綾瀬は封筒から資料を取り出す。

『招待状
 私たちはO大学のサークルの者です。今回、夏季イベントとしてキャンプを開催することとなりました。詳細は下記に示しておりますが、いくつかの役をお任せしたいと思っています。ご確認の上、どうかよろしくお願いします』

「これで僕に何をしろというんだ」 
 綾瀬から出たのは不満の声。
「楽しそうだねえ」
「ろくな展開じゃない。第一、この文面ならもともと僕宛の話じゃない」 
「息抜きみたいなものだよ」
「......ちなみに拒否権は」
「あると思うの?」
 目眩がする。この男は一体何を考えているのだろうか。しかしこれ以上どうすることもできないことを、 綾瀬は知っていた。
 そんな綾瀬の様子を、西山は珍しそうに見ていた。
(この人が、誰かに振り回されているなんて)
「という訳で琴香ちゃんも用意しておいで。二泊三日だけど、もう数日間泊まってもいいように、でもできるだけ荷物は少なめにね」
「えっ?」
 突然の話に面食らう。
「おい待て、なんで連れていくんだ」
「一人にするのも危ないだろう」
「ここにいた方がいい」
「そこは大丈夫だ。それに」
 櫻田は一瞬、綾瀬の目を見る。そこから伝わるのは、1ミリの軽蔑だ。
「綾瀬が何をしているのか、見てもらった方がいいんじゃないか?」
「......必要あるか」
 こうなると綾瀬もなんとも言えなくなる。招待状を回収すると、ふてたように無言で自室に上がってしまった。
「まあ文面からは危険な雰囲気もないし、僕も付いていくから大丈夫だよ」
 優しく笑いかける櫻田に、西山は頷くしかなかった。

 部屋に一人戻った綾瀬は、改めて招待状を読むことにした。
「面倒な案件を持ち込んで来たな......」
 機嫌を悪くした、というのもあるが、部屋に戻ったのは単純に西山の前ではなんともコメントし難かったのである。
 確かに半分ビラのような招待状は、何の仕掛けも見当たらず、ただ単に招待したいだけな様子だった。それだけでもわざわざ何故? という疑問が残るが。
 問題は櫻田が寄越した封筒には、招待した本人からの封筒も入ってあったのだ。それも、二枚。
(明らかに筆跡が違う)
 綾瀬は見比べる。これはもはや筆跡を似せようという意思すら感じられない。
(招待状そのものの後に、何者かが追随して送って来たということか)
 回りくどいやり方に既にため息が出そうだった。
 その問題の2枚目を読んで、綾瀬は目を細めた。

『このキャンプ開催期間中に、以下の条件で依頼をお願いしたいと思っています。
・依頼内容は、妹を殺した犯人を突き止めて欲しい、時間的な制約があるため手がかりだけでもいい
・この依頼をメンバーには黙っていて欲しい
・お礼はキャンプ終了時にさせて欲しい。そちらの求めるものを飲み込む用意をします
・わかったことがあれば下記のメールアドレスに送信して欲しい』

 こんなことに西村を連れて行くのが非常に不安になる。少なくとも恨み、敵対心が潜む集団だ、ろくな話ではない。それも踏まえて櫻田は連れていけというのだから、おそらくこちらの安全を保証することを条件にしたのだろうが。
(如何せん、動きにくい)
 色々考えたものの、出たのはため息だった。
「本当に、面倒な案件を......」
 覚悟を決めるほかないと悟った。




