愛を騙る世界で

内藤紗彩



 プロローグ〈episode No,01 成瀬公彦〉
 技術の進歩。倫理観の希薄化。それに伴い消費者のニーズは社会に新たなサービスを提供させた。
『死に方選べます! 好きな人と一緒に死ねたら幸せだと思いませんか?』
 あぁ、僕は愛に飢えていた。
「僕はあの人の目の前で死にたい」
 かしこまりました。受付の男はそう言ってテキパキと手続きを済ませた。
 きっと明後日の夕方には学校前の交差点であの人の悲鳴が上がるだろう。
 燃えるような血飛沫と、この肉片全てを賭けて貴方に僕の想いを刻もう。
 そして気付くに違いない。
 僕という存在に。
 僕はあの人の中で永遠に色褪せない記憶になる。
 絶対に叶わない恋だった。
 始まる前に終わった道を終わりを以て始めよう。
 純粋な偏愛を、君に捧ぐ。
〈episode No,01 成瀬公彦:END〉
〈episode No,02 中塚陽介〉
「かしこまりました」
 そう言って俺はにこりと微笑む。
 こんなはずじゃなかったのに。俺は超有名企業の御曹司として、ぬくぬくとした人生を歩むはずだったのに。なんでこんな死に際の人間にまでペコペコ頭を下げなくちゃならないんだ。
 金だ。世の中結局金次第なんだ。金さえあれば俺は何も失わなかった。仲間も女も俺から離れてはいかなかった。
「それではこちらお代の方が......」
「あ、現金一括で」
 ぽんと目の前に積まれる大金に思わず目が眩む。きっと何不自由ない生活を送ってきたのだろう。このご時世死ぬことすら金持ちの道楽なのか。
「では、残りの余生をお過ごしください」
 神様は理不尽だ。俺からは何もかもを奪っておいてコイツには望む形の死を与えるだなんて。
 ......そうだ。簡単じゃないか。俺が代わりに神様になればいい。そうすれば今この場の二人の人間は救われる。
 俺はたった今書かれた「託死届」を破り捨てた。
 〈episode No,02 中塚陽介:END〉
〈episode No,03 成瀬孝明〉
 朝。一杯のコーヒーと食パン一枚。人が生きていくのに何も特別なものは必要ない。運動と睡眠、勉学と質素倹約を常としていれば過度な娯楽を貪るなどという無駄な思考には至らない。
 妻が堕落した息子を起こしに行く。悲しいことだがもうどちらに対しても興味も期待も無い。新聞を読むことさえ邪魔しないなら家族などいてもいなくても同じことだ。
 例の制度が出来てから死亡事故が新聞の一面を賑わせることも無くなった。人権は肥大化し死ぬことすら個人の自由の範疇に含まれる。
 どうして人は死に急ぐのか。いずれ終わりが来るのならその時までただ生きればよかろうに。そこに意味などあるのだろうか。
 今月の生活費だ、と妻に通帳を渡す。愛情こそもうないが不自由をさせるわけにはいかない。
 彼女も無表情で礼を述べそれを受け取った。妻も昔は見目麗しい女性だったのだ。人は変わる。
「おい公彦、勉強はしているのか。それに」
「五月蠅いなぁ。ほっとけよ」
 本当に。家族などいてもいなくても同じことだ。
 〈episode No,03 成瀬孝明:END〉
〈episode No,04 橋本乃得瑠〉
「ねぇ、ヒマ?」
 ネオンが躍る歓楽街。乃得瑠はその中で最も冴えない青年に声を掛けた。時間と金だけはあるね。そう言って青年はへらっと笑う。利害の一致した二人が深い関係になるのに時間はかからなかった。
 昼は学園の優等生、夜は愛の求道者。二面性を操る乃得瑠にとって裏表のない青年は唯一心を開ける相手だった。
 俺は金しか持ってないから。それが彼の口癖だった。そんなことない。あなたは自分の未熟さを知ってる。だから私の嘘に対しても優しい。
 偽りの幸せは長くは続かずその日は突然訪れた。
「倒産......したんだ。俺の会社」
 彼のか細い、僅かな自信が折れる音がした。
