アリとキリギリスと地上げ屋

高村凉



 昔、あるところに、アリとキリギリスがいました。
 アリたちはとても働き者でしたが、キリギリスはいつもヴァイオリンを弾いてばかりいました。
 ぽかぽかと暖かい春の日、アリたちは新しい巣を作るために、トンネルを掘っていました。キリギリスは、アリたちがせっせと土を運んでいるのを眺めながら、ヴァイオリンを弾いていました。アリたちがキリギリスに、何をしているんですか、と聞くと、キリギリスは答えました。
「見ての通り、ヴァイオリンを弾いているのだよ。来年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで演奏するためにね」
 暑い暑い夏の日も、アリたちは巣から小石を運び出したり、松葉を積んだりと、忙しく動き回っていました。キリギリスは、木陰に座ってヴァイオリンを弾いていました。アリたちがキリギリスに、新しい巣を作らなくてもいいのですか、と尋ねると、キリギリスは答えました。
「巣を作るために一日練習を休むと、調子を取り戻すのに三日かかるのだよ。私にそんなことをしている暇はない。邪魔しないでくれたまえ」
 秋になって木の葉が色づくと、アリたちは食料を集め、冬ごもりの準備を始めました。キリギリスは、落ち葉に座ってヴァイオリンを弾いていました。アリたちがキリギリスに、冬を越すための巣や食料の準備をしなくてもいいのですか、と聞くと、キリギリスは答えました。
「真剣に音楽に取り組んでいれば、寒さや飢えなど感じないはずだ。君たちのような凡人には、到底理解の及ばないところだとは思うがね」

 寒い冬がやってきました。木の葉はすべて落ち、粉雪がはらはらと舞い始めたので、アリたちはみな暖かい巣にこもりました。うっすらと雪が積もり始めたある日、キリギリスがアリたちの巣にやってきました。キリギリスは、アリたちの巣の外から呼びかけました。
「親愛なるアリ諸君。相談したいことがあるのだが、出てきてはくれまいか」
 アリたちは、暖かい巣から出たくなかったので、聞こえないふりをしました。
「アリくんたち! どうか出てきてはくれまいか。外は寒くて凍り付きそうなのだ」
 アリたちは、満場一致で聞こえないふりをし続けることに決めました。
「少しお時間よろしいでしょうか! 慈悲深いアリの皆様! ご相談したいことがございます! どうか可及的速やかに出てきてはいただけないでしょうか!」
 アリたちは、しぶしぶ数匹だけで話を聞くことにしました。仁義なきポーカー大会の結果、蟻田さんと蟻村さん、蟻栖川さんの三匹が、代表としてキリギリスの用を聞くことに決まりました。三匹が巣の外に出ると、キリギリスが震えながら待っていました。
「ずいぶんゆっくりとしたお出迎えで......いえ! なんでもございません! 皆様お元気そうでなにより......つきましては、皆さまに助けていただきたいことがあるのです。愚かな私は、ずっと楽器の練習に励んでいたこともあり、冬支度を怠ってしまいました。その当然の結果ではございますが、私の古い家は吹雪で壊れ、飢えを癒す食料もなく、明日にも命が絶えようかといったありさまでございます。慈悲深いアリの皆様方、どうか私に、部屋を貸し、食料を分けてはいただけないでしょうか......?」
 蟻田さんは言いました。 
「それはたいそうお気の毒ですが......私たちの巣はアリの大きさに合わせて作ってあるので、あなたが入れるほど広い部屋がないのです」
 蟻村さんは言いました。
「今年は冬が長いと聞いております。私たちも秋に集めた食料を大事に大事に食べているところ。残念ながら、あなたに分けてあげられるほどの余裕はないんですよ」
 蟻栖川さんは言いました。
「寝言は寝て言え」
 キリギリスは、恥ずかしさと情けなさで呆然としながら、アリの巣から離れ、自分の壊れた古い家に帰りました。キリギリスは、寒くて、悲しくて、やりきれない気持ちをなんとか紛らわそうと、必死でヴァイオリンを弾きました。その音色は吹雪の中でも美しく響き、聞く者の涙を誘いました。