天気は快晴、気温も過ごしやすい昼過ぎである。
 櫻田の運転する車の中、西山は一人後部座席でおとなしく景色を見ていた。綾瀬も助手席で黙り込んでいるため、(平常運転ではあるものの)過ぎ去る山の木々を目で追うことに集中する。
 急な情報と外出準備に慌ただしかったので、なんだか変に気が昂ぶってしまっていた気がする。西山の視界に現れては一瞬で去っていく木々が、一本一本その興奮を後方へ置いていってくれるような気分がした。
 しかし何も言わない西村が気になったのか、ついに櫻田が声をかける。
「琴香ちゃん、車酔いとかしてない? 長らく山道だから」
「いえ、全然平気です。それにいざという時にために、薬は持ってきましたから」
「ふふ、準備万端だね」
「久々のお出かけなので......楽しみで」
「友達と遊んだりしないの」
「いや、時々遊びますけど」
 西村は綾瀬の方をちらりと見る。彼はもはやこの会話も聞いていない様子だ。
「こういうのは、初めてなので」
「はあ、もう、気の利かない男でごめんね、僕が代わりに謝っておくよ」
「誰の代わりだって?」
 これには綾瀬も聞いていないふりにはできなかった。
「いいやなんでもないよ。人には向き不向きというものがあるからね」
「あ、あの、そんな、何も本当に気にしたことはないし、ええっと」
「琴香ちゃんはフォローしなくてもいいよ」
 ふん、と綾瀬は鼻を鳴らす。
「今回も遊びではないからな」
 西山は少し疑問に思った。キャンプは遊びじゃないのだろうか?
 その様子を察した櫻田がフォローする。
「一応、依頼という形で届いたからね」
 心底説明したくないというように、綾瀬も口を開く。
「招かれたとはいえ、態々僕が行くんだ、行った先は僕らと違う世界の集団と断言できる」
「綾瀬、わかりにくいよ。まあ、楽しんでは欲しいけど、なんぞごとあったら大変だからね、あまり僕らから離れないでいてね」
「わかりました」
 西村は素直に飲み込んだ。
 そうだ、もともと遊びではない。落ち着いてきたとはいえ、少し浮かれていた自分がはずかしくなった。というよりも、二人の大人の前で自分が子供であることを突きつけられている気分だ。
 ただ、西村も今更守られたくないなどは思っていなかった。安全で安心だから綾瀬と一緒にいるのであって、まあこの二人がいるから何があっても大丈夫だろうな、と思うだけなのであった。
 無理に背伸びしようとは、もう西山も思っていなかった。

 目的地である山荘に綾瀬たちが到着すると、すでに大学生の面々は揃っている様子だった。
 何人かは三人を横目で見ては、面食らったような表情を見せている。
 その中から一人の青年が、笑顔でやってきた。金髪が日に当たって、余計に眩しく見える。
「櫻田さん......でしょうか」
「僕だよ」
 他のメンバーも集まってくる。
「なんだか、爽やか対決みたいな二人ですね」
「黙っていた方がいい」
 西山と綾瀬が小声で話しているのをよそに、爽やか対決が続く。
「お招きいただき、ありがとう。事前に連絡したと思うけど、もう一人追加できてもらった方がいいという話に直前になったんだ。本当、ごめんね」
「いえ、こちらこそ来て頂いてありがとうございます。僕は今回の幹事のタイキです」
 タイキは西山の方をちらっと見てから、
「僕たち的には大歓迎なんですけど、部屋がちょっと......足りるかな」
「大丈夫、こちらで何とかするよ」
「いいんです? それなら他は大丈夫だと思います」
 黙っていた綾瀬が口を開いた。
「綾瀬です。お願いします」
「に、西山琴香です、急にごめんなさい」
 西山もおずおずと挨拶する。少し緊張しているのが伝わる。
「大歓迎です。あたしたちも自己紹介しなきゃね」
 タイキの横でにこにこ聞いていたショートヘアの女性がメンバーに呼びかけた。
「あたしはアカネ。よろしくお願いしますね。ちなみにみんなハンドルネームで呼び合っているんです」
「僕はショウマです。よろしく」
 短髪長身のショウマも続く。きっとこの三人はいつも一緒なんだな、と西山は記憶した。
「私は、ユキノって言います」
「はい、俺はオペラ」
「俺もスマルトで活動してまーす」
 ユキノのか細い声をかき消すような、元気な二人の挨拶。悪気はないようだが、ユキノは少し後ろに下がった。
「僕はヨミ。よろしく」
 そんな様子に、やれやれと苦笑いしながらヨミが名乗る。右目を隠した、中性的な雰囲気がある。
「......俺はK。そして、ヨルです。お願いします」
 ひときわ背の高いKが、硬い表情で小さく頭を下げる。隣で微笑んでいるのはヨルであろう。柔らかい雰囲気が惹きつける何かを感じさせている。
「面白い名前だ」
 綾瀬は楽しそうだった。
「あたしとかはあんまり捻りもないんですけどね、へへ。大学の繋がりです」
 アカネはそういうと、ポケットから鍵を取り出した。
「えっと、これが用意したお部屋の鍵です。とりあえず荷物とかあると思うので、六時の夕飯までは自由行動の予定なんです」
「ありがとう。ちなみにみんなはどこにいるのかな」
「ううん......どうでしょう。とりあえずは各々って感じなので......あたしとタイキとショウマはまだ夕飯や諸々の準備があるので」
 櫻田は鍵を受け取り、頷く。
「とりあえず落ち着いてから考えよう」
 綾瀬の言った通り、自分とは少し雰囲気の違う大学生たちを感じた西山だった。

