とある物語の一ページ

走ル高麗人参


一

 平凡な人間だった。金持ちでもなく貧乏でもない。特別賢くも馬鹿でもない。運動ができるわけでも、絵が描けるわけでも、音楽の才能があるわけでもない。人並み。いてもいなくても、世界は変わらず回り続ける。きっと私は、ずっと何者かになりたかった。

「私がアイツを止めるから、私ごとコレでトドメをさすの」
 姉さんは父の形見の拳銃を私に押し付けた。私は、どうしてもそれを受け取れなかった。いや、受け取ったら終わりだと思った。
「いやだ。姉さんを撃つなんてできないよ」
 姉さんは困った顔をして、少しかがんで私と目線を合わせた。
「アイツは強いわ。早く倒さないと、あの子たちの命が危ない。あなたがみんなを守るのよ」
「姉さんが守ればいいよ。私が足止めするから、姉さんが撃って」
 言い終わる瞬間に頬に鋭い痛みが走った。姉さんに叩かれたのだと、理解するのに少し時間がかかった。
「そんなこと言わないで。あなたは生きるの。生きて、あの子たちと幸せになって欲しいの。あなたたちは、私の生きがいなんだから」
 そう言って姉さんはアイツに向かって駆け出して行った。私の手には、いつの間にか拳銃が握らされていた。

 姉さんがアイツにしがみついた。アイツは姉さんを引きはがそうと、姉さんの肩を刃物のようなもので貫いた。それでも姉さんは離れない。アイツは姉さんの肩に刺した刃物を抜いて、再び振りかぶった。
「姉さん!」
 アイツがゆっくりとこちらを見た。私と目があった。そして、音もなく崩れ落ちた。何が起きたんだろう。
「いやああああ! お姉ちゃん!」
 あの子たちの叫び声で、私の手を見つめる目で、気が付いた。私が撃ったのだ。アイツを。姉さんを。

 姉さん、私ね、ずっと何者かになりたかった。でもね、「大好きな姉を殺した妹」になりたかったわけじゃないんだよ。

 私が私になった日。私が私じゃ亡くなった日。
一

 坂道の上に夕日が見える。俺たちは夕日に向かって歩いていた。眩しい。夏の刺すような暑さとは違う、ぬるい空気がまとわりつくような、蒸し焼きにされているような、夕日独特の暑さ。俺はこの時間が嫌いだった。でも理由はそれだけじゃない。

「いい人って何でしょうね」
 また始まった、哲学もどき。
「個人的には、受け手の主観に依存するものだと思うのです」
 彼女は前だけを見据えて独り言のように話し続ける。俺は隣を歩いているのに。
「例えとしては、戦争が分かり易いですね。凄腕の航空
パイロットがいたとします。その人は母国の人々にとっ
ては英雄です。でも敵国の民には悪魔に見えるでしょう」
「いい人って、そういう意味?」
彼女が俺の目を凝視する。まるで今俺の存在に気付い
たかのように。
「そういう意味とは?」
 彼女の俺を見つめる目は、純粋な好奇心に満ち溢れていて、少なくとも俺にはそう見えて、なんだか居心地が悪くなる。
「なんていうか、もっと日常的なことというか。ほら、電車でお年寄りに席を譲る人とか、ちゃんと挨拶してくれる人とか」
 言いながら、違和感を感じていた。それは「いい人」の例か? どちらかというと「いいこと」の例じゃないか?
「なるほど、そういう側面もありますね」
 彼女は再び前を見つめて呟く。どういう側面だよ。
「確かに、社会的に良いとされていることを行う人はいい人ですね。では、社会的に良いとされていることは常に良いことなのでしょうか? そもそも社会的に良いことって何でしょう」
 彼女のこういうところが嫌いだ。オチもヤマも取り留めもない話、会話とも呼べないようなほぼ一方通行の議論風トークショー。内容も一見小難しそうだけど、まとめれば一般論だ。お堅そうに話すわりに、斬新な視点でもなければこちらが得るものもない。
 いや、違う。俺が一番気に食わないのは。普段考えもしないこと、当たり前のこと、その曖昧さを突き付けられる、この言いようのない気持ち悪さが嫌いだった。


一

「あはは、違いますよ。彼女たちは、自ら手術を希望したんです」
 信じられない、そう顔に書いてある。
「だって感情なんてあってもメリット無いでしょう。嬉しいことより悲しいことのほうが覚えてるもんみたいだし。それなら最初から何も感じないほうがいい」
 幸福の概念すら、ないほうが「しあわせ」そうだ。
「ウィンウィンの関係だってことですよ。彼女たちは一生心穏やかに生きられる。お偉いさんにとっては、使い捨てても良心が痛まない駒ができる」
 顔が青ざめている。せっかくのイケメンが台無しだ。いや、かえって美しいともいえるのかな。

「私も止めたんですよ? 感情のない人生なんて、つまらないからやめとけって。でも彼女たち、だーれも聞いてくれなかったのです。『もう疲れた』んだそうですよ」
 そう、私は止めたのだ。彼女たちの先輩として。生まれつき感情のない人生を歩んできた者として。

「私にはまったく理解できませんけどね」
 振り返って彼女たちを見回す。同じ服を着て、お人形さんみたいな顔をして。死んだような顔ともいえるかな。

「退屈で、退屈で仕方ないんです。何をしても、何も感じない。つまらない。でもわざわざ死のうとも思わないんです。生存本能に逆らってまで死ぬほどの理由もないので。持て余してるんですよね」
 彼女たちは知っていたのだろうか。
「ねえ、恋人と過ごす時間はどんなふうに幸せなんです? 誰かと食べるご飯のほうがおいしいって本当ですか? ペットが死んで悲しいってどんな気分です? 宝くじに当たったら嬉しいですか? ねえねえ、こんなに楽しそうなのに、なんで捨てちゃったんです?」
 一人ひとり、彼女たちの顔を覗き込んで尋ねる。けれど、誰も答えはしない。彼女たちの虚ろな目には、私は映っていない。

「ただ一つ言えるのは、あなたの恋人は、あなたとの幸せな時間より、何もない平穏な人生を選んだってことです」
 彼は今何を思っているのだろう。俯いていて表情が読めない。ただ、爪がくい込みそうなほど握られた両の拳が、彼の心情を垂れ流している。



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