 キリギリスが泣きながらヴァイオリンを弾き狂っていると、地上げ屋さんが通りかかりました。地上げ屋さんは、キリギリスが奏でる音色の切実さに心を打たれて、たくさんのおひねりをくれました。
「キリギリスさん、どうして泣いてるんでゲスか。僕が力になれるかもしれないでゲス。悩みがあるなら、聞くでゲスよ」
 キリギリスは、地上げ屋さんの語尾が気になったものの、寒さをしのげる家がないこと、お腹が空いて死にそうだということ、アリたちに助けを求めたが、すげなく断られてしまったことを話しました。地上げ屋さんは、キリギリスに同情し、アリたちの冷酷さに激怒しました。
「心無いアリたちめ。許せないでゲス! こんなに立派な音楽家を粗末に扱うなんて......。キリちゃん、ちょっと待っててほしいでゲス。きっと奴らに報いを与えるでゲス!」
 キリギリスは、地上げ屋さんの厚意で、冬の間、地上げ屋さんの住むマンションに間借りすることになりました。地上げ屋さんは、まず、アリたちの巣の周りの土地を安値で買い叩きました。そして、どんな手段を使ったかは分かりませんが、アリたちが巣を作った土地の登記を取ってきました。地上げ屋さんは、登記書類を持って、アリたちの巣へカチコミに行きました。
「アリども、私がこの土地の正式な所有者でゲス。お前たちは不法占拠者でゲス! 直ちにこの土地を明け渡さなければ、法的措置を取るでゲスよ」
 蟻田さんは言いました。
「ちょっと待ってください。この土地に所有者がいるなんて話、聞いたことがありません。確かに、登記は取っていませんでしたが、いきなりそんなことを言われても困ります!」
 蟻村さんは言いました。
「この巣は、私たちが半年以上かけて、一生懸命作った大事な家です。出て行けと言われて、はいそうですかと納得できるわけないでしょう! それに、今ここから追い出されてしまったら、寒さでみんな死んでしまいます!」
 蟻栖川さんは言いました。
「ふざけた語尾を矯正してから出直せ」

 アリたちが土地の明け渡しを拒んだため、裁判が始まりました。最初のうちは、周囲の土地が地上げ屋さんの名義だったために、アリの巣が作られた土地も、もともと地上げ屋さんのものだったという主張に信憑性があったことから、裁判は地上げ屋さん優勢で進みました。しかし、アリたちは手段を選ばず、時効を主張し、地上げ屋さんの人柄が信頼に足るものではないということを強調するために、彼が学歴詐称、浮気、経費水増し、万引き、信号無視、賭け麻雀をしていた証拠をかき集め、裁判長に提出しました。裁判は四か月にわたって行われましたが、地上げ屋さんが登記を具備していたことと、蟻栖川さんが裁判長に暴言を吐いたことが決め手となって、地上げ屋さんの勝訴となりました。アリたちは巣からの立ち退きを命じられましたが、季節はもう春になっていたので、誰一匹として命を落とさずに済みました。

 そのころ、地上げ屋さんのマンションでは、キリギリスがヴァイオリンを弾いていました。キリギリスは、ヴァイオリンを弾きながら、驕り高ぶっていた自分の愚かさを恥じ、またアリさんたちが自分の頼みを聞かなかったのはもっともなことだと反省しました。地上げ屋さんが勝訴し、アリさんたちが立ち退きを命じられたことを知ると、彼はより深く後悔し、なんとかしてアリさんたちに償いをしたいと考えるようになりました。その思いが音色に深みを出したのでしょうか、ある日、彼の弾くヴァイオリンが有名音楽プロデューサーの耳にとまり、キリギリスが作った曲に歌詞をつけられ、新人アイドルのデビュー曲として採用されました。デビューシングル「恋の裁判~私と登記、どっちが大事なの?~」は、三十万枚もの売り上げを記録し、キリギリスは大金持ちになりました。キリギリスは、そのお金で八百八十八LDKロフト付きの家を買い、アリさんたちに今までの行いを誠心誠意謝罪し、償いの証としてこの家をどうか受け取ってほしいと懇願しました。
 蟻田さんは言いました。
「あなたの気持ちはよく分かりました。間違いを認め、反省したのであれば、あなたを許しましょう」
 蟻村さんは言いました。
「素敵なお家をありがとう。これでもう当分は新しい巣を作らなくて済みます」
 蟻栖川さんは言いました。
「なかなかいい曲作るじゃねーか。これからもがんばんな、あんちゃん」

 こうしてアリとキリギリスは仲直りを果たし、いつまでも幸せにくらしましたとさ。
 めでたし、めでたし。 


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