 山荘内の地図に関しては、招待状と一緒に封筒に入れて送られていた。アカネにも確認したのち、綾瀬たちの部屋である一番奥の洋室にたどり着く。
「はあー、緊張しました」
「あはは、琴香ちゃん縮こまってたもんね」
「知らない人がたくさんいたので......」
 西山は収納に服などをしまいつつ、初対面の人々を思い出す。櫻田も所持品が少なかったのか、早々に終わらせては何かメモを見ている。綾瀬に関しては荷物を広げることすらしていない。
「個性がわかりやすい感じだったね、彼ら。大丈夫、最後の日には仲良くなってるよ」
「だといいんですけど」
「最悪仲良くなる必要もないだろう」
「綾瀬、そういうこと言うから嫌われるんだよ」
「綾瀬さん嫌われてるんですか?」
「口を挟むんじゃなかったな......」
 頭がいたい、と目を閉じる。
「ところで、ベッド二つしかないんですけど」
「うーん、その問題だよねえ」
 櫻田は苦笑いした。急な一人、おそらく西山のことだろう、が追加されたので一つ足りない。
「綾瀬、一緒に寝る?」
「いい加減帰るぞ」
 綾瀬の睨みもあはは、と躱す。
「僕はソファで寝る、櫻田はそこで寝たらいい」
「だ、大丈夫なんですか?」
「今までどんなところで寝させられたと思ってるんだ」
「仕方ないじゃないか」
 櫻田は少し口を尖らせた。だがそれもつかの間、切り替えが早い。
「そんなことより、これからどうする? いま二時だから、4時間もあるけれど」
「えっと、夕飯はアカネさんたちが用意してくださるんですよね」
「そうだね。まあ手伝うにしてもまだ時間がある。先にここ周辺を見て回るのでもいいし。綾瀬、どうする」
 綾瀬はほんの一瞬メモをちらりと見た。
 一体何が書いてあるんだろう、と西村の胸をかすめるがおそらく見せてはもらえないのだろう。
「ともかくお招きいただいたんだ、合流しようか」

