季節の唄

内藤紗彩


引っ越しの日
 電車がゆっくりと加速する。車窓に映る景色は徐々に
しかし確実に、見覚えのある街を置き去りにする。走馬
灯のようだと思った。これから先の道には誰一人僕を知
っている人などいなくて、見知らぬ土地で何もかもを初
めからやり直す。視界がぼやけて景色が繋がって耐えき
れず瞬きをした。夕暮れの田舎の駅に僕は立っていた。

初めてエアコンをつけた日
 何をしたらいいかなんて分からないのに、何をしても
駄目だった。そんな私が生きるためには駄目だと分かっ
ていることをするしかなかったの。でも痛いのは嫌だし
薬も犯罪も周りに迷惑がかかるでしょう?だから許され
る悪い事の中で一番罪悪感があった煙草を選んだんだ。
彼女はそう言って笑いながら、僕の部屋で息をしてた。

一日中SNSを見て過ごす日
 村上春樹という偶像が各々のイメージの中で形作られ
それがひとつの表現技法として膨大な電子的デバイスを
介し共有される。そしてその形式が恰も一般化された常
識かのように語られる。この意味で言えばメンヘラもヲ
タクも同じだろう。無知故の模倣は簡単だがある程度そ
れを知る者にとっては存外滑稽かつ稚拙に映るものだ。

炎天下、図書館に行った日
 「僕が目になろう」赤い魚はそう言った。あぁ僕に彼
のような綺麗な鱗が付いていたら。「そばにいても、いい
かい」死なない猫はそう言った。あぁ僕も彼のように不
死身の肉体だったなら。「君が、好きだ」冴えない男はそ
う言った。僕には何も無いけれど、今一瞬のこの自分の
気持ちにだけは嘘を吐きたくないと、そう思ったんだ。

溜めてた課題に手を付けた日
 しょうらいのゆめ、進路希望調査、エントリーシート。
事あるごとに僕らは自分の意志に関わらず「正解」を書
くことを余儀なくされた。どうして自分に正直に書いち
ゃいけないんだ。そう言ったら「現実を見なさい」と諭
された。そうか、ここは現実じゃなかったのか。あぁ、
一体このやけにリアルな夢はどうやったら覚めるんだ。

星が綺麗な日
 彼女からの突然の電話に何事かと驚いた。「今夜は流星
群が見えるんだって」何だくだらない。そんなことか。
「ちょっと外出て見てみなよ」「あー、今出た」動くのが
面倒で寝そべったままの姿勢で答えると彼女はふふっと
笑った。「たしか、君の部屋にベランダはなかったと思う
けど」玄関のチャイムの音が何故か耳元からも聞こえた。

落ち葉を掃除した日
 踵の潰れていない運動靴。高校時代から使っている自
転車。箒とちりとり。一杯になったLサイズのゴミ袋。
冷凍庫にアイスと生姜。紅茶に角砂糖ひとつ。長めの半
身浴。片手には本。いい匂いのするシャンプー。お気に
入りのバスタオル。寝るには少し邪魔な猫。また明日。

雪だるまが並んだ日
 カーテンを開けるとそこは雲の上の別世界のようだっ
た。通った道に足跡がつく。柔らかくて固くて儚い。僕
は無心で雪を丸めていた。久々に童心に帰った気分だ。
炬燵でココアを飲みながら一息つく。もっと積もらない
かな。何の気無しにつけたテレビからは積雪による交通
渋滞と、雪崩の死傷者を告げるニュースが流れていた。

年始めのあまり寒くない日
 成人式とか、同窓会とか。ふと、昔の自分を感じてし
まう時がある。あの頃の僕はまだ未熟で大切なものが何
かも分からずに、ただ漠然と大人になりたくないなんて
背伸びしてた。気付けばいつの間にか青春を通り過ぎて
いたんだね。思い出の欠片をポケットに入れて僕はまた
歩き出す。変わってしまった君にもう一度会うために。

啓蟄
 出逢う人が尽く輝いて見えた一八歳の春。それから数
年が経ち僕は憧れた人の年齢に追いついていた。周りを
見渡しても彼はどこにもいなくて、やっぱりって落胆す
ると同時に少しホッとしたり。僕もあの人もそれぞれの
道を歩いていてとっくに姿形も見えないのに、僕はまた
架空の背中を追いかけたりしてしまうんだろうなって。




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