 私が何とかしなきゃ、そう思った。彼に貰ったのはお金なんかじゃない。もっともっと大切なもの。
 私が私でいてもいい、生きる理由そのものだ。
「しばらく会うのやめましょう」
 何としてでも彼を助ける。
 この身を売ってでも、彼のために。
 それが私の価値であり、覚悟だ。
〈episode No,04 橋本乃得瑠:END〉
〈episode No,05 成瀬佳苗:END〉
 丁寧に暮らそう。
 私はこの人と結婚するときに、そう決意した。朝の挨拶。トーストとコーヒーに角砂糖ひとつ。洗濯物を干したら室内の掃除。全ては自分に厳しい彼のために。無駄なく、慎ましい質素な生活。
 子供が生まれてもそれは変わらなかった。いや、子供が育ってもこの人は何も変わらなかった。
「君は変わってしまったな」
 私の年老いた顔を見て彼は静かに言った。
 私は貴方のために、真面目で完璧な貴方に合わせるために、自分を捨てて変わろうとしたのに。貴方はそんな私を憐憫の目で見るのね。
 息子もいつの間にか私に懐かなくなった。それも当然のことだ。私は彼に認めてもらうために息子を一生懸命育てていたのだから。
 今日も私は三人分の食材を買いに行く。
 ふと、真新しい建物に気付いた。いつもの道が知らない街みたいだ。中には取り壊されて空き地になっている所もあった。そこは以前は何の店だったのだろうか。いくら考えても思い出せないことが何故だか無性に物悲しかった。
〈episode No,05 成瀬香苗:END〉
〈episode No,06 山田拓郎〉
 プライドってやつは相当厄介なものだ。それは何故か。人によって価値が全くもって異なるからだ。
 こいつもそれに捕らわれた口だろう。裕福だった過去に縋り付いて借金をしてでも見栄を張った暮らしを続けようとする。挙句の果てに会社の金を使い込みときた。見るも哀れに土下座して許しを乞うている姿は救いようもない。
「期限は明日。それまでに金を用意できなければ代わりに命で支払ってもらう」
 まぁ、自分で責任取ってくれるなら何も文句は無いんだけどね、と仄めかしておく。プライドを捨てた人間など生きている事に価値などない。
 ひと段落したころにスマホの通知が鳴る。
『拓郎さん、またお金が必要になったんだけど今度はいくらで買ってくれる?』
 やれやれ。露骨にプライドを切り売りするのも考え物だ。持っていてこそ価値を帯びるが手放した瞬間に地に落ちることを理解していないらしい。
 ま。それを買うやつがいるから商売ってのは成り立つわけだ。さてと、神様の真似事でもしに行きますかね。賭けるプライドが残ってりゃいいが。
〈episode No,06 山田拓郎:END〉
エピローグ〈episode No,07 ある人〉
 ある日の夕刊の隅に学生が男に刺されたと小さく報じられた。目撃者である女子生徒はそれがトラウマで引きこもりがちになったらしい。最も、その原因が事故そのものなのか犯行に及んだ人物にあったのかは今となっては知る由もない。
 驚くことに被害者遺族は当人がそれを望んでいたとして犯人の無実を主張。男は無罪放免となり、そのまま行方を眩ませた。
 人の命すらビジネスになるこの世界で金を積んでも買えなかったものは何だったのだろう。寧ろそんなもの初めから無かったのではないか。
 そうだ。無いなら作ればいい。
 数ヶ月後。離婚率の増大。孤独の可視化。それに伴い消費者のニーズは社会に新たなサービスを提供させた。
『日常にトキメキを! 人生にキラメキを! 愛を安価でお楽しみいただけます!』
 最初は訝しげに議論を醸していた人々も、少しずつ少しずつ当たり前に慣れていく。
 見えたとてどうにもできないにも関わらず、人々は見えないものを追い求めるのかもしれない。
〈episode No,07 ある人:END〉


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