 山荘は非常に単純な作りで、玄関から右に曲がれば各々の眠る6つの部屋、左に曲がればキッチンと食卓、正面の大きな彫刻を避けておくに進むと大部屋となっている。
 他のメンバーと合流するため部屋を出た三人は、難なく大部屋で談笑しているところに出会う。
「お邪魔します」
 西山も打ち解けなければならないと思いつつ、同世代のメンバーに声をかけて入る。
「西山さん......でしたっけ? お二方もここにどうぞ」
 アカネは快く三人の椅子を用意した。
「あ、あの、私も大学生で、多分同世代だと思います」
 しどろもどろに言う西山に、アカネが笑う。
「そうだったんだ、じゃあ敬語なんか使わなくても大丈夫だね、その方が気も使わなくていいし、そうしよ」
「う、うん。よろしく」
「アカネの押しの強さはいつもすごいな」
 その様子を見ていたショウマも苦笑する。
「名前、なんて言ったっけ」
「タイキの方が押し強いじゃん、身を乗り出してさ」
「琴香です」
「琴香ちゃんね、よろしく」
 タイキから差し出された手を、西山は戸惑いながら握った。
「よろしくお願いします」
「ごめんね、この人こういうやつだから」
「こういうやつってなんだよ」
「天然タラシ」
「なっ」
「はいはい、喧嘩しない」
 ショウマがタイキとアカネを牽制する。きっと普段もこうやって三人仲良くいるのだろう。西山は少し笑った。
 緊張が若干解けたような笑みに、アカネたちも安心する。
「琴香ちゃんもどうかな、今お茶してるのよね。紅茶ならすぐ用意できるの。クッキーもあるのよ」
 アカネは嬉しそうに言いながら、西山の後ろで見守っていた綾瀬と櫻田にも投げかけた。
「いかがです?」
 しかし途端にあっと声をこぼし、不安げに近くにいたヨミをみる。
「カップ、人数分しかないかも」
ヨミの目が泳ぐが、一瞬何かを考えたかと思うと微笑んだ。
「いや大丈夫、足りると思うよ」
「あ、そう? じゃあいいか」
「僕は紅茶だけでいいよ。ありがとう」
「同じく」
 アカネは頷いて、ショウマに目配せする。そして二人でキッチンに消えて行った。
 今まで会話を先導していたアカネがキッチンに消え、生まれるかと思えた空白の時間に、西山の身に力が入った。しかし、そんな様子と関係なく口を開いたのはヨミであった。
 アッシュグレーに染めたショートヘア。ひょろりとした華奢な体格。長い前髪。その前髪に隠れなかった表情は、柔らかく穏やかに見える。
「櫻田さんでしたっけ。えっと、僕は今回の幹事ではないので知らないだけなのですが、誰のお知り合いです?」
「うーんとね、別段、だれかの知り合いというわけではないんだ。代表名で招待状をいただいてきたんだけど、なんだかキャンプ中に行うイベントでの運営係が欲しいんだって。言うなればみんなでゲームに参加したいから、ゲームマスターを外部から連れてきました、だと思うよ。そうだよね?」
 櫻田はタイキに確認をする。おそらくこの様子なら、タイキは幹事または幹事に近いと判断したのだろう。タイキは頷いた。
「そうです」
 え、そうだったんですか。
 西山はそういえば理由を聞いていなかったことを思い出した。どんなイベントなのかも知らない。
 知っているのは、これが二泊三日ということだけ。
「なるほど、それはありがとうございます。不慣れな環境で仕事を任せてしまってすみません」
「ううん、僕らも楽しみにしてきたし、歓迎してもらえて嬉しいよ。まあ僕とそこで愛想のない綾瀬は基本的に保護者だから、琴香ちゃんとは仲良くして欲しいな」
「もちろんです」
「ほら、ユキノちゃんも」
 タイキの声で、部屋の端で静かに聞いていたユキノに視線が集まる。びくりと体を強張らせ、ユキノもおずおずと会話に参加した。
「あの......はい、お願いします」
「彼女は見た通り人見知りだけど、優しくていい子だよ。この中で一番大人じゃないのかな」
 ヨミがクスクスと笑う。
「ふむ。この俺でも否めないな」
「なんでタイキはそんなに自信があるんだよ」
「うん? 逆になんで自信がないんだ?」
「相変わらず意味がわからなくて面白いね」
「琴香ちゃんが呆れているから喧嘩しないで......」
 ユキノの一言に二人は口を閉じる。
 思わず西山も笑みがこぼれた。
 と、キッチンからアカネとショウマが帰ってきた。
「お待たせ?、はい、紅茶とお茶菓子です」
「ありがとうございます」
「こういうのばっかりは準備万端なんだ」
「一応、カップは今回のキャンプで同じものを使ってくださいな。わかりやすいので。地味な色ばかりだけど」
 そのカップは淵にラインが引いてあった。よくみるとタイキは水色、アカネはオレンジ、ショウマは緑、ユキノが紫にヨミは黒と別々である。
西山は黄緑、櫻田が茶、綾瀬が白を受け取る。
「ところで他の方はどこへ?」
 会話の途中、西山は純粋な疑問をあげた。
「え、あたし聞いてないや。タイキなんか聞いた?」
「俺は何も。どうせみんな一緒だろ」
「あ、なんか、ヨル、K、オペラ、スマルト四人で周り探索しに行くって言ってたかも」
「早く言ってよヨミ。ちゃんと時間内に戻るならいいけれど」
「戻るんじゃないのかな」
 周りといえば木々しか見えなかったが、何かあるんだろうか。
「ま、あの二人仲良くて安心した」
「大丈夫だよ」
 アカネとヨミがボソリと呟く。二人は何気無いものでも、新参者の西山の興味を引くのには十分な呟きだった。
「喧嘩していたの?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど。なんていうかあたし達、ちょっと人間関係が複雑だったりするのよね。気にするほどでもないのよ」
「そうそう。何か今困ることは......」
「今はね、そんなにね」
 なんだか説明し難そうな雰囲気が流れる。
「そういえば猫、アレルギーの方、います?」
 今思い出したと、唐突にその空気をショウマが破った。
「僕も綾瀬も大丈夫かな。琴香ちゃんも大丈夫だよね」
「はい」
「それなら良かったです」
「どうしたの?」
「ここ、黒猫が住み着いてるらしいんです。どうやら管理人さんも餌をあげているらしく」
「猫ちゃんいるんですか!」
 西山は顔を輝かせた。
「うん、いるみたいなんだよ。それもなんだか女の子にしか懐かないらしくてね、僕とタイキも下見の時に見事ひっかれたんだよな」
 あはは、とショウマが苦笑いした。
「この俺に傷をつけるだなんて、けしからん猫だったな」
 タイキもふんと鼻を鳴らす。
「じゃ、綾瀬さん無理ですね、残念でした」
「巻き込んでくれるな」
「猫好きなの知ってますからね」
 見たこともない黒猫に勝手にフラれたことにされたのはさておき、西山も馴染めてきた様子に綾瀬はどこか安心した。

 夕飯は様々な料理が並んでいた。揚げ物、パンにご飯、大皿のサラダなどパーティーのようである。夕飯前には外を歩いていた4人も帰宅し、アカネの機嫌も保たれた。
「琴香ちゃん食べてる? 大丈夫?」
「食べてるって。アカネちゃんもこの量用意するの、大変だったでしょ」
「へへ、まあ家で作ってきたもの並べるだけよ。タイキもショウマも手伝ってくれたしね」
「ふふ、本当に仲良いね」
「あー、まあ、腐れ縁だよ」
 アカネは少し照れたように笑う。
「明日は本格的に遊ぶからね、川行ったりするから。楽しみにしてて!」


「綾瀬」
 夕食後、大部屋で話している何人かのメンバーと西山から離れ、一人部屋に帰っていた綾瀬の後に櫻田も戻ってきた。
「あいつは良いのか」
「琴香ちゃん? 楽しそうだったよ。今のところすぐには何も起こりそうもないしね」
「そうか」
 深くソファに腰掛ける。
 随分と考え込んでいたらしい。
「何とも言えないな」
「初日だからね。それにしても随分と雑な依頼だな」
「面倒な話を持ち込みやがって」
「でもまあ、琴香ちゃんを連れてきたのは正解だったでしょ」
 綾瀬は口をつぐんだ。正解らしい。
「何も意図しないままの会話は警戒心もないからね。自然に進められる」
「わかっている」
「もう情報集めなくても良いの? まだ大部屋で話してるけど」
「いや、結構。見たままの情報しか出ないだろう」
「あら、そう。まあ琴香ちゃんから聞けばいいっていうのもあるんだろうけど。ちなみに進捗は?」
「検討はしたが口にも出す価値がない、だ。コーヒーをもらってくる」
「ふ、彼女、いないものね」
 からかう櫻田を睨みつけてから、綾瀬はキッチンへ向かった。静まり返った廊下を抜け、まっすぐにキッチンへと向かう。大部屋をちらりと見るも、楽しそうな声がこぼれているだけ。
 今は危険もなさそうだな。
 安心してキッチンの扉を開けると、
「わっ」
 先客。
 一瞬、思わず綾瀬は身構える。
「あ、ああ、びっくりした、すみません」
「いえ、ヨミさんですか。こちらこそ」
 おそらく同じようにコーヒーか何か飲み物をもらいにきたのだろう、綾瀬の顔をみるなり安心したかのように笑う。
 警戒しすぎたか。
 流石に綾瀬も申し訳ない気持ちになった。
「コーヒーをもらいに。お茶菓子もここにあるんですね」
「はい、まだたくさんあるらしいので、好きにとって構わないそうですよ」
「遠慮なく。......すみません、そのカップ、僕のものかと。ヨミさんは確か、黒色では」
「え? ......うわ、失礼しました」
 白い淵のカップはまだ何も注がれておらず、交換するだけで終わる。職業柄、特に何も施されていないもとを無意識に確認してしまう。
「今日適当に決めたもので、すみません」
「いえ、僕も正直ぼんやりだったんでいいですよ」
 綾瀬はコーヒーを淹れながら話す。交流というものを櫻田と西山に任せてしまっていたので、何だか久々にきちんと話している気がした。
 相手は比較的社交的。早く帰るのも良いが、何か聞いても下手は打たないだろう、と計算する。
「ところでこのキャンプ、どなたの企画です?」
「どうでしたっけ。話の流れでもあった気がするんですよね。キャンプいいね、みたいな」
「なるほど」
「アカネちゃんたちがいつも通り張り切ってくれたおかげで、僕は楽をさせてもらってますよ」
「ふむ」
「まあアカネちゃんはタイキと付き合ってますし、なんだかんだで一緒のイベントは張り切りますからね」
「ほう」
 特に不思議でもなく、大学生らしいな、と綾瀬は素直に思った。昼間にこぼしていた人間関係も、あらかたそうであろう。
「ヨミさんは?」
「いや、何もないんですよ」
 特に気にもしていないと、微笑んだ。
「まあ、他にもたくさんありますけど、あとは本当お聞き苦しい話です」
「大学生なんてそんなものですよ」
 綾瀬はクッキーを三つ、掴んだ。
「興味深いですが、じゃあそろそろ」
「そうですね、僕もたくさんいただいてしまって、好きなときに食べよっと。また明日ですね」
 そういうと、カットされたシフォンケーキだのクッキーだのを楽しそうに選び始める。その様子が何となく西山と重なった。
「あんまり食べると、太りますよ。まあもう少し君は肉をつけたほうがいいが」
 綾瀬の一言に、目をぱちくりさせる。
「いや、失敬」
「ふふふ、いいんです。何となくわかりましたから」
 何が、とは言わず去っていく。
 どうせ、碌でもないことだろうな。
 綾瀬はため息を吐きそうなのをこらえ、自室に帰ることにした。
 これは西山、これは櫻田、無意識に選んだクッキー。その甘さを自覚しそうで、キッチンを出る前に飲んでしまったコーヒーを淹れなおした。

続く
 



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